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在特会と、いゆわる「カウンター」をめぐって、二つの共犯関係がある。
二〇一三年から始まった在特会への「カウンター」、あるいは「反差別運動」はしくまれた悪だった。私は、それを「ないよりもましといったものではなく、考えられる中でも最悪のもの」「反差別運動はこれによって殺された」と考えており、その旨表明してきた。レイシストが堂々と行う「反レイシズム運動」もどきが幅を利かせる状況を、他にどう表現しうるというのだろう? それらの運動を始めた人々は、「反差別運動」を始める以前から、反原発運動において帝国主義と植民支配のシンボルである日の丸を容認したり、右翼と組んだりしており、ツイッターなどにおいても、差別暴言は日常茶飯事だった。つまり、彼らはレイシストであり、差別者だった。 彼らが「カウンター」を始めたときに、多くの人々が、自分たちへの批判をかわすために、偽物の「反差別運動」始めたのだろうと考えた。だからこそ「レイシストが反レイシズムだって?」と言われたのだった。 そうした人々が、在特会への「カウンター」を始めことで、それ以前から、彼らから暴力を受け、告発を使用としていた人々は、告発する口を塞がれる形になった。たとえば、テレビや新聞のみで彼らの活動を知った人が、「なぜこの人が差別者なのか?」と言い出す事例はよくあることだ。そういう人は、彼らの以前からのインターネット上での活動を知らないのだ。 そこに第一の共犯関係がある。それは「カウンター」とマスメディアの共犯関係だ。そこで言いたいのは、そもそも「カウンター」をはじめたのは彼らではなく、以前から「カウンター」は行われていたと言うことだ。マスメディアは「カウンター」が骨抜きにされ、安全なものにされてから、採り上げるようになったのだ。ジジェク流に言うのなら、それはカフェイン抜きのコーヒーだ。 在特会はいくら極端であっても、日本社会の本流から外れているものではない。むしろ、日本社会でこれまで許されてきた差別を凝縮したものが、在特会だ。在特会を異質なものとして切り離す態度は、「在特会を非難する自分」と「日本社会では異質な在特会」を分離する点で有害だ。 私が、自称「カウンター」を「考えられる中でも最悪のもの」とする理由の一つもそこにある。在特会という、まごうかたなきレイシズムに言い訳は無用である。彼らは、一面では、「在日特権」やら何やらを攻撃していたかもしれないが、もう一面では、日本社会の醜悪さを表現していた。「カウンター」は、まともに在特会に批判するのではなく、在特会が示していたような日本社会の醜悪さをふさぐ形で登場した。 「在特会」を問うのであれば、在特会を成り立たしめている日本社会や、その制度を問うところまでゆくのは当たり前のことだ。そうした観点から見るのならば、単に在特会のデモに「カウンター」だけすればというものではない。そうではなく、「在特会」は「あなたがこれまで許してきた日本社会のあり方」が、極端な形態をとったものなのだ。それは「社会における自分のあり方」と「日本社会のあり方」を見つめ直すことなしにありえない。それこそが「カウンター」に欠けているものなのだ。 マスメディアの共犯関係において、悪しきことがもう一つある。それは、「カウンター」を善きものとして採り上げることで、「カウンター」や「カウンター」主導者がこれまで行ってきた差別が、告発を無力化されるということだ。 野間易通のような人物は、何年も前からのレイシストであり、私はその差別暴言の被害者の一人である。さらに、私は、日の丸とともに歩かされるという屈辱を味わったのだが、それは野間がコアメンバーを務める、金曜官邸前講義に始まった習慣である。 在特会のような行動保守を批判する際に、特にヘイトスピーチが問題化されたが、野間やその他の「カウンター」メンバーの差別暴言は野放しである。言葉が暴力であるというのならば、実際その通りなのだが、これらも問題とすべきである。 また、野間らは、「公開処刑」宣言や、学習会の無断録音とアップロード、東京大行進でのヘイトスピーチに反対する会の暴力的排除など、その逸脱した振る舞いには枚挙がない。また、男組・我道会まで含めると、在特会と一緒にデモ隊を襲撃しているのである。 インターネット上などで、差別暴言を日常的に行っている者を、「反差別運動の旗手」のように取り扱うのは、差別の二次加害であり、これまでそのような報道をしてきたメディア、今もしているメディアは差別に荷担していると言うべきである。 第二の共犯関係は、「カウンター」とマイノリティの共犯関係である。 そもそも私は不思議でならない。 統一戦線義勇軍の針谷大輔というクズは、日本軍性奴隷制度を否定し、朝鮮学校を「チョン校」よばわりまでしている。一水会ブログは、「原発技術なんか、朝鮮人にくれてやれ」「穢れた技術は、穢れた民族にこそ相応しい」と書いた(なお、この件については、鈴木邦男が謝罪したが、完全に的外れな謝罪だった)。 日本軍性奴隷制度の否定は、第一義的には、制度被害者への差別だが、朝鮮民族に対する民族差別でもある。日の丸は、植民主義と帝国主義のシンボルである。そして、何よりも、未だに反原発運動の現場に日の丸を持ち込む人間がいる。 そのような状況において、針谷大輔やその他を受け入れてきた人物たちが、自らも差別暴言を使ってきた人物たちが、在特会に反対して見せたからといって、先に触れたような一水会や針谷の差別とその許容を忘れて、「カウンター」を称える在日朝鮮民族がいることだ。 あなたがたは、奴隷なのか?日本軍性奴隷制度を否定されたり、「チョン校」と呼ばれても平気でいられるほどの?さらに彼らは、たとえば「カウンター」の主導者が批判者の朝鮮民族に差別暴言を吐いても、見て見ぬふりをしたり、さらには自らが他の朝鮮民族に差別発言をなしたりする。 一つめの共犯が「カウンター」とマスメディアの共犯だとしたら、もう一つの共犯は「カウンター」とマイノリティの共犯である。それは「マイノリティ」が協力することによって「カウンター」の正当性が保障され、「カウンター」の差別性は見て見ぬふりされるという構造を持っている。もちろん、これは第一の共犯と別個の問題ではない。 言うまでもなく、反レイシズム、ないし反差別とは、これらも含めて批判する立場を言うのである。 *深夜に二つのエントリを続けてアップロードしました。「民族差別の二次加害を働く『ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会』」もご覧下さい。
by BeneVerba
| 2014-06-27 06:31
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