いわゆる「カウンター」や東京大行進のコンセプトを聞いて、誰もが思ったことは「差別者が反差別運動だって?」ということだ。中心メンバーでもある野間易通やのいえほいえは、それまでにも、在日朝鮮人や精神疾患者への差別発言で知られていたからだ。差別者による差別のロンダリング……という論評が聞こえてきたのも当然だろう。

 そして、その「差別者による差別のロンダリング」は大成功している。

 これは個人的には、しばき隊/カウンターを批判してきたことで、野間他から、言葉のリンチ・差別を受けてきた私にとっては深刻きわまる事態である。自分に対して、さんざん差別発言をしてきた相手が、「反差別の旗手」としてメディアに取り上げられ、自分への差別は黙殺されてしまう。抑圧の「反差別」である。

 まして、私は大月書店とも民族差別問題を抱えており、ちょうどいじめっ子が「こいつはいじめていいヤツ」とマークしたように、好きなように差別される状態になっている。以前にツイッターに書いたことだが、差別とは社会的な激痛のことである。差別を受けたことによる傷口はふさがっていないし、いまだに血を流し続けているのだ。


 男組は解散したそうだが、こと「反差別」をテーマに掲げた東京大行進や自称「カウンター」は、文字通りの意味で「反差別」「カウンター」ではないと言える。どういうことかと言うと、それは、国民国家という枠組みと天皇崇拝を容認した上で、囲いの中の羊のように、その枠組み内で「反差別」を目指すということである。

 それがどれほど危険なことかわからないだろうか。かつて、朝鮮民族も「臣民」として制限付きながら権利を認められていた。それと同じようなものである。まして、日本という国家に直接支配された在日朝鮮民族が、正面からの敵である日本の帝国主義と戦わず、その派生物である在特会を主敵に据えるのは錯誤と言うほかない。

 差別の解消とは、無権利に状態にちょっぴりだけ権利が与えられることではない。在特会も、「普通の日本人」が垣間見せる排外主義も、大元にあるものは一緒である。そこを攻撃しなければどうにもならない。そして、(何も「在特会にリソースを集中させる」戦略を採らずとも)それは可能である。

 その第一歩は、在特会に限らず、日本社会そのものが骨の髄まで排外主義であることを認識し、それを敢然と拒絶することである。

[追記]
 目の前に天皇主義の右翼がいるとしよう。かれは「ヘイトスピーチに反対する」と主張するかもしれない。だが、差別に反対するのならば、右翼であることを放棄せず、いけしゃあしゃあと「ヘイトスピーチに反対する」と言ってのけるこの右翼こそが敵なのだ。

 同様、原発に反対すると称する右翼がいるとしよう。原発推進派のみならず、右翼であることを放棄せずいけしゃあしゃあと反原発ぶってみせるこの右翼こそが敵なのだ。

[追記」
 簡潔に言うのならこうだ。どうして天皇の名の下朝鮮民族が支配されたのに、現代の天皇主義者とその同調者が、恥知らずにも「反差別」などと言えるのだ?

# by BeneVerba | 2016-01-23 00:21 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 東日本大震災が起きたときに、私はすぐさま地元福岡の反原発運動に参加した。やがて知ることになるのは、主に東京の方で「反原発運動に右翼を迎え入れるかどうか」「反原発運動での日の丸を許容するかどうか」という問題があることだった。

 その時、すぐさまそれはあまりにばかげた問題だと思った。原発政策は国家により進められており、右翼は各地の原発建設において下働きの仕事をしてきたことは知られることだ。つまり、反原発運動に両者の要素が入り込む余地はない。だが、この時また、私は、これはおそらく東京という特異な場所のみの現象だろうと考えていた。

 だが、やがて、福岡の地で日の丸を掲げようとする馬鹿者が現れることになる。私は、大月書店と日の丸の一件で揉めたり、その後労組に加盟して活動するよりも以前から、この傾向に抗ってきた。持ってくる人に個人で注意に行ったりしていたのも、それらの前だ。

 さて、一方で「日の丸にも右翼にもノー」という同様の主張をインターネット上でも繰り返してきた。その結果受けたのは、それらを快く思わない人々からの差別暴言だった。


 これまでにも告発してきたが今回は少し、それを改めて一覧したい。

 「(反原発運動における日の丸の問題は)君が朝鮮人かどうかはこの場合全く関連しない。君の「運動原則論」じたいが迷妄している、というだけ」(山本夜羽根)。

 日の丸と一緒に反原発デモを歩けないのは、日本帝国に(あるいは日本に)踏みにじられたルーツを持つものとして当然のことであろう。山本はこのように言うことによって、「自分は差別主義者ではなく、しゃかいうんどうろんの問題として、日の丸問題を話し合っている」と主張したいのだ。

 「お前日本人だろ」(凡)

 ここで凡が言っているのは私が日本国者であるという意味ではない。お前には在日朝鮮人について、語る資格がないと言っているのだ。だが、当然のことながら日本国籍の在日朝鮮人も存在しており、それ特有の悩みがある。それを否定するのは差別である。何よりも理解していないのは、私のような存在が朝鮮人でもあり日本人でもあるということだろう。

 「日本国籍の匿名のクォーターが、民族名で矢面に立ってる「バリバリの在日」に向かってすごいこと言うな……」(野間易通)

 上と同様の「日本国籍の在日朝鮮人」「クオーター(私はあまりこの言葉を使わないが)」である。ここで野間がやっていることのひどさを見よう「日本国籍の匿名のクオーター」と「民族名で矢面に立っている『バリバリの在日』」を、マジョリティである日本民族・日本国籍の立場からかくづけしているのである。これが差別でなくて何であろう。

 このような使われ方をされて、侮蔑されたと感じられない李信恵の差別への鈍感さも信じられないことである。なお、そもそも野間が「私が在に朝鮮人として何をしているか」に口出しする権利がないことは言うまでもないし、私は自分の活動を全ては後悔していないので知るはずもない。

 「療養中ならTwitterで議論しようなんて思わない方が良いですよ。 碌なことが無いから」(原田裕史)

 他も似たり寄ったりながら、原田裕史は生粋の差別主義者だろう。反原発運動の右傾化路線を肯定した調歩運人であるにとどまらず、そのことを私に追求された時の捨て台詞がこれである。ここには悪辣な意図がこもっている。それは「相手は病気だ。病気だから相手の言うことは、無視して良い」というものである。

 相手の議論を封じ込める手段として最悪のものであろう。野間易通も「キチガイ」と言う言葉を多用する。、私は「キチガイ」とか「チョン(この言葉を書くのにも抵抗があるのだが))という言葉だけが、差別だと思って欲しくない。「療養中ならTwitterで議論しようなんて思わない方が良いですよ」とか、「日本国籍の匿名のクォーター」を貶める発言も(場合によってはもっと悪質な)差別である。

 「ほんとにご病気だとしたら、ツィッターはあまりよくない気が」(上瀧浩子)

 これはさんざん上で出た例だ。相手を病気認定することによって、相手の訴えを無効化する論法だ。それにしても不思議なのは、私が上瀧浩子さんに何かひどいを言ったことはないのに(ツイッターで相互フォローだったこともある)、このような考えに至る思考法だ。共産党系とも目される彼女ゆえだからだろうか。

 だが、冒頭で述べたように、私は反原発運動のナショナリズム化・ポピュリズム化に反対し続けており、スタンスを変えてはいない。

 「お薬の飲み忘れか」(KangKim)

 同じく。彼は医者だそうだ。


 これらの人々に共通するのは、まずもって本来は政治的意見の違いがもんだとなっていること、にもかかわらず相手を差別し貶めることで、「自分の意見は正しく、相手の意見は間違っている」とすることにあるだろう。また、おそらく自分は差別に反対していると信じていることでもあろう。

 だが、これらの人々は、最も卑劣で最も単純な種類の差別者である。

# by BeneVerba | 2015-12-25 02:55 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 福岡県労働委員会と大月書店を相手にした行政訴訟は、控訴審へと移ります。この一〇月の下旬に控訴理由書を提出しました。第一回公判は、このニュースのおよそ二週間後の一一月一八日を予定しています。

 控訴理由書で特に強調した点がいくつかあります。一つは、先日のニュースにも書いたように、福岡県労働委員会の命令書が、単に組合の訴えを退けているだけでなく、大月書店が日の丸批判、反原連批判をやめるように言ってきたことは、問題なかったとしている点です。

 全くばかげています。「左翼出版社」から翻訳本を出している私が、日の丸を批判したからといって、売り上げに響くはずはありません。また、首都圏反原発連合という、大月書店とは何の関係もない(はずの)団体を批判したからといって、なぜ大月書店の岩下が気にするのでしょうか?

 もう一つ強調した点は、使用者と労働者の非対称性です。労働者性の問題、つまり、私が労組法上の労働者に当たるかどうかと言う問題で、争っていることはお伝えしました。ご存じの方も多いでしょうが、この問題はなかなか複雑なのです。

 今回は労組法の第一条にある、「労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること」を目的とするという条文を前面に出して、団体交渉権はあるというような主張をしました。

 そもそも、福岡地区合同労組に労働相談を持ちかけたのも、日の丸や反原連を批判するなら翻訳契約はやらない、という一人では解決不能な無理難題を突きつけられたからです。

# by BeneVerba | 2015-11-21 12:39 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 先日七月二九日に、福岡県労働委員会の決定取り消しを求める行政訴訟の判決が出ました。原告である福岡地区合同労組の訴えを棄却するというものでした。予想されたこととはいえ、つらい判決となりました。

 判決では、一通り双方の事実を認定した上で、あまり労働者性の議論には立ち入らず、単に労務対償性がないために、私には労働者性がないとしています。あっさりした、気の抜けるような判断です。

 それ以上のことは述べていないのですが、私がこだわるのは、その県労委の判断の内容です。そこでは大月書店からの人格侵害ともいえる要求を、業務上問題がないものとしているのです。この判断を地裁が支持していることになります。

 裁判所としては、団体交渉権を有するかどうかという点以外の判断は、避けたかったのでしょうが、そもそも団体交渉を行ったのは、大月書店が私に国民運動批判などをやめよ、という過大な要求をしてきたせいなのだから、こうした点についても汲み取ってほしかったと思います。

# by BeneVerba | 2015-11-21 12:38 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 前回のニュースでお伝えしたとおり、労働委員会の決定取り消しを求める行政訴訟は、七月二九日に福岡地裁で判決が言い渡されます。正直に申し上げて、厳しい結果を予想しています。

 そもそも、二冊目の翻訳交渉時に、大月書店が「日の丸批判をやめないと翻訳契約はやらない」旨のメールをよこしたために、契約を得て言論の自由と民族の権利を失うか、それともその反対を選ぶかという苦しい判断を、私は迫られたのでした。

福岡県労働委員会の決定で許せないのは、団体交渉の権利を認めなかったことももちろんですが、もう一つ、反原発運動の国民運動化、右傾化などの細かい事情を考慮しないまま、大月書店の脅しを業務上何ら問題がないものとしていることです。

ついこの六月に開かれた福岡での反原発デモでも、日の丸を掲げる輩が登場したそうです。私は、ここ数年顕著に見られる、反原発運動やその他の運動のそうした国民運動化に、真剣に反対しています。

その理由はたくさんあるのですが、一つに、社会運動に参加しているのは、「普通の日本人」だけではないことがそうです。私のように日の丸に抗う他ない人々もまた参加していることも、忘れないでほしいと願っています。

# by BeneVerba | 2015-11-21 12:36 | 意見 | Trackback | Comments(0)