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私が大月書店から、『ウォール街を占拠せよーーはじまりの物語』の翻訳を打診されたちょうどその頃、私は、あまりにも長い抑鬱状態から回復しようとしていたところだった。私の病状をなんと説明したものだろう?おそらく、それを語るにはまた別の文章を書くべきなのだろう。
私の場合病状が悪化すると、まるであらゆるエネルギーを使い果たしたように、いわば「電池切れ」の状態になる。「exhausted」になる。簡単に述べるなら、そうだ。それは文字通りの生き地獄である。それが何年も続く。 私が病に冒されるようになったのは、ちょうど思春期に入ろうとしていた頃だった。小学生の高学年の時に、何か「妙な感覚」がしたのを覚えている。ただし、それがその後の本格的な症状と関係あるかどうかまではわからない。それゆえに、私には思春期がない。病に覆い尽くされてしまっているからだ。 高校生活は悲惨そのものだった。後半は、ほとんど学校にも行かなかったが、当時の担任の先生の助力もあって、なんとか卒業できたようなものだった。 高校の卒業式に出席し、通学鞄を部屋の片隅に投げ捨てたあと、私は「電池が切れた」。そのまま最低限の社会生活を送ることもできなくなったのだ。 部屋の片隅の通学鞄は、一〇数年以上同じ場所にあった。 事態が突然好転したのは、二〇一〇年の冬から春にかけてである。それにもちょっとしたエピソードがあるのだが、別の機会に譲ることにしよう。 ある程度動けるようになった私は、自分がどのくらい回復したのか試すつもりで、とりあえず語学の勉強をはじめ、資格試験をうけてみることにした。それなりに悪くない結果を得て、自信を深めた私は、さらなる社会復帰の道のりを目指そうとした。 明くる二〇一一年になって、ご存じのように東日本大震災と福岡第一原発の事故が起きる。私は、原子力発電に反対するために、福岡で最初に開かれた最初の一回か、二回のデモに参加した(これは福岡サウンドデモ裁判として争われたデモでもあった)。後から知り合う人たちも、九州電力本社前で抗議などしていたという。 当時の福岡のデモの雰囲気は、危機の中にも希望がある、そういう感じだった。おそらく、みな事故の危機感を共有していたと思うが、同時に混沌とした活力のあるデモでもあった。東京の悪いところを真似して、日の丸を持ってくるような馬鹿はまだいなかった。ただし、その混沌とした可能性の中に危険性も潜んでいたかもしれない。 私は都合が付く限り、反原発運動に参加しながら、資格などの勉強を続けていた。そして、同じ二〇一一年の九月には、「ウォール街を占拠せよ」として知られることになる抗議運動が、ニューヨークで起きる。 「はじまりの物語」訳者後書きでも書いたとおり、それに何よりこのブログを遡ればわかるとおり、私がこの運動の文書を翻訳するようになったのは、全くの偶然からである。 ナオミ・クラインの印象的なスピーチが、インターネットを通じて流れてきたのだが、誰も翻訳している人がいなかった。そこで、私はその週の日曜日を使ってそれを翻訳したのだった。もし、彼女のスピーチの上手な翻訳を、それまでに誰かが発表していれば、私が翻訳しようなどとは思わなかっただろう。 翌年二〇一二年になって、大月書店から本を一冊訳してみないかと打診があった。無名の私が本を訳せると言っても、すぐにその話に飛びついたりはしなかった。私の社会復帰とどちらを優先すべきか迷った。場合によっては、大月書店からの打診を断り、何かもっと別のことに時間を割いた方が良かったかもしれなかった。 結局、サイトを運営する宣伝にもなるかとも思い、引き受けることにした。重い決断だった。ひきうけた以上は、二冊目のオファーがあるかどうかもわからないのだから、精一杯この一冊に力を込めようと思った。 打診に対して、私は、自分の身の上について率直に明らかにしたメールを送った。病や経歴も含めてだ。これは私の性分なのだろうが、私は人から知られていないことを好む。大月書店とは、できるだけ匿名性の高い形で接触しようとしていた(結局それは不可能だとわかったが)。 私にとって好ましいのは、「私のことが知られている」ことではなく、「(私のことは知らないが)私のした仕事は知られている」状態である。だが、大月書店との係争によって、私は自分のアイデンティティを公表せざるを得なくなってしまったのは、非常に残念なことである。 翻訳作業の中のやりとりで、大月書店の編集者岩下結は、私のルーツに対してある程度の理解を示していた。同書に「POCcupy (People of Color Occupy Wall Street Too!)」という占拠運動内のマイノリティ・グループを中心とした章があるのだが、岩下は次のようなメールを私によこしている。
私にとって、岩下が反原発運動内の右翼的傾向を控えるように、脅しをかけてきたのは、青天の霹靂だった。上の引用が示唆するように、岩下は、私のルーツも思想信条のことも知った上で、そのようなことを言ってきたのである。 言うことを聞かないと、交渉中の翻訳契約は反故にする、というのは脅しでなくて何であろう。 二〇一〇年の回復期から、一転、大月書店との間に係争を抱えることによって、私の体調は悪化の一途をたどっていた。特に、昨年の秋から年末・年始にかけては、ほとんど言っていいほど動けない状態が続いた。「電池切れ」「exhausted」になったのだ。だが、それも徐々にではあるが回復しつつあるようだ。 あくまで個人的な経験から言うと、差別を受けたときには、立ち止まって戦うか、やり過ごすかだ。どうやら戦って前進することはできないらしい。戦うには、それまでやっていたことを中断するしかない。立ち止まるしかない。 大月書店とのやりとりは、私の回復に大きな損傷を与えたし、今も与え続けている。差別の被害をそれ以上を受けたくないときなどに、個人の選択としてやり過ごすことも決して否定はしない。だが、私は傷付きながらも戦うことを選んだ。
by BeneVerba
| 2016-01-24 07:39
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