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なぜ社会運動に日の丸が持ち込まれるのか。これは私がずっと追ってきたテーマだ。追わざるを得なくなったテーマといった方が正確かもしれない。それには複数の理由があるのだろうが、根本的な理由は「日本がアジア・太平洋戦争の過去を充分に反省し、精算できていないから」であろう。
数個前の記事を書いていて気がついたのは、反原発運動や反差別運動に日の丸を持ってくる輩は、過去の戦争の記憶を意図的に無視して、日の丸を使おうとしているということだった。 だが、それは無理というものだ。モノの意味はその使用法によって決まる。日の丸や旭日旗はその血塗られた歴史によって、既に意味が定まっている。それを今さら変えることはできない。 そのような歴史的経緯を無視して、今さら日の丸を使ってみせるのは、既に意味づけられているものをまっさらだと言い張るという意味で、歴史修正主義的な用法である。私は数個前の記事でこう書いている。 二〇一三年以来のカウンターは、おおよそこういうものだった。「在特会と対峙するのに、細かいことを考える必要はない。在日朝鮮人の歴史や社会的な構造的差別を考える必要はない。ただ、在特会と対峙して罵倒すれば良い」。……「在日朝鮮人の歴史や社会的な構造的差別を考える必要はない」とは、つまり「未来志向」「和解」「転向」の時代に沿うように、日本人の持つ歴史的な加害責任をオミットするものではないだろうか?古くから活動している私の地元の中に訊くと、社会運動に日の丸が持ち込まれたのは、今日の反原発運動が初めてのことであるという。しかし、今現在福岡都市部での反原発運動への日の丸の持ち込みを問題とする人々は、私も含めて少数派である。それは少なくとも、次の二つのことを意味する。 第一に、日の丸の持つ加害の歴史に敏感なのは、特に私のような被害を受ける側のマイノリティ(が全てではないにしろ)が多いのではないかということ。もう一つは、その裏返しとして、日本がかつて与えた植民地支配や侵略戦争といった加害に鈍感な人間が、社会運動に携わっている人間の大多数を占めていること。つまるところは、マジョリティは、日本の過去の戦争を忘れたがっているのだ。 第二の点に関しては、またナルシズムやナショナリズムにも関わっている。昨今良く聞かれる「戦後七〇年間の平和」や「日本は七〇年間外国に兵士を送らなかった」というフレーズは、端的に言って欺瞞だ。安倍政権に代表される日本の支配勢力に対抗していると称する勢力も、このように存在したことのない美化された「戦後ナショナリズム」を基盤としているのだ。 そのことを考えると、どうしても暗い光景が広がってしまう。安倍政権という極右政権との対決が昨今のテーマである。とは言っても、それと対決する側も値は同根なのではないだろうか。相手と同じナショナリズムという平面に乗った上で、対決するふりをしているだけではないだろうか?ないしは、対決しているつもりでいるだけではないだろうか? そうであるのならば、社会運動に日の丸が登場するのは、皮肉な意味で、今の日本の自己陶酔的な状況に似つかわしいとすら言えるだろう。問題は、日の丸を持参する人だけのものではないのだ。社会運動が何を反省し、どのような戦略を立て、何を実現しようとするかに関わっているのだ。 これまでの社会に問題があったからこそ、安倍政権のような極右政権が登場し、しかも政権の座から落とすことができないでいるのだ。決して、これまでは社会に問題はなかったのに、突然安倍政権が現れて、悪政を行い始めたのではない。 私たちが精算できなかったものは、いくつもある。私たちは自衛隊を解散させることができなかった。靖国神社を解体することもできなかった。天皇制を破棄することもできなかった。アメリカの核の傘に守られ、沖縄に七〇パーセント以上もの基地を押しつけている。日章旗と旭日旗が未だ悪として共有されていないのも、そのような文脈にあると言える。 ひょっとしたら、私たちはそれらを変えることができたかもしれないが、そうはならなかった。現在の状況は、もちろん、安倍自民党政権に第一の責任があるにしろ、私たちが精算できなかったものたちが、蘇っていると受け止めるべきではないだろうか? そして、充分ではないにしろ、上に述べたような点を考慮すると、今のところ社会運動の側に何かを期待するに足る要素は、見当たらない。一方で、今の社会運動から何を切り捨てていくべきなのかは、推測できる。 「戦後七〇年間の平和」などという欺瞞に酔っているほど状況は甘くはない。私たちは今、約束しながらも果たせなかった理想、結局精算できなかった戦前の残滓に復讐されているのだ。それらから目を背けていては、前に進むことすらできない。 偽りの「戦後七〇年間の平和」を打破し、これまでの全てのシステムを点検して、もっと自分たちの根っこを掘るような作業が必要だ。そして、その成果はすぐに現れるものではない。それでも私たちは、表層的な「新しい運動」に浮かれ騒ぐ人々を置き去りにして、安易な道ではない、地道で苦労の多い道を選ぶべきであろう。
by BeneVerba
| 2016-06-14 05:18
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