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自律性についての宣言
Statement of Autonomy
2012年03月03日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://www.nycga.net/resources/statement-of-autonomy/

*この文書は、二〇一一年一一月一〇日に、「ウォール街を占拠せよ」ジェネラル・アセンブリーを通過した。また、改訂版が、二〇二二年三月三日に、「ウォール街を占拠せよ」ジェネラル・アセンブリーを通過した。


 「ウォール街を占拠せよ」は、人民の運動である。この運動は、党もない、指導者もいない、人民による、人民のための運動である。この運動は金儲けでもなく、政党でもなく、広告キャンペーンでもなければ、ブランドでもない。これは売り物ではないのだ。

 私たちは、誠意があり、非暴力によって不当な扱いを糺すことを願うあらゆる人々を歓迎する。私たちは、諸個人が参加型民主主義に携わり、平和的に集うためのフォーラムを提供する。私たちは、異議を歓迎する。

 ジェネラル・アセンブリー及び www.nycga.net でオンライン上に公表されたあらゆる声明及び宣言は、「ウォール街を占拠せよ」とは無関係だとみなされるべきである。

 私たちは、「ウォール街を占拠せよ」が、あらゆる既存の政党、候補者、組織と連携しておらず、したこともないことを明らかにしておきたい。私たちが連携しているのは、人民とのそれのみである。

 この運動を作るために共に働いている人々は、この運動だけに属する共同の管理人である。もしあなたが、この運動を築くために資源――とりわけ、あなたの時間と労力――を、捧げることを選ぶのなら、それはあなたのものである。

 私たちを、そうすることがあなた方自身の仕事の階層の制度的枠組みを問うことになり、私たちの原則をあなた方の行動様式に統合することになる知識で支えるあらゆる組織を歓迎する。

 私たちと語ろうではないか。私たちに言葉をかけるのではなく。

 「ウォール街を占拠せよ」は、集団的な資源、尊厳、統合、そして自律を金銭よりも高く評価する。私たちは、保証を受けていない。全ての寄付は匿名で受け付けられたものであり、ジェネラル・アセンブリーまたは運営的スポークス・カウンシルによって、コンセンサスを通して、透明に分配される。

 私たちは、私たちの世界をより良いものにするために働く、職業的活動家の存在を認める。もしあなたが、私たちのプロセスに参加している間に、代表者であるか、独立した財源によって報酬を得ているのなら、あなたの関係をまず始めに明らかにしてほしい。この運動を利用してお金儲けをしようとしているか、メッセージやシンボルを着服することによって運動を損なおうとしている人々は、「ウォール街を占拠せよ」の一部ではない。

 連帯を込めて。私たちは「ウォール街を占拠せよ」である。

by BeneVerba | 2012-06-15 02:05 | 翻訳 | Trackback | Comments(3)
占拠運動が次になすべきことは?
Noam Chomsky: What next for Occupy?
Noam Chomsky interviewed by Mikal Kamil and Ian Escuela
2012年04月30日 - ノーム・チョムスキー
原文:http://chomsky.info/interviews/20120530.htm


Q:チョムスキー教授、占拠運動は第二段階を迎えています。私たちの三つの主な目標は、1) 主流派を占拠して、テントから大衆の意識へと移行すること、2) 九九%の集会の自由と言論の自由を守り、暴力的な攻撃を避けて、運動を弾圧から守ること、そして、3) 企業の法人格を終わらせることです。これら三つの目標は、重なりつつ相互に関係しています。

 私たちがお訊きしたいのは、主流派による情報選別、人権に対する弾圧、カネと企業の役割に対するあなたの意見です。なぜなら、それらは占拠運動とアメリカの未来に関連しているからです。


A:占拠運動に関する報道は、混乱しています。当初それは拒否的で、まるでお遊びをしている馬鹿な子どもたちであるかのように、参加者たちを笑いものにするものでした。しかし、その後報道姿勢は変化しました。実際に、占拠運動のもっとも顕著でめざましい成功の一つは、多くの問題に関して議論の全体的枠組みを全く変えたことです。知られているはずなのに、余白に追いやられ、隠されていた事柄が、今では前面へと出てきました。実際に人口の一%という少数に、富が集中したことを原因とする、九九%と一%のイメージ、過去三〇年間で格差が劇的に拡大した事実などです。

 多数派にとって、実質収入は相当に停滞したものであるか、時には減少しています。給付金もまた減少しており、労働時間は長くなっています。第三世界的な窮状ではありませんが、豊かな社会、世界でもっとも豊かな国家に、ふさわしい状態でもありません。実際、人々が見て取れるように、多くの富がそこら中にあるのですが、ただ私たちのポケットにはないのです。

 これらの問題の全てが、今では前面化しています。今では、ほとんど標準的な議論の枠組みとなったと言っても、過言ではありません。占拠運動の用語法さえ、受け入れられています。これは大きな移行です。

 この月の初め頃、ピュー基金が、人々が、アメリカの生活において、何がもっとも大きな緊張と衝突の源だと考えているかを調査する、例年行われている世論調査の一つを発表しました。これまでで初めて、収入格差に対する関心がトップに躍り出ました。この調査は収入格差そのものを測定するものではなく、この問題に関する一般大衆の認知、受容、理解の程度が上昇したことを示すものです。これは占拠運動の貢献によるものです。現代生活における著しく重要な事実を議題に乗せて、個人的な経験からはこの事実を知らないかもしれない人々が、自分たちが一人ではなく、みんながそうだということを示したのです。実際に、アメリカはこの問題に関心を寄せる傾向にあります。史上前例がないほどに、格差が拡大しています。この報告の言葉によればこうです。「『ウォール街を占拠せよ』運動は、もはやウォール街を占拠していない。しかし、階級対立の問題が、全国的な意識のますます大きな割合を占めるようになっている。二〇四八人の成人を対象とした、ピュー調査センターの新しい調査によると、一般大衆の三分の二(六六%)が、富裕層と貧困層に、「非常に強い」もしくは「強い」対立があると考えている。これは二〇〇九年に比べて一九%の増加である」。

 一方で、占拠運動自体に関する報道は、多様なものです。いくつかのメディアにおいて――例えば経済誌の一部で――は、時々それなりに同調的な報道がなされています。もちろん、一般的な図式としては、「やつらはなんで家に帰って、私たちが仕事に取りかかれるようにしないんだ?」「政治的プログラムはどこだ?」「どうやって彼らは、どういう風に物事を変えるかという主流派の枠組みに合わせるのか?」などといったものですが。

 それから弾圧がやって来ましたが、これはもちろん不可避なものでした。これが全国的に協調した動きであることは明白です。それらのいくつかは暴力的で、その他はそれ程でもありませんでしたが、対立は続いています。いくつかの占拠地は、事実上排除されました。別の場所では、異なる形態で巻き返しています。それらのいくつかは報道されました。ペッパー・スプレーの使用などです。ですが、ほとんどは、またもや、ただの「なんでやつらは立ち去って、私たちを放っておかないんだ」といったものです。それは予想通りです。

 それらにどう対応するかという問題、それへの主要な取り組みは、あなた方が指摘した点の一つです。すなわち、比喩的な意味で、占拠の全面化へと至ることです。人口のより幅広い層を参入させることです。占拠運動の目的と目標に対して、大きな共感があります。それらは実際世論調査にもはっきりと現れています。しかし、人々を参加させるには、大きな努力が必要です。それには人々の生活の一部となることです。人々が自分にも何かができると思える何かになることです。ですから、人々が実際に生活している場へと出かけていくことが必要です。それはメッセージを送るという意味ではなく、もし可能ならば、そして難しいことでしょうが、この運動が真に達成したものの一つであるにもかかわらず、メディアでは充分に議論されていない――少なくとも、私は見たことがありません――ものを、広めるとともに、深化させようとすることです。それは、この運動の主要な達成の一つである、共同体を作ろうとする試みのことです。相互扶助、民主的な交流、お互いへの配慮などに基づいた、実際に機能する共同体です。これは非常に意義のあることです。特に私たちの社会のような、人々が孤立しがちで、近隣社会が壊れ、共同体が壊れ、人々が孤独に陥っている社会ではそうです。

 それを植え付けるためには、多大な努力を必要とするあるイデオロギーがあります。あまりにも非人間的であるために、人々の意識に注入するのが困難なイデオロギーです。それは、自分のことだけを気にかけて、他のあらゆる人々のことは忘れてしまえというイデオロギーです。その極端な例は、アイン・ランドです。実際のところ、文字通り一五〇年間に渡って、こうした思考法を人々に強制するための努力が行われてきたのです。

 一九世紀中葉、産業革命の初期に、東部マサチューセッツで、労働者の運営による非常に活動的な新聞が出現しました。工場で働く若い女性や、製作所の熟練工などによってです。彼ら自身が所有する新聞は、非常に興味深いもので、広く読まれるとともに、大きな支持がありました。そして、彼らは、産業システムが彼らから自由を取り上げ、硬直した階層的な構造を課していることを、辛辣に非難しました。彼らの主な苦情の一つは、彼らが「時代の新しい精神:利益以外の全てを忘れて、富を追求すること」と呼ぶものでした。一五〇年間にわたり、この「時代の新しい精神」を人々に強制するための尽力がなされてきたのです。しかし、それがあまりにも非人間的であるために、多くの反乱が起きました。そして、それは今も継続中なのです。

 私が思うに、占拠運動が真に達成したものの一つは、非常に目立つやり方で、この「時代の新しい精神」への拒否を発現させたことです。占拠運動に参加している人々は、自分たちのために参加しているのではありません。お互いのために、より幅広い社会のために、未来の世代のために参加しているのです。結束とつながりが形成されつつあり、もし、それらを維持することができ、より広い共同体に発展させることができるなら、時に暴力的な形を取るであろう不可避の弾圧に対して、真の防衛となることでしょう。


Q:それらに携わるには、占拠運動はどうするのが最善だと、どのような手法を採用すべきだとお考えですか?また、運動の拠点を分散化するために、実際の場所を持つことに、慎重であるべきだと思いますか?


A:公共の場所でもそうでなくとも、実際の場所を持つことは、確かに意味のあることです。それらがどの程度そうであるべきなのかは、状況の詳細な検討、支持の度合い、反対の度合いに基づいてなされるべき一種の戦術的な判断です。異なる場所で異なる判断が必要でしょう。私には、一般的な言明はわかりません。

 方法に関して言えば、この国の人々は問題と懸念を抱えており、それらの問題と懸念が、彼らを支持し、彼らから支持される人々による、より広い運動の一部だと感じるようになれば、そう、それは軌道に乗るでしょう。それをするのに、唯一の方法があるわけではありません。一つの答えはないのです。

 おそらくは近所を訪ねて、人々の懸念が何であるかを、知らなければならないでしょう。それは、子どもたちが学校へ行く途中で渡る交差点に、信号機が欲しいといった単純な問題かもしれませんし、差し押さえで人々が家から放り出されるのを、防ぎたいといったことかもしれません。

 もしくは、共同体を基盤とする企業を発展させることかもしれません。それは全く考えられないことではありません。どこか遠くの多国籍企業と銀行家からなる取締役会が、生産拠点をどこかに移すのを防ぐことのできる、労働者と地域社会が所有し管理する企業です。それらはいつでも起きている本物の、生きた問題です。そして、可能なことなのです。実際、散発的なやり方でそうしたことは起きています。

 警察の暴力や市政の腐敗といった、その他の全てに対処することも可能です。メディアを共同体に根ざしたものに再構築することも、全く可能です。人々が、共同体、エスニック、労働者などの集団に基盤を置いたメディアを持つことは可能なことです。それらの全てはなすことができます。そうしたことは、人々の労働を必要とし、人々を結びつけることができます。

 実際に、私は様々な場所で、その後追求されるべきモデルとなれる、そうした事例がなされるのを目撃しました。一つ例を挙げましょう。私は、数年前にブラジルに行き、ルラ元大統領と時間を過ごす機会がありました。といっても、当時は、彼が大統領に選ばれる以前のことです。彼は、労働問題の活動家でした。私たちは、あちこちを訪ねました。ある日、彼は私をリオの郊外へと連れ出しました。ブラジルの郊外は、もっとも貧しい人々が住む地域です。

 そこは亜熱帯気候で、その晩ルラは、多くの人たちが広場に集まっているところに、私を案内しました。午後九時頃、ゴールデン・アワーの時間です、メディアの専門家からなる少数の集団が、街からやって来て、広場の中央にトラックを設営しました。そのトラックは上にTV画面が載せてあり、その地域の人々によって演じられる寸劇や芝居を、それが映し出しました。そのうちのいくつかはただ楽しみのためのものでしたが、その他のものは、負債やエイズといった深刻な問題を取り扱っていました。広場に人々が集まるにつれ、役者たちがマイクを持って歩き回り、人々に映し出された劇へのコメントを求めました。それらは録画され、他の人々が見られるように、画面に映し出されました。

 近くの小さなバーに座っていた人々や、通りを歩いていた人々が反応し始め、それらの人々の間で、すぐに極めて深刻な問題、彼らの生活の一部である問題に関する、興味深い交流と議論が起こりました。

 もしそうしたことが貧しいブラジルのスラムで可能ならば、間違いなくその他の多くの場所でも可能です。私は、まさにそれをやるべきだと言っているのではありませんが、そうしたことが幅広い層を参入させ、人々に対して、ふさわしい需要が何であれ、共同体の形成と深刻なプログラムの発展に加わっているのだと、感じる理由を与えるために可能なことなのです。

 非常に簡単な事柄から、労働者と共同体が運営する企業による新しい社会的経済的システムを始めることまで、あらゆることが可能です。より積極的な大衆からの支持があれば、弾圧と暴力に対してより望ましい防衛が可能になります。


Q:占拠運動を利用することに関して、民主党の目標をどのように評価なさいますか?また、私たちが、用心し、気を付けなければならないことはなんでしょうか?


A:共和党について言えば、何年も前に、政党のふりをすることさえ放棄しています。彼らが打ち込んでいるのは、画一的かつ相当な熱意で、ごく少数の権力と利益に奉仕することであり、もはや政党であるとはほとんど言えません。彼らには、まるで古い時代の共産党のカリカチュアのような、想定問答集があります。彼らは、有権者から一票を獲得するために何かをしなければならないのですが、もちろんそれを――このイメージを用いるならば――一%から得ることはできません。なので、彼らは、いつでも存在しているが、政治的にはまとまっていない人口の各層を結集しようとします。キリスト教の宗教的熱狂主義、権利と国家が奪われているとする排外主義などを利用してです。

 民主党は、少しだけ共和党と異なっており、異なる有権者を抱えていますが、彼らも共和党と全く同じ道をたどっています。実質的に党を運営している今日の民主党中道派は、全く一世代前の共和党穏健派であり、彼らが今現在ある種の民主党主流派なのです。彼らは、自分たちの利益に基づいて、有権者をまとめ上げ、結集しようと――この表現がお望みなら、利用しようと――するでしょう。彼らは、全く白人労働者階級を見捨ててしまいました。それははっきりと見て取れます。なので、それらの人々は、かろうじて民主党の抱える選挙民の一部であるだけです。これは悲しい発展です。民主党は、ヒスパニック、黒人、進歩派を結集しようとするでしょうし、占拠運動にも手を伸ばすでしょう。

 組織化された労働者たちは、依然として民主党の選挙民であり、他の全ての集団と全く同様に、民主党は彼らを利用しようとするでしょう。政治的リーダーシップは、人々の頭を撫でてこう言うのです。「私は、あなた方のために働く。だから、私のために投票してほしい」と。占拠運動の参加者たちが理解しなければならないのは、彼らはあなた方のために何かするかもしれませんが、それは選ばれたリーダーシップに対して、何かをするように実質的な圧力を維持できた場合に限るということです。しかし、ごくまれな例外を除けば、彼らが独力でそれをすることはありません。

 カネと政治に関する限り、偉大なる金融家マーク・ハンナの言葉を打ち負かすのは困難です。約一世紀前、彼は政治において何が重要かを訪ねられ、こう答えたのです。「一番はカネだ。二番目もカネだ。三番目が何かは忘れた」。

 それは一世紀前のことですが、現在ではさらに極端になっています。集中化した富は、当然にも、その富と権力を、可能な限り政治システムを乗っ取り、運営し、望み通りのことをやらせるのに使うでしょう。一般大衆は、それに抗う方法を見つけなければなりません。

 数世紀前に、デイヴィッド・ヒュームのような政治理論家たちは、政府の基礎付けの一つとして、権力は統治する者ではなく、統治される者の手にあることを正確に指摘しました。これはまさしく封建社会、軍事国家、議会制民主主義にとって真実でした。権力は、統治される者の手にあるのです。支配者がそれに打ち勝つには、世論と意見をコントロールすることによってのみ可能です。

 一八世紀中葉において、ヒュームは正しかった。そして、彼の言ったことは、現在でも真実であり続けています。権力は、全民衆の手にあるのです。現在では、より少ない人々が、それをコントロールしようとする多大な努力があります。なぜなら、多くの権利が勝ち取られて来たからです。現在の方法は、プロパガンダであり、消費主義であり、エスニックな憎悪をかき立てることであり、あらゆる方法が採用されています。もちろん、それは今後も続くでしょうし、私たちはそれに抵抗する術を見つけるべきです。

 その人物があなたの望むことをやる限り、特定の立候補者に仮初めの支持を与えることは、何も間違ったことではありません。しかし、もし多大な努力なしに彼らをリコールできれば、より民主的な社会となるでしょう。他にも立候補者に圧力をかける方法はあるでしょう。そうしたことをやるのと、利用されること、誰か他の人物の利益に仕えるために結集されることの間には、細い一線があります。しかし、それらはなされるべき不断の判断と選択によるのです。



訳者コメント:
 例外はあるだろうが、論理的な人の文章ほど、読みやすく訳しやすいと思っている。実際、英文記事より、(それほど読むわけではないが)学者の書いた本の方がわかり易かったりする。その点チョムスキーの文章は、その多くが彼のスピーチに基づいているせいもあるだろうが、把握し易い。

 このインタビューは、今年4月末日に発表されたもので、彼の著書『オキュパイ』にも収録されており、そこからの抜粋であるとのこと。興味深く読んだのは、後半三分の一ほどで、共和党も民主党も政党としての(つまり有権者を代表するという)役割を放棄したと語る部分だ。

 たまたま、チョムスキーの『現代世界で起こったこと』を再読する機会があったが、そこで彼がレーガン元大統領について述べているのは、いかにアメリカ大統領が、実際の権力者たち(資本あるいは企業と言ってもいい)の傀儡と化したかということだった。彼によれば、こうした事態はアメリカ史上初めてのことではないかと言う。

 もちろんこれは、その後登場したブッシュ・ジュニアについて、はるかに良く当てはまる。現在の日本では、こうした例は、橋下大阪市長や野田首相に見られる。それ程注意深い観察者でなくとも、彼らに政治的信念がなく、実際の権力のエージェントとして機能していることが、見て取れるだろう。新自由主義とは、おそらく政治的には民主主義の限りなき空洞化である。

by BeneVerba | 2012-06-07 20:41 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full


――不可避の未来に希望を広げるために


 気候保護派の一部は、融和戦略に対して激しく押し返している。ティム・デクリストファー――石油とガスの賃貸のオークションを妨害したためにユタ州で二年の投獄の判決を受けた――は、五月に、気候保護活動は経済を転覆させるとする右派の主張に対してこう述べた。「私たちはその非難を甘んじて受けなければならないと思う」と、彼はインタビュアーに語った。「私たちは経済を破壊しようとしているわけではない。だが、そう、私たちはそれを逆さまにひっくり返すことを望んでいる。私たちは、何を変えたいのかという、自分たちのヴィジョンを隠そうとすべきではない――私たちが創造したいと願っている世界は健康なものだ。私たちは小さな移行を求めない。私たちが望むのは、経済と社会のラディカルな見直しだ」。さらに彼はこう付け加えた。「私たちがいったんこのことを語り始めれば、予想よりも多くの仲間たちを見つけることができると思う」。

 デクリストファーが、気候保護活動が深い経済的な変容と結びつくという、このヴィジョンをはっきりと表明した時、それは確かにほとんどの人にとって、白昼夢のように聞こえた。しかし、その五ヶ月後、「ウォール街を占拠せよ」の人々が数百の都市で広場や公園を占拠すると、それは予言的に聞こえるようになった。アメリカ人の大部分は、実際的なものから精神的なものまで多くの面において、この種の変容をずっと求めていたのだ。

 この運動の初期の文書では、気候変動は後知恵のような扱いこそ受けているが、環境保護意識は、当初からOWSに織り込まれていた。ズコッティ公園での台所の排水を植物の灌漑に用いる洗練された「排水(gray water)」濾過システムから、オキュパイ・ポートランドの寄せ集めの共同体庭園まで。オキュパイ・ボストンのラップトップ・コンピューターと携帯電話は、自転車発電機で電力を供給され、オキュパイDCは太陽光パネルを設置した。また、OWSの究極の象徴である人間マイクロフォンは、まさしく脱二酸化炭素の解決策に他ならない。

 そしてまた、新しい政治的つながりが形成されつつある。石炭産業に出資しているバンク・オブ・アメリカを標的とする「熱帯雨林行動ネットワーク(Rainforest Action Network)」は、差し押さえに関して銀行に狙いを定めているOWSの活動家たちと、共通の大義を生み出した。反水圧破砕法の活動家たちは、ガスが流れるようにするために、地球の岩盤を破壊しているのと同じ経済的モデルが、利益が流れるようにするために、社会的な岩盤を破壊していると指摘した。そして、キーストーンXLに反対する歴史的な運動は、この秋に、気候保護活動を、ロビイストの事務所から決定的に引きずり出し、街頭へと(また監房へと)連れ出した。反キーストーンの運動家たちは、汚染度の高いタールサンド石油を、この国でももっとも脆弱な土地を越えて運んでいるパイプラインには「限定的な環境的逆行インパクト」があると、国務省に結論させた腐敗したプロセスを、企業による民主主義の乗っ取りに関心がある全ての人は、これ以上見つめる必要はないと述べた。350.org のフィル・アロノーが言ったように、「もしウォール街がオバマ大統領の国務省と国会議事堂を占拠しているのなら、今度は民衆がウォール街を占拠する頃合いだ」。

 だが、これらのつながりは、企業権力の共有された批評を超えている。占拠者たちが、私たちのまわりの全てを破壊するそれを取り除いて、どのような種類の経済を築くべきかを自らに問うとき、多くの者たちは、この一〇年間で根づいてきたグリーン経済オルタナティブのネットワークから、インスピレーションを受けることだろう。その共同体管理による再生可能エネルギー・プロジェクト、共同体支持による農業と農民市場、実体経済を生き返らせた経済的地域化政策、そして協同組合部門の中に。既にOWSのあるグループが、この運動初のグリーン労働者の協同組合(印刷機)を発足させようと計画している。地域の食料活動家たちは、「食料システムを占拠せよ!」という呼びかけを行った。そして一一月二〇日には、共同体の建物のためにクラウドソースを用いてソーラーパネルを買う試み「屋上を占拠せよ」が始まった。

 これらの経済モデルの利点は、排出を削減しつつ、雇用を創出し、共同体を生き返らせるだけでない。それらはまた、そうすることで体系的に権力を分散させるのだ。これは一%による、一%のための経済へのアンチテーゼである。南ブロンクスのグリーン労働者協同組合の創設者の一人、オマル・フレリア(Omar Freilla)は、広場や公園で数千の人々が参加している直接民主主義の経験は、多くの人にとって、「自分が持っていたとは知らなかった筋肉を使うようなものだ」と語る。そして、彼が言うには、人々はさらに民主主義を求めている。集会においてだけでなく、共同体の計画や職場においても。

 別の言葉で言えば、文化は急速に移行しつつある。そして、これがOWS運動を真に特異なものにしている理由である。「貪欲がはびこっている」とか「あなたを気にかけている」といったプラカードを掲げた占拠者たちは、初めから、彼らの抗議運動を、狭い政策的な要求に閉じ込めないことに決めた。その代わりに彼らが選んだのは、経済危機を作り出した原因である蔓延する貪欲と個人主義の基礎となる価値観に狙いを定め、その一方で、お互いを取り扱い、自然界と関わり合うための根本的に異なるやり方を――非常に目立つ方法で――体現することだった。

 文化的価値観を移行させようとするこの意図的な試みは、「現実」の闘争からの逸脱ではない。私たちがその到来をもはや不可避にした困難な未来において、全ての人に平等な権利があり、深い同情の能力があるという確固とした信念は、人間性と野蛮の間に立つ唯一のものとなるだろう。気候変動は、私たちに厳格な締め切りを課すことによって、まさにこの重大な社会的生態学的変容のための、触媒としての機能を果たすことができる。

 結局のところ、文化とは流動的なものだ。文化は変わることができる。常に文化の変容は起きてきた。ハートランド会議の代表者たちもこのことを知っており、それこそ彼らが、自分たちの世界観が地球の生命にとって脅威であることを示す証拠の山を隠蔽しようと、固く決意している理由なのだ。残りの私たちに課せられているのは、同じ証拠に基づいて、全く異なる世界観が私たちの救済となることを信じることである。



訳者コメント:
 彼女のTwitterによれば、ナオミ・クラインの次回作の一部もしくはその草稿のようなものであるらしい「〈資本主義〉対〈気候変動〉(Capitalism vs. the Climate)」と題された長文論説の全訳を分割して公開。文字数制限のためコメントは割愛。目次はこちら

by BeneVerba | 2012-06-03 11:08 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full


――気候変動が導くヴィジョンと左派の役割


 この場所こそが、極右イデオロギーと気候変動否定論が、真に危険なものになる交差点だ。これらの「冷たいやつら」が気候科学を否定するのは、単にそれが彼らの優位を基盤とした世界観を転覆する脅威であるからではない。彼らの優位を基盤とした世界観は、発展途上国の膨大な人類を帳消しにできる知的な道具なのだ。共感を拒絶するこうした思考様式が提示する脅威を認識することは、とてつもなく緊急の問題だ。なぜなら気候変動は、少し前のように、私たちの道徳的性格を試すだろうからだ。環境保護庁の二酸化炭素排出規制を防ごうと活動する、アメリカ商工会議所は、地球温暖化の最中にも「人々は、行動的な、生理学的な、技術的な適応などによって、暖かな気候に順応することができる」と、請願書で述べた。そうした適応こそが、私がもっとも心配するものだ。

 どのように私たちは、ますます強烈かつ頻繁になる自然災害によって、ホームレスや失業者を作り出した人々に順応するのだろうか?どのように私たちは、海岸に穴の空いたボートでやって来る、気候難民を取り扱うのだろうか?私たちが、彼らが逃亡してきた危機を作り出したことを認識して、国境を開放するのだろうか?それとも、ハイテク要塞を築いて、厳しい反移民法を採用するのだろうか?どのように私たちは、希少な資源を取り扱うのか?

 私たちは答えを既に知っている。希少な資源を求める企業は、より略奪的かつ暴力的になるだろう。アフリカの耕地は、豊かな国に食料と燃料を供給するために、略取され続けるだろう。干魃と飢饉は、遺伝子操作された種子を押し付けるための口実として、使われ続け、農民たちを更なる負債へと押しやるだろう。私たちは、最後の一滴を絞り出すとてつもなく危険な技術を用いて、ピークに達した石油とガスを乗り越えようと試み、地球のさらに大きな一帯を犠牲地に変えるだろう。私たちは、国境を要塞化し、海外の資源紛争に介入するか、自らそうした紛争を始めるだろう。「自由市場による気候変動の解決」と彼らが呼ぶものは、二酸化炭素排出量取引とカーボン・オフセットとしての森林の使用に関して既に見られるように、投機、詐欺、縁故資本主義を引き寄せるだろう。そして、気候変動が貧困層だけでなく、富裕層にも悪影響を及ぶようになると、気温を下げるために、大きな未知のリスクを無視して、私たちは加速度的に、その場しのぎの技術を探し求めるだろう。

 世界が温暖化するにつれて、犠牲者は彼らの運命だったのだ、私たちは自然を克服することができる、全員に責任があると説く支配的イデオロギーが、実際に私たちを寒冷地に連れて行くだろう。それは寒くなり続け、否定運動の一部の表面下にかろうじて存在する人種的優越性の理論が、猛威を振るって復活するだろう。これらの理論は選択的なものではない。南半球やニューオーリンズのようなアフリカ系アメリカ人が人口の多くを占める都市で、大部分は非難するところのない犠牲者たちに対する、心情の硬化を正当化するために必要なのだ。

 『ショック・ドクトリン』の中で、私は、危機を生み出した原因を解決するよりも、はるかにエリートを富ませるようにデザインされた、暴力的イデオロギー的アジェンダを押し付けるために、右派がいかに体系的に危機――本物であれでっち上げであれ――を利用してきたかを探求した。環境危機が悪化し始めると、例外はないだろう。これは全く予想可能である。私たちの現体制は、共有財を私有化し、災厄から利益を得る新しい方法を求めるべく築かれたものである。このプロセスは既に進行中である。

 唯一のワイルド・カードは、何らかの相殺的な民衆運動が立ち上がり、この冷酷な未来に対する実行可能なオルタナティブを提示することだ。それは、オルタナティブな一連の政策を提案するというだけでなく、環境危機を生み出した世界観に匹敵するオルタナティブな世界観を提示するということだ。今度は、超個人主義よりも相互依存性が、優先権よりも相互利益が、階層秩序よりも協働体制が組み入れられなければならない。

 文化的価値観の移行は、間違いなく、困難な注文だ。一世紀前に諸運動が闘ったような野心的なヴィジョンが要求されるだろう。あらゆるものが単一の「問題」に砕け散り、職業意識を持ったNGOの適当な部門によって、取り組まれるようになる以前の話である。気候変動は、「気候変動の経済学についてのスターン・レビュー」の言葉を借りれば、「私たちがこれまで見た中でも最大の市場の失敗」なのだ。あらゆる面から見て、この現実は進歩派にとって確信的な追い風であり、自由貿易から、金融投機、産業的農業、そして第三世界の債務までの全てに対する長年の闘いに、新たな活気と緊迫性を吹き込むものでなければならない。その一方で、これらの闘争を優雅な織物として、地球の生命をどう守るかという、首尾一貫した物語に仕立てなければならない。

 だが、そうしたことは起こっていない。少なくとも今はまだ。ハートランドの人たちが、気候変動は左翼の陰謀だとせわしなく呼びかける一方で、ほとんどの左翼はまだ、気候科学が彼らにウィリアム・ブレイクの「闇のサタンの工場(dark Satanic Mills)」以来、資本主義に抗するもっとも強力な論議を手渡したことに気付いていないことは、苦しい皮肉である(もちろん、それらの工場は気候変動の始まりだったのだ)。デモの参加者たちが、アテネ、マドリッド、カイロ、マディソン、ニューヨークで政府と企業のエリートたちの腐敗を非難している時、気候変動は、資本主義に対するとどめの一撃であるべきにもかかわらず、しばしば脚注に毛が生えた程度の扱いしか受けていない。

 問題の半分は、進歩派――高失業率やいくつもの戦争などの問題で手一杯だとはいえ――に、巨大な環境保護グループたちが気候変動の問題を担当してくれると、思い込む傾向があることだ。残りの半分は、それらの巨大な環境保護グループの多くが、恐怖症的な正確さで、まばゆいほどに明白な気候危機の原因――グローバリゼーション、規制撤廃、永遠の成長を求める近代資本主義(経済の残りの破壊に対して責任があるのと同じ力である)――に関するあらゆる真剣な議論を避けていることだ。小規模だが立派な気候正義運動――レイシズム、不平等、環境的脆弱性のつながりを描き出そうとしている――が、揺らぐ橋を両者の間に架けようとしているものの、結果的には、資本主義の失敗と闘う者たちと気候変動と闘う者たちは、互いに孤立したままである。

 他方で右翼には、地球規模の経済的危機を利用して、環境保護運動に、経済的アーマゲドンのレシピ役を割り当てる自由がある。住宅費を上げ、石油採掘やパイプライン建設の雇用を阻止する必勝法である。経済的かつ環境的な危機から抜け出すための新しい経済的パラダイムに、競合するヴィジョンを提供する大きな意見が、実質的に存在しないため、この恐怖を利用した政策は、既に支持者を得ている。

 過去の過ちから全く学ぶことなく、環境保護運動の中の強力な党派は、気候変動で勝利するための方法は、抗議を保守的な価値観にも合うようにすることだと主張して、同じ破滅的な道をさらに遠くまで強行している。これは熱心な中道派であるブレイクスルー協会(Breakthrough Institute)から聞こえてくる意見だ。同協会は、有機農業と再生可能エネルギーの代わりに、産業的農業と原子力を受け入れるように環境保護運動に呼びかけている。こうした意見はまた、気候変動否定論者の増加を研究している研究員の何人かからも聞いた。例えば、エール大学のカーンのような人々は、「階層秩序的」で「個人主義的」だと調査結果が出た人たちは、規制へのあらゆる言及に反発する一方で、人類は自然を支配できるという彼らの信念を確かなものにする、大規模で中央集権的な技術を好む傾向がある。そこで、彼やその他の人々は、環境保護主義者たちは、国家安全保障への懸念を重視するだけでなく、原子力や地球工学(地球温暖化を中和するために、意図的に気候系に介入すること)といった反応を強調することから始めるべきだというのだ。

 この戦略の第一の問題は、これがうまくいかないということだ。何年間も、巨大な環境保護グループは、アメリカにおいては「自由市場による解決」だけが実質的に唯一の提案である中で、気候保護活動は「エネルギーの安全保障」を強化する方法だと主張してきた。その間に、否定論は急増した。このアプローチのさらに問題ある点は、否定論を動機付けている歪んだ価値観に挑戦するよりも、それを強化してしまうことだ。原子力は地球工学は、環境危機に対する解決法ではない。それらは、私たちをこの惨状に追いやったものと同じ種類の短期的で傲慢な思考を、さらに倍加したものである。

 自分たちが宇宙の支配者だと未だに考えている、パニックを起こし、誇大妄想に陥ったエリートの一員たちを安心させるのは、変容力のある社会運動の仕事ではないし、その必要もない。「冷たいやつら」の共同研究者マクライトによれば、もっとも極端で強情な気候変動否定派(その多くは保守派の白人男性)は、アメリカの人口では少数派であり、およそ一〇%である。実際、この人口統計は、権力者の地位に過剰な代表があることを示している。しかし、問題の解決法は、民衆の多数派が思想と価値観を変えることではない。解決法は、この小規模だが不釣り合いにも影響力のある少数派――そして無謀な世界観も代表している――が行使する力を著しく削ぐことである。

  * * *



訳者コメント:
 彼女のTwitterによれば、ナオミ・クラインの次回作の一部もしくはその草稿のようなものであるらしい「〈資本主義〉対〈気候変動〉(Capitalism vs. the Climate)」と題された長文論説の全訳を分割して公開。文字数制限のためコメントは割愛。目次はこちら。続きはこちら

by BeneVerba | 2012-06-03 11:07 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full


――階級的特権と気候変動否定論の関係


 ハートランド会議――アイン・ランド協会からヘリテージ基金までの全員が、書籍とパンフレットを呼び物にしたテーブルを構えていた――では、それらの心配が表面の近くまで達していた。バストは、ハートランドの気候科学反対キャンペーンは、科学的事実が要請する政策に対する恐怖から生まれたものだという事実を明かにした。「私たちがこの問題を眺める時、これは政府の役割を大幅に増大させるためのレシピじゃないか、と言います……。私たちがこの段階を踏む前に、科学に対して別の見方をしてみましょう。そこで、保守派とリベラル派の集団は、私が思うに、立ち止まってこう言ったのです。信念の問題として、単にこれを受け入れないことにしようと。私たち自身で本物の調査を始めようじゃないかと」。これは彼らを理解するための重要な点だ。否定論者を駆り立てているのは、気候変動の科学的事実への反対というよりも、それらの事実が現実世界で意味する政策への反対なのだ。

 バストが述べた――例え不注意であっても――のは、気候変動の原因に関する劇的な移行を説明しようと、増え続ける社会科学者たちの集団から、最近大きな注目を集めている現象のことだ。エール文化認知プロジェクト(Yale’s Cultural Cognition Project)の研究員たちは、政治的/文化的な世界観が、「個人の地球温暖化についての信念を、他の全ての個人的性格よりも強力に」説明することを発見した。

 「平等主義的」で「コミュニタリアン」的な世界観(集団行動や社会的正義への傾向、不平等への関心、企業の権力への疑念によって特徴付けられる)を強く持つ人々は、気候変動についての科学的コンセンサスを圧倒的に受け入れている。それに対して、「階層秩序的」で「個人主義的」な世界観(貧困層やマイノリティへの政府の援助に対して反対、産業界を強く支持、自分にふさわしいものは自分で手に入れるとする信念を強く支持)を強く持つ人は、科学的コンセンサスを圧倒的に拒絶していた。

 たとえば、もっとも強く「階層秩序的」世界観を示すアメリカの人口層では、たったの一一%のみが、気候変動を「高リスク」と評価するに過ぎない。もっとも強く「平等主義的」世界観を示す人々の層の六九%と比べるといい。この研究の指導者エール大学の法学教授ダン・カレンは、この「世界観」と気候科学の受容の間の緊密な相関関係を、「文化的認知」に結びつけている。これは、自らの抱く「良い社会の選好的ヴィジョン」を守るための方法に従って、私たちの全て――政治的傾向にかかわりなく――が、新しい情報をフィルターにかけるプロセスのことを意味する。カーンが『ネイチャー』誌で論じているように、「高貴だとみなされる振る舞いが、そうであるにもかかわらず社会にとって有害であり、卑しいとみなされる振る舞いが社会にとって有益だとわかると、人々は当惑する。なぜなら、そうした主張を受容すれば、自分の仲間との間にくさびが入るかもしれないからだ。人々はそれを拒絶する強力な感情的傾向を持っている」。言葉を換えるなら、自分の世界観が崩壊するのを見つめるよりも、現実を否定する方がいつでも簡単だということだ。頑迷なスターリン主義者が粛正の絶頂にあった時に真実だったように、今日ではリバタリアンの気候変動否定論者がそうだということである。

 強力なイデオロギーは、現実世界の動かしがたい証拠によって脅かされても、完全に死ぬことはまれである。それどころか、カルト的で周縁的なものへと変容する。わずかな本物の信奉者たちは、いつもお互い同士の間で、問題はイデオロギーにあるのではなく、充分に厳格な規則を適用できない指導者たちの弱さにあると語る。これらのタイプ人物像は、スターリン主義左派に見て取れるが、ネオナチ右派についても同様に存在している。歴史のこの時点において、自由市場原理主義者たちは、『選択の自由』と『肩をすくめるアトラス』を密かに愛でるために残して置き、似たような周縁的地位へと追放されるべきである。彼らがこの運命から逃れている唯一の理由は、単に彼らの最小政府というアイディア――いくら現実と矛盾していることが明らかであっても――が、チャールズとデビィッド・コークや、エクソンモビルなどのシンクタンクに面倒を見て貰っている、世界中の百万長者たちにとって、大変に有益であり続けているからである。

 これは「文化的認知」のような理論の限界を指し示している。否定論者は、彼らの文化的世界観を守るためによくやっている。彼らは、気候変動に関する議論を混乱させて、利益を得るために、強力な利害関係を守ろうとしている。否定論者と利害関係者の絆は、よく知られており、はっきりと記録されている。ハートランド協会は、コーク兄弟とリチャード・メルソン・スカイフに連なる財団とともに、エクソンモビルから一〇〇万ドル以上のお金を受け取っている(他にもいるかもしれないが、このシンクタンクはそうした情報が「私たちの立場の利点」を逸らすと主張して、寄付者の名前の公表を止めてしまった)。

 そして、ハートランドの気候会議に出席する科学者たちは、ほとんど全員が化石燃料のドル箱に足を突っ込んでおり、ほとんどその臭いを嗅ぐこともできるほどだ。二つの例を引用すると、会議で基調講演を行ったカトー協会のパトリック・マイケルは、かつてCNNに対して、彼のコンサルタント会社の収入の四〇%は、石油会社からのものだと述べたことがある。そして、残りのどれだけが石炭会社からのものだと誰が知っているだろう。会議でのもう一人の講演者、天体物理学者のウィリー・スーンに対するグリーンピースのある調査は、二〇〇二年以来の新調査の補助金が化石燃料関係からだと明らかにした。また、気候科学を損なおうとする強い動機を持つ経済的利害関係者は、化石燃料会社だけではない。もし、この危機を解決するために、私が概要を述べたような、種々の根本的な経済秩序の変革が必要なら、規制緩和、自由貿易、低い税率から利益を得ている全ての大企業はそれを恐れる充分な理由がある。

 これらの論点からすると、気候変動否定派が、全体的に見て、私たちのひどく不平等で機能不全の経済的現状に、もっとも投資している人々だというのは、少しばかりの驚きかもしれない。気候変動の受容に関する研究でもっとも興味深い発見の一つは、気候変動の科学の拒絶と社会的経済的特権の間に明らかなつながりがあることだ。圧倒的にも、気候変動否定派は保守派であるだけでなく、白人男性――平均よりも高収入の集団――なのだ。そして彼らは、どれほど明白な間違いであれ、他の成人集団よりも自分たちの見方について自信を持っている。かなり話題になったアーロン・マクライトとライリー・ダンロップによる(忘れがたくも「冷たいやつら(Cool Dudes)」という題名の)この問題に関する論文は、自信に満ちた保守的な白人男性は、集団として、残りの調査対象の成人に比べておよそ六倍ほど、気候変動が「決して起きないだろう」信じる傾向があることを発見した。マクライトとダンロップは、この違いについて簡単な説明を提示している。「保守的な白人男性は、偏ったことに、私たちの経済システムの中で権力を持つ地位を占めている。気候変動が産業資本主義経済体制に提示する広範な挑戦によって、保守的な白人男性の持つシステムを強く正当化する態度が、気候変動を否定する要因となるのは、驚くべきことではない。

 しかし、否定論者の相対的な経済的社会的特権は、新しい経済秩序によって、より多くのものを失う理由を与えるだけではない。何よりもそれは、彼らに気候変動のリスクについて、楽観的な態度を取る理由を与えるものでもある。これは、ハートランド会議で講演者のまた一人が、気候変動の犠牲者への共感の完全なる欠如と呼ぶしかないものを示すのに、耳を傾けていた時に私が体験したことだ。自己紹介に「宇宙建築家(space architect)と記すラリー・ベルが、群衆に少しの温暖化はそう悪くないといって多くの笑いを誘った。「私はわざわざヒューストンに引っ越したんだ!」(当時ヒューストンは、アメリカ史上最悪の一年間の干魃と後に判明するものの真っ最中だった)。オーストラリアの地質学者ボブ・カーターは、「私たち人類の見地からすれば、温暖化時代において、世界は実際良くやっている」と提示した。そして、パトリック・マイケルは、気候変動を心配する人々は、一万四〇〇〇人の市民が死んだ二〇〇三年の壊滅的な熱波の後に、フランス人たちがやったことを見習うべきだと発言した。「彼らは、ウォルマートとエアコンを発見したんだ」。

 これらの冗談に耳を傾けている間にも、「アフリカの角」〔アフリカ最東北端の地域〕で、一千三〇〇万人と見積もられる人々が乾いた大地の上で飢餓に直面していることは、深く心をかき乱す事実である。彼らの無関心を可能にしているのは、もし否定論者が気候変動について間違っていたとしても、数度の温暖化は先進国の豊かな人々が心配するほどのものではないという固い信念だ(「雨が降れば、避難所を見つける。暑くなれば、日陰を見つける」と、エネルギーと環境小委員会の聴聞会で、テキサスの議員ジョー・バートンは述べた)。

 その他のあらゆる人々はと言えば、つまり、彼らは施しを求めるのを止め、貧乏から抜け出すのに忙しくすべきだった。気候温暖化に彼らが適応するための費用を支払って、貧困国を助ける責任が富裕国にはあるか、とマイケルに尋ねた時、彼は、それらの国々にお金を与える理由は何もない、「なぜなら、いくつかの理由で、彼らの政治体制には、温暖化に適応する能力がないからだ」と、嘲笑した。本物の解決策は、彼の主張によれば、もっと自由貿易をすることだった。

  * * *


訳者コメント:
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〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full


――気候変動への対応策と資本主義


 さて、要約しよう。気候変動に対応するには、私たちは自由市場のルールブックに記載されているあらゆる規則を破る必要があり、それも緊急にそうする必要がある。私たちは公共圏を再建し、私有化を逆転させ、経済の大部分を再地域化し、過剰な消費を縮小し、長期的な計画を復活させ、企業を厳しく規制して高い税率を課し(そのうちのいくつかはおそらく国有化し)、軍事費を削減し、南半球に対する私たちの債務を認識する必要がある。もちろん、企業が政治プロセスに与えている影響力を減らそうとする、大規模かつ広範な努力なしには、これらの一つにさえ全く望みはない。つまり最低でも、公的資金を受けた選挙を実施し、企業から法の下にある「人〔法人〕」としての地位を剥奪することだ。手短に言うなら、気候変動とは、実質的に本に書かれた全ての進歩的な要求を、以前から存在した事例に詰め込んだものであり、明白な科学的要請に基づいて、それらを合わせて一貫した議題に仕立て上げたものである。

 さらに気候変動は、ケインズがヴェルサイユ条約からドイツの反動を予言して以来最大の、政治的な「だから言っただろ」を含んでいる。マルクスは資本主義の「生命それ自体の自然法」の「修復不可能な断絶」について書き、左派に位置する多く人々が、資本の飽くことなき欲望の解放に基づくシステムは、生命が拠って立つ自然体系を圧倒してしまうだろうと主張してきた。そして、もちろん先住民たちは、はるか以前から「母なる大地」を軽視することとの危険に対して、警告を発してきたのだ。産業資本主義が大気中に廃棄する物質が、地球を温暖化させているという事実は、潜在的な大激変の結果によって、そう、否定論者が正しかったことを示している。そして、「よし、規制を全部撤廃して、魔法が起きるのを見てみようじゃないか」と、言った人々たちは、どうしようもなく壊滅的に間違っている。

 これほど恐ろしい何かについて、正しい意見を持つことは喜ばしいことではない。だが、進歩派には、その責任がある。なぜなら、これが意味することは、私たちの思想――産業国家社会主義の失敗からも、先住民の教えからも学んだもの――が、これまでになく重要だということだからだ。それはつまり、単純な改良主義を拒否し、私たちの経済の利益の中心に挑戦する、環境保護的な左翼の世界観が、それらの多重危機を克服するための、人類にとっての最善の希望を提供しているということだからだ。

 しかし、しばらくの間、想像してみてほしい。これらの全てはどうして、シカゴ大学で経済学を学び、自らの個人的使命は「人々を他の人々の専政から解放すること」と述べる、ハートランドの会長バストのような男に見えるのだろう。まるで世界の終わりのようである。だが、もちろんそうではない。しかしそれは、あらゆる面から考慮して、彼の世界の終わりなのだ。気候変動は、その上に現代の保守派が乗っかっている、イデオロギー的な足場を爆破させた。前代未聞の規模で集団行動を要求する問題と、また、危機を作り出し深化させている市場の諸力を劇的に抑制することと、集団行動を中傷し完全な市場の自由を崇拝する信念体系を、調和させる術は単に存在しない。


  * * *



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――六つの領域における新経済への移行



1.公共圏の再生と再発明

 リサイクルとカーボン・オフセット、そして白熱電球の取り替えの年月が過ぎ去った後では、個人的な行動が気候危機への適切な反応ではないことは明白だ。気候変動は集団的な問題であり、集団的な行動を要求する。集団的な行動が行われるべき重要な領域の一つは、排出量を大幅に削減するべくデザインされた高額投資だ。つまり地下鉄、市街電車、ライトレールといった、どこにでもあるだけでなく、誰にとっても手ごろな交通機関のことだ。それらの輸送経路に沿って並ぶ、エネルギー効率に優れた手ごろな住宅。再生可能エネルギーを供給するスマート・グリッド配電。そして、私たちが可能な限り最善の方法を使っていることを確かめるための大規模な研究努力。

 民間部門は、これらのサービスのほとんどを提供するには、不向きである。なぜなら、それらには高額の先行投資が必要であるし、もしそれらが真に万人に開かれたものであるならば、成功する事例のいくつかは、おそらく儲からないからだ。しかしながら、それらは明らかに公共の利益に適っており、したがって、それらは公共部門によってもたらされるべきである。

 伝統的には、公共圏の保護のための闘いは、際限なき支出を望む無責任な左翼と、私たちが経済を超えた暮らしを営んでいることを理解している、実務的な現実主義者との間の紛争という役回りを与えられてきた。しかし、深刻な気候危機が強く求めているのは、自然の持つ限界についてのこれまでと全く異なる理解であり、ラディカルな新しい現実主義の概念である。政府の財政赤字は、生きている複雑な自然のシステムに対して、私たちが与えた損害ほどに危険なものではない。私たちの文化を、自然の限界を尊重するものに変革するためには、私たちの集団的力量の全てが要求されるだろう――化石燃料から抜け出し、来るべき嵐に備えて、共有インフラストラクチャーを補強するために。


2.経済計画の復興

 三〇年間にも及ぶ私有化の流れを反転させることに加えて、気候変動の脅威へ真剣に対応するために要求されるのは、市場原理主義のこの数十年の間絶え間なく中傷されてきた、ある技術を取り戻すことである。すなわち、計画である。非常にたくさんの計画である。それも国家的なレベルや国際的なレベルだけではない。世界中の全ての共同体は、化石燃料からの移行のための計画を必要とする。トランジション・タウン運動は、それを「エネルギー下降行動計画」と呼んでいる。この責任を真剣に受け止めた都市や街では、直接参加民主主義のための貴重な空間が、このプロセスによって切り開かれている。やがて来る困難な時代に備えて、隣人たちと市庁舎での協議会に詰めかけ、排出量削減のために、回復力を組み込むために、自分たちの共同体をどう再編成するかについてアイディアを分かち合っている。

 気候変動はまた、他の形態の計画も要求する。とりわけ、化石燃料から脱却するにつれて、彼ら仕事が時代遅れになるであろう労働者たちのための計画を。わずかばかりの「グリーンな職業」訓練を施すだけでは充分ではない。それらの労働者たちが知るべきなのは、向こう側では、本物の仕事が彼らを待っているということだ。つまり、企業利益よりも集団的優先度を基盤として、経済を計画するというアイディアを取り戻すのだ。レイオフされた自動車工場や炭鉱の被雇用者たちに、雇用を生み出すための道具と資源を与えるのだ。例えば、クリーブランドの労働者の運営によるグリーン生活協同組合がモデルとなるだろう。

 もし私たちが、土壌浸食、異常気象、化石燃料への依存という三重の危機に対処しようとするなら、農業もまた計画を再生しなければならないだろう。カンザス州サライナにある土壌研究所(Land Institute)の予言的な創設者であるウェス・ジャクソンは、「五〇年農場法」の成立を求めてきた。五〇年の長さは、彼と彼の協力者たち――ウェンデル・ベリー、フレッド・キルシェンマン(Fred Kirschenmann)ら――が、研究を実施し、土壌を流出させる単一栽培の一年生穀物を、同時栽培の多年生作物で置き換えるための、インフラストラクチャーを整えるのに見積もった時間だ。多年生作物は、毎年植え替える必要がないため、長い根は少ない水をたっぷりと蓄え、土壌をしっかりと保持し、二酸化炭素を隔離するのに優れている。同時栽培はまた、害虫や異常気象による死滅にも強い。他にもボーナスがある。こうしたタイプの農業は、産業的農業に比べてはるかに多くの労働力を必要とするために、農業は再び雇用の大きな源となることが可能だ。

 ハートランド会議や似たような趣旨の集会の外側では、計画の復権は全く恐れるべきことではない。私たちは、権威主義的な社会主義の復権について語っているのではない。つまりは、本当の民主主義を目指して方向を変えるということだ。三〇年間に渡る規制撤廃による開拓時代的経済の実験は、世界中の人々の大半を落伍者に変えた。これらの組織的な欠陥こそ、多くの人々が生活賃金を要求し、腐敗を終わらせようとして、公然とエリートたちに反逆している理由である。気候変動は、新しい種類の経済を求める要求と矛盾しない。どころか、気候変動はそれらの要求に実存的要請を付け加えるのだ。


3.企業部門の再規制

 私たちが着手すべき計画の重要な部分は、企業部門の迅速な再規制を要求する。インセンティブにより、多くのことを成し遂げることができる。例を挙げるならば、再生可能エネルギーや土地の受託責任への助成金などである。しかしまた私たちは、危険かつ破滅的な振る舞いを徹底的に禁止する習慣へと、復帰しなければならない。それはつまり、企業が排出可能な二酸化炭素総量の厳格な規制から、石炭火力発電所の新設の禁止、産業肥育場の取り締まり、アルバータ州タールサンドのような汚染度の高いエネルギーの抽出計画の閉鎖(延長計画が決定したキーストーンXLのような石油パイプラインから始めて)まで、様々な面で企業の活動を妨げるということだ。

 企業の活動や消費者の選択へのいかなる規制も、ハイエクの説く「隷従への道」につながるとみなすのは、人口のうちでもごくわずかな人々だけだろう。そして、それらの人々が、まさしく気候変動否定論の最前線にいるのは、決して偶然ではない。


4.生産の再地域化

 もし、気候変動に対応するための企業への厳しい規制が、どこかしら過激に響くならば、それは、一九八〇年代の初めから続いている、政府の役割は企業部門への規制を撤廃することだとする、信仰箇条のせいである。国際貿易の分野においては、とりわけそうである。製造業、地域産業、農業に対して、自由貿易が与えた壊滅的な衝撃はよく知られている。だが、全ての中でもっとも打撃を受けたのは、おそらく大気だろう。地球のあらゆる場所で、資源や製品を輸送する貨物船、ジャンボ・ジェット、重トラックは、化石燃料を貪り食い温室効果ガスを吐き出している。そして、修理のためではなく、買い換えのために製造される安価な製品群は、他の再生不可能な資源を大量に消耗しながら、安全に吸収できる以上の廃棄物を生み出している。

 このモデルがあまりにも浪費的なため、実際のところ、排出量削減を目指す慎ましい努力は、何倍も相殺されている。例を挙げれば、全米科学アカデミーの会報が、京都議定書に署名した先進国の排出量についての研究を最近発表した。それによれば、それらの国々の排出量は安定しているが、その理由の一部は、国際貿易が、中国のような場所に、汚い製造を移動させることを許しているからだという。研究者たちは、発展途上国において製造による排出量が増加しているが、先進国での消費による排出は、それらの国々での排出抑制量の六倍にもなると結論づけている。

 自然の持つ限界に対して敬意を払うべく組織化された経済においては、エネルギー大量消費型の長距離輸送は、製品がその地域では製造できない場合や、その地域での製造が二酸化炭素をより多く排出してしまう場合などを除き、制限されなければならない(例えば、アメリカの寒冷地帯での温室による食品の生産は、南部で食品を育てて経便鉄道で輸送するよりも、大量にエネルギーを消費するのが通例である)。

 気候変動は、貿易の終焉を要求するものではない。しかし、それは、あらゆる二国間貿易協定と世界貿易機関(WTO)を支配している、無謀な形態の「自由貿易」の終焉を要求する。失業中の労働者にとって、安い輸入品と競争できない農家にとって、製造業が海外に移転してしまったために、地域経済が巨大小売店に取って代わられた共同体にとって、これは良い知らせである。だが、資本主義の計画に対するこの挑戦的態度を、過小評価すべきではない。それは企業の持つ権力に課せられた、可能な限り全ての制限を取り除こうとするこの三〇年間の潮流を、逆転させることを意味するからである。


5.買い物カルトの終焉

 自由貿易、規制撤廃、私有化の過去三〇年間は、欲深い人々がより多くの企業利益を望んだ結果というだけではない。それはまた、一九七〇年代の「スタグフレーション」――それは、急速な経済発展のための方策を見つけようという、強烈なプレッシャーを生み出した――に対する応答でもあるのだ。その脅威は本物だった。私たちの現在の経済モデルでは、製造の落ち込みは、その定義上危機――停滞と呼ばれるにしろ、もっと深刻ならば、不況と呼ばれるにしろ、それらの言葉が暗に意味するあらゆる絶望と困難――なのだ。

 こうした経済成長への要請が、「着実なGDP成長を維持しながら、どうやって排出量を削減することができるのか?」と問いかけつつ、伝統的なエコノミストたちが、頼もしくも気候危機に接近している理由だ。通常の回答は「切断(decoupling)」である。つまり、再生可能エネルギーの普及と大幅な効率化の進展が、その環境的影響から、経済成長を切り離すという考え方だ。そし、てトーマス・フリードマンのような「グリーン成長」の支持者たちは、新しいグリーンな技術の開発とグリーンなインフラストラクチャーの設置というプロセスが、巨大な経済成長をもたらし、GDPを上昇させ、「アメリカをより健康に、より豊かに、より革新的に、より生産的に、より安全にする」ために、必要な富を生み出すと述べている。

 しかし、ここで話は複雑になる。ヨーク大学のピーター・ヴィクター、サリー大学のティム・ジャクソン、環境法と環境政策の専門家ガス・スペスらの他、メリーランド大学の生態学的エコノミスト、ハーマン・ダリーが率いる、経済成長と堅実な環境政策との衝突に関する、経済学的研究の一群がある。それらの全てが投げかける真剣な問いは、先進国の実行可能性と科学が要求する大幅な排出量削減(少なくとも二〇五〇年までに一九九〇年のレベルの八〇%)が衝突する一方で、ただでさえ不景気な経済を、成長させ続けなければならないというものだ。ヴィクターとジャクソンが主張するように、大幅な効率化は成長の速度に単についていけない。その理由の一部は、大幅な効率化は、ほとんど必ずより大量の消費を伴い、利益を減少させるか、打ち消してしまうからだ(しばしばジェヴォンズのバラドクスと呼ばれる)。そして、エネルギーの効率化と物質的な効率化がもたらす蓄えは、単により急激な経済の拡大に再投資されてしまい、排出量の総量の削減は妨げられてしまう。ジャクソンが『成長なき繁栄(Prosperity Without Growth)』で論じているように、「『切断』を成長のジレンマからの脱出口として奨励する人々は、歴史的な物証――そして成長の基礎的算術――をもっと詳細に観察する必要がある」のだ。

 結論としては、天然資源の過剰な消費がもたらす生態学的危機は、私たちの経済の効率性を改善することだけではなく、私たちが生産し消費する物質の総量を減少することによって対処しなければならない。とはいえこの考えは、グローバル経済を支配する大企業にとっては禁忌である。それらの企業は、毎年より多くの利益を求める自由気ままな投資家によって、コントロールされているのだ。ゆえに私たちは、ジャクソンが表現したように「体制を崩壊させるか、地球を破壊するか」という、支持しがたい苦しい立場に追い込まれている。

 打開策は、上記で議論されたあらゆる計画の手段を用いて、別の経済的パラダイムへの管理された移行を受け入れることである。経済成長は、今なお貧困から抜け出そうとしている世界の部分のために、保持されなければならない。一方先進国においては、毎年の利益の増加へと駆り立てられていない部門(公共部門、生活協同組合、地域産業、非営利団体)が、最低限度の環境的衝撃しか持たない部門(介護業など)と同様に、経済活動全般におけるシェアを拡大させなければならないだろう。このやり方なら、大量の雇用を生むことができるはずである。しかし、企業部門の役割は、構造的な理由から、売上げと利益の増加を要求するために、縮小しなければならない。

 したがって、ハートランドの人々が、気候変動は人類が引き起こしたという証拠を、資本主義そのものに対する脅威であるかのようにみなして反応していた時、彼らはパラノイアなどではなかったのだ。ただ単に、彼らは注意深かったということを、意味するだけである。


6.富裕層と守銭奴の税率引き上げ

 そろそろ、ここまでを読んだ賢明な読者は、こう訊ねることだろう。一体どうやって、私たちはそれら全てに支払う金を捻出するんですか?古くからある答えは、簡単なものだ。私たちが成長することで、生み出すのだ。実際、エリート向けの成長を基盤とする経済の主要な利点の一つは、社会的正義を求める要求を、彼らが継続的に先延ばしにするのを、それが許すことにある。もし私たちがパイを大きくしていくならば、やがては全員分のパイが得られるというわけだ。現在の不平等危機が暴いているように、それは常に嘘だった。だが、複数の環境的限界にぶつかっている世界では、この案に成功の見込みはない。したがって、環境的危機に対する有意義な反応に、資金を調達するための唯一の方法は、金のある場所へと向かうことだ。

 それはつまり、金融投機のみならず、二酸化炭素にも税を課すということだ。それにまた、企業と富裕層の税率を引き上げるということだ。膨大な軍事予算を削減し、化石燃料産業への馬鹿げた助成金を中止するということだ。そして、各国政府の役割は、企業が税金逃れをしないように、彼らの反応を調整することだ(この種の非妥協的な国際的調整機構は、ハートランドの人々が、気候変動は忌まわしき「世界政府」の先導役を務めるだろうと警告していた時に、意味していたものだ)。

 しかしながら、何よりも私たちは、私たちをこの惨状へと追いやったことについて、もっとも責任の重い諸企業の利益を追求しなければならない。上位五つの石油会社は、この一〇年間で九〇〇〇億ドルの利益を上げている。エクソンモービル単独で、四半期に一〇〇億ドルの純益を上げることが可能だ。数年間、これらの会社は、自分たちの利益は、再生可能エネルギーへの移行に投資されるだろうと誓約してきた(BPの「石油の超克」戦略は、そのもっとも人目を引く例だ)。だが、「アメリカの進歩のためのセンター(Center for American Progress)」の調査によれば、五大会社の二〇〇八年の利益を合計した一〇〇〇億ドルのうち、「再生可能エネルギー及び代替エネルギーに関する事業」に支出されているのは、わずか四パーセントのみである。その代わりに、彼らは自分たちの収益を、株主たちのポケットに、途方もない役員給与に、そして化石燃料よりも汚染度が高く危険な抽出技術に注ぎ込み続けている。大量のお金はまた、頭角を現してきた環境立法のあらゆる断片を撃退する目的でロビイストたちに、それにマリオット・ホテルに集まった気候変動否定派運動に資金を提供するために支払われている。

 タバコ会社が人々に、禁煙のための費用を支払うことを義務づけられるようになったのと同じく、BPがメキシコ湾の石油汚染を洗浄するために支払わなければならないのと同じく、現在は「汚染者が支払う」という原則を気候変動に関して適用する絶好の時だ。汚染者に対する高率の税金に加えて、各国政府は、化石燃料の抽出が少なくなるほど国庫歳入が増大するように、私たちの脱二酸化炭素を果たした未来への移行(と既にある気候変動の急激なコスト)をまかなえるように、より高いロイヤリティー率を取り決めなければならない。利益を削減するあらゆる新規則に、企業が抵抗することが予想される以上、国有化――自由市場最大のタブー――を、提案から除外することはできない。

 ハートランドの人たちが、しばしばそうするように、気候変動は「富の再配分」と階級戦争を目指す陰謀だと主張する時、それらの言葉が意味するのは、彼らがもっとも恐れている政策がそれらだということだ。彼らはまた、いったん気候変動の現実が認識されるようになると、富裕国の内部だけでなく、その排出が危機を作り出した富裕国から、危機の最前線にある貧困国へと、富が移送されることを理解している。実際、国連の気候変動に関する交渉を葬り去るべく、保守派(と多くのリベラル派)をそんなにも熱心にさせている理由は、発展途上世界の各地域でポストコロニアルな勇気が復活し、多くの思考が永遠に消え去ったからである。誰に地球温暖化の選任があり、誰が最初かつ最悪にその影響に苦しむのかという、反駁不可能な科学的事実で武装した、ボリビアやエクアドルといった国々は、世界通貨基金と国際銀行の融資による数十年間によって、彼らに押し付けられた「債務国」という外套を脱ぎ捨てようと試み、今や自らを「債権国」と宣言するようになった。気候変動に対処するための財源と科学技術だけでなく、開発のための「大気圏」にも貸しがあるのだ。

  * * *



訳者コメント:
 彼女のTwitterによれば、ナオミ・クラインの次回作の一部もしくはその草稿のようなものであるらしい「〈資本主義〉対〈気候変動〉(Capitalism vs. the Climate)」と題された長文論説の全訳を分割して公開。文字数制限のためコメントは割愛。目次はこちら。続きはこちら

by BeneVerba | 2012-06-03 11:04 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full


――気候変動否定派から裏返しに学ぶ


 否定論者たちは、何らかの隠された社会主義的陰謀を暴き出した結果、気候変動は隠された左翼の陰謀だと判断したわけではない。彼らは、気候科学が要求する徹底的かつ急速な地球規模の排出量削削減を行えばどうなるか、詳細に検討した結果この分析に到達したのだ。彼らは、彼らの信念体系である「自由市場」とは逆向きに、私たちの経済的政治的システムを再編成した時にのみ、それは可能だと結論づけた。イギリスのブロガーでハートランド協会の常連、ジェイムス・デリングポール(James Delingpole)は、こう指摘する。「現代の環境保護運動は、左派が重視する主張の多くを、成功裏に前進させている。富の再分配、増税、より大きな政府の介入、規制の強化」。ハートランド協会会長のバストは、同じことをもっとあけすけに表現する。左派にとって、「気候変動は最高の逸品だ……。それこそ私たちが、[左派が]なんとしても成し遂げたいと思っていることを、全てやらなければならない理由だ」。

 私が見つけ出した都合の悪い真実はこうだ。彼らは間違っていない。これ以上話を先に進める前に、私の態度をきっぱりと明らかにしておきたい。九七%の世界の気候科学者が証明するように、ハートランドの人たちは科学について完全に間違っている。化石燃料を燃焼することで大気中に排出される温室効果ガスは、既に気温の上昇を引き起こしている。もし、私たちがラディカルに異なるエネルギーを選択しなければ、この一〇年の終わりまでには、私たちは苦しみに満ちた世界に住むことになる。

 だが、それらの科学的知見が実社会にもたらす結果に関して、とりわけ、必要とされるある種の根深い変化については――エネルギー消費ではなく、私たちの経済システムの基礎となるロジック――マリオットホテルに集まっていた聴衆たちの方が、多くの環境保護の専門家よりも、よほど現実から目を背けていない。地球温暖化ハルマゲドンを示して見せてから、「グリーン」な製品を買い、賢い汚染の市場を作ることで、私たちは破局を避けることができると保証する輩のことだ。

 私たちが排出する二酸化炭素の総量を、地球の大気が安全に吸収できないという事実は、より大きな危機の徴候である。私たちの経済モデルが基礎を置く中心的フィクションの一部は、資源は無限であり、私たちはいつでも必要なものを見つけだすことができ、もし何かの資源が尽きてしまっても、途切れることなく他の資源に置き換えることが可能なので、私たちは終わりなく資源を抽出できるというものだ。だが私たちが、自然の回復力を越えて搾取しているのは、大気だけではない。私たちは同じことを海に対して、水に対して、表土に対して、生命の多様性に対して行っている。だが、資源の抽出にとらわれた拡張論――この論理が、資源に対する私たちの関係を長いこと支配してきたのだが――は、気候危機が投げかける根本的な疑問に晒されている。私たちが、その限界を超えて自然を酷使してきたことを示す豊富な科学的研究は、グリーン・プロダクトと市場に基盤を置いた解決策だけを要求しているのではない。それは、新しい文明的なパラダイム――自然に対する支配に根ざした文明ではなく、再生する自然の循環に対する尊敬に根ざした文明――を、要求しているのだ。人間の知性を含む、自然が持つ限界に対して極めて敏感な文明を。

 したがって、ハートランドの仲間たちに、気候変動は「本当の問題ではない」といった時、クリス・ホーナーはある意味で正しかった。実際のところ、それは全くもって問題ではない。気候変動は、メッセージなのだ。私たちの文化がもっとも大切にしてきた思想の多くが、もはや有効ではないことを告げるメッセージである。そこにあるのは、啓蒙的な進歩の理想で育ち、自然の限界の中に自分たちの野心を留めておく習慣のない、私たち全てにとって、根本的な取り組みを必要とするいくつもの啓示である。そしてそれは、国家統制主義の左派にとってと同じく、新自由主義の右派にとっても真実なのだ。

 環境保護運動について、アメリカ人を震え上がらせるために、ハートランドの人々が共産主義の幽霊を召喚することを好む(ハートランド会議のお気に入りであるチェコ共和国大統領ヴァーツラフ・クラウスは、地球温暖化を防ごうとする試みは、「社会全体を統制したいという共産主義国の中央計画官の野望」に類似するものだと言う)が、現実にはソヴィエト時代の国家社会主義は気候への災厄だった。それは資本主義と同じくらいの熱意で資源をむさぼり喰らい、無謀なまでに廃棄物を吐き出したのだ。ベルリンの壁が崩壊する以前、チェコ人とロシア人は、彼らの西側の対照物であるイギリス、カナダ、オーストラリアといった国々よりも、一人当たりでより多くのカーボン・フットプリント値を保持していた。その一方で、何人かの指摘によれば、中国の再生可能エネルギー計画の目が眩むような拡張は、中央集権的な体制のみがグリーンな政策をやってのけることができることを示しており、破壊的な巨大ダムや、高速道路の建設、抽出に基盤を置くエネルギー計画(とりわけ石炭)を通して、中国の指揮統制型経済は、自然との全面戦争に対して抑制的であり続けている。

 気候変動の脅威に対処するためには、あらゆるレベルで強い政府の行動が要求されるというのは真実だ。しかし、気候変動に対する本物の解決策は、地域社会のレベルへと、そうした介入を組織的に分散し、権力と管理を委ねて行くことだ。地域社会が管理する再生可能エネルギーであれ、地域の有機農業であれ、正真正銘の使い手に納得のいく輸送システムであれ。

 そこにこそ、ハートランドの人々が恐れるべき、もっともな理由があるのだ。そうした新しいシステムの出現は、三〇年以上に渡って世界経済を支配して来た、自由市場のイデオロギーをずたずたに引き裂くことを必要とするだろう。以下に記すことは、気候変動という深刻な課題が、次の六つの領域で何を意味するのかさしあたっての概観である。公共インフラストラクチャー、経済計画、企業への規制、国際貿易、消費、そして課税。ハートランド会議に集まっていたような極右イデオローグたちにとって、これらがもたらす結果は、まさに知的な大変動に他ならない。

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訳者コメント:
 彼女のTwitterによれば、ナオミ・クラインの次回作の一部もしくはその草稿のようなものであるらしい「〈資本主義〉対〈気候変動〉(Capitalism vs. the Climate)」と題された長文論説の全訳を分割して公開。文字数制限のためコメントは割愛。目次はこちら。続きはこちら

by BeneVerba | 2012-06-03 11:03 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full


――科学的合意の拒絶へと向かう世論


 大きな社会的政治的問題に関して世論が変わろうとする時、その傾向は相対的に漸進的なものになりがちである。突然の移行がやって来る場合は、劇的な出来事によって引き起こされるのが普通である。世論調査員たちが、たったの四年間で、気候変動に対する見方に一体何が起こったのか驚いている理由はそれだ。二〇〇七年のハリスによる世論調査では、七一%のアメリカ人が、化石燃料を燃やし続けることは気候の変動をもたらすと信じていた。二〇〇九年の統計では、それが五一%にまで下落した。そして二〇一一年六月には、それに同意するアメリカ人の割合は、四四%にまでに落ち込んでいる。人口の半分以下である。「民衆と報道のためのピュー調査センター(Pew Research Center for People and the Press)」の調査研究理事であるスコット・キーターによれば、これは「近年の世論調査の歴史では、短い時期における最も大きな移行」だという。

 更に目立つのは、この移行がほとんど全く政治的スペクトラムの一端について起こったことだ。二〇〇八年(ニュート・ギングリッチがナンシー・ペロシと共に気候変動に関するTVスポットを行った年)までは、この問題はうわべだけであれ、アメリカではまだ二大政党の両方から支持を得ていた。そうした日々は明白に終わりを告げた。今日では、七〇~七五%の民主党支持者もしくはリベラルを自認する人々が、人類が気候を変えていると信じている。過去一〇年間で安定しているか、わずかだけ上回った水準だ。それとは全く対照的に、共和党支持者、特にティー・パーティーの一員たちは、圧倒的に科学的な合意の拒絶を選んでいる。いくつかの地域では、わずか二〇%程の共和党支持者を自認する人々が、科学を受け入れているだけだ。

 感情的な強度における移行も同じく著しい。かつて気候変動は、誰もが気にかけていると口にする事柄だった。実際にはそれ程多くなかったにしろ。アメリカ人が政治的な関心事に優先度を付けるように訊ねられると、気候変動は確実なまでに最後になるのだ。

 だが、今では情熱的に、執拗なまでに気候変動を気にかけている相当数の共和党の一団がいる。もっとも、彼らが気にかけているのは、気候変動が、彼らに白熱電球を取り替えさせ、ソヴィエト流の安アパートに住ませ、SUVを諦めさせるために、リベラルのでっち上げた「虚報」であると暴露することだが。これらの右派にとって、気候変動に反対することは、低い税金や、銃器の所有権や、中絶への反対と同様に、彼らの世界観の中心をなすものになりつつある。多くの気候科学者たちが、殺害の脅迫を受け取ったと報告している。省エネルギーのような無害に見える題材の記事の著者ですらそうなのだ(エアコンを批判する本の著者であるスタン・コックスに届いた手紙によれば、「俺の冷えて死んだ手から、サーモスタットをもぎ取って見ろ」)。

 この強烈な文化戦争は、ニュースの中でも最悪のものだ。なぜなら、彼または彼女のアイデンティティの核になっている問題について、その人物の立場に挑戦しようとすると、事実や議論が攻撃に埋もれてしまい、簡単に逸脱してしまうからだ(否定論者は、地球温暖化の現実を確認する、部分的にコーク兄弟によって資金提供を受けた新しい研究や、「懐疑的な」立場に同調的な科学者による新しい研究をはねつける方法さえ発見している)。

 この感情的な強烈さがもたらす効果は、共和党をリードするレースにおいて余すところなく示された。大統領選に入ろうとする日々の中で、彼の故郷であるテキサス州が文字通り野火で燃えている最中に、テキサス州知事リック・ペリーは、気候科学者たちがデータを操作していることを明らかにする根拠を喜んで、こう言った。「そのために、彼らは何ドルもの金をプロジェクトにつぎ込んでいるのだ」。一方で、気候科学を一貫して擁護する唯一の候補者、ジョン・ハンツマンは、即死状態だった。また、ミット・ロムニーが選挙戦で救われたのは、部分的には、気候変動についての科学的合意を支持する初期の声明を遠ざけたためだった。

 だが、右派の気候陰謀論の効果は、共和党の外にも広がっている。民主党員のほとんどは、独立を疎外されることを恐れ、この件に関して沈黙を決め込んでいる。そしてまた、メディアと文化産業も、それに追従している。五年前には、有名人たちはハイブリッド・カーに乗ってアカデミー賞に現れ、『ヴァニティ・フェア』誌は例年グリーン特別号を発行していた。二〇〇七年には、アメリカの三大ネットワークで、一四七本の気候変動に関する番組が放送された。だが、それらはもはや存在していない。二〇一〇年には、三大ネットワークは三二本の気候変動に関する番組を放送しただけであり、アカデミー賞は本来のスタイルのリムジンに戻り、「例年」だったはずの『ヴァニティ・フェア』グリーン特別号は、二〇〇八年以来現れていない。

 この穏やかならぬ沈黙は、史上最大の暑さを記録した一〇年間の終わりまで存続し、更に変異種的な自然災害と世界的な記録破りの猛暑の夏を迎えている。一方で、化石燃料産業は、石油、天然ガス、石炭を、この大陸でもっとも汚染がひどくもっとも高リスクないくつかの資源から抽出する新しいインフラに対する、数十億ドルの投資に殺到している(七〇億ドルのキーストーンXLパイプラインがそのもっとも顕著な例だ)。化石燃料産業は、アルバータ州のタール・サンドで、ビューフォート海で、ペンシルヴァニアのガス田で、ワイオミングとモンタナの炭田で、環境保護運動は死んだも同然だという方に大きく賭けたのだ。

 これらのやる気満々のプロジェクトが、二酸化炭素を大気中に排出すれば、破局的な気候変動が起こる確率は劇的に上昇する(アルバータ州のタール・サンドの石油採掘だけで、NASAのジェイムズ・ハンソンに言わせれば、気候にとって「本質的なゲーム・オーバー」となるだろう)。

 これらの全てが意味するのは、環境保護運動は大々的に巻き返さなければならないということだ。それが起きるためには、左派は右派から学ばなければならない。否定論者たちは気候を経済に結びつけることで勢いを得てきた。環境保護は資本主義を破壊する、と彼らは主張する。雇用は生まれなくなり、物価は上昇するだろうと。しかし、今では、より数多くの人々が「ウォール街を占拠せよ」の抗議者たちに同意し、それら人々の多くが通常営業の資本主義そのものが、雇用喪失と借金奴隷の原因だと主張しており、経済の領域を右派から奪い返すユニークな機会が生まれているのだ。そのためには、環境危機へ本物の解決策はまた、より開化された経済システム――根深い不平等を終わらせ、公共圏を強化し変容させ、尊厳ある労働を大量に生み出し、ラディカルに企業の力を制御するそれ――を築く私たちの最良の望みでもあるのだという、説得力のある議論を組み立てることが要求されるだろう。それはまた、環境保護運動が、進歩派の注目を競い合う価値ある理念の一覧にある、たった一つの問題だという観念からの離脱を要求するだろう。気候変動否定主義が、力と富の現体制の防衛にすっかり絡みつつ、右派の重要なアイデンティティ問題となったのと同様に、気候変動の科学的現実は、進歩派にとって、縛りのない貪欲がもたらす災厄と真のオルタナティブの必要性に関する、首尾一貫した物語の中心部分を占めるべきなのだ。

 そうした変容力のある運動を築き上げることは、最初にそう思われるほどには、難しくないのかもしれない。実際のところ、ハートランドの人たちに訊ねるならば、気候変動は何らかの左翼革命を実質的に不可避にしており、それこそが彼らがその現実性を否定しようと、固く決意している理由なのだ。おそらく、私たちはもっと近寄って、彼らの理論を拝聴しなければならないのだろう。なぜなら、彼らは左派がまだ理解していない何かを、理解しているのかもしれないからだ。

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〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full


――ハートランド会議の四列目の紳士


 四列目にいた紳士が質問を投げかけた。

 自分はリチャード・ロスチャイルドだと、彼は自己紹介した。彼は、自分はメリーランド州のキャロル郡の郡行政委員会委員に立候補したと聴衆に語りかけ、なぜなら地球温暖化に取り組む政策は、実際のところ「アメリカ中産階級資本主義に対する攻撃」に他ならないという結論に達したからだと述べた。六月の下旬、ワシントンDCのマリオットホテルに集まったパネリストたちに、彼が投げかけた質問はこういうものだった。「一体どの程度までこの運動全体は、その腹の中に赤いマルクス主義者の社会経済的な教義を詰め込んだ、単なる緑色をしたトロイの木馬なのですか?」。

 ここハートランド協会(Heartland Institute)の第六回気候変動国際会議(International Conference on Climate Change)――人類の活動が地球温暖化を招いているという圧倒的な科学的合意を否定すべく血道を上げている人々の最たる集まり――では、これは修辞的な疑問と見なされた。それは、ドイツ連邦銀行の銀行家たちの集まりに、ギリシア人たちは信用ならないのかどうかを訊ねるようなものだった。にもかかわらず、パネリストたちは質問者に対して、彼がどれほど正しいのかを述べる機会を逃しはしなかった。

 クリス・ホーナー――競争的企業協会(Competitive Enterprise Institute)の上級研究員で、気候変動を調査する科学者たちを、やっかいな民事訴訟と情報公開法による法的尋問で困らせることが専門――は、テーブル・マイクを口元に曲げた。「あなたはこの会議が気候に関するものであることをご存じでしょう」。暗い影のある声で彼はこう言った。「多くの人がそれを信じている。だがそれは合理的な信念ではないのです」。ホーナーの年の割に早い銀髪は、彼を右翼版のアンダーソン・クーパーのように見せていた。彼は好んでソール・アリンスキーの言葉を引用した。「この問題は本当の問題ではないのです」。この問題は次のように見えるのだと言う。「自由社会はこの課題が要求するものを、独力で成し遂げることはできないのです……。障害となっているやっかいな自由を取り除くことが、そのための第一段階となるでしょう」。

 気候変動はアメリカの自由を盗むための陰謀だとする主張は、ハートランド協会の標準からすればむしろ穏健なものである。二日間の会議を通じて、私が知ることになるのは次のような主張だ。地域主体のバイオ燃料精錬所を援助するオバマの選挙公約は、本当は「緑色のコミュニタリアニズム」であり、「銑鉄の溶鉱炉を皆の裏庭に設置する」という「毛沢東主義者」の計画に類似するものだ(カトー協会のパトリック・マイケルズ)。気候変動は「国家社会主義の隠れ蓑だ」(元共和党の上院議員で引退した宇宙飛行士のハリソン・シュミット)。環境保護論者は、限りない人々を犠牲にして神を宥め、なんとか天候を変えようとするアステカの僧侶のようだ(否定論者の主要なウェブサイト ClimateDepot.com の編集者、マーク・モラーノ)。

 しかしながら、私がとりわけよく聴くことになったのは、四列目の郡行政委員会委員が表明した意見の異なるヴァージョンだった。気候変動は資本主義を廃止し、それを何らかのエコ社会主義と取り替えるために設計されたトロイの木馬である。会議の演説者ラリー・ベルが、彼の新著『崩壊する気候変動(Climate of Corruption)』の中で簡潔に述べているように、気候変動は「環境の状態とはほとんど関係がなく、資本主義を束縛することにより関係しており、グローバルな富の再分配のために、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフを変えようとするものだ」。

 そう、確かに会議の代表者たちが見せる気候科学に対する拒否は、データについて重大な意見の相違があるような振りをして見せている。そして主催者たちは、集会を「科学的方法の復権」と呼び、組織名として気候変動における指導的な権威であるIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の一文字違いであるICCCすら採用して、ある程度まで信頼のおける科学的な会議を真似ようとしている。だが、この会議で提示された科学的理論は古くて、もう長い間信用されていないものだった。そして、それぞれの演者が次の演者と矛盾するように見えることを説明する何の試みもなされなかった(温暖化が存在しないにしろ存在するにしろ、それは問題ではないではないか?もし、温暖化が存在しないのなら、これらの太陽黒点が気温を上昇させているとかいう話は一体何なのか?)。

 実際のところ、ほとんどが年輩の人々である聴衆の何人かは、気温のグラフが投影されている間、居眠りをしているようだった。彼らは、この運動の「ロック・スター」たちが登壇する時だけ活気づくのだ。Cチームの科学者たちではなく、モラーノやホーナーのような、Aチームのイデオロギー的闘士たちだ。これこそがこの集会の目的である。今後の年月に備えて、頑迷な保守派の否定論者たちに、それを使って環境保護論者や気候科学者たちをぶちのめすことのできる、修辞的な野球バットを収集するためのフォーラムを提供することが。最初にここで試された論題は、やがて「気候変動」や「地球温暖化」という言葉を含む、あらゆる記事と YouTube の動画のコメント欄を溢れさせることになるのだ。それらはまた、数百人の右派のコメンテーターと政治家たちの口からも飛び出すだろう。共和党の大統領候補であるリック・ペリーやミシェル・バックマンから、ぐっと下がってリチャード・ロスチャイルドのような郡行政委員会委員まで。会議外のインタビューで、ハートランド協会の会長であるジョセフ・バストは、誇らしげに「数千の記事や論説、演説が……これらの会議の一つに出席した誰かによって情報提供を受けているか、もしくは動機付けられている」ことは自分の手柄だと述べた。

 ハートランド協会――シカゴに拠点をおく「自由市場のソリューションを促進する」ためのシンクタンク――は、二〇〇八年以来、時には年に二度、これらの懇談会を開催してきた。そしてその戦略は功を奏しているようだ。一日目の終わりに、モラーノ――二〇〇四年の大統領選挙の時に、ジョン・ケリーを落とすための「真実のための退役快速船軍人の会(Swift Boat Veterans for Truth)」の話を、論破したことで有名になったこともある――が、一連のウィニングランで集会をリードした。キャップ・アンド・トレード方式?とっくに死んでる!コペンハーゲン・サミットのオバマ?とんでもない大失態!環境保護運動?ただの自殺行為!彼は環境保護活動家が自分を責めているいくつかの引用を(進歩派もよくやるように)投影すらした。そして、聴衆たちに断然として「祝おうじゃないか!」と勧めたのだった。

 そこには屋根の垂木から降りてくる風船も紙吹雪もなかったが、あった方がふさわしかっただろう。

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