タグ:朝日新聞 ( 2 ) タグの人気記事

 朝日新聞が十二月三日の朝刊記事において、レイシストであり歴史修正主義者である、統一戦線義勇軍議長針谷大輔を肯定的に取り上げた。

 記事の名は「原発国家 政党の外側で(下)」。「左も右も連携膨張」との見出しが踊る。割かれた活字の分量はほぼ二段。「愛郷精神に共鳴」の小見出しの下、高橋純子記者は「先祖代々の土地が放射能で汚され、子や孫の代にも影響が及ぶかもしれないという畏れから運動に加わる人が現れ、愛郷を唱える『右』の主張と響きあい始めている」と――マスメディアが他国によく使う表現を借りれば「論評抜きで」――書いている。

 そこに、批判的視点は一切ない。それどころか、彼が南京事件と「従軍慰安婦」を否定する歴史修正主義者であるという記述もなければ、「我々は敵権力、白人集団(WASP、ユダヤフリーメーソン)との全身全霊をもった闘いを貫徹するものであり、これに逆するスパイ、敵対者はそれを容赦なく排除する」という統一戦線義勇軍の性格についての記載もない。

 この記事はまるで情報を届けるために書かれたというよりも、忘れさせるために書かれたかのようだ。白紙で印刷した方が、それが白紙であるとわかるだけ情報量が多かったかもしれない。記事は書くが肝心なことは書かないという欺き方もある。いつものやり方ではあるが。


 Twitter は日本のインターネット上において、今おそらく最も脱原発運動が盛んな場所の一つだろう。そこでは「脱原発に右も左もない」ないし「脱原発にイデオロギーはない」などといった文句がスローガンとなっている。通常では、その字義通りの意味に反対を唱える人はいないし、それは私も同様だ。

 ところが、見過ごせない奇妙な風潮もある。つまりそれらのスローガンが実際に使われる際には、意味することはしばしばこうなのだ。「針谷大輔ら『脱原発右翼』を受け入れろ!たとえレイシストで歴史修正主義者であっても。受け入れなければお前は偽物の脱原発派だ!イデオロギーに凝り固まった左翼であり、分断工作だ!」。

 そうしたヘゲモニスティックな人々とは別に、もう少しお人好し――好意的に見るならば――な層もいる。彼らは、右翼と左翼を同列に考え、その中間あたりのどこかに自分がいると考えている。だが、常にアメリカの影響下にあるこの国で、右翼と左翼に振られた役割はただベクトルが違うというだけの対照物ではない。安保闘争の時に児玉誉士夫の介在によってヤクザが国会に導入されたことや、CIAがたびたび自民党に資金援助していた事実を思い起こせばそれで足りるだろう。

 いずれにせよ、針谷を受け入れよという時、彼らは脱原発のためならマイノリティはどうでもいいと言っているのみならず、日本という国家の性格及び責任への認識を欠いている。そのマキャベリ的な冷酷さ(あるいは鈍感さ)からは、どんな美名も大義も覆いつくせない腐臭がする。どちらの種類の人々も、日本という国家と闘っているはずなのに、日本というものに対する、右翼というものに対する認識が甘すぎ、自分に対する認識が甘すぎる。


 私がこの問題に関わることになった日付ははっきりしている。十一月二一日のことである。ライターの松沢呉一氏が、経産省前テントひろばに、自分の価値観を押し付けようとしているのを見かねて、思わず口を挟んだ時だ。また、私はそう感じるのだが、ヘゲモニスティックな人々の「糾弾」を受けることを恐れている一群の人々は沈黙を守っている。

つまり経産省前テントひろばの「無神経」は許容できないのに、針谷の「従軍慰安婦」への人権蹂躙は許容範囲なわけだ。 RT @kureichi 「新右翼と称する」ってなんだ? こういう無神経なことを書くから、「市民と称する左翼ども」と言われる。http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7b6429df17ee76c58718b4dc784d707a
posted at 01:24:54

何を言ってるのだあなたは? RT @kureichi へえ、経産省前のテントは従軍慰安婦のためのものなんだ。何を根拠にそんなことを言っているのか、明示していただけますか。
posted at 01:31:02

針谷の姿勢を問うているのに、勝手に私が「経産省前のテントは従軍慰安婦のため」と言ったように解釈したのは、あなた。議論を混乱させてうやむやにしようとしている。 RT @kureichi 意味不明のことを書いてきた人間に、その意味を問うているのですよ。自分でも意味不明なんでしょうね。
posted at 01:41:16

ツイッターの性質上、「何かもめごとらしい」と受け取られてはかなわない。再び @kureichi 氏が、「従軍慰安婦」を否定する針谷大輔を許容すべき、という自らのイデオロギーを経産省前テントひろばに対して押し付けようとしていることを確認する。
posted at 01:49:25

言い逃れ。では、関与しようとすべきだ。間違いなく「従軍慰安婦」は現在進行中の重要な問題なのだから。そして、あなたが自分のイデオロギーを経産省前テントひろばに押し付けようとしているのは事実だ。 RT @kureichi 原発以外の針谷氏の思想に私は関与してないですから…
posted at 02:00:30



 繰り返し確認されるべきなのは、この問題が脱原発運動内部における右翼傾向のある人物と左翼的傾向のある人物のもんちゃくなどでは決してない点だ。冒頭に述べたように、針谷はレイシストであり歴史修正主義者である。他者を排除することを政治的信条とする団体を主催する人物である。それを受け入れる「大同団結」が強要されていることこそが問題なのだ。

 この問題が左右の政治的もんちゃくなどではない理由は、この点にある。既に多くの人が指摘し、私自身も指摘したように、差別に基づく排除を掲げている人物を脱原発運動に招き入れることこそが、分断工作であり運動を弱めるものだ。したがって、「脱原発に右も左もない」「脱原発にイデオロギーはない」というスローガンは(先に述べたような意味において)イデオロギーとしての機能を果たしている。

 それはまさしく「左でも右でもない」を自認する人が、自分でそうと知らないままに掲げているイデオロギーである。それは「脱原発に右も左もない」という形のイデオロギー、右のみを包容し、マイノリティと「左翼」と「政治」と見なされるものを排除するイデオロギーであり、「イデオロギーを持ち込むな!」という形をとるイデオロギーだ(奇妙なことに「脱原発・反TPP」の組み合わせは良くても、「脱原発・反レイシズム」はアウトなのだ)。


 しかし、なぜこのようなことが起こるのか。それは答えるのが困難な問いだ。だが、一つ思うのは、放射線被害に関しては誰もが当事者になりうるが、「従軍慰安婦」や「反レイシズム」に関してはまるで自分が当事者ではないかのように錯覚させる回路が作られており、もはや政府の発表を信じなくなっている人々ですら、容易にそれを受け入れていることの恐ろしさということだ。

 人々は忘れてしまったのだろうか?二〇〇七年に、アメリカ、EU、カナダなどから従軍慰安婦に関する「決議」を出され、安部晋三首相(当時)が辞任に追い込まれたことを。それが意味するのは、私たち全てが加害責任において当事者であるということだ。言い換えれば、「左翼は従軍慰安婦にこだわる」などとあなたに言わせているものこそが、あなたに取り憑いたイデオロギーなのだ。

 だから、私ははっきりこう書かなければならない。「針谷を評価するようなデモには行くな!他のデモに行け!」「右からのデモなぞ評価するな!それ以外の自分が関わったデモを誇れ!」「もし、デモにレイシスト・歴史修正主義的な人物がいたら、あなたが折れるのではなく、相手こそが大同団結のために折れるべきだ!」。もちろん、イデオロギーから逃れるためにである。


 私は原発とは日本の権力構造そのものではないかと考えている。なぜ、中曽根康弘が未だに詰問されないのか考えてみればいい。なぜ政権与党が変わったのに政策が変わらないのか考えてみればいい。その構造を変えることなしに脱原発は成功するだろうか?

 脱原発運動がこの先どうなるかわからない。しかし、私は今の運動は敵を小さく見積もっているという気がしてならない。杞憂かもしれない。しかし、私たちが、民主的な社会を築くというヴィジョンなしに、脱原発運動のみを続けていて、達成されるほどそれは簡単なものなのだろうか?この問いは、共有されるに足る問いであると信じる。

 もし、政府もメディアも脱原発運動も駄目ということになれば、私たちの苦しみはより長引くだろう。そうならないためにも私たちは大きなヴィジョンを描くことが必要なのだ。









12/8の追記:
 以下ハンギョレ・サランバンの翻訳記事「慰安婦ハルモニたちも日本のために泣いた」より抜粋して引用。なお、文中にある宋神道(ソン・シンド)さんは Wikipedia によれば、講演活動を再開している。

 "私の傷は癒えていないので憎いけれど、罪は憎くても人は憎くありません。はやく頑張って克服して欲しいです。日本で音信が途切れたソン・シンド(89)ハルモニをはやく探して欲しいですが…。" キル・ウォンオク(84)ハルモニが弔旗を掲げたソウル、鍾路区、中学洞の日本大使館を眺めながら淡々と話した。キル ハルモニは 「あまりに途方もないことで今日は言うべき言葉が見つかりません」として「私たちの時のように多くの人が犠牲になるのを見ると、つらい記憶が思い起こされ、どうすべきか はやく復旧して欲しいです」と明らかにした。

 毎週水曜日に日本大使館前で‘韓国挺身隊問題対策協議会’(挺身隊対策協)が日本政府の慰安婦問題謝罪と賠償を要求して開いてきた水曜デモが、16日は30人余りが参加した中で東日本大地震犠牲者を哀悼する追慕沈黙デモに代替された。1992年1月8日に始まった水曜デモが沈黙デモに代替されたのは1995年8月の阪神大地震犠牲者を追慕する沈黙デモに続き今回が2回目だ。

 ハルモニと参加者たちは‘犠牲者のご冥福を祈ります’と書かれた黒い蝶を手に持った。挺身隊対策協はこの日、日本東北部大地震の犠牲者を追慕する声明を出し、日本、宮城県に居住している慰安婦被害者ソン・シンド ハルモニに対する積極的な救助も促した。日帝強制占領期間、独立活動家とその遺族たちの集いである光復会も「困難に処した日本人に勇気を与えるために人類愛を発揮することにした」として、地震復旧と被害者救護および支援のための寄付金1000万ウォンを出すことを決めたと明らかにした。


 日本軍「慰安婦」問題の解決を求める韓国水曜デモは、十二月十四日に千回目を迎える。韓国はもとより日本全国、世界各地でこれに合わせて連帯アクションが行われる予定だ(既に実施されたものもある)。ご存じの通り韓国と日本に時差はない。
 


by BeneVerba | 2011-12-07 17:08 | 意見 | Trackback | Comments(2)
 それまで、「ウォール街を占拠せよ」運動にそれ程関心を払って来なかった私が、ナオミ・クラインのスピーチを翻訳し公開しようと思ったのは、私自身がそれに深く心を動かされたからだった。短い言葉で言えば、そこに資本主義批判と環境問題との接合を見たからだ。「ウォール街を占拠せよ」運動と脱原発運動の接合を見たからだ。

 訳に取り掛かると、早速「I was honored...」という、はしがきの最初の一文に引っ掛かることになった。この難しい単語が一つもない文が意外にも訳しにくいのは、「honor(名誉)」という単語が動詞として受身形で使われているからだ(訳文では「栄誉を授かった」としている)。そうした言い回しは日本語に移しにくい。

 このブログは当初、彼女のスピーチを紹介するために開設されたのだったが、アクセス数は開設後の数日間で2千人を越えた。おそらく、それらの人々も変革を求めており、より良い社会を築くための可能性を彼女のスピーチに見たのだろう。


 ところで、匿名で翻訳するということは、何重もの意味で隠れたあり方だ。

 匿名であるということは、実名を明らかにしていないということだけでなく、なぜ実名を明らかにしないのかその理由も明らかにしないということだ。そして、翻訳者は原文の書き手に対して、追い越すことも後れを取ることもできないし、押しのけることもできない。ただ、後を追いかけることができるだけだ。

 一方、それを公開するということは、何も隠すところのない行為だ。そしてその二つの間に、問題が一つある。もし、インターネット上の匿名の翻訳者という曖昧で複雑な存在に対して「名誉」が与えられるとしたら、誰がどんなやり方でそうするのかということだ。


 この問題に対して、昨日27日の朝日新聞朝刊の「祝島からNYへ 希望の共同体を求めて」と題された論壇時評で、高橋源一郎氏と朝日新聞は一つの回答を与えた。それは実際に私の訳文そのものを引用し、注記でこのブログの名称とURLを紹介するというものだった。

 引用された言葉は、私が考えあぐねた末に訳したという意味で、紛れもなく私の言葉だった。

 例えば、「stay put」は改稿を重ねるうちに「とどまり続ける」から「居続ける」になった。「flowers」を「花」にするか「花々」にするか考え、後者にした。「the information age」は「この情報の時代」とでも訳したかったが、「情報化時代」としなければならなかった。「a fact」を「現実」とするか「事実」とするか迷ったあげく前者とした。

 「have roots」は最初「根を持っていない」と直訳していた。その後、「root」という単語が動詞として「根づく」という意味があることを考慮し、「根をはって」とした。今となっては正確に思い出せないが、そこには祝島への思いがあったかもしれない。なぜなら、震災からそれ程経っていない時期のある集会で、初めて祝島と上関原発のことを知り、それについて考えざるを得なかったからだ。


 それ以外の方法が採用されるおそれもあった。実際には私の訳文を参照しているのにこっそり訳し直したり、引用せず単にナオミ・クラインがこういう話をしたという形で内容だけを伝えたりといったやり方で。しかし氏はそうしなかった。

 そして、題名からもわかるとおり、ニューヨークと祝島を重ね合わせて新たな社会のあり方を探ることが、この時評のテーマだ。高橋氏もまた訳文を読んだ一人であり、そこに可能性を見た一人であり、私が半ば無意識的に訳文に盛り込んだ意味を探り当てたのかもしれない。


 日本の社会は、そして日本のインターネット社会は、匿名性の強いものになっている。そして今私はこんなことを考えている。もし、日本の社会に匿名であることや、社会への主張を控えることを強いるような何かがあるのならば、個人に対するそうした抑圧を取り除くことで、社会を変革していくことが可能になるのではないか。

 私は、自分の訳した文章が引用されることによって、匿名であるまま記名性を与えられた。それは「honor(名誉)」の問題というよりは、「credit(名誉)」の問題だ。高橋源一郎氏と朝日新聞にあらためて感謝の言葉を申し上げる。

 そして、そういう風に匿名の存在をとり扱うのは「honorable(立派)」な態度だと言いたい。なぜなら、それが個人への抑圧を取り除くかもしれないからだ。私以外の人々に対しても、そうした「名誉」が与えられることを願う。

by BeneVerba | 2011-10-28 14:53 | 運営 | Trackback | Comments(0)