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 ちょっとだけかっこいい「インターナショナル」のビデオがあるといいなと思いましたので、片手間に作ってみました。ウェブでフリーで入手できる素材を優先したので、特定の思い入れがあるわけではありません。共産主義者やアナキストの人は聴いたり、歌ったり、踊ったり、共有したりしてください。よろしくお願いします。





by BeneVerba | 2016-05-14 19:48 | 動画 | Trackback | Comments(0)
「ウォール街を占拠せよ」:次になされるべきは何か?
Occupy Wall Street: what is to be done next?
2012年04月24日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:http://www.guardian.co.uk/commentisfree/cifamerica/2012/apr/24/occupy-wall-street-what-is-to-be-done-next


 「ウォール街を占拠せよ」運動の余波の中で何をなすべきか、遙か彼方で始まった抗議――中東、ギリシア、スペイン、イギリス――が、中心へと到達し、増幅され、世界を席巻しているのだろうか?

 二〇一一年一〇月一六日のOWS運動のサンフランシスコでの反響において、一人の男が、まるでそれが一九六〇年代のヒッピー流のハプニングであるかのように、群衆に参加を呼びかけながら話しかけた。
「やつらは俺たちのプログラムは何だと訊いている。俺たちにプログラムなんてない。俺たちは楽しい一時を過ごすためにここにいるんだ」

 こうした表明は、抗議者たちが直面している最大の危険の一つを示している。彼らが、「占拠中」の場所で楽しい時間を過ごし、自分自身と恋に落ちるという危険である。カーニヴァルは安く付く――彼らの価値への真の試練はその後に何を残すか、我々の通常の生活がどの様に変わるのかだ。抗議者たちは辛く根気のいる労働と恋に落ちるべきなのだ――彼らは始まりであって、終わりではない。彼らの基本的なメッセージは、「タブーは破られた。我々は最善の可能世界に住んでいるわけではない。我々はオルタナティブについて考えることを許されている、義務付けられてさえいる」というものだ。

 ある種のヘーゲル哲学的な三つ組(triad)において、西側の左翼は元の場所へと回帰した。反レイシズムやフェミニズムなどの闘争との複数性のために、いわゆる「階級闘争の本質」を放棄した後、「資本主義」は現在明らかにその問題の名で再興隆している。

 最初に禁止しなければならない二つのことは、それゆえに、腐敗を批判することと金融資本主義を批判することである。第一に、人々と彼らの態度を非難してはならない。問題なのは腐敗や貪欲ではなく、腐敗へと駆り立てる体制である。解決策は、目抜き通りでもウォール街でもなく、目抜き通りがウォール街なしに機能しない体制を変えることだ。ローマ法王を始めとする著名人たちは、過剰な貪欲と達成の文化と戦えとの指令を、私たちに浴びせかけた――もしそうしたものがあるとしたら、この安っぽい道徳化のむかつくような光景は、まさにイデオロギー上の作戦である。体制それ自体に刻み込まれた(拡張された)衝動が、個人の罪、個人的な心理学的特質に翻訳されている。もしくは、法王に近い神学者の一人がこう述べたように。
「現在の危機は資本主義の危機ではなく、道徳性の危機なのです」

 エルンスト・ルビッチの『ニノチカ』の有名な冗談を思いだそう。カフェテリアを訪れた主人公が、クリーム抜きのコーヒーを注文する。するとウェイターがこう答えるのだ。
「申しわけございません、手前どもは現在クリームを切らしておりまして、ミルクしかございません。ミルク抜きのコーヒーならお持ちできますが?」

 一九九〇年の東欧の共産主義体制の解体において、よく似たトリックが働いたのではないだろうか?抗議した人々が求めていたのは、腐敗と搾取のない自由と民主主義だった。彼らが得たのは、連帯と正義のない自由と民主主義だった。同じ様に、法王に近いカソリックの神学者は用心深く、資本主義を攻撃することなしに、道徳的不正、貪欲、消費主義などを攻撃することを抗議者たちに求めている。資本の自己増進性は、これまでにないほど私たちの生活の究極の現実に食い込んでいる。資本主義は、その定義から言って、制御不可能な獣である。

 失われた大義に対するナルシシズムの誘惑、失敗する運命にあった蜂起の崇高な美を崇める誘惑は避けねばならない。蜂起の崇高な熱狂が終わったその後で、どのような新しい積極的な秩序が古いそれに取って代わるべきなのか?この重要な点において、我々は抗議の致命的な弱点に遭遇する。彼らは、最小限の積極的な社会政治的変革プログラムへと変容することのない真性の怒りを表明した。彼らは、革命なき反逆(revolt without revolution)の精神を示したのだ。

 パリでの一九六八年の抗議に反応して、ラカンはこう言った。
「革命家として、あなた方が切望するのは新しい主人である。あなた方はやがてそれを得るだろう」

 ラカンの評言は、スペインのインディグナドスに対しても(そればかりではないが)、その対象を見いだせるようだ。彼らの抗議が、古いそれを置き換える新しい秩序の積極的なプログラムを欠き、主人を求めるヒステリー的な憤激である限りにおいて、たとえ否認するにせよ、新しい主人を求める声として効果的に機能する。

 我々はこの新しい主人をギリシアとイタリアに見ている。おそらくスペインがそれに続くだろう。あたかも抗議者の専門的なプログラムの欠如に回答するかのように、政府の政治家を非政治的なテクノクラート(ギリシアやイタリアがそうであるように、ほとんどが銀行家)からなる「中立な」政府に取り替えるというのが、現在の傾向である。彩り豊かな「政治家」は外、灰色の専門家は内というわけだ。この傾向は明らかに、永続的な緊急事態と政治的な民主主義の停止に向かうだろう。

 したがって、我々はこの発展の中にまた挑戦も見出さなければならない。イデオロギーのもっとも冷酷な形態として、非政治的な専門家の支配を拒否するだけでは充分ではない。優勢な経済組織に替えて、何を提案すべきかもまた真剣に考え始めるべきなのだ。代わりとなる組織の形態を想像し実験するべきなのだ。新しいものの芽生えを探し求めるべきなのだ。共産主義は体制が停止した時の単なる、あるいは優勢な集団抗議のカーニヴァルではない。共産主義は何よりもまた新しい形態の組織であり、規律であり、重労働なのだ。

 抗議者たちは敵だけではなく、彼らを支持するふりをしているが、抗議を薄めようと忙しく働いている偽の友たちにも注意するべきだ。我々がカフェイン抜きのコーヒーを、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを渡されるのと同じやり口で、彼らは抗議を無害で道徳的な身振りに替えようとするだろう。ボクシングにおいて「クリンチ」が意味するのは、パンチを予防するか妨げる目的で、対戦者の身体を片方ないし利用法の腕でつかむことである。ビル・クリントンのウォール街抗議への反応は、政治的クリンチの完璧な例だ。クリントンは抗議を「全体的に考慮すれば……積極的なことだ」と考えているが、抗議の不明瞭さを心配している。クリントンは抗議者たちにオバマ大統領の雇用計画を支持するように示唆した。それによれば「次の一年半の間に数百万の雇用が創出されるだろう」。この段階で抵抗すべきなのは、まさにこうした抗議のエネルギーを一連の「具体的で」実用的な要求に素早く置き換えようとする行為だ。そう、抗議は真空を作り出した。真に新しいものの幕開けとなるものを。抗議者たちが街頭へと繰り出した理由は、コーラの空き缶をリサイクルすることで、チャリティとして数ドルを寄付することで、もしくはスターバックスのカプチーノを買うと、その一%が第三世界の抱える問題にいくことで、彼らを満足させて、それで良しとしているこの世界にうんざりしているからなのだ。

 経済のグローバリゼーションは漸進的に、だが容赦なく西側の民主主義の正統性を損なっている。それらの持つ国際的な性格のせいで巨大な経済的プロセスは、定義により国民国家に限られている民主的な機構によって制御することができない。そのために、人々はさらに制度的な民主的形態が彼らの死活問題をとらえることができないという事態を経験する。

 マルクスの重要な洞察がこれまでになく未だ有効なのはここだ。マルクスにとって、自由の問題は、厳密に政治的分野の第一に置くべきものではなかった。実際の自由への鍵は、市場から家族までの、社会的諸関係の「非政治的な」ネットワークに存するものだった。そこでは、我々が実際の改善を望むのなら必要な変化は政治的な改革ではなく、「非政治的な」生産の社会的諸関係を変えることだった。誰が何を所有するかについて投票したりはしないし、工場での関係について投票したりしない……などなど。こうした全てのものは政治的な分野の外側のプロセスに委ねられている。民主主義をこの分野にまで「拡張する」ことによって、ものごとを効果的に変えることができると期待するのは非現実的である。言うなれば、人々の管理下にある「民主的な」銀行を運営しようというようなものだ。そうした「民主的な」手続き(もちろんそれらは積極的な役割を果たすことができるが)においては、我々の反資本主義がいくらラディカルなものであっても、解決策は民主的な機構の適用を模索される。それは――決して忘れるべきではないことに――資本の再生産の円滑な機能を保証する「ブルジョワ」国家の国家機構の一部なのだ。

 一貫したプログラムのない国際的な抗議運動の出現は、それゆえに偶然の出来事ではない。それは明確な解決策のないより深刻な危機の反映である。状況は精神分析のそれに類似している。患者は答えを知っている(彼の症状がそのような答えだ)が、何に対する答えなのかを知らず、分析家が問題を構成しなければならない。そのような根気強い仕事を通してのみプログラムは出現するだろう。

 かつてのドイツ民主共和国の古い冗談にこういうものがある。ドイツの労働者がシベリアで働くことになった。全ての手紙が検閲官に読まれることを知っていたので、友人にこう言った。
「暗号を決めておこう。君が私から受け取った手紙が普通の青いインクで書かれていたら、それは真実だ。もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ」

 一ヵ月後、彼の友人は全てが青い色で書かれていた最初の手紙を受け取った。
「ここは全く素晴らしいところだ。商店は品揃えが良い。食料は豊富にある。アパートメントは広々としてちょうど良い暖かさだ。映画館では西側の面白い映画をやっている。お楽しみが欲しければ美しい女の子たちだっている。……ここで手に入らないものと言ったら、赤いインクだけだ」

 これが今まで私たちが置かれてきた状況ではないだろうか?私たちには望む全ての自由がある――ただ欠けているのは「赤いインク」だけだ。私たちが自由だと感じるのは、私たちの不自由を明確に現すその言語を欠いているからだ。この赤いインクの欠如が意味するものは、現在の紛争を示すために我々が用いる全ての主要な用語――「テロとの戦い」「民主主義と自由」「人権」など――が偽物であり、我々にそれを思考する代わりに、我々の状況認識を惑わすものだということだ。

 今日の課題は、抗議者たちに赤いインクを与えることである。



訳者コメント:
 ツイッターで翻訳のリクエストがあり、翻訳。このブログの読者ならおわかりのように、これまでに発表した文章やスピーチとの重複が多い。特に昨年の「ウォール街を占拠せよ」でのスピーチと重なる部分は明かであろう。

 付け加わった部分については、訳者がその能力に達していないこともあり(もっとマルクスを読まないと……)コメントを割愛させていただきたい。

by BeneVerba | 2012-05-18 03:06 | 翻訳 | Trackback | Comments(2)
民主主義と資本主義の結婚は終わった
The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over
2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク





 私たちは負け犬と呼ばれています。しかし、真の負け犬たちは、あそこウォール街にいます。彼らは、数十億もの私たちのお金で、救済措置を受けたのです。私たちは社会主義者と呼ばれています。しかし、ここには既に富裕層のための社会主義が存在するのです。私たちは私有財産を尊重していない、と彼らは言います。しかし、二〇〇八年の金融崩壊においては、苦労の末に手に入れた私有財産が数多く破壊されたのです。私たちの全員が、昼夜の境なく数週間の破壊活動に及ぶよりも多くです。

 私たちは夢を見ているのだと、彼らは言います。しかし、真に夢を見ている人というのはものごとが永遠にそのままであり続けると考えている人たちのことです。私たちは夢を見ているのではありません。私たちは夢から覚めつつあるのです。悪夢へと変わろうとしている夢から。私たちは何一つ破壊していません。私たちはただ、体制がどのように自壊するかを目撃しているだけなのです。

 私たちがみな知っているカートゥーンの古典的な場面があります。断崖へ到達した猫が、そのまま歩き続けるのです。下には何もないという事実を無視して。下を見て、そのことに気付いた時に、ようやく落下します。それが私たちがここで、やっていることなのです。私たちは、ウォール街の面々に、こう言っているのです。「おい、下を見ろ!」と。

 二〇一一年の四月中旬に、中国政府はあることを禁止しました。全てのTVや映画や小説において、別の現実やタイム・トラベルを含む内容を扱うことを。これは中国にとって良い兆候です。つまり、人々が未だオルタナティブを夢見るためには、そうした夢を禁止すべきだ、ということです。ここでは、そうした禁止は必要ありません。なぜなら、支配体制が私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちが普段観ている映画を、思い浮かべてください。世界の終わりを想像するのは容易です。小惑星が生命体を全て絶滅させるとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉は想像できません。

 それでは、私たちは一体ここで何をしているのでしょう?ここで一つ、素晴らしい、古い、共産主義時代のジョークをお話しさせてください。一人の男が、東ドイツからシベリアへ、働くために送られました。自分の手紙が検閲官に読まれることを、彼は知っていました。そこで、自分の友達にこう言いました。「暗号を決めておこう。もし私からの手紙が、青いインクで書かれていたら、私の言っていることは真実だ。もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ」。

 一ヵ月後、彼の友達は最初の手紙を受け取りました。全ては青いインクで書かれていました。その手紙にはこう書かれてました。「ここは全く素晴らしいところだ。商店はおいしい食べ物で一杯だ。映画館では西側の面白い映画が観られる。アパートメントは広々として豪華だ。ここで手に入らないものと言ったら、赤いインクだけだ」。

 このようなあり方で、私たちは生きているのです。私たちには、私たちが望むあらゆる自由があります。私たちには、ただ赤いインクがないだけなのです。私たちの不自由を明確に表すための言語が。私たちがそういう風に話すようにと教えられた自由についての話法――「テロとの戦い」とかそういったことです――それが自由を偽ってしまうのです。そして、それがあなたたちが、ここでしていることなのです。あなたたちは、私たちみなに赤いインクを授けているのです。

 そこには危険もあります。自分自身と恋に落ちないようにしてください。私たちはここで、楽しい時を過ごしています。だが、覚えておいてください。カーニバルは安上がりなのです。重要なのは、その翌日私たちが日常生活へと戻る時です。そこに何らかの変化はあるのでしょうか?私はあなたたちに、これらの日々を想い出にして欲しくありません。「ああ、私たちは若く、全ては素晴らしかった」などと。

 覚えておいてください。私たちの基本的なメッセージは、「私たちはオルタナティブを考えることを許されているのだ」というものです。タブーは破られました。私たちは、最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。この先に長い道のりがあります。そこには、真に困難な問いが立ちはだかっています。私たちは、私たちが何を望んでいないかを知っています。それでは、私たちは一体何を望んでいるのでしょう?どのような社会組織が、資本主義の代わりとなるのでしょう?どのようなタイプの新しいリーダーを、私たちは望んでいるのでしょう?

 覚えておいてください。問題は、腐敗でも貪欲でもないのです。問題なのは体制です。それが腐敗を強いるのです。敵だけに注意するのでなく、偽の友にも注意してください。彼らは既に、この抗議を薄めようとしています。カフェイン抜きのコーヒーを、受け取る時と同じやり口で、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを、受け取る時と同じやり口で彼らは、これを無害で道徳的な抗議活動に変えようとするでしょう。カフェイン抜きの抗議です。

 私たちがここにいる理由は、私たちがこの世界にうんざりしているからなのです。コーラの空き缶をリサイクルすることで、チャリティとして数ドルを与えることで、もしくは、スターバックスのカプチーノを買うと、その一%が飢えに苦しむ第三世界の子どもたちのところに行くことで、私たちを気分良くして、それで良しとしているこの世界に。労働と拷問を外部に委託したその後で、私たちの性生活ですら、今や結婚仲介業者が外部に委託しているその後で、私たちは理解しています。私たちの政治的参加もまた、長い間委託されるに任せていたことを。私たちはそれを取り戻したいのです。

 私たちは共産主義者ではありません。もし、共産主義が一九九〇年に崩壊した体制を意味するのならば。思い出してください。今日ではそれらの共産主義者たちが、もっとも能率的で冷酷な資本主義者であることを。今日の中国には、資本主義が存在します。アメリカの資本主義以上に、ダイナミックなが資本主義が。しかし、それは民主主義を意味しません。それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、脅されるような真似を許してはならないということです。まるであなたが民主主義に、反対しているかのように。民主主義と資本主義の結婚は終わったのです。

 変革は可能です。ところで、今日私たちは何を可能だと見なしているのでしょう?メディアを追いかけてみましょう。一方では、テクノロジーとセクシャリティーにおいて、全てが可能であるかのように見えます。月まで旅行に出かけることも可能です。遺伝子工学によって、不死になることも可能です。動物であれ何であれと、セックスすることも可能です。ですが、社会と経済の領域を見渡してみると、そこでは、ほとんど全てのことが不可能だとされているのです。

 あなたが富裕層の税率を、ちょっとばかり引き上げたいと言えば。「それは不可能だ。競争力を失う」と彼らは言うのです。あなたがヘルスケアにもっとお金が欲しいと言えば、「不可能だ。全体主義国家のやることだ」と彼らは言うのです。この世界はどこかが間違っているのではないでしょうか。不死になることを約束されているのに、ヘルスケアに費やすお金をほんの少しも上げることができない世界は。

 おそらくここできちんと私たちの優先事項を、設定することが必要なのでしょう。私たちはより高い生活水準など望んでいないのです。私たちはより良い生活水準を望んでいるのです。たった一つの意味においてのみ、私たちが共産主義者(コミュニスト)であるのは、私たちがコモンズに配慮しているからです。自然のコモンズ、知的所有権によって私物化されたもののコモンズ、遺伝子工学のコモンズ。このために、このためだけに私たちは闘うべきなのです。

 共産主義は間違いなく失敗しました。しかし、コモンズの問題がまだここにあります。ここにいる私たちはアメリカ人ではない、と彼らは言います。しかし、自分たちこそが本当のアメリカ人だと主張する保守派の原理主義者たちは、何かによって気付かされなければなりません。キリスト教とは何でしょうか?それは聖霊です。聖霊とは何でしょうか?信じる者たちによって構成される、平等主義の共同体です。お互いへの愛で結びついた者たちによって。そして、自らの自由と責任を所有する者だけが、それをなすことができるのです。

 この意味において、聖霊は今ここに存在します。そして、あそこウォール街にいるのは、涜神的な偶像を崇拝している異教徒たちです。だから、私たちに必要なのは忍耐だけです。私が恐れているたった一つのことは、私たちがいつの日にか家に帰り、一年に一度会うようになり、ビールを飲みながら、ノスタルジックに想い出に耽るというものです。「私たちは、なんて素敵な時をあそこで過ごしたのだろう」と。そういうことにならないように、自らに誓いましょう。

 私たちは知っています。人々がしばしば何かを欲しても、本当にはそれを望んだりしないことを。どうか、あなたが本当に欲するものを、望むことを恐れないでください。

 どうもありがとうございました!



コメント:
 YouTubeの長さ制限が緩和されたため、以前二分割でアップロードしていたスラヴォイ・ジジェクの「ウォール街を占拠せよ」でのスピーチを、新たに編集し、訳も見直して一本の動画としてアップロードしたもの。わずかながら画質と音質が向上していると思う。

 英文の書き起こしはこちら。字幕用ではない、演説としての翻訳はこちら(この翻訳も見直した)。ここからはただのぼやきだが、前の素材を再利用するのだから片手間にできると思ったら、何度もエンコードしたり、アップロードしたり、大変苦労してしまった。

by BeneVerba | 2012-05-08 19:41 | 動画 | Trackback | Comments(2)
スラヴォイ・ジジェクに訊く
Q&A: Slavoj Žižek, professor and writer
2008年08月09日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2008/aug/09/slavoj.zizek


 スラヴォイ・ジジェク(59歳)はスロベニア共和国のリュブリャナに生まれた。彼はヨーロピアン大学院大学の教授であり、ロンドンのバークベック人文学研究所のインターナショナル・ディレクターであり、リュブリャナ大学社会学研究所の主席研究員である。ヒッチコックから、レーニン、9・11にいたるまでの30冊以上の広範な書物の著者であり、TVシリーズ『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』の司会でもある。


――これまでで一番幸せだったのはどんな時ですか?

 時々、幸せになることを期待したり、そうだったことがあるか思い出そうとしたりするんだが、一度もそういう時はないんだ。

――一番恐れていることは何ですか?

 埋葬された後で蘇生することだね。それが私がさっさと火葬してもらいたい理由さ。

――あなたの最初の記憶は何ですか?

 裸の母。実に嫌な感じだった。

――あなたが一番尊敬する存命中の人物とその理由は?

 ジャン=ベルトラン・アリスティド。二度も退位させられたハイチの大統領だ。彼は、絶望的な状況においてさえ、民衆のために何ができるのかのモデルだ。

――あなたが一番残念に思っている自分の特性は?

 他人の苦境への無関心。

――あなたが一番残念に思っている他人の特性は?

 私が必要でもないし、望んでもいない時に、安っぽい助けを申し出られること。

――これまでで一番恥ずかしかった瞬間は?

 セックスの前に、女性の真ん前に素っ裸で立ってた時。

――資産を除いて、あなたの一番高価な買い物とは?

 新しいドイツ版のヘーゲル全集。

――あなたの一番の秘蔵品は?

 前の回答を見てくれ。

――あなたを落ち込ませることとは?

 アホな連中が幸せそうにしているのを見ること。

――自分の外見についてあなたが一番嫌いなことは?

 それが本当の自分であるかのように見えること。

――あなたの一番魅力的でない癖とは?

 話している時の珍妙なまでに過剰な手の動き。

――仮装服として何を選びますか?

 私の顔に、私の顔の仮面を着ける。そしたら、みんな私の振りをしている誰かで、私ではないと思うだろ。

――一番やましい楽しみとは?

 『サウンド・オブ・ミュージック』みたいな、困惑するほど感傷的な映画を観ること。

――あなたのご両親に恩義を感じていることは?

 何もない。そうだといいと思う。死んだ時にもこれっぽっちも嘆いたりしなかった。

――誰に対して一番謝りたいですか、またその理由は?

 息子たちに対して。充分に良い父親でないことを。

――愛というものをどういう風に感じていますか?

 とんでもない不運、恐るべき寄生体、全てのささやかな楽しみを台無しにする永続化された緊急事態、そういったもの。

――あなたが人生をかけて愛している物もしくは人とは?

 哲学。私は、リアリティが実在し私たちはそれを推察することができると、密かに考えている。

――あなたが一番好きな匂いは?

 腐敗した自然の匂い。腐った樹木のような。

――本気でないのに「愛してる」と言ったことがありますか?

 いつもだ。本気で誰かを愛してる時には、攻撃的で後味の悪い発言をしてしまうんだ。

――あなたが一番軽蔑している存命中の人物とその理由は?

 拷問の手助けをしている医者たち。

――これまでで一番最悪だった仕事は?

 教師。私は生徒たちが嫌いだ。彼らのほとんどは、(全ての人々がそうであるように)アホだし退屈だ。

――これまでで一番失望したことは?

 アラン・バディウが20世紀の「不明瞭な惨事」と呼んだもの。共産主義の悲劇的な失敗。

――もし過去を編集することができるなら、どこを変えますか?

 自分が生まれたことを。私はソフォクレスに同意する。「一番の幸運は生まれないことだ」。この冗談はこう続くんだ。「ただ、それを成し遂げるのはごく少数だ」。

――過去に行けるとしたら、どこに行きますか?

 19世紀初期のドイツに。大学でヘーゲルの講義を受講するために。

――あなたのリラックス法は?

 繰り返し繰り返しワーグナーを聴くこと。

――どれくらいの頻度でセックスをしますか?

 「セックス」という言葉で何を意味するかによるね。もし、それが普通そうであるように、生きているパートナー相手のマスターベーションを意味するのなら、全くそれをしないように努めている。

――これまでで一番死に近づいた時は?

 軽度の心臓発作を起こした時。自分の身体が嫌いになったよ。そいつは私に盲目的に仕えるという義務を拒否したんだ。

――人生を改善するために一つだけ何かするとすれば?

 老衰を回避すること。

――あなたの一番の業績は何だとお考えですか?

 私がやったヘーゲルの良い解釈だと考えている数章。

――人生で学んだ一番のことは?

 人生とは、何も学ぶことのない、馬鹿げた意味のない代物だということ。

――何か一つ秘密を教えてください。

 共産主義は勝利するよ。



訳者コメント:
 少しだけ時間がとれたので、軽めの内容のジジェクQ&Aを翻訳。その割には思ったより時間がかかってしまったが(訳すことは読むことの千倍は時間がかかる)。

 この文章は2008年のものなのだが、なぜか今英語圏を中心としたTwitterで人気で、「ジジェクすごい!」みたいな感想がとびかっていたので、それで知った次第。そのままでお楽しみいただきたい。

11/12の更新:
 昨日の投稿を再チェックし、いくつかの語句の変更をしたが、一つ誤訳があったので以下それを記載。
変更前:「最大の幸運は生まれたことにあるのではない」。この冗談はこう続くんだ。「ごく少数だけがそれで成功することだ」。
変更後:「一番の幸運は生まれないことだ」。この冗談はこう続くんだ。「ただ、それを成し遂げるのはごく少数だ」。

 時間がないため、再チェックに充分に時間をかけることができなかった。ミスがあれば申し訳ない。後で改めてチェックしたい。

[同日の追記]
 その後夕方に再チェックをやる時間が持てた。ごく少数の訳語を変更したが、誤訳は見つからず。こういうやり方は一人でやるWikiのようなものだと考えている。

by BeneVerba | 2011-11-11 22:14 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
まずは占拠だ、要求はそれから
Occupy first. Demands come later
2011年10月26日 - スラヴォイ・ジジェク
原文: http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/oct/26/occupy-protesters-bill-clinton


 ウォール街の占拠とその後に、何をなすべきか――遙か彼方で始まった抗議運動が、中心へと到達し、そして今、増強され、世界中で巻き返しているのだろうか?抗議運動の参加者たちが直面する最も大きな危険の一つは、彼らが自分たち自身と恋に落ちることだ。今週のウォール街の占拠運動のサンフランシスコでの反響において、ある男が群衆に参加を呼びかけながら、まるでそれが60年代のヒッピー流のハプニングであるかのように、こう話した。「奴らは俺たちに、俺たちのプログラムは何だと訊いている。俺たちにプログラムはない。俺たちは楽しい一時を過ごすためにここにいるんだ」。

 カーニバルは安上がりだ――彼らの価値に対する真の試練は後日に何を残すか、我々の日常生活がどの様に変えられるかだ。抗議運動の参加者たちは、重くて根気のいる労働と恋に落ちるべきなのだ――彼らは始まりであって、終わりではない。彼らの基本的なメッセージは、タブーは破られた、我々は最善の可能世界に住んでいるわけではない、我々はオルタナティブについて考えることを許されている、義務付けられてすらいる、というものだ。

 ある種のヘーゲル哲学の弁証法のように、西側世界の左翼は元の場所へと戻った。反レイシスト、フェミニスト、その他の闘争の複数性のために、いわゆる「階級闘争の本質」を放棄した後、資本主義は今や疑いもなく、その問題の名において再出現している。したがって、最初に学ぶべきことは、人々と彼らの態度を非難するなというものだ。問題は腐敗でも貪欲でもなく、腐敗へと駆り立てる体制が問題なのだ。解決策は、「ウォール街ではなく、目抜き通り(Main Street, not Wall Street)」ではなく、目抜き通りがウォール街なしに機能しない体制を変えることなのだ。

 この先に長い道のりがある。近い内に我々は真に困難な問いに対処しなければならなくなる――我々が何を望まないかの問いではなく、我々が何を望むのかという問いだ。どの様な社会組織が現存する資本主義の代わりとなることができるのだろうか?どの様なタイプの新しいリーダーが我々に必要なのだろうか?どの様な組織が、それらの管理と抑圧を含むのか?20世紀のオルタナティブが有効でないことは明白だ。

 抗議運動の群衆たちとの平等主義的な連帯と、定まりのない自由な討論の「水平的な組織」の喜ばしさを楽しむことが、ぞくぞくするような体験である一方で、我々はまたG・K・チェスタトンが書いたことを心に留めておくべきだろう。「単に開かれた心を持つだけでは何ものでもない。心を開く目的は、口を開く目的と同様に、それを何か堅いものに対して再び閉じることにあるのだ」。これは不確実性の時代の政治にも当てはまる。自由な討論は、何か新しい主人のシニフィアンにおいてだけでなく、古いレーニン主義者の「何をなすべきか」という問いへの具体的な回答において癒合するべきなのだ。

 保守派の直接的な攻撃に対して答えるのは簡単だ。抗議運動の参加者たちは非アメリカ人なのだろうか?保守派の原理主義者がアメリカはキリスト教国家だと主張する時、思い出すべきなのはキリスト教とは何であるかだ。それは聖霊、つまり愛で結びついた信じる者たちによる自由な平等主義の共同体である。抗議運動の参加者たちが聖霊である一方で、ウォール街の異教徒たちは偽の偶像を崇拝している。

 抗議活動の参加者たちは暴力的なのだろうか?まさしく、彼らの言語こそ暴力的に見える(占拠、その他)かもしれないが、マハトマ・ガンディーが暴力的であったという意味においてのみ、彼らは暴力的なのだ。彼らは暴力的だ、なぜなら物事のあり方に終わりを告げようとしているのだから――だが、この暴力は、グローバルな資本主義体制の円滑な機能を維持するために必要な暴力と比べて何なのだろうか?

 彼らは敗者と呼ばれている――だが真の敗者はウォール街にいる、途方もない救済措置を受けた者たちではないだろうか?彼らは社会主義者と呼ばれている――だが、合衆国には、既に富裕層のための社会主義が存在する。彼らは私有財産を尊重していないことで非難されている――だが2008年の金融崩壊を導いたウォール街の投機は、抗議運動の参加者たちが昼夜の境なく破壊するよりも多く、苦労の末に手に入れた私有財産を消し去ったのだ――差し押さえられた何千もの土地建物を思い浮かべればそれでいい。

 もし、共産主義が1990年に然るべく崩壊した体制を意味するのならば、彼らは共産主義者ではない――そして、まだ権力を掌握している共産主義者たちが最も冷酷な資本主義を運営していることを、思い起こすべきだ。中国での共産主義者の運営による資本主義の成功は、資本主義と民主主義の結婚生活が離婚へと近づいている不吉な兆候である。彼らがコモンズを配慮しているという意味においてのみ、抗議運動の参加者たちはコミュニストなのだ――自然のコモンズ、知識のコモンズ――それらこそ体制によって脅かされているものである。

 彼らは夢を見ているのだ、としてはねつけられている。だが、真に夢を見ている人というのは、ちょっとした化粧直しを施すだけで、物事が無期限にそのままであり続けることが可能だと考えている人々のことだ。彼らは夢を見ている人たちではない。彼らは悪夢へと変わろうとしている夢からの目覚めなのだ。彼らは何一つ破壊していない。彼らはただ体制がどの様に漸進的に自壊していくかに反応しているのだ。我々が皆知っているカートゥーンの古典的な場面がある。猫が断崖へと到達するが、そのまま歩き続ける。下を見てその深淵に気づいた時に、ようやく落下し始める。抗議運動の参加者たちは、権力者たちに下を見るように促しているだけなのだ。

 これは簡単な部分だ。抗議運動の参加者たちは、敵だけではなく、彼らを支持する振りをしながら既にこの抗議運動を薄めようと猛烈に働いている偽の友にも注意すべきだ。カフェイン抜きのコーヒーを、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを我々が受け取るのと同様なやり方で、権力者たちは抗議運動を無害で道徳的な身振りへと変えようとするだろう。

 ボクシングにおいて、クリンチが意味するのは、パンチを予防するか妨げる目的で、片方ないしは両方の腕で対戦者の体をつかむということだ。ビル・クリントンのウォール街の抗議運動への反応は、政治的なクリンチの完全な例だ。クリントンは抗議運動の参加者たちは、「全体的に考慮して言えば……積極的な意味を持つことだ」と言う。だが、彼は主張の曖昧さを心配している。「彼らはもっと具体的な何かになる必要がある。何かに反対しているというだけの理由で、何かに反対するのでなく。彼らの作った真空を誰かが満たす必要がある」と彼は言った。クリントンは、抗議運動の参加者たちに、オバマ大統領の雇用政策の陰に隠れることを示唆しているのだ。それは「次の一年半の間に数百万の雇用を生み出すだろう」とオバマは主張している。

 この段階において抵抗するべきなのは、まさしくこうした抗議運動のエネルギーを一組の具体的でプラグマティックな要求へと、素早く置き換えようとする行為だ。そう、抗議運動の参加者たちは真空を作った――主導的なイデオロギーの領域における真空だ。そして適切な方法でこの真空を満たすには、重大な意味をはらむ真空がそうであるように、真に新しいものの幕開けがそうであるように、時間が必要なのだ。

 抗議運動の参加者たちが街頭へ繰り出した理由は、彼らがこの世界にうんざりしているからなのだ。コーラの缶をリサイクルすることで、数ドルをチャリティに寄付することで、もしくは、カプチーノを買うとその1%が発展途上国の抱える問題に向かうことで、彼らを気分良くさせて、それで良しとしているこの世界に。労働と拷問を外注にしたその後で、結婚仲介業者が我々の恋愛すら外注にし始めたその後で、彼らは、もう長い間自分たちの政治的参加もまた外注されるに任せていたことを理解したのだ――そして、彼らはそれを取り戻したいのだ。

 政治の技法はまた、徹底的に「現実主事者」である一方で、主導的なイデオロギーのまさにその核をかき乱すような特定の要求を主張するだろう。すなわち、確実に実行可能で適法である一方で、既成事実として不可能なこと(合衆国における国民皆保険制度がそのような例だ)を。ウォール街の抗議運動の余波において、我々は確かにそうした要求を作成するために、人々を結集させるべきだ――とはいえ、それでもなお同時に、交渉と「現実主義者」の提案のプラグマティックな領域から差し引かれてあることは、重要なのだ。

 常に念頭に置くべきなのは、今ここでのどの様な討論も必然的に敵の領分に留まるということだ。新しい内容を展開するには、時間が必要なのだ。我々が今言っていることは、全て我々自身から引き出されたものだ――我々の沈黙を除いては。この沈黙、この対話の拒否、あらゆる形態のクリンチの拒否こそが、我々の「テロ」なのだ。それは当然にも不吉で脅迫的なのだ。



訳者コメント:
 スラヴォイ・ジジェクが英ガーディアン紙に26日に発表した論考。基本的に、彼の10月9日の「ウォール街を占拠せよ」での演説を元にして、書き言葉として定着させたものと言っていいと思う。だが、「イデオロギーの領域における真空」などいくつかの見方が付け加わっている。彼のスピーチを読むか、字幕付きの動画などで視聴した人なら、その異同部分に目がいくはずだ。

 私にとっては、自分の力量の狭さを感じさせる翻訳だった。話し言葉に比べて、書き言葉(しかもジジェクの)を翻訳するのは、何段階か上の高度さ、精密さ、知識が要求される作業だった。訳者の力量不足による誤訳などあれば指摘を歓迎したい。それに自分でもジジェクについて、その他の基本的な教養についてもっと学びたいと思う。

 一つ主観的なことを言うと、私は以前から、コミュニズムないし、マルクスが重要なのは、資本主義社会の中で暮らしている私たちは、資本主義的な思考に頭のてっぺんまで浸かっているからだと考えていた。つまり覚醒しようとするために、自分に見えていないものを見るために。だから、ジジェクがこうしたことを言ってるのを見て、自分と同じことを考えている人がいると思う。

 なお、原文にあるリンクは、ガーディアン紙へのリンクを除きそのままとした。

脚注代わりとして:
 「ウォール街ではなく、目抜き通り(Main Street, not Wall Street)」という表現は、ブログ『時事英語ブリーフィング』の「ウォールストリート対メインストリート」という記事に詳しい。引用すると「“Wall Street”は米国の金融街のことで、“Main Street”は米国のどの町にも見られる地元の大通りのこと」である。『時事英語ブリーフィング』に対して、またこうした情報を共有できることに対して感謝したい。

 「ウォール街ではなく、目抜き通り」という言い回しは、スラヴォイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義――はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(ちくま新書)から借りたものだ。訳者である栗原百代さんに感謝する。

11/1の更新:
 「someone else will fill the vacuum...」というクリントンのアドヴァイスからの引用部分が訳されていなかったのと、「The art of politics is also to insist...」の部分が明らかに読み間違いだったのでそれぞれ訂正した。前者は単純ミス、後者は誤訳だ。

 また、文脈に影響しない範囲で、いくつかの語句をよりふさわしいと思われるものに改めた。申し訳ない。……と最近感じるようになっているのだが、一人で訳し自らチェックすることの限界も感じている。誤訳や誤字脱字などの指摘をいただけることで訳文が向上するのなら幸いだ。

 他に、原文で<EM>タグにより強調されている部分を、<B>タグで表した。これにより「望むのか」という語句が強調されることになったが(原文は「do」のみ)、それはジジェクの「ウォール街を占拠せよ」での演説で、最後に言われた言葉だったのだから、そう悪くはないと思っている。

by BeneVerba | 2011-10-31 12:16 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
民主主義と資本主義の結婚は終わった
The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over
2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク





 私たちは負け犬と呼ばれています。しかし、真の負け犬はあそこウォール街にいます。彼らは、数十億もの私たちのお金で、救済措置を受けたのです。私たちは社会主義者と呼ばれています。しかし、ここでは常に富裕層のための社会主義があるのです。彼らは、私たちが私有財産を尊重していないと言います。しかし、2008年の金融崩壊においては、苦労の末に手に入れた私有財産が多く破壊されたのです。ここにいる私たちが昼夜の境なく数週間の破壊活動に及ぶよりも多く。

 彼らは、私たちは夢を見ているのだと言います。真に夢を見ている人というのは、ものごとが永遠にそのままであり続けると考えている人々のことです。私たちは夢を見る人ではありません。私たちは夢から覚めつつあるのです。悪夢へと変わろうとしている夢から。私たちは何一つ破壊していません。私たちはただ、どのように体制が自壊するのかを目撃しているのです。

 私たちがみな知っているカートゥーンの古典的な場面があります。断崖へと到達した猫が、そのまま歩き続けるのです。下には何もないという事実を無視して。下を見て、そのことに気づいた時に、ようやく落下します。それが私たちがここでやっていることなのです。私たちは、ウォール街の面々にこう言っているのです。「おい、下を見ろ!」と。


 2011年の4月中旬に、中国政府があることを禁止しました。全てのTVや映画や小説において、別の現実やタイム・トラベルを含む内容を扱うことを。これは中国にとって良い兆候です。つまり、人々が未だオルタナティブを夢見るためには、そうした夢を見ることを禁止するべきだ、ということです。ここでは、そのような禁止は必要ありません。なぜなら、支配体制は私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちがいつも観ている映画を思い浮かべてください。世界の終わりを想像することは容易です。小惑星が全ての生命体を絶滅させるとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉を想像することはできません。

 それでは、私たちは一体ここで何をしているのでしょう?ここで一つ、素晴らしい、古い共産主義者の時代のジョークをお話しさせてください。ある男が、東ドイツからシベリアへと、働くために送られました。彼は、自分の手紙が検閲官によって読まれるであろうことを知っていました。そこで、自分の友達にこう言いました。暗号を決めておこう。もし、私から受け取った手紙が青いインクで書かれていたら、私の言っていることは本当だ。もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ。

 一ヶ月後、彼の友達は最初の手紙を受け取りました。全ては青いインクで書かれていました。その手紙にはこう書かれてました。ここは全く素晴らしいところだ。商店はおいしい食べ物であふれている。映画館では西側の面白い映画が観られる。アパートの部屋は広々として豪華だ。ここで手に入らないものと言ったら、赤いインクだけだ。

 私たちはこのようなあり方で生きているのです。私たちには、私たちが望む全ての自由があります。私たちには、ただ赤いインクがないだけなのです。私たちの不自由を明確に表現するための言語が。私たちがそういう風に話すように教えられた自由についての話法、テロとの戦いとかそういったことです、それが自由を偽ってしまうのです。そして、それがあなたたちがここでしていることなのです。あなたたちは、私たちみなに赤いインクを授けているのです。


 そこには危険もあります。自分自身と恋に落ちないようにしてください。私たちはここで素晴らしい時を過ごしています。だが、覚えておいてください。カーニバルは安上がりなのです。重要なのはその翌日、私たちが日常の生活に戻る時です。そこに何らかの変化はあるでしょうか?私はあなたたちに、これらの日々を想い出にしてほしくありません。「ああ、私たちは若く、全ては素晴らしかった」などと。

 覚えておいてください。私たちの基本的なメッセージは、「私たちはオルタナティブを考えることを許されているのだ」というものです。もし規則が破られるのなら、私たちは最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。この先に長い道のりがあります。真に困難な問いに私たちは直面しています。私たちは、私たちが何を望んでいないかを知っている。だが、私たちは一体何を望んでいるのでしょう?どのような社会組織が資本主義の代わりになるのでしょう?どのようなタイプの新しいリーダーを私たちは望んでいるのでしょう?

 覚えておいてください。問題は腐敗でも貪欲でもありません。体制が問題なのです。それがあなたたちに腐敗を強いるのです。敵だけに注意するのでなく、偽の友にも注意してください。既にこの過程を薄めようとしている偽の友に。あなたがカフェイン抜きのコーヒーを、受け取るのと同様なやり方で、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを、受け取るのと同様なやり方で、彼らはこれを無害で道徳的な抗議運動に変えようとするでしょう。カフェイン抜きプロセスです。





 私たちがここにいる理由は、私たちがこの世界にうんざりしているからなのです。コーラの缶をリサイクルして、チャリティとして数ドルを与える世界に。もしくは、スターバックスのカプチーノを買うと、その1%が飢えに苦しむ第三世界の子どもたちのところに行く世界に。私たちを慰めるために。労働と拷問を外注にしたその後で、結婚仲介業者が、今や私たちの性生活ですら日常的に外注しているその後で、私たちは理解しています。私たちの政治的参加もまた長い間外注されるに任せていたことを。私たちはそれを取り戻したいのです。

 私たちは共産主義者ではありません。もし共産主義が1990年に崩壊した体制を意味するのならば。思い出してください、今日ではそれらの共産主義者たちが、能率的で冷酷無比な資本主義者であることを。今日の中国では、資本主義が存在します。アメリカの資本主義以上にダイナミックなが資本主義が。しかし、それは民主主義を意味しません。それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、脅されるようなまねを許してはならないということです。まるであなたが民主主義に反対しているかのように。民主主義と資本主義の結婚は終わったのです。


 変革は可能です。ところで、今日私たちは何を可能だと見なしているのでしょう?メディアを追いかけてみましょう。一方では、テクノロジーとセクシャリティーにおいて、全てが可能であるかのように見えます。月まで旅行に出かけることも可能です。不死になることも可能です。遺伝子工学で。動物であれ何であれと、セックスすることも可能です。しかし、社会と経済の領域を見渡してください。そこでは、ほとんど全てのことが、不可能だと見なされているのです。

 あなたが富裕層の税率をちょっとばかり引き上げたいと言えば、「それは不可能だ」「競争力を失う」と彼らは言うのです。あなたがもっとヘルスケアにお金がほしいと言えば、「それは不可能だ、全体主義国家のやることだ」と彼らは言うのです。この世界は、どこかが間違っているのです。不死になることを約束されているのに、ヘルスケアに費やすお金をほんの少し上げることもできない世界は。

 おそらく私たちの優先事項を、ここできちんと設定することが必要なのでしょう。私たちはより高い生活水準など望んでいないのです。私たちはより良い生活水準を望んでいるのです。たった一つの意味においてのみ、私たちが共産主義者であるのは、私たちはコモンズを望んでいるのだ、ということです。自然のコモンズ。知的所有権によって私物化されたもののコモンズ。遺伝子工学のコモンズ。このために、このためだけに私たちは闘うべきなのです。


 共産主義は間違いなく失敗しました。しかし、コモンズの問題がまだここにあります。彼らは、ここにいる私たちはアメリカ人ではないと言います。しかし、自分たちこそが本当のアメリカ人だと主張する保守派の原理主義者たちは、何かによって気づかされなければなりません。キリスト教とは何でしょうか?それは聖霊です。聖霊とは何でしょうか?信じる者たちによって構成される、平等主義の共同体です。お互いへの愛で結びついた者たちによって。そして、自らの自由と責任を所有する者だけが、それをなすことができるのです。

 この意味において、聖霊は今ここに存在します。そして、あそこウォール街には、涜神的な偶像を崇拝する異教徒たちがいるのです。だから、私たちに必要なのは忍耐だけです。私が恐れているたった一つのことは、私たちがいつの日か家に帰り、一年に一回会うようになり、ビールを飲みながら、ノスタルジックな想い出に耽るというものです。「なんて素晴らしい時をあそこで過ごしたのだろう」と。そういうことにならないように自らに誓いましょう。


 私たちは、知っています。人々がしばしば何かを欲しても、本当にはそれを望んだりしないことを。どうか、あなたが本当に欲するものを望むことをおそれないでください。

 どうもありがとうございました。



訳者コメント:
 部分的にしか撮影されていないと思われるジジェクのスピーチを、いくつもの動画をかき集め、編集し、その全体を再構成して、日本語訳の字幕を付けたもの。そのために、また私の動画編集作業への不慣れのせいもあって、いくつかの部分で見苦しく、また聞き苦しいものになっている。

 その意味で、「完全版」というよりも「全体版」「キメラ版」とでも呼ぶべきなのだろうが、検索などの便宜のために「完全版」とした。時間をかければもっと良いものができたかもしれないが、今の私にはこれが精一杯だったということで、どうか勘弁願いたい。

 なお、以前の「補完版」はこちら。

 私は、全くジジェクの良い読み手ではないが、字幕を付けるためにあらためて訳を見直して、彼の思考、ちょっとした言葉の使い回しや用語法に、入り込むことができたと感じた。ジジェクが、実際にはネットにある英文書き起こしとは、異なる単語を使っている箇所に気づきさえした。だから満足を覚えている。

 それでもなお誤訳・珍訳などの可能性はあるのだが、それは変革への可能性を意味するのだと信じたい。

10/30の追記:
 この記事は、動画の字幕をそのまま公開しているものなので、変更するわけにはいかないが、その後上でも紹介した「補完版」の訳文を見直したので参照してほしい。ただし、単純ミスで段落分けが「補完版」と同じになっていない箇所があったので、段落分けだけ変えた。

2012/5/16の追記:
 この記事の題名を「旧版」として、再度編集したジジェクのスピーチを公開した。

by BeneVerba | 2011-10-27 03:21 | 動画 | Trackback | Comments(1)
民主主義と資本主義の結婚は終わった
The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over
2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:
http://occupywallst.org/article/today-liberty-plaza-had-visit-slavoj-zizek/
http://www.imposemagazine.com/bytes/slavoj-zizek-at-occupy-wall-street-transcript
http://beneverba.exblog.jp/16220243/

 私たちは負け犬と呼ばれています。しかし、真の負け犬たちはあそこウォール街にいます。彼らは、数十億もの私たちのお金で、救済措置を受けたのです。私たちは社会主義者と呼ばれています。しかし、ここには既に富裕層のための社会主義が存在しています。彼らは、私たちが私有財産を尊重していないと言います。しかし、二〇〇八年の金融崩壊においては、ここにいる私たちの全員が、昼夜の境なく数週間の破壊活動に及ぶよりも多く、苦労の末に手に入れた私有財産が破壊されたのです。

 彼らは、私たちは夢を見ているのだと言います。真に夢を見ている人というのは、ものごとが永遠にそのままの状態であり続けることが可能だと考えている人たちのことです。私たちは夢を見ているのではありません。私たちは、悪夢へと変わろうとしている夢から、覚めつつあるのです。私たちは何一つ破壊していません。私たちはただ、どのように体制が自壊するのかを目撃しているのです。

 私たちがみな知っているカートゥーンの古典的な場面があります。断崖へと到達した猫が、下には何もないという事実を無視して、そのまま歩き続けるのです。下を見てそのことに気づいた時に、ようやく落下します。それが私たちがここでやっていることです。私たちは、ウォール街の面々にこう言っているのです。「おい、下を見ろ!」と。

 二〇一一年の四月中旬、中国政府は、別の現実やタイム・トラベルを含む内容のTV、映画、小説を、全て禁止しました。これは中国にとって良い兆候です。つまり、人々が未だオルタナティブを夢見ていることを意味しているからです。そのため、そうした夢を禁止しなければならなかったのです。ここでは、そのような禁止は必要ありません。なぜなら、支配体制が私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちが普段観ている映画を思い浮かべてください。世界の終わりを想像することは容易です。小惑星が地球に激突して、全ての生命体が絶滅するとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉を想像することはできません。

 それでは一体、私たちはここで何をしているのでしょうか?ここで一つ共産主義時代の、素晴らしく、古いジョークをお話しさせてください。一人の男が、東ドイツからシベリアへと、働くために送られました。彼は、自分の手紙が検閲官によって読まれるであろうことを知っていました。そこで自分の友達にこう言いました。「暗号を決めておこう。もし、私から受け取った手紙が青いインクで書かれていたら、私の言っていることは真実だ。もし赤いインクで書かれていたら、嘘だ」。

 一ヵ月後、彼の友達は最初の手紙を受け取りました。全てが青いインクで書かれていました。その手紙にはこう書かれてました。「ここは全く素晴らしいところだ。商店はおいしい食べ物で一杯だ。映画館では西側の面白い映画をやっている。アパートメントは広々として豪華だ。ここで買えないものと言ったら、赤いインクだけだ」。

 私たちは、このようなあり方で生きているのです。私たちには、私たちが望むあらゆる自由があります。私たちには、ただ赤いインクがないだけなのです。私たちの不自由を明確に表すための言語が。私たちがそういう風に話すようにと教えられた自由についての話法――「テロとの戦い」とかそういったことです――が、自由を偽ってしまうのです。そして、それがあなたたちがここでしていることなのです。あなたたちは、私たちみなに赤いインクを授けているのです。


 そこには危険もあります。自分自身と恋に落ちないようにしてください。私たちはここで楽しい時を過ごしています。だが、覚えておいてください。カーニバルは安上がりなのです。重要なのはその翌日、私たちが日常の生活に戻らねばならなくなった時です。そこに何らかの変化はあるのでしょうか?私はあなたたちに、これらの日々を「ああ、私たちは若く、全ては素晴らしかった」とか、そういった想い出にしてほしくありません。

 覚えておいてください。私たちの基本的なメッセージは、「私たちはオルタナティブについて考えることを許されているのだ」ということです。タブーは破られました。私たちは最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。しかし、この先に長い道のりがあります。そこには真に困難な問いが、立ちはだかっています。私たちは、私たちが何を望んでいないかを知っています。ですが、私たちは一体何を望んでいるのでしょう?どのような社会組織が資本主義の代わりとなることができるのでしょう?私たちはどのようなタイプの新しいリーダーを望んでいるのでしょう?

 覚えておいてください。問題は腐敗でも貪欲でもありません。腐敗へと駆り立てる体制が問題なのです。敵だけに注意するのでなく、既にこの抗議運動を薄めようと画策している偽の友にも注意してください。あなたが、カフェイン抜きのコーヒーを、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを渡されるのと同様なやり口で、彼らはこれを無害で道徳的な抗議運動に変えようとするでしょう。カフェイン抜きの抗議(A decaffienated protest)です。


 私たちがここにいる理由は、私たちがこの世界にうんざりしているからなのです。数ドルをチャリティに寄付することで、コーラの缶をリサイクルすることで、もしくは、スターバックスのカプチーノを買うと、その一%が飢えに苦しむ第三世界の子どもたちのところに行くことで、私たちをいい気分にして、それで良しとしているこの世界に。労働と拷問を外部に委託したその後で、結婚仲介業者が今や私たちの性生活ですら外部に委託しているその後で、私たちの政治的参加もまた長い間委託されるに任せていたことを、私たちは今や理解しています。私たちはそれを取り戻したいのです。

 もし、共産主義が一九九〇年に崩壊した体制を意味するのならば、私たちは共産主義者ではありません。今日では、それらの共産主義者たちがもっとも能率的で冷酷な資本主義者であることを、思い起こしてください。今日の中国には、アメリカの資本主義以上にダイナミックな資本主義が存在しますが、それは民主主義を意味しません。それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、まるであなたが民主主義に反対しているかのように、脅されるような真似を許してはならないということです。民主主義と資本主義の結婚は終わったのです。


 変革は可能です。ところで、今日私たちは何を可能だと見なしているのでしょう?メディアを追いかけてみましょう。一方では、テクノロジーとセクシャリティーにおいて、全てが可能であるかのように見えます。月まで旅行に出かけることも可能です。遺伝子工学によって不死になることも可能です。動物であれ何であれとセックスすることも可能です。しかし、社会と経済の領域を見渡してみると、そこではほとんど全てのことが、不可能だと見なされているのです。

 あなたが富裕層の税率をちょっとばかり引き上げたいと言えば、「それは不可能だ、競争力を失う」と彼らは言うのです。あなたがもっとヘルスケアにお金がほしいと言えば、「それは不可能だ、全体主義国家のやることだ」と彼らは言うのです。不死になることを約束されているのに、ヘルスケアに費やすお金をほんの少しも上げることができない世界は、どこかが間違っているのではないでしょうか。

 おそらく私たちの優先順位を、ここできちんと設定することが必要なのでしょう。私たちはより高い生活水準など望んでいないのです。私たちはより良い生活水準を望んでいるのです。たった一つの意味において、私たちが共産主義者(コミュニスト)であるのは、私たちはコモンズに配慮しているのだということです。自然のコモンズ、知的所有権によって私物化されたもののコモンズ、遺伝子工学のコモンズ。このために、このためだけに私たちは闘うべきなのです。


 共産主義は間違いなく失敗しました。しかし、コモンズの問題がまだここにあります。彼らは、ここにいる私たちは非アメリカ的だと言います。しかし、自分たちこそが本当のアメリカ人だと主張する保守派原理主義者たちは、何かによって気付かされなければなりません。キリスト教とは何でしょうか?それは聖霊です。聖霊とは何でしょうか?それは、お互いへの愛で結びついた、信じる者たちによって構成される平等主義の共同体です。そして、自らの自由と責任を所有する者だけが、それをなすことができるのです。

 この意味において、聖霊は今ここに存在します。そして、あそこウォール街にいるのは、涜神的な偶像を崇拝する異教徒どもです。だから、私たちに必要なのは忍耐だけです。私が恐れているたった一つのことは、私たちがいつの日にか家に帰り、一年に一度会うようになり、ビールを飲みながら、ノスタルジックに「私たちは、なんて素敵な時をあそこで過ごしたのだろう」などと想い出に耽るというものです。そういうことにならないように、自らに誓いましょう。


 私たちは、人々がしばしば何かを欲するのに、本当にはそれを望もうとしないことを知っています。どうか、あなたが欲するものを望むことを恐れないでください。

 どうもありがとうございました!



訳者コメント:
 昨日投稿した翻訳を別のソースによって補完したもの。「Don't fall in love with yourself」と呼ばれているようだが、「民主主義と資本主義の結婚は終わった」という題名はそのままとした。

10/19の更新:
 ウェブ上の文章においては、一つの段落に文字を詰め込みすぎるのは、読みにくいと判断したため、段落分けを細かくした。数カ所のみ、前後どちらの段落に入れるか変えた部分があるが、訳文の変更はなし。

10/30の更新:
 今回の更新では、基本的に、この翻訳を元に作成した日本語字幕付き動画を作る際に訳を見直した部分を、今度はこの翻訳そのものに反映した。だが、改めて気づいた部分も併せて変更した。

 つまり、原文URLに書いた通り、二つの英文書き起こしとジジェクのスピーチの動画を参照したのだが、それらのそれぞれ異なる部分に改めて気づき、思ったよりも大変な作業になった。混乱するかもしれないが、現時点での私にできる限りでのベストな訳文がこれ。

 少し煩わしくなるが、注意すべきと思われるいくつかの変更点を以下に書き記す。

変更前:もし規則が破られるのなら、私たちは可能な限り最善の世界に住んでいるわけではないのです。
変更後:タブーは破られました。私たちは最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。

 この部分は「rule」とも「taboo」とも聞こえる。参照した二つの書き起こしのそれぞれで違っている。何度もスピーチの動画をリピートしたが判断つきかねた。「taboo」とした方が意味が取りやすいと思うのだが、どうだろうか。

変更前:カフェイン抜き過程(A decaffienated process)です。
変更後:カフェイン抜きプロセス(A decaffienated process)です。

 この部分、「process」とも「protest」とも聞こえる。上と同様に判別がつきかねるが、どうしても「protest」とは聞こえなかった。もし、そうであるならば「カフェイン抜きのプロテスト」ということになる。どちらにしろ、ジジェクはそれを否定している。

変更前:それが意味するのは、もしあなたが資本主義を批判しようとするなら、まるであなたが民主主義に反対しているかのように、脅されかねないということです。
変更後:それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、まるであなたが民主主義に反対しているかのように、脅されるような真似を許してはならないということです。

 今回の更新で一番重要な変更。ジジェクは民主主義と資本主義が一体であるかのように見えた状態は終わったのだから、資本主義を批判することに躊躇するな、と言っている。それは、これのすぐ後の「民主主義と資本主義の結婚は終わった」という言葉へと続く。

変更前:ありふれたもの(the commons)を望んでいるという意味においてのみ、私たちは共産主義者(communists)なのです。自然の共有権(the commons)。
変更後:たった一つの意味においてのみ、私たちがコミュニストであるのは、私たちはコモンズを望んでいるのだ、ということです。自然のコモンズ。

 この前後の文章はいろいろな含みがあると思うのだが、「the commons」の訳を「コモンズ」で統一することにした。それに合わせて、この部分のみ「共産主義者」を「コミュニスト」に変えた。

10/31の更新
 ジジェクが10月26日付で英ガーディアン紙に寄せた論説「Occupy first. Demands come later(まず占拠せよ、要求はそれから)」を読んだところ、これがこの「ウォール街を占拠せよ」でのスピーチを、ジジェク自身が書き言葉として定着させたような内容のものだということがわかった。

 これで、前回の更新で悩んだばかりの聞き取りの問題が解決した。ごく簡単に言うと、ジジェクは「rule」ではなく「taboo」、「process」ではなく「protest」と書いている。また、他に「まず占拠」に合わせて変えた箇所や、それを読んではっきりした誤りを訂正した部分などが数カ所ある。

 それにしても、ジジェクの発音はとても「protest」には聞こえない。

2012/5/6の更新
 これまで「常に(always)」としていたところを「既に(already)」とするなど、細かな修正。

5/16の更新
 昨年10/30の追記で触れた動画とは別に、二分割されていない動画を、新たにYouTubeにアップロードしたことを機会に、訳文全体の見直し。また、Artamikaさんから訳文についての指摘をいただき、これも反映した。

 ついでながら、先日発売された『私たちは“99%”だ――ドキュメント・ウォール街を占拠せよ』に所載の同じジジェクの講演は、「自分自身に恋するなかれ(Don't Fall in Love with Yourselves)」となっていることを付言しておく。この翻訳は、動画を参照せずにテキストから訳を起こした疑いが濃く、拙訳には参照してない。

by BeneVerba | 2011-10-17 09:53 | 翻訳 | Trackback(1) | Comments(4)
民主主義と資本主義の結婚は終わった
The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over
2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:http://occupywallst.org/article/today-liberty-plaza-had-visit-slavoj-zizek/

パート1





 ……2008年の金融崩壊では、ここにいる私たちが昼夜の境なく数週間の破壊活動に及んだとしても達成できないほど、苦労の末に手に入れた私有財産が多く破壊されました。彼らは、私たちは夢を見ていると言います。本当の夢を見ている人というのは、ものごとが永遠にそのままであり続けると考えている人々のことです。私たちは夢を見る人ではありません。私たちは悪夢へと変わろうとしている夢から覚めつつあるのです。私たちは、何も破壊していません。私たちはただ、どのように体制が自壊するのかを目撃しているのです。私たちがみな知っているカートゥーンの古典的なシーンがあります。荷車(cart)が断崖に到達します。それなのに、下には何もないという事実を無視して、進み続けるのです。下を見てそのことに気づき、ようやく落下します。それが私たちがここでやっていることなのです。私たちは、ウォール街の面々にこう言っているのです。「おい、下を見ろ!」と。(歓声)

 2011年の4月、中国政府は、別の現実やタイム・トラベルを含む内容のTV、映画、小説を全て禁止しました。これは中国にとって良い兆候です。すなわちこれが意味するのは、人々が未だオルタナティブを夢見るためには、そうした夢を見ることを禁止するべきだ、ということです。ここではそのような禁止はありません。なぜならこの支配体制は、私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちがいつも観ている映画を思い浮かべてください。世界の終わりを想像することは容易です。小惑星が地球に激突して、全ての生命体が絶滅するとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉を想像することはできません。それでは私たちはここでいったい何をしているのでしょう?ここで、古い共産主義者の時代の素晴らしいジョークを一つお話しさせてください。

 ある男が、東ドイツからシベリアへと、働くために送られました。彼は自分の手紙が検閲官によって読まれるであろうことを知っていました。そこで、彼は自分の友達にこう言いました。「暗号を決めておこう。もし、私から受け取った手紙が青いインクで書かれていたら、私の言っていることは本当だ。もし赤いインクで書かれていたら、嘘だ」。一ヶ月後、彼の友達は最初の手紙を受け取りました。全てが青いインクで書かれていました。その手紙にはこう書かれてました。「ここは全く素晴らしいところだ。商店はおいしい食べ物であふれている。映画館では西側の楽しい映画が観られる。アパートは広々として豪華だ。ここで手に入らないものと言ったら赤いインクだけだ」。

 私たちはこのようなあり方で生きています。私たちには、私たちが望む全ての自由があります。私たちには、ただ赤いインクがないだけなのです。私たちの不自由を明確に表現するための言語が。私たちがそういう風に話すようにと教えられた、自由やテロとの戦いなどについての話し方が、自由を偽ってしまうのです。そして、それがあなたたちがここでしていることなのです。あなたたちは、私たちに赤いインクを授けているのです。

 これには危険もあります。自分自身と恋に落ちないようにしてください。私たちはここで素晴らしい時を過ごしています。だが、覚えておいてください。カーニバルは安上がりなのです。重要なのはその翌日です。私たちが日常の生活に戻る時、そこには何の変化もないでしょう。私はあなたたちに、この日々を「ああ、私たちは若く、全ては素晴らしかった」とか、そういった思い出にしてほしくありません。私たちの基本的なメッセージを覚えておいてください。私たちは、オルタナティブについて考えることを、許されているのだということです。あの規則は破られました。私たちは、可能な限り最善の世界に住んでいるわけではないのです。この先に長い長い道のりがあります。真に困難な問いに我々は直面しています。私たちは、私たちが何を望んでいないか知っている。だが、私たちは一体何を望んでいるのでしょう?どのような社会組織が資本主義の代わりになるのでしょう?どのようなタイプのリーダーを私たちは望んでいるのでしょう?

 覚えておいてください。問題は腐敗でも貪欲でもありません。問題はあなたたちに諦めるようとさせる体制なのです。敵だけに注意するのでなく、既にこの過程を薄めようとしている偽の友にも注意してください。カフェイン抜きのコーヒーを、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを、あなたが受け取るのと同様なやり方で。彼らはこれを無害で道徳的な抗議運動に変えようとするでしょう。彼らは…[判別不能]…と考えています。私たちがここにいる理由は、私たちがコーラの缶をリサイクルする世界にうんざりしているからなのです……


パート2





 ……スターバックスのカプチーノ。1%の富裕層が、飢えに苦しむ世界の子どもたちのところにおもむく光景は、充分に私たちを慰めます。労働と拷問を外注にした後でも、です。結婚仲介業者が今や私たちの性生活ですら日常的に外注している、その後でもです。

 (あまりにも聞き取りづらいため聴衆の方から)マイク・チェック。

 今や私たちは、私たちの政治的参加もまた長い間外注されるに任せていたことを、理解しています。私たちはそれを取り戻したいのです。もし共産主義が1990年に崩壊した体制を意味するのならば、私たちは共産主義者ではありません。今日では彼ら共産主義者たちが能率的で冷酷無比な資本主義者であることを思い出してください。今日の中国では、アメリカの資本主義以上にダイナミックな資本主義が存在しますが、民主主義は存在しません。それが意味するのは、もしあなたが資本主義を批判しようとするならば、まるであなたが民主主義に反対しているかのように、脅されかねないということです。民主主義と資本主義の結婚は終わったのです。

 変革は可能です。ところで、今日私たちは何を可能だと見なしているのでしょう?メディアを追いかけているだけです。一方では、テクノロジーとセクシャリティーにおいて、全てが可能であるかのように見えます。月まで旅行に出かけることも可能です。遺伝子工学で不死になることも可能です。動物であれ何であれとセックスすることも可能です。しかし、社会と経済の領域を見渡してください。そこでは、ほとんど全てのことが不可能だと見なされているのです。あなたが富裕層の税率を、ちょっとばかり引き上げたいと言えば、彼らは「それは不可能だ、競争力を失う」というのです。あなたがもっとヘルスケアのお金がほしいと言えば、彼らは「それは不可能だ、全体主義国家のやることだ」と言うのです。不死になることを約束されているのに、ヘルスケアに費やすお金をほんの少し上げることもできない世界は、どこかが間違っているのです。おそらくそれは…[判別不能]…私たちの優先事項をここできちんと設定しましょう。私たちは高い生活水準など望んでいないのです。私たちはよりましな生活水準を望んでいるのです。ありふれたもの(the commons)を望んでいるという意味においてのみ、私たちは共産主義者(communists)なのです。自然の共有権(the commons)。知的所有権によって私物化されたものの共有権。遺伝子工学の共有権。このために、このためだけに私たちは闘うのです。

 共産主義は間違いなく失敗しました。しかし、共有権の問題がまだここにあります。それは、あなたたちがここではアメリカ人ではないのだと、告げています。しかし、自分たちこそが本当のアメリカ人だと主張する保守派の原理主義者たちは、何かによって気づかされなければなりません。キリスト教とは何でしょうか?それは聖霊です。聖霊とは何でしょうか?お互いに愛で結びついた信者によって構成される、平等主義の共同体です。そして、自らの自由と責任を所有するものだけが、それをなすことができるのです。この意味において、聖霊は今ここに存在します。そして、あそこウォール街には不敬な偶像を崇拝する異教徒たちがいるのです。だから、私たちに必要なのは忍耐です。私が恐れているたった一つのことは、私たちがいつの日か家に帰り、一年に一回会い、ビールを飲みながら、ノスタルジックに、素晴らしい時を過ごしたことを思い出すというものです。そういうことにならないように誓いましょう。

 わたしたちは、人々がしばしば何かを欲するが、本当はそれを望んでいないことを知っています。あなたが欲するものを望むことをおそれないでください。どうもありがとうございました。



訳者コメント:
 まず何よりもこれが、部分的に撮影されたジジェクのスピーチを、書き起こしたものを、さらに翻訳したものであることに注意してほしい。スピーチの原題は不明。訳はほとんどリンク先の書き起こしを参照した。意味の取りにくい部分は意訳さぜるを得なかった。ぜひ、原文の書き起こしそのもの、映像そのものを参照してほしい。

10/22の追記:
 遅ればせながら、この記事をさらに別のソースで補完したものを既に投稿しているので、この記事の中であらためて紹介しておく。

2012/5/16の追記:
 新たにジジェクスピーチの全体を収めた日本語字幕付き動画を、アップロードしたことを機会に、このエントリの題名を「翻訳:スラヴォイ・ジジェク - 民主主義と資本主義の結婚は終わった [部分訳]」と変更。今後は、10/22のリンクとともに、そちらを参照されたい。

by BeneVerba | 2011-10-16 21:21 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)