2012年 01月 31日 ( 1 )

コメント:
 脱原発運動はこうであるべきだとはっきり提言するのは不可能だろう。しかし、私は最近脱原発運動が間違った方向に行ってしまいつつあるのではないかという危機感を持っている。特にマイノリティを勘定に入れない脱原発運動に対して。それは戦後の抑圧的な社会構造の反復、マジョリティを中心とした共同体の再生に過ぎないではないのか?昨夜から今朝へかけての Twitter での呟きから、誤変換などそのままに私の今の関心を記録しておきたい。

 また、以下の引用には現れていないが、もう一つ付け加えておきたい。在特会のようなどうしようもない存在に対して、「脱原発を主張する『本物の』右翼」として特にリベラルやノンポリから賛辞を与えられている存在は、所詮強面役となだめ役のような存在に過ぎないのではないか。少なくともそう機能することで、社会全体の右翼への親和化は進むのではないか。

 私は脱原発運動の最終到達地点は、戦後以来の、あるいは近代以来の日本のシステムを解体することだと考えている。

私たちは二つの「日本再生」に悩まされている。一つは自民党が言うような復興、もう一つはレイシストを抱擁するような脱原発運動。どちらにも未来はない。後者が仮に実現したところで、差別に鈍感な日本は温存されるだろう。
posted at 23:11:27

「あらゆる差別への反対」と「脱原発」は両立する。にもかかわらず、前者(被曝は日本人だけの問題ではないのいうのに)と後者が両立しないように言うのは、マジョリティーの立場。
posted at 23:18:21

歴史修正主義にしてもレイシズムにしても、普遍的な価値に反するから反対されている。それを「左翼だから反対している」という風に受け取っていることの多さは、これらの問題が十分に理解されていないことを意味する。
posted at 23:22:36

そこには1990年代以降のナショナリズムの自然化の期間に鈍感だった、というよりは鈍感に置かれていた人々の問題もあるかもしれない。
posted at 23:26:03

当たり前だが、「従軍慰安婦」被害には旧植民地国出身者への差別、女性への差別などであるとともに、日本はそれを受けてどうするのかという問題でもある。「今は危機の時なのだから」と言ってマジョリティが今取り組むべき問題に優劣をつけていいものか。
posted at 23:33:53

私が今考えつく最悪の「脱原発」のシナリオはこうだ。何らかの形で脱原発は実現するかもしれない。だが、その社会は脱原発以外では何も変わってない社会なのではないか。そこでは経済的社会的他者に無関心であるどころか、むしろ共同体の「成功体験」として日本社会の悪しき部分は強化されるのでは。
posted at 23:47:02

原発を安全なものと思わせられていた感性への政治と、日の丸の歴史を忘却させられてきた感性の政治は同種のものに分類できないか。戦後の嘘として。前者は3・11によって、その嘘が暴かれた。後者はまだその過程を踏んでいない。
posted at 23:57:45

もちろん脱原発運動が成功しない場合の最悪のシナリオは、脱原発も果たせず、右翼と左翼のなし崩し的な連携が進み、国家の側も市民の側も行き詰まるというものだ。そうなったら「右も左も関係ない」脱原発派は、運動を自ら見直さなければならない。
posted at 01:00:13

脱原発デモは、左翼が悪魔化され、異議申し立てをするのはごく一部の人という風潮を変えた。だが、そも一方で「イデオロギーを持ち込むな」という形のイデオロギーが優勢である。それは廃炉だけみて日本の民主主義には無関心な態度ではないのか。
posted at 04:55:09


by BeneVerba | 2012-01-31 05:18 | 意見 | Trackback | Comments(3)