タグ:しばき隊 ( 1 ) タグの人気記事

 東日本大震災が起きたときに、私はすぐさま地元福岡の反原発運動に参加した。やがて知ることになるのは、主に東京の方で「反原発運動に右翼を迎え入れるかどうか」「反原発運動での日の丸を許容するかどうか」という問題があることだった。

 その時、すぐさまそれはあまりにばかげた問題だと思った。原発政策は国家により進められており、右翼は各地の原発建設において下働きの仕事をしてきたことは知られることだ。つまり、反原発運動に両者の要素が入り込む余地はない。だが、この時また、私は、これはおそらく東京という特異な場所のみの現象だろうと考えていた。

 だが、やがて、福岡の地で日の丸を掲げようとする馬鹿者が現れることになる。私は、大月書店と日の丸の一件で揉めたり、その後労組に加盟して活動するよりも以前から、この傾向に抗ってきた。持ってくる人に個人で注意に行ったりしていたのも、それらの前だ。

 さて、一方で「日の丸にも右翼にもノー」という同様の主張をインターネット上でも繰り返してきた。その結果受けたのは、それらを快く思わない人々からの差別暴言だった。


 これまでにも告発してきたが今回は少し、それを改めて一覧したい。

 「(反原発運動における日の丸の問題は)君が朝鮮人かどうかはこの場合全く関連しない。君の「運動原則論」じたいが迷妄している、というだけ」(山本夜羽根)。

 日の丸と一緒に反原発デモを歩けないのは、日本帝国に(あるいは日本に)踏みにじられたルーツを持つものとして当然のことであろう。山本はこのように言うことによって、「自分は差別主義者ではなく、しゃかいうんどうろんの問題として、日の丸問題を話し合っている」と主張したいのだ。

 「お前日本人だろ」(凡)

 ここで凡が言っているのは私が日本国者であるという意味ではない。お前には在日朝鮮人について、語る資格がないと言っているのだ。だが、当然のことながら日本国籍の在日朝鮮人も存在しており、それ特有の悩みがある。それを否定するのは差別である。何よりも理解していないのは、私のような存在が朝鮮人でもあり日本人でもあるということだろう。

 「日本国籍の匿名のクォーターが、民族名で矢面に立ってる「バリバリの在日」に向かってすごいこと言うな……」(野間易通)

 上と同様の「日本国籍の在日朝鮮人」「クオーター(私はあまりこの言葉を使わないが)」である。ここで野間がやっていることのひどさを見よう「日本国籍の匿名のクオーター」と「民族名で矢面に立っている『バリバリの在日』」を、マジョリティである日本民族・日本国籍の立場からかくづけしているのである。これが差別でなくて何であろう。

 このような使われ方をされて、侮蔑されたと感じられない李信恵の差別への鈍感さも信じられないことである。なお、そもそも野間が「私が在に朝鮮人として何をしているか」に口出しする権利がないことは言うまでもないし、私は自分の活動を全ては後悔していないので知るはずもない。

 「療養中ならTwitterで議論しようなんて思わない方が良いですよ。 碌なことが無いから」(原田裕史)

 他も似たり寄ったりながら、原田裕史は生粋の差別主義者だろう。反原発運動の右傾化路線を肯定した調歩運人であるにとどまらず、そのことを私に追求された時の捨て台詞がこれである。ここには悪辣な意図がこもっている。それは「相手は病気だ。病気だから相手の言うことは、無視して良い」というものである。

 相手の議論を封じ込める手段として最悪のものであろう。野間易通も「キチガイ」と言う言葉を多用する。、私は「キチガイ」とか「チョン(この言葉を書くのにも抵抗があるのだが))という言葉だけが、差別だと思って欲しくない。「療養中ならTwitterで議論しようなんて思わない方が良いですよ」とか、「日本国籍の匿名のクォーター」を貶める発言も(場合によってはもっと悪質な)差別である。

 「ほんとにご病気だとしたら、ツィッターはあまりよくない気が」(上瀧浩子)

 これはさんざん上で出た例だ。相手を病気認定することによって、相手の訴えを無効化する論法だ。それにしても不思議なのは、私が上瀧浩子さんに何かひどいを言ったことはないのに(ツイッターで相互フォローだったこともある)、このような考えに至る思考法だ。共産党系とも目される彼女ゆえだからだろうか。

 だが、冒頭で述べたように、私は反原発運動のナショナリズム化・ポピュリズム化に反対し続けており、スタンスを変えてはいない。

 「お薬の飲み忘れか」(KangKim)

 同じく。彼は医者だそうだ。


 これらの人々に共通するのは、まずもって本来は政治的意見の違いがもんだとなっていること、にもかかわらず相手を差別し貶めることで、「自分の意見は正しく、相手の意見は間違っている」とすることにあるだろう。また、おそらく自分は差別に反対していると信じていることでもあろう。

 だが、これらの人々は、最も卑劣で最も単純な種類の差別者である。

by BeneVerba | 2015-12-25 02:55 | 意見 | Trackback | Comments(0)