2014年 05月 31日 ( 2 )

*SNSでの投稿を下にした初読時での小さな感想です。何度か投稿しなおしています。

e0252050_1556195.jpg この本はインタビューを元にしたものなので、体系だったものではなく、きっちりとは要約しづらい。だが、二つの視点を持っているとは言えるだろう。一つは東アジアやアラブ世界を視野に入れている点、もう一つはソ連型の共産主義国家も、資本主義国家もどちらも選べない現状に根ざしている点。

 冒頭で、倫理的なものに対する政治的なものの優位が言われる。それは単に倫理よりも政治を優先しようということではなく、私たちが倫理とみなしているものが、政治的な判断に基づいていることを言っている。

 その意味で、次の引用は象徴的に思える。「女性をレイプするのは間違っていると主張しなければならない状況で生きるなんて、私はごめんです。レイプがよいか悪いかを議論する必要がある社会とは、どんな社会でしょうか。レイプをきわめて不愉快な狂気の沙汰とみなすことには議論の余地はない、そう言い切れる社会が私の生きたい社会です。同じことは、人種差別、ファシズム、等々にも言えます」。

 わたしたちが倫理とみなしているものは、暗黙の前提となった決断なのだ。上の引用もそうしたものとして、読んでいいだろう。

 私たちは隘路にはまったように見える。どうすればいいのだろうか?

 だが、そこで決断を控えるのではなく、決断することを選べとジジェクは言う。この本の言葉づかいに従えば、ベケット的なレーニンだ。「もう一度やれ、うまくしくじれ」。それは、訳者の中山徹が指摘しているように、『大義を忘れるな』で述べられているところでもある。

 やや大まかにまとめるなら、そこで冒頭の倫理的なものに対する政治的なものの優位に、再び話は戻ると言える。それは、単なる決断主義ではなく、あらたな領野を開くためのものと思われる。その意味で、副題となった「不可能なものを求めよ」は適切な文言だ。

 ジジェクは、中国・シンガポール型の資本主義をたいへんに暗い選択肢とみなしているのだが、この本では一箇所ながら、日本もまたそうであることに触れられている。また、ジジェクが日本ではなく韓国に行ったことは、たいへん示唆的であるように思える。

 私たちが住んでいる社会は、先の引用に従えば、「レイプがよいか悪いかを議論する必要がある社会」なのである。日本軍性奴隷制度(「従軍慰安婦」制度)などの歴史修正主義に関するうんざりするような言説を眺めるだけで、それはわかるだろう。

 心に命じるべきは、ジジェクは、私たちが従うべき答えを持っているわけでもなんでもないということだ。しかし、私たちは、自分たちの決断において、何度でも繰り返し始めるべきではないだろうか?うまくしくじるために。

by BeneVerba | 2014-05-31 15:54 | 書籍 | Trackback | Comments(0)
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 私の現在の活動の原点として、反原発デモと銘打ったデモにおいて、日の丸と一緒に歩かされたことがある。それは人生でも最低最悪の経験だった。それは、日本の植民地支配と帝国主義のシンボルであるというだけでなく、私のような人々を殺し、犯し、支配してきた旗だった。思想的にも民族的にも、日の丸を拒否しているにもかかわらず、それを掲げた示威行動に参加し、荷担してしまった。もし、そのデモを在日朝鮮人や在日中国人が見ていたらどう思うだろうか。意図したものではなかったとはいえ、私はそれに荷担してしまったのだ。

 私は、数ヵ月間、怖くて反原発デモに行けなくなった。次に出かけた時には、なんとしてでも日の丸は揚げさせないという決意で、デモに出かけていった。そもそも、反原発デモに日の丸が持ち込まれるようになったのは、「あの」カウンターともメンバーが重なる反原連の活動がきっかけの一つである。

 反原連のコアメンバーである野間易通は、針谷大輔の登壇を批判する文書を公開した「ヘイトスピーチに反対する会」を敵視し、また、反原連や「あの」カウンターに批判的な人々にツイッターで攻撃的なメンションを飛ばしていた。私もいくどとなく差別発言を喰らった。次はそのほんのわずかな例である。

野間易通 (@kdxn)
日本国籍の匿名のクォーターが、民族名で矢面に立ってる「バリバリの在日」に向かってすごいこと言うな……。RT @BeneVerba: あなたの反原連、しばき隊、一水会への態度が甘過ぎるせいで、このような差別を受けながら脱原発運動に携わっている「朝鮮人」である私は迷惑です。
2013年6月2日
野間易通 (@kdxn)
また関係のない文脈で「日の丸」……。完全にキチガイでしょ→RT @BeneVerba: レイシストと日の丸を容認する朝鮮人を擁護し、それらに反対する朝鮮人には差別発言も辞さないという、実に見下げ果てた人々ですね。@kdxn @nyara4649 @harada_hirofumi
2013年9月14日
野間易通 (@kdxn)
おまえにはそんなものはない。RT @BeneVerba: 野間、こっちは具体的な現実があって、
2012年12月27日


 そんな私にとって理解できないのは、「あの」カウンターを支持する朝鮮人である。社会運動に参画する朝鮮人にとって、日の丸が持ち込まれるかどうか、「国民」という言葉が使われるかどうか、より一般的な言い方では、社会運動の国民運動化は、真剣な問題である。

 私が、「あの」カウンターを支持する朝鮮人に批判的なのは、第一に、それが社会運動の場で弱い立場に立たされている私のようなマイノリティを更に苦しめることになるからである。それは、一部のマイノリティを見棄てるようなものだ。

 第二に、第一の理由とも関連する問題だが、かれらが決して、カウンターを批判するマイノリティやマジョリティに対して投げ付けられる、野間易通なり誰なりの差別暴言に反対しないことである。これでは反差別を目的としているとはとても言えない。

 さて、上述した第一の理由のような趣旨でツイートしたところ、仲良くしようぜパレードの主催者である凡さんから、次のような攻撃的な言葉を投げ付けられた。

ぼん (@Bong_lee)
お前日本人だろ。RT @BeneVerba: 社会運動に参画する在日朝鮮人にとって、デモの中に日の丸があるかどうかは深刻な問題だ。ところが、金明秀(@han_org)、凡(@bong_lee)らは、ただでさえ苦しい立場のその人々を、より追い詰めるような真似をした。…
2014年5月29日


 私自身は、自己紹介する時に「朝鮮半島にルーツがある」とか、「祖父が朝鮮半島の人」とか、「日本国籍の朝鮮民族」といったりする。そして、私は、朝鮮籍や韓国籍の朝鮮人に比べて、自分が日本国籍を持っていることは、特権だと認識している。しかし、これはやはりエスニシティを貶めるものであり、差別と言っていいのではないだろうか。その意味で上に引用した野間の言葉とも共通する。

 普段は使わないような表現だが、ここは一つ、「凡さん、私はあなたよりも一〇〇万倍は朝鮮人だ」と言っておこう。

by BeneVerba | 2014-05-31 09:37 | 意見 | Trackback | Comments(2)