翻訳:ナオミ・クライン - 〈資本主義〉対〈気候変動〉 [2/8]
〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full


――科学的合意の拒絶へと向かう世論


 大きな社会的政治的問題に関して世論が変わろうとする時、その傾向は相対的に漸進的なものになりがちである。突然の移行がやって来る場合は、劇的な出来事によって引き起こされるのが普通である。世論調査員たちが、たったの四年間で、気候変動に対する見方に一体何が起こったのか驚いている理由はそれだ。二〇〇七年のハリスによる世論調査では、七一%のアメリカ人が、化石燃料を燃やし続けることは気候の変動をもたらすと信じていた。二〇〇九年の統計では、それが五一%にまで下落した。そして二〇一一年六月には、それに同意するアメリカ人の割合は、四四%にまでに落ち込んでいる。人口の半分以下である。「民衆と報道のためのピュー調査センター(Pew Research Center for People and the Press)」の調査研究理事であるスコット・キーターによれば、これは「近年の世論調査の歴史では、短い時期における最も大きな移行」だという。

 更に目立つのは、この移行がほとんど全く政治的スペクトラムの一端について起こったことだ。二〇〇八年(ニュート・ギングリッチがナンシー・ペロシと共に気候変動に関するTVスポットを行った年)までは、この問題はうわべだけであれ、アメリカではまだ二大政党の両方から支持を得ていた。そうした日々は明白に終わりを告げた。今日では、七〇~七五%の民主党支持者もしくはリベラルを自認する人々が、人類が気候を変えていると信じている。過去一〇年間で安定しているか、わずかだけ上回った水準だ。それとは全く対照的に、共和党支持者、特にティー・パーティーの一員たちは、圧倒的に科学的な合意の拒絶を選んでいる。いくつかの地域では、わずか二〇%程の共和党支持者を自認する人々が、科学を受け入れているだけだ。

 感情的な強度における移行も同じく著しい。かつて気候変動は、誰もが気にかけていると口にする事柄だった。実際にはそれ程多くなかったにしろ。アメリカ人が政治的な関心事に優先度を付けるように訊ねられると、気候変動は確実なまでに最後になるのだ。

 だが、今では情熱的に、執拗なまでに気候変動を気にかけている相当数の共和党の一団がいる。もっとも、彼らが気にかけているのは、気候変動が、彼らに白熱電球を取り替えさせ、ソヴィエト流の安アパートに住ませ、SUVを諦めさせるために、リベラルのでっち上げた「虚報」であると暴露することだが。これらの右派にとって、気候変動に反対することは、低い税金や、銃器の所有権や、中絶への反対と同様に、彼らの世界観の中心をなすものになりつつある。多くの気候科学者たちが、殺害の脅迫を受け取ったと報告している。省エネルギーのような無害に見える題材の記事の著者ですらそうなのだ(エアコンを批判する本の著者であるスタン・コックスに届いた手紙によれば、「俺の冷えて死んだ手から、サーモスタットをもぎ取って見ろ」)。

 この強烈な文化戦争は、ニュースの中でも最悪のものだ。なぜなら、彼または彼女のアイデンティティの核になっている問題について、その人物の立場に挑戦しようとすると、事実や議論が攻撃に埋もれてしまい、簡単に逸脱してしまうからだ(否定論者は、地球温暖化の現実を確認する、部分的にコーク兄弟によって資金提供を受けた新しい研究や、「懐疑的な」立場に同調的な科学者による新しい研究をはねつける方法さえ発見している)。

 この感情的な強烈さがもたらす効果は、共和党をリードするレースにおいて余すところなく示された。大統領選に入ろうとする日々の中で、彼の故郷であるテキサス州が文字通り野火で燃えている最中に、テキサス州知事リック・ペリーは、気候科学者たちがデータを操作していることを明らかにする根拠を喜んで、こう言った。「そのために、彼らは何ドルもの金をプロジェクトにつぎ込んでいるのだ」。一方で、気候科学を一貫して擁護する唯一の候補者、ジョン・ハンツマンは、即死状態だった。また、ミット・ロムニーが選挙戦で救われたのは、部分的には、気候変動についての科学的合意を支持する初期の声明を遠ざけたためだった。

 だが、右派の気候陰謀論の効果は、共和党の外にも広がっている。民主党員のほとんどは、独立を疎外されることを恐れ、この件に関して沈黙を決め込んでいる。そしてまた、メディアと文化産業も、それに追従している。五年前には、有名人たちはハイブリッド・カーに乗ってアカデミー賞に現れ、『ヴァニティ・フェア』誌は例年グリーン特別号を発行していた。二〇〇七年には、アメリカの三大ネットワークで、一四七本の気候変動に関する番組が放送された。だが、それらはもはや存在していない。二〇一〇年には、三大ネットワークは三二本の気候変動に関する番組を放送しただけであり、アカデミー賞は本来のスタイルのリムジンに戻り、「例年」だったはずの『ヴァニティ・フェア』グリーン特別号は、二〇〇八年以来現れていない。

 この穏やかならぬ沈黙は、史上最大の暑さを記録した一〇年間の終わりまで存続し、更に変異種的な自然災害と世界的な記録破りの猛暑の夏を迎えている。一方で、化石燃料産業は、石油、天然ガス、石炭を、この大陸でもっとも汚染がひどくもっとも高リスクないくつかの資源から抽出する新しいインフラに対する、数十億ドルの投資に殺到している(七〇億ドルのキーストーンXLパイプラインがそのもっとも顕著な例だ)。化石燃料産業は、アルバータ州のタール・サンドで、ビューフォート海で、ペンシルヴァニアのガス田で、ワイオミングとモンタナの炭田で、環境保護運動は死んだも同然だという方に大きく賭けたのだ。

 これらのやる気満々のプロジェクトが、二酸化炭素を大気中に排出すれば、破局的な気候変動が起こる確率は劇的に上昇する(アルバータ州のタール・サンドの石油採掘だけで、NASAのジェイムズ・ハンソンに言わせれば、気候にとって「本質的なゲーム・オーバー」となるだろう)。

 これらの全てが意味するのは、環境保護運動は大々的に巻き返さなければならないということだ。それが起きるためには、左派は右派から学ばなければならない。否定論者たちは気候を経済に結びつけることで勢いを得てきた。環境保護は資本主義を破壊する、と彼らは主張する。雇用は生まれなくなり、物価は上昇するだろうと。しかし、今では、より数多くの人々が「ウォール街を占拠せよ」の抗議者たちに同意し、それら人々の多くが通常営業の資本主義そのものが、雇用喪失と借金奴隷の原因だと主張しており、経済の領域を右派から奪い返すユニークな機会が生まれているのだ。そのためには、環境危機へ本物の解決策はまた、より開化された経済システム――根深い不平等を終わらせ、公共圏を強化し変容させ、尊厳ある労働を大量に生み出し、ラディカルに企業の力を制御するそれ――を築く私たちの最良の望みでもあるのだという、説得力のある議論を組み立てることが要求されるだろう。それはまた、環境保護運動が、進歩派の注目を競い合う価値ある理念の一覧にある、たった一つの問題だという観念からの離脱を要求するだろう。気候変動否定主義が、力と富の現体制の防衛にすっかり絡みつつ、右派の重要なアイデンティティ問題となったのと同様に、気候変動の科学的現実は、進歩派にとって、縛りのない貪欲がもたらす災厄と真のオルタナティブの必要性に関する、首尾一貫した物語の中心部分を占めるべきなのだ。

 そうした変容力のある運動を築き上げることは、最初にそう思われるほどには、難しくないのかもしれない。実際のところ、ハートランドの人たちに訊ねるならば、気候変動は何らかの左翼革命を実質的に不可避にしており、それこそが彼らがその現実性を否定しようと、固く決意している理由なのだ。おそらく、私たちはもっと近寄って、彼らの理論を拝聴しなければならないのだろう。なぜなら、彼らは左派がまだ理解していない何かを、理解しているのかもしれないからだ。

* * *


訳者コメント:
 彼女のTwitterによれば、ナオミ・クラインの次回作の一部もしくはその草稿のようなものであるらしい「〈資本主義〉対〈気候変動〉(Capitalism vs. the Climate)」と題された長文論説の全訳を分割して公開。文字数制限のためコメントは割愛。目次はこちら。続きはこちら

by BeneVerba | 2012-06-03 11:02 | 翻訳