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「ウォール街を占拠せよ」FAQ
Occupy Wall Street: FAQ
2011年09月29日 - ザ・ネイション(ネイサン・シュナイダー)
原文:http://www.thenation.com/article/163719/occupy-wall-street-faq


――アドバスターズが「ウォール街を占拠せよ」を組織化したと聞いたのですが?それともアノニマス?あるいは「アメリカ怒りの日」?

 それらの全てとその他と言える。アドバスターズは、七月中旬に最初の呼びかけを行うと同時に、機動隊を背景にチャージング・ブル像の上でポーズを取るバレリーナの素晴らしいポスターを産み出した。IT戦略家アレクサ・オブライエンの主にインターネットを基盤とした創造物アメリカ怒りの日も参加し、初期の肉体労働とツイッターの多くを担当した。アノニマスは、その多種多様な容貌で、八月下旬に参加した。とはいえ、ニューヨークその地では、計画のほとんどは、当初「予算削減に反対するニューヨーク市民の会」によって招集された、活動家、芸術家、学生たちの集団である、ニューヨーク市ジェネラル・アセンブリーに参加していた人々によって計画のほとんどが実施された。この学生と組合員会からなる会は、市長の予算削減とレイオフ計画に抗議し、ブルームバーグヴィルと呼ばれた市庁舎近くでの三週間の占拠活動を終えたばかりだった。彼らは、その経験から学んだことを生かして、もう一度やることを切望し、今度はより大きなインパクトを与えることを望んでいた。だが、ウォール街全体を占拠したいと思う人も集団もいなかった。

 ウォール街からわずか数街区北のリバティ広場(これはズコッティ公園の二〇〇六年以前の名称で、この地がブルックフィールド・プロパティによって再建された時、その会長の名前にちなんでこの名が付けられた)では、ジェネラル・アセンブリーが事実上の意志決定機関となった。さて専門用語の覚悟を。ジェネラル・アセンブリーは、水平的で、自律的で、指導者のいない、改善されたコンセンサスを基盤とした、アナーキストの思考にそのルーツを持つシステムだ。そしてそれは、アルゼンチン、エジプトのタハリール広場、マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場その他で実施されている世界中の集会に酷似している。コンセンサスを目指して働くのは本当につらく、欲求不満で、時間のかかる仕事だ。しかし、占拠者たちはゆっくり時間をかけて徐々に進めていた。しばしば何日間も続く試行錯誤の後で、ある問題について、ようやくコンセンサスに到達した時の雰囲気は、極めて賛嘆すべきものだ。割れんばかりの拍手感性が広場を満たした。何らかの同意に到達した情熱的で、反抗的で、創造的な数百人の人々にまぎれている時の気持ちを、言葉に表すのは難しい。


――で、責任者は誰もいないの?じゃあ、どうやって決定するんですか?

 幸運なことに、あらゆるものごとについて、コンセンサスに達しなければいけないわけではない。ジェネラル・アセンブリーとともに働いているのは、増え続ける小委員会と作業部会だ。食料、メディア、直接行動、公衆衛生などである。それらの一つに参加するのは自由で、ジェネラル・アセンブリーとの暗黙の協調の元に、それぞれの持ち分で働いている。最終的には、全ての個人にものごとを決定する権限が与えられ、彼または彼女が、グループの利益になるよう振る舞うことが理想だった。


――抗議者たちの要求は何ですか?

 あーっ!とんでもない質問を。まず、元々のアドバスターズの呼びかけも「私たちの要求は何だ?」と訊ねていた。技術的に述べるのならば、それはまだ一つもない。九月一七日に続く数週間、ニューヨーク市ジェネラル・アセンブリーは、まず最初に「要求」という言葉から逸脱することにしたようだ。主な理由としては、政府機関が既に企業からのお金に汚染されているために,運動が政治的に強力になるまで、特定の要求は無意味と思われたからだ。その代わりにまず、彼らは占拠それ自体を要求した。そして、そこでは直接民主主義が実施されて、人々は特定の事柄を要求することも、そうでないこともあった。そのことを考慮するのなら、この行動は実際、ウォール街が代表する腐敗に対するとても力強い宣言となっている。しかし、この考えはアメリカのマスメディアからの質問には過剰なため、要求に関する質問は、広報にとって大きな困難となった。

 ジェネラル・アセンブリーは目下、統一要求をどういうものにするか決定する最中にある。ざっくばらんで興味深い討論だ。だが、息を潜めて待たないように。

 もちろん広場にいるみんなは、何が起きてほしいかという、それぞれ自分の考え方を持ってやって来る。広場の北端沿いには、要求やスローガンを書き付けた何百もの段ボール製のプラカードによるコラージュがある。見物人たちは、立ち止まって見つめ、一日中釘付けになっている。メッセージはその場所の至る所にあるが、確かなことに、ある一貫性もそれらにはある。その中の一つ「利益よりも民衆を」が、一人の少女をかなり引き付けたようだ。しかし、討論中の話題もまた、死刑の廃止から、軍産複合体の解体、手ごろなヘルスケア、移民を増大させる政策などまで多様なものだ。混乱するかもしれないが、しかしこれらの問題はある程度相互に関係している。


――ニュースのいくつかは、抗議者たちを散漫であるか、より悪いことには絶望的に混乱して、知識もない人たちとして描き出しています。これには真実が含まれていますか?

 もちろん。私たちが住む複雑な世界では、私たちはみんな、少しばかり知っていたとしても、ほとんどの事柄について知識がない。初日と二日目に、抗議者に注意していた警察官のことを思い出す。「やつらは、何でも知っていると思い込んでやがる!」。若者とは概してそうしたものだ。しかしこの場合、ウォール街周辺の過剰な富の蓄積と、その政治に対する大きな影響に気付くためには、ヘッジファンドが何であるのかや、アップル社の株の売値が今いくらかについて、詳しい理解を必要としない。これらの抗議者を際立たせているものの一つは、まさしくより良い世界は可能だとする彼らの希望だ。付け加えるなら、多数のアメリカ人にとって、そうした非暴力直接行動は、政治的な意見を持つ唯一の機会であり、それはマスメディアにいる私たちが、真面目に受け止めるだけの価値がある。


――一体何人の人々がアドバスターズの呼びかけに呼応したのですか?グループの大きさはどれくらいですか?またどのくらいの大きさになったのですか?

 元のアドバスターズの呼びかけは、九月一七日に二万人で金融街に押しかけることを想定していた。おそらくは、その一〇倍がその日にやって来た。巨大な匿名の力を利用したソーシャル・メディアの電撃戦だったが、多く人々は単にそれを知らなかった。労働組合や平和団体といった伝統的な進歩的組織は、これほど不定形な行動に参加することに躊躇していた。困難な一週間を通して、ほとんど毎日誰かが逮捕され、休みのために抜ける者がいる一方で、新顔が現れ続けていた。先週末の大量逮捕と警察の暴行容疑以来、マスメディアは大きく報道するようになった。今では、日中も夜中になっても、五〇〇人以上の人々が広場におり、おそらくその半分が宿泊している。いかなる時点でも、世界中の数千人の人々が、毎日二四時間体制でインターネットの生中継を視聴している。

 始まった当初の大衆運動よりも、この占拠は、相対的に数の少ない若い活動家たちの肩にかかるようになった。喜んで屋外で眠り、警察の脅しに直面し、固い決意を持つ勇敢な若者たちだ。しかし、それも変わりつつある。噂が広まると、群衆は年かさになり、より多様になった。このどこかしら荒っぽい占拠戦略は既に、伝統的なデモ行進のそれよりも、はるかに多くの影響力を獲得した。結局のところ、二万人が、銀行救済と公務員への予算削減に抗議して、五月一二日にウォール街に行進したのだが、誰がそれを覚えているだろう。


――占拠にとって「勝利」とされるものは何ですか?

 これもまた、誰に訊ねるかによる。九月一七日が近づくにつれて、ニューヨーク市ジェネラル・アセンブリーが抱いていた目標とは、いくつかの法律を通過させることでも、革命に関する新種の運動を築くことでもなかった。彼らの望みは、似たような、同じ精神に基づくアセンブリーを、ニューヨーク市中で、そして世界中で促進することにあった。それらは、圧倒的な企業のお金の影響に対抗する、この国の政治的組織化の基盤となるかもしれなかった。それが始まると、似たような数十の占拠が他都市にも出現した。もう一つの大きな占拠が数ヵ月間建設中で、ワシントンDCのフリーダム広場で、一〇月六日に始まることが予定されている。その地のオーガナイザーたちは、リバティ広場を度々訪れており、その成功と失敗から、学べるだけのものを学ぼうとしている。リバティ広場がテレビカメラで溢れかえっている時に、複数の人から聞いたのは「私たちはもう勝った!」という声だ。一方で、ようやく始まったばかりだという人たちもいる。ある意味では、両者とも正しい。


――広場中に警官がいるのですか?警察の暴力はどれくらいひどいのですか?もし行くとしたら、そのリスクは?

 警察の配備は止むことがない。これまでに、彼らとの恐ろしい出会いがいくつかあった。それはまた抗議者たちに、途方もなく勇気のいる行為をなす機会を与えるものでもあったのだが。最悪の事件は、もちろんこの前の土曜日の出来事だ。だが、小さなトラブルなら開始以来ずっと存在する。抗議者たちの大部分には逮捕されるつもりはなく、ほとんど全員が無意味なリスクを冒すつもりも、人々や財産に対する暴力を扇動する気もない。ごく普通の人々が抗議に――スーザン・サランドン、コーネル・ウェスト、マイケル・ムーアらとともに――参加するようになるにつれ、警察は運動を抑圧しづらくなるだろう。ブロードウェイのあるスローガンが言うように、「数こそ安全!参加して!」なのだ。

 それでもなお、既存の権力に挑戦することは、それも礼儀的でないやり方で、許可を超えてそうすることは、決して一〇〇%安全とはならないだろう。この運動が効果的である限り、そこにはまたリスクもつきまとう。もしあなたが参加するのなら、万が一のため、全国弁護士会(National Lawyers Guild)の電話番号を腕に書いておくのも悪くないアイディアだ。


――ウォール街に来られないのですが、何かできることがありますか?

 多くの人が既に、遠方にいて重要な役割を果たしている。これが分散化の魔法である。インターネットでは、動画の生中継を視聴することができるし、寄付することもできるし、ツイッターでリツイートすることもできる。興味を持つように、友達を励ますのもいい。また、IRCでのチャットやその他のソーシャル・メディアを通して、適当な技術を持った人々が、ボランティアで運動のウェブサイトを運営する手助けをしているし、動画を編集している。間もなく、要求に関する公式の議論が、オンラインでも広場でも起こるだろう。オフラインでは、全国で始まったばかりの無数の似たような占拠に、参加することができる。もしくは、自分で始めてもいい。

 結局は、運動のマントラの一つとなったある言葉から、常にアドバイスを受け取ることができるだろう。火曜日の夜、ジェネラル・アセンブリーの会合で一人の女性が表明したように、「恐怖ではなく愛によって、汝の心を占拠せよ」。


ネイサン・シュナイダー



訳者コメント:
 日付にある通り、昨年のウォール街での占拠から間もない頃の「ザ・ネイション」による一問一答。今となっては、要求にこだわるなど実情に合わない箇所もある。

by BeneVerba | 2012-06-01 15:50 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)