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私は朝鮮(言うまでもなく当時朝鮮は南北に分裂していなかった)のルーツをひく日本国籍者である。父の代に一家は韓国国籍を取得(帰化という言葉は使いたくない)し、祖父の世代が在日一世、父親の世代は在日二世、私の世代では日本国籍を持つ在日三世ということになった。私の中には朝鮮人としての意識と日本人としての意識の両方があり、どちらかを捨てられるものではない。どちらも私のアイデンティティの一部である。
余談ながらこういうアイデンティティの公開こそ、実は私が避けたいと思っていたことの一つだ。朝鮮にルーツを持つことを恥じるゆえではない。その事実は物心付いて以来自分の中にあった。私は、私については誰も知らないが、私の仕事については人に知られているというそんな存在になりたかったのだ。 私の一族には、在日ゼロ世とも言うべき祖父の母がいた。私のひい祖母である。祖父とひい祖母は間違いなく朝鮮語で会話できたはずだが、そのような場面を見たことがない。その理由はわからない。年齢差がらして私が幼い時分に、ひい祖母は相当な年だったはずで、私は彼女に不気味なものを感じるとともに親しみも感じていた。祖父もひい祖母も私には優しくしてくれた。今でも悔やまれるのは、祖父から一族の歴史を聞けなかったことだ。精神的な「病」で動けず、仕方なかったこととは言え、悔やんでも悔やみきれない。 在日朝鮮人は日本の帝国主義政策によって、日本に居住を強いられた存在である。それを強いた日本の帝国主義のシンボルである日の丸・旭日旗は、在日朝鮮人にとって受け入れがたい。たとえ日の丸を受け入れるという在日朝鮮人がいても、日本が与えた加害の歴史は動かせない。そしてそのシンボルは表面的な反省とともに戦後にも引き継がれた。「日の丸を受け入れる朝鮮人と受け入れない朝鮮人がいる」などとは言えないのは、日本に絶対的な加害性があるがらだ。それが日本の帝国主義の被害者にとっての日の丸の歴史性である。 だが加害者側である日本人にとっては、戦前と戦後のー慣性よりも断絶が強調されることが多いようだ。そこに奇妙なロンダリング作用があるのかも知れない。天皇制と同じく敗戦で日の丸の責任はチャラにされたとする考えだ。だからこそ呑気に日の丸を振れるのだろう。そういう気分は自分の中にもあると感じる。「今の天皇はリベラルだし、日の丸はただの記号」というわけだ。だが、私のもう一つのエスニシティが否と応える。日本人はそうした操作を半ば無意識的に、半ば意図的にやっていると思う。言い換えればそれは自己欺瞞なのだ。被害者は忘れようにも忘れられず、加害者は忘れることができるという特権的な位置を利用したものなのだ。加害者側は都合の悪い歴史を忘れて、しかも罪の意識なく歴史を捏造し、「リベラル」の振りをすることができるのである。 この日の丸(あるいは天皇性)無責任論とでもいう考えは、一部の在日朝鮮人にも共有されていると思う。だが、それは戦前と戦後の歴史性を見ず、帝国主義の払拭されていない現在の日本と共存するものでしかないと思う。「天皇制や日の丸をみとめても良いではないか」という考え方だ。しかし、日の丸とはアジアやその他で、戦争によって人の尊厳が貶められ、殺されていた時にはためいていた旗なのだ。その実実をを消し去ってはいけない。それどころか、世代を超えて伝えて行く義務がある。 また新しい日の丸の使い方をすることで新しい意味を付与すればいいなどという馬鹿げた意見が見られたことがある。確かにあるものの意味は使われ方によって決まる。しかし、これも被害者の見る歴史性からすれば、既に殺戮の旗として使われたことがあることを忘却する愚論である。日の丸には帝国主義と侵略の旗という以上の意味は見出せない。 大月書店は、私に日の丸批判や日の丸を受け入れている反原発運動批判を控えるように言った。私が個人的に日の丸を嫌っているのではなく、歴史的な経緯があった日の丸が忌避されているのであるにもかかわらず。大月書店は、その点を十分理解しなかったように見える。「たかだが日の丸ごときで」と思ったのかもしれない。私が日の丸を拒否するときには、帝国主義に抗う在日朝鮮人としてのアイデンティティと、思想信条に基づくアイデンティティの下に拒否するのである。 アイデンティティはその個人にとって不可分のものであるから、中断もしくは中止するわけにはいかない。あくまで日の丸を拒否し続け、ひいては帝国主義を拒否し続けることが私のアイデンティティだ。大月書店が、真に日本の侵略戦争を反省し、在日朝鮮人のことを考えていたらあのような要求はしなかったはずだ。それにしても日の丸批判を控えるように言う「左翼出版社」とは何だろうか?(そして大月書店にとって首都圏反原発連合とはなんだろうか?) 日の丸問題は、社会運動の右傾化、ナショナリズム化とも関わる問題である。私にとっては日の丸、君が代、天皇性といったものは、被害者としての歴史を想起させるものである。帝国主義、植民地主義はなくしていくのが本当の道だと思う。日の丸、君が代、天皇制はなくしていくのが進歩の歩みだ。それにまた、戦後日本の権力者たちは、戦争の被害者としての立場を強調して、加害者としての責任をかくし通してきた。私たちは加害者としての責任を引き受けようではないか。 日の丸の悪を脱色化させないこともその一つだ。これから何十年かかろうと大月書店と争っていく覚悟である。
by BeneVerba
| 2016-03-07 05:58
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