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*SNSでの投稿を下にした初読時での小さな感想です。何度か投稿しなおしています。

e0252050_1556195.jpg この本はインタビューを元にしたものなので、体系だったものではなく、きっちりとは要約しづらい。だが、二つの視点を持っているとは言えるだろう。一つは東アジアやアラブ世界を視野に入れている点、もう一つはソ連型の共産主義国家も、資本主義国家もどちらも選べない現状に根ざしている点。

 冒頭で、倫理的なものに対する政治的なものの優位が言われる。それは単に倫理よりも政治を優先しようということではなく、私たちが倫理とみなしているものが、政治的な判断に基づいていることを言っている。

 その意味で、次の引用は象徴的に思える。「女性をレイプするのは間違っていると主張しなければならない状況で生きるなんて、私はごめんです。レイプがよいか悪いかを議論する必要がある社会とは、どんな社会でしょうか。レイプをきわめて不愉快な狂気の沙汰とみなすことには議論の余地はない、そう言い切れる社会が私の生きたい社会です。同じことは、人種差別、ファシズム、等々にも言えます」。

 わたしたちが倫理とみなしているものは、暗黙の前提となった決断なのだ。上の引用もそうしたものとして、読んでいいだろう。

 私たちは隘路にはまったように見える。どうすればいいのだろうか?

 だが、そこで決断を控えるのではなく、決断することを選べとジジェクは言う。この本の言葉づかいに従えば、ベケット的なレーニンだ。「もう一度やれ、うまくしくじれ」。それは、訳者の中山徹が指摘しているように、『大義を忘れるな』で述べられているところでもある。

 やや大まかにまとめるなら、そこで冒頭の倫理的なものに対する政治的なものの優位に、再び話は戻ると言える。それは、単なる決断主義ではなく、あらたな領野を開くためのものと思われる。その意味で、副題となった「不可能なものを求めよ」は適切な文言だ。

 ジジェクは、中国・シンガポール型の資本主義をたいへんに暗い選択肢とみなしているのだが、この本では一箇所ながら、日本もまたそうであることに触れられている。また、ジジェクが日本ではなく韓国に行ったことは、たいへん示唆的であるように思える。

 私たちが住んでいる社会は、先の引用に従えば、「レイプがよいか悪いかを議論する必要がある社会」なのである。日本軍性奴隷制度(「従軍慰安婦」制度)などの歴史修正主義に関するうんざりするような言説を眺めるだけで、それはわかるだろう。

 心に命じるべきは、ジジェクは、私たちが従うべき答えを持っているわけでもなんでもないということだ。しかし、私たちは、自分たちの決断において、何度でも繰り返し始めるべきではないだろうか?うまくしくじるために。

by BeneVerba | 2014-05-31 15:54 | 書籍 | Trackback | Comments(0)
宣伝ツイート連続でいかせてもらいます。
at 08:44:53


【宣伝】『ウォール街を占拠せよ: はじまりの物語』http://www.amazon.co.jp/dp/4272330780/ 当事者自身が書いた運動のインサイドストーリーです。といっても、主観的なものではなく、記述的な文章が続く、ある意味で「地味な本」です。つまりノンフィクションですね。
at 08:45:31


【宣伝】『ウォール街を占拠せよ: はじまりの物語』http://www.amazon.co.jp/dp/4272330780/ 基本的に、この本にはスピーチの貯めに訪れては帰る「スター」は登場しません。運動内部の各作業部会(ワーキンググループ)の役割分担や活動を知ることができるのは、この本だけだと思います。
at 08:46:10


【宣伝】『ウォール街を占拠せよ: はじまりの物語』http://www.amazon.co.jp/dp/4272330780/ 他の章もそうですが、特に「はじまり」の章において「アラブの春」や「M15運動」とのつながり(抗議活動の地球規模の連鎖)が触れられています。この章の訳註は頑張って書きました。
at 08:46:35


【宣伝】『ウォール街を占拠せよ: はじまりの物語』http://www.amazon.co.jp/dp/4272330780/ この本はある意味では、ズコッティ公園(リバティ広場)が主人公と言えるでしょう。公園内部の対立や人種間の対立にも触れられています。とくに「ポキュパイ」の章は深い内容です。
at 08:47:24


【宣伝】『ウォール街を占拠せよ: はじまりの物語』http://www.amazon.co.jp/dp/4272330780/ 写真が豊富なのは、類書の中でもこの本だけです。笑えるものから、意外なものまで厳選して掲載してあります。写真にはあえて説明をつけませんでした。
at 08:47:47


【宣伝】『ウォール街を占拠せよ: はじまりの物語』http://www.amazon.co.jp/dp/4272330780/ 写真で私のお気に入りは、女の子が掲げる「政府は私のお友達じゃない(The Government is Not My Friend)」です。これをまだ理解していない人がたくさんいます。
at 08:50:56


以上宣伝でした。
at 08:51:50

by BeneVerba | 2012-11-07 08:58 | 書籍 | Trackback | Comments(0)
 たった今高橋源一郎『恋する原発』(講談社)を読み終えた。その読後感を失わないうちにこれを書こうと思う。ここでは一応カテゴリ分けのため書評としたが、インターネット上に発表する文章は、紙媒体のそれとは異なる性格のものであっていいと思う。以前にもある本の「書評」をオンラインで発表しようとしたのだが、今ではその時抱いていた考えとは異なっている。そのようなものとして受け取ってほしい。


 この小説は「大震災チャリティーAVを作ろう奮闘する男たちの愛と冒険と魂の物語」と帯に書かれている。だが、とてもそのような売り文句で言い表せるようなものではない。というより、全ての良質な小説がそうであるように、どのような言葉もこの作品を要約できないのではないかと思う。それでも敢えて短く言い表すならば、これは、三・一一体験というものがあるならば、それが私たち全てに強いるものを、性に立脚しつつ、凝縮して示したような作品だと私には思われた。

 「なぜ原発とアダルト・ビデオなのか」という問いに対しては、この小説を読み終えた読者ならば、こう答えるはずだ。「なぜなら原発は、性という私たちの生命を紡ぐための自然な行為を、破壊しようとするものだから」と。そしてこう付け加えるかもしれない。「むしろ私たちは原発と性の問題こそを考えるべきではないのか。それが私たちの生、個人的な生のみならず種としての生を脅かすが故に」。

 おそらく三・一一の直後には、ほとんどの人がテレビかじりついて、呆然とした思いでそれを見つめていたのではないかと思うが、人々には、その時画面に見た光景のみに対してではなく、様々な思いが去来したのではないだろうか?私はそうだった。直接的な津波被害、震災被害、放射能被害から、そのようなものまでを総称して、さしあたり三・一一体験と呼びたいと思う。

 実際のところ、この本を読んでいる最中に私が思い浮かべていたのは、三・一一を様々な人々の視点から再構成した優れたルポルタージュである広河隆一『福島 原発と人びと』(岩波新書)だった。おそらく両方の書物は、三・一一体験を、また三・一一体験とは日常化するものではないことを、私たちに想起させる点で共通しているのだ。

 『恋する原発』においては、それは例えば、戦艦大和の生存者であるアダルト・ビデオ制作会社の「会長」の体験談として、「あらゆる死者を受け入れる施設」に生まれ変わった『ニュー・ヤスクニ』として、被災者であり、児童虐待の被害者であり、「AV女優」である「ヨシコさん」の言葉として、「大震災チャリティーAV」を制作しようとする小説の語り手の、広島の原爆投下によって死亡した「ほんとうの母親」として現れている。

 つまりは、三・一一体験は、私たちがテレビに釘付けになっていたあの時期に起きたことだけのみならず、未来を、そして過去を考えることを強いている。あるいは考え直すことを強いている。これからも強い続けるだろう。それが私たちの性の問題、生の問題であるが故に。そして死者たちの問題であるが故に。小説の形として、そのことを刻んだものとして私はこれを読んだ。

 この小説はある種の二重の否定で終わっている。小説の語り手が選ぶある否定、その小説の語り手に対するある否定。それを念頭に置きつつ、私はこの小説を再び読むことになるだろう。


12/3の追記:
 昨夜この本を読み終えて、そのまま書いたこの文章を、今朝読み直してみると、異性愛的な観点が強すぎるようにも思われる。しかし、性とは種の保存のための行為だけでなく、個と個とを結ぶ行為でもあるという意味において、この文章は読み直しうるのではないだろうか?そして、それこそが「恋する」という言葉の意味ではないかと今思う。『恋する原発』は、その可能性と不可能性を見つめつつ、「恋する」ことを希求している本ではないか。そのことを付記しておきたい。

2012/10/26の変更:
 その後カテゴリを「書籍」とした。そのために本文の内容と齟齬があることを付記しておく。




by BeneVerba | 2011-12-02 23:03 | 書籍 | Trackback | Comments(0)