翻訳:スラヴォイ・ジジェク - アルジャジーラ・インタビュー:今や領野は開かれた [2/2]
アルジャジーラ・インタビュー:今や領野は開かれた
The interview on Talk to Al Jazeera: Now the Field is Open
2011年10月29日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:
http://www.youtube.com/watch?v=6Qhk8az8K-Y
http://beneverba.exblog.jp/16539863/





 ――世界のどこかで左翼というコンセプトが、それを現実化しようとしている場所をご存知ですか?

 物事はゆっくりと起きつつあります。しかし、メディアは充分にそれらを報道していません。例えば、私はメディアのインドと中国の取り上げ方に驚いています。中国は悪い奴だ、誰もが悪い共産主義や検閲があることを知っている、チベットをテロで支配している、そういったことです。インドが時々とはいえ注目を浴びることをご存知でしょう。しかし、充分に報道されているとは言えません。

 自然にも貧しい毛沢東主義者が反乱を起こしています。大方の味方はこうです。「OK、インドは大きなパートナーだ。インドとはいえ仲間だ」。百万人以上が反乱軍なのです。とんでもないことが起こっています。インドの新興資本主義は炭鉱へのアクセスを確保するため部族地帯にまで拡大しようとしています。しかし、私たちはそれを見ていないのです。だからこそ、反乱がそこにあるのです。

 こうしたことは今ではヨーロッパですら起こっています。事態はとても深刻です。それは「ギリシアは負債を支払うかどうか」といった表面的なことではありません。それは基本的に可能性の一つに過ぎません。何よりも先ずヨーロッパでは――私はこの隠喩を引用するのが好きなのですがね、「女は何を望んでいるのか?」、ジグムント・フロイトがこの奇妙で純朴な質問を発した時、彼はそれなりの年齢でした。私が主張する今日の問題はこうです。「ヨーロッパは何を望んでいるのか?」。ヨーロッパは自ら決定することができないのです。一方ではテクノクラティックなブリュッセル的ヴィジョンがあります。私たちはグローバルな市場で競争するために自らを組織化しなければならないというものです。

 それから私たちには、ナショナリスティックで反移民的な運動があります。それが唯一のオルタナティブであるとしたら悲しいことです。私が思うに今の世界は本当のオルタナティブを追い求めているのです。私は、アングロ-サクソン的ネオリベラリズムと中国-シンガポール的資本主義――詩的に言うならばアジア的価値観の資本主義ですが、つまり権威主義的な資本主義です。それは今や西洋のリベラル資本主義よりも能率的なのです――の二つしか選択肢がない世界に住みたくはありません。だからこそ、何かがなされなければなりません。それがヨーロッパの悲劇の1番目です。

 2番目です。残念ながら私はヨーロッパについてとても悲観的です。どれほどヨーロッパが退歩していることか。一つの出来事を取り上げてみましょう。欧州連合が基本的にトルコの加盟を認めていないことはご存知でしょう。民主的ではないとか何かで。

 ――イスラム的だと。イスラム的過ぎると。

 そうです。しかし、あることをお話しさせてください。この夏にイスタンブールで大きなゲイ・パレードがあったことを、ご存知ですか?数万人のホモセクシャルがデモ行進しました。そして、揉め事など何もなかったのです!

 これがもし欧州連合に加盟している東欧のポスト共産主義国家だったら、どうでしょうか。例えば、最近に分裂した南クロアチアの都市だったら。ゲイ・パレードですよ。どのようなものになるか想像がつくでしょう。彼らをリンチしようとする1万人の地域の人々から2千人の警察官に守られた7百人のゲイたち、などといった光景です。

 私が言いたいのはつまり――友だちを挑発するために言うのですがね、これも私の挑発の一つです。「そう、私は右翼に賛成する。ヨーロッパの遺産、ユダヤ・キリスト教的な遺産は危機に瀕している。しかし、彼らイスラームや何やらに反対している偽のヨーロッパの擁護者たち、彼らこそが危機なのだ。私はヨーロッパのムスリムを恐れない。私が恐れるのはヨーロッパの擁護者たちだ」。ユダヤ人の友だちにさえ言っているのです。「気を付けるんだ!今何が起きているか気付いているか?」と。

 あのブレイヴィクについて気付いたことはありませんか?ノルウェイで銃乱射事件を起こしたあの男です。彼は今持ち上がっていることの明白な例です。それは文字通りパラドキシカルなものです。反ユダヤ主義のシオニストです。

 一方では、明らかに彼は反ユダヤ主義者でした。彼はこう言っています。「イギリスを除けば、西ヨーロッパはOKだ。そんなに多くのユダヤ人はいない。だからなんとかなる」。それからこうです。「イギリス、そして特にアメリカにはユダヤ人が多すぎる」。したがって、標準的な国民国家のヴィジョンはこういうものです。「もし無視できるほどならユダヤ人は問題ない。だが数が多すぎれば……」。

 そうであると同時に、彼は全くのところ親イスラエル、親シオニストです。おや、あなたは私が孤独な狂人だとお思いでしょう(笑)。しかし、私が思うに、これがアメリカのキリスト原理主義保守派の基本的な態度なのです。

 フォックス・ニュースのスキャンダルを覚えているでしょう。グレン・ベックです。彼は反ユダヤ主義発言のために解雇されました。しかし同時に彼は全くのところ親シオニストなのです。これは私にとって悪夢です。

 イスラエル国家の代議士たちは、自分たちが何をしているのか気付いているのでしょうか?彼らは基本的に自分たちの魂を悪魔に売ったのです。それはこういう意味です。彼らは西側の政治勢力と取引をしています。そして私に言わせればそれらの勢力は、本質的に反ユダヤ主義なのです。

 つまり、彼らが人種的なゲームをしても良いのなら、私たちにパレスティナ人と同じことをすることを許せ、ということです。私は本当にユダヤ人のことを心配しています。ユダヤ人は偉大な民族です。シオニストの政治は彼らを偏狭な自滅的国家に変えようとしています。

 中東の紛争における真の犠牲者は、このカタストロフィックな政治において、ユダヤ人自身となることでしょう。彼らは、そのユニークさと偉大さを失うことになるかもしれません。

 ――あなたはどのような点において、真の変革、革命的な変化のかすかな兆候を、世界のどこかに見て取っているのでしょうか?あなたは左翼は本当はそれら多くの問題に対するグローバルな治療法、もしくはグローバルなアプローチを持っていないと仰いましたね。何らかの変化の兆候をどこに見ているのですか?

 現在既に起こりつつあることが、控えめな楽観主義の理由になると思います。魔法のような解決法が突然現れるという奇跡を期待してはいけません。はじまりは私たちが直面している困難は、貪欲な悪人が引き起こしたものではなく、良いシステムが代わりになるというものではないと、人々が気付くことです。しかし、私たちは確かにシステムそれ自体を問わなければなりません。

 この気付きは興りつつあります。それがこの〔アメリカの〕抗議者たちが、ここにいる理由なのです。私が思うに、この段階で重要なのは、拙速な解決策を提供せず、むしろそれを壊すことなのです。私はそれを皮肉を込めて、「フクヤマのタブー」と呼んでいます。

 それはつまり、彼は馬鹿ではないということです。私たちは今やみなフクヤマ主義者なのです。ラディカルな左翼でさえもです。私たちは何が資本主義に取って代わることができるのか考えることができないし、今以上の社会的正義や女性の権利などを求める状況をシステムに組み込むこともできないのです。

 やがてこのより根本的な疑問を問うべき時がやってきます。システムはもはやその自明性、自立的な妥当性を失ったのです。そして今や領野は開かれたのです。これは重要な達成です。

 ――しかしもし領野が開かれたのなら、誰が真空を満たすのですか?誰か上から注ぐのですか?

 常にその危険はあります。私は全くあなたの言うことに同意します。1930年代のヨーロッパやその他で、一体誰が空白を埋めたのか忘れないようにしましょう。これにはそれ自身のリスクがつきまとうのです。しかし、にもかかわらず私たちはこの機会をつかまなければなりません。

 なぜならば、私たちは経済的な危機のような連続的な現象がある種の永続的な非常事態になるのを見ているからです。したがって、世界経済が何とか前進するにしろ、そうした現象に敏感にならなければならないと思います。

 しかしそこには――これは良いパラドクスです。ベルリンの壁は崩壊しましたが、新しい壁や分断があらゆる場所で勃興しているのです。ほとんどの国家において、富裕層と貧困層の間だけでなく、分断は強化されています。

 ラテン・アメリカを例として挙げましょう。ファヴェーラやスラムやその他の場所に住む人々は、単純に貧しいと言うだけではありません。それはもっとラディカルなものです。彼らは単に公共の空間や政治参加その他から閉め出されているのです。

 したがって、再び問題は私たちがリスクを引き受けるかどうかといったものではないのです。はじまりは私たちの行く先にあり、私たちはそれを課されているのです。「単に黙って行くべき道を行ったらどうなんだ?」と私に訊く人への答えはこうです。

 私は、もし私たちが何もしなければ、次第に新しい種類の――それは古いファシズムではありません。ここで特に明確にしておきましょう――新しいタイプの権威主義社会に近づいていくと主張します。世界において、私が歴史的重要性を見ているのが今日の中国で起きていることです。

 今までは、率直に言って、資本主義について一つの良い論点がありました。遅かれ早かれ、それは民主主義をもたらすのだというものです。韓国にしろチリにしろ独裁制を維持できるのは20年間程度だと。しかし、私が心配しているのは、アジア的価値観の資本主義、シンガポールと中国です。

 そこでは私たち西側の資本主義よりも能率的でダイナミックな――少なくともそう見えている――資本主義があるのです。しかし、私はリベラル派の友人たちの希望を共有していません。彼らはこう思っています。つまり「十年もすれば、天安門事件のようなことが起こる」と。それは違います。資本主義と民主主義の結婚は終わったのです。

 ――なるほど。それでは中国があなたが希望を見て取る良い例ではないとしたら、終了が近づいています、他に良い場所はあるのでしょうか?なぜならあなたは、これら全てについてのあなたの不平は、消費主義が野心と不満を駆動する力となっているというものですね。どこかあなたが栄誉を与えることができる場所はありますか?

 それもまた中国です。中国ですら市民社会を組織化することはできるのです。エコロジーや労働者の権利やそういったことで。私が思うに、特に中国ではこのことは時に西側の民主主義よりも重要なのかもしれません。

 低レベルの驚くべきことが、中国では起こっています。中国の爆発的な状況が示唆するものが何かおわかりでしょう。彼らの最新の追認議会を覚えていますか?

 誰もが彼らは防衛予算を倍にすると思っていた。いいえ、彼らは国内治安の予算を倍にしたのです。中国は今や軍隊よりも国内治安に歳費を費やす唯一の大国です。だからこそ、抗議があるのです。

 アラブの春の話をしましょう。なぜ私があれをそんなに好きなのかご存知でしょう?なぜなら西側にいる我々は――といっても私たちは他の奴らよりそんなにひどくはないか。私は普遍的なペシミストになっているのかもしれないな――自発的なレイシストなのです。わかりますか?決まり文句はこうだったのです。「ああ、アラブ人ね。人々を結集させようと思ったら、集まるのはレイシストや反ユダヤ主義者、それにナショナリストや宗教原理主義者だけさ。民主主義の始まりを告げる世俗的な運動なんて起こりっこないよ」。ところが、まさにそれが起こったのです!

 さて、ここからが大事なところです。その後何が起きるか。これはとても悲しいことです。私はそうならないよう祈ります。しかし、いくつかの兆候が悲しい方向を指し示しています。私はそうなってほしくはありませんが、ひょっとして最終的な結果は、ムスリム同胞団と軍部のねじくれた盟約になるかもしれません。

 もっと簡単な言い方で言えば、ムスリム同胞団はより強力なイデオロギー的役割を統制する学校を手に入れ、その交換として軍部は特権や腐敗などを維持するというものです。

 しかし、にもかかわらず出来事は起きつつあるのです。ヨーロッパに目を向けましょう。ヨーロッパでは人々は最初ギリシア人のことを馬鹿にしていました。「ああ、ギリシア、あの怠け者の原始的な地中海人たち」と。いいえ、スペインがあります、イギリスもです。更に広がることでしょう。あなたが仰ったように、これは重大なことです。

 闘いは、物事がそのまま続くか革命が起こるかではありません。なすべきことは、抗議運動のエネルギーを適切なものに作り替えようとするもっとも困難な闘いを戦うことです。ここアメリカでも大きな抗議運動のエネルギーがあります。しかし、今のところそれは、ヒップ・アーティストたちによって盗み取られているのです。

 彼らは自分たちの作品をどうやって形作っているのか気付いているのでしょうか?50年前の労働者の抗議運動のような格好をしたヒップ・アーティストたちです。彼らの曲を聴けば、おわかりでしょう。私はティー・パーティーを支持するあるポップ・シンガーの曲を聴きました。彼はこう言ったことを歌っていました。「俺たちは搾取されている普通の労働者。ワシントンとウォール街にいる悪漢たちが俺たちを搾取している」などと。

 そこにこそ闘争があるのです。それは困難な闘いです。私は何ら幻想を持っていません。そこにはいくつもの大きな危険があります。しかし、中国のことわざにこんなのがあります。「彼らが本当に君を憎む時、君は興味深い時代に突入する」。私たちは確かに興味深い時代へと近づいています。

 ――お話どうもありがとうございました。

 こちらこそ!どうもありがとうございました。



訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ」での演説「ウォール街を占拠せよ」に関するガーディアン紙の論考と関連するために、いずれ訳すことを目的に書き起こしていたジジェクのアルジャジーラでのインタービューをようやく翻訳。前半はこちら

 訳者の聞き取り能力の限界のせいで(ジジェクの独特の発音や、崩れた英語のせいもあるが、それよりも)、翻訳としては不充分なものになった。謝っておきます。すみません。訳している最中に書き取り自体の不正確な点にも気付いた。書き起こし共々至らない点があればご指摘いただきたい。そしていずれ見直したい。

 特に訳文の注意点を。論文名と受け取って『人類にとっての貨幣(Human to Money)』と訳した部分。インターネット上の書誌情報などを参照したが、このような文章をアーレントが発表したのかどうか、わからなかった。そのうち図書館にでも行って、調査してくるのでしばらくお待ちを。もし、アーレントに詳しい方がご指摘してくれたらありがたい。

 余りにも多くの論点を含むため、コメントは控えめにしたいが2点だけ。まずイデオロギーの問題。ジジェクは物事を見ないことがイデオロギーだと言っているが、同じような文脈において、「脱原発はイデオロギーではないが、反レイシズムや歴史修正主義はイデオロギーの問題だ」という人は、まさしく選択的に何を見るか決定している点で、イデオロギーにどっぷり浸かっている。ここには自然化したイデオロギーとでも呼びたい問題がある。

 次に、「アジア的価値観の資本主義」について。ひょっとしてここには没落する前の(あるいは今も?)日本を代入しても良いのかもしれないが、アジアに位置する我々とはややズレを感じる部分もある。そのズレた部分は私たちが自分で考えなければならないことなのだろう。それにしても今の中国に行き詰まりと希望を見るというヴィジョンは独特のもので興味深い。

by BeneVerba | 2012-02-04 12:00 | 翻訳