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悪魔の民族のための政策としてのリベラリズム
Liberalism as politics for a race of devils
2011年11月22日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:http://www.abc.net.au/religion/articles/2011/11/22/3373316.htm


 リベラリズムにとって、少なくともそのラディカルな形態にとっては、人々をある倫理的理想――普遍的であり、それ故に普遍的な拘束力を持つ――に服従させたいという欲望は、個人的見地の他人への暴力的な押し付けに、またそれが故に市民的騒乱に帰結するために、全ての犯罪の源「全ての犯罪を含む犯罪」である。

 それが、市民的な平和と寛容を確立するための最初の前提条件は、あらゆる道徳的誘惑を取り除くことだと、リベラルが主張する理由である。政治は徹底的に道徳的理想を追放し、「現実主義的」なものとして描かれるべきであり、人々をありのままに受け取り、彼らの真の本性をあてにするべきであり、道徳的説得をあてにするべきではないのだ。

 このパラダイムは、様々な意味において、市場が機能するそのやり方そのものである。人間の本性は利己的であり、それを変える方法はない。したがって、必要なことは私悪を公益のために働かせることである。有名なエッセイ『永遠平和のために』において、イマヌエル・カントはこの鍵となるメカニズムの正確な記述を提供している。
 多くの人々が、共和国は天使の国家でなければならないだろうと言う。なぜならば、利己的な傾向を持つ人間は、そうした崇高な形式の体制を形成するのに適さないからである。ところが、まさしくそれらの利己的な傾向をもってして、自然は、尊敬すべきではあるが実践においては無力な、理性に基づいた普遍的意志を助けるのである。それ故に、問題は国家の良い組織を作ること(人にはその能力がある)であるが、それがために、それぞれの利己的な傾向の力が、一方が他方の破滅的な力を緩和するか、もしくは破壊するように対立的に配置されている。理性にとって、結果は、それらの傾向が存在しなかったのと同様であり、人は道徳的に良き人物でなくとも、良き市民になるように強いられている。

 国家を組織するという問題は、それがどれ程困難に見えても、彼らが知性を持ちさえすれば、悪魔の民族にとってすら解決できうるのである。問題はこうである。「自己保存のために普遍的な法を求めているが、それぞれが密かに自分はそれから逃れたいという傾向を持つ一群の理性的な存在たちがいれば、彼らの私的な意図は衝突するとはいえ、そのような体制を確立するために、彼らは互いを制止しあい、その結果として、彼らの公的な振る舞いは、そうした意図がなかったのと同様になるであろう」。

 この問題は解決可能である。なぜならば、それは我々に、いかにして人間の道徳的改善が達成されるべきかを知ることを要求してはおらず、それを人間に用いることで、人々の中にある敵対的な意図の衝突を組織化して、彼らが自ら強制的な法に服従せざるを得ないように仕向けている、自然のメカニズムを知ることを要求しているだけだからである。故に、法が効力を持つ平和的状態は確立されるのである。

 カントの思考に添うならば、その結論はこうである。完全に自己意識的なリベラルは、自己の利益を他人の利益のために捧げようとする自らの利他心を、意図的に制限しなければならず、公益を達成するための最も効率的な方法は、私的な利己主義を追求することだと気付かなければならない。そこで我々は「私悪すなわち公益」というモットーの論理的反対物を得るわけである。つまり、「私的な善すなわち公的な災厄」である。

 その当初から、リベラリズムの中には、個人的自由と集団の振る舞いを規制する客観的メカニズムの間に緊張がある。バンジャマン・コンスタンは既にこの緊張を観察し、明確に定式化していた。「個人においては全ては道徳的であるが、集団においては全ては物理的である。全ての人は個人としては自由であるが、集団の中においては機械の歯車である」。

 この企図の内的な緊張はリベラリズムの二つの面において認められる。市場リベラリズムと政治的リベラリズムである。ジャン=クロード・ミシェアがすばらしくも論じたように、これらリベラリズムの二つの側面は、「Right」という言葉の二つの政治的意味において結ばれている。政治的な右派(Right)は市場経済に固執し、ポリティカリー・コレクトな左派は人権(human rights)の擁護に固執する。しばしば、それが唯一残った存在理由であるほどに。

 リベラリズムのこれらの二つの側面間の緊張は単純化できるものではないが、にもかかわらず、同じ硬貨の両面のように、両者は密接に結びついている。

 そして、今日では、「リベラリズム」の意味は、経済的なリベラリズム(自由市場的個人主義、強い国家による規制への反対など)と政治的なリベラリズムないしはリバタリアニズム(平等、社会的連帯、寛大さの強調など)の間で揺れている。

 論点は、いくら綿密に分析したところでどちらが「真の」リベラリズムなのか決定できないこと、また何らかの「より高次の」両者の総合を提示しようとすることで、ましてこの用語の二つの意味の区別を明らかにすることで、このデッドロックを解決できないことにある。

 二つの意味の間の緊張は、「リベラリズム」という言葉がその名で呼ばれようとする内容そのものに固有のものである。それはこの観念の構成要素であり、そのためにこの両義性は、悟性の限界を示すものではなく、リベラリズムの観念そのものの最も内側の「真実」を指し示している。

 伝統的に、リベラリズムそれぞれの「顔」は、必然的に他方の顔の反対物として現れている。リベラルが多文化主義的な寛容を擁護し、通例として、経済的なリベラリズムと闘い、規制なき市場の力の猛威から脆い立場にあるものを守ろうとする一方で、自由市場リベラリズムは、通例として、保守的な家族の価値観を擁護する。

 それ故に、我々はある種の二重の矛盾を抱えることになる。伝統的な右派は、市場経済を支持する一方で、それが生み出す文化及び社会的習慣と勇猛に闘っている。その一方で、その対照物である多文化主義的な左派は、市場と闘う一方で(ミシェアが指摘するように、最近ではどんどん少なくなっているのだが)、熱狂的にそれが生み出すイデオロギーを強化している。

 今日では、言うなれば、我々は両方の面が結合された新しい時代に入ったようにも見える。ビル・ゲイツのような人物は、急進的市場主義者であり、多文化主義的人道主義者であるように装っている。

 ここで我々はリベラリズムの基本的な矛盾に遭遇することになる。反イデオロギー的かつ反ユートピア的な態度が、リベラルなヴィジョンの心臓に刻印されている。リベラリズムは自らを「より少ない悪の政治」だと見なしており、「可能な限り最小悪の社会」をもたらそうというその野心は、より大きな悪を防ごうとするが故に、現実的な善を直接的に押し付けようとするどのような試みも、全ての悪の根元的な源であると考えるのである。

 ウィンストン・チャーチルの「民主主義は最悪の政治制度だ。他の政治制度を除けば」という警句は、リベラリズムにこそより当てはまる。そのような見方は人間の本性に対する深いペシミズムによって保持されている。人は利己主義的で嫉妬深い動物であり、もしその徳性と利他主義に訴える政治制度を築けば、結果は最悪の恐怖政治となるのだ(ジャコバン派とスターリニストの両方が、人間の徳を前提としていたことを想起せよ)。

 しかしながら、「善の専政」へのリベラルの批判は犠牲を支払うものである。そのプログラムが社会に浸透するにつれ、その反対のものへと変わってしまう。より少ない悪以外に何も求めないという主張は、いったん新しいグローバルな秩序の原則として採用されると、反対のものだと主張するその敵の特色を漸進的に迎え入れてしまうのだ。

 実際のところ、グローバルなリベラルの秩序は、可能な世界の中では最善のものとして自らを提示している。その控えめなユートピア的な目的の拒否は、それ自身の市場リベラルのユートピアの押し付けとともに、我々が市場のメカニズムと普遍的な人権に自らを服従させる時に、現実のものとなる。

 しかし、ポリティカル・コレクトネスの注意深い観察者ならば知っているように、道徳的な善を法的な正義から分離しようとする試み――それは相対化され歴史化されるべきではあるが――は、憤慨に溢れた閉所恐怖症的で抑圧的な道徳主義に終わったのである。

 ジョージ・オーウェルが「共通の良識」として賛同的に言及した標準(そうした標準は全て、個人の自由を原ファシスト的な有機的な社会形態に従属させるものとしてはねつけられている)に基づいた「有機的な」社会的実質を欠くならば、法のミニマリスト的なプログラムは、せいぜい個人をお互いの侵害(互いへの迷惑行為や「ハラスメント」)から防ぐものを意図するに過ぎず、「あらゆる形態の差別への反対」として提示されている法的かつ道徳的な爆発、法化と道徳化の終わりなきプロセスへと変わる。

 もし、法に影響を及ぼすべき共有の社会的習慣が存在しなければ、主体が他の主体に「ハラスメント」を働くというありのままの事実があるに過ぎないが、それならば一体誰が――そのような社会的習慣の不在において――何を「ハラスメント」であるか決めることができようか?

 実例を挙げるなら、フランスには肥満に反対し健康な食習慣に賛同する全ての公的なキャンペーンを中止するよう求める肥満した人々の団体がある。なぜなら、それらのキャンペーンは肥満した人物の自尊心を傷付けるからである。ベジー・プライドの闘士たちは、肉食者たちの「種差別」(動物たちを差別し人間という動物を特別視している、彼らにとってはおぞましき「ファシズム」の形態)を非難し、「菜食主義憎悪」を外国人憎悪の一種のように取り扱い、犯罪として非難されるべきだとしている。こうしたものは、近親婚、合意に基づく殺人、カニバリズム……などなどの権利を求める闘いにまで拡張されよう。

 ここでの問題は、こうしたこれまでにない新しい規則の増殖における明白な恣意性にある。子どものセクシャリティを例として取り上げてみよう。その違法化を不当な差別だと論ずることができる一方で、子どもは性的いたずらから保護されるべきだと主張することもできる。こうした例はさらに続けることができる。ソフト・ドラッグの合法化を擁護する同じ人物が、公共の場所での喫煙の禁止を支持することは普通である。我々の社会にある小児に対する家長的な虐待に抗議する同じ人物が、我々の社会に住む外国文化の成員がまさに同じことをしている場合に、非難されることを心配している(例えば、ロマが子どもたちを公立学校に行かせない場合のように)。他人の「生き方」への干渉にあたると主張するのである。

 それ故に、こうした「反差別の闘い」が、果てしなくその終着点を引き延ばし続ける終わりなきプロセスになる必然的構造的な理由がある。あらゆる道徳的な偏見から解放された社会は、ジャン=クロード・ミシェアの表現を借りれば、「その評価において、あらゆる場所に犯罪を見出す社会になるだろう」。

 そうしたリベラルな多文化主義のイデオロギー的調整は、「ポストモダン」な潮流の二つの特色によって決定される。普遍化された多文化主義的な歴史主義(全ての価値観と権利は歴史的に特有のものであり、他人への押し付けとなるそれらの普遍的な観念への昇格は、最も暴力的な文化帝国主義である)と、普遍化された「疑惑の解釈学」(全ての「高次の」倫理的な動機は、憤慨と嫉妬である「低次の」動機によって生み出され保持されている。例えば、大義のために自らの生命を犠牲にせよという呼びかけは、力と富を保持するために戦争を必要とする人たちによる操作の仮面または、あるいはマゾヒズムの病理学的表出である。そしてこの「または/あるいは」は論理和である。つまりどちらの用法も同時に真でありうる)である。

 このリベラルなヴィジョンの問題は、全ての良き人類学者、精神分析家、もしくはフランシス・フクヤマのような明快な社会批評家さえ気付いているものである。それは自分自身で存立することができず、通常「社会化」として言及される先行する形態に寄生しているのである。それは同時に自らを損なうため、それにより自らが座る枝を切ろうとするのである。

 市場において――そして、もっと一般的に言えば、市場に基づく社会的な交換において――は、個人は互いに自由で理性的な主体として出会うが、そのような主体は、象徴的負債、権威、そして何よりも信頼に関わる、複雑な先行的プロセスの結果である。

 言葉を換えて言えば、交換の領域は決して純粋に対称的ではないのだ。ギブ・アンド・テイクのゲームに参加するためには、見返りなしに何かを贈与しなければならないというのが、各参加者にとっての先験的条件である。市場交換が発生するには、基本的な象徴的協定に参加し、基礎的な信頼を表示する主体でなければならない。

 もちろん、市場は騙し嘘をつく利己主義者の領域である。しかしながら、ジャック・ラカンが我々に教えたように、嘘を機能させるためには、真実として自らを提示し、そう受け取られる必要がある。それにより、真実の次元は既に確立されたと言うために。

 カントが見逃したのは、成文化されておらず、否認されているが、全ての法体系もしくは社会的規則を成り立たせるために必要不可欠な規則である。そのような規則のみが、法が成立し正常に機能するような「実質」を提供するのである。そのような成文化されていない規則の効用の模範的な例は、名高き「ポトラッチ」である。

 市場交換においては、交換という行為が社会的絆とならず、その後で直ちに孤独な状態に戻ることができるアトム化された個人間の一時的な交換となるように、二つの相補的な行為が同時に起きる(私は払い、払ったものを得る)。

 ポトラッチにおいては、その反対に、私からの贈り物の贈与と他人の側からの返礼の間の時の経過が、持続する社会的つながりを生み出す(少なくともしばらくの間は)。負債という絆によって我々全ては結ばれているというわけだ。この見地からすると、貨幣は、適切な関係を結ぶことなく他人と交わることを我々に可能にする手段として定義できる。

 適切な関係を結ぶことなく他人と交わることができるこのアトム化された社会が、リベラリズムの前提条件である。国家を組織するという問題は、それ故「悪魔の民族にとってすら」解決できないのである。カントが表明したように、このイデアは、リベラルのユートピアの鍵となるモメントであると言える。

 このカントの「悪魔の民族」への言及は、彼の倫理的思考の別の側面に結びつけられるべきである。カントによれば、人が海に一人で漂う自分を見出した時、沈んだ船の別の遭難者の近くに一人だけを浮かばせることができる木の破片があれば、道徳的な考慮は最早有効でない。そこには、死との戦いにおいて他の遭難者と流木を巡って争う行為を妨げる道徳律は存在しない。私は道徳的免責ともにその争いに従うことができる。

 そこにおいて、おそらく人は、カントの倫理学の限界に遭遇することになる。他人に生き延びる機会を与えるために、進んで自らを犠牲にする人はどうなのか?さらに非病理学的理由のために進んでそうする人はどうなのか?そうしたために私を責める道徳律が存在しないのならば、そのような行為には倫理的な資格がないことを意味するのだろうか?

 この奇妙な例外は、冷酷な利己主義――個人的な生存と私利への配慮――が、カントの倫理学の暗黙の「病理学的な」前提条件であることを証明するものでないだろうか?すなわち、我々が暗黙のうちに冷酷な功利主義的利己主義者として、人間の「病理学的な」イメージを前提とする時にのみ、カントの倫理的体系は自らを保持することができるということを証明するのではないだろうか?

 まさしく同じ意味において、カントの政治体系――彼の理想的な法的力の観念――は、我々が暗黙のうちに「悪魔の民族」としてこの力の主体の「病理学的な」イメージを前提とする時にのみ、自らを保持することができる。

 カントによれば、既に述べたように、社会的平和をもたらすメカニズムは、個人の意志にも彼らの美点にも依存しない。「永遠平和の保証人は、かの偉大なる芸術家である自然(諸物の巧みな作り手である自然 natura daedala rerum)に他ならない。そのメカニカルな進行において、我々は自然の目的が、人間の意志に逆らいつつも人間の不和を通して、人間の間に調和を生み出すことにあることを知るのである」。

 そしてこれこそが最も純粋なイデオロギーである。人は、リベラルな宇宙においてのみ、イデオロギーの観念は可能になると主張することができる。意味の世界――(当然にも現代的な見地からすれば)事実と価値観を混同した――にどっぷりと浸かった普通の人々と、道徳的な偏見なしに、(情念の)法によって定められたメカニズムとして、ありのままの世界を知覚することができる冷淡で理性的な観察者の間の区別をつけることによって。

 このモダンな宇宙においてのみ、社会は可能性の実験の対象として、没価値的な理論もくしはあらかじめ与えられた科学――政治的な「情念の幾何学」であれ、経済であれ、レイシストの科学であれ――を適用できる(そしてそうすべきである)カオス的な領域として現れる。

 自然科学者が自然に接するのと同じやり方で、没価値的な科学者が社会に接することができる、このモダンな立場のみが、厳密な意味でのイデオロギーであり、迷信的な偏見として科学者によって退けられている人生の有意義な経験についての自発的な態度ではない。それはまさしくイデオロギーである。なぜなら実際にそうであることなしに、自然科学の形態を模倣しているのだから。



訳者コメント:
 ぎょっとするような題名かもしれないが「悪魔の民族」という言葉は、カントの『永遠平和のために』の第一補説より。内容にも驚く人がいるかもしれないが、ここでジジェクがやっていることは、リベラリズムがグローバルに共有された価値観であることを前提として、その経済的政治的な両義性を分析するというもので、正しくリベラリズムの批判(否定ではなく)だろう。カントが自然は各民族を分散させ、互いの防衛と交易を通して平和状態を確立させると言っていることを思えば、牽強付会とは言えないと思う。

 本文中にあるカントから引用部分は岩波文庫の『永遠平和のために』(宇都宮芳明訳)と、光文社古典新訳文庫『永遠平和のために/啓蒙とは何か』(中山元訳)を参照しつつ英語原文に添って訳した。この文章は語彙の点においても、その抽象的な内容の点においてもずいぶん大変な翻訳で、通常の二倍は時間がかかってしまった。それでも至らない点があると思うが、もし指摘していただけたら嬉しいことこの上ない。なお、原文中にあるリンクは全てそのままとした。

 ところで、このブログではナオミ・クラインとスラヴォイ・ジジェクという対局にあるように見える存在を翻訳しているのだが、ジジェクが『ポストモダンの共産主義――はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』でナオミ・クラインに触れ、ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』において人権のみにこだわり経済を取り扱わないことの限界を指摘していることを思えば、両者は無関係ではないと思っている。
 


by BeneVerba | 2011-11-30 20:22 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
傷を変容させる、安全性を作り上げる:「ウォール街を占拠せよ」が直面する性暴力とそれを乗り越えて
Transforming Harm & Building Safety: Confronting Sexual Violence At Occupy Wall Street & Beyond
2011年11月04年 - 「ウォール街を占拠せよ」サヴァイヴァー支援チームのメンバー
原文:http://occupywallst.org/article/transforming-harm-building-safety/


「ウォール街を占拠せよ」サヴァイヴァー支援チームのメンバーによる声明

 ニューヨーク、2011年11月4日:私たちはこの声明を、「ウォール街を占拠せよ」で起こった性的暴行について、私たちの仲間である占拠者たちに情報を与えるため、またそれへの応答として書いている。私たちはまたこの声明を、サヴァイヴァーを非難し、このひどい事件を「ウォール街を占拠せよ」を攻撃する材料として使っているメディア報道への返答として書いている。私たちはこの声明を、「ウォール街を占拠せよ」の支持者として、サヴァイヴァー仲間たちとして、味方たちとして書く。

 10月29日の朝、「ウォール街を占拠せよ」に参加している一人の女性が、リバティ広場で性的暴行の被害にあった。彼女が暴行を受けたと確認した人物は、前回の暴行のために11月1日に逮捕され、現在拘置中である。

 暴行のあった朝にサヴァイヴァーは、彼女を支え代弁者となるために、ソーシャル・ワーカー一人を含む「ウォール街を占拠せよ」の女性グループに付き添われて、病院へと行った。事件が発覚してから現在まで、サヴァイヴァーは彼女の味方たちと、感情的、医学的、法的な支援を提供するためのリソースを持つ訓練を受けた代弁者たちのネットワークに包まれている。過程の全ての段階で、またサヴァイヴァー支援の核となる原則に従って、彼女は名誉を回復したいと望んでおり、また、彼女の選べる選択肢について幅の広い情報が提供されている。サヴァイヴァーはすぐに、彼女に暴行を働いた人物が、これ以上「ウォール街を占拠せよ」の誰かを傷つけることのないようにしてもらいたいと思った。コミュニティのメンバーは、この要求に敬意を払い、当該人物に私たちの拠点を去るように要請した。そして彼がそれを拒絶した時、彼の活動は監視され、やがて追い出された。

 これらの努力はサヴァイヴァーに、入手可能な選択について慎重に検討する時間と空間を提供した。その次の二日間に、家族や友人たちや支持者や非暴力の代弁者たちと議論を重ねて、サヴィヴァーは警察に被害届を出す決心をし、犯罪捜査と起訴が行われるように強く求めている。「ウォール街を占拠せよ」の支持者たちに伴われて、彼女は警察署に行った。そして、支持者たちは法的な手続きの間を通して彼女を支えていくだろう。

 私たちは、メディアと公衆の中の数名が、暴行を受けたことでサヴィヴァーを非難するのを見て、悲しんでおり、また怒っている。サヴィヴァーにどんな落ち度もない。一連の行為を選んだことに対してサヴァィヴァーを非難するのは、もしくは、その選択を選ばせているといってコミュニティを非難するのは、受け入れがたい。付け加えるに、今この時私たちは、彼女が被害届を出した警官が、性的暴行というトラウマをもたらすような事件の後では、彼女には支援を必要だとしているということよりも、どうやら彼女の「ウォール街を占拠せよ」での関わりに関心を持っているらしいということに、悩んでいる。暴行の被害を受けたことについて、サヴァイヴァーに落ち度はなく、彼女は自分の政治的な意見を言うことのできる、開かれた抗議運動に平和的に参加していただけなのだ。私たちはこれが、「ウォール街を占拠せよ」で起こった性的暴行の、いくつかの既知の理由のひとつだということに気付いている。私たちは、これらのぞっとするような行いにうろたえており、多くの占拠者たちが抱えている自らが引き起こした恐怖に苦しんでいる。それらが私たちの開かれた運動に安全に参加する能力に与える、否定的な影響と同様に。私たちには、暴力に脅かされることなく、平和的な抗議運動に参加する権利があるのだ。

 私たちはまた、メディアの一部が、「ウォール街を占拠せよ」を攻撃して、その信用を傷つけるための陰険な新しいやり方として、この事件を利用しようと試みていることを心配している。このような悲劇に対して、それを操りつけ込んで、このように平和的な政治運動の信用を傷つけようとするのは、非難されるべきことだ。「ウォール街を占拠せよ」は、言語道断にも性的暴行がありふれているという、より広い文化の中にある。アメリカでは2分間に一人だれかが性的暴行を受け、ほとんどの暴行犯は被害届を出されることもなく、ほとんどのレイプ犯は決して責任を問われることもない。私たちは暴力を許容する文化の中に住んでいる。そこでは、性的暴行はしばしば無視され、大目に見られ、許され、奨励されてすらいるのだ。私たちは、「ウォール街を占拠せよ」で起きた暴行のサヴァィヴァーにとって、被害届をニューヨーク市警に出すことは、確信を持つのがとりわけ難しい事柄だったことを特記しておきたい。ニューヨーク市警は弁解不能なまでに攻撃的であり、その「ウォール街を占拠せよ」に対する警察力の悪用は、抗議者たちに警察力に対する信用を損なわせている。

 個人として、またコミュニティとして、私たちには、この暴力の文化に対抗するオルタナティブを作る責任と機会がある。いく人かは自らがサヴァイヴァーでもある代弁者たちは、概して性的暴行の問題に対処するために数十年間も働いてきた。私たちは、サヴァィヴァーたちが敬意を払われ、無条件に支援を受けられ、堂々と振る舞うように支援され、全てのコミュニティの成員が、傷を防ぎ、傷に応答する社会を築こうとして、「ウォール街を占拠せよ」のために、そして世界のために働いている。私たちは、性的暴行に対する関心を高めるため、自らの努力を倍加させている。それらの中には、健全な関係の力学を奨励することや、傷を限定することに役立つ同意の実践といった再発防止措置が含まれている。

 私たちは、私たちのコミュニティを教育し変化させて、同意、安全、幸福、健康の文化にするための戦略を作り出し、それを分かち合っている。「ウォール街を占拠せよ」おいては、それらの戦略には現在のところ、サークル活動の支援、相談、同意の訓練、より安全な寝るための空間、自己防衛の訓練、コミュニティの見張り、関心を高めるためのキャンペーン、そして、傷に対処するためのその他の進化しつつあるコミュニティに基盤をおくプロセスが含まれている。私たちは、サヴァイヴァーたちに、支援者や代弁者と接するように、その多くが下に一覧化されている、コミュニティに基盤をおく入手可能な選択と同様に、医学的、法的、社会的なサーヴィスを利用するように励ましている。私たちは、コミュニティとして共に立ち上り、性的暴行と性的嫌がらせの防止を目指して働き、暴行を受けた全ての人に揺るぎない支援を提供しよう。私たちは、サヴァイヴァーに、可視性、支持、弁護を与える一方で、傷付けた人物に責任を取らせる文化を作るために、身を捧げているのだ。


希望と連帯を表明しつつ、
「ウォール街を占拠せよ」サヴァイヴァー支援チームのメンバーより




 私たちは下の一覧に、サヴァイヴァーとその味方に対し幅広い選択を提供している信頼のできる地域のリソースを含めた。私たちはこれらのサーヴィスを推奨するが、この声明の保証のためにそれらに連絡を取ってはいない。


Contact the Safer Spaces Working Group: saferspaceows@gmail.com

Audre Lorde Project's Safe Outside the System Collective: http://www.alp.org/community/sos
Center for Anti-Violence Education: http://www.caeny.org
CONNECT NYC: http://www.connectnyc.org
NYC Alliance Against Sexual Assault: http://www.svfreenyc.org/resource_list2_New_York.html
New York City Anti-Violence Project: http://www.avp.org

Rape Crisis Providers in NY: http://www.health.ny.gov/community/adults/women/violence/rape_crisis/rape_crisis_provider_report.htm
RightRides: http://www.rightrides.org
Rock Dove Collective: http://www.rockdovecollective.org
Safe Horizon: http://www.safehorizon.org
STEPS to End Family Violence: http://www.egscf.org/services/steps/
Streetwork Project: http://www.safehorizon.org/streetwork
Support New York: http://www.supportny.org



訳者コメント:
 このコメントは、後で書き換えるかもしれないが、ひとまず、声明に添えられているリストは意図的に訳さないでおいたことを記しておきたい。
 


by BeneVerba | 2011-11-25 08:19 | 翻訳 | Trackback | Comments(1)
私たちはみな占拠者だ
We are all Occupiers
2011年11月16日 - アルンダティ・ロイ
原文:http://www.youtube.com/watch?v=2je_195fPGc





 マイク・チェック。ジャドソン教会とここにいる全ての人に感謝します。

 昨日の早朝、ニューヨーク市警がズコッティ公園を一掃しました。しかし、今日人々は戻って来ています。警察は知っておくべきだったのです。この抗議運動はなわばり争いではないことを。私たちはあちこちで公園を占拠する権利のために闘っているのではありません。私たちは正義のために闘っているのです。アメリカの人々のためだけの正義ではなく、全ての人々のための正義なのです。

 9月17日以来、あなたたちが達成したものは、その日にアメリカで、「占拠せよ」運動が始まってから、新しいイマジネーションと新しい政治的言語を、帝国の心臓部へ導入したことです。あなたたちは再導入したのです、夢を見る権利を。みんなをゾンビへと変えてしまう体制に。心のない大量消費と幸福や充実を、同じものだと見なしてしまう催眠術にかかったゾンビへと。

 作家としてあなたたちに言わせてください。これは計り知れない程の達成です。いくら感謝しても充分ではない程です。

 私たちは正義について語っています。今日、私たちが話題にしているように、アメリカ軍は、イラクとアフガニスタンで占領戦争を遂行しています。アメリカのドローンは、その後もパキスタンの市民を殺害し続けています。数万のアメリカ軍部隊と暗殺部隊が、アフリカへと進みつつあります。もしあなたたちのお金である数兆のドルを費やしても、イラクとアフガニスタンでの占領を遂行するのに充分ではないということになれば、イランに対する戦争が声高に唱えられるようになるでしょう。

 大恐慌の時代以来ずっと、兵器の製造と戦争の輸出が、アメリカの政策の鍵であり続けています。景気を刺激するための。つい最近も、オバマ政権下において、アメリカは取引をしました。サウジアラビアと600億ドルの兵器を。イスラム教徒の権利を殺すものです。そして、アラブ首長国連邦に数千のバンカー・バスターを売りたがっています。既に50億ドル分の軍用機を私の国に売っています。インドに。そこには最も貧しいアフリカの国々を集めたよりも、更に多くの貧しい人々がいるのです。これらの戦争、広島と長崎への原爆投下から、ヴェトナム戦争、朝鮮戦争、ラテン・アメリカに至るまでの戦争において、数百万の人名が奪われました。それらの全ては、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を守るために戦われたものでした。

 今日私たちが知るように、その「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」は、つまり、世界の残りがそれを熱望し求めるよう定められているモデルは、結果として、400人の人たちを生み出しました。その人たちが、アメリカの人口の半分の富を持っています。それは数千の人々が彼らの家と職から追われる一方で、アメリカ政府は銀行と大企業を救済するという事態を引き起こしました。アメリカンインターナショナルグループ(AIG)は、単独で、1千820億ドルを受け取っているのです。

 インド政府はアメリカの経済政策を崇拝しています。20年間の自由市場経済の結果として、今日では100人のインドで最も裕福な人たちが、GDPの4分の1にあたる資産を所有しています。その一方で、80%以上の人々が一日50セント以下で暮らしているのです。そして25万人の農民たちが、死への連鎖に追い込まれて、自殺しました。私たちはこれを進歩と呼び、今や自らを超大国だと考えているのです。あなた方のように、我々は完全な資格を得たのだ。我々には核兵器があり、おぞましい不平等もあるのだと。

 良い知らせは、人々がもう沢山だと感じており、これ以上我慢するのを止めようとしていることです。「占拠せよ」運動は、他の数千の抵抗運動へと加わったのです。世界中で行われている、最も貧しい人々が立ち上がり、最も豊かな企業をすぐにも止めようとしている抵抗運動へと。

 私たちの中のほんのわずかな人たちだけが、夢見ていました。あなたたちが現れ、私たちの味方につくアメリカの人々が現れ、このようなことを帝国の心臓部でやるだろうと。

 なんと伝えたらいいのか私にはわかりません。このことが意味する途方もなさを。

 彼ら1%の富裕層は、私たちには要求がないと言っています。彼らはおそらく知らないのでしょう。私たちの憤りだけで、彼らを殺すのに充分であることを。しかし、ここにいくつかのことがあります。私がかつて「革命前」に考えていたことです。私たちで一緒に考えたいのです。

 私たちは、不平等を製造するこの体制に終止符を打ちたいのです。私たちは、限りなき富と資産の蓄積に休止符を入れたいのです。個人によるものであれ企業によるものであれ。終止家として、そして休止派として、私たちは次のことを要求します。

 1つめ。実業界のクロスオーナーシップ制度を終わらせること。例えば、兵器製造業者はテレビ局を所有してはならない。鉱業会社は新聞を運営してはならない。商社は大学に資金を提供してはならない。製薬会社は公共の保健の財源を管理してはならない。

 2つめ。天然資源と重要なインフラストラクチャー、水道、電気、保健、教育などです。それらは民営化してはならない。

 3つめ。全ての人が、避難する権利、教育を受ける権利、医療を受ける権利を持たなくてはならない。

 4つめ。富裕層の子どもは親の資産を相続してはならない。

 この闘いは、再度私たちのイマジネーションを目覚めさせました。その道のどこかで、資本主義は正義のイデアが意味するものを、単なる「人権」にまで貶めたのです。そして、平等を理想とするイデアは冒涜的なものとなったのです。私たちは、闘っているのではありません。置き換えることが必要な体制をなんとか改革しようとして。

 終止家として、そして休止派として、あなたたちの闘いに敬意を表します。

 サラーム、そしてジンダバード。
 


by BeneVerba | 2011-11-23 08:18 | 動画 | Trackback | Comments(0)
「ウォール街を占拠せよ」に捧げる詩
2011年11月16日 - ザック・デ・ラ・ロッチャ
原文:http://www.billboard.com/news/zack-de-la-rocha-pens-poem-for-occupy-wall-1005537452.story


原詩:
The beginning spills through city veins
Into the arteries
And under powers poison clouds
We move like the shadows
Through the alley ways
Through nightmares bought and sold as dreams
Through barren factories
Through boarded schools
Through rotting fields
Through the burning doors of the past
Through imaginations exploding
To break the curfews in our minds

Our actions awaken dreams of actions multiplied
A restless fury
Once buried like burning embers
Left alone to smolder
But together stacked under the walls of a dying order
All sparks are counted
Calloused hands raised in silence
Over the bonfire of hope unincorporated
It's flame restores tomorrows meaning
Across the graveyards of hollow promises
As gold dipped vultures pick at what is left of our denial

And the youngest among us
Stare at us stoned like eyes determined
And say
Death for us may come early
Cause dignity has no price
At the corner of now and nowhere
Anywhere
Everywhere
Tomorrow is calling
Tomorrow is calling
Do not be afraid


-- Zack de la Rocha


拙訳:
都市の隅々に張り巡らされた静脈を通り抜け
はじまりが溢れ出し動脈へと流れ込んでいく
有毒性の雲の切れ目を見上げつつ
我らは影の様に躍動していくのだ
いくつもの窮屈な路地裏をくぐり抜け
夢の名で売買される悪夢をくぐり抜け
何も生み出さない工場群をくぐり抜け
板で囲われた学校群をくぐり抜け
腐敗した草木の平野をくぐり抜け
焼けつける過去の扉をくぐり抜け
打ち破られた想像力をくぐり抜け
我らの心の外出禁止令を破るために

我らの行為が次々に夢見る行為を目覚めさせる
安堵の来ない激憤を
燃えさしのように打ち消し埋められて
内奥に人知れず火を宿していた激憤を
だが消えゆく秩序の壁の下、共に我らは積み重なり
あらゆる火の粉は残り無く全てを勘定に入れられて
冷たく硬められた手は音も無く空へと高く掲げられ
今なお併有されていない希望の篝り火を乗り越えて
明日の意味を取り戻す、それは燃えさかる炎なのだ
空約束たちを埋葬する墓場をこれより過ぎ去りて
金に浸けられた禿鷹が我らの拒絶の残飯を啄むまさにその脇で

そして、我らの中でいちばんに年の若き者たちは
決意を込めた目のように固まる我らを見つめている
そして、こういう言葉を告げている
私たちにこそ死は早くおとなうはず
なぜなら尊厳に値札は付けられない
今この時とどこにもない場所が交差する街角で
どこででもある場所で
あらゆる場所で
明日の声が呼びかけている
明日の声が呼びかけている
恐れを抱かず我を迎え入れよと


――ザック・デ・ラ・ロッチャ



訳者コメント:
 Twitter経由で、先日のニューヨーク市警による「ウォール街を占拠せよ」の強制排除を受け、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのヴォーカリスト、ザック・デ・ラ・ロッチャが詩を発表していたことを知ったので、翻訳。

 詩ということで、通常このブログで訳している記事とは異なる難しさを抱えた。一つの言葉に複数の意味が込められているのだが、それをどう訳すかの問題、中途半端にどちらにもとれる言葉を使うとかえって意味が薄れてしまう問題など。本来なら長い時間をかけ、原詩の持つ複雑な意味を読み込んだ上で、言葉を厳密に選定しつつ行われるべきだ。

 そんなわけで、まず原詩を味わってもらうために、拙訳と同時に掲載した。なお、この詩と同時に何か声明が添えられていたようなのだが、その全体を発見することはできなかったので、原文として提示したリンク先にあるその一部を、下記に訳しておく。

この詩は、その勇気が世界を変えつつある占拠運動に捧げたものだ。強くあり続けるんだ。我々は勝利しつつある。

 ところで、私生活の野暮用がようやく一段落ついたので、平日をかけて数本、土日に数本ぐらいのペースで翻訳や訳文の見直しをしていきたいと思っている。
 


by BeneVerba | 2011-11-21 18:31 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
NY市警、リバティ・スクエアを占拠 要求は不明

【NY、ニューヨ-ク発】昨夜未明から続いているNY市警(NYPD)によるリバティ・スクエアの占拠はもうすぐ二日目に突入しようとしています。この新たな占拠について、歴史社会学者のパトリック・ブルーナー氏は、「いったい彼らは何を求めているのだ?」と問い、次のように述べました。「彼らははっきりとした目的を語ることができないだから、彼らのことを真剣にうけとめろといわれても無理なはなしですよ」。また、この運動の背後にマイケル・ブルームバーグの関与を指摘する声もあります。

[写真] ニューヨーク証券取引所を占拠するNYPDアフィニティグループの一味
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2011年11月15日18時51分配信 OccupyWallSt



運営者より:
 以上、イルコモンズ氏のブログより訳文を転載。これは先日のニューヨーク市警による強制排除を「ウォール街を占拠せよ」公式サイト自身がニュース記事の体裁で茶化し、それをイルコモンズ氏が訳したもの。転載に当たってなるべくそれらしく見えるように若干の変更を加えた――記号類の削除、写真の大きなものへ入れ替え(クリックにて拡大)など――ものの訳文そのものへの変更は無し。

 情報を記載しておくと以下の通り:
 これでこの記事を訳す理由が無くなった。もちろん喜んでいる。

by BeneVerba | 2011-11-18 18:29 | 転載 | Trackback(1) | Comments(0)
私たちはみな占拠者だ
We are all Occupiers
2011年11月16日 - アルンダティ・ロイ
原文:http://www.guardian.co.uk/commentisfree/cifamerica/2011/nov/17/we-are-all-occupiers-arundhati-roy





 火曜日の早朝、ニューヨーク市警がズコッティ公園を一掃しました。しかし、今日人々は戻って来ています。警察はこの闘いがなわばり争いではないことを知っておくべきだったのです。私たちはあちこちで公園を占拠する権利のために闘っているのではありません。私たちは正義のために闘っているのです。それは、アメリカの人々のためだけの正義ではなく、全ての人々のための正義なのです。

 9月17日にアメリカで「占拠せよ」運動が始まって以来、あなたたちが達成したのは、新しいイマジネーションと新しい政治的言語を、帝国の中心へと導入したことです。心のない大量消費と幸福や達成を同じものだと見なしてしまう催眠術にかかったゾンビへと、みんなを変えてしまう体制に、あなたたちは夢を見る権利を再導入したのです。

 作家としてあなたたちに言わせてください。これは途方もない達成です。いくら感謝しても充分ではないほどです。

 私たちは正義について語っています。今、私たちが話題にしているように、アメリカ軍はイラクとアフガニスタンで占領戦争を遂行しています。アメリカのドローンは、その後もパキスタンの市民を殺害し続けています。数万のアメリカ軍部隊と暗殺部隊が、アフリカへと進みつつあります。もしあなたたちのお金である数兆のドルを費やしても、イラクとアフガニスタンでの占領を運営するのに充分ではないのなら、イランに対する戦争が声高に唱えられるようになるでしょう。

 大恐慌の時代以来ずっと、兵器の製造と戦争の輸出が、アメリカの景気刺激策の鍵であり続けています。つい最近も、オバマ政権下で、アメリカはサウジアラビアと600億ドルの兵器の取引をしました。そしてアラブ首長国連邦に数千のバンカー・バスターを売りたいと思っています。既に50億ドル分の軍用機を私の国インドに売っています。最も貧しいアフリカの国々を集めたよりも、更に多くの貧しい人々がいる私の国インドにです。これらの戦争――広島と長崎への原爆投下から、ヴェトナム戦争、朝鮮戦争、ラテン・アメリカに至るまでの――において、数百万の人名が奪われました。それらの全ては、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を守るために戦われたものでした。

 今日私たちが知るように、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」――世界の残りがそれを熱望し求めるよう定められているモデル――は、アメリカの人口の半分の富を持つ400人の人たちを生み出す結果となりました。それは数千の人々が家や職から追われる一方で、アメリカ政府が銀行と大企業を救済するという事態を引き起こしました。アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)単独で、1千820億ドルを受け取っているのです。

 インド政府はアメリカの経済政策を崇拝しています。20年間の自由市場経済の結果として、今日では100人のインドで最も裕福な人たちが、GDP(国内総生産)の4分の1にあたる資産を所有しています。その一方で、80%以上の人々が一日50セント以下で暮らしているのです。そして25万人の農民たちが、死への連鎖に追い込まれて、自殺しました。私たちはこれを進歩と呼び、今や自らを超大国だと考えているのです。「アメリカのように、我々は完全な資格を得たのだ。我々には核兵器があり、おぞましい不平等もあるのだ」と。

 良い知らせは、人々がもう沢山だと感じており、これ以上我慢するのを止めようとしていることです。「占拠せよ」運動は、最も貧しい人々が立ち上がり最も豊かな企業をすぐにも止めようとしている、世界中の数千の抵抗運動へと加わったのです。私たちの中で、あなたたち――私たちの味方につくアメリカの人々――が現れ、このようなことを帝国の中心でやるだろうと夢見ていた人は、ほとんどいませんでした。この出来事が意味する途方もなさを、なんと伝えたらいいのか私にはわかりません。

 彼ら1%の富裕層は、「奴らには要求がない」と言っています。彼らはおそらく、私たちの憤りだけで彼らを殺すのに充分であることを知らないのでしょう。しかし、ここに私たちで一緒に考えたい幾つかのことがあります。私がかつて「革命前」に考えていたことです。

 私たちは、不平等を製造するこの体制に終止符を打ちたいのです。私たちは、個人または企業による限りなき富と資産の蓄積に休止符を入れたいのです。終止家として、そして休止派として、私たちは次のことを要求します。

  • 実業界におけるクロスオーナーシップ制度を終わらせること。例えば、兵器製造業者はテレビ局を所有してはならない。鉱業会社は新聞を運営してはならない。商社は大学に資金を供給してはならない。製薬会社は公共保健の財源を管理してはならない。

  • 天然資源と重要なインフラストラクチャー――水道、電気、保健、教育など――は民営化してはならない。

  • 全ての人が、避難する権利、教育を受ける権利、医療を受ける権利を持たなくてはならない。

  • 富裕層の子どもは親の資産を相続してはならない。


 この闘いは、再度私たちのイマジネーションを目覚めさせました。道のどこかで、資本主義は正義のイデアが意味するものを、単なる「人権」にまで貶めたのです。そして、平等を理想とするイデアは冒涜的なものとなったのです。私たちは、置き換えることが必要な体制をなんとか改革しようとして闘っているのではありません。

 終止家として、そして休止派として、あなたたちの闘いに敬意を表します。

 サラーム、そしてジンダバード。


*これは2011年11月16日に、ワシントン・スクエアの人民大学で、著者から渡された演説原稿である。



訳者コメント:
 時間がない中大急ぎで訳したもの。本文中にあるように、実際の演説とは若干ながら異なる部分があり、またエントリ中で掲載した動画ではスピーチの後に質疑応答が続いている。これは原文として提示した記事の翻訳と考えてほしい。

 「終止符主義者として、そして休止符派として(As "cap-ists" and "lid-ites")」という部分は、英語の言い回しを利用した造語である。あるろくでなしのフランス人が別なろくでなしのアメリカ人の作品を訳している時に言ったように、こういう言語に基づいた言葉遣いを翻訳するのは不可能だ。日本語訳は苦肉の策である。

 内容についてはコメントを控えて皆さんにお任せしたい。様々なものが読みとれるはずだ。だが、いくら時間が無くとも長崎と広島の原爆投下や朝鮮戦争に触れているスピーチを訳さないわけにはいかなかった。

 これまで常にそうであったように、誤訳や誤字脱字などの指摘を歓迎する。また時間をおいての再チェックを行うこともお約束する。だが、それにお応えできるのはおそらくは数日後となるだろう。

11/23の更新
 再チェックを行い若干の語句を修正。「cap-ists」と「lid-ites」という造語をそれぞれ「終止家」「休止派」としてみた。これらは「capitalist(資本家)」と「Luddite(ラッダイト)」を連想させるのだと思う。

by BeneVerba | 2011-11-18 06:24 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
11月17日 世界一斉行動!
#N17 Global Day Of Action!
2011年11月16日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/n17-global-day-of-action/


 この闘いが六十日を迎えようとした時に、ニューヨーク市警によって「ウォール街を占拠せよ」は暴力的に排除された。彼らはリバティ広場の我々の家を解体し地面を均した。だが、我々の運動はこれまでよりなおいっそう強くなっている。この六十日間で我々は大規模な目覚めをもたらした。それは、おそらくこの国においては五十年前の公民権運動以来最も大きな目覚めであり、そして、現代の歴史においては間違いなく最初の世界的な目覚めだろう。スペインからオーストラリア、チリからアメリカまでの世界中の人々が、我々を搾取している共通の体制の退廃と不公正に対して、共に目を見開くようになったのだ。我々が深い意味を込めて次の言葉を言う時、まさにこのことを意味している。時が満ちたイデアを止めることはできない。

 9月17日にズコッティ公園で始まった占拠は、人間として、我々にはまだこれらの腐敗した制度を団結して変革する機会、我々の政府を浄化する機会、そして我々の尊厳を回復する機会があることを証明した。我々は、我らが胸に抱く理想が最終的に達成されるまで、この世界において休息も平穏も認めないであろう。我々は、正義が回復されるまで、政治的言説によって被せられた覆いから民主主義が回復されるまで、99%がもう一度その未来の正当な主権者となるまで、ウォール街の投げかける影がその暗がりと権力を剥ぎ取られるまで、止まらないであろう。我々は、銀行家たちと各政府に彼らの犯した罪の責任を取らせるまで、彼らが踏みにじっている全ての基本的な人権が尊重されるようになるまで、前進することを止めないであろう。

 包摂と寛容に基づいた創造的な運動を、社会的な不平等に深く根ざした体制に対する輝かしい勝利を望まない1%に対して、我々は最早寛容ではない。それが我々が明日11月17日の#N17に反撃する理由である。我々は、我らの身体と声とイデアをもって、ウォール街を封鎖し、ニューヨーク市全体を占拠するだろう。

 そして同じ日にそのメッセージは世界中で共鳴することだろう!国際学生日のため、スペインの我々の兄弟姉妹たちは、教育の無償化を拒否する資本家の論理への反応として、教育ストライキを開始する。そして、ドイツ、ベルギー、イタリア、エジプト、インドネシア、ポーランド、ナイジェリア、ブルガリアで、数々のデモや占拠が行われる。我々はこの運動に一斉参加するように呼びかける。あなたがいる場所で抗議運動に参加してほしい。「ウォール街を占拠せよ」と全ての排除された広場に連帯する抗議運動を組織してほしい。家でじっとしているのではなく、自分の役割を果たすのだ。行動しよう!

 耳障りに聞こえるかもしれないこの瞬間の重要性を見過ごしてはいけない。生活と公共サービスを破壊しながら市民社会が崩壊し、負債によって奴隷となり家から追い出され、市場の捕食者たちによってフォークロアには地雷が設置され、地球規模の環境が我らの種が絶滅するのを脅かすまでに崩壊するのを傍観しながら見つめ、我々は今行動するように迫られているのだ。明日11月17日、我々は1%とその代弁者であるブルームバーグ市長に対し、時が満ちたイデアを止めることはできないと思い知らせるだろう!

 ニューヨークにいる全ての人は、午前7時のリバティ広場での朝食会で我々に会いに来てほしい。昼食は「地下鉄を占拠せよ」にて午後3時、夕食は我らの創造的で平和的な精神でフォーリー広場を乗っ取った後に振る舞われる予定。我々は明日、株を取り引きするのではなく、互いのイデアを交換しよう!



訳者コメント:
 日本時間では既に17日を迎えているが、この文章は3時間ほど前(現地時間16日午後4時40分)にアップロードされたもの。グリニッジの地を基準に考えれば、日本は極東、アメリカは極西になるわけでいたしかたない。

 おそらく昨日のニューヨーク市警による強制排除の影響はまだあるのだろうが、この文章からは、また、しばらくインターネット中継で見ることのできた総会の様子からは、彼らが全く意気消沈していないことが伝わってくる。それどころかこれまでになく志気が高まっているようだ。彼らはこれが長い闘いになることを知っているからだろう。なお、この17日の国際一斉行動が近づいていたから、ブルームバーグとニューヨーク市警が強制排除に踏み切ったという見方は、それが全ての理由ではないにしても、正しいと思う。

 ところで最近訳文の再チェックのための時間を捻出しづらいので、いずれ時間ができた時にまとめてやりたいと思っている。なるべく正確な訳になるように努めているが、そうでない場合は今しばらくご容赦を。

by BeneVerba | 2011-11-17 10:19 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
「ウォール街を占拠せよ」持続可能性ワーキング・グループからの声明
Statement From Occupy Wall Street Sustainability Working Group
2011年11月15日 - 持続可能性ワーキング・グループ
原文:http://www.seismologik.com/journal/2011/11/15/statement-from-occupy-wall-street-sustainability.html


 我々、「ウォール街を占拠せよ」持続可能性ワーキング・グループは、この運動に参加している我々の兄弟姉妹たちへ連帯を表明する。

 我々は、ズコッティ公園で野営する平和的な抗議者たちへ暴力的な襲撃を行った、ニューヨーク市警とブルームバーグ市長に激怒するものである。

 それは全く抑圧ではなかったどころか、この世界での積極的な変革を可能にする、全く革新的なことだった。

 持続可能性ワーキング・グループは、この運動の中における強烈で革新的な飛び地として、倫理と道徳をもって行動すべき道を探しながら、それを案内とし、自らの役割を果たしてきた。昨晩の野営の撤去において、ニューヨーク市警は、最近配備された野営地の全てに電力を供給できる自転車のペダルによる発電装置を含め、我々のこれまでの全ての労働を破壊した。それは人々のために発電され、人々によって発電され、人々に直接電力を届ける発電システムだ。ニューヨーク市警の暴力は、その軽率な行為によって、我々の革新的な努力を軽んじようとした。彼らが予想していなかったのは、この運動のねばり強さであり、あらゆる存在が、全てにとってより良い未来に生きることができると信じている人々である。

 我々、持続可能性ワーキング・グループは、ニューヨーク市警に、このワーキング・グループの全ての所有物と、その貢献者たちを直ちに返すように要求する。その一覧は以下のものを含むが、それで全てではない。自転車、自転車のスタンド、バッテリー、インバーター、工具、雨水を集める屋根、パーマカルチャーの道具、LED電球、布、資材、個人的な所有物。

 ニューヨーク市警とブルームバーグ市長によって、占拠運動に対して加えられた不法な行為をものともせず、我々は果敢に共に立ち上がる。

 我々は必ず再建する。そして我々はこの運動に力を与え続ける。今もこれからも。

 我々の仕事は続く、この場所で、そしてこの場所を越えて。

 我々は、この言語道断の出来事の間に拘束された我々の兄弟姉妹に敬意を表する。そして、我々は、市の、社会の、そして世界の抱える、我々が直面している、多くの複雑な環境問題に取り組むため、オルタナティブな解決策を開発する努力を続けると誓う。

 それは、教育を、協働を、デモを、積極的な実践を、そして我々が真に持続可能な社会を作るという成果を通して行われるだろう。このズコッティ公園で、より大きな共同体で、そして全世界で。

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訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ」の全体が承認した文書ではなく、その中のワーキング・グループが出した声明。公式サイトやそれに類するサイトからリンクは発見できず、それ故に、どれ程正式なものであるかは確認できない。

 だが、読むに値する内容だと思う。「人々のために発電され、人々によって発電され、人々に直接電力を届ける発電システム(a system of power created for the people, by the people, delivered directly to the people)」という部分などどうしても、日本の独占的な電力事情が、原発のない社会の実現を阻害していることを思わずにいられない。

 ニューヨーク市警による強制排除という事態を受けて、立て続けに何本かの記事を翻訳せざるをえなかったが、充分に訳文をチェックする時間が持てていない。いずれ再チェックすることになるだろうが、誤訳や誤字脱字などがあれば指摘を歓迎したい。

by BeneVerba | 2011-11-16 10:18 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
時が満ちたイデアを立ち退かせることはできない
You can't evict an idea whose time has come.
2011年11月15日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/you-cant-evict-idea-whose-time-has-come/

 大規模な警官隊が、今まさに我々を立ち退かせようとしている。過去二ヶ月の間「ウォール街を占拠せよ」の本拠地であり、アメリカ中に、そして世界中にさえ広まった99%ムーブメントの生誕の地であるリバティ広場から、我々を。

 警察の急襲は、ちょうど午前一時を回った時から始まった。支持者や盟友たちがニューヨーク中から結集し、現在はフォーリー・スクエアに集まっている。支持者たちはまた、来るべき日に向けて、占拠を含む抗議行動の計画を練っている。

 時が満ちたイデアを立ち退かせることはできないのだ。

 二ヶ月前、数百人のニューヨーカーたちが、ウォール街の入り口で野営を始めた。それ以来、「ウォール街を占拠せよ」運動は、国家的な、そして国際的な象徴となった――類似した流儀の占拠運動がアメリカ中の、そして世界中の街で出現すると共に。今なお成長中のこの民衆運動は、経済、民主主義、そして我々の未来についての国民的話法を著しく変えた。

 アメリカ人は今、私たちの社会における富と権力の集中強化について語り、最富裕層の1%が我々の政治制度にかけた拘束について語っている。アメリカ人はますます、我々の経済危機と民主主義の危機は、体制の問題だと見なすようになっており、治療のためには集団的な行動が必要だと感じている。そしてまた、アメリカ人はますます、自らを99%の一人だと見なすようになっており、「もうたくさんだ!」と言うようになっている。

 この成長が著しい運動は、単なる抗議活動、占拠運動、あらゆる戦略を越えるものである。この運動における我々とは、物理的な占拠に参加可能な人々よりも、遙かに幅広いものなのだ。この運動とは、食料品などを送ってくれたり、友達や家族と社会の根底にある問題について話したり、この市民的なプロセスに巻き込まれるべく、何らかの形で行動を起こした全ての人々のことなのだ。

 今この時、本来のアメリカが持つ力の再発見において、不足はない。それは、我々全員に影響を与えている危機に対処すべく行動を起こすため、市民として協力し合う時に発揮されるのだ。

 そのような運動を立ち退かせることはできない。おそらく何人かの政治家たちが、我々を公共の空間から――つまり私たちのものである空間から――物理的に排除しようとし、それに成功したのかもしれない。物理的には。だが、我々はイデアをめぐって闘っているのだ。我々のイデアは、我々の政治組織は我々人民に仕えるものでなくてはならないというものだ――巨大な富と権力を蓄えた人々だけに仕えるのではなくして、全ての人々に。我々は、それが民衆に高く受け入れられたイデアであると信ずる。そして、それが、なぜこんなにも多くの人々が、直ちに自分と「ウォール街を占拠せよ」を結びつけ、99%ムーブメントに共鳴したのか、その理由であると。

 時が満ちたイデアを立ち退かせることはできない。



訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ」運動が、リバティ広場から強制的に立ち退かされるという緊急事態を告げる先の文書に続いて発表された文書。発表された時刻は午前1時36分になっており、文中にもある通り強制排除が進行中の中で発表された文章だ。

 これ自身が重大な局面における重要な文書であるだけでなく、他にも着目すべき点は多い。「国民的話法(national narrative)を変えた」、「我々はイデアをめぐって闘っている」という箇所などは、この運動の本質を物語るものだと思われる。「自由民主主義」社会において、人々の間で当然視されている話法を変えるということは、政治的な行為であり、イデオロギーにおける闘争なのだろう。そして「ウォール街を占拠せよ」は確かにそれに成功しつつある。

by BeneVerba | 2011-11-16 02:58 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
ニューヨーク市警が「ウォール街を占拠せよ」を急襲中!
NYPD IS RAIDING OCCUPY WALL STREET
2011年11月15日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/nypd-raiding-liberty-square/


 我々は今まさに、二ヶ月の間「ウォール街を占拠せよ」の本拠地であり、アメリカ中に、そして世界中に広まった99%ムーブメントの生誕の地であるリバティ広場(ズコッティ公園)から、暴動鎮圧用の装備を完全装備した大規模な警官隊によって、立ち退きを迫られている。

 我々は再占拠する!

  • 午前1:20 ブルックリン橋が閉鎖される。
  • 午前1:20 警官たちがブルドーザーを運んで来る。
  • 午前1:20 警官たちは暴動鎮圧用の装備を着けている。
  • 午前1:20 占拠者たちが「これが警察国家だ」とチャントする。
  • 午前1:20 地下鉄の停留所が閉鎖される。
  • 午前1:27 警察が全員を排除しようとしているとの未確認情報。
  • 午前1:34 CBSニュースのヘリコプターによる中継
  • 午前1:38 屋上に狙撃手がいるという未確認情報。
  • 午前1:43 上空にヘリコプター。
  • 午前2:03 カナル・ストリートとブロードウェイに、大規模な警官が結集。
  • 午前2:07 催涙スプレーが配置される。最低でも一人が催涙スプレーを使用された模様。
  • 午前2:10 報道機関がリバティ広場に入ることを禁じられる。
  • 午前2:15 散会させられた占拠者たちが、フォーリー・スクエアに集まり始める。
  • 午前2:22 ニューヨーク・タイムズのトップ記事になる。
  • 午前2:29 報道機関のヘリコプターが上空から立ち退きされる。ニューヨーク・タイムズのリポーターが逮捕される。
  • 午前2:32 R以外の全ての地下鉄が閉鎖される。
  • 午前2:38 四百人から五百人の人々が、行進しながらフォーリー・スクエアへと向かう。
  • 午前2:42 ブルックリン橋が閉鎖されたことを確認。
  • 午前2:44 ニューヨーク市警が「ウォール街を占拠せよ図書館」を破壊。五千冊の本が廃棄される。
  • 午前2:44 反抗的な占拠者たちが、リバティ広場のキッチンにバリケードを築く。
  • 午前2:55 ニューヨーク市議の Ydanis Rodríguez 氏が、頭から血を流しながら逮捕される。
  • 午前3:05 ニューヨーク市警がリバティ広場の木を切り始める。
  • 午前3:08 インターネットの生中継で誰かが言ったことよれば、「奴らはホースを持ち込んでいる」。
  • 午前3:13 ニューヨーク市警がサウンド・キャノンを配置。
  • 午前3:15 ニューヨーク市警が個人の私物を破棄。占拠者たちは、自分たちの持ち物を持って立ち去ることはできなかった。
  • 午前3:16 機動隊を囲み、占拠者たちが腕を取り合ってスクラムを組む。
  • 午前3:33 ブルドーザー進入。
  • 午前3:36 報告によれば、キッチン・テントが催涙ガスによって襲撃され、警察がジップ式の手錠で進入してきた。
  • 午前6:05 リバティ広場は一掃された。フォーリー・スクエアにて総会が進行中。

電話:
 ニューヨーク市にいるなら311にかけてください。

  • ニューヨーク市警第1分署:212.334.0611
  • ニューヨーク市警中央受付:718.875.6303
  • ニューヨーク市警内務部:212.487.7350
  • ニューヨーク市役所:212.788.3058

追加:


訳者コメント:
 ニューヨーク市警が深夜に「ウォール街を占拠せよ」を急襲、正当な理由なく立ち退きを強制した。今もその余塵は続いているようだが、速報として翻訳。翻訳しながら視聴している生中継の一つからは、人々が何度も何度も人間マイクロフォンで互いの気持ちを確かめている声が聞こえてくる。これでこの運動が終わるはずもない。なお、原文のリンクは全てそのまま。

11/16の更新:
 私も慌てていたのだろう、訳し忘れた部分があったので追加。また、原文へのリンクも忘れていた。そうした訂正の他に、彼らが次に発表した文章に合わせて変えた箇所や、追記された部分を追加するなどした。いつものように誤訳などの指摘は歓迎。だが、この文章はリアルタイムに更新されているようなので、原文を読んだ方がいいかもしれない。

by BeneVerba | 2011-11-15 20:03 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)