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コメント:
 脱原発運動はこうであるべきだとはっきり提言するのは不可能だろう。しかし、私は最近脱原発運動が間違った方向に行ってしまいつつあるのではないかという危機感を持っている。特にマイノリティを勘定に入れない脱原発運動に対して。それは戦後の抑圧的な社会構造の反復、マジョリティを中心とした共同体の再生に過ぎないではないのか?昨夜から今朝へかけての Twitter での呟きから、誤変換などそのままに私の今の関心を記録しておきたい。

 また、以下の引用には現れていないが、もう一つ付け加えておきたい。在特会のようなどうしようもない存在に対して、「脱原発を主張する『本物の』右翼」として特にリベラルやノンポリから賛辞を与えられている存在は、所詮強面役となだめ役のような存在に過ぎないのではないか。少なくともそう機能することで、社会全体の右翼への親和化は進むのではないか。

 私は脱原発運動の最終到達地点は、戦後以来の、あるいは近代以来の日本のシステムを解体することだと考えている。

私たちは二つの「日本再生」に悩まされている。一つは自民党が言うような復興、もう一つはレイシストを抱擁するような脱原発運動。どちらにも未来はない。後者が仮に実現したところで、差別に鈍感な日本は温存されるだろう。
posted at 23:11:27

「あらゆる差別への反対」と「脱原発」は両立する。にもかかわらず、前者(被曝は日本人だけの問題ではないのいうのに)と後者が両立しないように言うのは、マジョリティーの立場。
posted at 23:18:21

歴史修正主義にしてもレイシズムにしても、普遍的な価値に反するから反対されている。それを「左翼だから反対している」という風に受け取っていることの多さは、これらの問題が十分に理解されていないことを意味する。
posted at 23:22:36

そこには1990年代以降のナショナリズムの自然化の期間に鈍感だった、というよりは鈍感に置かれていた人々の問題もあるかもしれない。
posted at 23:26:03

当たり前だが、「従軍慰安婦」被害には旧植民地国出身者への差別、女性への差別などであるとともに、日本はそれを受けてどうするのかという問題でもある。「今は危機の時なのだから」と言ってマジョリティが今取り組むべき問題に優劣をつけていいものか。
posted at 23:33:53

私が今考えつく最悪の「脱原発」のシナリオはこうだ。何らかの形で脱原発は実現するかもしれない。だが、その社会は脱原発以外では何も変わってない社会なのではないか。そこでは経済的社会的他者に無関心であるどころか、むしろ共同体の「成功体験」として日本社会の悪しき部分は強化されるのでは。
posted at 23:47:02

原発を安全なものと思わせられていた感性への政治と、日の丸の歴史を忘却させられてきた感性の政治は同種のものに分類できないか。戦後の嘘として。前者は3・11によって、その嘘が暴かれた。後者はまだその過程を踏んでいない。
posted at 23:57:45

もちろん脱原発運動が成功しない場合の最悪のシナリオは、脱原発も果たせず、右翼と左翼のなし崩し的な連携が進み、国家の側も市民の側も行き詰まるというものだ。そうなったら「右も左も関係ない」脱原発派は、運動を自ら見直さなければならない。
posted at 01:00:13

脱原発デモは、左翼が悪魔化され、異議申し立てをするのはごく一部の人という風潮を変えた。だが、そも一方で「イデオロギーを持ち込むな」という形のイデオロギーが優勢である。それは廃炉だけみて日本の民主主義には無関心な態度ではないのか。
posted at 04:55:09


by BeneVerba | 2012-01-31 05:18 | 意見 | Trackback | Comments(3)
ウォール街を占拠せよ
#OCCUPYWALLSTREET
2011年07月13日 - アドバスターズ
原文:http://www.adbusters.org/blogs/adbusters-blog/occupywallstreet.html

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 9万人の救世主、反逆者、過激派のみなさんこんにちわ!

 我々の未来にとって良い前兆となる、革命的な戦術における世界的移行が現在進行中だ。タハリール広場とスペインの野営(acampadas)の混ぜこぜであるこの新しい戦術が何であるか、その精神は次の引用によくとらえられている。

 反グローバリゼーション運動は、道のりの第一歩だ。振り返ってみると我々のモデルは、オオカミの一団のように体制を攻撃することにあった。そこには最高位の雄、一団を率いるオオカミが背後にいた。今やこのモデルは進化した。我々は1つの大きな群れとなった民衆なのだ。

―レイムンド・ヴィエホ、ポンペウ・ファブラ大学、バルセロナ、スペイン

 この新しい方式の美しさ、そしてこの新しい戦術をエキサイティングなものにしているのは、そのプラグマティックな簡潔さにある:我々はお互いに物理的な集まりで、ヴァーチャルな集いで話し合う……我々は我々のたった1つの要求が何であるかに焦点を合わせる。想像力を目覚めさせるような、そしてできれば我々を未来のラディカル・デモクラシーへと押し進めるような要求だ……我々は外へと繰り出し、単独的で象徴的な意義のある広場を掌握し、我々のケツをかけてそれを起こすのだ。

 我々の民主主義の腐敗させている者どもに対して、この新しき戦略を展開させる時がやってきた。それはウォール街だ。アメリカの金融におけるゴモラ(罪悪の町)だ。

 9月17日、我々は2万人の人々がマンハッタン南端部へと押し寄せて、テント、調理場、平和的なバリケードを設置し、数ヶ月の間ウォール街を占拠するのを見たい。いざそうなれば、我々は1つの要求を多くの声で絶え間なく繰り返すだろう。

 タハリール広場の抗議運動が成功した大方の理由は、エジプトの人々が自分たちが勝つまで直接的な最後通牒――ムバラクは退陣しろ――をいくどとなく繰り返したせいにある。このモデルに従うならば、等価となる我々の単純な要求は何に当たるだろうか?

 これまで聞いた中でもっともエキサイティングな候補は、なぜ現在アメリカの支配層が民主主義の名に値しないのか、その核心をついたものだ。我々はバラク・オバマに、ワシントンにいる我々の代表者たちに対する、財界の影響を終わらせるための大統領委員会を任命するよう要求する。今こそ企業の支配は民主主義ではないと声をあげる時だ。さもなくば我々に望みはない。

 この要求は現在の国民的な雰囲気をとらえていると思われる。なぜならワシントンの腐敗を一掃することは、右翼であれ左翼であれ、切実に望み、また支持するものであるからだ。我々2万人の人々が、我々をウォール街から追い払おうとするあらゆる警察や州兵の試みに対して、数週間以上耐え抜けば、オバマも我々を無視することができなくなるだろう。我々の政府は公然と、人々の意志とワシントンの利益のどちらを選ぶのか強いられることになるのだ。

 これはアメリカにおける新しい社会的変動の始まりとなるかもしれない。現在の権力構造にとらえられているティー・パーティー運動を乗り越えて、グラス・スティーガル法を復活させることによって、世界中の1,000のアメリカ軍基地の半分を撤廃することであれ、企業の犯罪に対して三振法を制定することであれ、我ら民衆が私たちが望むものを始めるのだ。まずは1つの素朴な要求から始めよう――政治から金を引き離す大統領委員会だ――我々は新しいアメリカのためのアジェンダを設定するのだ。

 我々の1つの要求がどのようなものであるべきか、コメントを投稿してほしい。そして勇気を振り絞って、テントを背中に、復讐の9月17日にウォール街へと向かおう。



野生のために、
カルチャー・ジャマーズHQ




訳者コメント:
 昨年2011年7月におけるアドバスターズによる記念すべき「ウォール街を占拠せよ」の呼びかけ。前の記事と合わせて読んでほしい。今読むとまだ暗中模索の部分がありながら、マネーあるいは財界が政治を腐敗させているという認識はこの当時からはっきりしていたことがわかる。それにしてもほんのわずかな部分だけだが、アメリカ軍基地の撤廃に触れた部分があり興味深いところだ。

 文体的には、ユーモアを感じる部分もあり、そのように訳してみたがうまく訳せたかどうか?




by BeneVerba | 2012-01-25 13:22 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
我々は何者か?
Who We Are
2011年07月16日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/who_we_are/


 2011年7月13日、アドバスターズの「カルチャー・ジャマーズHQ」が、行動の呼びかけを発した。「ウォール街を占拠せよ!」と。定められた目標は、2011年9月17日、2ヶ月かそれ以上の期間その場を占拠すべく、ニューヨーク州ニューヨーク市のウォール街に、2万人の人々を集めることである。エジプト、スペイン、オアハカ、その他世界の民衆的な集いに触発されたもので、それらに集まった人々は、1つのはっきりした、統一された要求へと通じる、共通の声を見つけようとしている。

 それこそが我々が OccupyWallSt.org を開設した理由である。情報技術の発達は、人々が緊密に連絡を取り合うことを容易にし、お互いに助け合って共同の目標を達成することを容易にしている。我々の狙いはそれらの道具を我々の利用者――この出来事の真のオーガナイザーたち――に提供し、ウォール街の占拠を成功させることにある。おそらく我々は人々に何かを見つけ出し(fish)たり、実行したりするように教えることはできないだろう。しかし、我々は素晴らしい道具(fishing pole)を作り上げることができる。

 しかし、それらの道具を自由に利用できるようにするだけでは充分ではない。それらの道具は民衆のものである必要がある。そこで我々は我々の作品がオープン・ソース・プロジェクトとしてリリースされるように、時間をかけた。このやり方なら、我々のリーダーシップに依存することなしに、他の人々が我々の作品を使ったり、手を加えたりすることができる。

 あらゆる国家の主権者たる人民は、それらの国家の運命を導く権力、権利、義務を有する。多くの人々はそのことに気付いていない。オーガナイザーはその気付きのプロセスをもたらすことができる。

 一体なぜウォール街を占拠するのか?なぜならそれは我らのものだから!そして、我々はそうすることができる!



訳者コメント:
 ウォール街を占拠せよ(http://occupywallst.org/)の公式サイトの(おそらくは)最初の投稿で以前から訳そうと思っていたもの。アドバスターズの方の行動の呼びかけも訳すつもりなので、しばしお待ちを。というわけで風邪も治ったことだし、ぼちぼちやっていきます。

by BeneVerba | 2012-01-25 11:41 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
賃金ブルジョワジーの反乱
The Revolt of the Salaried Bourgeoisie
2012/01/18 - スラヴォイ・ジジェク
原文:http://www.lrb.co.uk/v34/n02/slavoj-zizek/the-revolt-of-the-salaried-bourgeoisie

 一体どのようにして、ビル・ゲイツはアメリカでもっとも豊かな人物になりえたのだろうか?彼の富は、マイクロソフト社が、優れたソフトウェアを競争者たちよりも低価格で販売したことに拠るのでもないし、その労働者たちを「搾取」することに成功したせいでもない(マイクロソフトは、その知的労働者たちに相対的には、高い給金を支払っている)。数百万人の人々が今尚依然として、マイクロソフト社製の製品に支払っているのは、マイクロソフトが、ほとんど普遍的な基準として、実質的にはこの業界における市場を独占して、居座っているからであり、そして、マルクスが「一般知性」と呼んだところのものを1つの形で具現化しているからなのだ。一般知性という言葉でマルクスが意味しようとしたのは、科学から実用的なノウハウに至るまでの、あらゆる形態における集団的な知識である。ゲイツは能率的に一般知性の一部を私有化し、借り物を拝借する道を選ぶことで、富者となったのである。

 一般知性の私有化の可能性は、マルクスが彼の資本主義に関する著作の中で、思い描かなかったものに属する(主として、彼がその社会的規則面を見落としたせいで)。しかし、それは今日でも尚、知的所有権を巡る闘争の核であり続けているものである。一般知性の役割が――集団的な知識と社会的な協同と共に――ポスト産業社会の資本主義において増大する一方で、労働者が製造費に支出する以上の、バランスを欠いた途方もない富が蓄積されている。結果、マルクスが予期したであろうこととは異なり、資本主義の自己解体などではなく、労働者の搾取による利益を生み出す機構から、借り物を私有化することで知性におけ私有化へと、漸進的な変容となるだろう。

 天然資源の真相も同様である。それは借り物の中でも世界でもっとも主要な天然資源の搾取である。この借り物を巡って、第三世界の市民たちと西側の企業たちの間に闘争がある。労働者の世界(そこでは余剰価値価値を生み出すための使役が行われている)おり、他の日用品(それらは消費されることで、使用におけるあらゆる価値を使用される)の違いを説明するのはアイロニーである。マルクスは油を「ありふれた」日用品ととして挙げている。今となっては、生産原価における石油の価格ないし費用の上昇と下落を、搾取された労働者に結びつけるのは意味がない。我々が支払う油の価格に比べ、生産原価が本当の意味で借り物であるのは、借り物である資源の価格が、その限りある供給のおかげで、所有者たちに自由に決定することを許しているからなのだ。

 生産力の上昇における集団的知識の飛躍的な増大の衝撃をもたらしたのは、失業の役割の変化である。それはまさしく資本主義の成功(大幅な能率化、上昇した生産力、その他)であり、失業を生み出し、労働者を不要にしているのだ。喜ぶべきことに、辛い労働はより少なくなり、忌むべきものとなっている。もしくは別の言い方で言うのならば、長期の職において搾取される機会は、今や特権として経験されている。フレドリック・ジェイムソンが言ったように、「世界市場は今や、誰もが一度は製造-労働者となる場所であり、誰もが自分を高く売ろうとして締め出される」場所なのだ。今尚継続中の資本主義のグローバリゼーションにおいては、失業という範疇はもはやマルクスの「reserve army of labour」という概念に閉じこめておくことはできない。ジェイムソンが示唆したように、それはまた「これら世界中の莫大な人口は、そのままの状態において『歴史からこぼれ落ちている』。彼らは第1世界の資本主義の近代化プロジェクトから、計画的に排除されており、絶望的で週末的な場合として抹消されている」のである――いわゆる失敗国家(コンゴ、ソマリア)、飢餓や災害の犠牲者、偽の古の「民族的憎悪」に捕らわれた者たち、慈善団体やNGOの対象者、テロとの戦争の標的などである。それ故に失業という範疇は遙かに広大な人々をとらえるべく拡張されねばならない。一時的な失職者、もはや職に就けない者、慢性的な失業者から、ゲットーやスラムの住人(それらの人々はマルクスその人によって「ルンペン・プロレタリアート」として退けられているわけだが)、そして遂にはグローバルな資本主義のプロセスが、まるで古地図の白い領域のように、排除している全ての人々と国家にまで。

 この新しい形態の資本主義は、解放の新しい可能性を提供するという人もいる。いずれにせよ、これがハートとネグリの『マルチチュード』の主要な論点である。それはマルクスをラディカル化しようとし、そして、もし資本主義の首を切り落とせば、社会主義が得られるというわけだ。彼らも気付いていたように、マルクスは歴史的な束縛を受けていた。彼は中央集権化され、機械化され、ヒエラルキーによって組織化された産業労働者が形成される、その結果として中央統制局の以上の何かとして「一般知性」が理解されるだろうと考えていた。今日では「非物質的労働」の増加とともに、革命的な反転が「客観的に可能」となっている。この非物質的労働は2つに極を拡大する。知的労働者(アイディア、文章、コンピューター・プログラムの生産)から、情動に携わる労働者(医者、ベビーシッター、客室乗務員)まで。今日非物質的労働は、マルクスが19世紀の資本主義において、大工業が主導的であると主張したような意味で、主導的な地位にあるのだ。それは数の力に拠ってではなく、鍵となるような象徴的な構造的役割と戯れることによって、その地位を確固たる者にしている。浮かび上がるのは、「コモン」と呼ばれる知識を共有し、新しいコミュニケーションと協働の広大な領域である。非物質的生産物の生産はオブジェクトではなく、あたらしい社会的ないし相互的な関係である。非物質的生産は、生-政治的であり、社会的な生の生産なのだ。

 ハートとネグリはここで、今日の「ポスト・モダン」な資本主義のイデオロギストのプロセスを、物質的な生産から象徴的な生産へ、中央集権的-ヒエラルキー的な論理から自己組織化し多中心方の協働へと描き出している。相違点は、ハートとネグリはマルクスに忠実であることである。彼らは、マルクスが正しかったと証明しようとし、一般知性の興隆は長期的に視て資本主義と相容れないとしている。ポスト・モダン資本主義のイデオロジストは、まさしくこの反対の主張をしようとするだろう。マルクスの理論(および実践は)、と彼らは述べるだろうが、中央集権的国家統制のヒエラルキー的な論理の束縛に留まるものであり、情報革命の社会的は急に耐えられないと言うだろう。その主張には良き経験的な理由があるわけだ。共産主義体制を効果的に崩壊させたのは、彼らの情報革命によって維持された新しい社会的な論理を取り入れる能力の不足だという。彼らはいくつもの中央集権化された大規模な国家計画を策定して、なんとか革命の舵取りをしようとした。パラドックスは、ハートとネグリが資本主義を克服するユニークな機会として祝っているものが、情報革命のイデオロジストたちによって新しい、摩擦のない資本主義の勃興として祝われていることだ。

 ハートとネグリの分析にはいくつかの弱点がある。それは資本主義がいかにして、時代遅れとされた(古典的なマルクスの用語法を用いるなら)生産様式を生き延びてきたのかを理解させるのである。彼らは今日の資本主義が成功裏のうちに(少なくとも短期においては)、一般知性それ自身をも私有化しているかを過小評価している。また同様に、ブルジョワジー以上に、労働者自身が余計なものとなりつつある(一時的な雇用者のみならず、構造的な失業者が構造的にますます増えている)ことを過小評価している。

 もし古い資本主義が理想的には、起業家を(彼のものであれ、借りたものであれ)資金を彼が組織化し運営する生産事業に投資し、そこから利益を得るというモデルを惹き付けてきたのならば、新しい理想的なタイプが今日では鎌首をもたげている。もはや、自分の会社を運営する起業家など必要でなく、銀行(これもまた銀行を所有するのではない支配人たちがいるだけなのだが)が所有する会社を管理する専門的な経営者(もしくはCEOが議長を務める経営委員会)がいれば、もしくは、分散化された投資家たちがいればいい。この新しいタイプの資本主義においては、古いブルジョワジーは非-機能的な存在として描かれ、賃金管理職として再機能されている。この新しいブルジョワジーは賃金の支払いを受け、たとえ会社の一部を所有するとしても、報酬としての株式を保有しているというわけだ(「ボーナス」が彼らの「成功」の証なのだ)。

 この振興ブルジョワジーは未だ剰余価値を着服している。しかしながら「基準外賃金」と呼ばれている(煙に巻かれたような)ある形態で、彼らはプロレタリアートの「最低賃金」よりも支払われているのである(半ば伝説化された形で、グローバルな経済の本当の実例は中国やインドネシアの搾取工場の労働者の賃金だとしばしば指摘されているが)。そしてそれが、自分の状態を自分で決定することのできる、普通のプロレタリアートとの違いである。古典的な意味でのブルジョワジーはそれ故に消えてゆくだろう。資本主義者が賃金労働者として再登場するにつれ、資格を与えられた経営者たちはその能力(そこでは疑似科学的な「査定」が決定的だ。それは二極化をもっともらしくする)のおかげでより多くを稼ぐことだろう。経営者たちだけに限らず、あらゆる種類の専門家たち、行政官、公務員、医者、法律家、ジャーナリスト、知識人、芸術家などの多くの労働者たちもまた基準外賃金を稼いでいる。余剰は2つの形態をとるわけだ。より多くの金(経営者たちなど)、しかしその一方で少ない仕事と多くの余暇(いく人かの知識人たち、しかしより多くの行政官たち)

 どの労働者が基準外賃金を受け取るか決めるのに用いられる査定の手続きは、権力とイデオロギーの恣意的なメカニズムであり、実際の能力には直結していない。基準外賃金の存在は経済的理由ではなく、政治的理由にあるのだ。その目的は、社会的安定性のために「中産階級」を維持することである。社会的なヒエラルキーの恣意性は誤りではない。しかし核心は、査定の恣意性が市場での成功の恣意性と類似している点にあるのだ。

 社会的な空間に余りも多くの不確定性があるからではなく、人が不確定性を除去しようとする時に暴力が爆発するおそれがある。『La marque du sacré』の中で、ジャン=ピエール・デュピュイは、ヒエラルキーを四つの手続き(象徴の装置、dispositifs symboliques)と見なしている。その機能は、上位との関係において恥をかかせないことである。1.ヒエラルキーそれ自身(外部から課せられた命令を私の低い身分の者に経験させることができることが、私本来に備わった独立性である)、2.脱神話化(実力主義的な社会でないことを示すが、社会的闘争の産物であることを示すイデオロギー的な手続き。他の上位者の能力や功績の結果であることを避けることを可能にすること)、3.不確実性(我々の自然的社会的な立場がそれによって決められるくじ引きのようなものに類似するメカニズムと理解できる。幸運な人々なら、優良な遺伝子とともに裕福な家庭に生まれるというわけだ)。4.そして複雑さ(結果を予測できない制御不可能な力。例を挙げるなら、市場の目に見えない手は、私の失敗と隣人の成功を導く者であるかもしれないが、それにもかかわらず私はより働き賢くなろうとする)。見かけと違って、これらのメカニズムはヒエラルキーに挑むものでも脅かすものでもなく、それを口に合うようにするものなのだ。なぜなら「嫉妬による騒乱が引き起こされるのは、他に運もなく反対するアイディアもないからだ」。デュピュイはこの前提から、自らをそう見なす理性的に正しい社会が憤りに対して自由だと考えるのは間違いで、その反対に、そのような社会こそ下位の立場を占める人々の、暴力的な憤りの噴出によって傷付けられたプライドのために、はけぐちを探し求めるべきだ、と結論づける。

 これを今日の中国が直面している行き詰まりに関連づけてみよう。鄧小平の改革の理想的なゴールは、ブルジョワジーのいない資本主義を導入することだった(たとえそれが新しい支配階級をうむとしても)。しかしながら今では、中国の指導者たちは、ブルジョワジーの存在によって可能となった、確固としたヒエラルキーのない資本主義の生み出す、苦渋に満ちた不安定性から逃れる道のりを発見しようとしている。そこでどのような道を中国はとるのだろうか?かつての共産主義者たちは、概してもっとも効率的な資本主義の管理者として現れている。なぜならば、かれらの歴史的階級的なブルジョワジーへの敵対心が、完全に今日のブルジョワジー無き経営支配という資本主義の潮流にぴったりと合うからである。どちらの場合にも、スターリンが昔言ったように、「上役が全てを決定する」のである。(今日の中国とロシアの興味深い違いは、ロシアでは大学教員は奇妙なほど賃金が低いのに比べ、中国では、柔順さを養う目的もあって、かなりの額の基準外賃金が支払われている)

 基準外賃金の概念はまた、以下の「反資本主義」抗議にあらたな光を投げかけている。危機の時代においては耐久生活を求めるあからさまな候補が、賃金ブルジョワジーのレベルを下げることを求める。もしプロレタリアートの仲間入りしたくないのなら、政治的なプロテストは彼らの唯一の頼みの綱なのだ。とはいえ、彼らの抗議は市場の暴力的な論理に向けられるのが通例である。彼らは実際には、次第に腐食しゆく彼らの(政治的に)特権的な経済的地位について抗議しているのだ。

 アイン・ランドは『肩をすくめるアトラス』の中で、ストライキをする「クリエイティブな」資本主義者たちという幻想を描いている。今日のストライキの中にも見つかるねじ曲がった現実だ。それらの多くは基準外賃金を失いたくないという「賃金ブルジョワジー」の恐れに動機づけられているのだ。それらはプロレタリアートの抗議ではなく、プロレタリアートに格下げされようとしていることへのおそれへの抗議なのだ。定職それ自体が特権である今日、一体誰が敢えてストライキしようとするだろうか?(未だ残っている)繊維産業の低賃金労働者などではなく、職の保証を得ているそれらの特権を得た労働者たちである(教師、公共輸送機関の労働者、警察など)。これは学生たちの抗議の性質をも説明するだろう。彼らの主要な動機は、おそらくは、高等教育はもはや終生に渡って基準外賃金を保証しないへのおそれなのだ。

 それと同時に、明らかなのは過去数年に渡る抗議運動の大規模な復活――アラブの春からヨーロッパの西まで、ウォール街を占拠せよから中国まで、スペインからギリシアまで――は、賃金ブルジョワジーの反逆として片付けてはいけないということだ。それぞれの場合でそれぞれの特徴を捉えてみなければならない。イギリスにおける大学改革への学生たちの抗議は、明らかにコンシューマリストの破壊のカーニヴァル、排除された者の真の暴発となった8月の暴動とは違った。人はエジプトの蜂起はいくぶんかは賃金ブルジョワジーの反逆として始まったと主張することができるだろう(そこでは教育を受けた若者たちが見通しのなさに抗議していた)。しかし、これはより大きな1つの抑圧的な体制に抗する1つの側面に過ぎない。その一方で、抗議は本当には、貧しい労働者も農民も集めていない。イスラム教徒の選挙での勝利が、オリジナルの世俗的な抗議の狭い社会的基盤を明らかにするだろう。ギリシアは特別なケースだ。この数十年間で、EUの金融支援策のおかげで新しい賃金ブルジョワジー(とくに過剰に拡張された国家の管理において)が生まれた。そして抗議運動はその多くがそれが終わることに動機づけられているのだ。

 プロレタリアート化された賃金ブルジョワジーの安給料は、その対極にある最高経営幹部と銀行家たちの非合理的なまでに高額な報酬にかなわない(非合理的であるが故に、投資家たちがアメリカで実演して見せたように、それは企業の成功に反比例する傾向を示すのだ)。批判を道徳化しようというこれらの傾向に従うよりも、我々はこれらを徴として読みとるべきである。資本主義体制はもはや、自己制御的な安定性を備えていないのだと。その危機は迫っている。言葉を換えて言えば、手に負えない状態で疾走しているのである。



訳者コメント:
 正月早々風邪をひいてしまった。最近ではほとんど症状は出ていないがその間翻訳作業は滞った。

 さて、ジジェクが1月18日に発表したやや長めの評論である。訳したばかりと言うこともあり読み切れていないが、賃金ブルジョワジーという言葉を軸に、ネグリとハートへの異論、エジプトのタハリール広場やウォール街を占拠せよを初めとする各地の蜂起を絡めつつ、現代資本主義の様相を読み解こうとする試みとして受け取った。

 たいしてジジェクを読んでいないくせに、ここに来て、ジジェクの思考もまた変わりつつあるのかもしれないな、とも思う。とにかく、この文章は、これを中心に様々な糸が引けるような文章ではないかと思う。


2/1の訂正:
 全体的な再チェックはまだだが、flurry さんに示唆をいただき、一部を訂正。また、遅ればせながら、rom_emon さんには、「アイン・ランド」の読みについて指摘をいただいた。両氏に感謝したい。

by BeneVerba | 2012-01-21 22:59 | 動画 | Trackback | Comments(0)
2011年:革命の年
2011: A Year in Revolt
2012年01月03日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/2011-year-revolt/


11/17:粘り強く反撃し、これまでになく強くなってブルックリン橋に凱旋する
 リバティ広場の強制排除の二日後、我々はおそらくこれまでで最大の行動を開催した。その日の朝、占拠者たちはニューヨーク証券取引所の全ての入り口を封鎖し、引退したフィラデルフィアの警部が連帯し、数百名と共にニューヨーク市警に逮捕された。組織化された学生たちや労働組合を含む30,000人以上の人々が、ブルックリン橋を通って、リバティ広場、ユニオン・スクエア、フォーリー・スクエア周辺でデモ行進した。ポートランド、ミルウォーキー、シアトル、ロサンジェルス、デトロイト、マイアミ、シカゴ、フィラデルフィア、セントルイス、ワシントンDC、ハートフォード、ヒューストン、ピッツバーグ、バルティモア、グレートフォールズ、ミネアポリス、カラマズー、オーガスタ、サギノー、クリーブランド、リッチモンド、アイオワシティ、その他の占拠運動がリバティ広場の占拠者たちに連帯して、それぞれの橋を渡った。ニューヨークでは、ニュースクールの学生たちが24時間体制の占拠を確立した。連帯行動は、カナダ、日本、イギリス、スペイン、ドイツ、ギリシアその他の世界各地で開催された。

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11/18-現在:警察の暴力と不均衡な力に直面し、自らを変える
 機動隊が冷酷にも、平和的な座り込みを行っていたカリフォルニア大学デービス校の学生たちにペッパー・スプレーを使用した。その映像は瞬く間に広がり、非暴力的抵抗に対する国家の関心を直感的にひくようになる。警察の暴力と真夜中の襲撃のパターンは、シアトル、ポートランド、オークランド、サンフランシスコ、ロサンジェルス、フェニックス、デンヴァー、ミネアポリス、パルティモア、フィラデルフィア、ニューアーク、ボストン、アトランタ、モントリオール、アムステルダム、その他の数十の都市で繰り返されている。だが、状況の変化に伴い、我々は進化することを学び、「占拠運動は決して死に絶えない。我らを排除せよ、そうすれば我々は更に増加する」という言葉を証明している。排除された占拠運動は、総会を開き続け、日々の会合、イベント、ワークショップ、ティーチ・イン、デモ行進、直接行動、そして市庁舎、銀行支店、企業の事務所、法廷へのデモなどで忙しくしている。屋内に移った運動もあれば、銀行が所有する家屋を乗っ取った運動もある。また、いくつかの運動は教会で寝泊まりし、いくつかの運動はテントなしで占拠し、市の条例を避けるために24時間体制で見張りの番をおいている。そして数十の運動がテントと共に物理的な占拠を続けている。だが、我々の全てが組織化されている。我々の新しいスローガンは、「時が満ちたイデアを立ち退かせることはできない」となった。

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11/19:使われなくなった公有財産を取り戻し、コミュニティに役立たせる
 ワシントンDCの占拠者たちが、使われなくなった市所有のフランクリン校を解放した。社会福祉と民衆の意志を露骨にも無視して、ホームレスのための避難所だった場所は、K街の1%のロビイストたちのための分譲マンションないしはホテルに改造されようとしていた。警察の大規模な鎮圧以前、占拠者たちは建物をどう使うか決める公開フォーラムを計画していた。ホームレスの人々よりも多くの空き家がアメリカには存在するのだ。ウォール街の銀行家たちが巨額の利益と引き替えに住宅危機を引き起こす一方で、我々は空き家となった建物を住めるようにし、有効活用し、それらを必要とする人々のために人命を救う資源とすることで、多くの打ちのめされたコミュニティを再生させている。ロンドンで、シアトルで、オークランドで、チャペルヒルで、ポートランドで、ロサンジェルスで、ミネアポリスで、アトランタで、ボストンその他で、我々は銀行が所有する建物を社会的なセンターに変えている

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11/24:自分たちと互いを養う新たな方法を実演する
 アメリカにおける「感謝祭」の日、植民地主義者の祝日に感謝する代わりに、我々は集団的な要求に対して提供し続けることで、同情の精神に感謝を捧げた。ニューヨーク市では、占拠者たちは夕食を分かち合うために、リバティ広場に集まった。人民食堂は数千人の食事を提供し、Occupy the Hood はブルックリン、ハーレム、ブロンクスの至る所で食事を配給した。オークランドからボストンまで、占拠運動は座って食事をとり、ファースト・ネイションとネイティブ・アメリカンに連帯して行動に参加した。フィラデルフィアやその他の場所では、空き地を小さな農園に変え、コミュニティに食を提供するための共有地とした。Occupy Boston や Occupy DC などの多くの都市では「本当に本物の自由市場」を開催し、それらを必要とする誰に対しても品物を共有して、別の世界――そして、企業の利益ではなく、人々の必要を考慮した経済――が可能であることを証明した。


11/25:人民マイクを完成させる
 ニューヨーク市警の拡声器制限を避けるために始まったものが、組織化のための素晴らしい道具となった。情報の伝達からデモ行進の進路変更まで、2011年はマイク・チェックの年となった。人民マイクは1%の富裕層と腐敗した政治家に対抗するために数限りなく使われた。ニューハンプシャーではオバマ大統領を遮るために使われ、アイオワではニュート・ギングリッチを呼び出すために使われ、ロサンジェルスでは市議会で民衆の異議を表明するために使われた。だがブラック・フライデーに、人民マイクは完成された。占拠者たちは、エルパソ、カンサスシティ、サンディエゴ、アトランタ、オークランド、サンフランシスコ、ポートランド、シカゴやその他の数十の都市で、ウォルマートやその他の大規模小売店を占拠するためにこの手法を使っている。


11/28:誰にでも開かれた教育のために闘う
 警察の暴力に応答して、カリフォルニア大学デービス校の学生たちによる大規模な総会は、システム全体に渡るストライキを呼びかけ、キャンパスを封鎖する意向を表明した。カリフォルニア大学評議会は大幅なサービスの削減と授業料の値上げを予定していたのだった。ニューヨーク市立大学の学生たち――彼らはその一週間前に授業料の突然の値上げに対して抗議している最中に警察に襲撃されたのだが――は、バルーク校を乗っ取り、建物をバリケードで封鎖して理事会が授業料の値上げを票決するのを防いだ。その外では、数百名の Occupy CUNY の学生たちとその支持者たちが、「教育は権利だ!」とチャントしていた。一方、ニュースクールの学生たちは彼らのキャンパスを占拠し続けていた。


12/1:タハリール広場の占拠者たちを支持する直接行動
 エジプトでは、抗議者たちがムバラク政権を倒した後に権力を得た軍事政権が、民主主義と自由を求めて闘う抗議者たちを攻撃し殺し続けている。それらの人々の多くはウォール街占拠に霊感と支持を与えた同じ人々である。彼らへの連帯として、バルティモア、フィラデルフィア、そして大西洋中部にかけての占拠者たちが、アメリカ在住のエジプト人たちと共に、催涙ガス弾を製造するペンシルバニアに企業に対して抗議をした。それらはアラブの各政府に売られ、カイロのタハリール広場などの場所で抗議者に対して使用されているものである。「ウォール街を占拠せよ」はまたエジプト領事館そのたの場所で抗議活動を行った。


12/6:相互扶助の実践による差し押さえに対する直接行動
 行動日の最中とその後、我々は家屋を占拠し差し押さえと立ち退きを妨げた。ロサンジェルス、アトランタ、ブレマートン、リーノー、ニューオーリンズその他の地で、占拠者たちは差し押さえの競売を中断させた。フィラデルフィア、ロサンジェルス、サンフランシスコ、サンホセ、バッファロー、その他で占拠者たちは銀行事務所に対して担保権を行使した。ニューヨークアトランタデトロイトシカゴフォートローダーデールロチェスタークリーブランド、オークランド、フィラデルフィアで、我々はホームレス、貧困層、労働階級及び中産階級、低所得家族、非白人家族、差し押さえに遭った人々、退役軍人たちが空き家となった銀行所有の家屋に引っ越すのを助けた。

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12/7:政治における金による腐敗を暴き出す
 数千の占拠者たちが、政治家たちをコントロールしているロビイストの巣窟であるワシントンDCのK街を封鎖した。数百名が14番街の北西とK街の交差点で逮捕された。それ以来我々は、凍える風の中で、「ウォール街を占拠せよ、K街を占拠せよ、あらゆる場所を占拠して、二度と手放すな!」、「雨に、みぞれに、氷に雪、占拠はどこにも去りはしない!」とチャントしながら、ホワイトハウスへとデモをかけている。その後、アメリカ最高裁の階段で、シチズンズ・ユナイテッドにおける法人格の支配などの、政府の1%の富裕層との共謀を非難している最中に更に人々が逮捕された。

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12/12:港を封鎖する
 我々の運動を抑圧しようとする政府の組織化された努力に応答して、我々は各都市で我々自身の努力を組織化した。非暴力的な封鎖やその他の行動が、ロングビーチ、サンディエゴ、オークランド、ポートランド、シアトル、バンクーバー、アンカレッジその他の港で行われた。Occupy Houston はメキシコ湾の港を封鎖した。一方海に接していない Occupy Denver はウォルマートの大規模流通センターにデモ行進をかけた。Occupy Bellingham は非暴力的に港に品物を運ぶ線路を封鎖した。ニューヨークでは「ウォール街を占拠せよ」が、ゴールドマン・サックスの本社にピケを張り、世界金融センターでフラッシュモブを行った。またた連帯行動が、アンカレッジ、タコマ、シカゴ、東京、その他の場所で行われた。

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12/17:三ヵ月記念を祝う
 リバティ広場の強制排除以来、多くのホームレスの占拠者が路上や地元の教会で眠るようになった。12月17日、「ウォール街を占拠せよ」は、それらの教会の一つ、ウォール街のトリニティ教会によって所有されている空き地である、デュアルテ広場を新しい家として再占拠しようともくろんだ。数千の人々が連帯して現れ、我々は宗教的リーダーたちから甚大なる支持を受けた。

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12/18:移民と経済的難民に連帯してデモ行進
 国際移民デーに、「ウォール街を占拠せよ」と移民コミュニティの成員たちは、賃金泥棒、拘留措置、国外退去の終焉を求めて、また経済的難民と移民の権利を求めてフォーリー広場までデモ行進した。また他の占拠者たちはアラバマ州バーミングハムのICE拘留センターまで行進した。移民の正義を求める連帯行動が世界各地の都市と占拠地で行われた。

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12/31:新年を祝う
 アメリカの数十の都市と、ヨーロッパ、南アメリカで、刑務所と産業の複合体の廃止を求めるデモを行った後、我々は全てが始まった場所、リバティ広場へと新年を迎えるために戻った。占拠者たちは我々の公園から締め出そうと警察が設置したバリケードの上で踊り、少なくとも68名が逮捕された。また数十の都市で占拠者たちがイベントを催し2012年の始まりを祝った。

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2012:準備完了
 運動の自発的でリーダーのいない性質が、我々に強さを与えている。未来は不確定だが、可能性は無限である。2012年、あらゆる場所における占拠者たちが、団結した人々の強さを見せ続けるだろう。以下は、現在進行中の行動の単なる「予告編」である。

  • 我々は、大統領候補の選挙運動事務所を占拠することにより、リベラル/保守派、民主党/共和党の二分法が、実際のアメリカ社会を規定する社会的摩擦――99%対1%――から目を逸らさせるためのものであることを示すため、Occupy the Iowa Caucuses を続ける。
  • 本日、「ウォール街を占拠せよ」は「無限の拘留」を可能にする国防認可法に反対する抗議活動を行う。
  • また本日 Occupy Atlanta は、差し押さえの競売を妨害する。そして、彼らの野営地の名前をもらった人物であるトロイ・デイヴィスに敬意を表して、死刑制度に反対するデモ行進を行う。
  • 1月17日、我々は国会を占拠する。
  • 1月20日、Occupy San Francisco が金融街を再占拠する。
  • 4月7日、Occupy Chicago が全地球の占拠運動と共に「攻撃の春」を開始する。
  • 5月1日、世界はそれを目撃するだろう……



訳者コメント:
 2012年最初の翻訳。「ウォール街を占拠せよ」運動が、「革命の年」である2011年を自ら振り返る内容。文字数の制限のため2分割。前半はこちら

by BeneVerba | 2012-01-05 00:21 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
2011年:革命の年
2011: A Year in Revolt
2012年01月03日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://occupywallst.org/article/2011-year-revolt/

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 2011年は革命の年として記憶されるだろう。貧困と抑圧と暴力に基く維持しがたいグローバルなシステムの終焉が始まった年として。アラブ世界の数十の国々では、崩壊した経済と抑圧的な体制に対して人々が立ち上がり、政府を転覆し、世界中の人々に対して行動するように鼓舞した。緊縮政策と労働者の権利への攻撃に対する民衆の拒絶は、ギリシアで、アイスランドで、スペインで、ポルトガルで、イタリアで、イギリスで、チリで、ウィスコンシンやその他の場所で、数百万もの人々を街頭へと駆り立てたのだ。

 真夏までには、「ウォール街を占拠せよ」という呟き声がオンラインを賑わすようになり、7月14日に我々は occupywallst.org のドメインを取得し、組織化を始めた。最初のニューヨーク市総会は8月2日に開かれ、リバティ広場の占拠が9月17日に始まった。

 ますます開いていく富裕層と貧困層の格差に怒りをかき立てられ、多数を犠牲にして少数のエリート層にのみ寄与する政府の政策に憤慨し、根元的な経済的不平等に対する支配層の失策にうんざりし、「ウォール街を占拠せよ」は新しい解決策を提案した。我々は、数千の人々に食料を提供するため人民食堂を建設し、人民図書館を開設し、より安全に寝泊まりできる空間を作り、無料の避難所、寝床、医療、その他の必需品を必要とする誰でもに提供した。冷笑家たちが、私たちはリーダーを選び、政治家への要求をまとめるべきだと迫っていた頃、我々はまさしくそれらの機構に替わるものを忙しく創造していたのだった。革命は既に勃発した。誰も我々を止めることはできない。

 主流派メディアが我々を無視する一方で、我々はチュニジア、エジプト、イランなどにおける他のリーダーのいない運動から、メッセージを広めるためソーシャル・メディアやインターネット生中継を使うことを学んでいた。我々は、企業によって資金提供を受けた中央集権型のメディアがますます見当違いであることを描き出し、どのように情報が生み出され共有されるかを示す、ラディカルに民主化されたグローバルな運動の一部だ。情報の即時的な交換が、我々に素早い集団的な意志決定を可能にし、地球規模の情報とアイディアを議論することを可能にし、効果的な直接行動を集結することを可能にし、警察の暴力を記録することを可能にしている。今、これまで以上に我々が「世界中が見ているぞ!(The Whole World Is Watching!)」と唱えるのは、ただの虚仮威しではないのだ。

 今日、数万のごく普通の人々が、連帯、相互扶助、反抑圧、自治、そして直接民主主義といった理想の数々を実践している。個々人は都市大の総会群と自治的な各アフィニティ・グループで手と手を携えている。合意による、階層的でない、個人参加の自己統治を通し、今ここでそれを建設することにより、我々は文字通り新しい世界の骨組みを据え付けている。そしてそれは機能しているのだ。


 残りは歴史である。新年を祝って、概要と共にこれまでに我々が何を成し遂げたのかを振り返ろう。全ての行動を一覧し、「占拠」が起こった全ての場所に言及するのは不可能だろう。だが、我々の勝利の瞬間のハイライトを祝いながら、新年を始めよう。これから起きることの予告も一緒に!


9/17:ウォール街を占拠する
 2,000人を越える人々が、一つの目的のためにマンハッタンの金融街を急襲した。占拠するためである。我々はテントを持ち込み、新しく我々の家となる場所(ズコッティ公園)に新しい名前を付けた。リバティ広場と。

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9/24:経済的不平等の暴力的基盤を暴露する
 その後の出来事を暗示するかのように、ユニオン・スクエアでの平和的な行進から帰還する途中で、80名以上の人々が暴力的に逮捕された。抗議者への警察の不当なペッパー・スプレーの使用を録画したビデオが瞬く間に広まり、社会的経済的不平等の永続化のために不可欠な暴力が何であるかを暴露した。数千の人々がニューヨーク市警本署までデモ行進し、怒りの抗議をした。そして、世界は気づき始めた。


9/28-現在:労働者たちと抑圧されたコミュニティからの連帯
 占拠の初期から、「ウォール街を占拠せよ」は、より良い労働条件を巡って闘争する郵便労働者など、多くの運動に支持を寄せていた。9月28日には、トランスポート・ワーカーズ・ユニオン・ローカル100が、投票によって「ウォール街を占拠せよ」の支持を決め、構成員たちに参加するよう奨励した。それ以来、我々は、アメリカ教職員連合組合やパイロットたちなどから、西海外の湾岸トラック・ドライバーたちまで、数多くの地元の組合の支持を受けている。12月1日には、我々はニューヨーク市中央労働評議会に応えて、雇用と公平な経済を求めるデモに参加し、12月2日には、公正な職を求める農民たちと一緒にデモを行ったエコノミスト作家音楽家たちはみな我々を支持している。我々はまた、学生たち、移民たち、アフリカ系アメリカ人の教会指導者たちトランスジェンダー解放を求める活動家たち、ネイティブ・アメリカンの個人たち、先住民評議会のようなファースト・ネイションの人々、ハンガーストライキ中の収監者たちイラクやアフガニスタンの退役軍人たちなど、不公平な経済的政治的構造の下で生活条件を改善しようと闘っている数え切れないほどの抑圧を受けたコミュニティから参加を受けている。

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9/29-現在:占拠運動は地球規模に拡大中
 サンフランシスコの抗議者たちが、その地の金融街を占拠し始める。新しいミーム、「我々は99%だ!(We are the 99%!)が」急速に広がる。「占拠」それ自身が世界中で採用され、改案され、再発明される。「ウォール街を占拠せよ」は、「全ての通りを占拠せよ(Occupy All Streets)」となる。占拠グループ及び行動が、全ての大陸、千以上の都市、70以上の国々、そしてアメリカの50の州全てとコロンビア特別区で形成される。現在までに少なくとも5,748人の人々が占拠行動によって逮捕されている。野営地及び抗議運動は、最も大きな都市から最も田舎の町までに出現している。しかし、占拠や連帯行動が行われた場所の網羅的なリストを作成することは不可能に近い。我々はあらゆる場所に存在するといっても過言ではない。


10/1:ブルックリン橋を占拠、世界に占拠を呼びかける
 5,000名以上の人々がブルックリン橋まで行進する。警察は網で抗議者たちを包囲し、約800名を逮捕した。数日後、15,000人のデモ参加者たちがフォーリー・スクエアからリバティ広場まで行進した。夕暮れの後、ニューヨーク市警が見物人にペッパー・スプレーに使用し、ケトリング・ネットを用いて暴力的に反応する。翌日、数千の人々が、ポートランド、ロサンジェルス、サンフランシスコ、タンパ、ヒューストン、オースティン、ソルト・レイク・シティ、その他の場所でデモを行う。そして Occupy Together が始まる。

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10/10-25:立ち退きの第一派に対し決意を見せる
 Occupy Boston で140名が逮捕される。10月25日、数百名の警官が Occupy Oakland の排除に動き、催涙ガス、ゴム弾を使用し、85名を逮捕する。元海兵隊でイラク戦争の退役軍人が、催涙ガスの円筒弾を直接頭部に受け、危篤状態に陥る。広がりつつあった運動は即座に反応した。ニューヨークでは「ウォール街を占拠せよ」がユニオン・スクエア近くでデモ行進した。ポートランド、オースティン、デンバーでは、占拠者たちを追い散らすために、警察がペッパー・スプレーの小弾を発砲し、100名近くが逮捕された。それにもかかわらず、新たな占拠地は現れ続けた。


10/15:経済的正義を求めるグローバルな運動に貢献する
 世界一斉行動日に、ニューヨーク市では数千名の人々がタイムズ・スクエアまで行進した。アッシュランド、ケンタッキー、ケッチャム、アイダホといった小さな町からの抗議者たちが、デモインやダラスといった他のアメリカの都市の人々と共に行動した。世界では、抗議者たちが、アムステルダム、アテネ、オークランド、ムンバイ、東京、ソウル、オタワ、シドニー、ロンドン、ヨハネスブルグの金融街を急襲した。バルセロナとマドリッドだけで百万人の人々がデモに参加した。十万人の人々がローマとヴァレンシアで行進し、数万人の人々がベルリン、ザクレブ、ブリュッセル、リスボン、ポルトで行進した。ラテン・アメリカでは、ブエノスアイレス、ポルトアレグレ、リオデジャネイロ、サンパウロ、サンティエゴ、ボゴタ、サンホセ、キト、メキシコシティ、リマ、モンテヴィデオで最大の占拠が繰り広げられた。

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10/16-現在:我々は主流派メディアの政治的言論を変える
 我々のメッセージの反響を認識し、政治的支配層は我々の運動を取り込もうとして、我々のスローガンを政治的利益のために使い始めた。10月16日にはオバマ大統領が、「99%のために働こう」と主張した。10月の最終週には、主流派メディアは選挙が始まる以前の5倍の頻度で「収入格差」に言及するようになった。11月10日には、あるメディア分析会社が「『占拠』がインターネット及び印刷物で最も使われる英語の単語になった」と発表した。タイム誌は「抗議者」を今年の人物に挙げた。2011年、我々は「総会(General Assembly)」を身近な言葉にした。


11/2:我々は1946年以来初めてのゼネストを敢行する
 Occupy Oakland がゼネストの一番槍を務め、オークランド港を封鎖した。十万人の人々が連帯してデモ行進した。翌日、機動隊が特殊閃光手榴弾と催涙ガスで攻撃した。100名以上が逮捕され、別のイラク退役軍人が重傷を負った。

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11/5:我々は銀行家たちの大切なもの――彼らの財布――を襲う
 「ウォール街を占拠せよ」は、大手銀行と金融機関に抗議するために、バンク・トランスファー・デイを支持した。六十万人以上の人々が、銀行から非営利の信用金庫に切り替えた。


11/9-22:正義のメッセージを共有するため数百マイルを歩く
 11月9日、オバマ大統領の1%への減税措置に抗議するため、占拠者たちの一団がリバティ広場を去り、ワシントンDCへと向かった。数週間後「ウォークパイアー(Walkupiers)」たちは、ワシントンDCに到着し、温かい歓迎と大きなメディアの扱いを受けた。

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11/15:リバティ広場の暴力的立ち退きをくぐり抜ける
 ブルームバーグ市長の私兵たちが我々の家郷を襲った。午前1時頃、警察は恐るべき力の誇示を開始した。真夜中に音響兵器であるサウンド・キャノンを使い、抗議者たちを警棒で血まみれにした。ジャーナリストたちは立ち入りを禁止された。人民図書館に寄付された5,000以上の本が、占拠者たちの私物と共に、むちゃくちゃにされた。その最中にニューヨーク市議会の議員が逮捕された。ワシントンDCの占拠者たちが、リバティ広場の「オーナー」であるブルックフィールド不動産の事務所前で座り込みを行った。その直後、シアトルの占拠者たちがペッパー・スプレーの襲撃を受け、ポートランド、バークレー、サンフランシスコ、セントルイス、ロサンジェルスで占拠関連で数百名が逮捕された。我々はそれらの間非暴力であり続けた。

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訳者コメント:
 2012年最初の翻訳。「ウォール街を占拠せよ」運動が、「革命の年」である2011年を自ら振り返る内容。文字数の制限のため2分割。続きはこちら

by BeneVerba | 2012-01-04 23:35 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)