*2013年に「さよなら原発!福岡」に提出した意見書を公開します。「さよなら原発!」福岡は、「日の丸を持って来る人がいたら、注意するが排除はしない」という、姑息で不公平な態度をとり続けています。つまり黙認です。また、文中にあるように、会議で日の丸問題について発言しても議事録に記載されることはありません。


「さよなら原発!福岡」に対して、脱原発デモにおける日の丸の禁止、
並びに多様性のある運動へと転換することを求める意見書


2013年3月27日


 福岡においても、脱原発運動に日の丸が持ち込まれるようになってから月日が経つ。だが、この問題の深刻さは認識されていないか、認識されていても無視されており、対処も全く不完全なものである。日の丸問題は、原発問題と同じく人間の命と尊厳の問題である。


日の丸の何が問題か

 脱原発運動に日の丸が掲げられることの何が問題か。第一に、日の丸に抑圧を感じる人々(在日朝鮮人、在日中国人、あるいは他のマイノリティ)が、脱原発運動に参入する機会を妨げている。第二に、日の丸を肯定するような右翼と共闘することはファシズムを招く。第三に、国策として進められた原子力政策に反対するのに、日の丸を掲げるのはおかしい。第四に、原子力・核兵器の問題は国際的な問題であるが、ナショナリズムに依拠した脱原発運動は、国際的な連帯を不可能にしている。日の丸問題は、この四点に限られるものではないが、ここではその他に言及することはできない。

 第一点と第二点についてのみ述べる。

 3.11の被災者は日本人だけではない。その中には、日本軍性奴隷制度(「従軍慰安婦」制度とも呼ばれる)の被害者である宋神道さんも含まれる。また、誰もが原子力事故の被害者、被ばく被害者になる可能性がある(だからこそ日本の各地で脱原発運動が起きている)が、日の丸があることによって、誰もが脱原発運動に参入できるものにはなっていない。現在の脱原発運動は、日本人中心主義である。

 脱原発デモに対しては、在特会や右翼が日の丸を掲げて妨害行為を行うが、その時、デモの隊列の中にも日の丸があることのおかしさに気付くべきである。日の丸を掲げた日本人の集団を恐れる者にとっては、どちらも同じ恐怖の対象である。単に、日の丸に抑圧されることなく脱原発運動に参加したい、と願っている者の居場所がないのである。

 福岡で右翼団体と共闘する脱原発運動があるのか不明だが、首都圏反原発連合による官邸前抗議には、在日朝鮮人に対して差別語を用い、日本軍性奴隷制度を否定する右翼団体統一戦線義勇軍の針谷大輔が参加しており、また「右から考える脱原発」という行動も存在する。


 一方で、「さよなら原発!福岡」を含む通常の脱原発デモにおいて、日の丸は実質的に容認されている。いずれにせよ、現在の脱原発運動はナショナリズムに依拠した国民運動であり、安倍政権が誕生したことは必然である。

 また、脱原発が優先される余りに、脱原発以外の全てが攻め込まれていることに、そろそろ気付くべきである。そして、本丸の脱原発ももはや危うい。


 「さよなら原発!福岡」主催の3.10デモにおいて、日の丸を掲げていた人物は、毎週金曜日に九電本店前で行われる「来んしゃい金曜!脱原発」行動で、首都圏反原発連合のコアメンバーである野間易通の著作と、針谷大輔の著作を誇らしげに掲げている。すなわち、官邸前の悪影響は福岡に及んでおり、「東京の話だから」といって無視することはできない。

 脱原発運動において、「右も左もない」とか「大同団結」という文句が聞かれることがある。そこに現れているのは、「緊急事態なので仕方がない、他の問題は棚上げにしよう」という思考である。その思考こそ、「ショック・ドクトリン(災害に便乗した右傾化政策)」と呼ばれるものである。また、そうした傾向は何の議論もなしに、誰もが当然従うべきものとして現れた。そうした集団的な豹変は日本的なファシズムの特徴である。


これまでの経緯

 私は、「さよなら原発!福岡」主催のものも含む、福岡での様々な脱原発運動に参加・参与しつつ、「さよなら原発!福岡」の定例会議において、日の丸を禁止すること、また日の丸問題について話し合いの場を設けることを提起してきた。再度繰り返すが、日の丸問題は、原発問題と同様に、命と尊厳の問題である。だが、その深刻さにも関わらず、この問題はこれまでにほとんど顧みられていない。


 最初に例会に参加した昨年12月20日に、私は、韓国籍だった祖父を持つ日本人として生まれたという自らのルーツを明らかにした上で、「日の丸は私のような人々を殺し、犯し、虐げてきた旗であり、私のような人々を抑圧するものである。『さよなら原発!福岡』として、日の丸の禁止の明文化を求める」と訴えたが、議論もなしに、メーリングリストで明文化はできない旨を伝えられた。

 また、今年2月20日の例会においては、私の発言が、他の出席者と司会者によって途中で遮られたために、まともに話しをすることすらできなかった。そればかりか、出席者の一人から「それはあなただけの問題でしょ」という発言があり、もう一人からは「みんなも我慢しているのだから、あなたも我慢するべきだ」との発言があった。

 韓国籍だった祖父を持って生まれたことは、私が選んだものではない。持って生まれたものに基づいて、不当な扱いをすることが差別である。ゆえに上記二名の発言は明白な差別発言である。

 さらに、この時の例会において、「日の丸持参者に対して注意をする」という方針が確認されたはずであったが、これは空約束だった。

 私が、3月22日に行われた「来んしゃい金曜!脱原発」に参加した時に、3月10日に日の丸を持参した当該の人物も来ていた。彼が、その時にも日の丸を付けたプラカードを持ってきていたことに対して、私ともう一人の別な人物が抗議したところ、3月10日のデモにおいて、その人物が、誰からも全く注意を受けていないことが判明した。

 脱原発デモに日の丸があることは、抑圧である。それに加えて「さよなら原発!福岡」は、抑圧に荷担しており、なおかつそのことに無責任であると言わねばならない。



日の丸の持ち込み禁止に関して

 日の丸があることによって、日の丸に抑圧を感じる人々が、脱原発運動に参入しづらくなっていることは既に述べた。「間口を広げるため」とか「幅広い人々を結集するため」に、日の丸を容認するのは馬鹿げている上に差別的である。なぜなら、日の丸に抑圧を感じる人々が参加することよりも、日の丸持参者の方を重んじていることになるからである。

 日の丸を家に置いてデモに来ることは全く可能であるが、民族的アイデンティティを家に置いてデモに来ることは全く不可能である。また、抑圧者と被抑圧者がいる状況においては、抑圧者が折れるのが公正なことである。この二つは実に簡単明瞭な論理である。

 日の丸を持参した者に、「日の丸は止めてくれ」と言うのは排除ではありえない。日の丸を置いて参加すればいいだけだからである。

 だが、ルーツを日の丸の旗の下に支配された民族に持つ者に、日の丸を許容させることは同化主義である。「さよなら原発!福岡」は、日本がかつて朝鮮に行い、現在朝鮮学校に行っているのと同じことを、参加者に強いていることを自覚すべきである。

 また、日の丸持参者への注意は、仮に実践されたとしても(3.10では全く実践されなかったわけだが)有効だとは限らない。現に私が以前に注意した時に、日の丸を持参して来る人物は「何度もそういうことを言われた」と述べていた。

 なお、「さよなら原発!福岡」主催ではない脱原発デモにおいて、当該の日の丸持参者が、プラカードに日の丸を付けずに参加した姿を、私は直接目撃している。その時彼は、「小さなデモだと揉め事が起きた時に困るが、大きなデモだと紛れ込める」といったことを、私に対して述べた。

 この事実から二つのことがわかる。第一に、日の丸なしに脱原発デモに参加することは、本人にとっても全く可能である。第二に、「さよなら原発!福岡」は舐められている。


 これらに鑑み、「さよなら原発!福岡」に対して、以下の通り意見を述べる。


  1. 「さよなら原発!福岡」は、日の丸に抑圧を感じる人々が参入できるようにするために、日の丸を禁止すること。
  2. 多様な人々の参入を促すために、ビラなどにおいて、日の丸禁止の方針を告知すること。
  3. 「さよなら原発!福岡」は、2月20日の私に対する発言を差別発言と認め、差別発言を行った二人の人物に、口頭と文書での謝罪を促すこと(うち一人については、口頭での謝罪を既に受けた)。
  4. 既に確認された方針である、「日の丸持参者への注意」を今後は徹底すること。
  5. 日の丸問題の深刻さを認識するために、議論の場を設けること。
  6. 重要な発言は、議事録に記載すること。
  7. 会議外で重要な方針を決定しないこと。


 最後に述べたい。多くの人が勘違いしているが、日の丸が掲げられる脱原発運動に多様性は一切ない。日の丸を禁止し、日の丸に抑圧を感じる人々が来られるようなものにすることが、多様性である。そして、大規模なデモとして、そのようなデモが行われたという話は聞いていない。

 素案ながら、日の丸を禁止し、在日朝鮮人、在日中国人などの外国人、精神障害者、身体障害者、セクシャル・マイノリティなど(これらに限られるものではない)の参入を歓迎することを明言し、スタッフが積極的にサポートするようなものの方が、脱原発デモにふさわしいと思う。そして、そのようなデモはまだ存在していないはずである。「さよなら原発!福岡」が、最初にそれを行うのなら素晴らしいことである。


以 上






# by BeneVerba | 2014-11-14 15:43 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 これまでにもさんざん批判されてきた『マガジン9』(例えば民主党への過度の肩入れなど)が、「なぜ僕らは『ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会』を立ち上げたのか?」との題名で、「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」の事務局メンバーである岩下結らを採り上げている。

 本ブログの読者ならば既にご存知であるように、岩下は『ウォール街を占拠せよ――はじまりの物語』の出版後、私に対して「日の丸批判、反原連批判をやめて契約を取るか、それとも契約を失ってもいいのか」との脅しをかけた人物である。

 『マガジン9』の「なぜ僕らは『ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会』を立ち上げたのか?」(その2)が公開されたのを機会に、下記のコメントを投稿した。投稿時にはいくつか誤変換があったが、なお、この引用では修正してある。

 『マガジン9』編集部一同へ。私に対して民族差別を働き、いまだに謝罪をしていない岩下結を記事にて取り上げたことに、厳重かつ、満身の怒りを持って抗議する。この記事は私に対する差別の二次加害であるとともに、岩下の民族差別を免責するものであり、今なお継続中である、私の傷つきながらの差別の告発を無効化するものであり、きわめて悪質と言わねばならない。

 私は、大月書店との間で『ウォール街を占拠せよ——はじまりの物語』の出版契約を結び、その仕事が終わった後で、日の丸を掲げるような反原発運動を批判している点をとがめられ、そのため、ろくに宣伝も行われず(そのことは岩下も認めている)、次に翻訳する書籍について内定状態にあったにもかかわらず、そのような批判をやめない限り、契約はやれないとの脅しを受けたのである。

 私は、日の丸の下に、差別され、殺され、犯され、言葉を奪われ、国籍を奪われた、朝鮮民族の一人である。大月書店の言うことに従って翻訳契約を取るか、民族としての尊厳を選ぶかで悩み苦しんだ末、私は朝鮮民族として、日の丸を肯定することはできないと突っぱねた。すると、契約を破棄されたのである。

 私に対する民族差別が回復していない段階で、岩下に荷担する貴紙の態度を厳しく問う。私は岩下からの直接の差別被害者であり、未だに差別の回復がなされていない。この差別記事について、私に対して貴紙の見解を回答せよ。


 コメントは承認制であるために、『マガジン9』編集部によって無視されることが考えられる。もし、賛同していただけるのならば、ぜひ、岩下結が私に対して取った態度は、まごうかたなき民族差別主義であること、私のコメントを承認すること、そのような岩下が事務局を努める「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」は眉唾物であることなどを、『マガジン9』の当該記事に対して、コメントしてほしい。

 岩下結よ、なぜ民族差別の第一人者であるお前が、「民族差別を憂慮することができるのだ?途方もない欺瞞である。しかし、私は、決して黙らされない。「黙らさせる」「沈黙を強いられる」ことは、差別の要素の一つであるからだ。私は、いつまでも闘い続けるだろう。できれば、ご支持をお願いしたい。


[抗議先]
  • 『マガジン9』フォーム
    http://www.magazine9.jp/contact/
  • 『マガジン9』記事、その一
    http://www.magazine9.jp/article/other/15485/
  • 『マガジン9』記事、その二
    http://www.magazine9.jp/article/other/15666/
  • ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会
    https://www.facebook.com/antifapublishing
  • 大月書店フォーム
    http://www.otsukishoten.co.jp/contact/
    *ぜひ、これらのページに岩下と『マガジン9』の責任を問うコメントをお願い申し上げます。民族差別を受けると言うことは、劇的な痛みなのです。

    *おまけ。



    [追記]
     その後、上記コメントとほぼ同一の文面を、『マガジン9』あてに送付した。対応(無視も含む)の如何によって、同誌のスタンスが問われるであろう。

  • # by BeneVerba | 2014-11-13 16:31 | 意見 | Trackback | Comments(0)
    ロザラムの性的虐待:困難な問いに答えることは私たちの責務である
    Rotherham child sex abuse: it is our duty to ask difficult questions
    http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/sep/01/rotherham-child-sex-abuse-difficult-questions
    2014年09月01日 - スラヴォイ・ジジェク



     ロザラムで起きたことは、いくぶんかは輪郭がはっきりとしてきた。一九一七年から二〇一三年の間に、少なくとも一四〇〇名の子どもたちが、暴力的かつ性的に搾取された状態に置かれたのだ。一一歳の子どもたちが、複数の犯罪者たちによって強姦され、誘拐され、他の都市へと売り飛ばされた。犯罪者たちは、ほぼ例外なく、パキスタンにルーツがあり、彼らの犠牲者たちは、白人の学生たちだった。

     反応は予想通りだった。左派は、主に一般化を通じて、もっともたちの悪い種類のポリティカル・コレクトネスを開陳した。犯罪者たちは、あいまいな「アジア人」だとされ、エスニシティや宗教の問題でなく、男性の女性に対する権力の性だと主張され、私たちは、教会におけるペドフィリアやジョー・サビルの実例があるにも関わらず、犠牲者たちに対して、高い倫理的な素養を採用しているとされた。誰か、UKIPやその他の反移民法を支持するポピュリストたちですら、ごく普通の人々の懸念を搾取する、これ以上に効果的な方法を思いつくまい。このような反レイシズムは、あたかも保護者であるかのように、パキスタン人を私たちよりも倫理的に劣る存在として取り扱い、私たちの基準の外にある者とすることによって、レイシズムを効率よく覆い隠すものである。

     社会的な生活の、異なるレベルにおける非同時代性の恐ろしい効果の一つは、女性に対する暴力の増大である。それも偶発的な暴力だけではなく、組織化された暴力、ある種の社会的文脈に固有の暴力は、パターンをなぞり、明らかなメッセージを送っている。

     例えば、シウダード・フアレスにおける女性たちの連続的な殺害は、個人的な病理であるというだけでなく、地元のギャング組織のサブカルチャーの一部でもあり、工場で働く独身女性に向けられたものだった。明らかに、自立した働く女性という新しい階級へのマッチョ的な反応である。

     西部カナダでは、カナダは寛容なモデル的福祉国家であるという主張に背くかのように、バンクーバー近くの居留地で、先住民女性がレイプされて殺された。白人男性の集団が、一人の女性を誘拐し、レイプし、殺害したのだ。そして、彼らはバラバラにされた遺体を居留地に捨てた。それは司法の上では、そこは部族警察の管轄区域で、かれらはこのような事件に対応するだけの者を持ち合わせていないのだった。これらの例が示すのは、社会的な混乱は、急速な産業化と近代化は、開発を脅威として受け止める男性から、暴力的な反応を引き起こすということである。これらの事件における決定的な特徴はこうだ。暴力的な行為は、文明的な慣習を破る暴力的なエネルギーの突発的噴出ではなく、何らかの習得があり、外的に強制され、儀式化された、共同体の象徴的な本質の一部なのである。

     同じように異常な社会的儀式の論理は、ペドフィリアによって、持続的に打撃を受けているカソリック教会においても働いている。教会の代表者は、これらの事件は嘆き悲しむべきことであると語る時、教会内部の問題であるがゆえに、捜査機関と協力することに、乗り気ではないことも表明している。かれらは、ある意味で正しい。カソリック僧侶のペドフィリア問題は、単に、たまたま職業として僧侶を選んだ個人の問題ではない。それはカソリック教会それ自体を問題とする現象なのであり、社会的、象徴的機関として教会が機能するまさにその点において、刻み込まれているものなのである。これは、個人の「私的」な無意識の問題ではなく、教会それ自身の「無意識」の問題でなのである。それは組織が、リビドー的な生活の病理学的リアリティに、生き延びようとして、適応したために起きるのでなく、組織それ自身が再生産をするために、必要としているからこそ起きるのである。

     言葉を換えて言うのなら、単に、体制順応的な理由によって、恥ずべきペドフィリアのスキャンダルに対して、教会は口を閉ざそうとすべきではない。自分たち自身を守るために、教会はその内奥の淫靡な秘密を守るべきなのである。それは、つまりこういうことだ。すなわち、個人を秘密によって特定することは、キリスト教徒の僧侶にとって、固有のアイデンティティの重要な構成要素なのである。もし、僧侶が(修辞的にではなく)真剣に、このようなスキャンダルを非難するのなら、その人物は、それによって、キリスト教徒聖職者の共同体から、自分自身を除外しているのである。その時、その人物はもはや「私たちの一人」ではない。

     ロザラムで起きた事件に対しても、ムスリム系パキスタン人の若者の「政治的無意識」として、同じような態度で接するべきであろう。混沌とした暴力ではなく、イデオロギー的な概観を示す、儀式化された暴力として、である。周縁化され、従属化された経験を有する若者グループが、支配的な集団の脆い成員である女性に対して、復讐したということだ。そして、かれらの宗教的文化的特徴に、女性に対する暴力を許容するような余地はあるのだろうか、と問うことは完全に正当なことなのである。

     ムスリム教をそれ自身として非難することなく(ムスリム教は、その内部においては、キリスト教ほど女性嫌悪ではない)、人は、多くのムスリム国や共同体における公的領域からの排除や、従属的な暴力について語ることができる。そして、とりわけ原理主義者として名指しを受けている、階層秩序による性的な違いを最重要視する集団や運動についても同様である。このような疑問を持ち出すことは、暗黙のレイシズムでも、イスラム恐怖症でもない。それは、解放のために闘う全て者にとって、倫理的政治的な責務なのである。

     さて、このような事例を、私たちの社会はどう扱うべきであろうか?一昔の支配的文化(Leitkultur)をめぐる議論において、保守派は、全ての国家は優位な文化的空間を基盤にしており、その同じ空間に生きる他の文化に属する成員は、尊重されるべき存在である、と主張した。そうした言明が予告していたヨーロッパにおける新たなレイシズムの出現を嘆くよりも、私たちは、どの程度まで私たちの抽象的な多文化主義が悲しむべき現状に貢献してしまっているか、私たち自身へと批判的な目を向けるべきである。全ての側面が共有されるか、同じように尊重されないのならば、多文化主義は、合法的なお決まりの相互の無視や憎悪へと変容するであろう。

     多文化主義を巡る衝突は、既に、支配的文化を巡る衝突である。それは文化と文化の衝突ではない。しかし、異なる文化がどのように共存するかについての、異なるヴィジョンについての衝突でなのである。これらの文化が共存するのならば、共有しなければならないであろう、規則と実践についての衝突である。それゆえに人は、「他者を受け入れるためには、どれほどの寛容さが必要か?」というリベラルのゲームを避けるべきである。このレベルにおいては、もちろんのこと、私たちは充分に寛容というではない。このデッドロックを破る唯一の方法は、全ての参加者によって担われる普遍的なプロジェクトを提案し、闘うことである。

     それが、今日、解放を求めて闘う人々の決定的な仕事が、単に他者から受ける尊敬の範囲を超えて、真性の共存と混有を維持する、解放へと向けた支配的文化的の方へと前進すべき理由なのである。

     我々の公理は、原理主義に対する闘いであると同様に、西洋の新植民地主義に対する闘いでなければならない。ウィキリークスによる闘い、エドワード・スノーデンの闘い、プッシー・ライオットの闘いでなければならない。ユダヤ人排斥に対する闘い、シオニズムに対する闘いでなければならない。これらの全ては普遍的な同一の闘争の一部なのである。もし、私たちがここで妥協するのであれば、私たちはプラグマティックな妥協において敗北するのであり、私たちの人生は生きるに値しない。


    訳者コメント:
     久しぶりの翻訳。今後はできるだけ、継続的に翻訳、公表していきたい。

     ジジェクはこの論説でロザラムのムスリム系パキスタン人を非難するのに、文化的な領域に踏み込むことに躊躇する必要はないという。とはいえ、もちろんかれらの文化が劣っていると主張したいのではなく、文化的、経済的に抑圧された側からの暴力的な反応として、分析しているのである。

     そして、ジジェクの筆は、返す刀でカソリックに向けられるのである。

     話題は変わる。私は今経済的に困窮している。大月書店との労働争議は、精神的にだけでなく、経済的にも疲弊した。もしカンパをいただけるのなら、次の宛先まで。

    ------------
    カンパのお願い
    郵便振替
    口座名義:芦原省一
    口座記号:01710-5-72665
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    # by BeneVerba | 2014-11-05 09:03 | Trackback | Comments(0)
    全てのマイノリティは新しいマジョリティである
    The All Minority Are The New Majority
    2011年10月30日 - アンジェラ・デイヴィス
    原文:
    http://pastebin.com/9sEVQv2K
    https://www.youtube.com/watch?v=cmxWyhIPzgM



    ファシリテーター:
     マイク・チェック。マイク・チェック。

     どうもありがとうございました、アンジェラ。それでは質疑応答の時間に入りたいと思います。フレイリーが順番係を務めます。質問したい人は、彼女に目で合図を送ったり、近くまで行って肩を叩いたりして下さい。

     質問の順番が回ってくるまでは、後ろの方で座って待っていて下さい。最初の質問者は誰ですか?

    質問者:
     こんにちは、アンジェラ教授。あなたの成したことの全てに感謝します。私と友人のアンジェラは、ズコッティ公園に来たばかりで、行動の日を計画するのに苦労していました。それはあなたが話されたことの中にも現れていたことでもあるとともに、そうした懸念を効果的にまとめあげることについて、どのような提案をなさいますか?

     つまり、女性やトランスジェンダーに対する抑圧、あらゆる人種、あらゆる国籍やルーツを待つ人々に対する抑圧、この世界に存在する全ての差異に対する抑圧を、一つのまとまりとして考えるということです。

     ですが、不均衡なことに、そうした人々は、この運動に関してテレビや新聞に採り上げられる人々よりも、さらに抑圧に苦しめられているのです。そうした人々を周縁化したり、かれらに沈黙を強いたりせずに、しかし、この大きく異なるものの、密接なつながりを持つ問題について、真の文化的な変化をもたらすにどうしたらよいのでしょうか?ありがとうございました。

    アンジェラ・デイヴィス:
     それは複雑な問いですね。この問いは、実践することで解決していくものです。

     それは私が、「私たちは、複雑性を持った統一性の下に連帯することを学ばなければならない」と言った時に言いたかったことです。差異を消してしまわないような統一性です。歴史的に周縁化されてきた人々が、コミュニティの全体に成り代わって、声を上げることができるような統一性です。

     月日が過ぎるにつれて、あなた方のみなが、今よりもさらに深く学ぶことを、私は確信しています。この運動が、当初からマジョリティの意志を表現するものであったことを、見過ごしてはなりません。しかし、マジョリティもまた、全ての差異を包摂するという観点から、敬意を払われるべきものなのです。

    ファシリテーター:
     次の質問者は、リンダ。

    質問者:
     こんにちは、私がリンダです。あなたが、ここに来てくれたことに、感謝の念を表したいと思います。ここ「ウォール街を占拠せよ」で、あなたが廃絶しようとしている産獄複合体について、何か手助けできることがありますか?

    アンジェラ・デイヴィス:
     産獄複合体を終わらせるために、あなた方ができることはたくさんあります。教育は、産獄複合体を終わらせるのに、役立つことでしょう。住宅事情の改善、職業の供給、保険制度の充実、特に精神保健制度の充実。これらの全てが、監獄というものを、時代遅れの代物にすることに、役に立つことでしょう。

    ファシリテーター:
     次の質問者は、イーザン。

    質問者:
     こんにちは。私の質問も産獄複合体についてのものです。あなたは活動家として、己の闘争を、長年に渡って闘ってこられました。私たちは、刑務所という制度に対して、直接行動に参加する際に、どのような戦略を採用するべきなのでしょうか?

     この運動に参加している人々の多くが、逮捕されうるということが大きな特権であり、奇妙な力学を生むものであると認識しています。なぜなら、多くの人々は制度のとりこになっているからです。そういうわけで、活動家は市民的不服従を戦略として用いる歳に、そうした力学を慎重に取り扱うべきだと思いますか?

    アンジェラ・デイヴィス:
     これも複雑な問いですね。なによりも、私は刑務所の廃絶を、真剣に考えています。まず、刑務所の廃絶を、私たちのラディカルな政治的アジェンダに、付け加えることからはじめましょう。

     市民的服従が――、言い間違えました「市民的不服従」ですね、市民的不服従が関係する限りにおいて、それは真剣に取り扱われるべきものです。単純に、逮捕が起こりうるかもしれないからという理由ではありません。それは、より奥深い特定の目標を持って、なされるものなのです。

     「逮捕されちゃった」という新しいアプリが、あるそうですね。もっと大きなコミュニティにおける状況が重要なのです。不当逮捕が起きた時には、法律家、活動家、その他の人々が対応することが大切です。そうしたものが、組織化さねばなりませんし、それだけの理由はあるのです。そうですね、刑務所廃止運動において、私たちは「ムミア解放!」と声を上げましょう。そして、「死刑を廃止しよう!」と言いましょう。そして、「トロイ・デイヴィスに尊厳を!」と。

    ファシリテーター:
     次の二人の質問者は、私たちのファシリテーターのどちらかです。ショーンはずっと精力的に活動してきました。私は、質問箱を開けて、新しい人の声を聞こうと思います。ここにいる人で、発言したい人はいますか?それでは、あなた!

    質問者:
     マイク・チェック。私はジャネルです。デイヴィスさんへの私の質問は、いったいどうやって、有色人の若者たちの無関心に揺さぶりをかけて、社会運動へと参入させればいいのか、どうやって著名人たちを巻き込めばいいのかというものです。

     特に、より貧しく、手助けが必要であるにも関わらず、充分なサービスを受けていない地域の若者たちをです。カニエ・ウェストやジェイ・Zのような人々は、金持ちや富についてラップしていますが、彼らを聴いている若者たちは、貧しい状態に置かれたままなのです。この運動を、みんながみんなのために配慮し、全ての人々を含み、誰もが報われるような、包摂的な運動にするためには、どうしたら良いのでしょうか?

    アンジェラ・デイヴィス:
     あなたの質問は、包摂性についてのものと、運動に参加したくないと感じている人々に対する、明白な抑圧の両方についてのものですね。私たちが運動を築き上げていくにつれ、今は運動を遠ざけている人々も、私たちに参加しなければならないように、感じることでしょう。私が考えるに、本当の質問は、包摂性にこだわり続けることなのです。形だけではなく、お互いの物語を語り合うことを実践することです。ジャッキー・アレクザンダーの言葉を引用しましょう。「私たちは、お互いの物語について、もっと能弁であるべきだ」。

    ファシリテーター:
     次の質問者は、こっちね。

    質問者:
     こんにちは。私の名前はエスターです。私の質問も似ています。日常生活において特権を奪われて、どこかしら、自分たちのためのものではないと感じていたり、あるいは、この場所に来るのが居心地良さそうに思えないと感じていたりするために、この場にいない有色人の人々に対して、何か仰りたい言葉はありますか?それにまた、リーダーのいない運動は、伝統的に周縁化された人々に、どのような影響を及ぼすのでしょうか?

    アンジェラ・デイヴィス:
     まさに、それが問題です。私は、これといった答えを持っているわけではありません。ですが、有色人の人々を、女性たちを、周縁化されたセクシャリティの人々を、移民たちを――、特に、無届滞在者たちを、巻き込んでいくことに、こだわることが重要だと言えるでしょう。誰もがみな、そうした人々の声に、耳を傾けることに積極的であるべきです。伝統的に特権を与えられた人々は、権利は周縁化され人々にも及ぶものであることに、自覚的になるべきなのです。これこそが、私たちの誰もがしなければならない仕事なのです。どうもありがとう。

    ファシリテーター:
     次の質問者は?すぐあっちに。

    質問者:
     二、三ヵ月も経てば、選挙戦が人々の注目を引き付けはじめると思います。民主党支持者は、大銀行やウォール街に反対するかのような姿勢を取りたがります。どのような政治的姿勢をお持ちなのか、お聞きしたいと思います。第三の政党なのか、それとも他の何かあなたにできることなのか。


    アンジェラ・デイヴィス:
     それには一つの方法しかありません。二大政党制は、これまでずっと機能したことがありません。今でもそうです。明らかに、私たちには別の選択肢が必要です。

     個人的には、私たちには、強力で、ラディカルな、第三の政党が必要だと思います。この運動においては――、これはもちろん政党ではありません――、政党ができる以上のことを成し遂げています。ですから、腐敗した二大政党制に圧力をかける最善の方法は、この運動を育て上げていくことだと、私には思われます。

     それを実践するためには、この国だけでなく、海の向こうの人々とも、連携しなければなりません。中東で闘いを担っている人々と、アフリカで闘いを担っている人々と、ヨーロッパで、オーストラリアで、ラテン・アメリカで闘いを担っている人々とつながるのです。それが、政治体制に圧力をかける最善の方法だと、今の私は考えます。

    ファシリテーター:
     次の質問者は、マイケル・アダムズ。

    質問者:
     デイヴィスさん、私はずっと資本主義に反対してきました。私は、資本主義とは自己中心的で、貪欲なものだと考えます。私は、私たちの祖先たちが、何百年も前にしたように、新しい貨幣を造り、物々交換をやるべきだと思うのです。それから、私があなたにお聞きしたい意見は……私は、企業の奴隷でした。大企業に勤めていたのです。今はもう、そんなことをしようとは思いません。私は、資本主義社会に対する、あなたの意見をお聞きしたい。

    アンジェラ・デイヴィス:
     私は、資本主義はゴミだ、というあなたの意見に賛成です。私の人生における大半――途方もない大半――、ちょうどここのグリニッチ・ヴィレッジの高校に通っていた時から、私は、いくどもいくども、「打倒資本主義!」と言ってました。しかし、私たちに必要なのは、より複雑なオルタナティヴです。

    質問者:
     物々交換については、どうですか?

    アンジェラ・デイヴィス:
     私たちが必要としているのは……私たちが、いつかは貨幣なしに生きていけるようになる、というあなたの意見に賛成です。貨幣が不要になる時代を、私たちは想像してみなければなりません。一方で、このラディカルな闘争においては、あらゆる範囲の問題設定が定義可能なのです。ですが、私は打倒資本主義に賛成です。

    ファシリテーター:
     次の質問者。

    質問者:
     みなさん、こんにちは。私の名前はケシです。こんにちは、デイヴィス教授。私たちのために、スピーチと、質疑応答をありがとうございました。

     あなたの「ウォール街を占拠せよ」という言葉に対する意見は、どのようなものでしょうか?植民地支配の歴史を考えると、より大きな世界的な規模の運動において、「占拠」という言葉が含む意味に対して、どうお考えですか?また、この運動を構築するに当たって、運動を持続的なものに、政治的なものに、包摂的なものにするために、言葉はどのような役割を果たしているのでしょうか?

    アンジェラ・デイヴィス:
     素晴らしい質問ですね。私たちは、言葉に挑んでいるのです。私たちは、また、言葉を変えようとしているのです。

     私たちは、私たちが用いる言葉の共振に気付いています。私たちは、プエルトリコの運動が、「反占拠」というスローガンを掲げたことを知っています。私たちが、「ウォール街を占拠せよ」という時には、この国が先住民の虐殺によって占拠されて、建国されたものであることに、自覚的でなければなりません。

     私たちが、「ウォール街を占拠せよ」とか、「ワシントン・スクエアを占拠せよ」と言う時には、占拠は他の国では、暴力的で残忍なものであることに、自覚的でなければなりません。パレスティナは、その土地を占拠し続けており、私たちは、軍事的な占領に「ノー」と言う方法を学ばなければならないのです。それと同時に、私たちは、「占拠」という言葉の意味を変えようとしています。私たちは、「占拠」を美しい何かに、コミュニティをまとめ上げる何かに、愛、幸福、希望を求める何かに、変えているのです。

    質問者:
     他の国々での女性の投票権についてはどう考えますか?どうお感じになりますか?

     全ての女性は投票する権利を持つべきです。そのことは理解されなければなりません。とはいえ、あなたの言うとおり、多くの国々では、このアメリカでも、女性は投票から遠ざけられているのです。

    質問者:
     中東については?中東のムスリム国家については、どうですか?

    アンジェラ・デイヴィス:
     既に述べたように、そのことは理解されなければなりません。あらゆる場所において、女性は、投票する権利を持つべきなのです。そして、私たちはあらゆる場所での女性の投票権を、支持しなければなりません。

     しかし、同時にまた、多くの問題もあるのです。多くの場合において、民主主義とは、投票権のことだとみなされています。しかし、民主主義とは、はるかに多くの意味を持つものです。そうして、この運動は、新しく、より創造的な民主主義のための戦略を、発展させている最中だと考えます。

    ファシリテーター:
     次の質問者は、白いスカーフの女性。

    質問者:
     こんにちは。お会いできて光栄です。私は、無駄なことはしたくありません。現実的でいたいのです。私たちは、どのようにして、私たちが「複雑な統一」と呼んでいるものを進めたり、調和させていくことができるのでしょうか?ですが、平等や進歩、その他は「空白補充」の再分配を必要とします。ボランティアにしろ、その他にしろ、もっと多くの「空白補充問題」が必要なのです。

    アンジェラ・デイヴィス:
     質問ありがとうございます。それこそが、この運動の全てに思えます。形式的な平等を、どうやって内実のある平等に変化させるのか。そのために、私たちは、住宅問題や、教育の無償化、教育の脱商品化、福祉サービスの充実を支持しているのです。それにまた、想像力の行使や、職業の要求、正義への要求もです。平等、自由、それらは、この運動が目指しているものの全てに思えます。自由への要求であり、自由の再定義でもあります。

    ファシリテーター:
     次の質問者は、こちら。

    質問者:
     こんにちは。数々の革命や動乱は、巡り巡って、また別の革命を呼んできました。何かとても素晴らしいものの先頭にいると、私には思えるのです。それで、私の質問というのは、この運動をただの「もう一つの革命」にせず、持続性があり、人間味のあるものにするために、何ができるのだろうかということです。

    アンジェラ・デイヴィス:
     良い質問ですね。しかし、これが「もう一つの革命」だとしても、とても素晴らしいことだと思います。でも、あなたの質問はわかります。過去を思い描き、現在を生き、未来を想像することで、この運動が、私たちを前進させることでしょう。

     私たちは、未来が決して何をもたらすのか、知ることはできません。私たちは、私たちの活動が、どのような可能性を持った帰結をもたらすのか、決して知ることはできません。学者にして活動家の、スチュアート・ホールは、かつて「保証などはない」と述べたことがあります。保証はありません。ですが、私たちは、私たちの理想や、希望、想像を反映させた未来を、築き上げることができるかのように、行動することはできます。

    ファシリテーター:
     次の質問者は、こっちです。

    質問者:
     選挙の話に焦点が集まったおかげで、第三の政党に投票すべきだと私は考えています。しかし、選挙をボイコットするという選択には、より力があるのではないでしょうか?

    アンジェラ・デイヴィス:
     私の考えを明確にしてくれて、ありがとうございます。なぜなら、私が、私たちには、ラディカルな第三の政党が必要だと言う時、それは未来を投影して言っていることなのです。また、私は、独立した政党こそが、今日では重要な役割を果たすだろうと考える一方で、私たちは共和党に議席を与えてはならないと言わねばなりません。

     ブッシュが大統領だった時のことを覚えていますか?わずか数年前のことです。そしてまた、質的には異なる状況ではありますが、同じように、オバマも私たちを失望させました。オバマ政権に圧力をかける最善の方法は、この運動を築き上げてゆくことです。

     この運動は、オバマをトップに選ぶことのできる、勢力を反映したものです。そのことを忘れないようにしましょう。そして、労働組合を巻き込み、教会の人々を巻き込み、貧しい学生たちを巻き込み、あらゆる人々を巻き込んで、この運動を築き上げてゆきましょう。私たちが「九九%」と言う時、私たちは、「九九%」の人々を組織化することを、固く決意しなければいけません。

    質問者:
     ディヴィスさん、ありがとうございました。あなたが、私たちのためにしてくれたことと、してくれていることに感謝します。私は、あなたは光輝く実例であり、私たちがやらなければならない、真剣な研究と熟考の反映だと思います。

     私は、最近になって、独学で『共産党宣言』を読み始めました。あなたが、かつて共産党の党員だったことを知っています。そういうわけで、あなたは特定の概念群に対して、親しまれていると確信しています。私は「危険な階級(ルンペン・プロリアート)」というアイディアに、惹かれています。「社会の屑、この受身の腐敗した群れは、時として、プロレタリア革命によって、運動へと引き込まれるが、しかしながら、その生活状態からして、反動的な陰謀に買収されるであろう」。「ウォール街を占拠せよ」が、私たち独自の「危険な階級」になりうるという、潜在的な三つの概念を与えてくれませんか?

    アンジェラ・デイヴィス:

     三つですね。一番目は、「私はトロイ・デイヴィスだ」というスローガンです。州政府によって死に直面していた時、トロイ・デイヴィスは、私たちに、死刑執行に抗して、この運動を継続してゆく可能性を、与えてくれました。それが一つの方法です。

     私は、長年にわたって刑務所廃止運動に、携わってきました。今年は、アッティカ刑務所の反乱から、四〇周年記念にあたります。この運動が、アッティカの反乱から、四〇年後に起きたのは、全くの偶然でしょう。「危険な階級」となるには、アッティカ刑務所で四〇年前に、アフリカ系の囚人、ラテン系の囚人、白人の囚人、ネイティブ・アメリカンの囚人たちが、団結して民主的なコミュニティを作り、ラディカルな変革を求めたことに学ぶことです。それが二つ目の方法ですね。

     私は、もっともっと多くの方法を、あなた方に伝えることができるのですが、あなたはたった三つだけを、教えてほしいのですね。無届滞在者たちと、自分を同一視しなさい。それがもう一つの方法です。この国では、他のどの集団よりも大きな割合で逮捕されている、トランスジェンダーの人々と、自分を同一視しなさい。それが四番目の方法です。

     もっともっと多くの方法を、伝えたいのですが、ここらでお終いにすることにしましょう。あなた方は、私の伝えたかったことを、理解してくださっていると思います。

    ファシリテーター:
     最後の質問者、クリスティーナ。

    質問者:
     あらためまして、ここに来られたことに感謝したいと思います。これは、とても大きな喜びです。私は、これを目撃することができるように、娘を連れてきました。私の質問は、保守派の同胞たちに対して、私たちはみな一つだと言うことを知らせるために、どのように出迎えたら良いのかというものです。

    アンジェラ・デイヴィス:
     保守派の人々はいます。保守派の人々はいるのですよ。私の戦略は、いつももっとも受け入れやすい人々を、運動に連れて来るというものです。私たちが、巨大になるにつれ、より多くの保守派の人々が、取り残されたと感じるようになり、私たちに加わるようになることでしょう。実に簡単なことですね。

     ありがとうございました。



    訳者コメント:
     アンジェラ・デイヴィスが、二〇一一年一〇月三〇日に、ワシントン・スクエア公園で行った講演の後半部分で、前半部分のスピーチと異なり、こちらは質疑応答である。それにしても、前半部分を私が翻訳したのは、なんと二年以上も前のことになる。本来ならば、前半部分を訳した後、数日からせめて数週間以内に、今回訳した後半の質疑応答部分を訳出したかったのだが、大まかに言って、二〇一二年は、『ウォール街を占拠せよ――はじまりの物語』の翻訳に明け暮れ、二〇一三年は、労働委員会での大月書店との闘争に明け暮れた。そして、それらは私を疲弊させた。

     「マディソン通りからマドリッド通りまで詰めかけて」(正しくは、「ウィスコンシン州のマディソンからスペインのマドリッドまで」)という、まともにリサーチをしたとは思えない珍訳本を堂々と出版したり、今どき「ブラックパンサーのアンジェラ・デイビスを祭り上げたりして」(彼女は、今でも現役の活動家であり、『監獄ビジネス――グローバリズムと産獄複合体』という本も出している)などといった駄文を書き散らしていたピエロめいた御仁がいたことなども思い出す。

     なお、私が最近電子メールで連絡を取った、OWS関係者に拠れば、「私たちの運動は、政府によって破壊されてしまった」そうである。それでも、記録として本稿を訳すことにする。また、動画の著作権者のRobert K. Chin氏の許諾を得たので、できる限り早く、日本語字幕版の動画も公開する予定である。




    # by BeneVerba | 2014-09-09 12:08 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
     大月書店の民族差別・思想差別・言論弾圧事件(大月書店が私に働いた仕打ちはこれらの要素を持っています)、及び団交拒否による不当労働行為事件に対し、支持を表明してくださるみなさまに対して、報告いたします。
     
     福岡地区合同労働組合の組合員である私は、福岡県労働委員会において、実質的な団交拒否を続ける大月書店に対して、昨年より不当労働行為に対する救済を申し立てていました。この度、福岡県労働委員会は、私の労働者性を認めず、不当にも救済申し立てを棄却しました。
     
     しかし、重要なのは、今回否定されたのは私の労働者性であって、大月書店が民族差別などを働いたかどうかではない、ということです。
     
     「実質的な団交拒否」というのは、私の居住地も組合の所在地も福岡県であるのにも関わらず、大月書店は、福岡地区合同労働組合からの要求書に対し、あくまでも会社所在地である東京での団交開催に固執し続けたことです。
     
     こうした「実質的な団交拒否」を不誠実団交と言い、労組法では不当労働行為として定めています。
     
     福岡地区合同労働組合は、やはり本社が福岡ではなかったサン・パートナーの係争において、「福岡での団交開催」命令を獲得し、これは中央労働委員会を経て、既に命令が確定しています。
     
     大月書店は、当初、私たちの組合の要求に対して、東京開催という条件付きでしたが、団交には応じると回答書を送っていたのです。しかし、労働委員会に救済申し立てを起こすと態度を翻し、合理的な理由も述べることなく、「撤回する」としました。
     
     団体交渉というのは、使用者の側に対して弱い立場にある労働者が、団結することで交渉力を獲得しようとするものです。ですので、組合が交通費その他を負担して、遠隔地である会社の所在地で団体交渉を開くことは、団体交渉の趣旨から言って、本末転倒なのです。
     
     また、私は、民族的・思想的なアイデンティティを捨てて、大月書店の指示に従うか、それとも、それらのアイデンティティを守って、翻訳契約を失うかという、非常に困難な立場に立たされたのですが、そうした困難は独力では解決できません。
     
     今回の福岡県労働委員会の今回の判断は、不当であると同時に、非常に保守的なものでした。
     
     労働委員会という場では、「労働者性」を判断するに当たって、労働基準法研究会「労働基準法の『労働者』の判断基準について」や労使関係研究会「労働組合法上の労働者性の判断基準について」といった辺りに示された判断基準が、デファクトスタンダードとなっています。
     
     私たちの組合では、「労働者」概念をより広くとった、革新的とも言える川口美貴『労働者概念の再構成』(2012年)を武器として、労働委員会で主張しました。
     
     また、前述のように大月書店事件は、民族差別、思想差別、言論弾圧としての性格も持ち合わせています。この点についても、労働委員会という場ながら、人権の問題として、ある程度は主張することができました。
     
     労働者性を判断する学説が複数あるのだから、それを踏まえて判断されるべきであるとの主張を、労働委員会にて展開したのですが、福岡県労働委員会の命令書には、私たちが特に念入りに述べたこの主張すら、触れられていません。あくまで、従来通りの基準に則った判断を下しました。
     
     それにまた、「労働者性」が争点として挙げられたのは、労働委員会が大月書店側の主張に引きずられたものです。労働委員会は、労組法に「労働者が団結することを擁護」するものとして定められているのだから、その点も不当であると言えます。
     
     大月書店側が、特に私の労働者性に焦点を当てた主張を展開した理由としては、団体交渉となれば、民族差別などが問題とならざるを得ないために、それを回避し、会社のメンツを守るためだと考えられます。
     
     今後の手続きとしては、中央労働委員会に再審査を請求するか、地方裁判所に行政訴訟を起こすかという二つの道があります。
     
     不当な棄却命令が出たところで、今後も闘い抜いていく決意に変わりはありません。それどころか、ますます闘う決意を強くしております。今後とも、ご支持のほどをよろしくお願いいたします。






    # by BeneVerba | 2014-08-16 17:43 | お知らせ | Trackback | Comments(0)
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