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コメント: 一昨日アップロードしていたギリシア制作のドキュメンタリー映画『デトクラシー(Debtocracy)』に日本語字幕を付けて公開。これはクリエイティブ・コモンズ(CC BY-SA)で公開されているもので、公式サイトにもそのことは明示されている。 全面で取り上げられているわけではないが、デヴィッド・ハーヴェイやアラン・バディウといった有名どころも出演。ついでに言えば、大した話ではないが1時間8分辺りのところで、このブログでも良く取り上げるお二方の写真が……。 このドキュメンタリーはNHKが「ギリシャ 財政破綻への処方箋~監査に立ち上がる市民たち~」の題名で放映したことがあるはずだが(私はインターネットで視聴)、編集で切り刻まれた結果内容から受ける印象はかなり異なっている。 NHK放映版では、その邦題通りに、債務監査委員会の結成(と不当債務の概念)が全ての解決法であるかのような締めくくり方をしているのだが、この「インターナショナル・ヴァージョン」では、監査委員会はより大きな闘いの一部だとはっきり言われている。 そのより大きな闘いが一体どんな闘いなのかは観ていただくとして、最後に翻訳上のことを。複数の言語によって構成されているために、英語の字幕を元に、適時フランス語の字幕を参照しながら翻訳した。したがってほとんどの部分で重訳ということになる。その点は申し訳ないのだが、可能な限り正確であるように努めたし、今後も見直していきたい。
「ウォール街を占拠せよ」:次になされるべきは何か?
Occupy Wall Street: what is to be done next? 2012年04月24日 - スラヴォイ・ジジェク 原文:http://www.guardian.co.uk/commentisfree/cifamerica/2012/apr/24/occupy-wall-street-what-is-to-be-done-next 「ウォール街を占拠せよ」運動の余波の中で何をなすべきか、遙か彼方で始まった抗議――中東、ギリシア、スペイン、イギリス――が、中心へと到達し、増幅され、世界を席巻しているのだろうか? 二〇一一年一〇月一六日のOWS運動のサンフランシスコでの反響において、一人の男が、まるでそれが一九六〇年代のヒッピー流のハプニングであるかのように、群衆に参加を呼びかけながら話しかけた。 「やつらは俺たちのプログラムは何だと訊いている。俺たちにプログラムなんてない。俺たちは楽しい一時を過ごすためにここにいるんだ」 こうした表明は、抗議者たちが直面している最大の危険の一つを示している。彼らが、「占拠中」の場所で楽しい時間を過ごし、自分自身と恋に落ちるという危険である。カーニヴァルは安く付く――彼らの価値への真の試練はその後に何を残すか、我々の通常の生活がどの様に変わるのかだ。抗議者たちは辛く根気のいる労働と恋に落ちるべきなのだ――彼らは始まりであって、終わりではない。彼らの基本的なメッセージは、「タブーは破られた。我々は最善の可能世界に住んでいるわけではない。我々はオルタナティブについて考えることを許されている、義務付けられてさえいる」というものだ。 ある種のヘーゲル哲学的な三つ組(triad)において、西側の左翼は元の場所へと回帰した。反レイシズムやフェミニズムなどの闘争との複数性のために、いわゆる「階級闘争の本質」を放棄した後、「資本主義」は現在明らかにその問題の名で再興隆している。 最初に禁止しなければならない二つのことは、それゆえに、腐敗を批判することと金融資本主義を批判することである。第一に、人々と彼らの態度を非難してはならない。問題なのは腐敗や貪欲ではなく、腐敗へと駆り立てる体制である。解決策は、目抜き通りでもウォール街でもなく、目抜き通りがウォール街なしに機能しない体制を変えることだ。ローマ法王を始めとする著名人たちは、過剰な貪欲と達成の文化と戦えとの指令を、私たちに浴びせかけた――もしそうしたものがあるとしたら、この安っぽい道徳化のむかつくような光景は、まさにイデオロギー上の作戦である。体制それ自体に刻み込まれた(拡張された)衝動が、個人の罪、個人的な心理学的特質に翻訳されている。もしくは、法王に近い神学者の一人がこう述べたように。 「現在の危機は資本主義の危機ではなく、道徳性の危機なのです」 エルンスト・ルビッチの『ニノチカ』の有名な冗談を思いだそう。カフェテリアを訪れた主人公が、クリーム抜きのコーヒーを注文する。するとウェイターがこう答えるのだ。 「申しわけございません、手前どもは現在クリームを切らしておりまして、ミルクしかございません。ミルク抜きのコーヒーならお持ちできますが?」 一九九〇年の東欧の共産主義体制の解体において、よく似たトリックが働いたのではないだろうか?抗議した人々が求めていたのは、腐敗と搾取のない自由と民主主義だった。彼らが得たのは、連帯と正義のない自由と民主主義だった。同じ様に、法王に近いカソリックの神学者は用心深く、資本主義を攻撃することなしに、道徳的不正、貪欲、消費主義などを攻撃することを抗議者たちに求めている。資本の自己増進性は、これまでにないほど私たちの生活の究極の現実に食い込んでいる。資本主義は、その定義から言って、制御不可能な獣である。 失われた大義に対するナルシシズムの誘惑、失敗する運命にあった蜂起の崇高な美を崇める誘惑は避けねばならない。蜂起の崇高な熱狂が終わったその後で、どのような新しい積極的な秩序が古いそれに取って代わるべきなのか?この重要な点において、我々は抗議の致命的な弱点に遭遇する。彼らは、最小限の積極的な社会政治的変革プログラムへと変容することのない真性の怒りを表明した。彼らは、革命なき反逆(revolt without revolution)の精神を示したのだ。 パリでの一九六八年の抗議に反応して、ラカンはこう言った。 「革命家として、あなた方が切望するのは新しい主人である。あなた方はやがてそれを得るだろう」 ラカンの評言は、スペインのインディグナドスに対しても(そればかりではないが)、その対象を見いだせるようだ。彼らの抗議が、古いそれを置き換える新しい秩序の積極的なプログラムを欠き、主人を求めるヒステリー的な憤激である限りにおいて、たとえ否認するにせよ、新しい主人を求める声として効果的に機能する。 我々はこの新しい主人をギリシアとイタリアに見ている。おそらくスペインがそれに続くだろう。あたかも抗議者の専門的なプログラムの欠如に回答するかのように、政府の政治家を非政治的なテクノクラート(ギリシアやイタリアがそうであるように、ほとんどが銀行家)からなる「中立な」政府に取り替えるというのが、現在の傾向である。彩り豊かな「政治家」は外、灰色の専門家は内というわけだ。この傾向は明らかに、永続的な緊急事態と政治的な民主主義の停止に向かうだろう。 したがって、我々はこの発展の中にまた挑戦も見出さなければならない。イデオロギーのもっとも冷酷な形態として、非政治的な専門家の支配を拒否するだけでは充分ではない。優勢な経済組織に替えて、何を提案すべきかもまた真剣に考え始めるべきなのだ。代わりとなる組織の形態を想像し実験するべきなのだ。新しいものの芽生えを探し求めるべきなのだ。共産主義は体制が停止した時の単なる、あるいは優勢な集団抗議のカーニヴァルではない。共産主義は何よりもまた新しい形態の組織であり、規律であり、重労働なのだ。 抗議者たちは敵だけではなく、彼らを支持するふりをしているが、抗議を薄めようと忙しく働いている偽の友たちにも注意するべきだ。我々がカフェイン抜きのコーヒーを、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを渡されるのと同じやり口で、彼らは抗議を無害で道徳的な身振りに替えようとするだろう。ボクシングにおいて「クリンチ」が意味するのは、パンチを予防するか妨げる目的で、対戦者の身体を片方ないし利用法の腕でつかむことである。ビル・クリントンのウォール街抗議への反応は、政治的クリンチの完璧な例だ。クリントンは抗議を「全体的に考慮すれば……積極的なことだ」と考えているが、抗議の不明瞭さを心配している。クリントンは抗議者たちにオバマ大統領の雇用計画を支持するように示唆した。それによれば「次の一年半の間に数百万の雇用が創出されるだろう」。この段階で抵抗すべきなのは、まさにこうした抗議のエネルギーを一連の「具体的で」実用的な要求に素早く置き換えようとする行為だ。そう、抗議は真空を作り出した。真に新しいものの幕開けとなるものを。抗議者たちが街頭へと繰り出した理由は、コーラの空き缶をリサイクルすることで、チャリティとして数ドルを寄付することで、もしくはスターバックスのカプチーノを買うと、その一%が第三世界の抱える問題にいくことで、彼らを満足させて、それで良しとしているこの世界にうんざりしているからなのだ。 経済のグローバリゼーションは漸進的に、だが容赦なく西側の民主主義の正統性を損なっている。それらの持つ国際的な性格のせいで巨大な経済的プロセスは、定義により国民国家に限られている民主的な機構によって制御することができない。そのために、人々はさらに制度的な民主的形態が彼らの死活問題をとらえることができないという事態を経験する。 マルクスの重要な洞察がこれまでになく未だ有効なのはここだ。マルクスにとって、自由の問題は、厳密に政治的分野の第一に置くべきものではなかった。実際の自由への鍵は、市場から家族までの、社会的諸関係の「非政治的な」ネットワークに存するものだった。そこでは、我々が実際の改善を望むのなら必要な変化は政治的な改革ではなく、「非政治的な」生産の社会的諸関係を変えることだった。誰が何を所有するかについて投票したりはしないし、工場での関係について投票したりしない……などなど。こうした全てのものは政治的な分野の外側のプロセスに委ねられている。民主主義をこの分野にまで「拡張する」ことによって、ものごとを効果的に変えることができると期待するのは非現実的である。言うなれば、人々の管理下にある「民主的な」銀行を運営しようというようなものだ。そうした「民主的な」手続き(もちろんそれらは積極的な役割を果たすことができるが)においては、我々の反資本主義がいくらラディカルなものであっても、解決策は民主的な機構の適用を模索される。それは――決して忘れるべきではないことに――資本の再生産の円滑な機能を保証する「ブルジョワ」国家の国家機構の一部なのだ。 一貫したプログラムのない国際的な抗議運動の出現は、それゆえに偶然の出来事ではない。それは明確な解決策のないより深刻な危機の反映である。状況は精神分析のそれに類似している。患者は答えを知っている(彼の症状がそのような答えだ)が、何に対する答えなのかを知らず、分析家が問題を構成しなければならない。そのような根気強い仕事を通してのみプログラムは出現するだろう。 かつてのドイツ民主共和国の古い冗談にこういうものがある。ドイツの労働者がシベリアで働くことになった。全ての手紙が検閲官に読まれることを知っていたので、友人にこう言った。 「暗号を決めておこう。君が私から受け取った手紙が普通の青いインクで書かれていたら、それは真実だ。もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ」 一ヵ月後、彼の友人は全てが青い色で書かれていた最初の手紙を受け取った。 「ここは全く素晴らしいところだ。商店は品揃えが良い。食料は豊富にある。アパートメントは広々としてちょうど良い暖かさだ。映画館では西側の面白い映画をやっている。お楽しみが欲しければ美しい女の子たちだっている。……ここで手に入らないものと言ったら、赤いインクだけだ」 これが今まで私たちが置かれてきた状況ではないだろうか?私たちには望む全ての自由がある――ただ欠けているのは「赤いインク」だけだ。私たちが自由だと感じるのは、私たちの不自由を明確に現すその言語を欠いているからだ。この赤いインクの欠如が意味するものは、現在の紛争を示すために我々が用いる全ての主要な用語――「テロとの戦い」「民主主義と自由」「人権」など――が偽物であり、我々にそれを思考する代わりに、我々の状況認識を惑わすものだということだ。 今日の課題は、抗議者たちに赤いインクを与えることである。 訳者コメント: ツイッターで翻訳のリクエストがあり、翻訳。このブログの読者ならおわかりのように、これまでに発表した文章やスピーチとの重複が多い。特に昨年の「ウォール街を占拠せよ」でのスピーチと重なる部分は明かであろう。 付け加わった部分については、訳者がその能力に達していないこともあり(もっとマルクスを読まないと……)コメントを割愛させていただきたい。
先週に、ユーチューブのアップロード上限が緩和されたため、以前に二分割で上げていた昨年一〇月のジジェクのスピーチの全体を一本の動画としてアップロードすることができた。
読者は、複数のエントリがあるために混乱してしまうかもしれない。ここで、少しだけ各エントリを解説しておく。 翻訳:スラヴォイ・ジジェク - 民主主義と資本主義の結婚は終わった [部分訳] Occupy Wall Street にスピーチの一部について、動画と書き起こしが上がっていたのを元に翻訳を付けたもの。最初にして不完全な翻訳。 翻訳:スラヴォイ・ジジェク - 民主主義と資本主義の結婚は終わった 元々は、上述の書き起こしを Impose Magazie の書き起こしで補って全体を翻訳したもの。しかし、そのどちらも不完全なため、結局インターネット上で手に入るあらゆるリソースを使って、スピーチを再現した。以前は「補完版」としていたが、これがもっとも完成されている。 動画:スラヴォイ・ジジェク - 民主主義と資本主義の結婚は終わった 最初に述べたように、これが最新のスピーチ動画。字幕として使用したテキストもついでに載せてある。
民主主義と資本主義の結婚は終わった
The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over 2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク 私たちは負け犬と呼ばれています。しかし、真の負け犬たちは、あそこウォール街にいます。彼らは、数十億もの私たちのお金で、救済措置を受けたのです。私たちは社会主義者と呼ばれています。しかし、ここには既に富裕層のための社会主義が存在するのです。私たちは私有財産を尊重していない、と彼らは言います。しかし、二〇〇八年の金融崩壊においては、苦労の末に手に入れた私有財産が数多く破壊されたのです。私たちの全員が、昼夜の境なく数週間の破壊活動に及ぶよりも多くです。 私たちは夢を見ているのだと、彼らは言います。しかし、真に夢を見ている人というのはものごとが永遠にそのままであり続けると考えている人たちのことです。私たちは夢を見ているのではありません。私たちは夢から覚めつつあるのです。悪夢へと変わろうとしている夢から。私たちは何一つ破壊していません。私たちはただ、体制がどのように自壊するかを目撃しているだけなのです。 私たちがみな知っているカートゥーンの古典的な場面があります。断崖へ到達した猫が、そのまま歩き続けるのです。下には何もないという事実を無視して。下を見て、そのことに気付いた時に、ようやく落下します。それが私たちがここで、やっていることなのです。私たちは、ウォール街の面々に、こう言っているのです。「おい、下を見ろ!」と。 二〇一一年の四月中旬に、中国政府はあることを禁止しました。全てのTVや映画や小説において、別の現実やタイム・トラベルを含む内容を扱うことを。これは中国にとって良い兆候です。つまり、人々が未だオルタナティブを夢見るためには、そうした夢を禁止すべきだ、ということです。ここでは、そうした禁止は必要ありません。なぜなら、支配体制が私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちが普段観ている映画を、思い浮かべてください。世界の終わりを想像するのは容易です。小惑星が生命体を全て絶滅させるとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉は想像できません。 それでは、私たちは一体ここで何をしているのでしょう?ここで一つ、素晴らしい、古い、共産主義時代のジョークをお話しさせてください。一人の男が、東ドイツからシベリアへ、働くために送られました。自分の手紙が検閲官に読まれることを、彼は知っていました。そこで、自分の友達にこう言いました。「暗号を決めておこう。もし私からの手紙が、青いインクで書かれていたら、私の言っていることは真実だ。もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ」。 一ヵ月後、彼の友達は最初の手紙を受け取りました。全ては青いインクで書かれていました。その手紙にはこう書かれてました。「ここは全く素晴らしいところだ。商店はおいしい食べ物で一杯だ。映画館では西側の面白い映画が観られる。アパートメントは広々として豪華だ。ここで手に入らないものと言ったら、赤いインクだけだ」。 このようなあり方で、私たちは生きているのです。私たちには、私たちが望むあらゆる自由があります。私たちには、ただ赤いインクがないだけなのです。私たちの不自由を明確に表すための言語が。私たちがそういう風に話すようにと教えられた自由についての話法――「テロとの戦い」とかそういったことです――それが自由を偽ってしまうのです。そして、それがあなたたちが、ここでしていることなのです。あなたたちは、私たちみなに赤いインクを授けているのです。 そこには危険もあります。自分自身と恋に落ちないようにしてください。私たちはここで、楽しい時を過ごしています。だが、覚えておいてください。カーニバルは安上がりなのです。重要なのは、その翌日私たちが日常生活へと戻る時です。そこに何らかの変化はあるのでしょうか?私はあなたたちに、これらの日々を想い出にして欲しくありません。「ああ、私たちは若く、全ては素晴らしかった」などと。 覚えておいてください。私たちの基本的なメッセージは、「私たちはオルタナティブを考えることを許されているのだ」というものです。タブーは破られました。私たちは、最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。この先に長い道のりがあります。そこには、真に困難な問いが立ちはだかっています。私たちは、私たちが何を望んでいないかを知っています。それでは、私たちは一体何を望んでいるのでしょう?どのような社会組織が、資本主義の代わりとなるのでしょう?どのようなタイプの新しいリーダーを、私たちは望んでいるのでしょう? 覚えておいてください。問題は、腐敗でも貪欲でもないのです。問題なのは体制です。それが腐敗を強いるのです。敵だけに注意するのでなく、偽の友にも注意してください。彼らは既に、この抗議を薄めようとしています。カフェイン抜きのコーヒーを、受け取る時と同じやり口で、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを、受け取る時と同じやり口で彼らは、これを無害で道徳的な抗議活動に変えようとするでしょう。カフェイン抜きの抗議です。 私たちがここにいる理由は、私たちがこの世界にうんざりしているからなのです。コーラの空き缶をリサイクルすることで、チャリティとして数ドルを与えることで、もしくは、スターバックスのカプチーノを買うと、その一%が飢えに苦しむ第三世界の子どもたちのところに行くことで、私たちを気分良くして、それで良しとしているこの世界に。労働と拷問を外部に委託したその後で、私たちの性生活ですら、今や結婚仲介業者が外部に委託しているその後で、私たちは理解しています。私たちの政治的参加もまた、長い間委託されるに任せていたことを。私たちはそれを取り戻したいのです。 私たちは共産主義者ではありません。もし、共産主義が一九九〇年に崩壊した体制を意味するのならば。思い出してください。今日ではそれらの共産主義者たちが、もっとも能率的で冷酷な資本主義者であることを。今日の中国には、資本主義が存在します。アメリカの資本主義以上に、ダイナミックなが資本主義が。しかし、それは民主主義を意味しません。それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、脅されるような真似を許してはならないということです。まるであなたが民主主義に、反対しているかのように。民主主義と資本主義の結婚は終わったのです。 変革は可能です。ところで、今日私たちは何を可能だと見なしているのでしょう?メディアを追いかけてみましょう。一方では、テクノロジーとセクシャリティーにおいて、全てが可能であるかのように見えます。月まで旅行に出かけることも可能です。遺伝子工学によって、不死になることも可能です。動物であれ何であれと、セックスすることも可能です。ですが、社会と経済の領域を見渡してみると、そこでは、ほとんど全てのことが不可能だとされているのです。 あなたが富裕層の税率を、ちょっとばかり引き上げたいと言えば。「それは不可能だ。競争力を失う」と彼らは言うのです。あなたがヘルスケアにもっとお金が欲しいと言えば、「不可能だ。全体主義国家のやることだ」と彼らは言うのです。この世界はどこかが間違っているのではないでしょうか。不死になることを約束されているのに、ヘルスケアに費やすお金をほんの少しも上げることができない世界は。 おそらくここできちんと私たちの優先事項を、設定することが必要なのでしょう。私たちはより高い生活水準など望んでいないのです。私たちはより良い生活水準を望んでいるのです。たった一つの意味においてのみ、私たちが共産主義者(コミュニスト)であるのは、私たちがコモンズに配慮しているからです。自然のコモンズ、知的所有権によって私物化されたもののコモンズ、遺伝子工学のコモンズ。このために、このためだけに私たちは闘うべきなのです。 共産主義は間違いなく失敗しました。しかし、コモンズの問題がまだここにあります。ここにいる私たちはアメリカ人ではない、と彼らは言います。しかし、自分たちこそが本当のアメリカ人だと主張する保守派の原理主義者たちは、何かによって気付かされなければなりません。キリスト教とは何でしょうか?それは聖霊です。聖霊とは何でしょうか?信じる者たちによって構成される、平等主義の共同体です。お互いへの愛で結びついた者たちによって。そして、自らの自由と責任を所有する者だけが、それをなすことができるのです。 この意味において、聖霊は今ここに存在します。そして、あそこウォール街にいるのは、涜神的な偶像を崇拝している異教徒たちです。だから、私たちに必要なのは忍耐だけです。私が恐れているたった一つのことは、私たちがいつの日にか家に帰り、一年に一度会うようになり、ビールを飲みながら、ノスタルジックに想い出に耽るというものです。「私たちは、なんて素敵な時をあそこで過ごしたのだろう」と。そういうことにならないように、自らに誓いましょう。 私たちは知っています。人々がしばしば何かを欲しても、本当にはそれを望んだりしないことを。どうか、あなたが本当に欲するものを、望むことを恐れないでください。 どうもありがとうございました! コメント: YouTubeの長さ制限が緩和されたため、以前二分割でアップロードしていたスラヴォイ・ジジェクの「ウォール街を占拠せよ」でのスピーチを、新たに編集し、訳も見直して一本の動画としてアップロードしたもの。わずかながら画質と音質が向上していると思う。 英文の書き起こしはこちら。字幕用ではない、演説としての翻訳はこちら(この翻訳も見直した)。ここからはただのぼやきだが、前の素材を再利用するのだから片手間にできると思ったら、何度もエンコードしたり、アップロードしたり、大変苦労してしまった。
資本主義と民主主義の結婚は終わった
The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over 2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク 参考: http://occupywallst.org/article/today-liberty-plaza-had-visit-slavoj-zizek/ http://www.imposemagazine.com/bytes/slavoj-zizek-at-occupy-wall-street-transcript We are called losers. But the true losers are down there on Wall Street. They were bailed out by billions of our money. We are called socialists. But here there is already socialism for the rich. They say we don’t respect private property, but in the 2008 financial crash-down more hard-earned private property was destroyed, than if all of us here were to be destroying it night and day for weeks. They tell you we are dreamers. The true dreamers are those who think things can go on indefinitely the way they are. We are not dreamers. We are the awakening from a dream which is turning into a nightmare. We are not destroying anything. We are only witnessing how the system is destroying itself. We all know the classic scene from cartoons. The cat reaches a precipice. But it goes on walking, ignoring the fact that there is nothing beneath its ground. Only when it looks down and notices it, it falls down. This is what we are doing here. We are telling the guys there on Wall Street, “Hey, look down!” In mid-April 2011, the Chinese government prohibited on TV, in films, and in novels all stories that contain alternate reality or time travel. This is a good sign for China. It means people still dream about alternatives, so you have to prohibit this dreaming. Here, we don’t need a prohibition. Because the ruling history[system?] has even oppressed our capacity to dream. Look at the movies that we see all the time. It’s easy to imagine the end of the world. An asteroid destroying all life and so on. But you cannot imagine the end of Capitalism. So what are we doing here? Let me tell you a wonderful old joke from Communist times. A guy was sent from East Germany to work in Siberia. He knew his mail would be read by censors, so he told his friends: “Let’s establish a code. If a letter you get from me is written in blue ink, it is true what I say. If it is written in red ink, it is false.” After a month, his friends get the first letter. Everything is issued in blue. It says, this letter: “Everything is wonderful here. Stores are full of good food. Movie theatres show good films from the west. Apartments are large and luxurious. The only thing you cannot buy is red ink.” This is how we live. We have all the freedoms we want. But what we are missing is red ink: the language to articulate our non-freedom. The way we are taught to speak about freedom -- war on terror and so on -- falsifies freedom. And this is what you are doing here: You are giving all of us red ink. There is a danger. Don’t fall in love with yourselves. We have a nice time here. But remember. Carnivals come cheap. What matters is the day after, when we will have to return to normal lives. Will there be any changes then? I don’t want you to remember these days, you know, like “Oh, we were young and it was beautiful.” Remember that our basic message is: We are allowed to think about alternatives. The taboo is broken, we do not live in the best possible world. But there is a long road ahead. There are truly difficult questions that confront us. We know what we do not want. But what do we want? What social organization can replace Capitalism? What type of new leaders do we want? Remember. The problem is not corruption or greed. The problem is the system which pushes you to be corrupt. Beware not only of the enemies, but also of false friends who are already working to dilute this process. In the same way you get coffee without caffeine, beer without alcohol, ice cream without fat, they will try to make this into a harmless, moral protest -- a decaffienated protest. But the reason we are here is that we have had enough of a world where, to recycle Coke cans, to give a couple of dollars for charity, or to buy a Starbucks cappuccino where 1% goes to third world starving children is enough to make us feel good. After outsourcing work and torture, after marriage agencies are now outsourcing even our love life, we can see that for a long time we allowed our political engagement also to be outsourced. We want it back. We are not Communists, if Communism means a system which collapsed in 1990. Remember that today those Communists are the most efficient ruthless Capitalists. In China today, we have Capitalism which is even more dynamic than your American Capitalism, but doesn’t mean democracy. Which means when you criticize Capitalism, don’t allow yourself to be blackmailed that you are against democracy. The marriage between democracy and Capitalism is over. The change is possible. So, what do we consider today possible? Just follow the media: On the one hand, in technology and sexuality everything seems to be possible. You can travel to the moon. You can become immortal by biogenetics. You can have sex with animals or whatever. But look at the field of society and economy. There almost everything is considered impossible. You want to raise taxes a little bit for the rich. They tell you “it’s impossible. We lose competitivity.” You want more money for health care. They tell you, “Impossible, this means a totalitarian state.” Isn't it something wrong in the world, where you are promised to be immortal but cannot spend a little bit more for healthcare. Maybe we need to set our priorities straight here. We don’t want higher standard of living. We want better standard of living. The only sense in which we are Communists is that we care for the commons. The commons of nature, the commons of privatized by intellectual property, the commons of biogenetics. For this and only for this we should fight. Communism failed absolutely. But the problems of the commons are here. They are telling you we are non-Americans here. But the conservative fundamentalists who claim they really are American have to be reminded of something. What is Christianity? It’s the Holy Spirit. What is the Holy Spirit? It’s an egalitarian community of believers who are linked by love for each other. And who only have their own freedom and responsibility to do it. In this sense, the Holy Spirit is here now. And down there on Wall Street, there are pagans who are worshipping blasphemous idols. So all we need is patience. The only thing I’m afraid of is that we will someday just go home and then we will meet once a year, drinking beer, and nostaligically remembering “What a nice time we had here.” Promise ourselves that this will not be the case. We know that people often desire something but do not really want it. Don’t be afraid to really want what you desire. Thank you very much!
「ウォール街を占拠せよ」のアナーキズムのルーツ
Occupy Wall Street's anarchist roots 2011年11月 - デヴィッド・グレーバー 原文:http://occupywallst.org/article/occupy-wall-streets-anarchist-roots/ 主流派メディアのジャーナリストから「ウォール街を占拠せよ」に関するインタビューを受けると、いつも受け取るのは、ほとんどいつも全く同じお説教のいくらか異なるバリエーションだ。 「リーダーシップ構造も実践的な要求の一覧もなしに、いったいどうやってどこかにたどり着くなんてことができるのですか?それにこのアナーキスト的ナンセンスは何です――コンセンサスだとか、指先のひらひら〔ジェネラル・アセンブリーで用いられる身振り言語のこと〕だとか?こうしたラディカルな言語の全てが、みんなを遠ざけていることがわからないのですか?こんなものでは、平均的で主流派のアメリカ人に訴えかけることはできませんよ!」 もし、これまでに受けた最悪のアドバイスを収集したスクラップブックを作成するのならば、こうした種類の意見は名誉ある地位を占めるに値するだろう。結局のところ、二〇〇七年の金融崩壊以来、アメリカの金融的エリートの略奪行為――そのようなジャーナリストがそそのかしたものなのだが――に対して全国的な運動をしかけようとする試みは、数十もあった。しかし、ようやく八月二日になって、アナーキストと若干の反権威主義者からなる小集団が、そのような集団の一つの呼びかけによって集会を開き、全員を計画されたデモ行進から、基本的にアナーキストの諸原則に基づく正真正銘の民主主義的な集会の作成に同意させた。その日こそが、ポートランドからタスカルーサまでのアメリカ人が、進んで支持する運動が定められ日だった。 ここで、私は「アナーキズムの諸原則」という言葉で、何を意味しているのかをはっきりさせておくべきだろう。アナーキズムを説明するもっとも簡単な方法は、それは正真正銘の自由な社会をもたらすことを目的とした政治運動だと述べることだ――それは、恒常的な暴力に強制されることなしに、人間がお互いとの諸関係に入ることができる社会だ。歴史の示すところによれば、富の途方もない不平等、奴隷制のような制度、負債による奴隷労働、賃金労働などは、軍隊、監獄、警察の支えなしに存在することができない。アナーキズムは、参加者の自由な同意に基づいてのみ存在する、平等と連帯に基づいた社会を思い描く。 アナーキズム対コミュニズム 伝統的なマルキシズムは、もちろん、同じ究極の目標を追い求めていたが、重要となる違いがあった。ほとんどのマルクス主義者は、まず国家権力とそれに付随する官僚的な暴力の全てのメカニズムを取得し、社会を変えるのにそれを使用することが必要だという考えに固執した――そのようなメカニズムが、究極的には余分なものになって消え失せるだろうという地点まで。一九世紀においてさえ、アナーキストたちは、これをただの白昼夢だと言っていた。彼らの議論によれば、戦争を訓練することによって平和を作ることはできないし、トップダウン型の指揮系統によって平等を作ることはできないし、ついでに言うのなら、全ての個人的な自己実現と自己達成を大義に捧げる厳めしく喜びに欠けた革命家になることによって、人間の幸福を達成することはできない。 目的が手段を正当化しないというだけではない(正当化しないが)、目的それ自体が達成したいと望む世界のモデルでない限り、目的は決して達成されないのだ。それゆえに、有名なアナーキストの呼びかけは「旧世界の殻の中で、新しい社会を築き」始めようというものなのだ。フリー・スクールから、ラディカルな労組、田舎でのコミューンまでの平等主義的な実践において。 アナーキズムもまた革命的イデオロギーである。そして、その個人の良心と自発性への強調は、革命的アナーキズムの最初の最盛時であったおよそ一八七五年から一九一四年の間には、多くが国家と資本家のトップに対して爆弾や暗殺で直接戦うことを意味した。それゆえに、一般的なアナーキストのイメージは爆弾魔なのだ。おそらくアナーキズムが、テロリズムが――たとえ無実の者を対象としなくとも――うまくいかないことに気付いたおそらくは最初の政治運動だったことは注目に値する。一世紀近くたった今、実際のところアナーキズムは、その主導者が誰も暴力的に排除しようとしない数少ない政治哲学の一つである(実に、アナーキストの伝統を利用した二〇世紀の政治的指導者は、マハトマ・K・ガンジーである)。 一九一四年から一九八九年の期間――世界が絶え間なく世界戦争を行っていたか、その準備を行っていた期間――には、アナーキズムはまさにその理由で陰に隠されてしまった。そのような暴力的な時代においては、政治運動は軍隊、海軍、弾道ミサイルシステムを組織化する能力を保持していなければならなかった。それはマルクス主義者が優れているところのものだ。だが、信用に関わるからというよりも、アナーキストは決してそれをうまくやることができないだろう。アナーキズムの諸原理に基づくグローバルな革命的運動――グローバル・ジャスティス運動――が急速に再出現したのは、大規模な戦争終結が終わったように見えた一九八九年のことである。 それでは、どのようにOWSはアナーキズムの諸原則を具現化しているのだろうか?論点ごとに述べた方がよいだろう。 1.既存の政治的諸制度の正統性を承認することの拒絶 喧しく議論された要求を出すことの拒絶の理由は、要求を出すと言うことは、要求が宛名として作成された人々の正統性を――少なくとも権力を――認めるということだからだ。アナーキストはよく抗議活動と直接行動の違いを強調する。いくら戦闘的であっても、抗議活動は権威者に対して異なる振る舞いを要求するものだ。直接行動は――井戸を掘ることであれ、法律を無視して塩を作る(これもガンジーが好例だ)といった共同体の問題であれ――既存の権力構造が存在しないかのように振る舞うことなのだ。直接行動は、究極的には、人は既に自由であるかのように行動するという反逆的な主張なのだ。 2.既存の法秩序の正統性を受け入れることの拒絶 第二の原則は、明白なことに、第一の原則から導かれる。占拠運動の当初、計画のための集会をニューヨークのトンプキンス・スクエア公園で開いていた時から、オーガーナイザーたちは、公共公園での警察の許可のない一二人以上の集まりを禁止する市の条例を承知の上で、無視していた。単に彼らの見地からは、そのような法律は存在すべきではなかった。同じ見地によって、もちろん、私たちは公園を占拠したのだ。中東から南欧までの先例が息吹を与えていた。その見地からすれば、公衆として、私たちは公共の空間を占拠するのに許可を必要とするべきではなかった。これは、とてもささやかな形態の市民的不服従かもしれないが、私たちが法的ではなく道徳的な秩序に答えたことで始めたのは決定的なことだった。 3.内部に階層秩序を作ることの拒否,その代わりにコンセンサスを基盤とする直接民主主義を作ること 占拠運動の当初から、また、オーガーナイザーたちは、指導者のいない直接民主主義によるのみならず、コンセンサスによって運営するという大胆な決定をしていた。最初の決定は、私物化や強制の可能性のある公式のリーダーシップ構造がないことの確認だった。二番目の決定は、マジョリティはマイノリティを意志に従わせてはならない、全ての重要な決定は全体の同意によるものでなければない、というものだった。アメリカのアナーキストは長い間、強制なしに運営できる唯一の意志決定の形態だという理由で、コンセンサスの過程――フェミニズム、アナーキズム、クエーカー教徒のような精神的な伝統、などの合流点に形成された伝統――が重要だと見なしていた。したがって、もしマジョリティがマイノリティにその命令に従わせる手段がないなら、全ての決定は必然的に全体の同意によってなされなければならなかった。 4.予見的な政治を抱擁する 結果として、ズコッティ公園とそれに続く全ての野営地は、新しい社会の諸制度を築く実験場となった――ジェネラル・アセンブリーだけではなく、キッチン、図書館、診療所、メディア・センターなども。全ては、相互扶助や自己組織化といったアナーキズムの市世原則に基づいて運営されていた。新しい社会の諸制度を古い社会の殻の中で作ろうとする真の試みだ。 なぜそれはうまくいったのか?なぜそれは広まったのか?一つの理由は、明らかに、既存のメディアがそうするよりも多く、はるかに多くのアメリカ人がラディカルなアイディアを進んで受け入れたからだった。アメリカの政治的秩序は絶対的かつ矯正不可能なほど腐敗している。どちらの党も人口の最も豊かな1%によって売買されている。真に民主主義的な社会に住みたいのなら一から築き上げなければならない――といった基本的なメッセッージは明らかにアメリカの魂の奥深いコードをかき鳴らしたのだ。 おそらくこれは驚くべきことではない。私たちは一九三〇年代に比肩するような状況に直面しているのだから。主な違いはと言えばメディアが断固としてそれを認めようとしないことだ。アメリカ社会におけるメディア自体の役割について、興味深い疑問が持ち上がる。ラディカルな批評家は、通常企業に支配されたメディア(corporate media)を、彼らが呼ぶ通り、主に既存の制度が健全で、妥当で、公正だと公衆に確信させるために存在するとみなしている。彼らがこれが可能だと本当には見ていないことは、ますます明らかになっている。それよりも、メディアの役割は単にますます怒れる公衆たちに、他の誰もが同じ結論には達していないと確信させることにある。結果は、誰もが本当には信じていないイデオロギーである。しかし、ほとんどの人々は、少なくとも他の人々は疑っているのではないかと疑っている。 普通のアメリカ人が本当には何を考えているのかと、メディアと政治的エスタブリッシュメントが彼らはこう考えていると言うこととの乖離は、民主主義について語る時により明瞭になる。 アメリカの民主主義? 公式の物語によれば、もちろん、「民主主義」とは建国の父たちによって創設されたもので、大統領、議会、司法のチェック・アンド・バランスに基づく制度だ。事実として、独立宣言の中でも憲法の中でも、アメリカが「民主主義」であるとは一言も述べられていない。それらの文書の起草者たちは、ほとんど一人残らず、「民主主義」を民衆集会による集団的自己統治の問題と定義していた。そして、そのようなものとして彼らはそれに断固とした態度を取っていた。 民主主義は群衆の狂気を意味していた。血なまぐさく、騒々しく、筋道のないものを。「自殺しなかった民主主義はなかった」とアダムスは書いた。ハミルトンは「裕福で生まれの良い者」が民主主義の「軽率」をチェックする恒常的な総体を作り出すのに必要だとして、下院で許可されている限定的な形態さえも含め、チェック・アンド・バランスの体制を正当化した。 その結果がリパブリックだった。アテネではなく、ローマをモデルとしたそれである。それが一九世紀初期には「民主主義」として再定義された。なぜならアメリカ人は今と違ったものの見方をしており、自らを「デモクラッツ」と呼ぶ候補者に対して、投票することに――投票することが許された者はだが――執拗なまでに傾きがちだったからだ。しかし普通のアメリカ人はその言葉で何を意味していたのだろうか?そして、今のアメリカ人は何を意味しているのだろうか?アメリカ人は本当に、自分も一枚加わって政治家が政府を運営する体制をただ意味していたのだろうか?それはありそうもないようだ。結局、ほとんどのアメリカ人は政治家を嫌悪しているし、政府というアイディアそのものに懐疑的な傾向がある。もし、彼らが政治的理想として普遍的に「民主主義」を抱いているのなら、曖昧ではあれ、彼らがそれをまだ――自己統治として――見ているからに他ならない。建国の父たちが非難する傾向にあった「民主主義」として、あるいは、彼らが時にはまたそう表現したように「アナーキー」として。 もし他に何もないのなら、これがアメリカのメディアと政治階級の横並びの軽蔑的無視にもかかわらず、直接民主主義の原則に基づいた運動を人々が熱狂とともに迎え入れた理由を説明するものだろう。 実際、アナーキズムの諸原則――直接行動、直接民主主義、既存の政治的制度の拒否、そしてもう一つのそれを作ろうとする試み――に深く基づく最初の運動がアメリカに出現したのは、これが初めてではない。市民権運動(少なくともそのラディカルな分派)、反核運動、グローバル・ジャスティス運動などは全て似た方向を目指している。しかしながら、決してこれほどまでに驚くほど急速に拡大した例は他にはない。オーガナイザーたちが今度こそ根本的矛盾に立ち向かったのが理由の一つだろう。彼らは、支配的エリートが民主主義を主宰しているという見せかけに挑戦したのだ。 もっとも基本的な政治的感覚について、ほとんどのアメリカ人は深い葛藤を抱えている。ほとんどの人が、個人の自由に対する深い敬意と軍隊や警察といった制度に対する信仰にも近い自己同一化とを併せ持っている。ほとんどの人が、市場への熱狂と資本家への憎悪を併せ持っている。ほとんどの人は、心の奥からの平等主義者であると同時に、根深いレイシストだ。実際にアナーキストである者はごくわずかであり、「アナーキズム」が何を意味するのかを知る者は、ごくわずかである。どれ程多くの人が――例え彼らが学んでいたとしても――最終的に国家と資本主義を完全に破棄したいと望んでいるのかは定かではない。 圧倒的な数のアメリカ人が感じている一つのことは、彼らの国はとてつもなくどこかが間違っているということなのだ。主要な機関が傲慢なエリートによって操作されているということなのだ。何らかのラディカルな変化が訪れるべき機が熟してからもう長くなる。彼らは正しい。これほど体系的に腐敗した政治体制を想像するのは難しい――あらゆるレベルの収賄が合法になされているというだけでなく、賄賂の売り込みと分配が全てのアメリカの政治家の全時間の仕事なのだ。憤慨は適切なものだ。問題は、九月一七日までは、それが何であるにせよラディカルな解決策を提案しようとしたのが、右側だけだったことだ。 過去の運動の歴史を見るとはっきりしているように、民主主義の勃発ほどアメリカを運営している者たちを恐れさせるものはない。民主的に組織された市民的不服従の控えめな閃きに対してさえ、即座の反応は混乱した譲歩と不当な暴力の混合なのだ。いったい他に、最近の数千の機動隊の集結、殴打、化学的攻撃、大量逮捕――市民たちはまさに民主的な集会に参加していた。それは権利の章典が守るように指定していた――を説明する理由があるだろうか。そして誰の犯罪――もし少しでもあればだが――が、地域の野営規則に違反していると言うのだろうか? 我らがメディアの識者たちは、もし平均的なアメリカ人が「ウォール街を占拠せよ」におけるアナーキストの役割にいったん気付けば、衝撃と恐怖で逃げ出すだろうと主張するかもしれない。しかし、私たちの支配者たちは、それよりも、もしそれなりの数のアメリカ人がアナーキズムが本当には何であるかを見出せば、彼らはあらゆる種類の支配者など不要だと決定するかもしれないことを恐れているようだ。
メーデー連帯共同宣言
May Day Declaration of Solidarity 2012年05月01日 - ウォール街を占拠せよ 原文:http://occupywallst.org/article/declaration-of-solidarity/ ![]() 法律化せよ!組織化せよ!組合化せよ! 私たちを聞いてほしい。私たちは聞かれる必要がある。私たちは聞かれるだろう! 私たちはメーデーを祝うためにここにいる。私たちは目的の統一を見出した力として、私たちの力を祝うためにここにいる。私たちは世界中の人民との連帯を宣言する。私たちは、経済的な安定、意味のある労働、ヘルスケア、公共サービス、安全で健康的なコミュニティ、自由、幼稚園前から大学までの質の高い公立教育、そして市民的自由といった私たちの諸権利を確認する。今日私たちは、そうした諸権利を確かにするための、民衆行動を起こす全ての人々と連帯して立つ。また私たちは、不平等を育む体制に挑戦する正真正銘の同盟の結成を開始する。 私たちがここにいるのは蔓延する社会的・政治的・経済的不平等を非難するためである。一握りの政治的経済的エリートたちが、民主主義の名の下に統治する時代の終わりを、私たちは探し求める。私たちは、私たちの人権への攻撃を終わらせたい。私たちは、富裕層の税金逃れを終わらせたい。私たちは、私たちの組織化する権利への攻撃を終わらせたい。私たちは、有色人の大量投獄を終わらせたい。私たちは全ての戦争を終わらせたいし、外交政策の軍国主義化を終わらせたい。私たちは、一%の人々によって売買されている現在の政治体制を終わらせたい。私たちは、法律化、平等の権利、公民権、そして移民労働者家族の市民権獲得への道を求める。私たちは市民権を求める。それは、そうあるべきなように、全ての民衆は政府によって正当に平等に取り扱われるべきだからだ。 一世紀の間メーデーが、春の兆しが善良なる意志を持つ人々を、革命的な刷新のヴィジョンへと導く時であったことを思い起こそう。これらの夢を私たちから追い払おうとする、強い望みがある。しかし、決してそうなることはないであろう。地球規模で拡大中の正義を求める蜂起の余波を受けたこのメーデーの日に、私たちは恐れることなく、私たちを分断する境界が無意味になる世界を、共通の利益のために共同体が自らの資源を管理する正真正銘の民主主義的な文化の誕生を、そして地上におけるどんな人類の価値と尊厳が他の人類に比べて劣るものではないとする世界を前方に見つめるものである。 我ら人民――組合に加入する者も、していない者も、被雇用者も失業者も、公務員も民間労働者も、不法滞在者もそうでないものも――いまここで、全世界の人民との連帯にあるという立場を再び明らかにしよう。私たちの革命的精神は拡大し深化し続けるであろう。 私たちがここにいるのは、「もう一つの世界は可能であるだけではない。それはもうこちらに向かっている」と知らせるためである。私たちはタハリール広場である。私たちはシンタグマ広場である。私たちはプエルタ・デル・ソルである。私たちはウィスコンシンである。私たちはオハイオである。私たちはニューヨークである。私たちプエルトリコである。私たちは、ロサンジェルスである。私たちはオークランドである。そして、この国と世界の都市の有象無象(multitude)である。 自由を開化させよう! ¡Si se puede! --joint declaration from May 1st Coalition, Labor union representatives, La Fuente, New York Immigration Coalition, New Immigrant Communities Empowered (NICE), El Centro de Inmigrante, National Institute for Latino Policy, Mothers on the Move, National Lawyers Guild, Occupy Wall Street Immigrant Worker Justice Working Group, Occupy Wall Street en Espanol, Occupy Wall Street Latin America, National Lawyers Guild, Community Farmworker Alliance, Adelante Alliance, Jornaleros Unidos, Restaurant Opportunities Center-NY, Domestic Workers United, New York Taxi Workers Alliance, Laundry Workers Center United, Brandworkers International, Independent Workers Movement, La Peña del Bronx, Centro Guatemalteco Tecun Uman, Philippine Forum
メーデー――『オキュパイ』刊行に寄せて
May Day 2012年05月01日 - ノーム・チョムスキー 原文:http://www.huffingtonpost.com/noam-chomsky/may-day_1_b_1461852.html ![]() 世界のどこであれ民衆はメーデーとは何かを知っているようだ。それが始まった地――ここアメリカ――を除けばだが。なぜならば、権力者たちがこの日の本当の意味を消すためなら何でもしてきたからだ。例えば、ロナルド・レーガンは、まるで労働運動に対する余分なナイフの一ひねりのように、「ロウ・デイ(Law Day)」なるものを制定した。愛国主義的ファナティシズムの日である。しかし、今日では、占拠運動によってエネルギーを与えられ、刷新された覚ざめがメーデーの周囲にある。そして、その改革とありうる革命への妥当性もだ。 もし、あなたが革命のことを本気で考えているのならば、求めているのは専制的な革命ではなく、自由と民主を求めて進む民衆的な革命であるはずだ。多くの人々がそれを実践し、実行し、諸問題を解決した時に、それは起きうる。理解できるように、改革に限界があることを自ら発見しない限り、人々はそのような参与を引き受けはしないだろう。 思慮深い革命家は、二つの妥当な理由に基づき、改革を限界にまで押しやろうとするだろう。第一には、もちろん改革それ自身に価値がありうるという理由で。人々は一日十二時間働くよりも、八時間働くべきなのだ。それに、概して言えば、我々はまともで倫理的な価値観を踏まえて振る舞うことを望むべきである。 第二には、戦略的な見地から見て、改革に限界があることを示さなければならないという理由だ。時に、必要とされた改革に、体制側が適応することがあるかもしれない。もしそうであるならば、それは結構なことだ。だが、そうではないのならば、新しい疑問が持ち上がる。おそらくは、その瞬間こそ抵抗が必要とされ、正当な変化に対する障壁を打ち破ろうと踏み出す時なのだ。そして、おそらくは、自己防衛の形態として、権利と正義を防衛するための強硬手段に訴える時がやって来るだろう。そのような手段が自己防衛の形態であると大多数が認識しない限り、人々はそれらに参加しようとしないし、少なく見積もってもすべきではない。 もし、既存の諸制度が民衆の意志に従おうとしない地点に達したのなら、それらの制度を廃棄しなければならない。 メーデーはこの場所で始まった。だがそれは、残虐な暴力と司法の懲罰に服従していた、アメリカの労働者を支持する国際的な日となったのだ。 今日、政治的指導者が定義した「ロウ・デイ」ではなく、民衆によってその意味が決まる日として、メーデーを祝う闘いは続いている。社会全体のより良い未来のために、組織化し労働することに根ざした日として。 訳者コメント: この数ヵ月ばかり忙しかったため、久しぶりの翻訳。以前から告知されていたノーム・チョムスキーの占拠運動に関する著作『オキュパイ』がメーデーの今日に刊行され、この文章はそれに合わせて著者がハフィントン・ポストに寄せたもの。刊行元は Zuccotti Park Press。 米アマゾンでは一部を試し読みすることができる。読むと、以前に翻訳を公開した「未来を占拠せよ」(厳密に同文であるかはチェックしていない)が収録されている。他のウェブサイトの紹介文を見ても、これまでに発表された占拠運動についての講演や論考を集めたものであるらしい。
ニューヨーク市占拠宣言
Declaration of the Occupation of New York City 2011年09月29日 - ニューヨーク市総会 原文:http://translation.nycga.net/?p=122 これの文章は、2011年9月29日、ニューヨーク市市民集会(NYC General Assembly) によって承認された。 われわれは、大規模な不正の数々に対する憤りを表明するために連帯し集まったのである以上、われわれを結びつけたものを見失ってはなりません。 世界の企業権力から不当に扱われたと感じるすべての人々に対して、われわれがあなたの味方であるということを知ってもらうために、これを記します。 ひとつの、団結した民衆<people>であるわれわれは現実をしっています。 人類の将来のためには、その構成員が協力しなければならないということを。 われわれの社会制度はわれわれの諸権利を守らなければならず、その制度が腐敗した時、自分自身の、そして隣人の諸権利を守るのは一人一人にかかっているということを。 また、民主的な政府の公正な権限は人々の同意に依るものだが、企業は人々と地球から富を引き出す際に何ら同意を求めないということを。 そして、諸般のプロセスが金力によって決定されている限り、真の民主主義は実現できないということを。 人間よりも利潤を優先し、正義よりも自らの利益を優先し、平等よりも抑圧を優先する企業というものが各国の政府を動かしているいま、以下の事実を人々に伝えるため、われわれは、われわれの権利として、平和裏にここに集まります。 企業や企業家たちは、そもそも抵当権などないにもかかわらず、不法な差し押さえによってわれわれの家を取り上げました。 かれらは、平然と公的資金の注入を受け、その一方で会社の幹部に莫大なボーナスを支払い続けています。 かれらは、年齢や、肌の色や、性別や、ジェンダーアイデンティティ、そして性的指向を言い訳として、職場における不平等と差別を固定化してきました。 かれらがその義務を怠った結果、食糧は汚染され、彼らの独占化により農業システムは蝕まれました。 かれらは無数の動物を拷問し、監禁し、残酷に扱うなかから利益を挙げる一方で、そういった行為の数々を積極的に隠してきました。 かれらは、よりよい賃金とより安全な労働条件の交渉権を従業員からはく奪し続けてきました。 かれらは、教育を受ける権利がそれ自体、人権の一部であるにもかかわらず、何万ドルもの教育ローンで学生を人質にしてきました。 かれらは労働の外部委託(アウトソース)に固執し、そのアウトソーシングをテコとして、労働者の健康保険と賃金をカットしてきました。 かれらは、企業法人に、実際の人間と同等の権利を、しかし過失責任も責務も伴わない形で認めさせるため、裁判所に影響力を行使してきました。 かれらは、健康保険の契約に合法的な抜け道を探し出し、支払いを回避するために、法律家チームに対して何百万ドルも注ぎ込んできました。 かれらはわれわれの個人情報を商品として売ってきました。 かれらは軍隊と警察を利用して報道の自由を妨害してきました。かれらは、利潤追求のため、人々の生命を危機に晒す不良品のリコールを意図的に拒否してきました。 かれらは、かれらの政策が過去にもたらし、現にもたらし続けている壊滅的な失策にもかかわらず、経済政策を決定し続けています。 かれらは、かれらを監視し規制する立場にいる政治家に巨額の資金を寄付してきました。 かれらは代替エネルギーへの移行を妨害し、われわれが石油に依存し続けるよう仕向けています。 かれらは、すでに大きな利益を上げている投資を守るために、人々の命を救い、または症状を軽減し得るジェネリック医薬品を妨害し続けています。 かれらは利潤追求のため、石油の流出、事故、不正会計、そして添加物を故意に隠蔽してきました。 かれらは、メディア操作によって意図的に誤った情報を人々に与え、怯えさせ続けています。 かれらは(訳者注:刑務所の)民間委託を引受け、冤罪の可能性が高かった囚人でさえ殺害しました。 かれらは国内でも国外でも植民地主義を固定化しています。かれらは外国の無辜の市民への拷問と殺人に加担しています。 かれらは政府から契約を取り付けるため、大量破壊兵器を生産し続けています。* 世界の人々よ。 リバティスクエアのウォール街を占拠している、われわれ、ニューヨーク市市民集会は、あなたに、あなたのもてる力を発揮するよう、呼びかけます。 平和裏に集まる権利を行使し、公共の空間を占拠し、われわれが直面している問題を明らかにするためのプロセスを生み出し、すべての人々が参画できる解決策の数々を考え出しましょう。 直接民主主義の精神のもとに行動を起こし、結束しているすべてのコミュニティに対してわれわれは、支援と、資料と、われわれのもちうるすべての資源を提供します。 われわれとともに、声を挙げましょう! *これらは抗議のごく一部にすぎません。 訳者コメント: ニューヨーク市の占拠の宣言(ここでは「ニューヨーク市占拠宣言」)が正式に翻訳されていたので、転載。以前に拙訳を勝手に送りつけたことがあるので、参照してくれたのか、それともこんなのが流通してはたまらんと思われたか。
アルジャジーラ・インタビュー:今や領野は開かれた
The interview on Talk to Al Jazeera: Now the Field is Open 2011年10月29日 - スラヴォイ・ジジェク 原文: http://www.youtube.com/watch?v=6Qhk8az8K-Y http://beneverba.exblog.jp/16539863/ ――世界のどこかで左翼というコンセプトが、それを現実化しようとしている場所をご存知ですか? 物事はゆっくりと起きつつあります。しかし、メディアは充分にそれらを報道していません。例えば、私はメディアのインドと中国の取り上げ方に驚いています。中国は悪い奴だ、誰もが悪い共産主義や検閲があることを知っている、チベットをテロで支配している、そういったことです。インドが時々とはいえ注目を浴びることをご存知でしょう。しかし、充分に報道されているとは言えません。 自然にも貧しい毛沢東主義者が反乱を起こしています。大方の味方はこうです。「OK、インドは大きなパートナーだ。インドとはいえ仲間だ」。百万人以上が反乱軍なのです。とんでもないことが起こっています。インドの新興資本主義は炭鉱へのアクセスを確保するため部族地帯にまで拡大しようとしています。しかし、私たちはそれを見ていないのです。だからこそ、反乱がそこにあるのです。 こうしたことは今ではヨーロッパですら起こっています。事態はとても深刻です。それは「ギリシアは負債を支払うかどうか」といった表面的なことではありません。それは基本的に可能性の一つに過ぎません。何よりも先ずヨーロッパでは――私はこの隠喩を引用するのが好きなのですがね、「女は何を望んでいるのか?」、ジグムント・フロイトがこの奇妙で純朴な質問を発した時、彼はそれなりの年齢でした。私が主張する今日の問題はこうです。「ヨーロッパは何を望んでいるのか?」。ヨーロッパは自ら決定することができないのです。一方ではテクノクラティックなブリュッセル的ヴィジョンがあります。私たちはグローバルな市場で競争するために自らを組織化しなければならないというものです。 それから私たちには、ナショナリスティックで反移民的な運動があります。それが唯一のオルタナティブであるとしたら悲しいことです。私が思うに今の世界は本当のオルタナティブを追い求めているのです。私は、アングロ-サクソン的ネオリベラリズムと中国-シンガポール的資本主義――詩的に言うならばアジア的価値観の資本主義ですが、つまり権威主義的な資本主義です。それは今や西洋のリベラル資本主義よりも能率的なのです――の二つしか選択肢がない世界に住みたくはありません。だからこそ、何かがなされなければなりません。それがヨーロッパの悲劇の1番目です。 2番目です。残念ながら私はヨーロッパについてとても悲観的です。どれほどヨーロッパが退歩していることか。一つの出来事を取り上げてみましょう。欧州連合が基本的にトルコの加盟を認めていないことはご存知でしょう。民主的ではないとか何かで。 ――イスラム的だと。イスラム的過ぎると。 そうです。しかし、あることをお話しさせてください。この夏にイスタンブールで大きなゲイ・パレードがあったことを、ご存知ですか?数万人のホモセクシャルがデモ行進しました。そして、揉め事など何もなかったのです! これがもし欧州連合に加盟している東欧のポスト共産主義国家だったら、どうでしょうか。例えば、最近に分裂した南クロアチアの都市だったら。ゲイ・パレードですよ。どのようなものになるか想像がつくでしょう。彼らをリンチしようとする1万人の地域の人々から2千人の警察官に守られた7百人のゲイたち、などといった光景です。 私が言いたいのはつまり――友だちを挑発するために言うのですがね、これも私の挑発の一つです。「そう、私は右翼に賛成する。ヨーロッパの遺産、ユダヤ・キリスト教的な遺産は危機に瀕している。しかし、彼らイスラームや何やらに反対している偽のヨーロッパの擁護者たち、彼らこそが危機なのだ。私はヨーロッパのムスリムを恐れない。私が恐れるのはヨーロッパの擁護者たちだ」。ユダヤ人の友だちにさえ言っているのです。「気を付けるんだ!今何が起きているか気付いているか?」と。 あのブレイヴィクについて気付いたことはありませんか?ノルウェイで銃乱射事件を起こしたあの男です。彼は今持ち上がっていることの明白な例です。それは文字通りパラドキシカルなものです。反ユダヤ主義のシオニストです。 一方では、明らかに彼は反ユダヤ主義者でした。彼はこう言っています。「イギリスを除けば、西ヨーロッパはOKだ。そんなに多くのユダヤ人はいない。だからなんとかなる」。それからこうです。「イギリス、そして特にアメリカにはユダヤ人が多すぎる」。したがって、標準的な国民国家のヴィジョンはこういうものです。「もし無視できるほどならユダヤ人は問題ない。だが数が多すぎれば……」。 そうであると同時に、彼は全くのところ親イスラエル、親シオニストです。おや、あなたは私が孤独な狂人だとお思いでしょう(笑)。しかし、私が思うに、これがアメリカのキリスト原理主義保守派の基本的な態度なのです。 フォックス・ニュースのスキャンダルを覚えているでしょう。グレン・ベックです。彼は反ユダヤ主義発言のために解雇されました。しかし同時に彼は全くのところ親シオニストなのです。これは私にとって悪夢です。 イスラエル国家の代議士たちは、自分たちが何をしているのか気付いているのでしょうか?彼らは基本的に自分たちの魂を悪魔に売ったのです。それはこういう意味です。彼らは西側の政治勢力と取引をしています。そして私に言わせればそれらの勢力は、本質的に反ユダヤ主義なのです。 つまり、彼らが人種的なゲームをしても良いのなら、私たちにパレスティナ人と同じことをすることを許せ、ということです。私は本当にユダヤ人のことを心配しています。ユダヤ人は偉大な民族です。シオニストの政治は彼らを偏狭な自滅的国家に変えようとしています。 中東の紛争における真の犠牲者は、このカタストロフィックな政治において、ユダヤ人自身となることでしょう。彼らは、そのユニークさと偉大さを失うことになるかもしれません。 ――あなたはどのような点において、真の変革、革命的な変化のかすかな兆候を、世界のどこかに見て取っているのでしょうか?あなたは左翼は本当はそれら多くの問題に対するグローバルな治療法、もしくはグローバルなアプローチを持っていないと仰いましたね。何らかの変化の兆候をどこに見ているのですか? 現在既に起こりつつあることが、控えめな楽観主義の理由になると思います。魔法のような解決法が突然現れるという奇跡を期待してはいけません。はじまりは私たちが直面している困難は、貪欲な悪人が引き起こしたものではなく、良いシステムが代わりになるというものではないと、人々が気付くことです。しかし、私たちは確かにシステムそれ自体を問わなければなりません。 この気付きは興りつつあります。それがこの〔アメリカの〕抗議者たちが、ここにいる理由なのです。私が思うに、この段階で重要なのは、拙速な解決策を提供せず、むしろそれを壊すことなのです。私はそれを皮肉を込めて、「フクヤマのタブー」と呼んでいます。 それはつまり、彼は馬鹿ではないということです。私たちは今やみなフクヤマ主義者なのです。ラディカルな左翼でさえもです。私たちは何が資本主義に取って代わることができるのか考えることができないし、今以上の社会的正義や女性の権利などを求める状況をシステムに組み込むこともできないのです。 やがてこのより根本的な疑問を問うべき時がやってきます。システムはもはやその自明性、自立的な妥当性を失ったのです。そして今や領野は開かれたのです。これは重要な達成です。 ――しかしもし領野が開かれたのなら、誰が真空を満たすのですか?誰か上から注ぐのですか? 常にその危険はあります。私は全くあなたの言うことに同意します。1930年代のヨーロッパやその他で、一体誰が空白を埋めたのか忘れないようにしましょう。これにはそれ自身のリスクがつきまとうのです。しかし、にもかかわらず私たちはこの機会をつかまなければなりません。 なぜならば、私たちは経済的な危機のような連続的な現象がある種の永続的な非常事態になるのを見ているからです。したがって、世界経済が何とか前進するにしろ、そうした現象に敏感にならなければならないと思います。 しかしそこには――これは良いパラドクスです。ベルリンの壁は崩壊しましたが、新しい壁や分断があらゆる場所で勃興しているのです。ほとんどの国家において、富裕層と貧困層の間だけでなく、分断は強化されています。 ラテン・アメリカを例として挙げましょう。ファヴェーラやスラムやその他の場所に住む人々は、単純に貧しいと言うだけではありません。それはもっとラディカルなものです。彼らは単に公共の空間や政治参加その他から閉め出されているのです。 したがって、再び問題は私たちがリスクを引き受けるかどうかといったものではないのです。はじまりは私たちの行く先にあり、私たちはそれを課されているのです。「単に黙って行くべき道を行ったらどうなんだ?」と私に訊く人への答えはこうです。 私は、もし私たちが何もしなければ、次第に新しい種類の――それは古いファシズムではありません。ここで特に明確にしておきましょう――新しいタイプの権威主義社会に近づいていくと主張します。世界において、私が歴史的重要性を見ているのが今日の中国で起きていることです。 今までは、率直に言って、資本主義について一つの良い論点がありました。遅かれ早かれ、それは民主主義をもたらすのだというものです。韓国にしろチリにしろ独裁制を維持できるのは20年間程度だと。しかし、私が心配しているのは、アジア的価値観の資本主義、シンガポールと中国です。 そこでは私たち西側の資本主義よりも能率的でダイナミックな――少なくともそう見えている――資本主義があるのです。しかし、私はリベラル派の友人たちの希望を共有していません。彼らはこう思っています。つまり「十年もすれば、天安門事件のようなことが起こる」と。それは違います。資本主義と民主主義の結婚は終わったのです。 ――なるほど。それでは中国があなたが希望を見て取る良い例ではないとしたら、終了が近づいています、他に良い場所はあるのでしょうか?なぜならあなたは、これら全てについてのあなたの不平は、消費主義が野心と不満を駆動する力となっているというものですね。どこかあなたが栄誉を与えることができる場所はありますか? それもまた中国です。中国ですら市民社会を組織化することはできるのです。エコロジーや労働者の権利やそういったことで。私が思うに、特に中国ではこのことは時に西側の民主主義よりも重要なのかもしれません。 低レベルの驚くべきことが、中国では起こっています。中国の爆発的な状況が示唆するものが何かおわかりでしょう。彼らの最新の追認議会を覚えていますか? 誰もが彼らは防衛予算を倍にすると思っていた。いいえ、彼らは国内治安の予算を倍にしたのです。中国は今や軍隊よりも国内治安に歳費を費やす唯一の大国です。だからこそ、抗議があるのです。 アラブの春の話をしましょう。なぜ私があれをそんなに好きなのかご存知でしょう?なぜなら西側にいる我々は――といっても私たちは他の奴らよりそんなにひどくはないか。私は普遍的なペシミストになっているのかもしれないな――自発的なレイシストなのです。わかりますか?決まり文句はこうだったのです。「ああ、アラブ人ね。人々を結集させようと思ったら、集まるのはレイシストや反ユダヤ主義者、それにナショナリストや宗教原理主義者だけさ。民主主義の始まりを告げる世俗的な運動なんて起こりっこないよ」。ところが、まさにそれが起こったのです! さて、ここからが大事なところです。その後何が起きるか。これはとても悲しいことです。私はそうならないよう祈ります。しかし、いくつかの兆候が悲しい方向を指し示しています。私はそうなってほしくはありませんが、ひょっとして最終的な結果は、ムスリム同胞団と軍部のねじくれた盟約になるかもしれません。 もっと簡単な言い方で言えば、ムスリム同胞団はより強力なイデオロギー的役割を統制する学校を手に入れ、その交換として軍部は特権や腐敗などを維持するというものです。 しかし、にもかかわらず出来事は起きつつあるのです。ヨーロッパに目を向けましょう。ヨーロッパでは人々は最初ギリシア人のことを馬鹿にしていました。「ああ、ギリシア、あの怠け者の原始的な地中海人たち」と。いいえ、スペインがあります、イギリスもです。更に広がることでしょう。あなたが仰ったように、これは重大なことです。 闘いは、物事がそのまま続くか革命が起こるかではありません。なすべきことは、抗議運動のエネルギーを適切なものに作り替えようとするもっとも困難な闘いを戦うことです。ここアメリカでも大きな抗議運動のエネルギーがあります。しかし、今のところそれは、ヒップ・アーティストたちによって盗み取られているのです。 彼らは自分たちの作品をどうやって形作っているのか気付いているのでしょうか?50年前の労働者の抗議運動のような格好をしたヒップ・アーティストたちです。彼らの曲を聴けば、おわかりでしょう。私はティー・パーティーを支持するあるポップ・シンガーの曲を聴きました。彼はこう言ったことを歌っていました。「俺たちは搾取されている普通の労働者。ワシントンとウォール街にいる悪漢たちが俺たちを搾取している」などと。 そこにこそ闘争があるのです。それは困難な闘いです。私は何ら幻想を持っていません。そこにはいくつもの大きな危険があります。しかし、中国のことわざにこんなのがあります。「彼らが本当に君を憎む時、君は興味深い時代に突入する」。私たちは確かに興味深い時代へと近づいています。 ――お話どうもありがとうございました。 こちらこそ!どうもありがとうございました。 訳者コメント: 「ウォール街を占拠せよ」での演説、「ウォール街を占拠せよ」に関するガーディアン紙の論考と関連するために、いずれ訳すことを目的に書き起こしていたジジェクのアルジャジーラでのインタービューをようやく翻訳。前半はこちら。 訳者の聞き取り能力の限界のせいで(ジジェクの独特の発音や、崩れた英語のせいもあるが、それよりも)、翻訳としては不充分なものになった。謝っておきます。すみません。訳している最中に書き取り自体の不正確な点にも気付いた。書き起こし共々至らない点があればご指摘いただきたい。そしていずれ見直したい。 特に訳文の注意点を。論文名と受け取って『人類にとっての貨幣(Human to Money)』と訳した部分。インターネット上の書誌情報などを参照したが、このような文章をアーレントが発表したのかどうか、わからなかった。そのうち図書館にでも行って、調査してくるのでしばらくお待ちを。もし、アーレントに詳しい方がご指摘してくれたらありがたい。 余りにも多くの論点を含むため、コメントは控えめにしたいが2点だけ。まずイデオロギーの問題。ジジェクは物事を見ないことがイデオロギーだと言っているが、同じような文脈において、「脱原発はイデオロギーではないが、反レイシズムや歴史修正主義はイデオロギーの問題だ」という人は、まさしく選択的に何を見るか決定している点で、イデオロギーにどっぷり浸かっている。ここには自然化したイデオロギーとでも呼びたい問題がある。 次に、「アジア的価値観の資本主義」について。ひょっとしてここには没落する前の(あるいは今も?)日本を代入しても良いのかもしれないが、アジアに位置する我々とはややズレを感じる部分もある。そのズレた部分は私たちが自分で考えなければならないことなのだろう。それにしても今の中国に行き詰まりと希望を見るというヴィジョンは独特のもので興味深い。
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