翻訳:ノーム・チョムスキー - 占拠運動が次になすべきことは?
占拠運動が次になすべきことは?
Noam Chomsky: What next for Occupy?
Noam Chomsky interviewed by Mikal Kamil and Ian Escuela
2012年04月30日 - ノーム・チョムスキー
原文:http://chomsky.info/interviews/20120530.htm


Q:チョムスキー教授、占拠運動は第二段階を迎えています。私たちの三つの主な目標は、1) 主流派を占拠して、テントから大衆の意識へと移行すること、2) 九九%の集会の自由と言論の自由を守り、暴力的な攻撃を避けて、運動を弾圧から守ること、そして、3) 企業の法人格を終わらせることです。これら三つの目標は、重なりつつ相互に関係しています。

 私たちがお訊きしたいのは、主流派による情報選別、人権に対する弾圧、カネと企業の役割に対するあなたの意見です。なぜなら、それらは占拠運動とアメリカの未来に関連しているからです。


A:占拠運動に関する報道は、混乱しています。当初それは拒否的で、まるでお遊びをしている馬鹿な子どもたちであるかのように、参加者たちを笑いものにするものでした。しかし、その後報道姿勢は変化しました。実際に、占拠運動のもっとも顕著でめざましい成功の一つは、多くの問題に関して議論の全体的枠組みを全く変えたことです。知られているはずなのに、余白に追いやられ、隠されていた事柄が、今では前面へと出てきました。実際に人口の一%という少数に、富が集中したことを原因とする、九九%と一%のイメージ、過去三〇年間で格差が劇的に拡大した事実などです。

 多数派にとって、実質収入は相当に停滞したものであるか、時には減少しています。給付金もまた減少しており、労働時間は長くなっています。第三世界的な窮状ではありませんが、豊かな社会、世界でもっとも豊かな国家に、ふさわしい状態でもありません。実際、人々が見て取れるように、多くの富がそこら中にあるのですが、ただ私たちのポケットにはないのです。

 これらの問題の全てが、今では前面化しています。今では、ほとんど標準的な議論の枠組みとなったと言っても、過言ではありません。占拠運動の用語法さえ、受け入れられています。これは大きな移行です。

 この月の初め頃、ピュー基金が、人々が、アメリカの生活において、何がもっとも大きな緊張と衝突の源だと考えているかを調査する、例年行われている世論調査の一つを発表しました。これまでで初めて、収入格差に対する関心がトップに躍り出ました。この調査は収入格差そのものを測定するものではなく、この問題に関する一般大衆の認知、受容、理解の程度が上昇したことを示すものです。これは占拠運動の貢献によるものです。現代生活における著しく重要な事実を議題に乗せて、個人的な経験からはこの事実を知らないかもしれない人々が、自分たちが一人ではなく、みんながそうだということを示したのです。実際に、アメリカはこの問題に関心を寄せる傾向にあります。史上前例がないほどに、格差が拡大しています。この報告の言葉によればこうです。「『ウォール街を占拠せよ』運動は、もはやウォール街を占拠していない。しかし、階級対立の問題が、全国的な意識のますます大きな割合を占めるようになっている。二〇四八人の成人を対象とした、ピュー調査センターの新しい調査によると、一般大衆の三分の二(六六%)が、富裕層と貧困層に、「非常に強い」もしくは「強い」対立があると考えている。これは二〇〇九年に比べて一九%の増加である」。

 一方で、占拠運動自体に関する報道は、多様なものです。いくつかのメディアにおいて――例えば経済誌の一部で――は、時々それなりに同調的な報道がなされています。もちろん、一般的な図式としては、「やつらはなんで家に帰って、私たちが仕事に取りかかれるようにしないんだ?」「政治的プログラムはどこだ?」「どうやって彼らは、どういう風に物事を変えるかという主流派の枠組みに合わせるのか?」などといったものですが。

 それから弾圧がやって来ましたが、これはもちろん不可避なものでした。これが全国的に協調した動きであることは明白です。それらのいくつかは暴力的で、その他はそれ程でもありませんでしたが、対立は続いています。いくつかの占拠地は、事実上排除されました。別の場所では、異なる形態で巻き返しています。それらのいくつかは報道されました。ペッパー・スプレーの使用などです。ですが、ほとんどは、またもや、ただの「なんでやつらは立ち去って、私たちを放っておかないんだ」といったものです。それは予想通りです。

 それらにどう対応するかという問題、それへの主要な取り組みは、あなた方が指摘した点の一つです。すなわち、比喩的な意味で、占拠の全面化へと至ることです。人口のより幅広い層を参入させることです。占拠運動の目的と目標に対して、大きな共感があります。それらは実際世論調査にもはっきりと現れています。しかし、人々を参加させるには、大きな努力が必要です。それには人々の生活の一部となることです。人々が自分にも何かができると思える何かになることです。ですから、人々が実際に生活している場へと出かけていくことが必要です。それはメッセージを送るという意味ではなく、もし可能ならば、そして難しいことでしょうが、この運動が真に達成したものの一つであるにもかかわらず、メディアでは充分に議論されていない――少なくとも、私は見たことがありません――ものを、広めるとともに、深化させようとすることです。それは、この運動の主要な達成の一つである、共同体を作ろうとする試みのことです。相互扶助、民主的な交流、お互いへの配慮などに基づいた、実際に機能する共同体です。これは非常に意義のあることです。特に私たちの社会のような、人々が孤立しがちで、近隣社会が壊れ、共同体が壊れ、人々が孤独に陥っている社会ではそうです。

 それを植え付けるためには、多大な努力を必要とするあるイデオロギーがあります。あまりにも非人間的であるために、人々の意識に注入するのが困難なイデオロギーです。それは、自分のことだけを気にかけて、他のあらゆる人々のことは忘れてしまえというイデオロギーです。その極端な例は、アイン・ランドです。実際のところ、文字通り一五〇年間に渡って、こうした思考法を人々に強制するための努力が行われてきたのです。

 一九世紀中葉、産業革命の初期に、東部マサチューセッツで、労働者の運営による非常に活動的な新聞が出現しました。工場で働く若い女性や、製作所の熟練工などによってです。彼ら自身が所有する新聞は、非常に興味深いもので、広く読まれるとともに、大きな支持がありました。そして、彼らは、産業システムが彼らから自由を取り上げ、硬直した階層的な構造を課していることを、辛辣に非難しました。彼らの主な苦情の一つは、彼らが「時代の新しい精神:利益以外の全てを忘れて、富を追求すること」と呼ぶものでした。一五〇年間にわたり、この「時代の新しい精神」を人々に強制するための尽力がなされてきたのです。しかし、それがあまりにも非人間的であるために、多くの反乱が起きました。そして、それは今も継続中なのです。

 私が思うに、占拠運動が真に達成したものの一つは、非常に目立つやり方で、この「時代の新しい精神」への拒否を発現させたことです。占拠運動に参加している人々は、自分たちのために参加しているのではありません。お互いのために、より幅広い社会のために、未来の世代のために参加しているのです。結束とつながりが形成されつつあり、もし、それらを維持することができ、より広い共同体に発展させることができるなら、時に暴力的な形を取るであろう不可避の弾圧に対して、真の防衛となることでしょう。


Q:それらに携わるには、占拠運動はどうするのが最善だと、どのような手法を採用すべきだとお考えですか?また、運動の拠点を分散化するために、実際の場所を持つことに、慎重であるべきだと思いますか?


A:公共の場所でもそうでなくとも、実際の場所を持つことは、確かに意味のあることです。それらがどの程度そうであるべきなのかは、状況の詳細な検討、支持の度合い、反対の度合いに基づいてなされるべき一種の戦術的な判断です。異なる場所で異なる判断が必要でしょう。私には、一般的な言明はわかりません。

 方法に関して言えば、この国の人々は問題と懸念を抱えており、それらの問題と懸念が、彼らを支持し、彼らから支持される人々による、より広い運動の一部だと感じるようになれば、そう、それは軌道に乗るでしょう。それをするのに、唯一の方法があるわけではありません。一つの答えはないのです。

 おそらくは近所を訪ねて、人々の懸念が何であるかを、知らなければならないでしょう。それは、子どもたちが学校へ行く途中で渡る交差点に、信号機が欲しいといった単純な問題かもしれませんし、差し押さえで人々が家から放り出されるのを、防ぎたいといったことかもしれません。

 もしくは、共同体を基盤とする企業を発展させることかもしれません。それは全く考えられないことではありません。どこか遠くの多国籍企業と銀行家からなる取締役会が、生産拠点をどこかに移すのを防ぐことのできる、労働者と地域社会が所有し管理する企業です。それらはいつでも起きている本物の、生きた問題です。そして、可能なことなのです。実際、散発的なやり方でそうしたことは起きています。

 警察の暴力や市政の腐敗といった、その他の全てに対処することも可能です。メディアを共同体に根ざしたものに再構築することも、全く可能です。人々が、共同体、エスニック、労働者などの集団に基盤を置いたメディアを持つことは可能なことです。それらの全てはなすことができます。そうしたことは、人々の労働を必要とし、人々を結びつけることができます。

 実際に、私は様々な場所で、その後追求されるべきモデルとなれる、そうした事例がなされるのを目撃しました。一つ例を挙げましょう。私は、数年前にブラジルに行き、ルラ元大統領と時間を過ごす機会がありました。といっても、当時は、彼が大統領に選ばれる以前のことです。彼は、労働問題の活動家でした。私たちは、あちこちを訪ねました。ある日、彼は私をリオの郊外へと連れ出しました。ブラジルの郊外は、もっとも貧しい人々が住む地域です。

 そこは亜熱帯気候で、その晩ルラは、多くの人たちが広場に集まっているところに、私を案内しました。午後九時頃、ゴールデン・アワーの時間です、メディアの専門家からなる少数の集団が、街からやって来て、広場の中央にトラックを設営しました。そのトラックは上にTV画面が載せてあり、その地域の人々によって演じられる寸劇や芝居を、それが映し出しました。そのうちのいくつかはただ楽しみのためのものでしたが、その他のものは、負債やエイズといった深刻な問題を取り扱っていました。広場に人々が集まるにつれ、役者たちがマイクを持って歩き回り、人々に映し出された劇へのコメントを求めました。それらは録画され、他の人々が見られるように、画面に映し出されました。

 近くの小さなバーに座っていた人々や、通りを歩いていた人々が反応し始め、それらの人々の間で、すぐに極めて深刻な問題、彼らの生活の一部である問題に関する、興味深い交流と議論が起こりました。

 もしそうしたことが貧しいブラジルのスラムで可能ならば、間違いなくその他の多くの場所でも可能です。私は、まさにそれをやるべきだと言っているのではありませんが、そうしたことが幅広い層を参入させ、人々に対して、ふさわしい需要が何であれ、共同体の形成と深刻なプログラムの発展に加わっているのだと、感じる理由を与えるために可能なことなのです。

 非常に簡単な事柄から、労働者と共同体が運営する企業による新しい社会的経済的システムを始めることまで、あらゆることが可能です。より積極的な大衆からの支持があれば、弾圧と暴力に対してより望ましい防衛が可能になります。


Q:占拠運動を利用することに関して、民主党の目標をどのように評価なさいますか?また、私たちが、用心し、気を付けなければならないことはなんでしょうか?


A:共和党について言えば、何年も前に、政党のふりをすることさえ放棄しています。彼らが打ち込んでいるのは、画一的かつ相当な熱意で、ごく少数の権力と利益に奉仕することであり、もはや政党であるとはほとんど言えません。彼らには、まるで古い時代の共産党のカリカチュアのような、想定問答集があります。彼らは、有権者から一票を獲得するために何かをしなければならないのですが、もちろんそれを――このイメージを用いるならば――一%から得ることはできません。なので、彼らは、いつでも存在しているが、政治的にはまとまっていない人口の各層を結集しようとします。キリスト教の宗教的熱狂主義、権利と国家が奪われているとする排外主義などを利用してです。

 民主党は、少しだけ共和党と異なっており、異なる有権者を抱えていますが、彼らも共和党と全く同じ道をたどっています。実質的に党を運営している今日の民主党中道派は、全く一世代前の共和党穏健派であり、彼らが今現在ある種の民主党主流派なのです。彼らは、自分たちの利益に基づいて、有権者をまとめ上げ、結集しようと――この表現がお望みなら、利用しようと――するでしょう。彼らは、全く白人労働者階級を見捨ててしまいました。それははっきりと見て取れます。なので、それらの人々は、かろうじて民主党の抱える選挙民の一部であるだけです。これは悲しい発展です。民主党は、ヒスパニック、黒人、進歩派を結集しようとするでしょうし、占拠運動にも手を伸ばすでしょう。

 組織化された労働者たちは、依然として民主党の選挙民であり、他の全ての集団と全く同様に、民主党は彼らを利用しようとするでしょう。政治的リーダーシップは、人々の頭を撫でてこう言うのです。「私は、あなた方のために働く。だから、私のために投票してほしい」と。占拠運動の参加者たちが理解しなければならないのは、彼らはあなた方のために何かするかもしれませんが、それは選ばれたリーダーシップに対して、何かをするように実質的な圧力を維持できた場合に限るということです。しかし、ごくまれな例外を除けば、彼らが独力でそれをすることはありません。

 カネと政治に関する限り、偉大なる金融家マーク・ハンナの言葉を打ち負かすのは困難です。約一世紀前、彼は政治において何が重要かを訪ねられ、こう答えたのです。「一番はカネだ。二番目もカネだ。三番目が何かは忘れた」。

 それは一世紀前のことですが、現在ではさらに極端になっています。集中化した富は、当然にも、その富と権力を、可能な限り政治システムを乗っ取り、運営し、望み通りのことをやらせるのに使うでしょう。一般大衆は、それに抗う方法を見つけなければなりません。

 数世紀前に、デイヴィッド・ヒュームのような政治理論家たちは、政府の基礎付けの一つとして、権力は統治する者ではなく、統治される者の手にあることを正確に指摘しました。これはまさしく封建社会、軍事国家、議会制民主主義にとって真実でした。権力は、統治される者の手にあるのです。支配者がそれに打ち勝つには、世論と意見をコントロールすることによってのみ可能です。

 一八世紀中葉において、ヒュームは正しかった。そして、彼の言ったことは、現在でも真実であり続けています。権力は、全民衆の手にあるのです。現在では、より少ない人々が、それをコントロールしようとする多大な努力があります。なぜなら、多くの権利が勝ち取られて来たからです。現在の方法は、プロパガンダであり、消費主義であり、エスニックな憎悪をかき立てることであり、あらゆる方法が採用されています。もちろん、それは今後も続くでしょうし、私たちはそれに抵抗する術を見つけるべきです。

 その人物があなたの望むことをやる限り、特定の立候補者に仮初めの支持を与えることは、何も間違ったことではありません。しかし、もし多大な努力なしに彼らをリコールできれば、より民主的な社会となるでしょう。他にも立候補者に圧力をかける方法はあるでしょう。そうしたことをやるのと、利用されること、誰か他の人物の利益に仕えるために結集されることの間には、細い一線があります。しかし、それらはなされるべき不断の判断と選択によるのです。



訳者コメント:
 例外はあるだろうが、論理的な人の文章ほど、読みやすく訳しやすいと思っている。実際、英文記事より、(それほど読むわけではないが)学者の書いた本の方がわかり易かったりする。その点チョムスキーの文章は、その多くが彼のスピーチに基づいているせいもあるだろうが、把握し易い。

 このインタビューは、今年4月末日に発表されたもので、彼の著書『オキュパイ』にも収録されており、そこからの抜粋であるとのこと。興味深く読んだのは、後半三分の一ほどで、共和党も民主党も政党としての(つまり有権者を代表するという)役割を放棄したと語る部分だ。

 たまたま、チョムスキーの『現代世界で起こったこと』を再読する機会があったが、そこで彼がレーガン元大統領について述べているのは、いかにアメリカ大統領が、実際の権力者たち(資本あるいは企業と言ってもいい)の傀儡と化したかということだった。彼によれば、こうした事態はアメリカ史上初めてのことではないかと言う。

 もちろんこれは、その後登場したブッシュ・ジュニアについて、はるかに良く当てはまる。現在の日本では、こうした例は、橋下大阪市長や野田首相に見られる。それ程注意深い観察者でなくとも、彼らに政治的信念がなく、実際の権力のエージェントとして機能していることが、見て取れるだろう。新自由主義とは、おそらく政治的には民主主義の限りなき空洞化である。

by BeneVerba | 2012-06-07 20:41 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
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