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*昨夜のTwitterより八木さんとの議論を許可を得て転載。言葉がおかしかったり、とっちらかっている点があるがそのままで。転載を許可してくれた八木さんに感謝。


八木
マイノリティ差別の何が怖いって、「歴史上、それで虐殺や戦争にまで発展したケースが後を絶たない」のはもちろん「歴史上、権力者がその差別の構造自体を裏から操って、自分達の利益になるようにしていた」こともあるように思います。(続)

八木
そういう人間達は、要は差別の持つ対立構造を利用したいだけ。だから「差別する側」だろうが「差別を否定する側」だろうが関係ないわけです。ここで私は、こうした「差別構造の悪用」が、本当に差別に苦しんでいる人を二重に侮辱してしまっていることにならないかと思えてならないわけです。(続)

八木
極端な例ですが。―かつて差別思想のせいで戦争が起こった。戦後、何年か経ってから補償問題になったが、ここでまた差別思想に基づいて「やつらは嘘を言っている」という人々と「いや相手に補償すべきだ」という人々がいて、揉めてしまった…(続)

八木
…一方、相手国の側でも強硬に補償を求める人々がいた。しかしそうした声の陰で、着々と次の戦争の準備が進み、気がついたら次の犠牲者が生まれてしまった。―じつは最初の戦争も、2度目の戦争も、陰から同じ勢力が「差別の構図」を利用して、わざと戦争を引き起こしていたのかもしれませんね。(続)

八木
「差別の対立構造」が誰かに利用されうることを説明しましたが、「領土問題の対立構造」「犯罪者と被害者の対立構造」でも同じようなことはできてしまうのでしょう。(続)

八木
差別も領土問題も、互いが相手に「歴史を学べ」と言うのをよく目にしますが、それなら何より、歴史的にそうした「対立構造」が常に陰から誰かしらに利用されてきたことを学んでおかないと、いつまでも本当の意味での解決にはならないと思うのです。(了)

BeneVerba
@yohnoji 八木さん、一連のツイート読みました。だれがそれを利用しているのかというと、日本の「保守」でありアメリカだと思います。「北朝鮮」憎悪で得するのは、アメリカです。日本はアメリカという帝国主義の中にあって、利益を追及するという帝国内帝国主義のようなものです。

八木
@BeneVerba (本当はあれこれの対立について、平時にきちんと、誠意を示すべきところは示し、誤解があるところは解いておくべきなのでしょうね。だもので自分も怠慢だったと思うわけです)

八木
@BeneVerba >アメリカ ついでにもう少し詳しく言うと、「今は米国に拠点を置く一部の勢力」ということになるでしょうね。米国内でも文字通り99%の人達は煽られる側です。OWSの人々と茶会運動だって、なるべく共闘すべきではないかと。

BeneVerba
@yohnoji 八木さんがどういうヴィジョンを持っていたのかはわかりませんが、「政権交代」は全てを解決してくれる大きな一歩ではなくとも、その第一歩となるべき歴史的使命がありましました。ところが今の民主党に期待できる要素はありません。アメリカ従属であることははっきりしてます。

BeneVerba
@yohnoji 続きですが、私たちが「政権交代前」あるいは「3.11」前に思い浮かべていた政治のヴィジョンの薄さが今私たちに降りかかっているような気がしてます。「戦後は終わった」というのが多くの認識です。しかし、相応しいシステムがない。その意味で戦後に苦しめられる気がします。

八木
@BeneVerba 先日、ふだんテレビ依存の父が「民主党に一度やらせてみようというから~」などと言っていたのですが、それって政権交代以前にマスコミが煽っていた言葉なわけですよ。そう考えると、民主に一度政権を取らせることも計算のうちだったのかもしれません。

BeneVerba
@yohnoji 鳩山が普天間県外移設断念を決めた時点で、それまでの与党と何ら変わらない存在へとなり始めていました。米軍基地問題は無論、原子力導入の黒幕もアメリカです。そこを問題化できない脱原発運動は中途半端に終わるでしょう。日本は比喩的に属国なのではなく文字通り属国なのです。

八木
@BeneVerba 鳩山氏が後に現首相に「米国の言うなりになり過ぎるとよくない」と言ったという記事を読みました(笑)。やはりうまく説得工作をするしくみがあるのかもしれません。もし一国の首相に対してそういうしくみがあるのであれば、たしかに事実上の属国ということになります。

八木
@BeneVerba 「特定の人間の利益に踊らされる現状」へのカウンターとして、何より「次の姿」を想像しておこうということですね。進むべき道筋となるような。

BeneVerba
@yohnoji そうですね。端的言ってそれには、アメリカの日本、東アジア、太平洋地域における覇権主義を暴き出すことが必要です。歴史的地理的にです。万が一政権交代が何がしかの定着を見せれば、そのような作業が生まれる余地もあったかもしれません。3.11という苦難を見つめも、です。

BeneVerba
@yohnoji そうですね、ありていに言って『世界』誌や『週刊金曜日』のような「左翼」または「リベラル」誌は、基本的に当時「政権交代」万歳で、小選挙区制に反対する記事が掲載されたのも、随分後になってからでした。彼らには道を誤らせた責任がありますよ。私はそう思ってます。

八木
@BeneVerba 意図的か、乗せられただけかはともかく、結果論としてはそれを支援してしまったわけですね。

八木
@BeneVerba ただ暴くというのが厄介でして、一部の人間が仮に完全な事実を入手しても、テレビ依存の人が多い現状ではそれを大多数の人に知らしめることが難しいわけです。そういう意味で、戦後テレビ局ができた経緯を追求している人がいるのも頷けますね。

BeneVerba
@yohnoji 繰り返しになりますが、時折思い出したように「日本は属国だ!」などと吐き捨てるのではなく、「日本はアメリカと右翼の利害が一致したところに現出した国家なのだ。これをどうするか」という前提がまず大切です。例えば自民党成立にCIAが関わっていることは周知の事実ですから。

八木
@BeneVerba 米国内の二大政党制も常々不気味だと思っています。一見すると民主主義のようですが、2つしか党がないからいくらでも工作できてしまうわけです。民主主義国家だと思わせるためには、米国でも日本でもそういうスタイルにしてしまうのが都合がいいのでは。

BeneVerba
@yohnoji 小選挙区制、二大政党制を私に批判させるとキリがないですが、まずあれはアングロサクソン的社会のための制度です。日本に導入しようとした岩波リベラル人などは大失敗。もう一つはあれが「反共」的で「新自由主義」的である点です。エリートが思い描いた通りには行きませんでした。

八木
@BeneVerba マスコミは今度は議員の数を減らせと煽り始めています。これも危険な兆候だと見ています。

BeneVerba
@yohnoji 政権交代前夜から民主党が一貫して主張していることです。ご存知でしょうが、議員定数の削減はただでさえ反映されていない、国民の声を更に削るということです。にもかかわらず経費削減出あるかのように宣伝されているわけです。率直に言えば、アメリカに従属する二大政党制です。

八木
@BeneVerba そうしたことは少し考えれば私のような素人でも分かるのですが、よく考えずにマスコミに流される人が多いのが困ったものです。

BeneVerba
@yohnoji 話が飛びますが、脱原発運動の視野を伸ばさなければいけないのでは?と考えています。中曽根康弘なんて「戦犯」として弾劾されるべきです。原子炉は全て止めるべきです。しかし、アメリカと右翼の利害一致の元に築かれた戦後体制を暴く作業なしに、新しい社会を築けるでしょうか?

八木
@BeneVerba たしかに反原発運動も東電会長ばかりに気を取られて、そちらは後手ですね。マスコミ報道を見ても、元首相の罪を責めるどころかむしろ持ち上げてすらいます。東電への批判は載せるにもかかわらず、です。民主党も事故後、真っ先にそれをすべきだったのですが。

BeneVerba
@yohnoji 日本の原子力体制と55年体制の成立をパラレルなものとして捉えるべきではないでしょうか。そこに朝鮮戦争も入ってくるはずです。それら全てに介在する存在はアメリカです。充分にこの考えをまとめ切れたとは言えませんが、脱原発運動の射程はもっと奥が深いのではと思っています。

八木
@BeneVerba ズバリ、なぜ原発を持たせたかったのでしょう?

BeneVerba
@yohnoji 不十分なものとなることを覚悟しつつ、お答えすると、アメリカは持たせたくはないでしょうね。ただアメリカの管理の上で「原子力の平和利用」をやらせるにとどめたいのではないでしょうか。日本の右翼の目的は、もちろん核武装よる対米自立でしょう。

八木
@BeneVerba なるほど、ありがとうございます。私は(かつては)対共産圏の楔とするため、今でも東アジアに軍事的緊張を持たせるために機能している気がします。あとは、それこそ事故でも起これば食料を米国に頼らざるをえなくなるから、最初からそれが狙いだったとか(笑)。

BeneVerba
@yohnoji それは考える価値がありそうです。いずれにせよ、東アジアほど分断が現存するところはないのではないのでしょうか。南北のコリア、朝鮮半島と日本、日本の中における外国人、日本と琉球などなどです。それがうまく帝国主義の統治として機能してしまっている気がしてなりません。

八木
@BeneVerba ええ。ですので、東アジア間の対話のきっかけとして「我々が争ってしまうと誰かが得をするのではないか」という考えをもっと広めたいわけです。

BeneVerba
@yohnoji 全く同感です。右派でさえ日本がある種の「独立国家」でないことを認めているわけでしょう。それなのに「自由な主体」として、「北朝鮮」(共和国)なり中国に憎悪を向けるのは、少なく言っても、単純すぎるし、日本という国がおかれた状況を見つめていないと思うのですがね。

八木
@BeneVerba 「差別の構造」は単なる分断だけでなく、「上」に向くべき憤懣を「下」や「外」に対して向けてしまうガス抜き機能もあると思うのですよ。まさしく江戸時代、農民の下になぜ被差別層がいたのか、というのと同じことです。

BeneVerba
@yohnoji となると、現代においては、グローバル化した社会でアイデンティティの拠り所を失ったマジョリティが、社会内部の非差別者よりも「国籍」を元にした「外国人」への憎悪と分断統治が行われているということかもしれません。

八木
@BeneVerba 建前上、人権を重視することになっていますし、普通選挙権も認めていますからね。選挙権を持たない外国人や少年、投票に関心の薄い若い世代を叩くのは便利な集票パフォーマンスなのですよ。

by BeneVerba | 2011-12-28 09:16 | 意見 | Trackback | Comments(0)
未来を占拠せよ
Occupy The Future
2011年11月01日 - ノーム・チョムスキー
原文:http://chomsky.info/articles/20111101.htm


 この記事は、一〇月二十二日の「ボストンを占拠せよ」の占拠地であるデューイ広場におけるノーム・チョムスキーのスピーチを元に改稿したものである。彼は、当地での「ボストンを占拠せよ」自由大学主催によるハワード・ジン記念連続講演の一環としてこの講演を行った。故ハワード・ジンは、歴史家であり、活動家であり、『民衆のアメリカ史』の著者である。


 私にとって、ハワード・ジンに関する講演を行うのは、ほろ苦さの入り交じる経験です。私は、彼がこの場に参加することができず、彼の人生における夢であったであろうこの運動を活気づけることができないことを非常に残念に思います。実際、彼はこれらの運動の基盤の多くを準備したのです。

 もし、これらの出来事において確立された結束と連帯を、この先の長く辛い時期においても維持することができるのならば――とはいえ、勝利はすぐにはやって来ません――、占拠運動はアメリカの歴史において重大な意義を持つものとなるでしょう。

 私はこれまで、この場所で、そして世界中で行われている占拠運動のような規模と性格を持った運動を全く見たことがありません。占拠運動は、この先に待ち受ける障壁と、既に到来しつつある反動を克服するために必要な、永続的組織の基礎となるであろう協同的なコミュニティを創出しようとしている前哨なのです。

 占拠運動は、前例のないものであると共に、時宜に適ったものです。なぜなら、私たちが生きている時代が、今この時だけではなく、一九七〇年代以来前例のないものだからです。

 一九七〇年代は、アメリカ合衆国にとって転換点となる時期でした。建国以来、常に適切なものではなかったとはいえ、この国は産業化と富の増大に対して社会を発展させてきました。

 暗い時代においてさえ、継続する進歩への期待がありました。私は大恐慌の時代を覚えている年齢なのです。客観的に見て現在よりも厳しい状況であった一九三〇年代の中頃においても、その精神は現在と異なるものでした。

 戦闘的な労働組合たち――CIO(Congress of Industrial Organizations)やその他の組織です――が組織され、労働者たちは座り込みストライキを実行していました。工場を自分たちの手に取り戻し、自分たち自身で運営するようになるまで後一歩だったのです。

 民衆からの圧力に急かされて、ニュー・ディール政策が通過しました。圧倒的な人々の意識により不況を乗り切ったのです。

 今では人々の意識は、希望のなさにあり、時には絶望にあります。これは私たちの歴史にとって、極めて新規な事態です。一九三〇年代には、労働者たちは、やがて仕事が戻ってくるだろうと期待することができました。もしあなたが、実際上その失業率が大恐慌のレベルである製造業に携わる労働者ならば、現在の政策が続く限り、仕事は永久に失われたままだと理解していることでしょう。

 アメリカの前途に対する変化は、一九七〇年代から徐々に展開されてきました。数世紀に渡る産業化の過程は反転し、脱産業化へと変わっていったのです。もちろん製造は引き続き行われています。ただし海外で、です。それは利益にとっては良くとも、労働力にとっては有害なのです。

 経済は金融化へと移行を遂げました。金融機関は途方もなく巨大化しています。金融と政策の悪徳的な循環が加速しています。加速度的に、富が金融部門に集中しています。選挙運動費用の増大に直面した政治家たちは、裕福な支援者たちのポケットの中へと飛び込むよう駆り立てられているのです。

 そして、政治家たちはその見返りとして、ウォール街に有利な政策を実施しています。規制撤廃、減税措置、企業の支配に対する規則の緩和などです。これでは腐敗は不可避です。二〇〇八年には、政治家たちはまたしてもウォール街の企業を救いました。おそらはそれらの企業は潰すには大き過ぎ、その指導者たちは投獄するには大き過ぎるのでしょう。

 今日では人口の1%の富裕層の更に一〇分の一のみが、この貪欲とペテンの数十年間において、利益を得ており、万事順調なのです。

 二〇〇五年にシティグループは、――ところで、彼らはいくどとなく政府によって救済措置を受けているのですが――富裕層に更なる成長を遂げるように取り計らいました。この銀行は投資家たちに対し、「プルトノミー・インデックス(Plutonomy Index)」なる代物に資産をつぎ込むよう促すパンフレットを発表したのです。それは富裕な市場における企業の株式に応えるものです。

 「世界は二つのブロックに分割されつつあります。プルトノミーと残りです」。シティグループはそう要約しています。「アメリカ、イギリス、カナダは、富裕層によって経済が支えられている、鍵となるプルトノミー国家です」。

 不安定な実存を強いられて社会の周辺部で生活している、時にプレカリアートと呼ばれる非富裕層にとって、「周辺部」とはアメリカでもどこでも社会の実質的な部分のことです。

 つまり私たちはプルトノミーとプレカリアートに分割されています。占拠運動が理解しているように、1%と99%に。それは実際には正確な数字でなくとも、正しく社会を描き出すものです。

 未来に対する人々の信頼の歴史的な反転は、逆転不可能になりつつある傾向の反映です。占拠運動は、それをダイナミックに変えようとする最初の大規模な民衆的反応です。

 これまでは国内の問題についてお話ししてきました。しかし、国際的な領域における二つの危険な開発が、あらゆる場所に暗い影を投げかけています。

 人類の歴史において初めて、人類という種の生存に対して二つの現実的な脅威が存在しています。一九四五年以来私たち人類は核兵器を保有しています。私たちがそれにより絶滅しなかったのは、奇跡であるかのようです。しかし、オバマ政権とその同盟国はその政策を推し進めるよう推奨しているのです。

 もう一つの脅威は、もちろん環境的な破滅です。実際的には、世界中のあらゆる国家がそれに対する何らかの停止措置を講じなければなりません。しかし、アメリカはそれに逆行する措置を取っているのです。実業界では広く知られたプロパガンダのシステムが、気候変動はリベラルの作り話だと宣言しています。何で科学者連中に注意を向ける必要があるんだ?と。

 もしこの非妥協的態度が、この最も豊かで最も権力を持った国家において続くのならば、破滅は避けられないでしょう。

 規律があり、持続的な何かがなされなければなりません。それもすぐにです。それを進めていくのは簡単なことではありません。いくつもの困難や失敗が私たちを待ち受けているでしょう。それは仕方がないことです。しかし、この場所で、そしてアメリカ中で、世界中で繰り広げられているプロセスが、成長し続け、社会と政治の領域における主流とならない限り、まともな社会を築く機会は暗いままであり続けるでしょう。

 大規模で活発な民衆的基盤なしに、意義のある構想を達成することはできません。国中に出かけていき、人々が占拠運動とは何であるかを理解する助けとなることが絶対に必要です。彼らに何ができるのかを知らせ、何もしなかったら何が起きるのかその結果を知らせるのです。

 そのような民衆的基盤を組織化するということは、アクティヴィズムに教育を関係させるということです。教育とは、人々に何を信じるべきであるのかを説くことではありません。教育とは人々から学び、人々と共に学ぶことなのです。

 カール・マルクスは「問題は世界を理解することではなく、変えることだ」と言いました。これの変換である「もし世界を変えたいのならば、世界を理解しようとしなければならない」という言葉を心に留めておいてください。それは演説に耳を傾け、本を読めということではありません。それらも時には有用ではありますが。あなたたちは運動に参加することで学ぶのです。他人から学ぶのです。あなたたちが組織化したいと望んでいる人々から学ぶのです。理想を形成しそれを実行するために、私たちはみな理解力と経験を増大させる必要があります。

 占拠運動における最も興奮する側面は、あらゆる場所で展開しつつあるつながりを構築するという部分です。それらが拡大され維持されれば、占拠運動は、社会をより人道的な道筋に導くという献身的な努力をもたらすことでしょう。



訳者コメント:
 久しぶりの翻訳。おそらくは読者の方の多くもそうであるように、年末ということで忙しく、訳したい文章、再チェックしたい翻訳はいろいろとあるのだが、なかなかそのための時間が捻出できず申し訳ない。

 最近では、各地の占拠地が強制排除され、占拠運動は収束に向かいつつあるかのような雰囲気が形成されているようだ。が、占拠運動はそのようなものではない。このチョムスキーの文章が示唆するように(そしてまた雨宮処凛さんが『週刊金曜日』に書いていたように)、私たちは革命の時代のとば口にいるのだ。例えばバスティーユ襲撃からパリ・コミューンまでのような長いスパンで捉えることが必要だろう。

 そしてこの文章はまた、革命の発端にいる私たちは何をすべきかを教えるものでもあるのではないだろうか。「未来を占拠せよ」という題名はそういう意味に思われる。ジジェクの「彼らは悪夢へと変わろうとしている夢からの目覚めなのだ」という言葉や、「新しい内容を展開するには、時間が必要なのだ」という言葉を思い出してみてもいいかもしれない。

 あと、一つ気になる点を挙げれば、チョムスキーがここで1970年代という時期にこだわっている点だろうか。「情報化社会」「後期資本主義」など用語は何であれ、この時期に資本主義にある変質が起きたことは私には確かなことに思われる。前述の雨宮処凛さん――いわゆる「ロスジェネ」の旗手とされている――もまさにこの時期の生まれである。

by BeneVerba | 2011-12-21 19:21 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
日本大使への手紙
Letter to Ambassador of Japan
2011年11月02日 - ビアンカ・ジャガー
原文:
http://twitter.com/BiancaJagger/status/131733982911012864
http://www.twitlonger.com/show/dv7seu

以下は、福島原発震災がもたらした放射性被曝の恐怖の中で生きる日本の母親たちのため、日本大使に届けた手紙です。


ビアンカ・ジャガー人権財団
103 イヴァーナ・コート
ロンドン W8 6TX

林景一駐英国特命全権大使殿
101-104 ピカデリー
W1J 7JT
ロンドン
2011年11月2日


閣下,

2011年3月11日の津波が引き起こした壊滅的な結果による恐怖の中で生き続けている、日本中の数千の母親たちを支持するため、この手紙を差し上げます。請願書に署名した世界中の人々及び私は、日本政府の政策が、既存の津波被害とそれにより引き起こされた放射性被曝の破滅的な衝撃に対し、逆向きの結果を増すものだと信じるものです。今尚継続中である福島第一1号機及び2号機、3号機、4号機からの漏洩は、最善のシナリオでも数百万の人々の発ガン率の上昇をもたらすでしょう。

数千の母親たち及び請願書に署名した人々の懸念を貴方に伝えるととにも、次の要求を満たすことにより、放射性被曝を食い止めるために、可能な限りのあらゆる対策を講じるよう日本政府に対して訴えるものです。

  • 福島第一原子力発電所及び他地域の危険な放射性瓦礫は、被災した地域に留めておくべきであること。
  • 継続中である発電所の火災を止めるために、努力を集中するべきであること。また、3月11日以前に定められていた放射能レベルに基づき、人々は隣接地から避難するべきであること。
  • 許容しうる放射能レベルを増加させるという政策は、震災前のレベルにまで反転されるべきであること。今日、日本政府は計画的に放射性物質を拡散しており、愛国的な行為として福島産の食品を食べるよう公的な催しを開催しており、食品及び瓦礫の放射線の安全基準値を増加させている。例を挙げれば、今日の日本では、499bq/kgの値を示す食品が、消費者に対し全くそれを示すことなしに市場に出回っている。同様に、日本政府は瓦礫の放射線許容値を二倍に引き上げ、それらは焼却され海に投棄されるために、東京湾を含めた各地へと、国中に輸送されている。

私たちは、既に悲劇的である出来事が、国際的な範囲の壊滅的な環境災害へと変わることに対し、深い懸念を表明します。日本の環境省は、岩手県、宮城県、福島県の沿岸地域の災害による瓦礫の量を、2,382万トンだと見積もっています。瓦礫処理は日本の人々が直面する多くの障害の一つです。なぜならば、人々は生活を再建するために瓦礫を除去しなければならないからです。もし日本政府が、各地に集積される瓦礫を、充分に重要な問題であると受け止めないならば、拡散による放射性物質を含む瓦礫の処理は、もう一つの大きな問題を追加することになるでしょう。東京都は公式に、岩手県から1千トンの瓦礫を受け入れを表明しており、10月の終わりから、瓦礫を列車で輸送し、それらを焼却し、その灰を東京湾の埋め立てとして用いるでしょう。岩手県は、それらの瓦礫が133bq/kgの放射性物質を含むと見積もっています。これは震災前には違法な措置でしたが、日本政府は、2011年7月に瓦礫の安全レベルを100bq/kgから8000bq/kgに引き上げ、10月に10,000bq/kgに再度引き上げました。東京都は総計で50万トンの瓦礫の受け入れを表明しています。その岩手県では、2011年8月12日に、薪(の樹皮)から1130bq/kgの値が検出され、人気のある宗教行事でそれを燃やそうとしていた京都府は、汚染を理由にそうしないことに決めました。

日本政府によるこれらの行為がもたらす結果を、正確に予測することは困難ですが、今現在とんでもない環境的な大ばくちが行われていることは、誰にも否定できません。この問題は、地理的に被災地に近い東京地域に限った問題ではありません。東京都知事はこの措置が、他の地方自治体が瓦礫を受け入れるように奨励することを希望すると述べています。細野環境大臣は、2011年9月4日の記者会見において、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている」と述べ、原発事故近くの瓦礫や土壌を焼却する最終処理施設を、福島県外に設置するという彼の意図を繰り返しました。もし多くの地方自治体が東京都の指導に続くのならば、直接的な放射性物質拡散の被害を受けていない地域も、土壌や水質の汚染を招くことになるでしょう。

私は敬意を表しつつ、日本政府に対し汚染された地域の瓦礫を拡散し、焼却し、投棄することを思い留まらせるように、貴方に強く促すものです。それらは現在の場所に留めておくべきであり、人々は3月11日以前に実施されていた基準に従って避難させるべきです。日本の数千の母親たち及び私が恐れていることは、もし日本政府がこれらの政策を押し進めるのならば、現在及び過去の世代の運命が、危機に瀕するということです。悲劇的な結果を招かないように、適切な行動が取られることが私たちの望みです。


この件につきまして、閣下が思いやりのある配慮を取られるならば、ありがたく存じ上げます。

敬具,


ビアンカ・ジャガー
ビアンカ・ジャガー人権財団創設者及び会長



訳者コメント:
 1ヵ月以上前の文書だが、Twitterでリツイートされて回ってきたために、今日知ったもの。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーの元夫人、ビアンカ・ジャガーさんが、ビアンカ・ジャガー人権財団の名前で林景一駐英国特命全権大使に送った手紙の全文を、これまたTwitter(ないしTwitLonger)に投稿した原文から訳した。誤訳などあればぜひご指摘を。

 現在の津波ではなく地震が原発事故を引き起こしたという主張とは異なる部分があるが、それにしても彼女が、これほどまでに正確に日本で起こっていることを知っているのには驚くばかりだ。私は、この手紙から、9月19日の「さようなら原発」の集会での武藤類子さんのスピーチを思い起こしてしまう。既に有名であるこの講演から以下にその結語部分を引用しておこう。

 たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。

 私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

 


by BeneVerba | 2011-12-11 15:34 | 翻訳 | Trackback(1) | Comments(0)
エルノは死んだ
Helno est mort
2004年 - マヌ・チャオ
原文:http://www.greatsong.net/PAROLES-MANU-CHAO,HELNO-EST-MORT,9000401.html





原詩:
Au clair de la lune mon ami Helno
prete moi ta plume
pour t'ecrire un mot,

ta chandelle est morte je n'ai plus de feu,
ouvre moi ta porte pour l'amour de dieu.


Helno est mort une fois encore il est sorti après minuit
Helno est mort Helno est mort 100.000 remords

helono est mort une fois de trop il est partie au paradis
Helno est mort Helno est mort 100.000 remords


Au clair de la lune mon ami Helno
prete moi ta plume
pour t'ecrire un mot,

ta chandelle est morte je n'ai plus de feu,
ouvre moi ta porte pour l'amour de dieu.


Helno est mort une fois de trop dans les journaux
ya sa photo
Helno est mort Helno est mort 100.000 remords

Helno est mort une fois de trop dans les bistros il a pécho
Helno est mort Helno est mort 100.000 remords


Au clair de la lune mon ami Helno
prete moi ta plume
pour t'ecrire un mot,

ta chandelle est morte je n'ai plus de feu,
ouvre moi ta porte pour l'amour de dieu.


拙訳:
月光の下にて 我が友エルノよ
お前の筆を貸しとくれ
少しばかりお前に書きたいことがあるのさ

お前の灯火は消えてしまい 火を付けるものもない
どうか後生だから 扉を開けてくれないか


エルノは死んだ たったの一度きりで 真夜中過ぎに
エルノは死んだ エルノは死んだ 幾千もの後悔

エルノは死んだ 一度きりだけの過剰 天国へとまっしぐら
エルノは死んだ エルノは死んだ 幾千もの後悔


月光の下にて 我が友エルノよ
お前の筆を貸しとくれ
少しばかりお前に書きたいことがあるのさ

お前の灯火は消えてしまい 火を付けるものもない
どうか後生だから 扉を開けてくれないか


エルノは死んだ 一度きりだけの過剰 新聞を飾った やつの写真
エルノは死んだ エルノは死んだ 幾千もの後悔

エルノは死んだ 一度きりだけの過剰 酒場でいつも 手に入れてた
エルノは死んだ エルノは死んだ 幾千もの後悔


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訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ」とも脱原発運動とも関係ない翻訳。Twitterで偶然話題になったので訳してみた。元マノ・ネグラのヴォーカリスト、マヌ・チャオが、レ・ネグレス・ベルトのヴォーカリスト、エルノの麻薬による過剰摂取による死去を追悼した歌で、彼の2004年のアルバム「Sibérie m'était contéee」(eが一つ多いのは意図的なもの)より。なお、歌詞は適時省略してある。
 


by BeneVerba | 2011-12-11 06:58 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
 朝日新聞が十二月三日の朝刊記事において、レイシストであり歴史修正主義者である、統一戦線義勇軍議長針谷大輔を肯定的に取り上げた。

 記事の名は「原発国家 政党の外側で(下)」。「左も右も連携膨張」との見出しが踊る。割かれた活字の分量はほぼ二段。「愛郷精神に共鳴」の小見出しの下、高橋純子記者は「先祖代々の土地が放射能で汚され、子や孫の代にも影響が及ぶかもしれないという畏れから運動に加わる人が現れ、愛郷を唱える『右』の主張と響きあい始めている」と――マスメディアが他国によく使う表現を借りれば「論評抜きで」――書いている。

 そこに、批判的視点は一切ない。それどころか、彼が南京事件と「従軍慰安婦」を否定する歴史修正主義者であるという記述もなければ、「我々は敵権力、白人集団(WASP、ユダヤフリーメーソン)との全身全霊をもった闘いを貫徹するものであり、これに逆するスパイ、敵対者はそれを容赦なく排除する」という統一戦線義勇軍の性格についての記載もない。

 この記事はまるで情報を届けるために書かれたというよりも、忘れさせるために書かれたかのようだ。白紙で印刷した方が、それが白紙であるとわかるだけ情報量が多かったかもしれない。記事は書くが肝心なことは書かないという欺き方もある。いつものやり方ではあるが。


 Twitter は日本のインターネット上において、今おそらく最も脱原発運動が盛んな場所の一つだろう。そこでは「脱原発に右も左もない」ないし「脱原発にイデオロギーはない」などといった文句がスローガンとなっている。通常では、その字義通りの意味に反対を唱える人はいないし、それは私も同様だ。

 ところが、見過ごせない奇妙な風潮もある。つまりそれらのスローガンが実際に使われる際には、意味することはしばしばこうなのだ。「針谷大輔ら『脱原発右翼』を受け入れろ!たとえレイシストで歴史修正主義者であっても。受け入れなければお前は偽物の脱原発派だ!イデオロギーに凝り固まった左翼であり、分断工作だ!」。

 そうしたヘゲモニスティックな人々とは別に、もう少しお人好し――好意的に見るならば――な層もいる。彼らは、右翼と左翼を同列に考え、その中間あたりのどこかに自分がいると考えている。だが、常にアメリカの影響下にあるこの国で、右翼と左翼に振られた役割はただベクトルが違うというだけの対照物ではない。安保闘争の時に児玉誉士夫の介在によってヤクザが国会に導入されたことや、CIAがたびたび自民党に資金援助していた事実を思い起こせばそれで足りるだろう。

 いずれにせよ、針谷を受け入れよという時、彼らは脱原発のためならマイノリティはどうでもいいと言っているのみならず、日本という国家の性格及び責任への認識を欠いている。そのマキャベリ的な冷酷さ(あるいは鈍感さ)からは、どんな美名も大義も覆いつくせない腐臭がする。どちらの種類の人々も、日本という国家と闘っているはずなのに、日本というものに対する、右翼というものに対する認識が甘すぎ、自分に対する認識が甘すぎる。


 私がこの問題に関わることになった日付ははっきりしている。十一月二一日のことである。ライターの松沢呉一氏が、経産省前テントひろばに、自分の価値観を押し付けようとしているのを見かねて、思わず口を挟んだ時だ。また、私はそう感じるのだが、ヘゲモニスティックな人々の「糾弾」を受けることを恐れている一群の人々は沈黙を守っている。

つまり経産省前テントひろばの「無神経」は許容できないのに、針谷の「従軍慰安婦」への人権蹂躙は許容範囲なわけだ。 RT @kureichi 「新右翼と称する」ってなんだ? こういう無神経なことを書くから、「市民と称する左翼ども」と言われる。http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7b6429df17ee76c58718b4dc784d707a
posted at 01:24:54

何を言ってるのだあなたは? RT @kureichi へえ、経産省前のテントは従軍慰安婦のためのものなんだ。何を根拠にそんなことを言っているのか、明示していただけますか。
posted at 01:31:02

針谷の姿勢を問うているのに、勝手に私が「経産省前のテントは従軍慰安婦のため」と言ったように解釈したのは、あなた。議論を混乱させてうやむやにしようとしている。 RT @kureichi 意味不明のことを書いてきた人間に、その意味を問うているのですよ。自分でも意味不明なんでしょうね。
posted at 01:41:16

ツイッターの性質上、「何かもめごとらしい」と受け取られてはかなわない。再び @kureichi 氏が、「従軍慰安婦」を否定する針谷大輔を許容すべき、という自らのイデオロギーを経産省前テントひろばに対して押し付けようとしていることを確認する。
posted at 01:49:25

言い逃れ。では、関与しようとすべきだ。間違いなく「従軍慰安婦」は現在進行中の重要な問題なのだから。そして、あなたが自分のイデオロギーを経産省前テントひろばに押し付けようとしているのは事実だ。 RT @kureichi 原発以外の針谷氏の思想に私は関与してないですから…
posted at 02:00:30



 繰り返し確認されるべきなのは、この問題が脱原発運動内部における右翼傾向のある人物と左翼的傾向のある人物のもんちゃくなどでは決してない点だ。冒頭に述べたように、針谷はレイシストであり歴史修正主義者である。他者を排除することを政治的信条とする団体を主催する人物である。それを受け入れる「大同団結」が強要されていることこそが問題なのだ。

 この問題が左右の政治的もんちゃくなどではない理由は、この点にある。既に多くの人が指摘し、私自身も指摘したように、差別に基づく排除を掲げている人物を脱原発運動に招き入れることこそが、分断工作であり運動を弱めるものだ。したがって、「脱原発に右も左もない」「脱原発にイデオロギーはない」というスローガンは(先に述べたような意味において)イデオロギーとしての機能を果たしている。

 それはまさしく「左でも右でもない」を自認する人が、自分でそうと知らないままに掲げているイデオロギーである。それは「脱原発に右も左もない」という形のイデオロギー、右のみを包容し、マイノリティと「左翼」と「政治」と見なされるものを排除するイデオロギーであり、「イデオロギーを持ち込むな!」という形をとるイデオロギーだ(奇妙なことに「脱原発・反TPP」の組み合わせは良くても、「脱原発・反レイシズム」はアウトなのだ)。


 しかし、なぜこのようなことが起こるのか。それは答えるのが困難な問いだ。だが、一つ思うのは、放射線被害に関しては誰もが当事者になりうるが、「従軍慰安婦」や「反レイシズム」に関してはまるで自分が当事者ではないかのように錯覚させる回路が作られており、もはや政府の発表を信じなくなっている人々ですら、容易にそれを受け入れていることの恐ろしさということだ。

 人々は忘れてしまったのだろうか?二〇〇七年に、アメリカ、EU、カナダなどから従軍慰安婦に関する「決議」を出され、安部晋三首相(当時)が辞任に追い込まれたことを。それが意味するのは、私たち全てが加害責任において当事者であるということだ。言い換えれば、「左翼は従軍慰安婦にこだわる」などとあなたに言わせているものこそが、あなたに取り憑いたイデオロギーなのだ。

 だから、私ははっきりこう書かなければならない。「針谷を評価するようなデモには行くな!他のデモに行け!」「右からのデモなぞ評価するな!それ以外の自分が関わったデモを誇れ!」「もし、デモにレイシスト・歴史修正主義的な人物がいたら、あなたが折れるのではなく、相手こそが大同団結のために折れるべきだ!」。もちろん、イデオロギーから逃れるためにである。


 私は原発とは日本の権力構造そのものではないかと考えている。なぜ、中曽根康弘が未だに詰問されないのか考えてみればいい。なぜ政権与党が変わったのに政策が変わらないのか考えてみればいい。その構造を変えることなしに脱原発は成功するだろうか?

 脱原発運動がこの先どうなるかわからない。しかし、私は今の運動は敵を小さく見積もっているという気がしてならない。杞憂かもしれない。しかし、私たちが、民主的な社会を築くというヴィジョンなしに、脱原発運動のみを続けていて、達成されるほどそれは簡単なものなのだろうか?この問いは、共有されるに足る問いであると信じる。

 もし、政府もメディアも脱原発運動も駄目ということになれば、私たちの苦しみはより長引くだろう。そうならないためにも私たちは大きなヴィジョンを描くことが必要なのだ。









12/8の追記:
 以下ハンギョレ・サランバンの翻訳記事「慰安婦ハルモニたちも日本のために泣いた」より抜粋して引用。なお、文中にある宋神道(ソン・シンド)さんは Wikipedia によれば、講演活動を再開している。

 "私の傷は癒えていないので憎いけれど、罪は憎くても人は憎くありません。はやく頑張って克服して欲しいです。日本で音信が途切れたソン・シンド(89)ハルモニをはやく探して欲しいですが…。" キル・ウォンオク(84)ハルモニが弔旗を掲げたソウル、鍾路区、中学洞の日本大使館を眺めながら淡々と話した。キル ハルモニは 「あまりに途方もないことで今日は言うべき言葉が見つかりません」として「私たちの時のように多くの人が犠牲になるのを見ると、つらい記憶が思い起こされ、どうすべきか はやく復旧して欲しいです」と明らかにした。

 毎週水曜日に日本大使館前で‘韓国挺身隊問題対策協議会’(挺身隊対策協)が日本政府の慰安婦問題謝罪と賠償を要求して開いてきた水曜デモが、16日は30人余りが参加した中で東日本大地震犠牲者を哀悼する追慕沈黙デモに代替された。1992年1月8日に始まった水曜デモが沈黙デモに代替されたのは1995年8月の阪神大地震犠牲者を追慕する沈黙デモに続き今回が2回目だ。

 ハルモニと参加者たちは‘犠牲者のご冥福を祈ります’と書かれた黒い蝶を手に持った。挺身隊対策協はこの日、日本東北部大地震の犠牲者を追慕する声明を出し、日本、宮城県に居住している慰安婦被害者ソン・シンド ハルモニに対する積極的な救助も促した。日帝強制占領期間、独立活動家とその遺族たちの集いである光復会も「困難に処した日本人に勇気を与えるために人類愛を発揮することにした」として、地震復旧と被害者救護および支援のための寄付金1000万ウォンを出すことを決めたと明らかにした。


 日本軍「慰安婦」問題の解決を求める韓国水曜デモは、十二月十四日に千回目を迎える。韓国はもとより日本全国、世界各地でこれに合わせて連帯アクションが行われる予定だ(既に実施されたものもある)。ご存じの通り韓国と日本に時差はない。
 


by BeneVerba | 2011-12-07 17:08 | 意見 | Trackback | Comments(2)
 たった今高橋源一郎『恋する原発』(講談社)を読み終えた。その読後感を失わないうちにこれを書こうと思う。ここでは一応カテゴリ分けのため書評としたが、インターネット上に発表する文章は、紙媒体のそれとは異なる性格のものであっていいと思う。以前にもある本の「書評」をオンラインで発表しようとしたのだが、今ではその時抱いていた考えとは異なっている。そのようなものとして受け取ってほしい。


 この小説は「大震災チャリティーAVを作ろう奮闘する男たちの愛と冒険と魂の物語」と帯に書かれている。だが、とてもそのような売り文句で言い表せるようなものではない。というより、全ての良質な小説がそうであるように、どのような言葉もこの作品を要約できないのではないかと思う。それでも敢えて短く言い表すならば、これは、三・一一体験というものがあるならば、それが私たち全てに強いるものを、性に立脚しつつ、凝縮して示したような作品だと私には思われた。

 「なぜ原発とアダルト・ビデオなのか」という問いに対しては、この小説を読み終えた読者ならば、こう答えるはずだ。「なぜなら原発は、性という私たちの生命を紡ぐための自然な行為を、破壊しようとするものだから」と。そしてこう付け加えるかもしれない。「むしろ私たちは原発と性の問題こそを考えるべきではないのか。それが私たちの生、個人的な生のみならず種としての生を脅かすが故に」。

 おそらく三・一一の直後には、ほとんどの人がテレビかじりついて、呆然とした思いでそれを見つめていたのではないかと思うが、人々には、その時画面に見た光景のみに対してではなく、様々な思いが去来したのではないだろうか?私はそうだった。直接的な津波被害、震災被害、放射能被害から、そのようなものまでを総称して、さしあたり三・一一体験と呼びたいと思う。

 実際のところ、この本を読んでいる最中に私が思い浮かべていたのは、三・一一を様々な人々の視点から再構成した優れたルポルタージュである広河隆一『福島 原発と人びと』(岩波新書)だった。おそらく両方の書物は、三・一一体験を、また三・一一体験とは日常化するものではないことを、私たちに想起させる点で共通しているのだ。

 『恋する原発』においては、それは例えば、戦艦大和の生存者であるアダルト・ビデオ制作会社の「会長」の体験談として、「あらゆる死者を受け入れる施設」に生まれ変わった『ニュー・ヤスクニ』として、被災者であり、児童虐待の被害者であり、「AV女優」である「ヨシコさん」の言葉として、「大震災チャリティーAV」を制作しようとする小説の語り手の、広島の原爆投下によって死亡した「ほんとうの母親」として現れている。

 つまりは、三・一一体験は、私たちがテレビに釘付けになっていたあの時期に起きたことだけのみならず、未来を、そして過去を考えることを強いている。あるいは考え直すことを強いている。これからも強い続けるだろう。それが私たちの性の問題、生の問題であるが故に。そして死者たちの問題であるが故に。小説の形として、そのことを刻んだものとして私はこれを読んだ。

 この小説はある種の二重の否定で終わっている。小説の語り手が選ぶある否定、その小説の語り手に対するある否定。それを念頭に置きつつ、私はこの小説を再び読むことになるだろう。


12/3の追記:
 昨夜この本を読み終えて、そのまま書いたこの文章を、今朝読み直してみると、異性愛的な観点が強すぎるようにも思われる。しかし、性とは種の保存のための行為だけでなく、個と個とを結ぶ行為でもあるという意味において、この文章は読み直しうるのではないだろうか?そして、それこそが「恋する」という言葉の意味ではないかと今思う。『恋する原発』は、その可能性と不可能性を見つめつつ、「恋する」ことを希求している本ではないか。そのことを付記しておきたい。

2012/10/26の変更:
 その後カテゴリを「書籍」とした。そのために本文の内容と齟齬があることを付記しておく。




by BeneVerba | 2011-12-02 23:03 | 書籍 | Trackback | Comments(0)