翻訳:スラヴォイ・ジジェク - 民主主義と資本主義の結婚は終わった
民主主義と資本主義の結婚は終わった
The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over
2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:
http://occupywallst.org/article/today-liberty-plaza-had-visit-slavoj-zizek/
http://www.imposemagazine.com/bytes/slavoj-zizek-at-occupy-wall-street-transcript
http://beneverba.exblog.jp/16220243/

 私たちは負け犬と呼ばれています。しかし、真の負け犬たちはあそこウォール街にいます。彼らは、数十億もの私たちのお金で、救済措置を受けたのです。私たちは社会主義者と呼ばれています。しかし、ここには既に富裕層のための社会主義が存在しています。彼らは、私たちが私有財産を尊重していないと言います。しかし、二〇〇八年の金融崩壊においては、ここにいる私たちの全員が、昼夜の境なく数週間の破壊活動に及ぶよりも多く、苦労の末に手に入れた私有財産が破壊されたのです。

 彼らは、私たちは夢を見ているのだと言います。真に夢を見ている人というのは、ものごとが永遠にそのままの状態であり続けることが可能だと考えている人たちのことです。私たちは夢を見ているのではありません。私たちは、悪夢へと変わろうとしている夢から、覚めつつあるのです。私たちは何一つ破壊していません。私たちはただ、どのように体制が自壊するのかを目撃しているのです。

 私たちがみな知っているカートゥーンの古典的な場面があります。断崖へと到達した猫が、下には何もないという事実を無視して、そのまま歩き続けるのです。下を見てそのことに気づいた時に、ようやく落下します。それが私たちがここでやっていることです。私たちは、ウォール街の面々にこう言っているのです。「おい、下を見ろ!」と。

 二〇一一年の四月中旬、中国政府は、別の現実やタイム・トラベルを含む内容のTV、映画、小説を、全て禁止しました。これは中国にとって良い兆候です。つまり、人々が未だオルタナティブを夢見ていることを意味しているからです。そのため、そうした夢を禁止しなければならなかったのです。ここでは、そのような禁止は必要ありません。なぜなら、支配体制が私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちが普段観ている映画を思い浮かべてください。世界の終わりを想像することは容易です。小惑星が地球に激突して、全ての生命体が絶滅するとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉を想像することはできません。

 それでは一体、私たちはここで何をしているのでしょうか?ここで一つ共産主義時代の、素晴らしく、古いジョークをお話しさせてください。一人の男が、東ドイツからシベリアへと、働くために送られました。彼は、自分の手紙が検閲官によって読まれるであろうことを知っていました。そこで自分の友達にこう言いました。「暗号を決めておこう。もし、私から受け取った手紙が青いインクで書かれていたら、私の言っていることは真実だ。もし赤いインクで書かれていたら、嘘だ」。

 一ヵ月後、彼の友達は最初の手紙を受け取りました。全てが青いインクで書かれていました。その手紙にはこう書かれてました。「ここは全く素晴らしいところだ。商店はおいしい食べ物で一杯だ。映画館では西側の面白い映画をやっている。アパートメントは広々として豪華だ。ここで買えないものと言ったら、赤いインクだけだ」。

 私たちは、このようなあり方で生きているのです。私たちには、私たちが望むあらゆる自由があります。私たちには、ただ赤いインクがないだけなのです。私たちの不自由を明確に表すための言語が。私たちがそういう風に話すようにと教えられた自由についての話法――「テロとの戦い」とかそういったことです――が、自由を偽ってしまうのです。そして、それがあなたたちがここでしていることなのです。あなたたちは、私たちみなに赤いインクを授けているのです。


 そこには危険もあります。自分自身と恋に落ちないようにしてください。私たちはここで楽しい時を過ごしています。だが、覚えておいてください。カーニバルは安上がりなのです。重要なのはその翌日、私たちが日常の生活に戻らねばならなくなった時です。そこに何らかの変化はあるのでしょうか?私はあなたたちに、これらの日々を「ああ、私たちは若く、全ては素晴らしかった」とか、そういった想い出にしてほしくありません。

 覚えておいてください。私たちの基本的なメッセージは、「私たちはオルタナティブについて考えることを許されているのだ」ということです。タブーは破られました。私たちは最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。しかし、この先に長い道のりがあります。そこには真に困難な問いが、立ちはだかっています。私たちは、私たちが何を望んでいないかを知っています。ですが、私たちは一体何を望んでいるのでしょう?どのような社会組織が資本主義の代わりとなることができるのでしょう?私たちはどのようなタイプの新しいリーダーを望んでいるのでしょう?

 覚えておいてください。問題は腐敗でも貪欲でもありません。腐敗へと駆り立てる体制が問題なのです。敵だけに注意するのでなく、既にこの抗議運動を薄めようと画策している偽の友にも注意してください。あなたが、カフェイン抜きのコーヒーを、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを渡されるのと同様なやり口で、彼らはこれを無害で道徳的な抗議運動に変えようとするでしょう。カフェイン抜きの抗議(A decaffienated protest)です。


 私たちがここにいる理由は、私たちがこの世界にうんざりしているからなのです。数ドルをチャリティに寄付することで、コーラの缶をリサイクルすることで、もしくは、スターバックスのカプチーノを買うと、その一%が飢えに苦しむ第三世界の子どもたちのところに行くことで、私たちをいい気分にして、それで良しとしているこの世界に。労働と拷問を外部に委託したその後で、結婚仲介業者が今や私たちの性生活ですら外部に委託しているその後で、私たちの政治的参加もまた長い間委託されるに任せていたことを、私たちは今や理解しています。私たちはそれを取り戻したいのです。

 もし、共産主義が一九九〇年に崩壊した体制を意味するのならば、私たちは共産主義者ではありません。今日では、それらの共産主義者たちがもっとも能率的で冷酷な資本主義者であることを、思い起こしてください。今日の中国には、アメリカの資本主義以上にダイナミックな資本主義が存在しますが、それは民主主義を意味しません。それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、まるであなたが民主主義に反対しているかのように、脅されるような真似を許してはならないということです。民主主義と資本主義の結婚は終わったのです。


 変革は可能です。ところで、今日私たちは何を可能だと見なしているのでしょう?メディアを追いかけてみましょう。一方では、テクノロジーとセクシャリティーにおいて、全てが可能であるかのように見えます。月まで旅行に出かけることも可能です。遺伝子工学によって不死になることも可能です。動物であれ何であれとセックスすることも可能です。しかし、社会と経済の領域を見渡してみると、そこではほとんど全てのことが、不可能だと見なされているのです。

 あなたが富裕層の税率をちょっとばかり引き上げたいと言えば、「それは不可能だ、競争力を失う」と彼らは言うのです。あなたがもっとヘルスケアにお金がほしいと言えば、「それは不可能だ、全体主義国家のやることだ」と彼らは言うのです。不死になることを約束されているのに、ヘルスケアに費やすお金をほんの少しも上げることができない世界は、どこかが間違っているのではないでしょうか。

 おそらく私たちの優先順位を、ここできちんと設定することが必要なのでしょう。私たちはより高い生活水準など望んでいないのです。私たちはより良い生活水準を望んでいるのです。たった一つの意味において、私たちが共産主義者(コミュニスト)であるのは、私たちはコモンズに配慮しているのだということです。自然のコモンズ、知的所有権によって私物化されたもののコモンズ、遺伝子工学のコモンズ。このために、このためだけに私たちは闘うべきなのです。


 共産主義は間違いなく失敗しました。しかし、コモンズの問題がまだここにあります。彼らは、ここにいる私たちは非アメリカ的だと言います。しかし、自分たちこそが本当のアメリカ人だと主張する保守派原理主義者たちは、何かによって気付かされなければなりません。キリスト教とは何でしょうか?それは聖霊です。聖霊とは何でしょうか?それは、お互いへの愛で結びついた、信じる者たちによって構成される平等主義の共同体です。そして、自らの自由と責任を所有する者だけが、それをなすことができるのです。

 この意味において、聖霊は今ここに存在します。そして、あそこウォール街にいるのは、涜神的な偶像を崇拝する異教徒どもです。だから、私たちに必要なのは忍耐だけです。私が恐れているたった一つのことは、私たちがいつの日にか家に帰り、一年に一度会うようになり、ビールを飲みながら、ノスタルジックに「私たちは、なんて素敵な時をあそこで過ごしたのだろう」などと想い出に耽るというものです。そういうことにならないように、自らに誓いましょう。


 私たちは、人々がしばしば何かを欲するのに、本当にはそれを望もうとしないことを知っています。どうか、あなたが欲するものを望むことを恐れないでください。

 どうもありがとうございました!



訳者コメント:
 昨日投稿した翻訳を別のソースによって補完したもの。「Don't fall in love with yourself」と呼ばれているようだが、「民主主義と資本主義の結婚は終わった」という題名はそのままとした。

10/19の更新:
 ウェブ上の文章においては、一つの段落に文字を詰め込みすぎるのは、読みにくいと判断したため、段落分けを細かくした。数カ所のみ、前後どちらの段落に入れるか変えた部分があるが、訳文の変更はなし。

10/30の更新:
 今回の更新では、基本的に、この翻訳を元に作成した日本語字幕付き動画を作る際に訳を見直した部分を、今度はこの翻訳そのものに反映した。だが、改めて気づいた部分も併せて変更した。

 つまり、原文URLに書いた通り、二つの英文書き起こしとジジェクのスピーチの動画を参照したのだが、それらのそれぞれ異なる部分に改めて気づき、思ったよりも大変な作業になった。混乱するかもしれないが、現時点での私にできる限りでのベストな訳文がこれ。

 少し煩わしくなるが、注意すべきと思われるいくつかの変更点を以下に書き記す。

変更前:もし規則が破られるのなら、私たちは可能な限り最善の世界に住んでいるわけではないのです。
変更後:タブーは破られました。私たちは最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。

 この部分は「rule」とも「taboo」とも聞こえる。参照した二つの書き起こしのそれぞれで違っている。何度もスピーチの動画をリピートしたが判断つきかねた。「taboo」とした方が意味が取りやすいと思うのだが、どうだろうか。

変更前:カフェイン抜き過程(A decaffienated process)です。
変更後:カフェイン抜きプロセス(A decaffienated process)です。

 この部分、「process」とも「protest」とも聞こえる。上と同様に判別がつきかねるが、どうしても「protest」とは聞こえなかった。もし、そうであるならば「カフェイン抜きのプロテスト」ということになる。どちらにしろ、ジジェクはそれを否定している。

変更前:それが意味するのは、もしあなたが資本主義を批判しようとするなら、まるであなたが民主主義に反対しているかのように、脅されかねないということです。
変更後:それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、まるであなたが民主主義に反対しているかのように、脅されるような真似を許してはならないということです。

 今回の更新で一番重要な変更。ジジェクは民主主義と資本主義が一体であるかのように見えた状態は終わったのだから、資本主義を批判することに躊躇するな、と言っている。それは、これのすぐ後の「民主主義と資本主義の結婚は終わった」という言葉へと続く。

変更前:ありふれたもの(the commons)を望んでいるという意味においてのみ、私たちは共産主義者(communists)なのです。自然の共有権(the commons)。
変更後:たった一つの意味においてのみ、私たちがコミュニストであるのは、私たちはコモンズを望んでいるのだ、ということです。自然のコモンズ。

 この前後の文章はいろいろな含みがあると思うのだが、「the commons」の訳を「コモンズ」で統一することにした。それに合わせて、この部分のみ「共産主義者」を「コミュニスト」に変えた。

10/31の更新
 ジジェクが10月26日付で英ガーディアン紙に寄せた論説「Occupy first. Demands come later(まず占拠せよ、要求はそれから)」を読んだところ、これがこの「ウォール街を占拠せよ」でのスピーチを、ジジェク自身が書き言葉として定着させたような内容のものだということがわかった。

 これで、前回の更新で悩んだばかりの聞き取りの問題が解決した。ごく簡単に言うと、ジジェクは「rule」ではなく「taboo」、「process」ではなく「protest」と書いている。また、他に「まず占拠」に合わせて変えた箇所や、それを読んではっきりした誤りを訂正した部分などが数カ所ある。

 それにしても、ジジェクの発音はとても「protest」には聞こえない。

2012/5/6の更新
 これまで「常に(always)」としていたところを「既に(already)」とするなど、細かな修正。

5/16の更新
 昨年10/30の追記で触れた動画とは別に、二分割されていない動画を、新たにYouTubeにアップロードしたことを機会に、訳文全体の見直し。また、Artamikaさんから訳文についての指摘をいただき、これも反映した。

 ついでながら、先日発売された『私たちは“99%”だ――ドキュメント・ウォール街を占拠せよ』に所載の同じジジェクの講演は、「自分自身に恋するなかれ(Don't Fall in Love with Yourselves)」となっていることを付言しておく。この翻訳は、動画を参照せずにテキストから訳を起こした疑いが濃く、拙訳には参照してない。

by BeneVerba | 2011-10-17 09:53 | 翻訳