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 野間らの「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言が問題視されず、自称「カウンター」だけが起きる社会は、反差別がある程度実現した社会でなく、全く実現していない社会である。

 そもそもツイッター上においても、「カウンター」勢による差別暴言は日常茶飯事なのに、それを無視して「カウンターの現場」とやらに行って何になるというのか。「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言が、問題視されない社会こそ異常なのだ。

 「カウンター」参加者たちは言う。関西のカウンターはマイノリティ主体だとか、現場に来ればわかるとか、多様な人々が参加しているので、意見は一様ではないとか。それでは、率先して「カウンター」の中心人物たちの差別発言を批判したまえ。それでこそ、野間らの影からはなれられるのだ。

 野間は、私はヘイトスピーチに反対する会の学習会で見ているが、あれは駄々っ子だ。自分の中に倫理というものがない。差別発言を指摘されると、さらに過激な差別発言をして開き直る。このような人物を無視するのではなく、きちんと「彼は差別者である」といえる社会が、反差別が実現した社会だ。

 「カウンター」においては、特に「ヘイトスピーチ」が問題化されたが、「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言がヘイトスピーチであることは言うまでもないことである。だが、「カウンター」参加者は見て見ぬふりをするか、こうした発言を擁護するばかりだ。

 さらに、付け加えるべきことがある。それは、「カウンター」がレイシズムの二次加害に荷担しているというということだ。「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といったヘイトスピーチを投げつけることは、それそのものが第一の加害である。それに加えて、差別者がまるで反差別の旗手であるかのように、ふるまうのは、差別の被害者にとっては耐えがたき苦痛であり、差別の二次加害にあたるということだ。

 今あるような、「反差別運動」は、ファシズムに抗うどころか、その人畜無害性において、ファシズムに貢献するものであり、徹底して解体されなければならない。差別者たち(たとえば野間易通)の差別暴言は、責任を取らされたうえで、永遠に記憶されなければならない。

 現況の反差別運動(そして、その他の社会運動)はどこか奇妙だと思っている人々が、私に合流することを望む。なぜなら、「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言も、在特会のような行動保守も問題視される社会こそが、反差別が実現している社会だからだ。

 もし反差別のために行動する人ならば、「カウンター」に行った際に、のいほいや野間、木野、凡(彼は私のエスニシティを貶めたレイシストである)その他がいたら、彼らに食ってかかるべきなのだ。




by BeneVerba | 2014-06-27 14:27 | 意見 | Trackback | Comments(0)