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e0252050_17261251.jpg ウォール街占拠についての本『99%の反乱』の翻訳者の一人である山形浩生氏が、発売からさほど立っておらず、売れ行きも定かではない、私の初めての翻訳書『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』を口を極めて罵っている。しかし、それらの非難は事実において全く根拠がないものである。以下そのことを指摘する。


 この本に対する氏の評価は、まず「少し時間がたった客観性皆無」の本というものだが、『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』の「序文」(訳者序文などではなく、原著者たちが書いた序文)には、「私たちがこの本を出版しようとしている二〇一一年一二月はじめ」とあり、原著が出版されたのは今年二月である。それから翻訳権の交渉もあり、翻訳作業に半年はかかる。氏が翻訳家であることを考慮すれば、こうした事情は当然氏も知っているであろう。

 以上を考慮すれば、「少し時間がたった」くせに、との言葉は、狡猾な悪意に基づいた攻撃であり、読者を誘導するものである。付け加えるに「序文」には、「この本は、『ウォール街を占拠せよ』(OWS)の最初の数カ月間の記録である」と明記されている。そのような本に対して、「少し時間がたった段階での客観的なものの見方や反省、今後の展望とかについてある程度は包括的な視点が出ているのか」と期待するのは勝手だが、そうではなかったからといって本の評価を下げるという評価は許されない。

 間違いは続く。さらに、氏にとっては残念なことに『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』には「占拠運動の未来」という分析的な章があるのである。また、「序文」にもあるように、「OWSのような水平性を特色とする運動を、公的な立場から代表することは、不適切かつ不可能」である。氏は本書についてもOWSについても、大きな勘違いをいくつも犯してしている。

 『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』は、OWSの当事者によるインサイド・ストーリーであり、ドキュメントである。数十名の人々が携わった書籍であり、各章の視点も異なっているどころか、一つの章も複数の人数で書かれている(おかげで翻訳には苦労させられた)。言い換えれば、この本はまさにOWS的なやり方で書かれている。それは序文に書かれている通りである。

 この本に書かれているのは、九月一七日以前(そう、OWSは突然始まったのではない)の胎動期(例えばブルームバーグヴィル)や、OWSが始まってからの作業部会での活動、OWSが経験したことなどである。それらはいずれも「記述的」と呼ぶのがふさわしい(実際、編集者とのやりとりでは、何度もこの言葉が出ていた)抑制的な文体で書かれている。

 また、多くの人は、OWSとスペインのM15の間に人的交流があることを知らない。マイケル・ムーアのYouTubeのチャンネルで、エジプトの組合指導者がウィスコンシン州の運動を激励していたことも知らない。この二つは本書に書かれていることであるが、もちろん書かれているのはそれだけではない。また、拙ブログで訳出したように、エジプトの革命家たちもまた資本主義を問題にしている。

 それからまた、本書の中で極めて重要な役割を果たす場面があるジョージア・サグリについて、高祖岩三郎氏の解説では「ギリシアの芸術家ジョージア・サグリ」として触れられている。こうした読解力を持つ山形浩生氏に高祖岩三郎氏の解説を論ずる資格はない。

 このような内容の本に、類書の翻訳者である山形浩生氏が「客観性皆無」「中身は『99%の反乱』とほとんどかわらず」などという言葉を投げ付けているのである。

 多くの人々が、OWSについての不十分な報道をもとに、OWSとは何かを語っているというのが状態である。この本はそれを人々に伝えるための本である。なぜならばOWSは全民衆のためのものだからだ。にもかかわらず、山形氏の書評になっていない書評は、それを人々から奪うものである。

 「そして訳者は、ジャスミン動乱とギリシャやスペインの政府緊縮策反対デモと、このウォール街占拠が同じ流れの運動だと強弁するんだけど」と書く山形氏の間違いは、上に述べた部分からだけでも明らかだろう。だが、何よりも、著者たち(繰り返すがOWSの当事者たち)が次のように書いているのだ。『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』から引用する。

「ウォール街を占拠せよ」は、昨年(二〇一一年)のうちに世界中のほとんどすべての大陸へと到達した、グローバルな運動の一部である。それぞれの抗議運動は異なる国家において、異なる政治体制のもとに行われており、各運動が要求するものも異なっていた。しかし、それらのすべては、軛から解き放たれたグローバルな資本主義が生み出す不平等に対して、よく似た憤激を表明している点で一致していた。


 ちなみに引用した部分は、第一章にあたる「はじまり」のほぼ冒頭部分である。

 また氏によれば、「頭に血の上った人が左翼『うんどー』ジャーゴンまみれにしてくれたせい、かえってわかりにくくなっている」そうだが、それがどこであるかは具体的に指摘する気はないようだ。しかし、序文にもあるように、「この抗議は、半世紀前の公民権運動以来、アメリカでもっとも重要な革新的運動」である。どうやら山形浩生氏は、OWSの当事者以上にこの運動を理解しているらしい。私は「Peoples Mic」を「人民マイク」と訳した。しかし、実は私はこの言葉を翻訳以前に、町山智浩氏の現地レポートで知っていたのであり、町山氏の『アメリカ格差ウォーズ』でも「人民のマイク」と訳されている。

イベントやったとか、アーティストがきてアートパフォーマンスやりましたとか、ぼくはこうした運動において誇るようなことではないと思う。お祭りにすればするほど、一般人の(99%の!)普通の要求からは乖離するだけだし、ブラックパンサーのアンジェラ・デイビスを祭り上げたりして60年代過激左翼運動と結びつけようとするのは、ぼくはマイナスだと思っている。が、左翼の活動家は、ついに自分の春がきたとかんちがいしてはしゃぐばかり。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20121011/1349919289


 端的に言って、この部分の最初は誤読がひどいために意味不明である。おそらくは、OWSの芸術文化作業部会のことを言っているのだろう。『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』に書かれているように、芸術文化作業部会はOWSに当初から参加している重要な組織である。「アーティストがきて」は明白な間違いである。

 『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』の「ボキュパイ――有色人たちの占拠運動」は、極めて重要な章である。この章では、社会の不平等な仕組みを壊そうとする社会運動が、自分たちが壊そうとする社会そのものの複製になってしまうこと(言うまでもなく反原連の問題と類似する問題!)が取り扱われている。

 上で紹介した内容の一部からわかるように、『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』は、参加者たちとその行動にスポットを当てた本であり、ズコッティ広場を訪れた有名人についての記述はほとんどない。わずかな例外の一つは、「ボキュパイ」の中でアンジェラ・デイヴィスのスピーチが引用されていることだ。私はそれを訳す時に訳註をふって註記を書き、訳者あとがきでこの章についてふれた。それをこのように歪曲しているのである。

 間違いはそれだけではない。ここで想定されているのは、彼の年齢(山形氏も若いとは言えないが)より上の左翼活動家なのだろう。だが、事実として私は山形浩生氏よりはるかに年下であるし、脱原発デモには参加するが、そして「左翼」なのだろうが、いわゆる「左翼活動家」ではない。


 山形浩生氏の事実誤認、目に余る誤読、そして、その誹謗と中傷は上述のように明らかであり、http://cruel.org/ に謝罪文を掲載すること、そして、記録として当該の書評を削除せず、謝罪文へのリンクなど明記して残すことを山形浩生氏に要求する。


[追記]
あまりまとまっていないが、こちらも参照してほしい。
  • 『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』への山形浩生氏の書評に対するTwitter上での反論:
    http://togetter.com/li/388738



    10/13の変更点:
  • 文句が重なっていたために、下記のように変更した。
    変更前:「少し時間がたった段階での客観的なものの見方や反省、今後の展望とかについてある程度は包括的な視点が出ているのかと期待していた」。しかし、
    変更後:さらに、
  • 誤変換を訂正した。

    10/17の追記:
  • Togetterへのリンクを追加した。

  • by BeneVerba | 2012-10-12 17:09 | 意見 | Trackback | Comments(2)
     テレビニュースも取り上げ始めた首都圏反原発連合による官邸前抗議は、「日の丸は許容、団体旗は禁止、『従軍慰安婦」否定の極右も許容」という方針をとっている。それが生み出した空間は、予想通りにも「国民国家」の再生であった。むろん、日の丸を掲げ、「従軍慰安婦」否定の歴史修正主義者を呼び、それらに反対する人を排除した結果である。

     以前から私は、こうした方向性を懸念していた。ツイッターで今年二月に、「原発運動の中の国民主義みたいなものが気になる。『想像の共同体』としての国民国家を、再想像することで、脱原発を目指しているように見える」と書いた。そして、後に首都圏反原発連合の主催者の一人となる人物に罵倒された。こうした方向性が現在全面化したものが、官邸前抗議である。

     首都圏反原発連合の公式アカウントは、日の丸容認の理由を問われて、「『特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等』とみなしていないから」と返答した。恐るべき答えである。日の丸が日本の帝国主義を象徴する旗であるというだけでない。

     それが、日の丸を認めない外国人と日本人を抑圧するものだからであり、こうした姿勢は日の丸の持つ歴史性を無視するものだからであり、そしてなによりも、あらゆるイデオロギーの頂点にあるイデオロギーとして、日の丸を不可侵の立場に置くものだからだ。それに名前を付けるとしたら、私には「ファシズム」以外の名称が思い浮かばない。

     首都圏反原発連合のやり方には、私だけでなく、他の脱原発を願う人々も問題視している。この運動はマジョリティによるマジョリティのための運動である。「右も左もない」は、マジョリティ同士のなれ合いである。原発は差別と抑圧の基に成り立っていた。それを首都圏反原発連合が繰り返している。それは、そうした構造の再生産に他ならない。

     脱原発のためといいながら、こうした矛盾に荷担するよう仕向けているのは、首都圏反原発連合である。


    *「日の丸こそが相応しい」と題された官邸前デモについてのTogetterも参照のこと。

    by BeneVerba | 2012-07-15 14:36 | 意見 | Trackback | Comments(0)
     マスメディアの報道を通し、私が初めて「慰安婦」問題を知った時の気持ちを、どう言い表せば適切なのだろうか?それは一九九〇年か一九九一年のことではないかと思うのだが、敢えて言えば、「やはり……」というものにでもなるだろうか。幼心にそういう「腑に落ちる」ような気持ちがあった。

     そうした時代に依存した感慨は、例えば今の一〇代やそれ以下の人々に、伝わるものだろうか?なにせ、崩壊の兆しが見え始めていたとはいえ、まだ長年に渡る自民党の支配に終止符が打たれていなかった頃の話なのだ。そして、今は直接的な戦争体験者の死去による戦争体験の伝達が危機を迎えている時代である。


     SFや漫画などで、こういう物語を持つものがある。主人公は周りの世界をおかしいと感じているのだが、それが何に由来するものかわからない。ただどこかがおかしいとだけ感じている。だがある日、何かのきっかけで、実は普通の人間たちだと思っていた周りの人々が、ロボットであったり異星人であったりすることに無理矢理気付かされる。快適に見えた今までの世界は嘘っぱちの世界だったのだ。

     そうした物語が孕む意味は、主人公は見かけの世界が意味しようとするものとは、異なるメッセージを、常に受け取っていたということだ。私に「腑に落ちる」ように思わせたものは、その時代には、まだかすかながらそうした感覚がまだ残っていたということだろう。


     例えば、この「慰安婦」問題に関する標準的な書物として知られる吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書)は、そうした事実があること自体は、公の形ではなくとも知られていたことを記述している。また、先の「さようなら原発」集会の記者会見だったと思うが、大江健三郎氏が村の戦争体験者から聞いたこととしてそうした話を語っていた。

     つまり、戦後日本、自民党時代の日本、呼び方は何であれ、それまでの日本は偽物の秩序であり、見せかけだったのだ。したがって、先ほどの私の古い感慨に、今あらためて後の句を付けるとすれば、「やはり……偽物だったんだ」とでもすべきなのだろう。三・一一以降を生きる私たちにとって、それらの寓話はあらためて意義のあるものになったのではないか。私たちが生きていた世界は「ずっと嘘だった」のだ。


     もし、私が「慰安婦」問題を知ったのが一九九一年のことだとしたら、金学順さんら三人の「慰安婦」被害者が、その年の一二月に東京地裁に提訴し、東京の韓国YMCAで会見した時のことだろう。今からほぽ二〇年前のことである。

     知ったのが、その前年一九九〇年――この年に金学順さんが初めて元「慰安婦」として名乗り出たのだが――だとしたら、韓国の女性団体が共同声明を発表した時のことだろう。その一〇月の共同声明は次のようなものだ。
    一、日本政府は朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認めること。
    二、そのことについて公式に謝罪すること。
    三、蛮行のすべてをみずから明らかにすること。
    四、犠牲となった人びとのために慰霊碑を建てること。
    五、生存者や遺族たちに補償すること。
    六、こうした過ちを再び繰り返さないために、歴史教育の中でこの事実を語り続けること。

     これらの要求事項はいくつかの語句を入れ替えるだけで、震災被害にも当てはまるだろう。「一、日本政府は放射線被害の事実を認めること。二、そのことについて公式に謝罪すること。放射線被害と原子力導入の経緯をみずから明らかにすること…」などと。

     この類似性は単に、両者が不正義であるがゆえだけではないのではないか。おそらくは、騙す、事実を認めない、責任を取らないという日本の権力の性格に由来し、人生そのものへの被害であるが故に原状回復が困難であるという被害の性質に由来するのだろう。


     もし「慰安婦」被害者の人々がそうした表現を許してくれるのならば、我々は同じ日本という権力から被害を受けたものである。なのになぜ私たちは「ウォール街を占拠せよ」のような連帯ができないのか?
     それぞれ異なる出身の多くの人々が、一%の貪欲、企業の貪欲への偽の解決法、組合潰し、公共サービスの削減と民営化といったものから、悪影響を受けてきた。九九%の人々は多様であり幅広い。だが、我々には連帯という原則があり、より良い世界――包摂と、尊厳と、愛と尊重の世界――を作るために、共に働いているのだ。「ウォール街を占拠せよ」に、レイシズム、セクシズム、トランスフォビア、移民への憎悪、ゼノフォビア、憎悪一般を受け入れる余地はない。

     挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が主導して開始したと聞くハルモニたちの水曜デモが初めて行われたのは、一九九二年一月八日である。彼女たちはこの二〇年間ずっと抗議活動を続けてきた。昨年一二月一四日に一〇〇〇回目を迎えた。阪神淡路大震災時と東日本大震災時に追悼沈黙デモになったことがあるだけだという。

     二〇年間に渡る一〇〇〇回に及ぶデモ。しかし、今なおその正義を求める声は、日本政府に受け入れられていない。なのに、彼女たちを否定するまさにそのような人物を迎え入れることで、脱原発運動のみが、その目的を果たすことができるのだという思考は、控えめに言っても、かなり自分たちの願望を優先した都合の良いものに思われる。

    by BeneVerba | 2012-02-02 17:12 | 意見 | Trackback | Comments(0)
     私は、脱原発デモには多種多様な考えの持ち主が参加していいと思っている。しかし、もし脱原発運動と共に、なし崩し的に右翼との癒着が広がるのならば、危惧せざるを得ない。それはマジョリティによるナショナルな運動でしかないのではないのか。被曝は国籍を選ばないというのに。

     また、それは日本の為政者にとっても都合がいいものではないだろうか。日の丸を取り上げてみよう。一時期スポーツで日の丸を振ることは自然なことだというキャンペーンがあった。それは財界の意向の元に行われた雰囲気作りだったのではないか。本当に自然に選んだのか選ばされているのか、よく考えてみた方がいい。私自身は日の丸に直接的な好感情も悪感情もない。しかし、我々はこのような歴史を忘れさせられているのではないだろうか。

    [1]日本の長い歴史のうち、政府がもっとも強い軍事力をもったのはいつだったでしょうか?
    [2]日本の長い歴史のうち、国民が暴力によって殺された数がもっとも多かったのはいつだったでしょうか。

    正解――同じ時期
    (C・ダグラス・ラミス『普通の国になりましょう』、大月書店)

     私はいくつかのデモで日の丸を掲げている人を見た。他のデモでも同様だという。なぜ、侵略のシンボルであるだけでなく、自国民をも殺した旗を誇らしげに振るのか、私には理解ができない。今もまさに私たちは国家によって苦しめられているというのに。日の丸もまた原発同様、施政者によって騙されて来たことだったのではないか。

     どうすれば民衆の力で原発を止めることができるのか。それはわからない。ある人が言ったことだが、もし仮にレイシストと手を組んで原発が止まるならいい。だが、そのような条件はもちろんない。客観的に見れば、脱原発は進まず、レイシストを含む右翼との連携が進んでいるだけである。そしてそれは日本の民主主義を確実に蝕んでいる。

     「危機だから他に方法はない」とは、ショック・ドクトリンの時期における為政者の言葉だ。国民は「ショック・ドクトリン」を自らに実行しているのだろうか。

     本当に他に方法はないのか。

     それどころか、そうした右翼を抱擁する脱原発運動は大同団結をうたいながら、暗黙のうちにマイノリティを、右翼と手を組みたくはないという人を、日の丸や君が代は嫌だという人々排除している。

     また、右翼にあわせることが一つの基準になっているのはおかしい。右翼が参加したければ、すればいい。しかし、なぜそうではない人々がそれに合わせなければならないのだろうか。

     「脱原発運動はワン・イシューだ」とよく言われる。そうであるならば、日の丸のような問題はなおさらち込むべきではないのではないか。

     日の丸が好きだという持ち主の人も脱原発運動をする権利がある。しかし、脱原発のためにこそ折れるべきなのは、彼らだ。日の丸は掲げない、レイシスト、歴史修正主義者は呼ばない、そういう方針で脱原発運動をやればいい。


     繰り返しになるが、こうやれば確実に原発を止めることができるという方法はない。しかし、少なくとも悪影響を避ける方策はとれるはずだ。あくまでもラフな草案だが、次のようなことが私たちにはできるのではないか。


    • 事前にデモ主催者に連絡を取り、日の丸を掲揚しての参加を認めているのかどうか確認する。
    • 認めている場合、止めてもらうように要請する。
    • 主催者が応じないなら、「日の丸が掲げられる限りあなたたちのデモには行きません」と理由を告げ、そのデモに行くのは止める。
    • いずれにしろそのことをインターネットで報告する。
    • Twitter、ブログ、facebook などで、自分のポリシーを表明する。
    • 「原発はいらない」というだけでなく「君が代も日の丸いらない」「レイシズム反対」などという意思表示をする。
    • 他者を排除しないデモを自ら開催する。



    *2/2、深夜改稿。「日の丸と脱原発――脱原発デモを選ぶ」から「『他に方法はありません』――脱原発運動のヴィジョンを拡げる」に改題。


    2/3の追記:
     この記事についてはいろいろと反響があったが、私は「脱原発と反TPP」のセットはよくて、「脱原発と反レイシズム」等のセットがタブー視されるのはおかしなことだと思う。脱原発は誰しもの願いだ。しかし、脱原発だけにフォーカスが当たって、他のことが見過ごされるのは何かが間違っているのではないだろうか。「脱原発と反レイシズム(ないし反歴史修正主義)」を掲げることが当たり前になるように願わざるを得ない。

    by BeneVerba | 2012-02-01 13:01 | 意見 | Trackback | Comments(2)
    コメント:
     脱原発運動はこうであるべきだとはっきり提言するのは不可能だろう。しかし、私は最近脱原発運動が間違った方向に行ってしまいつつあるのではないかという危機感を持っている。特にマイノリティを勘定に入れない脱原発運動に対して。それは戦後の抑圧的な社会構造の反復、マジョリティを中心とした共同体の再生に過ぎないではないのか?昨夜から今朝へかけての Twitter での呟きから、誤変換などそのままに私の今の関心を記録しておきたい。

     また、以下の引用には現れていないが、もう一つ付け加えておきたい。在特会のようなどうしようもない存在に対して、「脱原発を主張する『本物の』右翼」として特にリベラルやノンポリから賛辞を与えられている存在は、所詮強面役となだめ役のような存在に過ぎないのではないか。少なくともそう機能することで、社会全体の右翼への親和化は進むのではないか。

     私は脱原発運動の最終到達地点は、戦後以来の、あるいは近代以来の日本のシステムを解体することだと考えている。

    私たちは二つの「日本再生」に悩まされている。一つは自民党が言うような復興、もう一つはレイシストを抱擁するような脱原発運動。どちらにも未来はない。後者が仮に実現したところで、差別に鈍感な日本は温存されるだろう。
    posted at 23:11:27

    「あらゆる差別への反対」と「脱原発」は両立する。にもかかわらず、前者(被曝は日本人だけの問題ではないのいうのに)と後者が両立しないように言うのは、マジョリティーの立場。
    posted at 23:18:21

    歴史修正主義にしてもレイシズムにしても、普遍的な価値に反するから反対されている。それを「左翼だから反対している」という風に受け取っていることの多さは、これらの問題が十分に理解されていないことを意味する。
    posted at 23:22:36

    そこには1990年代以降のナショナリズムの自然化の期間に鈍感だった、というよりは鈍感に置かれていた人々の問題もあるかもしれない。
    posted at 23:26:03

    当たり前だが、「従軍慰安婦」被害には旧植民地国出身者への差別、女性への差別などであるとともに、日本はそれを受けてどうするのかという問題でもある。「今は危機の時なのだから」と言ってマジョリティが今取り組むべき問題に優劣をつけていいものか。
    posted at 23:33:53

    私が今考えつく最悪の「脱原発」のシナリオはこうだ。何らかの形で脱原発は実現するかもしれない。だが、その社会は脱原発以外では何も変わってない社会なのではないか。そこでは経済的社会的他者に無関心であるどころか、むしろ共同体の「成功体験」として日本社会の悪しき部分は強化されるのでは。
    posted at 23:47:02

    原発を安全なものと思わせられていた感性への政治と、日の丸の歴史を忘却させられてきた感性の政治は同種のものに分類できないか。戦後の嘘として。前者は3・11によって、その嘘が暴かれた。後者はまだその過程を踏んでいない。
    posted at 23:57:45

    もちろん脱原発運動が成功しない場合の最悪のシナリオは、脱原発も果たせず、右翼と左翼のなし崩し的な連携が進み、国家の側も市民の側も行き詰まるというものだ。そうなったら「右も左も関係ない」脱原発派は、運動を自ら見直さなければならない。
    posted at 01:00:13

    脱原発デモは、左翼が悪魔化され、異議申し立てをするのはごく一部の人という風潮を変えた。だが、そも一方で「イデオロギーを持ち込むな」という形のイデオロギーが優勢である。それは廃炉だけみて日本の民主主義には無関心な態度ではないのか。
    posted at 04:55:09


    by BeneVerba | 2012-01-31 05:18 | 意見 | Trackback | Comments(3)
    *昨夜のTwitterより八木さんとの議論を許可を得て転載。言葉がおかしかったり、とっちらかっている点があるがそのままで。転載を許可してくれた八木さんに感謝。


    八木
    マイノリティ差別の何が怖いって、「歴史上、それで虐殺や戦争にまで発展したケースが後を絶たない」のはもちろん「歴史上、権力者がその差別の構造自体を裏から操って、自分達の利益になるようにしていた」こともあるように思います。(続)

    八木
    そういう人間達は、要は差別の持つ対立構造を利用したいだけ。だから「差別する側」だろうが「差別を否定する側」だろうが関係ないわけです。ここで私は、こうした「差別構造の悪用」が、本当に差別に苦しんでいる人を二重に侮辱してしまっていることにならないかと思えてならないわけです。(続)

    八木
    極端な例ですが。―かつて差別思想のせいで戦争が起こった。戦後、何年か経ってから補償問題になったが、ここでまた差別思想に基づいて「やつらは嘘を言っている」という人々と「いや相手に補償すべきだ」という人々がいて、揉めてしまった…(続)

    八木
    …一方、相手国の側でも強硬に補償を求める人々がいた。しかしそうした声の陰で、着々と次の戦争の準備が進み、気がついたら次の犠牲者が生まれてしまった。―じつは最初の戦争も、2度目の戦争も、陰から同じ勢力が「差別の構図」を利用して、わざと戦争を引き起こしていたのかもしれませんね。(続)

    八木
    「差別の対立構造」が誰かに利用されうることを説明しましたが、「領土問題の対立構造」「犯罪者と被害者の対立構造」でも同じようなことはできてしまうのでしょう。(続)

    八木
    差別も領土問題も、互いが相手に「歴史を学べ」と言うのをよく目にしますが、それなら何より、歴史的にそうした「対立構造」が常に陰から誰かしらに利用されてきたことを学んでおかないと、いつまでも本当の意味での解決にはならないと思うのです。(了)

    BeneVerba
    @yohnoji 八木さん、一連のツイート読みました。だれがそれを利用しているのかというと、日本の「保守」でありアメリカだと思います。「北朝鮮」憎悪で得するのは、アメリカです。日本はアメリカという帝国主義の中にあって、利益を追及するという帝国内帝国主義のようなものです。

    八木
    @BeneVerba (本当はあれこれの対立について、平時にきちんと、誠意を示すべきところは示し、誤解があるところは解いておくべきなのでしょうね。だもので自分も怠慢だったと思うわけです)

    八木
    @BeneVerba >アメリカ ついでにもう少し詳しく言うと、「今は米国に拠点を置く一部の勢力」ということになるでしょうね。米国内でも文字通り99%の人達は煽られる側です。OWSの人々と茶会運動だって、なるべく共闘すべきではないかと。

    BeneVerba
    @yohnoji 八木さんがどういうヴィジョンを持っていたのかはわかりませんが、「政権交代」は全てを解決してくれる大きな一歩ではなくとも、その第一歩となるべき歴史的使命がありましました。ところが今の民主党に期待できる要素はありません。アメリカ従属であることははっきりしてます。

    BeneVerba
    @yohnoji 続きですが、私たちが「政権交代前」あるいは「3.11」前に思い浮かべていた政治のヴィジョンの薄さが今私たちに降りかかっているような気がしてます。「戦後は終わった」というのが多くの認識です。しかし、相応しいシステムがない。その意味で戦後に苦しめられる気がします。

    八木
    @BeneVerba 先日、ふだんテレビ依存の父が「民主党に一度やらせてみようというから~」などと言っていたのですが、それって政権交代以前にマスコミが煽っていた言葉なわけですよ。そう考えると、民主に一度政権を取らせることも計算のうちだったのかもしれません。

    BeneVerba
    @yohnoji 鳩山が普天間県外移設断念を決めた時点で、それまでの与党と何ら変わらない存在へとなり始めていました。米軍基地問題は無論、原子力導入の黒幕もアメリカです。そこを問題化できない脱原発運動は中途半端に終わるでしょう。日本は比喩的に属国なのではなく文字通り属国なのです。

    八木
    @BeneVerba 鳩山氏が後に現首相に「米国の言うなりになり過ぎるとよくない」と言ったという記事を読みました(笑)。やはりうまく説得工作をするしくみがあるのかもしれません。もし一国の首相に対してそういうしくみがあるのであれば、たしかに事実上の属国ということになります。

    八木
    @BeneVerba 「特定の人間の利益に踊らされる現状」へのカウンターとして、何より「次の姿」を想像しておこうということですね。進むべき道筋となるような。

    BeneVerba
    @yohnoji そうですね。端的言ってそれには、アメリカの日本、東アジア、太平洋地域における覇権主義を暴き出すことが必要です。歴史的地理的にです。万が一政権交代が何がしかの定着を見せれば、そのような作業が生まれる余地もあったかもしれません。3.11という苦難を見つめも、です。

    BeneVerba
    @yohnoji そうですね、ありていに言って『世界』誌や『週刊金曜日』のような「左翼」または「リベラル」誌は、基本的に当時「政権交代」万歳で、小選挙区制に反対する記事が掲載されたのも、随分後になってからでした。彼らには道を誤らせた責任がありますよ。私はそう思ってます。

    八木
    @BeneVerba 意図的か、乗せられただけかはともかく、結果論としてはそれを支援してしまったわけですね。

    八木
    @BeneVerba ただ暴くというのが厄介でして、一部の人間が仮に完全な事実を入手しても、テレビ依存の人が多い現状ではそれを大多数の人に知らしめることが難しいわけです。そういう意味で、戦後テレビ局ができた経緯を追求している人がいるのも頷けますね。

    BeneVerba
    @yohnoji 繰り返しになりますが、時折思い出したように「日本は属国だ!」などと吐き捨てるのではなく、「日本はアメリカと右翼の利害が一致したところに現出した国家なのだ。これをどうするか」という前提がまず大切です。例えば自民党成立にCIAが関わっていることは周知の事実ですから。

    八木
    @BeneVerba 米国内の二大政党制も常々不気味だと思っています。一見すると民主主義のようですが、2つしか党がないからいくらでも工作できてしまうわけです。民主主義国家だと思わせるためには、米国でも日本でもそういうスタイルにしてしまうのが都合がいいのでは。

    BeneVerba
    @yohnoji 小選挙区制、二大政党制を私に批判させるとキリがないですが、まずあれはアングロサクソン的社会のための制度です。日本に導入しようとした岩波リベラル人などは大失敗。もう一つはあれが「反共」的で「新自由主義」的である点です。エリートが思い描いた通りには行きませんでした。

    八木
    @BeneVerba マスコミは今度は議員の数を減らせと煽り始めています。これも危険な兆候だと見ています。

    BeneVerba
    @yohnoji 政権交代前夜から民主党が一貫して主張していることです。ご存知でしょうが、議員定数の削減はただでさえ反映されていない、国民の声を更に削るということです。にもかかわらず経費削減出あるかのように宣伝されているわけです。率直に言えば、アメリカに従属する二大政党制です。

    八木
    @BeneVerba そうしたことは少し考えれば私のような素人でも分かるのですが、よく考えずにマスコミに流される人が多いのが困ったものです。

    BeneVerba
    @yohnoji 話が飛びますが、脱原発運動の視野を伸ばさなければいけないのでは?と考えています。中曽根康弘なんて「戦犯」として弾劾されるべきです。原子炉は全て止めるべきです。しかし、アメリカと右翼の利害一致の元に築かれた戦後体制を暴く作業なしに、新しい社会を築けるでしょうか?

    八木
    @BeneVerba たしかに反原発運動も東電会長ばかりに気を取られて、そちらは後手ですね。マスコミ報道を見ても、元首相の罪を責めるどころかむしろ持ち上げてすらいます。東電への批判は載せるにもかかわらず、です。民主党も事故後、真っ先にそれをすべきだったのですが。

    BeneVerba
    @yohnoji 日本の原子力体制と55年体制の成立をパラレルなものとして捉えるべきではないでしょうか。そこに朝鮮戦争も入ってくるはずです。それら全てに介在する存在はアメリカです。充分にこの考えをまとめ切れたとは言えませんが、脱原発運動の射程はもっと奥が深いのではと思っています。

    八木
    @BeneVerba ズバリ、なぜ原発を持たせたかったのでしょう?

    BeneVerba
    @yohnoji 不十分なものとなることを覚悟しつつ、お答えすると、アメリカは持たせたくはないでしょうね。ただアメリカの管理の上で「原子力の平和利用」をやらせるにとどめたいのではないでしょうか。日本の右翼の目的は、もちろん核武装よる対米自立でしょう。

    八木
    @BeneVerba なるほど、ありがとうございます。私は(かつては)対共産圏の楔とするため、今でも東アジアに軍事的緊張を持たせるために機能している気がします。あとは、それこそ事故でも起これば食料を米国に頼らざるをえなくなるから、最初からそれが狙いだったとか(笑)。

    BeneVerba
    @yohnoji それは考える価値がありそうです。いずれにせよ、東アジアほど分断が現存するところはないのではないのでしょうか。南北のコリア、朝鮮半島と日本、日本の中における外国人、日本と琉球などなどです。それがうまく帝国主義の統治として機能してしまっている気がしてなりません。

    八木
    @BeneVerba ええ。ですので、東アジア間の対話のきっかけとして「我々が争ってしまうと誰かが得をするのではないか」という考えをもっと広めたいわけです。

    BeneVerba
    @yohnoji 全く同感です。右派でさえ日本がある種の「独立国家」でないことを認めているわけでしょう。それなのに「自由な主体」として、「北朝鮮」(共和国)なり中国に憎悪を向けるのは、少なく言っても、単純すぎるし、日本という国がおかれた状況を見つめていないと思うのですがね。

    八木
    @BeneVerba 「差別の構造」は単なる分断だけでなく、「上」に向くべき憤懣を「下」や「外」に対して向けてしまうガス抜き機能もあると思うのですよ。まさしく江戸時代、農民の下になぜ被差別層がいたのか、というのと同じことです。

    BeneVerba
    @yohnoji となると、現代においては、グローバル化した社会でアイデンティティの拠り所を失ったマジョリティが、社会内部の非差別者よりも「国籍」を元にした「外国人」への憎悪と分断統治が行われているということかもしれません。

    八木
    @BeneVerba 建前上、人権を重視することになっていますし、普通選挙権も認めていますからね。選挙権を持たない外国人や少年、投票に関心の薄い若い世代を叩くのは便利な集票パフォーマンスなのですよ。

    by BeneVerba | 2011-12-28 09:16 | 意見 | Trackback | Comments(0)
     朝日新聞が十二月三日の朝刊記事において、レイシストであり歴史修正主義者である、統一戦線義勇軍議長針谷大輔を肯定的に取り上げた。

     記事の名は「原発国家 政党の外側で(下)」。「左も右も連携膨張」との見出しが踊る。割かれた活字の分量はほぼ二段。「愛郷精神に共鳴」の小見出しの下、高橋純子記者は「先祖代々の土地が放射能で汚され、子や孫の代にも影響が及ぶかもしれないという畏れから運動に加わる人が現れ、愛郷を唱える『右』の主張と響きあい始めている」と――マスメディアが他国によく使う表現を借りれば「論評抜きで」――書いている。

     そこに、批判的視点は一切ない。それどころか、彼が南京事件と「従軍慰安婦」を否定する歴史修正主義者であるという記述もなければ、「我々は敵権力、白人集団(WASP、ユダヤフリーメーソン)との全身全霊をもった闘いを貫徹するものであり、これに逆するスパイ、敵対者はそれを容赦なく排除する」という統一戦線義勇軍の性格についての記載もない。

     この記事はまるで情報を届けるために書かれたというよりも、忘れさせるために書かれたかのようだ。白紙で印刷した方が、それが白紙であるとわかるだけ情報量が多かったかもしれない。記事は書くが肝心なことは書かないという欺き方もある。いつものやり方ではあるが。


     Twitter は日本のインターネット上において、今おそらく最も脱原発運動が盛んな場所の一つだろう。そこでは「脱原発に右も左もない」ないし「脱原発にイデオロギーはない」などといった文句がスローガンとなっている。通常では、その字義通りの意味に反対を唱える人はいないし、それは私も同様だ。

     ところが、見過ごせない奇妙な風潮もある。つまりそれらのスローガンが実際に使われる際には、意味することはしばしばこうなのだ。「針谷大輔ら『脱原発右翼』を受け入れろ!たとえレイシストで歴史修正主義者であっても。受け入れなければお前は偽物の脱原発派だ!イデオロギーに凝り固まった左翼であり、分断工作だ!」。

     そうしたヘゲモニスティックな人々とは別に、もう少しお人好し――好意的に見るならば――な層もいる。彼らは、右翼と左翼を同列に考え、その中間あたりのどこかに自分がいると考えている。だが、常にアメリカの影響下にあるこの国で、右翼と左翼に振られた役割はただベクトルが違うというだけの対照物ではない。安保闘争の時に児玉誉士夫の介在によってヤクザが国会に導入されたことや、CIAがたびたび自民党に資金援助していた事実を思い起こせばそれで足りるだろう。

     いずれにせよ、針谷を受け入れよという時、彼らは脱原発のためならマイノリティはどうでもいいと言っているのみならず、日本という国家の性格及び責任への認識を欠いている。そのマキャベリ的な冷酷さ(あるいは鈍感さ)からは、どんな美名も大義も覆いつくせない腐臭がする。どちらの種類の人々も、日本という国家と闘っているはずなのに、日本というものに対する、右翼というものに対する認識が甘すぎ、自分に対する認識が甘すぎる。


     私がこの問題に関わることになった日付ははっきりしている。十一月二一日のことである。ライターの松沢呉一氏が、経産省前テントひろばに、自分の価値観を押し付けようとしているのを見かねて、思わず口を挟んだ時だ。また、私はそう感じるのだが、ヘゲモニスティックな人々の「糾弾」を受けることを恐れている一群の人々は沈黙を守っている。

    つまり経産省前テントひろばの「無神経」は許容できないのに、針谷の「従軍慰安婦」への人権蹂躙は許容範囲なわけだ。 RT @kureichi 「新右翼と称する」ってなんだ? こういう無神経なことを書くから、「市民と称する左翼ども」と言われる。http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7b6429df17ee76c58718b4dc784d707a
    posted at 01:24:54

    何を言ってるのだあなたは? RT @kureichi へえ、経産省前のテントは従軍慰安婦のためのものなんだ。何を根拠にそんなことを言っているのか、明示していただけますか。
    posted at 01:31:02

    針谷の姿勢を問うているのに、勝手に私が「経産省前のテントは従軍慰安婦のため」と言ったように解釈したのは、あなた。議論を混乱させてうやむやにしようとしている。 RT @kureichi 意味不明のことを書いてきた人間に、その意味を問うているのですよ。自分でも意味不明なんでしょうね。
    posted at 01:41:16

    ツイッターの性質上、「何かもめごとらしい」と受け取られてはかなわない。再び @kureichi 氏が、「従軍慰安婦」を否定する針谷大輔を許容すべき、という自らのイデオロギーを経産省前テントひろばに対して押し付けようとしていることを確認する。
    posted at 01:49:25

    言い逃れ。では、関与しようとすべきだ。間違いなく「従軍慰安婦」は現在進行中の重要な問題なのだから。そして、あなたが自分のイデオロギーを経産省前テントひろばに押し付けようとしているのは事実だ。 RT @kureichi 原発以外の針谷氏の思想に私は関与してないですから…
    posted at 02:00:30



     繰り返し確認されるべきなのは、この問題が脱原発運動内部における右翼傾向のある人物と左翼的傾向のある人物のもんちゃくなどでは決してない点だ。冒頭に述べたように、針谷はレイシストであり歴史修正主義者である。他者を排除することを政治的信条とする団体を主催する人物である。それを受け入れる「大同団結」が強要されていることこそが問題なのだ。

     この問題が左右の政治的もんちゃくなどではない理由は、この点にある。既に多くの人が指摘し、私自身も指摘したように、差別に基づく排除を掲げている人物を脱原発運動に招き入れることこそが、分断工作であり運動を弱めるものだ。したがって、「脱原発に右も左もない」「脱原発にイデオロギーはない」というスローガンは(先に述べたような意味において)イデオロギーとしての機能を果たしている。

     それはまさしく「左でも右でもない」を自認する人が、自分でそうと知らないままに掲げているイデオロギーである。それは「脱原発に右も左もない」という形のイデオロギー、右のみを包容し、マイノリティと「左翼」と「政治」と見なされるものを排除するイデオロギーであり、「イデオロギーを持ち込むな!」という形をとるイデオロギーだ(奇妙なことに「脱原発・反TPP」の組み合わせは良くても、「脱原発・反レイシズム」はアウトなのだ)。


     しかし、なぜこのようなことが起こるのか。それは答えるのが困難な問いだ。だが、一つ思うのは、放射線被害に関しては誰もが当事者になりうるが、「従軍慰安婦」や「反レイシズム」に関してはまるで自分が当事者ではないかのように錯覚させる回路が作られており、もはや政府の発表を信じなくなっている人々ですら、容易にそれを受け入れていることの恐ろしさということだ。

     人々は忘れてしまったのだろうか?二〇〇七年に、アメリカ、EU、カナダなどから従軍慰安婦に関する「決議」を出され、安部晋三首相(当時)が辞任に追い込まれたことを。それが意味するのは、私たち全てが加害責任において当事者であるということだ。言い換えれば、「左翼は従軍慰安婦にこだわる」などとあなたに言わせているものこそが、あなたに取り憑いたイデオロギーなのだ。

     だから、私ははっきりこう書かなければならない。「針谷を評価するようなデモには行くな!他のデモに行け!」「右からのデモなぞ評価するな!それ以外の自分が関わったデモを誇れ!」「もし、デモにレイシスト・歴史修正主義的な人物がいたら、あなたが折れるのではなく、相手こそが大同団結のために折れるべきだ!」。もちろん、イデオロギーから逃れるためにである。


     私は原発とは日本の権力構造そのものではないかと考えている。なぜ、中曽根康弘が未だに詰問されないのか考えてみればいい。なぜ政権与党が変わったのに政策が変わらないのか考えてみればいい。その構造を変えることなしに脱原発は成功するだろうか?

     脱原発運動がこの先どうなるかわからない。しかし、私は今の運動は敵を小さく見積もっているという気がしてならない。杞憂かもしれない。しかし、私たちが、民主的な社会を築くというヴィジョンなしに、脱原発運動のみを続けていて、達成されるほどそれは簡単なものなのだろうか?この問いは、共有されるに足る問いであると信じる。

     もし、政府もメディアも脱原発運動も駄目ということになれば、私たちの苦しみはより長引くだろう。そうならないためにも私たちは大きなヴィジョンを描くことが必要なのだ。









    12/8の追記:
     以下ハンギョレ・サランバンの翻訳記事「慰安婦ハルモニたちも日本のために泣いた」より抜粋して引用。なお、文中にある宋神道(ソン・シンド)さんは Wikipedia によれば、講演活動を再開している。

     "私の傷は癒えていないので憎いけれど、罪は憎くても人は憎くありません。はやく頑張って克服して欲しいです。日本で音信が途切れたソン・シンド(89)ハルモニをはやく探して欲しいですが…。" キル・ウォンオク(84)ハルモニが弔旗を掲げたソウル、鍾路区、中学洞の日本大使館を眺めながら淡々と話した。キル ハルモニは 「あまりに途方もないことで今日は言うべき言葉が見つかりません」として「私たちの時のように多くの人が犠牲になるのを見ると、つらい記憶が思い起こされ、どうすべきか はやく復旧して欲しいです」と明らかにした。

     毎週水曜日に日本大使館前で‘韓国挺身隊問題対策協議会’(挺身隊対策協)が日本政府の慰安婦問題謝罪と賠償を要求して開いてきた水曜デモが、16日は30人余りが参加した中で東日本大地震犠牲者を哀悼する追慕沈黙デモに代替された。1992年1月8日に始まった水曜デモが沈黙デモに代替されたのは1995年8月の阪神大地震犠牲者を追慕する沈黙デモに続き今回が2回目だ。

     ハルモニと参加者たちは‘犠牲者のご冥福を祈ります’と書かれた黒い蝶を手に持った。挺身隊対策協はこの日、日本東北部大地震の犠牲者を追慕する声明を出し、日本、宮城県に居住している慰安婦被害者ソン・シンド ハルモニに対する積極的な救助も促した。日帝強制占領期間、独立活動家とその遺族たちの集いである光復会も「困難に処した日本人に勇気を与えるために人類愛を発揮することにした」として、地震復旧と被害者救護および支援のための寄付金1000万ウォンを出すことを決めたと明らかにした。


     日本軍「慰安婦」問題の解決を求める韓国水曜デモは、十二月十四日に千回目を迎える。韓国はもとより日本全国、世界各地でこれに合わせて連帯アクションが行われる予定だ(既に実施されたものもある)。ご存じの通り韓国と日本に時差はない。
     


    by BeneVerba | 2011-12-07 17:08 | 意見 | Trackback | Comments(2)
    Twitterより自分のつぶやきを転載:

    私は、「占拠せよ」とは、本来私たちのものであったはずのものを、取り戻す行為だと捉えている。民営化(=私物化)や米軍によって奪われたものを。デモの自由も含め。「占拠せよ」とは、なんらかの権威によるそれではなく、私たちによる(再)占拠だ。 #Occupy #OccupyTokyo

    「ウォール街を占拠せよ」のような定住型抗議活動が増えれば、素晴らしいと思う。余りにも社会的政治的な発言が抑制されているから。ビジネスについての話ばかりだ。そこへ行けば必ず人々と出会えるという場があれば、日本的な風土が変わると思うのは想像が過ぎるだろうか? #OccupyTokyo

    笑われるのを承知で、この考えを広げてみよう。日本の各街の公園を人々が「占拠」する。あなたはそこにずっと居てもいいし、好きな時立ち寄ってもいい。そして私たちは、原発や格差や差別について、情報を交換し意見を交わす。重要なのはそこに必ず人々がいるという事実だ。 #OccupyTokyo

    私たち日本の「99%」が各地を私たちの手で「占拠」し、それが点在することになれば、その点と点を結ぶネットワークは、偽りの代表性、つまり小選挙区制から主流メディアまでの「1%」の日本に対抗できないだろうか。読んでいる人が笑い死にしないようここまでとするが。 #OccupyTokyo

    by BeneVerba | 2011-10-21 09:33 | 意見 | Trackback | Comments(0)