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アルジャジーラ・インタビュー:今や領野は開かれた
The interview on Talk to Al Jazeera: Now the Field is Open
2011年10月29日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:
http://www.youtube.com/watch?v=6Qhk8az8K-Y
http://beneverba.exblog.jp/16539863/





 ――世界のどこかで左翼というコンセプトが、それを現実化しようとしている場所をご存知ですか?

 物事はゆっくりと起きつつあります。しかし、メディアは充分にそれらを報道していません。例えば、私はメディアのインドと中国の取り上げ方に驚いています。中国は悪い奴だ、誰もが悪い共産主義や検閲があることを知っている、チベットをテロで支配している、そういったことです。インドが時々とはいえ注目を浴びることをご存知でしょう。しかし、充分に報道されているとは言えません。

 自然にも貧しい毛沢東主義者が反乱を起こしています。大方の味方はこうです。「OK、インドは大きなパートナーだ。インドとはいえ仲間だ」。百万人以上が反乱軍なのです。とんでもないことが起こっています。インドの新興資本主義は炭鉱へのアクセスを確保するため部族地帯にまで拡大しようとしています。しかし、私たちはそれを見ていないのです。だからこそ、反乱がそこにあるのです。

 こうしたことは今ではヨーロッパですら起こっています。事態はとても深刻です。それは「ギリシアは負債を支払うかどうか」といった表面的なことではありません。それは基本的に可能性の一つに過ぎません。何よりも先ずヨーロッパでは――私はこの隠喩を引用するのが好きなのですがね、「女は何を望んでいるのか?」、ジグムント・フロイトがこの奇妙で純朴な質問を発した時、彼はそれなりの年齢でした。私が主張する今日の問題はこうです。「ヨーロッパは何を望んでいるのか?」。ヨーロッパは自ら決定することができないのです。一方ではテクノクラティックなブリュッセル的ヴィジョンがあります。私たちはグローバルな市場で競争するために自らを組織化しなければならないというものです。

 それから私たちには、ナショナリスティックで反移民的な運動があります。それが唯一のオルタナティブであるとしたら悲しいことです。私が思うに今の世界は本当のオルタナティブを追い求めているのです。私は、アングロ-サクソン的ネオリベラリズムと中国-シンガポール的資本主義――詩的に言うならばアジア的価値観の資本主義ですが、つまり権威主義的な資本主義です。それは今や西洋のリベラル資本主義よりも能率的なのです――の二つしか選択肢がない世界に住みたくはありません。だからこそ、何かがなされなければなりません。それがヨーロッパの悲劇の1番目です。

 2番目です。残念ながら私はヨーロッパについてとても悲観的です。どれほどヨーロッパが退歩していることか。一つの出来事を取り上げてみましょう。欧州連合が基本的にトルコの加盟を認めていないことはご存知でしょう。民主的ではないとか何かで。

 ――イスラム的だと。イスラム的過ぎると。

 そうです。しかし、あることをお話しさせてください。この夏にイスタンブールで大きなゲイ・パレードがあったことを、ご存知ですか?数万人のホモセクシャルがデモ行進しました。そして、揉め事など何もなかったのです!

 これがもし欧州連合に加盟している東欧のポスト共産主義国家だったら、どうでしょうか。例えば、最近に分裂した南クロアチアの都市だったら。ゲイ・パレードですよ。どのようなものになるか想像がつくでしょう。彼らをリンチしようとする1万人の地域の人々から2千人の警察官に守られた7百人のゲイたち、などといった光景です。

 私が言いたいのはつまり――友だちを挑発するために言うのですがね、これも私の挑発の一つです。「そう、私は右翼に賛成する。ヨーロッパの遺産、ユダヤ・キリスト教的な遺産は危機に瀕している。しかし、彼らイスラームや何やらに反対している偽のヨーロッパの擁護者たち、彼らこそが危機なのだ。私はヨーロッパのムスリムを恐れない。私が恐れるのはヨーロッパの擁護者たちだ」。ユダヤ人の友だちにさえ言っているのです。「気を付けるんだ!今何が起きているか気付いているか?」と。

 あのブレイヴィクについて気付いたことはありませんか?ノルウェイで銃乱射事件を起こしたあの男です。彼は今持ち上がっていることの明白な例です。それは文字通りパラドキシカルなものです。反ユダヤ主義のシオニストです。

 一方では、明らかに彼は反ユダヤ主義者でした。彼はこう言っています。「イギリスを除けば、西ヨーロッパはOKだ。そんなに多くのユダヤ人はいない。だからなんとかなる」。それからこうです。「イギリス、そして特にアメリカにはユダヤ人が多すぎる」。したがって、標準的な国民国家のヴィジョンはこういうものです。「もし無視できるほどならユダヤ人は問題ない。だが数が多すぎれば……」。

 そうであると同時に、彼は全くのところ親イスラエル、親シオニストです。おや、あなたは私が孤独な狂人だとお思いでしょう(笑)。しかし、私が思うに、これがアメリカのキリスト原理主義保守派の基本的な態度なのです。

 フォックス・ニュースのスキャンダルを覚えているでしょう。グレン・ベックです。彼は反ユダヤ主義発言のために解雇されました。しかし同時に彼は全くのところ親シオニストなのです。これは私にとって悪夢です。

 イスラエル国家の代議士たちは、自分たちが何をしているのか気付いているのでしょうか?彼らは基本的に自分たちの魂を悪魔に売ったのです。それはこういう意味です。彼らは西側の政治勢力と取引をしています。そして私に言わせればそれらの勢力は、本質的に反ユダヤ主義なのです。

 つまり、彼らが人種的なゲームをしても良いのなら、私たちにパレスティナ人と同じことをすることを許せ、ということです。私は本当にユダヤ人のことを心配しています。ユダヤ人は偉大な民族です。シオニストの政治は彼らを偏狭な自滅的国家に変えようとしています。

 中東の紛争における真の犠牲者は、このカタストロフィックな政治において、ユダヤ人自身となることでしょう。彼らは、そのユニークさと偉大さを失うことになるかもしれません。

 ――あなたはどのような点において、真の変革、革命的な変化のかすかな兆候を、世界のどこかに見て取っているのでしょうか?あなたは左翼は本当はそれら多くの問題に対するグローバルな治療法、もしくはグローバルなアプローチを持っていないと仰いましたね。何らかの変化の兆候をどこに見ているのですか?

 現在既に起こりつつあることが、控えめな楽観主義の理由になると思います。魔法のような解決法が突然現れるという奇跡を期待してはいけません。はじまりは私たちが直面している困難は、貪欲な悪人が引き起こしたものではなく、良いシステムが代わりになるというものではないと、人々が気付くことです。しかし、私たちは確かにシステムそれ自体を問わなければなりません。

 この気付きは興りつつあります。それがこの〔アメリカの〕抗議者たちが、ここにいる理由なのです。私が思うに、この段階で重要なのは、拙速な解決策を提供せず、むしろそれを壊すことなのです。私はそれを皮肉を込めて、「フクヤマのタブー」と呼んでいます。

 それはつまり、彼は馬鹿ではないということです。私たちは今やみなフクヤマ主義者なのです。ラディカルな左翼でさえもです。私たちは何が資本主義に取って代わることができるのか考えることができないし、今以上の社会的正義や女性の権利などを求める状況をシステムに組み込むこともできないのです。

 やがてこのより根本的な疑問を問うべき時がやってきます。システムはもはやその自明性、自立的な妥当性を失ったのです。そして今や領野は開かれたのです。これは重要な達成です。

 ――しかしもし領野が開かれたのなら、誰が真空を満たすのですか?誰か上から注ぐのですか?

 常にその危険はあります。私は全くあなたの言うことに同意します。1930年代のヨーロッパやその他で、一体誰が空白を埋めたのか忘れないようにしましょう。これにはそれ自身のリスクがつきまとうのです。しかし、にもかかわらず私たちはこの機会をつかまなければなりません。

 なぜならば、私たちは経済的な危機のような連続的な現象がある種の永続的な非常事態になるのを見ているからです。したがって、世界経済が何とか前進するにしろ、そうした現象に敏感にならなければならないと思います。

 しかしそこには――これは良いパラドクスです。ベルリンの壁は崩壊しましたが、新しい壁や分断があらゆる場所で勃興しているのです。ほとんどの国家において、富裕層と貧困層の間だけでなく、分断は強化されています。

 ラテン・アメリカを例として挙げましょう。ファヴェーラやスラムやその他の場所に住む人々は、単純に貧しいと言うだけではありません。それはもっとラディカルなものです。彼らは単に公共の空間や政治参加その他から閉め出されているのです。

 したがって、再び問題は私たちがリスクを引き受けるかどうかといったものではないのです。はじまりは私たちの行く先にあり、私たちはそれを課されているのです。「単に黙って行くべき道を行ったらどうなんだ?」と私に訊く人への答えはこうです。

 私は、もし私たちが何もしなければ、次第に新しい種類の――それは古いファシズムではありません。ここで特に明確にしておきましょう――新しいタイプの権威主義社会に近づいていくと主張します。世界において、私が歴史的重要性を見ているのが今日の中国で起きていることです。

 今までは、率直に言って、資本主義について一つの良い論点がありました。遅かれ早かれ、それは民主主義をもたらすのだというものです。韓国にしろチリにしろ独裁制を維持できるのは20年間程度だと。しかし、私が心配しているのは、アジア的価値観の資本主義、シンガポールと中国です。

 そこでは私たち西側の資本主義よりも能率的でダイナミックな――少なくともそう見えている――資本主義があるのです。しかし、私はリベラル派の友人たちの希望を共有していません。彼らはこう思っています。つまり「十年もすれば、天安門事件のようなことが起こる」と。それは違います。資本主義と民主主義の結婚は終わったのです。

 ――なるほど。それでは中国があなたが希望を見て取る良い例ではないとしたら、終了が近づいています、他に良い場所はあるのでしょうか?なぜならあなたは、これら全てについてのあなたの不平は、消費主義が野心と不満を駆動する力となっているというものですね。どこかあなたが栄誉を与えることができる場所はありますか?

 それもまた中国です。中国ですら市民社会を組織化することはできるのです。エコロジーや労働者の権利やそういったことで。私が思うに、特に中国ではこのことは時に西側の民主主義よりも重要なのかもしれません。

 低レベルの驚くべきことが、中国では起こっています。中国の爆発的な状況が示唆するものが何かおわかりでしょう。彼らの最新の追認議会を覚えていますか?

 誰もが彼らは防衛予算を倍にすると思っていた。いいえ、彼らは国内治安の予算を倍にしたのです。中国は今や軍隊よりも国内治安に歳費を費やす唯一の大国です。だからこそ、抗議があるのです。

 アラブの春の話をしましょう。なぜ私があれをそんなに好きなのかご存知でしょう?なぜなら西側にいる我々は――といっても私たちは他の奴らよりそんなにひどくはないか。私は普遍的なペシミストになっているのかもしれないな――自発的なレイシストなのです。わかりますか?決まり文句はこうだったのです。「ああ、アラブ人ね。人々を結集させようと思ったら、集まるのはレイシストや反ユダヤ主義者、それにナショナリストや宗教原理主義者だけさ。民主主義の始まりを告げる世俗的な運動なんて起こりっこないよ」。ところが、まさにそれが起こったのです!

 さて、ここからが大事なところです。その後何が起きるか。これはとても悲しいことです。私はそうならないよう祈ります。しかし、いくつかの兆候が悲しい方向を指し示しています。私はそうなってほしくはありませんが、ひょっとして最終的な結果は、ムスリム同胞団と軍部のねじくれた盟約になるかもしれません。

 もっと簡単な言い方で言えば、ムスリム同胞団はより強力なイデオロギー的役割を統制する学校を手に入れ、その交換として軍部は特権や腐敗などを維持するというものです。

 しかし、にもかかわらず出来事は起きつつあるのです。ヨーロッパに目を向けましょう。ヨーロッパでは人々は最初ギリシア人のことを馬鹿にしていました。「ああ、ギリシア、あの怠け者の原始的な地中海人たち」と。いいえ、スペインがあります、イギリスもです。更に広がることでしょう。あなたが仰ったように、これは重大なことです。

 闘いは、物事がそのまま続くか革命が起こるかではありません。なすべきことは、抗議運動のエネルギーを適切なものに作り替えようとするもっとも困難な闘いを戦うことです。ここアメリカでも大きな抗議運動のエネルギーがあります。しかし、今のところそれは、ヒップ・アーティストたちによって盗み取られているのです。

 彼らは自分たちの作品をどうやって形作っているのか気付いているのでしょうか?50年前の労働者の抗議運動のような格好をしたヒップ・アーティストたちです。彼らの曲を聴けば、おわかりでしょう。私はティー・パーティーを支持するあるポップ・シンガーの曲を聴きました。彼はこう言ったことを歌っていました。「俺たちは搾取されている普通の労働者。ワシントンとウォール街にいる悪漢たちが俺たちを搾取している」などと。

 そこにこそ闘争があるのです。それは困難な闘いです。私は何ら幻想を持っていません。そこにはいくつもの大きな危険があります。しかし、中国のことわざにこんなのがあります。「彼らが本当に君を憎む時、君は興味深い時代に突入する」。私たちは確かに興味深い時代へと近づいています。

 ――お話どうもありがとうございました。

 こちらこそ!どうもありがとうございました。



訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ」での演説「ウォール街を占拠せよ」に関するガーディアン紙の論考と関連するために、いずれ訳すことを目的に書き起こしていたジジェクのアルジャジーラでのインタービューをようやく翻訳。前半はこちら

 訳者の聞き取り能力の限界のせいで(ジジェクの独特の発音や、崩れた英語のせいもあるが、それよりも)、翻訳としては不充分なものになった。謝っておきます。すみません。訳している最中に書き取り自体の不正確な点にも気付いた。書き起こし共々至らない点があればご指摘いただきたい。そしていずれ見直したい。

 特に訳文の注意点を。論文名と受け取って『人類にとっての貨幣(Human to Money)』と訳した部分。インターネット上の書誌情報などを参照したが、このような文章をアーレントが発表したのかどうか、わからなかった。そのうち図書館にでも行って、調査してくるのでしばらくお待ちを。もし、アーレントに詳しい方がご指摘してくれたらありがたい。

 余りにも多くの論点を含むため、コメントは控えめにしたいが2点だけ。まずイデオロギーの問題。ジジェクは物事を見ないことがイデオロギーだと言っているが、同じような文脈において、「脱原発はイデオロギーではないが、反レイシズムや歴史修正主義はイデオロギーの問題だ」という人は、まさしく選択的に何を見るか決定している点で、イデオロギーにどっぷり浸かっている。ここには自然化したイデオロギーとでも呼びたい問題がある。

 次に、「アジア的価値観の資本主義」について。ひょっとしてここには没落する前の(あるいは今も?)日本を代入しても良いのかもしれないが、アジアに位置する我々とはややズレを感じる部分もある。そのズレた部分は私たちが自分で考えなければならないことなのだろう。それにしても今の中国に行き詰まりと希望を見るというヴィジョンは独特のもので興味深い。

by BeneVerba | 2012-02-04 12:00 | 翻訳 | Trackback | Comments(4)
アルジャジーラ・インタビュー:今や領野は開かれた
The interview on Talk to Al Jazeera: Now the Field is Open
2011年10月29日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:
http://www.youtube.com/watch?v=6Qhk8az8K-Y
http://beneverba.exblog.jp/16539863/





ナレーション:
 中東からロンドンの街角、そしてアメリカの都市まで、現状に対する不満が爆発しています。強力な政府の鉄の支配であれ、富裕層と何とかやっていくだけの人々との間に横たわる大きな経済格差であれ。しかし、これら変化を切望する声はどこへと向かっているのでしょうか?社会変革を目指す彼らの長期的ヴィジョンはどれほど深遠なものなのでしょうか?

 「システムはもはやその自明性、自立的な妥当性を失ったのです。そして今や領野は開かれたのです」。

 スロヴェニア出身の哲学者スラヴォイ・ジジェク氏の懸念です。その資本主義と社会主義の両者への批判的な考察は、彼を国際的に認知された知識人にしました。例えば、ここニューヨークでは、ウォール街を占拠せよの占拠者たちの間で有名です。

 『トーク・トゥ・アルジャジーラ』では、スラヴォイ・ジジェク氏をお招きして、この夏のロンドンでの暴動について、彼らが政治的なアジェンダを持っているかについて、お聞きすることからインタビューを始めました。


スラヴォイ・ジジェク:
 彼らの抗議のやり方、あそこでの彼らの振るまいから見えるのは――私は抗議活動の参加者や目撃者と繰り返し話をしました――彼らは要求がないからこそ通りに繰り出したということです。彼らは、共産主義的なユートピアであれ、宗教的なものであれ、主張をまとめることができません。ただ、純粋な暴力と抗議の、それを何と呼ぶにしろ、消費主義を真似たアジェンダがあっただけです。それはとても悲しいことです。

トム・アッカーマン:
 ――ここアメリカ合衆国には、イデオロギー的に一貫した要求はあるのでしょうか?

 彼らをそのことで非難してはいけません。私は共産主義者ですらないのです。私は自らそう言ったのです。そのことを口にした後、実に多くの敵を作ることになりました。現実を直視しましょう。20世紀の共産主義はまさに――なぜならばあのような希望と共に始まり、悪夢として終わりを告げたのですから――おそらくは史上最大のカタストロフィ、言うなれば、人類の歴史において試みられた中でも最大の倫理的なカタストロフィです。それはファシズム以上です。

 その理由はごく単純なものです。ファシズムにおいては、私たちが抱えていたのは、「全てのプログラムはこれをやることだ。この悪事をなすことだ」と言っていた悪い奴らです。違いますか?なのに、彼らが権力を掌握した後で悪事をなしたのは、何たる驚きでしょうか!ですよね。共産主義において、私たちが抱えていたのは正真正銘の悲劇です。だからこそ反体制派や常に内部党争があったのです。だから――とはいえそれは終わったことです。

 これが意味することは何でしょうか?それが意味するのは、もう虚仮威しは止めようじゃないか、ということなのです。私たちは既存のシステムの限界を理解しています。それこそが私の拠って立つ基本的な立場です。

 人々は私に「ああ、あなたはユートピアンですね」と言うのです。申し訳ないが、私にとって唯一本物のユートピアとは、物事が限りなくそのままであり続けることなのです。2008年の金融崩壊の始まりがどのようなものだったか、ご存知でしょう。「OK、我々の銀行に対する立法措置は充分ではなかった。全てが上手くいくように、それらを少しばかり変えよう」。いいえ、それは上手くいきませんでした。

 だから、私たちによって、何かがなされなければならないのです。だがそれに対して率直に向き合わなければなりません。悲劇はこういうことです。私たちが現在保持している資本-民主主義に代わる有効な形態を、私も知らないし、誰も知らないということなのです。

 ここで一つ、もちろん私が政治的には反対する人物の言葉を引用しましょう。しかし、時に彼女は馬鹿ではありませんよ。ハンナ・アーレントです。ご存知ですね。最後の作品である奇妙な論考『人類にとっての貨幣(Human to Money)』の中で、彼女はこう言っています。「貨幣はリベラルさ(liberality)を表すための手段だ。我々が物を分かち合い、交換するなどの意味において。貨幣が意味するのは、我々がそれを平和的に行うということだ。私はあなたに貨幣で支払い、あなたは望むならそれを私に売る。もし貨幣というものが存在しなければ、直接的な支配と暴力的な強奪が幅を利かせることだろう」。

 私はこの部分において彼女に同意しません。しかし、この話をどこかで聞いたことはないですか?つまり、20世紀共産主義の多大なる経験において、彼らは市場、貨幣を廃止しようとしました。そして、暴力的な支配が必然的にその見返りとしてやって来たのです。

 ――あなたがお書きになった物を読みました。「もしそれが必要を意味するのなら、ファシズムは左翼だ」。そうですよね?「ファシズムは左翼だ」とはどういう意味でしょうか?

 それは私のリベラル派の友人たちを挑発するために言ったことなのです。私は挑発するのが好きなので。私が言ったことの中には、他にももっとひどい言葉がありますよ。例えば、「もし我々がトルコ人の半分を追いやったら……」

 ――文字通りには受け止められませんよ。一体あなたは何を言おうとしたのですか?

 もちろんですとも。ご承知のように、問題は暴力の問題です。もちろん私は暴力に反対します。それが人々に対する殺人や拷問を意味するのならば。しかし、私にとって、私が支持する真の暴力とは、物理的な暴力のことではありません。それは例えば、タハリール広場のエジプト人たちのような暴力なのです。彼らは通常の意味では暴力的ではありません。銃撃したりといったことはしませんでした。彼らはシステム全体の機能を止めようとしたのです。

 これが私の有名な宣言です。多くの敵から身を守るために書いたのですがね。最初の部分はこうです。「ヒットラーが問題だったのは、彼が充分に暴力的ではなかったことだ」。しかし、次の部分はこう続くのです。「ガンディーがヒットラーよりも更に暴力的だったという意味において」。ヒットラーの全ての暴力は、システムを上手く機能させることにありました。ガンディーはシステムを停止させようとしたのです。

 したがって、私にとって問題は暴力の悪魔化です。もちろん暴力は悪魔化されるべきです。しかし、その前に私たちはあらゆる形態の暴力を精査しなければなりません。目に見えない暴力を見るためにです。それはつまり――私はパラノイアではありませんよ――悪いメディアが未知の手段で私たちが思考することを妨げているとか何とか。

 単純にこう考えてください。例えば――暴力について話をしたいのですか?それならコンゴ共和国の話をしようじゃないですか!数百万の人々が死にかけていて、国家全体が機能していない。軍閥が支配し、薬物は蔓延し、未成年の戦士が戦っている、そういったことです。これが、システムの一部であるために、私たちが充分に気付いていない種類の暴力です。だから、私の言いたいことは、暴力の概念を拡張しようということなのです。

 同じ主題について、イギリスのガーディアン紙に書きました。ヨルダン川西岸地区についてです〔拙訳〕。オーケー、私はきっぱりと暴力を非難します。パレスティナ人によるものであれ何であれ、あの場所にある暴力を。しかし、私のその記事での論点は、もし何も起こらなかったら何が起きるのかというものです。メディアにとって大きな出来事が何も起きなかったらです。誰も殺されなかったとかそういったことです。その時に起きていることは、日常と化したイスラエルの官僚的な窒息するような占領なのです。おわかりでしょう。井戸に毒を入れ、木々を焼き払い、パレスティナ人たちをゆっくりと南に押しやっていく。これこそが現実です。こうしたバックグラウンドを知らされることなしに、全体像を描くことはできません。

 ――あなたは、例えばパレスティナ紛争について、イデオロギー上の解決策について話しているのではありませんね、どうでしょうか?

 イデオロギー上の解決策とはどういう意味ですか?

 ――そうですね、あなたは物事に変化がない時、それは通常の状態だとみなされると仰いました。

 まさしく、そこにこそ平時における暴力があるのです。

 ――紛争をナショナリスティックだったり宗教的にみなすものの見方よりも、イデオロギー的なアプローチは存在するのでしょうか?

 ここで問題なのは、「イデオロギー」という用語が何を意味するかです。私にとってイデオロギーとは、近年ますます日常生活における反抗を意味するのです。私たちは、とても奇妙な時代に生きています。少なくとも西側世界ではそうです。人々は自分たちがイデオロギーの外で生きていると思い込んでいます。まるで全ての人々がそうであるかのようです。

 イギリスであれどこであれ、私たちが社会から受け取る暗黙の命令は何でしょうか?それは「大義のために身を捧げよ」などではありません。それは「自分に正直になろう」とか、「充実した人生を送ろう」とか、「自分の潜在能力に気付こう」といったものです。それは私が精神化された快楽主義(spiritualized hedonism)と呼んでいるものです。だからこそ、人々はイデオロギーを経験していると気付かないのです。

 しかし、私たちはまさしくイデオロギーの中にいるのです。なぜなら私にとってイデオロギーとは、日常生活を機能させるために、物事を見たり見なかったりすることなのです。例えば、私たちが変革を想像できないという事実は、イデオロギーのなせるものです。

 もう一つ別の例を挙げましょう。昨今ではレイシズムとセクシズムの問題――それらは本物の問題です――が、寛容の問題に機械的に置き換えられることに、お気づきですか?これがイデオロギーです。マーティン・ルーサー・キングを見てください。彼は寛容については言及しないも同然でした。彼にとって問題は「ああ、白人たちは私たち黒人にもっと寛容であるべきだ」などといったものではなかったのです。彼が問題としたのは、経済的な搾取であり、合法化された日常の中のレイシズムなどだったのです。こうした問題を感じ取ることが、寛容の問題です。

 私たちは既存の社会のヴィジョンを受け入れています。そこでは、文化的な差異がほとんど自然化され、私たちはお互いに寛容であるべきだとかそういう具合に調整されています。そこでは政治の問題が消え失せてしまっているのです。



訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ」での演説「ウォール街を占拠せよ」に関するガーディアン紙の論考と関連するために、いずれ訳すことを目的に書き起こしていたジジェクのアルジャジーラでのインタビューをようやく翻訳。後半はこちら

by BeneVerba | 2012-02-04 11:57 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
死ぬ間際にもっとも後悔する五つのこととは?
Top five regrets of the dying
2012年02月01日 - ガーディアン
原文:http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2012/feb/01/top-five-regrets-of-the-dying

 「もっとセックスをしておけば良かった」とか「バンジー・ジャンプをしておくべきだった」などという意見はなかった。死の床にある患者にカウンセリングを行う緩和療法の看護士が、私たちが人生の終わりに抱く、もっともよくある後悔を明らかにした。トップの中でも、特に男性に顕著だったのは、「あんなに働くべきじゃなかった」というものだった。

 ブロニー・ウェアは、人生最後の数週間を過ごす患者の世話をする、緩和療法に数年間携わったオーストラリアの看護士だ。彼女は患者たちのいまわの際の思いを『Inspiration and Chai』というブログで記録してきた。このブログはたいへんな注目を集め、彼女の観察は『死ぬ間際にもっとも後悔する5つのこと』という本にまとまることになった。

 ウェアは、死の床にある人々が得る洞察の驚くべき明瞭さについて、またそれらの知恵から私たちがどれほど多くのことを学ぶことができるかについて書いている。「彼らの後悔やもっと違ったことがやれたという思いを調べると、共通するテーマが繰り返し繰り返し浮かび上がってくる」と彼女は言う。


 以下がウェアが目撃した、死ぬ間際にもっとも後悔する5つの事柄である。



1.他人が自分に期待する人生ではなく、自分自身に正直な人生を生きる勇気があれば良かった

 「これが全ての中でもっとも共通する後悔だ。人々が、自分の人生が残り少ないことに気付き、これまでの人生を明瞭に振り返る時、多くの夢が満たされないままうち去られたことを見て取るのは容易なことだ。ほとんどの人々は夢の半分もかなえることができずに、それは自分が選んだこともしくは選ばなかったことのせいだったと気付いて死んでゆく。それが既に失われた時まで、健康が気付きの自由をもたらすことはまれだ」。

2.あれほど働かなければ良かった

 「この思いは私が看護したあらゆる男性患者から聞かされたものだ。彼らは、自分たちの子どもの若さとパートナーとの交流を惜しむ。女性もまたこの後悔を口にするが、そのほとんどは上の世代の人々で、多くの女性患者は一家の稼ぎ手ではない。私が看護した全ての男性患者たちは、あまりにも多くの時間を単調な仕事の繰り返しに費やしたことを、心から悔いていた」。

3.自分の気持ちを率直に表現するだけの勇気があれば良かった

 「多くの人々が、他人との友好的な関係を維持するために自分の気持ちを抑圧している。その結果として、凡庸な存在に甘んじ、真にそうなれたかもしれない存在になることはない。病気にかかった多くの人々が、彼らの抱えた悔悟と憤りをそれに関連させる」。

4.もっと友だちづきあいをしておくべきだった

 「ほとんどの場合、死を前にした数週間まで、人々が旧友の本当の価値に気付くことはまれだ。そして、その時には彼らを見つけることは必ずしも可能ではない。多くの人々が過ぎ去った黄金の友情に対して熱心になる。人々は友情に対して、それに見合った時間と努力を与えなかったことに、深い悔悟の念を抱く。死ぬ時には誰もが友だちを惜しむ」。

5.もっと幸せな人生を送れば良かった

 「これは驚くべき程人々に共通する後悔だ。最期の時まで人々は、幸福とは選択の問題だと気付かない。彼らは古いパターンと習慣に行き詰まっている。慣れ親しんだことの『安楽さ』が、物理的な人生と同様、感情にまで行き渡っている。変化することへの恐れが人々を、他人に対してまた自らに対して、自分は満ち足りていると偽らせてしまうのだ。心の底でもう一度大いに笑い馬鹿げたことをしたいと願う時に」。


 これまでのあなたのもっとも大きな後悔は何だろうか?そして、あなたが死ぬ前に何かを達成するために人生を変えるために、しなければならないことは何だろうか?



訳者コメント:
 ハンギョレ・サランバンで知って興味をひかれたために翻訳。なお、誤訳などの指摘について、方針を変更します。できれば当該記事のコメント欄で指摘していただいた方がありがたいのですが、今後はTwitterなどでの指摘も受け付けることにします。




by BeneVerba | 2012-02-03 17:16 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
ウォール街を占拠せよ
#OCCUPYWALLSTREET
2011年07月13日 - アドバスターズ
原文:http://www.adbusters.org/blogs/adbusters-blog/occupywallstreet.html

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 9万人の救世主、反逆者、過激派のみなさんこんにちわ!

 我々の未来にとって良い前兆となる、革命的な戦術における世界的移行が現在進行中だ。タハリール広場とスペインの野営(acampadas)の混ぜこぜであるこの新しい戦術が何であるか、その精神は次の引用によくとらえられている。

 反グローバリゼーション運動は、道のりの第一歩だ。振り返ってみると我々のモデルは、オオカミの一団のように体制を攻撃することにあった。そこには最高位の雄、一団を率いるオオカミが背後にいた。今やこのモデルは進化した。我々は1つの大きな群れとなった民衆なのだ。

―レイムンド・ヴィエホ、ポンペウ・ファブラ大学、バルセロナ、スペイン

 この新しい方式の美しさ、そしてこの新しい戦術をエキサイティングなものにしているのは、そのプラグマティックな簡潔さにある:我々はお互いに物理的な集まりで、ヴァーチャルな集いで話し合う……我々は我々のたった1つの要求が何であるかに焦点を合わせる。想像力を目覚めさせるような、そしてできれば我々を未来のラディカル・デモクラシーへと押し進めるような要求だ……我々は外へと繰り出し、単独的で象徴的な意義のある広場を掌握し、我々のケツをかけてそれを起こすのだ。

 我々の民主主義の腐敗させている者どもに対して、この新しき戦略を展開させる時がやってきた。それはウォール街だ。アメリカの金融におけるゴモラ(罪悪の町)だ。

 9月17日、我々は2万人の人々がマンハッタン南端部へと押し寄せて、テント、調理場、平和的なバリケードを設置し、数ヶ月の間ウォール街を占拠するのを見たい。いざそうなれば、我々は1つの要求を多くの声で絶え間なく繰り返すだろう。

 タハリール広場の抗議運動が成功した大方の理由は、エジプトの人々が自分たちが勝つまで直接的な最後通牒――ムバラクは退陣しろ――をいくどとなく繰り返したせいにある。このモデルに従うならば、等価となる我々の単純な要求は何に当たるだろうか?

 これまで聞いた中でもっともエキサイティングな候補は、なぜ現在アメリカの支配層が民主主義の名に値しないのか、その核心をついたものだ。我々はバラク・オバマに、ワシントンにいる我々の代表者たちに対する、財界の影響を終わらせるための大統領委員会を任命するよう要求する。今こそ企業の支配は民主主義ではないと声をあげる時だ。さもなくば我々に望みはない。

 この要求は現在の国民的な雰囲気をとらえていると思われる。なぜならワシントンの腐敗を一掃することは、右翼であれ左翼であれ、切実に望み、また支持するものであるからだ。我々2万人の人々が、我々をウォール街から追い払おうとするあらゆる警察や州兵の試みに対して、数週間以上耐え抜けば、オバマも我々を無視することができなくなるだろう。我々の政府は公然と、人々の意志とワシントンの利益のどちらを選ぶのか強いられることになるのだ。

 これはアメリカにおける新しい社会的変動の始まりとなるかもしれない。現在の権力構造にとらえられているティー・パーティー運動を乗り越えて、グラス・スティーガル法を復活させることによって、世界中の1,000のアメリカ軍基地の半分を撤廃することであれ、企業の犯罪に対して三振法を制定することであれ、我ら民衆が私たちが望むものを始めるのだ。まずは1つの素朴な要求から始めよう――政治から金を引き離す大統領委員会だ――我々は新しいアメリカのためのアジェンダを設定するのだ。

 我々の1つの要求がどのようなものであるべきか、コメントを投稿してほしい。そして勇気を振り絞って、テントを背中に、復讐の9月17日にウォール街へと向かおう。



野生のために、
カルチャー・ジャマーズHQ




訳者コメント:
 昨年2011年7月におけるアドバスターズによる記念すべき「ウォール街を占拠せよ」の呼びかけ。前の記事と合わせて読んでほしい。今読むとまだ暗中模索の部分がありながら、マネーあるいは財界が政治を腐敗させているという認識はこの当時からはっきりしていたことがわかる。それにしてもほんのわずかな部分だけだが、アメリカ軍基地の撤廃に触れた部分があり興味深いところだ。

 文体的には、ユーモアを感じる部分もあり、そのように訳してみたがうまく訳せたかどうか?




by BeneVerba | 2012-01-25 13:22 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
我々は何者か?
Who We Are
2011年07月16日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/who_we_are/


 2011年7月13日、アドバスターズの「カルチャー・ジャマーズHQ」が、行動の呼びかけを発した。「ウォール街を占拠せよ!」と。定められた目標は、2011年9月17日、2ヶ月かそれ以上の期間その場を占拠すべく、ニューヨーク州ニューヨーク市のウォール街に、2万人の人々を集めることである。エジプト、スペイン、オアハカ、その他世界の民衆的な集いに触発されたもので、それらに集まった人々は、1つのはっきりした、統一された要求へと通じる、共通の声を見つけようとしている。

 それこそが我々が OccupyWallSt.org を開設した理由である。情報技術の発達は、人々が緊密に連絡を取り合うことを容易にし、お互いに助け合って共同の目標を達成することを容易にしている。我々の狙いはそれらの道具を我々の利用者――この出来事の真のオーガナイザーたち――に提供し、ウォール街の占拠を成功させることにある。おそらく我々は人々に何かを見つけ出し(fish)たり、実行したりするように教えることはできないだろう。しかし、我々は素晴らしい道具(fishing pole)を作り上げることができる。

 しかし、それらの道具を自由に利用できるようにするだけでは充分ではない。それらの道具は民衆のものである必要がある。そこで我々は我々の作品がオープン・ソース・プロジェクトとしてリリースされるように、時間をかけた。このやり方なら、我々のリーダーシップに依存することなしに、他の人々が我々の作品を使ったり、手を加えたりすることができる。

 あらゆる国家の主権者たる人民は、それらの国家の運命を導く権力、権利、義務を有する。多くの人々はそのことに気付いていない。オーガナイザーはその気付きのプロセスをもたらすことができる。

 一体なぜウォール街を占拠するのか?なぜならそれは我らのものだから!そして、我々はそうすることができる!



訳者コメント:
 ウォール街を占拠せよ(http://occupywallst.org/)の公式サイトの(おそらくは)最初の投稿で以前から訳そうと思っていたもの。アドバスターズの方の行動の呼びかけも訳すつもりなので、しばしお待ちを。というわけで風邪も治ったことだし、ぼちぼちやっていきます。

by BeneVerba | 2012-01-25 11:41 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
2011年:革命の年
2011: A Year in Revolt
2012年01月03日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/2011-year-revolt/


11/17:粘り強く反撃し、これまでになく強くなってブルックリン橋に凱旋する
 リバティ広場の強制排除の二日後、我々はおそらくこれまでで最大の行動を開催した。その日の朝、占拠者たちはニューヨーク証券取引所の全ての入り口を封鎖し、引退したフィラデルフィアの警部が連帯し、数百名と共にニューヨーク市警に逮捕された。組織化された学生たちや労働組合を含む30,000人以上の人々が、ブルックリン橋を通って、リバティ広場、ユニオン・スクエア、フォーリー・スクエア周辺でデモ行進した。ポートランド、ミルウォーキー、シアトル、ロサンジェルス、デトロイト、マイアミ、シカゴ、フィラデルフィア、セントルイス、ワシントンDC、ハートフォード、ヒューストン、ピッツバーグ、バルティモア、グレートフォールズ、ミネアポリス、カラマズー、オーガスタ、サギノー、クリーブランド、リッチモンド、アイオワシティ、その他の占拠運動がリバティ広場の占拠者たちに連帯して、それぞれの橋を渡った。ニューヨークでは、ニュースクールの学生たちが24時間体制の占拠を確立した。連帯行動は、カナダ、日本、イギリス、スペイン、ドイツ、ギリシアその他の世界各地で開催された。

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11/18-現在:警察の暴力と不均衡な力に直面し、自らを変える
 機動隊が冷酷にも、平和的な座り込みを行っていたカリフォルニア大学デービス校の学生たちにペッパー・スプレーを使用した。その映像は瞬く間に広がり、非暴力的抵抗に対する国家の関心を直感的にひくようになる。警察の暴力と真夜中の襲撃のパターンは、シアトル、ポートランド、オークランド、サンフランシスコ、ロサンジェルス、フェニックス、デンヴァー、ミネアポリス、パルティモア、フィラデルフィア、ニューアーク、ボストン、アトランタ、モントリオール、アムステルダム、その他の数十の都市で繰り返されている。だが、状況の変化に伴い、我々は進化することを学び、「占拠運動は決して死に絶えない。我らを排除せよ、そうすれば我々は更に増加する」という言葉を証明している。排除された占拠運動は、総会を開き続け、日々の会合、イベント、ワークショップ、ティーチ・イン、デモ行進、直接行動、そして市庁舎、銀行支店、企業の事務所、法廷へのデモなどで忙しくしている。屋内に移った運動もあれば、銀行が所有する家屋を乗っ取った運動もある。また、いくつかの運動は教会で寝泊まりし、いくつかの運動はテントなしで占拠し、市の条例を避けるために24時間体制で見張りの番をおいている。そして数十の運動がテントと共に物理的な占拠を続けている。だが、我々の全てが組織化されている。我々の新しいスローガンは、「時が満ちたイデアを立ち退かせることはできない」となった。

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11/19:使われなくなった公有財産を取り戻し、コミュニティに役立たせる
 ワシントンDCの占拠者たちが、使われなくなった市所有のフランクリン校を解放した。社会福祉と民衆の意志を露骨にも無視して、ホームレスのための避難所だった場所は、K街の1%のロビイストたちのための分譲マンションないしはホテルに改造されようとしていた。警察の大規模な鎮圧以前、占拠者たちは建物をどう使うか決める公開フォーラムを計画していた。ホームレスの人々よりも多くの空き家がアメリカには存在するのだ。ウォール街の銀行家たちが巨額の利益と引き替えに住宅危機を引き起こす一方で、我々は空き家となった建物を住めるようにし、有効活用し、それらを必要とする人々のために人命を救う資源とすることで、多くの打ちのめされたコミュニティを再生させている。ロンドンで、シアトルで、オークランドで、チャペルヒルで、ポートランドで、ロサンジェルスで、ミネアポリスで、アトランタで、ボストンその他で、我々は銀行が所有する建物を社会的なセンターに変えている

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11/24:自分たちと互いを養う新たな方法を実演する
 アメリカにおける「感謝祭」の日、植民地主義者の祝日に感謝する代わりに、我々は集団的な要求に対して提供し続けることで、同情の精神に感謝を捧げた。ニューヨーク市では、占拠者たちは夕食を分かち合うために、リバティ広場に集まった。人民食堂は数千人の食事を提供し、Occupy the Hood はブルックリン、ハーレム、ブロンクスの至る所で食事を配給した。オークランドからボストンまで、占拠運動は座って食事をとり、ファースト・ネイションとネイティブ・アメリカンに連帯して行動に参加した。フィラデルフィアやその他の場所では、空き地を小さな農園に変え、コミュニティに食を提供するための共有地とした。Occupy Boston や Occupy DC などの多くの都市では「本当に本物の自由市場」を開催し、それらを必要とする誰に対しても品物を共有して、別の世界――そして、企業の利益ではなく、人々の必要を考慮した経済――が可能であることを証明した。


11/25:人民マイクを完成させる
 ニューヨーク市警の拡声器制限を避けるために始まったものが、組織化のための素晴らしい道具となった。情報の伝達からデモ行進の進路変更まで、2011年はマイク・チェックの年となった。人民マイクは1%の富裕層と腐敗した政治家に対抗するために数限りなく使われた。ニューハンプシャーではオバマ大統領を遮るために使われ、アイオワではニュート・ギングリッチを呼び出すために使われ、ロサンジェルスでは市議会で民衆の異議を表明するために使われた。だがブラック・フライデーに、人民マイクは完成された。占拠者たちは、エルパソ、カンサスシティ、サンディエゴ、アトランタ、オークランド、サンフランシスコ、ポートランド、シカゴやその他の数十の都市で、ウォルマートやその他の大規模小売店を占拠するためにこの手法を使っている。


11/28:誰にでも開かれた教育のために闘う
 警察の暴力に応答して、カリフォルニア大学デービス校の学生たちによる大規模な総会は、システム全体に渡るストライキを呼びかけ、キャンパスを封鎖する意向を表明した。カリフォルニア大学評議会は大幅なサービスの削減と授業料の値上げを予定していたのだった。ニューヨーク市立大学の学生たち――彼らはその一週間前に授業料の突然の値上げに対して抗議している最中に警察に襲撃されたのだが――は、バルーク校を乗っ取り、建物をバリケードで封鎖して理事会が授業料の値上げを票決するのを防いだ。その外では、数百名の Occupy CUNY の学生たちとその支持者たちが、「教育は権利だ!」とチャントしていた。一方、ニュースクールの学生たちは彼らのキャンパスを占拠し続けていた。


12/1:タハリール広場の占拠者たちを支持する直接行動
 エジプトでは、抗議者たちがムバラク政権を倒した後に権力を得た軍事政権が、民主主義と自由を求めて闘う抗議者たちを攻撃し殺し続けている。それらの人々の多くはウォール街占拠に霊感と支持を与えた同じ人々である。彼らへの連帯として、バルティモア、フィラデルフィア、そして大西洋中部にかけての占拠者たちが、アメリカ在住のエジプト人たちと共に、催涙ガス弾を製造するペンシルバニアに企業に対して抗議をした。それらはアラブの各政府に売られ、カイロのタハリール広場などの場所で抗議者に対して使用されているものである。「ウォール街を占拠せよ」はまたエジプト領事館そのたの場所で抗議活動を行った。


12/6:相互扶助の実践による差し押さえに対する直接行動
 行動日の最中とその後、我々は家屋を占拠し差し押さえと立ち退きを妨げた。ロサンジェルス、アトランタ、ブレマートン、リーノー、ニューオーリンズその他の地で、占拠者たちは差し押さえの競売を中断させた。フィラデルフィア、ロサンジェルス、サンフランシスコ、サンホセ、バッファロー、その他で占拠者たちは銀行事務所に対して担保権を行使した。ニューヨークアトランタデトロイトシカゴフォートローダーデールロチェスタークリーブランド、オークランド、フィラデルフィアで、我々はホームレス、貧困層、労働階級及び中産階級、低所得家族、非白人家族、差し押さえに遭った人々、退役軍人たちが空き家となった銀行所有の家屋に引っ越すのを助けた。

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12/7:政治における金による腐敗を暴き出す
 数千の占拠者たちが、政治家たちをコントロールしているロビイストの巣窟であるワシントンDCのK街を封鎖した。数百名が14番街の北西とK街の交差点で逮捕された。それ以来我々は、凍える風の中で、「ウォール街を占拠せよ、K街を占拠せよ、あらゆる場所を占拠して、二度と手放すな!」、「雨に、みぞれに、氷に雪、占拠はどこにも去りはしない!」とチャントしながら、ホワイトハウスへとデモをかけている。その後、アメリカ最高裁の階段で、シチズンズ・ユナイテッドにおける法人格の支配などの、政府の1%の富裕層との共謀を非難している最中に更に人々が逮捕された。

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12/12:港を封鎖する
 我々の運動を抑圧しようとする政府の組織化された努力に応答して、我々は各都市で我々自身の努力を組織化した。非暴力的な封鎖やその他の行動が、ロングビーチ、サンディエゴ、オークランド、ポートランド、シアトル、バンクーバー、アンカレッジその他の港で行われた。Occupy Houston はメキシコ湾の港を封鎖した。一方海に接していない Occupy Denver はウォルマートの大規模流通センターにデモ行進をかけた。Occupy Bellingham は非暴力的に港に品物を運ぶ線路を封鎖した。ニューヨークでは「ウォール街を占拠せよ」が、ゴールドマン・サックスの本社にピケを張り、世界金融センターでフラッシュモブを行った。またた連帯行動が、アンカレッジ、タコマ、シカゴ、東京、その他の場所で行われた。

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12/17:三ヵ月記念を祝う
 リバティ広場の強制排除以来、多くのホームレスの占拠者が路上や地元の教会で眠るようになった。12月17日、「ウォール街を占拠せよ」は、それらの教会の一つ、ウォール街のトリニティ教会によって所有されている空き地である、デュアルテ広場を新しい家として再占拠しようともくろんだ。数千の人々が連帯して現れ、我々は宗教的リーダーたちから甚大なる支持を受けた。

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12/18:移民と経済的難民に連帯してデモ行進
 国際移民デーに、「ウォール街を占拠せよ」と移民コミュニティの成員たちは、賃金泥棒、拘留措置、国外退去の終焉を求めて、また経済的難民と移民の権利を求めてフォーリー広場までデモ行進した。また他の占拠者たちはアラバマ州バーミングハムのICE拘留センターまで行進した。移民の正義を求める連帯行動が世界各地の都市と占拠地で行われた。

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12/31:新年を祝う
 アメリカの数十の都市と、ヨーロッパ、南アメリカで、刑務所と産業の複合体の廃止を求めるデモを行った後、我々は全てが始まった場所、リバティ広場へと新年を迎えるために戻った。占拠者たちは我々の公園から締め出そうと警察が設置したバリケードの上で踊り、少なくとも68名が逮捕された。また数十の都市で占拠者たちがイベントを催し2012年の始まりを祝った。

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2012:準備完了
 運動の自発的でリーダーのいない性質が、我々に強さを与えている。未来は不確定だが、可能性は無限である。2012年、あらゆる場所における占拠者たちが、団結した人々の強さを見せ続けるだろう。以下は、現在進行中の行動の単なる「予告編」である。

  • 我々は、大統領候補の選挙運動事務所を占拠することにより、リベラル/保守派、民主党/共和党の二分法が、実際のアメリカ社会を規定する社会的摩擦――99%対1%――から目を逸らさせるためのものであることを示すため、Occupy the Iowa Caucuses を続ける。
  • 本日、「ウォール街を占拠せよ」は「無限の拘留」を可能にする国防認可法に反対する抗議活動を行う。
  • また本日 Occupy Atlanta は、差し押さえの競売を妨害する。そして、彼らの野営地の名前をもらった人物であるトロイ・デイヴィスに敬意を表して、死刑制度に反対するデモ行進を行う。
  • 1月17日、我々は国会を占拠する。
  • 1月20日、Occupy San Francisco が金融街を再占拠する。
  • 4月7日、Occupy Chicago が全地球の占拠運動と共に「攻撃の春」を開始する。
  • 5月1日、世界はそれを目撃するだろう……



訳者コメント:
 2012年最初の翻訳。「ウォール街を占拠せよ」運動が、「革命の年」である2011年を自ら振り返る内容。文字数の制限のため2分割。前半はこちら

by BeneVerba | 2012-01-05 00:21 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
2011年:革命の年
2011: A Year in Revolt
2012年01月03日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/2011-year-revolt/

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 2011年は革命の年として記憶されるだろう。貧困と抑圧と暴力に基く維持しがたいグローバルなシステムの終焉が始まった年として。アラブ世界の数十の国々では、崩壊した経済と抑圧的な体制に対して人々が立ち上がり、政府を転覆し、世界中の人々に対して行動するように鼓舞した。緊縮政策と労働者の権利への攻撃に対する民衆の拒絶は、ギリシアで、アイスランドで、スペインで、ポルトガルで、イタリアで、イギリスで、チリで、ウィスコンシンやその他の場所で、数百万もの人々を街頭へと駆り立てたのだ。

 真夏までには、「ウォール街を占拠せよ」という呟き声がオンラインを賑わすようになり、7月14日に我々は occupywallst.org のドメインを取得し、組織化を始めた。最初のニューヨーク市総会は8月2日に開かれ、リバティ広場の占拠が9月17日に始まった。

 ますます開いていく富裕層と貧困層の格差に怒りをかき立てられ、多数を犠牲にして少数のエリート層にのみ寄与する政府の政策に憤慨し、根元的な経済的不平等に対する支配層の失策にうんざりし、「ウォール街を占拠せよ」は新しい解決策を提案した。我々は、数千の人々に食料を提供するため人民食堂を建設し、人民図書館を開設し、より安全に寝泊まりできる空間を作り、無料の避難所、寝床、医療、その他の必需品を必要とする誰でもに提供した。冷笑家たちが、私たちはリーダーを選び、政治家への要求をまとめるべきだと迫っていた頃、我々はまさしくそれらの機構に替わるものを忙しく創造していたのだった。革命は既に勃発した。誰も我々を止めることはできない。

 主流派メディアが我々を無視する一方で、我々はチュニジア、エジプト、イランなどにおける他のリーダーのいない運動から、メッセージを広めるためソーシャル・メディアやインターネット生中継を使うことを学んでいた。我々は、企業によって資金提供を受けた中央集権型のメディアがますます見当違いであることを描き出し、どのように情報が生み出され共有されるかを示す、ラディカルに民主化されたグローバルな運動の一部だ。情報の即時的な交換が、我々に素早い集団的な意志決定を可能にし、地球規模の情報とアイディアを議論することを可能にし、効果的な直接行動を集結することを可能にし、警察の暴力を記録することを可能にしている。今、これまで以上に我々が「世界中が見ているぞ!(The Whole World Is Watching!)」と唱えるのは、ただの虚仮威しではないのだ。

 今日、数万のごく普通の人々が、連帯、相互扶助、反抑圧、自治、そして直接民主主義といった理想の数々を実践している。個々人は都市大の総会群と自治的な各アフィニティ・グループで手と手を携えている。合意による、階層的でない、個人参加の自己統治を通し、今ここでそれを建設することにより、我々は文字通り新しい世界の骨組みを据え付けている。そしてそれは機能しているのだ。


 残りは歴史である。新年を祝って、概要と共にこれまでに我々が何を成し遂げたのかを振り返ろう。全ての行動を一覧し、「占拠」が起こった全ての場所に言及するのは不可能だろう。だが、我々の勝利の瞬間のハイライトを祝いながら、新年を始めよう。これから起きることの予告も一緒に!


9/17:ウォール街を占拠する
 2,000人を越える人々が、一つの目的のためにマンハッタンの金融街を急襲した。占拠するためである。我々はテントを持ち込み、新しく我々の家となる場所(ズコッティ公園)に新しい名前を付けた。リバティ広場と。

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9/24:経済的不平等の暴力的基盤を暴露する
 その後の出来事を暗示するかのように、ユニオン・スクエアでの平和的な行進から帰還する途中で、80名以上の人々が暴力的に逮捕された。抗議者への警察の不当なペッパー・スプレーの使用を録画したビデオが瞬く間に広まり、社会的経済的不平等の永続化のために不可欠な暴力が何であるかを暴露した。数千の人々がニューヨーク市警本署までデモ行進し、怒りの抗議をした。そして、世界は気づき始めた。


9/28-現在:労働者たちと抑圧されたコミュニティからの連帯
 占拠の初期から、「ウォール街を占拠せよ」は、より良い労働条件を巡って闘争する郵便労働者など、多くの運動に支持を寄せていた。9月28日には、トランスポート・ワーカーズ・ユニオン・ローカル100が、投票によって「ウォール街を占拠せよ」の支持を決め、構成員たちに参加するよう奨励した。それ以来、我々は、アメリカ教職員連合組合やパイロットたちなどから、西海外の湾岸トラック・ドライバーたちまで、数多くの地元の組合の支持を受けている。12月1日には、我々はニューヨーク市中央労働評議会に応えて、雇用と公平な経済を求めるデモに参加し、12月2日には、公正な職を求める農民たちと一緒にデモを行ったエコノミスト作家音楽家たちはみな我々を支持している。我々はまた、学生たち、移民たち、アフリカ系アメリカ人の教会指導者たちトランスジェンダー解放を求める活動家たち、ネイティブ・アメリカンの個人たち、先住民評議会のようなファースト・ネイションの人々、ハンガーストライキ中の収監者たちイラクやアフガニスタンの退役軍人たちなど、不公平な経済的政治的構造の下で生活条件を改善しようと闘っている数え切れないほどの抑圧を受けたコミュニティから参加を受けている。

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9/29-現在:占拠運動は地球規模に拡大中
 サンフランシスコの抗議者たちが、その地の金融街を占拠し始める。新しいミーム、「我々は99%だ!(We are the 99%!)が」急速に広がる。「占拠」それ自身が世界中で採用され、改案され、再発明される。「ウォール街を占拠せよ」は、「全ての通りを占拠せよ(Occupy All Streets)」となる。占拠グループ及び行動が、全ての大陸、千以上の都市、70以上の国々、そしてアメリカの50の州全てとコロンビア特別区で形成される。現在までに少なくとも5,748人の人々が占拠行動によって逮捕されている。野営地及び抗議運動は、最も大きな都市から最も田舎の町までに出現している。しかし、占拠や連帯行動が行われた場所の網羅的なリストを作成することは不可能に近い。我々はあらゆる場所に存在するといっても過言ではない。


10/1:ブルックリン橋を占拠、世界に占拠を呼びかける
 5,000名以上の人々がブルックリン橋まで行進する。警察は網で抗議者たちを包囲し、約800名を逮捕した。数日後、15,000人のデモ参加者たちがフォーリー・スクエアからリバティ広場まで行進した。夕暮れの後、ニューヨーク市警が見物人にペッパー・スプレーに使用し、ケトリング・ネットを用いて暴力的に反応する。翌日、数千の人々が、ポートランド、ロサンジェルス、サンフランシスコ、タンパ、ヒューストン、オースティン、ソルト・レイク・シティ、その他の場所でデモを行う。そして Occupy Together が始まる。

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10/10-25:立ち退きの第一派に対し決意を見せる
 Occupy Boston で140名が逮捕される。10月25日、数百名の警官が Occupy Oakland の排除に動き、催涙ガス、ゴム弾を使用し、85名を逮捕する。元海兵隊でイラク戦争の退役軍人が、催涙ガスの円筒弾を直接頭部に受け、危篤状態に陥る。広がりつつあった運動は即座に反応した。ニューヨークでは「ウォール街を占拠せよ」がユニオン・スクエア近くでデモ行進した。ポートランド、オースティン、デンバーでは、占拠者たちを追い散らすために、警察がペッパー・スプレーの小弾を発砲し、100名近くが逮捕された。それにもかかわらず、新たな占拠地は現れ続けた。


10/15:経済的正義を求めるグローバルな運動に貢献する
 世界一斉行動日に、ニューヨーク市では数千名の人々がタイムズ・スクエアまで行進した。アッシュランド、ケンタッキー、ケッチャム、アイダホといった小さな町からの抗議者たちが、デモインやダラスといった他のアメリカの都市の人々と共に行動した。世界では、抗議者たちが、アムステルダム、アテネ、オークランド、ムンバイ、東京、ソウル、オタワ、シドニー、ロンドン、ヨハネスブルグの金融街を急襲した。バルセロナとマドリッドだけで百万人の人々がデモに参加した。十万人の人々がローマとヴァレンシアで行進し、数万人の人々がベルリン、ザクレブ、ブリュッセル、リスボン、ポルトで行進した。ラテン・アメリカでは、ブエノスアイレス、ポルトアレグレ、リオデジャネイロ、サンパウロ、サンティエゴ、ボゴタ、サンホセ、キト、メキシコシティ、リマ、モンテヴィデオで最大の占拠が繰り広げられた。

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10/16-現在:我々は主流派メディアの政治的言論を変える
 我々のメッセージの反響を認識し、政治的支配層は我々の運動を取り込もうとして、我々のスローガンを政治的利益のために使い始めた。10月16日にはオバマ大統領が、「99%のために働こう」と主張した。10月の最終週には、主流派メディアは選挙が始まる以前の5倍の頻度で「収入格差」に言及するようになった。11月10日には、あるメディア分析会社が「『占拠』がインターネット及び印刷物で最も使われる英語の単語になった」と発表した。タイム誌は「抗議者」を今年の人物に挙げた。2011年、我々は「総会(General Assembly)」を身近な言葉にした。


11/2:我々は1946年以来初めてのゼネストを敢行する
 Occupy Oakland がゼネストの一番槍を務め、オークランド港を封鎖した。十万人の人々が連帯してデモ行進した。翌日、機動隊が特殊閃光手榴弾と催涙ガスで攻撃した。100名以上が逮捕され、別のイラク退役軍人が重傷を負った。

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11/5:我々は銀行家たちの大切なもの――彼らの財布――を襲う
 「ウォール街を占拠せよ」は、大手銀行と金融機関に抗議するために、バンク・トランスファー・デイを支持した。六十万人以上の人々が、銀行から非営利の信用金庫に切り替えた。


11/9-22:正義のメッセージを共有するため数百マイルを歩く
 11月9日、オバマ大統領の1%への減税措置に抗議するため、占拠者たちの一団がリバティ広場を去り、ワシントンDCへと向かった。数週間後「ウォークパイアー(Walkupiers)」たちは、ワシントンDCに到着し、温かい歓迎と大きなメディアの扱いを受けた。

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11/15:リバティ広場の暴力的立ち退きをくぐり抜ける
 ブルームバーグ市長の私兵たちが我々の家郷を襲った。午前1時頃、警察は恐るべき力の誇示を開始した。真夜中に音響兵器であるサウンド・キャノンを使い、抗議者たちを警棒で血まみれにした。ジャーナリストたちは立ち入りを禁止された。人民図書館に寄付された5,000以上の本が、占拠者たちの私物と共に、むちゃくちゃにされた。その最中にニューヨーク市議会の議員が逮捕された。ワシントンDCの占拠者たちが、リバティ広場の「オーナー」であるブルックフィールド不動産の事務所前で座り込みを行った。その直後、シアトルの占拠者たちがペッパー・スプレーの襲撃を受け、ポートランド、バークレー、サンフランシスコ、セントルイス、ロサンジェルスで占拠関連で数百名が逮捕された。我々はそれらの間非暴力であり続けた。

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訳者コメント:
 2012年最初の翻訳。「ウォール街を占拠せよ」運動が、「革命の年」である2011年を自ら振り返る内容。文字数の制限のため2分割。続きはこちら

by BeneVerba | 2012-01-04 23:35 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
未来を占拠せよ
Occupy The Future
2011年11月01日 - ノーム・チョムスキー
原文:http://chomsky.info/articles/20111101.htm


 この記事は、一〇月二十二日の「ボストンを占拠せよ」の占拠地であるデューイ広場におけるノーム・チョムスキーのスピーチを元に改稿したものである。彼は、当地での「ボストンを占拠せよ」自由大学主催によるハワード・ジン記念連続講演の一環としてこの講演を行った。故ハワード・ジンは、歴史家であり、活動家であり、『民衆のアメリカ史』の著者である。


 私にとって、ハワード・ジンに関する講演を行うのは、ほろ苦さの入り交じる経験です。私は、彼がこの場に参加することができず、彼の人生における夢であったであろうこの運動を活気づけることができないことを非常に残念に思います。実際、彼はこれらの運動の基盤の多くを準備したのです。

 もし、これらの出来事において確立された結束と連帯を、この先の長く辛い時期においても維持することができるのならば――とはいえ、勝利はすぐにはやって来ません――、占拠運動はアメリカの歴史において重大な意義を持つものとなるでしょう。

 私はこれまで、この場所で、そして世界中で行われている占拠運動のような規模と性格を持った運動を全く見たことがありません。占拠運動は、この先に待ち受ける障壁と、既に到来しつつある反動を克服するために必要な、永続的組織の基礎となるであろう協同的なコミュニティを創出しようとしている前哨なのです。

 占拠運動は、前例のないものであると共に、時宜に適ったものです。なぜなら、私たちが生きている時代が、今この時だけではなく、一九七〇年代以来前例のないものだからです。

 一九七〇年代は、アメリカ合衆国にとって転換点となる時期でした。建国以来、常に適切なものではなかったとはいえ、この国は産業化と富の増大に対して社会を発展させてきました。

 暗い時代においてさえ、継続する進歩への期待がありました。私は大恐慌の時代を覚えている年齢なのです。客観的に見て現在よりも厳しい状況であった一九三〇年代の中頃においても、その精神は現在と異なるものでした。

 戦闘的な労働組合たち――CIO(Congress of Industrial Organizations)やその他の組織です――が組織され、労働者たちは座り込みストライキを実行していました。工場を自分たちの手に取り戻し、自分たち自身で運営するようになるまで後一歩だったのです。

 民衆からの圧力に急かされて、ニュー・ディール政策が通過しました。圧倒的な人々の意識により不況を乗り切ったのです。

 今では人々の意識は、希望のなさにあり、時には絶望にあります。これは私たちの歴史にとって、極めて新規な事態です。一九三〇年代には、労働者たちは、やがて仕事が戻ってくるだろうと期待することができました。もしあなたが、実際上その失業率が大恐慌のレベルである製造業に携わる労働者ならば、現在の政策が続く限り、仕事は永久に失われたままだと理解していることでしょう。

 アメリカの前途に対する変化は、一九七〇年代から徐々に展開されてきました。数世紀に渡る産業化の過程は反転し、脱産業化へと変わっていったのです。もちろん製造は引き続き行われています。ただし海外で、です。それは利益にとっては良くとも、労働力にとっては有害なのです。

 経済は金融化へと移行を遂げました。金融機関は途方もなく巨大化しています。金融と政策の悪徳的な循環が加速しています。加速度的に、富が金融部門に集中しています。選挙運動費用の増大に直面した政治家たちは、裕福な支援者たちのポケットの中へと飛び込むよう駆り立てられているのです。

 そして、政治家たちはその見返りとして、ウォール街に有利な政策を実施しています。規制撤廃、減税措置、企業の支配に対する規則の緩和などです。これでは腐敗は不可避です。二〇〇八年には、政治家たちはまたしてもウォール街の企業を救いました。おそらはそれらの企業は潰すには大き過ぎ、その指導者たちは投獄するには大き過ぎるのでしょう。

 今日では人口の1%の富裕層の更に一〇分の一のみが、この貪欲とペテンの数十年間において、利益を得ており、万事順調なのです。

 二〇〇五年にシティグループは、――ところで、彼らはいくどとなく政府によって救済措置を受けているのですが――富裕層に更なる成長を遂げるように取り計らいました。この銀行は投資家たちに対し、「プルトノミー・インデックス(Plutonomy Index)」なる代物に資産をつぎ込むよう促すパンフレットを発表したのです。それは富裕な市場における企業の株式に応えるものです。

 「世界は二つのブロックに分割されつつあります。プルトノミーと残りです」。シティグループはそう要約しています。「アメリカ、イギリス、カナダは、富裕層によって経済が支えられている、鍵となるプルトノミー国家です」。

 不安定な実存を強いられて社会の周辺部で生活している、時にプレカリアートと呼ばれる非富裕層にとって、「周辺部」とはアメリカでもどこでも社会の実質的な部分のことです。

 つまり私たちはプルトノミーとプレカリアートに分割されています。占拠運動が理解しているように、1%と99%に。それは実際には正確な数字でなくとも、正しく社会を描き出すものです。

 未来に対する人々の信頼の歴史的な反転は、逆転不可能になりつつある傾向の反映です。占拠運動は、それをダイナミックに変えようとする最初の大規模な民衆的反応です。

 これまでは国内の問題についてお話ししてきました。しかし、国際的な領域における二つの危険な開発が、あらゆる場所に暗い影を投げかけています。

 人類の歴史において初めて、人類という種の生存に対して二つの現実的な脅威が存在しています。一九四五年以来私たち人類は核兵器を保有しています。私たちがそれにより絶滅しなかったのは、奇跡であるかのようです。しかし、オバマ政権とその同盟国はその政策を推し進めるよう推奨しているのです。

 もう一つの脅威は、もちろん環境的な破滅です。実際的には、世界中のあらゆる国家がそれに対する何らかの停止措置を講じなければなりません。しかし、アメリカはそれに逆行する措置を取っているのです。実業界では広く知られたプロパガンダのシステムが、気候変動はリベラルの作り話だと宣言しています。何で科学者連中に注意を向ける必要があるんだ?と。

 もしこの非妥協的態度が、この最も豊かで最も権力を持った国家において続くのならば、破滅は避けられないでしょう。

 規律があり、持続的な何かがなされなければなりません。それもすぐにです。それを進めていくのは簡単なことではありません。いくつもの困難や失敗が私たちを待ち受けているでしょう。それは仕方がないことです。しかし、この場所で、そしてアメリカ中で、世界中で繰り広げられているプロセスが、成長し続け、社会と政治の領域における主流とならない限り、まともな社会を築く機会は暗いままであり続けるでしょう。

 大規模で活発な民衆的基盤なしに、意義のある構想を達成することはできません。国中に出かけていき、人々が占拠運動とは何であるかを理解する助けとなることが絶対に必要です。彼らに何ができるのかを知らせ、何もしなかったら何が起きるのかその結果を知らせるのです。

 そのような民衆的基盤を組織化するということは、アクティヴィズムに教育を関係させるということです。教育とは、人々に何を信じるべきであるのかを説くことではありません。教育とは人々から学び、人々と共に学ぶことなのです。

 カール・マルクスは「問題は世界を理解することではなく、変えることだ」と言いました。これの変換である「もし世界を変えたいのならば、世界を理解しようとしなければならない」という言葉を心に留めておいてください。それは演説に耳を傾け、本を読めということではありません。それらも時には有用ではありますが。あなたたちは運動に参加することで学ぶのです。他人から学ぶのです。あなたたちが組織化したいと望んでいる人々から学ぶのです。理想を形成しそれを実行するために、私たちはみな理解力と経験を増大させる必要があります。

 占拠運動における最も興奮する側面は、あらゆる場所で展開しつつあるつながりを構築するという部分です。それらが拡大され維持されれば、占拠運動は、社会をより人道的な道筋に導くという献身的な努力をもたらすことでしょう。



訳者コメント:
 久しぶりの翻訳。おそらくは読者の方の多くもそうであるように、年末ということで忙しく、訳したい文章、再チェックしたい翻訳はいろいろとあるのだが、なかなかそのための時間が捻出できず申し訳ない。

 最近では、各地の占拠地が強制排除され、占拠運動は収束に向かいつつあるかのような雰囲気が形成されているようだ。が、占拠運動はそのようなものではない。このチョムスキーの文章が示唆するように(そしてまた雨宮処凛さんが『週刊金曜日』に書いていたように)、私たちは革命の時代のとば口にいるのだ。例えばバスティーユ襲撃からパリ・コミューンまでのような長いスパンで捉えることが必要だろう。

 そしてこの文章はまた、革命の発端にいる私たちは何をすべきかを教えるものでもあるのではないだろうか。「未来を占拠せよ」という題名はそういう意味に思われる。ジジェクの「彼らは悪夢へと変わろうとしている夢からの目覚めなのだ」という言葉や、「新しい内容を展開するには、時間が必要なのだ」という言葉を思い出してみてもいいかもしれない。

 あと、一つ気になる点を挙げれば、チョムスキーがここで1970年代という時期にこだわっている点だろうか。「情報化社会」「後期資本主義」など用語は何であれ、この時期に資本主義にある変質が起きたことは私には確かなことに思われる。前述の雨宮処凛さん――いわゆる「ロスジェネ」の旗手とされている――もまさにこの時期の生まれである。

by BeneVerba | 2011-12-21 19:21 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
日本大使への手紙
Letter to Ambassador of Japan
2011年11月02日 - ビアンカ・ジャガー
原文:
http://twitter.com/BiancaJagger/status/131733982911012864
http://www.twitlonger.com/show/dv7seu

以下は、福島原発震災がもたらした放射性被曝の恐怖の中で生きる日本の母親たちのため、日本大使に届けた手紙です。


ビアンカ・ジャガー人権財団
103 イヴァーナ・コート
ロンドン W8 6TX

林景一駐英国特命全権大使殿
101-104 ピカデリー
W1J 7JT
ロンドン
2011年11月2日


閣下,

2011年3月11日の津波が引き起こした壊滅的な結果による恐怖の中で生き続けている、日本中の数千の母親たちを支持するため、この手紙を差し上げます。請願書に署名した世界中の人々及び私は、日本政府の政策が、既存の津波被害とそれにより引き起こされた放射性被曝の破滅的な衝撃に対し、逆向きの結果を増すものだと信じるものです。今尚継続中である福島第一1号機及び2号機、3号機、4号機からの漏洩は、最善のシナリオでも数百万の人々の発ガン率の上昇をもたらすでしょう。

数千の母親たち及び請願書に署名した人々の懸念を貴方に伝えるととにも、次の要求を満たすことにより、放射性被曝を食い止めるために、可能な限りのあらゆる対策を講じるよう日本政府に対して訴えるものです。

  • 福島第一原子力発電所及び他地域の危険な放射性瓦礫は、被災した地域に留めておくべきであること。
  • 継続中である発電所の火災を止めるために、努力を集中するべきであること。また、3月11日以前に定められていた放射能レベルに基づき、人々は隣接地から避難するべきであること。
  • 許容しうる放射能レベルを増加させるという政策は、震災前のレベルにまで反転されるべきであること。今日、日本政府は計画的に放射性物質を拡散しており、愛国的な行為として福島産の食品を食べるよう公的な催しを開催しており、食品及び瓦礫の放射線の安全基準値を増加させている。例を挙げれば、今日の日本では、499bq/kgの値を示す食品が、消費者に対し全くそれを示すことなしに市場に出回っている。同様に、日本政府は瓦礫の放射線許容値を二倍に引き上げ、それらは焼却され海に投棄されるために、東京湾を含めた各地へと、国中に輸送されている。

私たちは、既に悲劇的である出来事が、国際的な範囲の壊滅的な環境災害へと変わることに対し、深い懸念を表明します。日本の環境省は、岩手県、宮城県、福島県の沿岸地域の災害による瓦礫の量を、2,382万トンだと見積もっています。瓦礫処理は日本の人々が直面する多くの障害の一つです。なぜならば、人々は生活を再建するために瓦礫を除去しなければならないからです。もし日本政府が、各地に集積される瓦礫を、充分に重要な問題であると受け止めないならば、拡散による放射性物質を含む瓦礫の処理は、もう一つの大きな問題を追加することになるでしょう。東京都は公式に、岩手県から1千トンの瓦礫を受け入れを表明しており、10月の終わりから、瓦礫を列車で輸送し、それらを焼却し、その灰を東京湾の埋め立てとして用いるでしょう。岩手県は、それらの瓦礫が133bq/kgの放射性物質を含むと見積もっています。これは震災前には違法な措置でしたが、日本政府は、2011年7月に瓦礫の安全レベルを100bq/kgから8000bq/kgに引き上げ、10月に10,000bq/kgに再度引き上げました。東京都は総計で50万トンの瓦礫の受け入れを表明しています。その岩手県では、2011年8月12日に、薪(の樹皮)から1130bq/kgの値が検出され、人気のある宗教行事でそれを燃やそうとしていた京都府は、汚染を理由にそうしないことに決めました。

日本政府によるこれらの行為がもたらす結果を、正確に予測することは困難ですが、今現在とんでもない環境的な大ばくちが行われていることは、誰にも否定できません。この問題は、地理的に被災地に近い東京地域に限った問題ではありません。東京都知事はこの措置が、他の地方自治体が瓦礫を受け入れるように奨励することを希望すると述べています。細野環境大臣は、2011年9月4日の記者会見において、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている」と述べ、原発事故近くの瓦礫や土壌を焼却する最終処理施設を、福島県外に設置するという彼の意図を繰り返しました。もし多くの地方自治体が東京都の指導に続くのならば、直接的な放射性物質拡散の被害を受けていない地域も、土壌や水質の汚染を招くことになるでしょう。

私は敬意を表しつつ、日本政府に対し汚染された地域の瓦礫を拡散し、焼却し、投棄することを思い留まらせるように、貴方に強く促すものです。それらは現在の場所に留めておくべきであり、人々は3月11日以前に実施されていた基準に従って避難させるべきです。日本の数千の母親たち及び私が恐れていることは、もし日本政府がこれらの政策を押し進めるのならば、現在及び過去の世代の運命が、危機に瀕するということです。悲劇的な結果を招かないように、適切な行動が取られることが私たちの望みです。


この件につきまして、閣下が思いやりのある配慮を取られるならば、ありがたく存じ上げます。

敬具,


ビアンカ・ジャガー
ビアンカ・ジャガー人権財団創設者及び会長



訳者コメント:
 1ヵ月以上前の文書だが、Twitterでリツイートされて回ってきたために、今日知ったもの。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーの元夫人、ビアンカ・ジャガーさんが、ビアンカ・ジャガー人権財団の名前で林景一駐英国特命全権大使に送った手紙の全文を、これまたTwitter(ないしTwitLonger)に投稿した原文から訳した。誤訳などあればぜひご指摘を。

 現在の津波ではなく地震が原発事故を引き起こしたという主張とは異なる部分があるが、それにしても彼女が、これほどまでに正確に日本で起こっていることを知っているのには驚くばかりだ。私は、この手紙から、9月19日の「さようなら原発」の集会での武藤類子さんのスピーチを思い起こしてしまう。既に有名であるこの講演から以下にその結語部分を引用しておこう。

 たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。

 私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

 


by BeneVerba | 2011-12-11 15:34 | 翻訳 | Trackback(1) | Comments(0)
エルノは死んだ
Helno est mort
2004年 - マヌ・チャオ
原文:http://www.greatsong.net/PAROLES-MANU-CHAO,HELNO-EST-MORT,9000401.html





原詩:
Au clair de la lune mon ami Helno
prete moi ta plume
pour t'ecrire un mot,

ta chandelle est morte je n'ai plus de feu,
ouvre moi ta porte pour l'amour de dieu.


Helno est mort une fois encore il est sorti après minuit
Helno est mort Helno est mort 100.000 remords

helono est mort une fois de trop il est partie au paradis
Helno est mort Helno est mort 100.000 remords


Au clair de la lune mon ami Helno
prete moi ta plume
pour t'ecrire un mot,

ta chandelle est morte je n'ai plus de feu,
ouvre moi ta porte pour l'amour de dieu.


Helno est mort une fois de trop dans les journaux
ya sa photo
Helno est mort Helno est mort 100.000 remords

Helno est mort une fois de trop dans les bistros il a pécho
Helno est mort Helno est mort 100.000 remords


Au clair de la lune mon ami Helno
prete moi ta plume
pour t'ecrire un mot,

ta chandelle est morte je n'ai plus de feu,
ouvre moi ta porte pour l'amour de dieu.


拙訳:
月光の下にて 我が友エルノよ
お前の筆を貸しとくれ
少しばかりお前に書きたいことがあるのさ

お前の灯火は消えてしまい 火を付けるものもない
どうか後生だから 扉を開けてくれないか


エルノは死んだ たったの一度きりで 真夜中過ぎに
エルノは死んだ エルノは死んだ 幾千もの後悔

エルノは死んだ 一度きりだけの過剰 天国へとまっしぐら
エルノは死んだ エルノは死んだ 幾千もの後悔


月光の下にて 我が友エルノよ
お前の筆を貸しとくれ
少しばかりお前に書きたいことがあるのさ

お前の灯火は消えてしまい 火を付けるものもない
どうか後生だから 扉を開けてくれないか


エルノは死んだ 一度きりだけの過剰 新聞を飾った やつの写真
エルノは死んだ エルノは死んだ 幾千もの後悔

エルノは死んだ 一度きりだけの過剰 酒場でいつも 手に入れてた
エルノは死んだ エルノは死んだ 幾千もの後悔


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訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ」とも脱原発運動とも関係ない翻訳。Twitterで偶然話題になったので訳してみた。元マノ・ネグラのヴォーカリスト、マヌ・チャオが、レ・ネグレス・ベルトのヴォーカリスト、エルノの麻薬による過剰摂取による死去を追悼した歌で、彼の2004年のアルバム「Sibérie m'était contéee」(eが一つ多いのは意図的なもの)より。なお、歌詞は適時省略してある。
 


by BeneVerba | 2011-12-11 06:58 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)