翻訳:ウォール街を占拠せよ - 2011年:革命の年 [1/2]
2011年:革命の年
2011: A Year in Revolt
2012年01月03日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/2011-year-revolt/

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 2011年は革命の年として記憶されるだろう。貧困と抑圧と暴力に基く維持しがたいグローバルなシステムの終焉が始まった年として。アラブ世界の数十の国々では、崩壊した経済と抑圧的な体制に対して人々が立ち上がり、政府を転覆し、世界中の人々に対して行動するように鼓舞した。緊縮政策と労働者の権利への攻撃に対する民衆の拒絶は、ギリシアで、アイスランドで、スペインで、ポルトガルで、イタリアで、イギリスで、チリで、ウィスコンシンやその他の場所で、数百万もの人々を街頭へと駆り立てたのだ。

 真夏までには、「ウォール街を占拠せよ」という呟き声がオンラインを賑わすようになり、7月14日に我々は occupywallst.org のドメインを取得し、組織化を始めた。最初のニューヨーク市総会は8月2日に開かれ、リバティ広場の占拠が9月17日に始まった。

 ますます開いていく富裕層と貧困層の格差に怒りをかき立てられ、多数を犠牲にして少数のエリート層にのみ寄与する政府の政策に憤慨し、根元的な経済的不平等に対する支配層の失策にうんざりし、「ウォール街を占拠せよ」は新しい解決策を提案した。我々は、数千の人々に食料を提供するため人民食堂を建設し、人民図書館を開設し、より安全に寝泊まりできる空間を作り、無料の避難所、寝床、医療、その他の必需品を必要とする誰でもに提供した。冷笑家たちが、私たちはリーダーを選び、政治家への要求をまとめるべきだと迫っていた頃、我々はまさしくそれらの機構に替わるものを忙しく創造していたのだった。革命は既に勃発した。誰も我々を止めることはできない。

 主流派メディアが我々を無視する一方で、我々はチュニジア、エジプト、イランなどにおける他のリーダーのいない運動から、メッセージを広めるためソーシャル・メディアやインターネット生中継を使うことを学んでいた。我々は、企業によって資金提供を受けた中央集権型のメディアがますます見当違いであることを描き出し、どのように情報が生み出され共有されるかを示す、ラディカルに民主化されたグローバルな運動の一部だ。情報の即時的な交換が、我々に素早い集団的な意志決定を可能にし、地球規模の情報とアイディアを議論することを可能にし、効果的な直接行動を集結することを可能にし、警察の暴力を記録することを可能にしている。今、これまで以上に我々が「世界中が見ているぞ!(The Whole World Is Watching!)」と唱えるのは、ただの虚仮威しではないのだ。

 今日、数万のごく普通の人々が、連帯、相互扶助、反抑圧、自治、そして直接民主主義といった理想の数々を実践している。個々人は都市大の総会群と自治的な各アフィニティ・グループで手と手を携えている。合意による、階層的でない、個人参加の自己統治を通し、今ここでそれを建設することにより、我々は文字通り新しい世界の骨組みを据え付けている。そしてそれは機能しているのだ。


 残りは歴史である。新年を祝って、概要と共にこれまでに我々が何を成し遂げたのかを振り返ろう。全ての行動を一覧し、「占拠」が起こった全ての場所に言及するのは不可能だろう。だが、我々の勝利の瞬間のハイライトを祝いながら、新年を始めよう。これから起きることの予告も一緒に!


9/17:ウォール街を占拠する
 2,000人を越える人々が、一つの目的のためにマンハッタンの金融街を急襲した。占拠するためである。我々はテントを持ち込み、新しく我々の家となる場所(ズコッティ公園)に新しい名前を付けた。リバティ広場と。

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9/24:経済的不平等の暴力的基盤を暴露する
 その後の出来事を暗示するかのように、ユニオン・スクエアでの平和的な行進から帰還する途中で、80名以上の人々が暴力的に逮捕された。抗議者への警察の不当なペッパー・スプレーの使用を録画したビデオが瞬く間に広まり、社会的経済的不平等の永続化のために不可欠な暴力が何であるかを暴露した。数千の人々がニューヨーク市警本署までデモ行進し、怒りの抗議をした。そして、世界は気づき始めた。


9/28-現在:労働者たちと抑圧されたコミュニティからの連帯
 占拠の初期から、「ウォール街を占拠せよ」は、より良い労働条件を巡って闘争する郵便労働者など、多くの運動に支持を寄せていた。9月28日には、トランスポート・ワーカーズ・ユニオン・ローカル100が、投票によって「ウォール街を占拠せよ」の支持を決め、構成員たちに参加するよう奨励した。それ以来、我々は、アメリカ教職員連合組合やパイロットたちなどから、西海外の湾岸トラック・ドライバーたちまで、数多くの地元の組合の支持を受けている。12月1日には、我々はニューヨーク市中央労働評議会に応えて、雇用と公平な経済を求めるデモに参加し、12月2日には、公正な職を求める農民たちと一緒にデモを行ったエコノミスト作家音楽家たちはみな我々を支持している。我々はまた、学生たち、移民たち、アフリカ系アメリカ人の教会指導者たちトランスジェンダー解放を求める活動家たち、ネイティブ・アメリカンの個人たち、先住民評議会のようなファースト・ネイションの人々、ハンガーストライキ中の収監者たちイラクやアフガニスタンの退役軍人たちなど、不公平な経済的政治的構造の下で生活条件を改善しようと闘っている数え切れないほどの抑圧を受けたコミュニティから参加を受けている。

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9/29-現在:占拠運動は地球規模に拡大中
 サンフランシスコの抗議者たちが、その地の金融街を占拠し始める。新しいミーム、「我々は99%だ!(We are the 99%!)が」急速に広がる。「占拠」それ自身が世界中で採用され、改案され、再発明される。「ウォール街を占拠せよ」は、「全ての通りを占拠せよ(Occupy All Streets)」となる。占拠グループ及び行動が、全ての大陸、千以上の都市、70以上の国々、そしてアメリカの50の州全てとコロンビア特別区で形成される。現在までに少なくとも5,748人の人々が占拠行動によって逮捕されている。野営地及び抗議運動は、最も大きな都市から最も田舎の町までに出現している。しかし、占拠や連帯行動が行われた場所の網羅的なリストを作成することは不可能に近い。我々はあらゆる場所に存在するといっても過言ではない。


10/1:ブルックリン橋を占拠、世界に占拠を呼びかける
 5,000名以上の人々がブルックリン橋まで行進する。警察は網で抗議者たちを包囲し、約800名を逮捕した。数日後、15,000人のデモ参加者たちがフォーリー・スクエアからリバティ広場まで行進した。夕暮れの後、ニューヨーク市警が見物人にペッパー・スプレーに使用し、ケトリング・ネットを用いて暴力的に反応する。翌日、数千の人々が、ポートランド、ロサンジェルス、サンフランシスコ、タンパ、ヒューストン、オースティン、ソルト・レイク・シティ、その他の場所でデモを行う。そして Occupy Together が始まる。

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10/10-25:立ち退きの第一派に対し決意を見せる
 Occupy Boston で140名が逮捕される。10月25日、数百名の警官が Occupy Oakland の排除に動き、催涙ガス、ゴム弾を使用し、85名を逮捕する。元海兵隊でイラク戦争の退役軍人が、催涙ガスの円筒弾を直接頭部に受け、危篤状態に陥る。広がりつつあった運動は即座に反応した。ニューヨークでは「ウォール街を占拠せよ」がユニオン・スクエア近くでデモ行進した。ポートランド、オースティン、デンバーでは、占拠者たちを追い散らすために、警察がペッパー・スプレーの小弾を発砲し、100名近くが逮捕された。それにもかかわらず、新たな占拠地は現れ続けた。


10/15:経済的正義を求めるグローバルな運動に貢献する
 世界一斉行動日に、ニューヨーク市では数千名の人々がタイムズ・スクエアまで行進した。アッシュランド、ケンタッキー、ケッチャム、アイダホといった小さな町からの抗議者たちが、デモインやダラスといった他のアメリカの都市の人々と共に行動した。世界では、抗議者たちが、アムステルダム、アテネ、オークランド、ムンバイ、東京、ソウル、オタワ、シドニー、ロンドン、ヨハネスブルグの金融街を急襲した。バルセロナとマドリッドだけで百万人の人々がデモに参加した。十万人の人々がローマとヴァレンシアで行進し、数万人の人々がベルリン、ザクレブ、ブリュッセル、リスボン、ポルトで行進した。ラテン・アメリカでは、ブエノスアイレス、ポルトアレグレ、リオデジャネイロ、サンパウロ、サンティエゴ、ボゴタ、サンホセ、キト、メキシコシティ、リマ、モンテヴィデオで最大の占拠が繰り広げられた。

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10/16-現在:我々は主流派メディアの政治的言論を変える
 我々のメッセージの反響を認識し、政治的支配層は我々の運動を取り込もうとして、我々のスローガンを政治的利益のために使い始めた。10月16日にはオバマ大統領が、「99%のために働こう」と主張した。10月の最終週には、主流派メディアは選挙が始まる以前の5倍の頻度で「収入格差」に言及するようになった。11月10日には、あるメディア分析会社が「『占拠』がインターネット及び印刷物で最も使われる英語の単語になった」と発表した。タイム誌は「抗議者」を今年の人物に挙げた。2011年、我々は「総会(General Assembly)」を身近な言葉にした。


11/2:我々は1946年以来初めてのゼネストを敢行する
 Occupy Oakland がゼネストの一番槍を務め、オークランド港を封鎖した。十万人の人々が連帯してデモ行進した。翌日、機動隊が特殊閃光手榴弾と催涙ガスで攻撃した。100名以上が逮捕され、別のイラク退役軍人が重傷を負った。

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11/5:我々は銀行家たちの大切なもの――彼らの財布――を襲う
 「ウォール街を占拠せよ」は、大手銀行と金融機関に抗議するために、バンク・トランスファー・デイを支持した。六十万人以上の人々が、銀行から非営利の信用金庫に切り替えた。


11/9-22:正義のメッセージを共有するため数百マイルを歩く
 11月9日、オバマ大統領の1%への減税措置に抗議するため、占拠者たちの一団がリバティ広場を去り、ワシントンDCへと向かった。数週間後「ウォークパイアー(Walkupiers)」たちは、ワシントンDCに到着し、温かい歓迎と大きなメディアの扱いを受けた。

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11/15:リバティ広場の暴力的立ち退きをくぐり抜ける
 ブルームバーグ市長の私兵たちが我々の家郷を襲った。午前1時頃、警察は恐るべき力の誇示を開始した。真夜中に音響兵器であるサウンド・キャノンを使い、抗議者たちを警棒で血まみれにした。ジャーナリストたちは立ち入りを禁止された。人民図書館に寄付された5,000以上の本が、占拠者たちの私物と共に、むちゃくちゃにされた。その最中にニューヨーク市議会の議員が逮捕された。ワシントンDCの占拠者たちが、リバティ広場の「オーナー」であるブルックフィールド不動産の事務所前で座り込みを行った。その直後、シアトルの占拠者たちがペッパー・スプレーの襲撃を受け、ポートランド、バークレー、サンフランシスコ、セントルイス、ロサンジェルスで占拠関連で数百名が逮捕された。我々はそれらの間非暴力であり続けた。

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訳者コメント:
 2012年最初の翻訳。「ウォール街を占拠せよ」運動が、「革命の年」である2011年を自ら振り返る内容。文字数の制限のため2分割。続きはこちら

by BeneVerba | 2012-01-04 23:35 | 翻訳