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原子力発電とは何だろうか?何が原発を支えているのだろうか?この問いは複数の問題に関わっている。以下に書き記すことは、脱原発を成し遂げるための条件について、私的な考察をメモ的に書き留めたものであり、それらの全てを網羅するものではない。
原発は多重的な差別構造によって支えられている。被曝労働によって原発は成り立っている。そして、都市と「地方」の非対称的な差別構造によって、原発は支えられている。こうした点については、鎌田慧氏や小出裕章氏が指摘し続けている。先日一一月九日には「被ばく労働を考えるネットワーク」が設立された。 また、原発とは、何よりも核兵器保有能力を担保するものである。原発を推進する権力側が、自ら何度もそうした言葉を口にしている。つまり原発は安全保障の問題、というよりは戦争と平和の問題に関わっている。原発は一国だけの問題ではありえない。私は以前から、日本一国だけの脱原発が果たして可能かどうか強く疑っている。 また、日本国と原発メーカーは、三・一一を経てもなお原発を外国に輸出しようとしている。それは帝国主義の問題であり、植民地主義の問題である。昨日一〇日には、「原発体制と原発メーカーの責任」と題された「No Nukes Asia Actions(NNAA)」の特別講演会が行われ、原発輸出の問題が論じられた。 その講演において、ジャーナリストの鈴木真奈美氏が、次のようなことを指摘していた。原発の輸出もまた国際的な協力体制のもとに推進されているのであり、結局それは核保有国の優位を確保するためのものだという。NNAAはそれを「原発体制(nuke world order)」と呼んでいるようだ。 「原発体制」とは当然にも「核体制」のことだ。おそらくこの二つを同じものとして考えない限り、なぜ三・一一が起きたにもかかわらず、原子力発電が止められないのかわからないだろう。 だが、単に「原発は危険だから停めるべきだ」――もちろんそれは間違った考えではない――と考えている人は多い。率直に言って、脱原発派を自認する人々のほとんどがそうだと思う。 三・一一原発震災から一年半以上が過ぎた。日本はなぜ、例えばドイツのように、少なくとも短期間には原発から脱却できなかったのだろうか? 今年の夏から私は、なぜ三・一一が起きたのかだけではなく、なぜ脱原発運動が国民運動化したのかという問題とともに、この問題を考えなければならないと思っている。おそらく日本には、すぐには原発から脱却できない条件があるのだろう。そして、どうやらその全ては明らかになっていないようだ。 昨年に高橋源一郎『恋する原発』について書いた時に、私は「三・一一体験」という言葉を用いて、三・一一という出来事は私たちにその意味を考えることを強いている、と述べた。NNAAの原発輸出反対活動や被ばく労働を考えるネットワークの設立を見ると、震災から一年半以上がたってようやく原発への対抗運動が質的に広がり始めたと感じる。 私もまた、脱原発を成し遂げるための条件を明らかにしつつ行動するために、こうした複数の問題について考えていきたい。
by BeneVerba
| 2012-11-11 02:40
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