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 ちょっとだけかっこいい「インターナショナル」のビデオがあるといいなと思いましたので、片手間に作ってみました。ウェブでフリーで入手できる素材を優先したので、特定の思い入れがあるわけではありません。共産主義者やアナキストの人は聴いたり、歌ったり、踊ったり、共有したりしてください。よろしくお願いします。





by BeneVerba | 2016-05-14 19:48 | 動画 | Trackback | Comments(0)
ウォール街を占拠せよ:今世界でもっとも重要なこと
2011年10月6日 - ナオミ・クライン
URL:https://www.youtube.com/watch?v=PBmLjw0wSks



 ナオミ・クラインが、2011年10月6日にリバティ広場(ズコッティ公園)で行った演説の、分割されていない完全版の動画。再編集の許可を与えてくださった Toy Tiger Studios に感謝する。

 クラインのこのスピーチについては、上述のように既に動画として三分割して公開したものの他、公式サイトの原稿を元に訳したもの、さらにその新訳などがあるが、公式サイトの定稿版ではなく、以前の動画に付けていた字幕を参照しつつ、新たに訳した。ちなみに長さはちょうど25分。

 古くからのブログ読者はご存知かもしれないが、私は元々、2012年の秋から冬にかけて、これまで訳した記事も含めて、新たに訳し直し、「ウォール街を占拠せよ」がどんなものかわかるようなライセンス・フリーの小冊子を作成することを考えていた。だが、大月書店との係争や脱原発日の丸派との諍いに時間を取られてしまい、それ以上に割ける労力はなく、企画倒れとなっていた。

 とはいえ、これもかつてのそうした構想が発展したものであるとも、言えるかもしれない。

 ここで整理のために、ナオミ・クラインのOWSでのスピーチの、本サイトでの翻訳をまとめておくと次のようになる。

 四番目が、このエントリである。なお、分割してアップロードしていた「動画の旧訳」は、このエントリの公開と前後して、限定公開設定にするので注意されたい。限定公開設定になれば、URLからは閲覧できるが、検索などには引っかからなくなるはずである。




by BeneVerba | 2014-06-01 14:39 | 動画 | Trackback | Comments(0)
e0252050_14464414.jpg“民衆は政府の崩壊を望んでいる!”
――アラブの春,エジプト,2011年

“この体制を私たちが変えていこう!”
――バルセロナ,スペイン,2011年5月15日

“その夜何かが起きているのに気づきました。自転車に乗ると自分にこう言いました。いったい何が起きているのか、とにかく行って確かめよう”

“まるで魔法のようでした。このような何かを求めていたのです”

“私がずっと残念で仕方がなかったのは、民衆の声に耳を傾けさせる道が、この国になかったことです”

“私がここに来た理由は、自分を表現する必要があったからです。今では自由に呼吸できるし、参加者の一人になったと感じています”

“民主主義を信じないのではありません。もちろん信じていますとも。ですが、私たちの民主主義は病んでいるのです。フランコ独裁時代から、多くを引き継いでしまっています”

“三世代が幼児期からこういう風に慣らされています。「何もするな。意見を述べるな。何かする時は見られないようにしろ」。こうしたことの全てを終わらせなければなりません”

“人々が抗議するのは良いことだと思います。家の中にいるだけでは、誰からも気に留めてもらえません。これも体制のあり方に対して不平を表明する一つのやり方です”

e0252050_14474738.jpg“市の中心にある広場を占拠できたのは、素晴らしいことでした。広場はカタルーニャを象徴する場所だったからです”

“代表制民主主義があるとはいえ、やがて私たちが気づいたのは、政治家に公の富を任せていても公正な社会にはならないことです”

“豊かな社会では、財源に限りがあると信じ込まされますが、真実ではありません。富ならばあります。社会のごく一部の手にあるだけです”

“誰もが予算削減を受け入れていますが、それは医療、教育、文化を商品と見なしているからです”

“ある経済システムが確立してしまっていて、投票ではそれを変えられません”

“独裁政権が終わった後、最高所得税率は63%でした。なぜそれが今は、43%なのでしょうか?その20%は、上流階級への贈り物なのです”

“私たちは反体制じゃない/体制が反民衆なんだ”e0252050_14483269.jpg

“私はあそこにいましたが、提案なら山ほどあったと断言できます。問題は、それらの提案が、人々の耳に届いていなかったことです”

“15Mの集会に参加すれば、多くの提案があることだけでなく、それらが政治家の提案よりも深く民主的なものだと気づくでしょう”

“政党が移民を犯罪者扱いする卑劣で馬鹿げたキャンペーンを行ってます。危機のスケープゴートにしようとしているのです。移民の権利のために、私たちは活動しています”

e0252050_14501455.jpg“私たちみんなが移民だ!”

“この委員会は、金融システムに対する規制を、強化することを提案しています。とりわけ投機的な金融取引に対する課税による規制です”

“占拠期間中に転換点となる出来事がありました。警察による強制排除の試みです”

e0252050_14504132.jpg“警察は非暴力を目的とする組織ではありません。5月27日にそれが明らかとなりました”

“あそこに漂っていた雰囲気は、言葉になりません。何とも言えない感覚で……。私が覚えているのは、警察に襲撃されたと感じた人々が、自分たちのものを取り返したということです。広場はみんなのものだったのです”

e0252050_1452574.jpg“民衆の勝利”

“団結した民衆は決して敗れない!”

“私と同世代の人々もいました。きっとこの運動は、前進してゆくことでしょう”

“1968年、私たちは多くの闘争を行い、何度も警棒で弾圧されました。今の若者たちは眠っていました。そう、かれらは眠っていたのです”

“かれらはイメージが傷つくことを恐れて警官隊を派遣したがりません。権力が本当に望んでいるのは、人々が自己検閲することです”

“この予算案は民衆のためのものではありません。銀行家、政治家、富裕層といった支配階級のためのものです”

“今日、週40時間労働制や公的な医療や教育があるのは、私たちの父母や祖父母が街頭で闘ってきたからなのです。そして、今や私たちが街頭へと繰り出す時がやって来たのです”

e0252050_14545437.jpg“止めろ!止めろ!議会を止めろ!”

“革命中につき議会はお休みさせていただきます”

“鳥肌が立つほどぞくぞくする!”

“実際に起きていたことと、報道にはとても大きな差がありました。広場の攻防の後、権力側はメディアを用いた戦略を始めます。この運動を、犯罪であるかのように見せかけようとしたのです”

“かれらにとっては、議会だけが政治を行える唯一の場所です。だから結集した民衆を襲撃だと見なしたのです”

“私たちは、軋轢を生み出している原因に、対処しようとしていません。やがて軋轢が暴力に発展すると、何もないところから暴力が生まれたかのように見なされるのです”

“暴力の問題に取り組む際には、私たちが資本主義社会の中に生きていることを、考慮すべきです。それは、はるかに多くの暴力を伴った、社会経済的なシステムなのです”

“民主主義は四年ごとの投票ではない!”

“「現在のシステムのみが唯一可能なものだ」と思い込んでいる人々との衝突です。かれらは、他にオルタナティヴがあるのか疑ったりしないのです”

“象徴的な存在だったテント都市が、次第に実際の都市になりました。そして、実際の都市のように様々な現実の諍いが生じました”

e0252050_14553620.jpg“歴史的に見て、民衆は広場や街頭でお互いを見いだしてきました。市当局がベンチを撤去してしまったので、今では人々が出会う機会がありません。新自由主義も市の開発計画に悪い影響を与えました”

“私たちには主張があり、決意がありました。自分たち自身でやりたかったのです。誰かがやるのを待つのではなく”



コメント:
 バルセロナでの15M運動を記録したドキュメンタリー『目覚めゆく広場』より、台詞やブラカードの文句などの言葉を(スナップショットとともに)集めてみた。言葉の選択においては、文言は変えなかったが、引用に相応しい形式にした。また、全てを視たかのような気持ちにならないように配慮した。つまり、本当の名台詞は省いた。未見の方は(あるいは一度見た方であっても)、ご視聴をお願いする。





by BeneVerba | 2013-06-24 14:58 | 動画 | Trackback | Comments(0)




目覚めゆく広場――15M運動の一年
原題:El Despertar de Les Places - Un Any de 15M
監督:リュック・グエル・フレック,ジョルディ・オリオラ・フォルク
制作:TransformaFilms,2012年,バルセロナ (45分)
日本語字幕:芦原省一海老原弘子
URL:http://www.youtube.com/watch?v=xy_8NXEMqw8


 2011年5月、「インディグナドス(怒れる者たち)」と名づけられた民衆による抗議活動が、瞬く間にスペイン全土に広がった。この一連の抗議活動は、5月15日(15 de Mayo)に行われたデモが出発点となったことから、15M(キンセ・エメ)運動とも呼ばれている。とりわけ「広場の占拠」という独特の抗議方法は国外からも注目を集め、約4ヶ月後に「ウォール街を占拠せよ」として、大西洋の反対側に再び姿を現すことになった。

 地方選挙戦の真っ只中に始まったことから、当初15M運動は、当時の社会労働党政権に対するスペインの人々の不満の表れとして報道された。しかしながら、「今すぐに真の民主主義を!私たちは政治家や銀行家の手中にある商品ではない」というスローガンに明白なように、その本質は金融権力に乗っ取られた議会制民主主義モデルに対する批判であった。

 事実、広場を占拠するというアイデアは、新しい民主主義のかたちを探るために、参加型の直接民主主義を実践する場を確保するという必要性から生まれている。こうしてスペイン各地に現れた「キャンプ」の中でも、首都マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場に並ぶ規模を誇ったのが、バルセロナ市中心に位置するカタルーニャ広場のバルセロナ・キャンプであった。

 2012 年5 月、カタルーニャ広場占拠の参加者6人が一同に会するところから始まる『目覚めゆく広場―― 15M運動の一年』は、バルセロナの怒れる者たちの足跡を辿るドキュメンタリーであり、一年後の視点から15M運動を分析する試みだ。バルセロナ・キャンプの誕生から、州警察による強制排除や州議会包囲といった出来事を経て、各地区での集会へと変容するまでが描かれている。

 広場の占拠は姿を消してしまったが、スペイン社会を揺るがす変革の波は今もなお続いている。15M運動が未曾有の危機に苦しむスペインの転換点となったことに疑いの余地はないだろう。

CC-By-NC-SA
www.transformafilms.org



連絡:TransformaFilmsJP(at)gmail.com


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*上記フライヤーのPDFはここからダウンロード可。





by BeneVerba | 2013-03-31 21:16 | 動画 | Trackback | Comments(0)
全てのマイノリティは新しいマジョリティである
The All Minority Are The New Majority
2011年10月30日 - アンジェラ・デイヴィス
原文:http://www.youtube.com/watch?v=dVm9oIt5vPk





 この午後に、あなた方の中に加わるのは、本当に名誉なことです。なぜなら、あなた方は私たちの政治的世界を再発明したからです。あなた方は、私たちの集団的な情熱を新たにしました。あなた方は、私たちに思い起こさせてくれました。抵抗の共同体を築くことは未だ可能だと。あなた方は、私たちに示し続けています。その参与、献身、協働の姿勢を。そして、容認を拒否するあなた方の姿勢を。階級的ヒエラルキー、人種的ヒエラルキー、ジェンダー・ヒエラルキー、セクシャル・ヒエラルキーを拒否する姿勢を。

 あなた方の運動は、マジョリティに呼びかけるものです。マイノリティに対して立ち上がることを。あらゆるマイノリティは、今や新たなマジョリティとなったのです

 そうして、私たちはウォール街に対して「ノー」と言うのです。大銀行に対して「ノー」と言うのです。年に数百万ドルも稼ぐ大企業の経営陣に対して「ノー」と言うのです。学生の抱える負債に対して「ノー」と言うのです。強制排除に対して「ノー」と言うのです。警察の振るう暴力に対して「ノー」と言うのです。グローバル資本主義に対して「ノー」と言うのです。刑務所産業複合体に対して「ノー」と言うのです。レイシズムに対して、「ノー」と言うのです。階級的搾取に対して、ホモフォビアに対して、ゼノフォビアに対して、トランスフォビアに対して、身体障碍者への差別に対して、環境汚染に対して「ノー」と言うのです。そして私たちは、軍事的な占拠に対して「ノー」と言うのです。戦争に対して「ノー」と言うのです。

 私たちは「九九%」として団結しています。そこには重大な責任があります。この場所に共同体として集う決断をしたことについて。どうすれば、私たちはともに結びつくことができるのでしょうか?どうすれば、私たちは一つに結ばれることができるのでしょうか?過度に単純化されたものでなく、抑圧的なものでもない統一においてです。どうすれば私たちは、複雑でありながら、解放するような統一において結びつくことができるのでしょうか?

 ここでアフリカ系のフェミニスト、オードリー・ロードの言葉を引用したいと思います。「差異は単に容認されるべきものではない。それは欠かせない極性として見なされなくてはならない。私たちの創造性が誘電体のように火花を散らすために必要なものとして」

 このような複雑な統一の中において、私たちは、人生に対して「イエス」と言うのです。幸福に対して
「イエス」と言うのです。共同体に対して「イエス」と言うのです。教育に対して、教育の無償化に対して「イエス」と言うのです。経済的な、人種的な、ジェンダー的な、セクシャルな平等に対して「イエス」と言うのです。そして、私たちは想像力に対して「イエス」と言うのです。創造性に対して「イエス」と言うのです。希望に対して、未来に対して「イエス」と言うのです。

 最後に、私の故郷について、少し述べたいと思います。カリフォルニア州オークランドです。「オークランドを占拠せよ」での警察の襲撃については、ご存知ですね。撃たれたスコット・オルセンはまだ病院にいます。オークランドのジェネラル・アセンブリーは、オスカー・グラント広場で集会を開き、警察の襲撃への応答として、一一月二日のゼネストを呼びかけました。ゼネストです。これは革命的なことです。

 オークランドの抗議者たちの言葉を、あなた方と分かち合いたいと思います。「オークランドを非植民地化せよ」「我々は九九%だ」「我らは団結し立ち向かう」「二〇一一年一一月二日」「ゼネスト」「労働を拒否せよ」「学校を拒否せよ」「あらゆる場所を占拠せよ」。

 どうもありがとうございました。



訳者コメント
 昨日7月17日投稿したアンジェラ・デイヴィスの「ウォール街を占拠せよ」でのスピーチの翻訳を元に、動画に日本語字幕を付けて公開。上記テキストは字幕を形式のみ整えたもの。詳しいデータなどはそちらを。字幕付き動画の作成よりも、スピーチの質疑応答部分の翻訳を優先するつもりだったが、あまりにも分量があるため(後半部分は40分の長さ)先にこちらを。

by BeneVerba | 2012-07-18 20:51 | 動画 | Trackback | Comments(0)




コメント:
 一昨日アップロードしていたギリシア制作のドキュメンタリー映画『デットクラシー(Debtocracy)』――負債による支配といった意味の造語――に、日本語字幕を付けて公開。これはクリエイティブ・コモンズ(CC BY-SA)で公開されているもので、公式サイトにもそのことは明示されている。

 全面で取り上げられているわけではないが、デヴィッド・ハーヴェイやアラン・バディウといった有名どころも出演。ついでに言えば、大した話ではないが1時間8分辺りのところで、このブログでも良く取り上げるお二方の写真が……。

 このドキュメンタリーはNHKが「ギリシャ/財政破綻への処方箋~監査に立ち上がる市民たち~」の題名で放映したことがあるはずだが(私はインターネットで視聴)、編集で切り刻まれた結果か内容から受ける印象はかなり異なっている。

 NHK放映版では、その邦題通りに、債務監査委員会の結成(と不当債務の概念)が全ての解決法であるかのような締めくくり方をしているのだが、この「インターナショナル・ヴァージョン」では、監査委員会はより大きな闘いの一部だとはっきり言われている。

 そのより大きな闘いが一体どんな闘いなのかは観ていただくとして、最後に翻訳上のことを。複数の言語によって構成されているために、英語の字幕を元に、適時フランス語の字幕を参照しながら翻訳した。したがってほとんどの部分で重訳ということになる。その点は申し訳ないのだが、可能な限り正確であるように努めたし、今後も見直していきたい。

[7/17の追記]
 千葉学(@mnb_chiba)氏のサジェスチョンを受けて、日本語の題名を『デトクラシー』から『デットクラシー』に変更。YouTubeの説明文も合わせて変更した。この場を借りて氏に感謝したい。

by BeneVerba | 2012-05-20 00:14 | 動画 | Trackback | Comments(3)
民主主義と資本主義の結婚は終わった
The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over
2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク





 私たちは負け犬と呼ばれています。しかし、真の負け犬たちは、あそこウォール街にいます。彼らは、数十億もの私たちのお金で、救済措置を受けたのです。私たちは社会主義者と呼ばれています。しかし、ここには既に富裕層のための社会主義が存在するのです。私たちは私有財産を尊重していない、と彼らは言います。しかし、二〇〇八年の金融崩壊においては、苦労の末に手に入れた私有財産が数多く破壊されたのです。私たちの全員が、昼夜の境なく数週間の破壊活動に及ぶよりも多くです。

 私たちは夢を見ているのだと、彼らは言います。しかし、真に夢を見ている人というのはものごとが永遠にそのままであり続けると考えている人たちのことです。私たちは夢を見ているのではありません。私たちは夢から覚めつつあるのです。悪夢へと変わろうとしている夢から。私たちは何一つ破壊していません。私たちはただ、体制がどのように自壊するかを目撃しているだけなのです。

 私たちがみな知っているカートゥーンの古典的な場面があります。断崖へ到達した猫が、そのまま歩き続けるのです。下には何もないという事実を無視して。下を見て、そのことに気付いた時に、ようやく落下します。それが私たちがここで、やっていることなのです。私たちは、ウォール街の面々に、こう言っているのです。「おい、下を見ろ!」と。

 二〇一一年の四月中旬に、中国政府はあることを禁止しました。全てのTVや映画や小説において、別の現実やタイム・トラベルを含む内容を扱うことを。これは中国にとって良い兆候です。つまり、人々が未だオルタナティブを夢見るためには、そうした夢を禁止すべきだ、ということです。ここでは、そうした禁止は必要ありません。なぜなら、支配体制が私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちが普段観ている映画を、思い浮かべてください。世界の終わりを想像するのは容易です。小惑星が生命体を全て絶滅させるとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉は想像できません。

 それでは、私たちは一体ここで何をしているのでしょう?ここで一つ、素晴らしい、古い、共産主義時代のジョークをお話しさせてください。一人の男が、東ドイツからシベリアへ、働くために送られました。自分の手紙が検閲官に読まれることを、彼は知っていました。そこで、自分の友達にこう言いました。「暗号を決めておこう。もし私からの手紙が、青いインクで書かれていたら、私の言っていることは真実だ。もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ」。

 一ヵ月後、彼の友達は最初の手紙を受け取りました。全ては青いインクで書かれていました。その手紙にはこう書かれてました。「ここは全く素晴らしいところだ。商店はおいしい食べ物で一杯だ。映画館では西側の面白い映画が観られる。アパートメントは広々として豪華だ。ここで手に入らないものと言ったら、赤いインクだけだ」。

 このようなあり方で、私たちは生きているのです。私たちには、私たちが望むあらゆる自由があります。私たちには、ただ赤いインクがないだけなのです。私たちの不自由を明確に表すための言語が。私たちがそういう風に話すようにと教えられた自由についての話法――「テロとの戦い」とかそういったことです――それが自由を偽ってしまうのです。そして、それがあなたたちが、ここでしていることなのです。あなたたちは、私たちみなに赤いインクを授けているのです。

 そこには危険もあります。自分自身と恋に落ちないようにしてください。私たちはここで、楽しい時を過ごしています。だが、覚えておいてください。カーニバルは安上がりなのです。重要なのは、その翌日私たちが日常生活へと戻る時です。そこに何らかの変化はあるのでしょうか?私はあなたたちに、これらの日々を想い出にして欲しくありません。「ああ、私たちは若く、全ては素晴らしかった」などと。

 覚えておいてください。私たちの基本的なメッセージは、「私たちはオルタナティブを考えることを許されているのだ」というものです。タブーは破られました。私たちは、最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。この先に長い道のりがあります。そこには、真に困難な問いが立ちはだかっています。私たちは、私たちが何を望んでいないかを知っています。それでは、私たちは一体何を望んでいるのでしょう?どのような社会組織が、資本主義の代わりとなるのでしょう?どのようなタイプの新しいリーダーを、私たちは望んでいるのでしょう?

 覚えておいてください。問題は、腐敗でも貪欲でもないのです。問題なのは体制です。それが腐敗を強いるのです。敵だけに注意するのでなく、偽の友にも注意してください。彼らは既に、この抗議を薄めようとしています。カフェイン抜きのコーヒーを、受け取る時と同じやり口で、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを、受け取る時と同じやり口で彼らは、これを無害で道徳的な抗議活動に変えようとするでしょう。カフェイン抜きの抗議です。

 私たちがここにいる理由は、私たちがこの世界にうんざりしているからなのです。コーラの空き缶をリサイクルすることで、チャリティとして数ドルを与えることで、もしくは、スターバックスのカプチーノを買うと、その一%が飢えに苦しむ第三世界の子どもたちのところに行くことで、私たちを気分良くして、それで良しとしているこの世界に。労働と拷問を外部に委託したその後で、私たちの性生活ですら、今や結婚仲介業者が外部に委託しているその後で、私たちは理解しています。私たちの政治的参加もまた、長い間委託されるに任せていたことを。私たちはそれを取り戻したいのです。

 私たちは共産主義者ではありません。もし、共産主義が一九九〇年に崩壊した体制を意味するのならば。思い出してください。今日ではそれらの共産主義者たちが、もっとも能率的で冷酷な資本主義者であることを。今日の中国には、資本主義が存在します。アメリカの資本主義以上に、ダイナミックなが資本主義が。しかし、それは民主主義を意味しません。それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、脅されるような真似を許してはならないということです。まるであなたが民主主義に、反対しているかのように。民主主義と資本主義の結婚は終わったのです。

 変革は可能です。ところで、今日私たちは何を可能だと見なしているのでしょう?メディアを追いかけてみましょう。一方では、テクノロジーとセクシャリティーにおいて、全てが可能であるかのように見えます。月まで旅行に出かけることも可能です。遺伝子工学によって、不死になることも可能です。動物であれ何であれと、セックスすることも可能です。ですが、社会と経済の領域を見渡してみると、そこでは、ほとんど全てのことが不可能だとされているのです。

 あなたが富裕層の税率を、ちょっとばかり引き上げたいと言えば。「それは不可能だ。競争力を失う」と彼らは言うのです。あなたがヘルスケアにもっとお金が欲しいと言えば、「不可能だ。全体主義国家のやることだ」と彼らは言うのです。この世界はどこかが間違っているのではないでしょうか。不死になることを約束されているのに、ヘルスケアに費やすお金をほんの少しも上げることができない世界は。

 おそらくここできちんと私たちの優先事項を、設定することが必要なのでしょう。私たちはより高い生活水準など望んでいないのです。私たちはより良い生活水準を望んでいるのです。たった一つの意味においてのみ、私たちが共産主義者(コミュニスト)であるのは、私たちがコモンズに配慮しているからです。自然のコモンズ、知的所有権によって私物化されたもののコモンズ、遺伝子工学のコモンズ。このために、このためだけに私たちは闘うべきなのです。

 共産主義は間違いなく失敗しました。しかし、コモンズの問題がまだここにあります。ここにいる私たちはアメリカ人ではない、と彼らは言います。しかし、自分たちこそが本当のアメリカ人だと主張する保守派の原理主義者たちは、何かによって気付かされなければなりません。キリスト教とは何でしょうか?それは聖霊です。聖霊とは何でしょうか?信じる者たちによって構成される、平等主義の共同体です。お互いへの愛で結びついた者たちによって。そして、自らの自由と責任を所有する者だけが、それをなすことができるのです。

 この意味において、聖霊は今ここに存在します。そして、あそこウォール街にいるのは、涜神的な偶像を崇拝している異教徒たちです。だから、私たちに必要なのは忍耐だけです。私が恐れているたった一つのことは、私たちがいつの日にか家に帰り、一年に一度会うようになり、ビールを飲みながら、ノスタルジックに想い出に耽るというものです。「私たちは、なんて素敵な時をあそこで過ごしたのだろう」と。そういうことにならないように、自らに誓いましょう。

 私たちは知っています。人々がしばしば何かを欲しても、本当にはそれを望んだりしないことを。どうか、あなたが本当に欲するものを、望むことを恐れないでください。

 どうもありがとうございました!



コメント:
 YouTubeの長さ制限が緩和されたため、以前二分割でアップロードしていたスラヴォイ・ジジェクの「ウォール街を占拠せよ」でのスピーチを、新たに編集し、訳も見直して一本の動画としてアップロードしたもの。わずかながら画質と音質が向上していると思う。

 英文の書き起こしはこちら。字幕用ではない、演説としての翻訳はこちら(この翻訳も見直した)。ここからはただのぼやきだが、前の素材を再利用するのだから片手間にできると思ったら、何度もエンコードしたり、アップロードしたり、大変苦労してしまった。

by BeneVerba | 2012-05-08 19:41 | 動画 | Trackback | Comments(2)
賃金ブルジョワジーの反乱
The Revolt of the Salaried Bourgeoisie
2012/01/18 - スラヴォイ・ジジェク
原文:http://www.lrb.co.uk/v34/n02/slavoj-zizek/the-revolt-of-the-salaried-bourgeoisie

 一体どのようにして、ビル・ゲイツはアメリカでもっとも豊かな人物になりえたのだろうか?彼の富は、マイクロソフト社が、優れたソフトウェアを競争者たちよりも低価格で販売したことに拠るのでもないし、その労働者たちを「搾取」することに成功したせいでもない(マイクロソフトは、その知的労働者たちに相対的には、高い給金を支払っている)。数百万人の人々が今尚依然として、マイクロソフト社製の製品に支払っているのは、マイクロソフトが、ほとんど普遍的な基準として、実質的にはこの業界における市場を独占して、居座っているからであり、そして、マルクスが「一般知性」と呼んだところのものを1つの形で具現化しているからなのだ。一般知性という言葉でマルクスが意味しようとしたのは、科学から実用的なノウハウに至るまでの、あらゆる形態における集団的な知識である。ゲイツは能率的に一般知性の一部を私有化し、借り物を拝借する道を選ぶことで、富者となったのである。

 一般知性の私有化の可能性は、マルクスが彼の資本主義に関する著作の中で、思い描かなかったものに属する(主として、彼がその社会的規則面を見落としたせいで)。しかし、それは今日でも尚、知的所有権を巡る闘争の核であり続けているものである。一般知性の役割が――集団的な知識と社会的な協同と共に――ポスト産業社会の資本主義において増大する一方で、労働者が製造費に支出する以上の、バランスを欠いた途方もない富が蓄積されている。結果、マルクスが予期したであろうこととは異なり、資本主義の自己解体などではなく、労働者の搾取による利益を生み出す機構から、借り物を私有化することで知性におけ私有化へと、漸進的な変容となるだろう。

 天然資源の真相も同様である。それは借り物の中でも世界でもっとも主要な天然資源の搾取である。この借り物を巡って、第三世界の市民たちと西側の企業たちの間に闘争がある。労働者の世界(そこでは余剰価値価値を生み出すための使役が行われている)おり、他の日用品(それらは消費されることで、使用におけるあらゆる価値を使用される)の違いを説明するのはアイロニーである。マルクスは油を「ありふれた」日用品ととして挙げている。今となっては、生産原価における石油の価格ないし費用の上昇と下落を、搾取された労働者に結びつけるのは意味がない。我々が支払う油の価格に比べ、生産原価が本当の意味で借り物であるのは、借り物である資源の価格が、その限りある供給のおかげで、所有者たちに自由に決定することを許しているからなのだ。

 生産力の上昇における集団的知識の飛躍的な増大の衝撃をもたらしたのは、失業の役割の変化である。それはまさしく資本主義の成功(大幅な能率化、上昇した生産力、その他)であり、失業を生み出し、労働者を不要にしているのだ。喜ぶべきことに、辛い労働はより少なくなり、忌むべきものとなっている。もしくは別の言い方で言うのならば、長期の職において搾取される機会は、今や特権として経験されている。フレドリック・ジェイムソンが言ったように、「世界市場は今や、誰もが一度は製造-労働者となる場所であり、誰もが自分を高く売ろうとして締め出される」場所なのだ。今尚継続中の資本主義のグローバリゼーションにおいては、失業という範疇はもはやマルクスの「reserve army of labour」という概念に閉じこめておくことはできない。ジェイムソンが示唆したように、それはまた「これら世界中の莫大な人口は、そのままの状態において『歴史からこぼれ落ちている』。彼らは第1世界の資本主義の近代化プロジェクトから、計画的に排除されており、絶望的で週末的な場合として抹消されている」のである――いわゆる失敗国家(コンゴ、ソマリア)、飢餓や災害の犠牲者、偽の古の「民族的憎悪」に捕らわれた者たち、慈善団体やNGOの対象者、テロとの戦争の標的などである。それ故に失業という範疇は遙かに広大な人々をとらえるべく拡張されねばならない。一時的な失職者、もはや職に就けない者、慢性的な失業者から、ゲットーやスラムの住人(それらの人々はマルクスその人によって「ルンペン・プロレタリアート」として退けられているわけだが)、そして遂にはグローバルな資本主義のプロセスが、まるで古地図の白い領域のように、排除している全ての人々と国家にまで。

 この新しい形態の資本主義は、解放の新しい可能性を提供するという人もいる。いずれにせよ、これがハートとネグリの『マルチチュード』の主要な論点である。それはマルクスをラディカル化しようとし、そして、もし資本主義の首を切り落とせば、社会主義が得られるというわけだ。彼らも気付いていたように、マルクスは歴史的な束縛を受けていた。彼は中央集権化され、機械化され、ヒエラルキーによって組織化された産業労働者が形成される、その結果として中央統制局の以上の何かとして「一般知性」が理解されるだろうと考えていた。今日では「非物質的労働」の増加とともに、革命的な反転が「客観的に可能」となっている。この非物質的労働は2つに極を拡大する。知的労働者(アイディア、文章、コンピューター・プログラムの生産)から、情動に携わる労働者(医者、ベビーシッター、客室乗務員)まで。今日非物質的労働は、マルクスが19世紀の資本主義において、大工業が主導的であると主張したような意味で、主導的な地位にあるのだ。それは数の力に拠ってではなく、鍵となるような象徴的な構造的役割と戯れることによって、その地位を確固たる者にしている。浮かび上がるのは、「コモン」と呼ばれる知識を共有し、新しいコミュニケーションと協働の広大な領域である。非物質的生産物の生産はオブジェクトではなく、あたらしい社会的ないし相互的な関係である。非物質的生産は、生-政治的であり、社会的な生の生産なのだ。

 ハートとネグリはここで、今日の「ポスト・モダン」な資本主義のイデオロギストのプロセスを、物質的な生産から象徴的な生産へ、中央集権的-ヒエラルキー的な論理から自己組織化し多中心方の協働へと描き出している。相違点は、ハートとネグリはマルクスに忠実であることである。彼らは、マルクスが正しかったと証明しようとし、一般知性の興隆は長期的に視て資本主義と相容れないとしている。ポスト・モダン資本主義のイデオロジストは、まさしくこの反対の主張をしようとするだろう。マルクスの理論(および実践は)、と彼らは述べるだろうが、中央集権的国家統制のヒエラルキー的な論理の束縛に留まるものであり、情報革命の社会的は急に耐えられないと言うだろう。その主張には良き経験的な理由があるわけだ。共産主義体制を効果的に崩壊させたのは、彼らの情報革命によって維持された新しい社会的な論理を取り入れる能力の不足だという。彼らはいくつもの中央集権化された大規模な国家計画を策定して、なんとか革命の舵取りをしようとした。パラドックスは、ハートとネグリが資本主義を克服するユニークな機会として祝っているものが、情報革命のイデオロジストたちによって新しい、摩擦のない資本主義の勃興として祝われていることだ。

 ハートとネグリの分析にはいくつかの弱点がある。それは資本主義がいかにして、時代遅れとされた(古典的なマルクスの用語法を用いるなら)生産様式を生き延びてきたのかを理解させるのである。彼らは今日の資本主義が成功裏のうちに(少なくとも短期においては)、一般知性それ自身をも私有化しているかを過小評価している。また同様に、ブルジョワジー以上に、労働者自身が余計なものとなりつつある(一時的な雇用者のみならず、構造的な失業者が構造的にますます増えている)ことを過小評価している。

 もし古い資本主義が理想的には、起業家を(彼のものであれ、借りたものであれ)資金を彼が組織化し運営する生産事業に投資し、そこから利益を得るというモデルを惹き付けてきたのならば、新しい理想的なタイプが今日では鎌首をもたげている。もはや、自分の会社を運営する起業家など必要でなく、銀行(これもまた銀行を所有するのではない支配人たちがいるだけなのだが)が所有する会社を管理する専門的な経営者(もしくはCEOが議長を務める経営委員会)がいれば、もしくは、分散化された投資家たちがいればいい。この新しいタイプの資本主義においては、古いブルジョワジーは非-機能的な存在として描かれ、賃金管理職として再機能されている。この新しいブルジョワジーは賃金の支払いを受け、たとえ会社の一部を所有するとしても、報酬としての株式を保有しているというわけだ(「ボーナス」が彼らの「成功」の証なのだ)。

 この振興ブルジョワジーは未だ剰余価値を着服している。しかしながら「基準外賃金」と呼ばれている(煙に巻かれたような)ある形態で、彼らはプロレタリアートの「最低賃金」よりも支払われているのである(半ば伝説化された形で、グローバルな経済の本当の実例は中国やインドネシアの搾取工場の労働者の賃金だとしばしば指摘されているが)。そしてそれが、自分の状態を自分で決定することのできる、普通のプロレタリアートとの違いである。古典的な意味でのブルジョワジーはそれ故に消えてゆくだろう。資本主義者が賃金労働者として再登場するにつれ、資格を与えられた経営者たちはその能力(そこでは疑似科学的な「査定」が決定的だ。それは二極化をもっともらしくする)のおかげでより多くを稼ぐことだろう。経営者たちだけに限らず、あらゆる種類の専門家たち、行政官、公務員、医者、法律家、ジャーナリスト、知識人、芸術家などの多くの労働者たちもまた基準外賃金を稼いでいる。余剰は2つの形態をとるわけだ。より多くの金(経営者たちなど)、しかしその一方で少ない仕事と多くの余暇(いく人かの知識人たち、しかしより多くの行政官たち)

 どの労働者が基準外賃金を受け取るか決めるのに用いられる査定の手続きは、権力とイデオロギーの恣意的なメカニズムであり、実際の能力には直結していない。基準外賃金の存在は経済的理由ではなく、政治的理由にあるのだ。その目的は、社会的安定性のために「中産階級」を維持することである。社会的なヒエラルキーの恣意性は誤りではない。しかし核心は、査定の恣意性が市場での成功の恣意性と類似している点にあるのだ。

 社会的な空間に余りも多くの不確定性があるからではなく、人が不確定性を除去しようとする時に暴力が爆発するおそれがある。『La marque du sacré』の中で、ジャン=ピエール・デュピュイは、ヒエラルキーを四つの手続き(象徴の装置、dispositifs symboliques)と見なしている。その機能は、上位との関係において恥をかかせないことである。1.ヒエラルキーそれ自身(外部から課せられた命令を私の低い身分の者に経験させることができることが、私本来に備わった独立性である)、2.脱神話化(実力主義的な社会でないことを示すが、社会的闘争の産物であることを示すイデオロギー的な手続き。他の上位者の能力や功績の結果であることを避けることを可能にすること)、3.不確実性(我々の自然的社会的な立場がそれによって決められるくじ引きのようなものに類似するメカニズムと理解できる。幸運な人々なら、優良な遺伝子とともに裕福な家庭に生まれるというわけだ)。4.そして複雑さ(結果を予測できない制御不可能な力。例を挙げるなら、市場の目に見えない手は、私の失敗と隣人の成功を導く者であるかもしれないが、それにもかかわらず私はより働き賢くなろうとする)。見かけと違って、これらのメカニズムはヒエラルキーに挑むものでも脅かすものでもなく、それを口に合うようにするものなのだ。なぜなら「嫉妬による騒乱が引き起こされるのは、他に運もなく反対するアイディアもないからだ」。デュピュイはこの前提から、自らをそう見なす理性的に正しい社会が憤りに対して自由だと考えるのは間違いで、その反対に、そのような社会こそ下位の立場を占める人々の、暴力的な憤りの噴出によって傷付けられたプライドのために、はけぐちを探し求めるべきだ、と結論づける。

 これを今日の中国が直面している行き詰まりに関連づけてみよう。鄧小平の改革の理想的なゴールは、ブルジョワジーのいない資本主義を導入することだった(たとえそれが新しい支配階級をうむとしても)。しかしながら今では、中国の指導者たちは、ブルジョワジーの存在によって可能となった、確固としたヒエラルキーのない資本主義の生み出す、苦渋に満ちた不安定性から逃れる道のりを発見しようとしている。そこでどのような道を中国はとるのだろうか?かつての共産主義者たちは、概してもっとも効率的な資本主義の管理者として現れている。なぜならば、かれらの歴史的階級的なブルジョワジーへの敵対心が、完全に今日のブルジョワジー無き経営支配という資本主義の潮流にぴったりと合うからである。どちらの場合にも、スターリンが昔言ったように、「上役が全てを決定する」のである。(今日の中国とロシアの興味深い違いは、ロシアでは大学教員は奇妙なほど賃金が低いのに比べ、中国では、柔順さを養う目的もあって、かなりの額の基準外賃金が支払われている)

 基準外賃金の概念はまた、以下の「反資本主義」抗議にあらたな光を投げかけている。危機の時代においては耐久生活を求めるあからさまな候補が、賃金ブルジョワジーのレベルを下げることを求める。もしプロレタリアートの仲間入りしたくないのなら、政治的なプロテストは彼らの唯一の頼みの綱なのだ。とはいえ、彼らの抗議は市場の暴力的な論理に向けられるのが通例である。彼らは実際には、次第に腐食しゆく彼らの(政治的に)特権的な経済的地位について抗議しているのだ。

 アイン・ランドは『肩をすくめるアトラス』の中で、ストライキをする「クリエイティブな」資本主義者たちという幻想を描いている。今日のストライキの中にも見つかるねじ曲がった現実だ。それらの多くは基準外賃金を失いたくないという「賃金ブルジョワジー」の恐れに動機づけられているのだ。それらはプロレタリアートの抗議ではなく、プロレタリアートに格下げされようとしていることへのおそれへの抗議なのだ。定職それ自体が特権である今日、一体誰が敢えてストライキしようとするだろうか?(未だ残っている)繊維産業の低賃金労働者などではなく、職の保証を得ているそれらの特権を得た労働者たちである(教師、公共輸送機関の労働者、警察など)。これは学生たちの抗議の性質をも説明するだろう。彼らの主要な動機は、おそらくは、高等教育はもはや終生に渡って基準外賃金を保証しないへのおそれなのだ。

 それと同時に、明らかなのは過去数年に渡る抗議運動の大規模な復活――アラブの春からヨーロッパの西まで、ウォール街を占拠せよから中国まで、スペインからギリシアまで――は、賃金ブルジョワジーの反逆として片付けてはいけないということだ。それぞれの場合でそれぞれの特徴を捉えてみなければならない。イギリスにおける大学改革への学生たちの抗議は、明らかにコンシューマリストの破壊のカーニヴァル、排除された者の真の暴発となった8月の暴動とは違った。人はエジプトの蜂起はいくぶんかは賃金ブルジョワジーの反逆として始まったと主張することができるだろう(そこでは教育を受けた若者たちが見通しのなさに抗議していた)。しかし、これはより大きな1つの抑圧的な体制に抗する1つの側面に過ぎない。その一方で、抗議は本当には、貧しい労働者も農民も集めていない。イスラム教徒の選挙での勝利が、オリジナルの世俗的な抗議の狭い社会的基盤を明らかにするだろう。ギリシアは特別なケースだ。この数十年間で、EUの金融支援策のおかげで新しい賃金ブルジョワジー(とくに過剰に拡張された国家の管理において)が生まれた。そして抗議運動はその多くがそれが終わることに動機づけられているのだ。

 プロレタリアート化された賃金ブルジョワジーの安給料は、その対極にある最高経営幹部と銀行家たちの非合理的なまでに高額な報酬にかなわない(非合理的であるが故に、投資家たちがアメリカで実演して見せたように、それは企業の成功に反比例する傾向を示すのだ)。批判を道徳化しようというこれらの傾向に従うよりも、我々はこれらを徴として読みとるべきである。資本主義体制はもはや、自己制御的な安定性を備えていないのだと。その危機は迫っている。言葉を換えて言えば、手に負えない状態で疾走しているのである。



訳者コメント:
 正月早々風邪をひいてしまった。最近ではほとんど症状は出ていないがその間翻訳作業は滞った。

 さて、ジジェクが1月18日に発表したやや長めの評論である。訳したばかりと言うこともあり読み切れていないが、賃金ブルジョワジーという言葉を軸に、ネグリとハートへの異論、エジプトのタハリール広場やウォール街を占拠せよを初めとする各地の蜂起を絡めつつ、現代資本主義の様相を読み解こうとする試みとして受け取った。

 たいしてジジェクを読んでいないくせに、ここに来て、ジジェクの思考もまた変わりつつあるのかもしれないな、とも思う。とにかく、この文章は、これを中心に様々な糸が引けるような文章ではないかと思う。


2/1の訂正:
 全体的な再チェックはまだだが、flurry さんに示唆をいただき、一部を訂正。また、遅ればせながら、rom_emon さんには、「アイン・ランド」の読みについて指摘をいただいた。両氏に感謝したい。

by BeneVerba | 2012-01-21 22:59 | 動画 | Trackback | Comments(0)
私たちはみな占拠者だ
We are all Occupiers
2011年11月16日 - アルンダティ・ロイ
原文:http://www.youtube.com/watch?v=2je_195fPGc





 マイク・チェック。ジャドソン教会とここにいる全ての人に感謝します。

 昨日の早朝、ニューヨーク市警がズコッティ公園を一掃しました。しかし、今日人々は戻って来ています。警察は知っておくべきだったのです。この抗議運動はなわばり争いではないことを。私たちはあちこちで公園を占拠する権利のために闘っているのではありません。私たちは正義のために闘っているのです。アメリカの人々のためだけの正義ではなく、全ての人々のための正義なのです。

 9月17日以来、あなたたちが達成したものは、その日にアメリカで、「占拠せよ」運動が始まってから、新しいイマジネーションと新しい政治的言語を、帝国の心臓部へ導入したことです。あなたたちは再導入したのです、夢を見る権利を。みんなをゾンビへと変えてしまう体制に。心のない大量消費と幸福や充実を、同じものだと見なしてしまう催眠術にかかったゾンビへと。

 作家としてあなたたちに言わせてください。これは計り知れない程の達成です。いくら感謝しても充分ではない程です。

 私たちは正義について語っています。今日、私たちが話題にしているように、アメリカ軍は、イラクとアフガニスタンで占領戦争を遂行しています。アメリカのドローンは、その後もパキスタンの市民を殺害し続けています。数万のアメリカ軍部隊と暗殺部隊が、アフリカへと進みつつあります。もしあなたたちのお金である数兆のドルを費やしても、イラクとアフガニスタンでの占領を遂行するのに充分ではないということになれば、イランに対する戦争が声高に唱えられるようになるでしょう。

 大恐慌の時代以来ずっと、兵器の製造と戦争の輸出が、アメリカの政策の鍵であり続けています。景気を刺激するための。つい最近も、オバマ政権下において、アメリカは取引をしました。サウジアラビアと600億ドルの兵器を。イスラム教徒の権利を殺すものです。そして、アラブ首長国連邦に数千のバンカー・バスターを売りたがっています。既に50億ドル分の軍用機を私の国に売っています。インドに。そこには最も貧しいアフリカの国々を集めたよりも、更に多くの貧しい人々がいるのです。これらの戦争、広島と長崎への原爆投下から、ヴェトナム戦争、朝鮮戦争、ラテン・アメリカに至るまでの戦争において、数百万の人名が奪われました。それらの全ては、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を守るために戦われたものでした。

 今日私たちが知るように、その「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」は、つまり、世界の残りがそれを熱望し求めるよう定められているモデルは、結果として、400人の人たちを生み出しました。その人たちが、アメリカの人口の半分の富を持っています。それは数千の人々が彼らの家と職から追われる一方で、アメリカ政府は銀行と大企業を救済するという事態を引き起こしました。アメリカンインターナショナルグループ(AIG)は、単独で、1千820億ドルを受け取っているのです。

 インド政府はアメリカの経済政策を崇拝しています。20年間の自由市場経済の結果として、今日では100人のインドで最も裕福な人たちが、GDPの4分の1にあたる資産を所有しています。その一方で、80%以上の人々が一日50セント以下で暮らしているのです。そして25万人の農民たちが、死への連鎖に追い込まれて、自殺しました。私たちはこれを進歩と呼び、今や自らを超大国だと考えているのです。あなた方のように、我々は完全な資格を得たのだ。我々には核兵器があり、おぞましい不平等もあるのだと。

 良い知らせは、人々がもう沢山だと感じており、これ以上我慢するのを止めようとしていることです。「占拠せよ」運動は、他の数千の抵抗運動へと加わったのです。世界中で行われている、最も貧しい人々が立ち上がり、最も豊かな企業をすぐにも止めようとしている抵抗運動へと。

 私たちの中のほんのわずかな人たちだけが、夢見ていました。あなたたちが現れ、私たちの味方につくアメリカの人々が現れ、このようなことを帝国の心臓部でやるだろうと。

 なんと伝えたらいいのか私にはわかりません。このことが意味する途方もなさを。

 彼ら1%の富裕層は、私たちには要求がないと言っています。彼らはおそらく知らないのでしょう。私たちの憤りだけで、彼らを殺すのに充分であることを。しかし、ここにいくつかのことがあります。私がかつて「革命前」に考えていたことです。私たちで一緒に考えたいのです。

 私たちは、不平等を製造するこの体制に終止符を打ちたいのです。私たちは、限りなき富と資産の蓄積に休止符を入れたいのです。個人によるものであれ企業によるものであれ。終止家として、そして休止派として、私たちは次のことを要求します。

 1つめ。実業界のクロスオーナーシップ制度を終わらせること。例えば、兵器製造業者はテレビ局を所有してはならない。鉱業会社は新聞を運営してはならない。商社は大学に資金を提供してはならない。製薬会社は公共の保健の財源を管理してはならない。

 2つめ。天然資源と重要なインフラストラクチャー、水道、電気、保健、教育などです。それらは民営化してはならない。

 3つめ。全ての人が、避難する権利、教育を受ける権利、医療を受ける権利を持たなくてはならない。

 4つめ。富裕層の子どもは親の資産を相続してはならない。

 この闘いは、再度私たちのイマジネーションを目覚めさせました。その道のどこかで、資本主義は正義のイデアが意味するものを、単なる「人権」にまで貶めたのです。そして、平等を理想とするイデアは冒涜的なものとなったのです。私たちは、闘っているのではありません。置き換えることが必要な体制をなんとか改革しようとして。

 終止家として、そして休止派として、あなたたちの闘いに敬意を表します。

 サラーム、そしてジンダバード。
 


by BeneVerba | 2011-11-23 08:18 | 動画 | Trackback | Comments(0)
ウィスコンシン州知事マイク・チェックを受ける
Gov. Scott Walker gets checked, Mic Checked!
2011年11月03日 - スタンドアップ!シカゴとシカゴ教職員組合
原文:http://www.youtube.com/watch?v=Oc6LCxKf-9o





 ウィスコンシン州知事スコット・ウォーカーは、11月3日の朝、シカゴ組合連盟クラブでスピーチを行おうとした際、予期せぬ来客を受けることとなった。スタンドアップ!シカゴとシカゴ教職員組合である。

 マイク・チェック!憤りと恥ずかしさの入り交じった気持ちだ。豪華な朝食を前にして座り、誰かさんの話を聞いているというのは。働いている家族たちの生活を滅茶苦茶に破壊した誰かさんの。ウォーカー州知事は労働組合を侮辱した。そして99%を中傷した。最低生活賃金と、家族を養うための適正給付額を当てにしている人々を。右翼の億万長者コーク兄弟が抱える従業員たちも、私たちの置かれている状態とそう変わらない。企業と買収された政治家たちが、1億の減税を認める方策を見つけようと叫び声を上げている一方で、この国で最も利益を上げている会社の一つであるマーカンタイル取引所への減税を。公共サービスは大幅に削減され、労働者たちの年金は脅かされ、ホームレス、貧困、失業は増え続けている。シカゴ・マーカンタイル取引所は既に、TIFとして1千500万ドルもの我々の金を手中に収めている。シカゴの公立学校の生徒たちを援助するかもしれなかった我々の税金だ。皮肉なことだ、ウォーカー州知事に自由な発言権が与えられている一方で、「シカゴを占拠せよ」運動から300人も逮捕するようにシカゴ市長が命じたのは。彼らは集会の自由を表明したというだけなのに。要するに、ウォーカー州知事は本来のアメリカから外れているのだ。そして労働者たちは、何人にも栄誉を与えないであろう。1%の利益のために我々の生活を蝕もうとしている何人にも。

 組合潰しだ!公正な教育を!

 我々は99%だ!我々は99%だ!
 


by BeneVerba | 2011-11-06 14:54 | 動画 | Trackback | Comments(0)