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この国は右翼国家なんです。そのことを忘れて社会運動をやってもムダです。
posted at 01:32:10

マイノリティに興味がないということは、民主主義にも興味がないと言うこと。
posted at 01:34:08

「紫陽花革命」。目の前にある日の丸や歴史修正主義、レイシズムを否定しない人々が一体何の革命を起こせるのか。集団的な妄想。
posted at 01:48:30

kdxn 氏が批判されるのは彼がどうしようもないレイシストだから。首都圏反原発連合が批判されるのはどうしようもないレイシズム団体だから。
posted at 01:53:34

あえて、こういう言い方をするが、日の丸、右翼、レイシズム、歴史修正主義に反対するに理由が必要なのか?強く問いかけたい。
posted at 01:58:49

日の丸、右翼、レイシズム、歴史修正主義に反対するとうのは、それこそ共通の理解としての「シングルイシュー」じゃないか。
posted at 01:59:51

今私が気になっているのは、首都圏反原発連合のbcxxxやkdxnといった「Aチーム」ではなく、それなりに社会運動の経験がある「Bチーム」たちのことだ。この人たちは表舞台に登場していない。
posted at 02:11:19

首都圏反原発連合と国会議員の「対話」には、実質的に針谷大輔が出席していたと言える。「本物の右翼」「エセ右翼」という救いがたい妄想は、右翼によって被害を受けることないマジョリティの特権性に由来する。脱原発と称してレイシズムを許容した首都圏反原発連合には、選任を取ってもらう。
posted at 02:19:25

日の丸は人殺しの旗でり、既に有罪です。 RT @k_fujimaki 日の丸については、右翼が自分達のシンボルとして使ったり、強制する輩がいたりするから問題なのであって、日の丸自体に罪はないのでは?
posted at 04:39:01

首都圏反原発連合の活動は着実に成果を上げている。右翼団体のメンバーが最悪のレイシズム発言をとがめられることもないのはその一つの例。お前らには責任取らせる。
posted at 07:31:54

日の丸が肯定しているものは、侵略戦争、植民地支配、レイシズムである。だが「普通の人」にそれが見えないのは、それだけ飼い慣らされているから。
posted at 08:23:53

首都圏反原発連合が力を失うのだけはなく、かれらにきっちり責任を取らせないと、今後の脱原発運動に響く。
posted at 08:29:01

首都圏反原発連合は完全に人々をナメている。たとえばあのアイコンへの釈明。http://coalitionagainstnukes.jp/?p=925 「自分たちに変わるつもりはない。お前ら受け入れろ」ということだ。bcxxxやkdxnが批判を否定して回るのもそう。
posted at 08:30:00

首都圏反原発連合のロクジテナシでもを官邸前から追い出した時が、民衆による脱原発運動が再生するべき時だ。
posted at 08:48:16

木下ちがや氏は官邸前抗議のスタッフ。何が問題とされているかもわかっていないようだ。「われわれはいま、1999のシアトルにいるのだろうか?それともタハリールに迫ろうとしているのだろうか?」。http://www.jfissures.org/2011/12/27/and-the-word-%E2%80%9Cp...
posted at 09:03:45

首都圏反原発連合は実質的にレイシズム団体と連帯している。なのに「極右の主張に賛同しているわけじゃない」「議員との対話には『本物の右翼』とされるノイホイを連れて来る」といった態度で、姑息にも責任問題を避けている。
posted at 09:13:20

脱原発運動が目的を果たすためには、首都圏反原発連合の批判が必要になる。
posted at 09:18:11

一水会の鈴木邦男は謝罪していない。被害者である「朝鮮人」になんら謝っていないし、責任者の処罰も明言していない。この美辞麗句からわかるのは、一水会はレイシズムを内包する団体であり、不誠実な団体であるということだけだ。http://togetter.com/li/348237
posted at 09:38:32

再送:ある種の右翼の特質の一つは、腹の中で思っていることと、口から出てくる言葉が違うこと。鈴木邦男しかり、noiehoieしかり。ああいう右翼に感じることは、「裏があるんだろうな」ということだが、そう感じなくなった人が多くなったのは何によるのか。
posted at 09:39:53

「デモはダサい、怖い」「政治活動は特別な人がやるもの」という意識は、経済が成長するとともに、支配層が創り出してきた文化。民衆が、こうした押しつけから解放されようとした瞬間、TwitNoNukesと首都圏反原発連合がその可能性を殺した。責任は取らせる。
posted at 09:51:22

官邸前抗議のような意味ではない、普通の人、私やあなたの周りにもいる人々が、デモに参加し、政治活動を行えることが民主主義国家だ。政治団体の結成することも民主主義国家においては、当たり前のことだ。
posted at 09:58:38

@BeneVerba 「あらゆる人々が、デモに参加」にした方が良かったか。
posted at 10:01:33

首都圏反原発連合に、脱原発運動のこの後を、私たちの支持を、私たちの運命を預けたことはない。きっちりみんなで返してもらおうじゃないか。
posted at 10:03:39

現代の日本人の持つ幻想は、戦争があり、戦後があり、その後の発展があり「前より良くなった」というもの。この意識は根本的に問いなわされるべき。例えば、日本という帝国は、アメリカという帝国に支配されつつ、いわば「帝国内帝国」として、中身を変えず生きのびているのではないか。
posted at 11:28:26

アメリカ政府府関係者やそれに近い人物が「親日派」だといっても、アメリカの利害のために、「日本に親しく」なっているだけ。言うまでもないことだが。
posted at 12:06:47

「左派」を自称するメディア雑誌は現在までのところ、首都圏反原発連合にべったり。今後批判するにしても、全面批判にはなるまい。だからこれらのメデイアは信用されない。
posted at 13:17:44

官邸前抗議前を無邪気に支持している人々は、権力対して甘すぎる。日の丸に対して甘すぎる。右翼に対して甘すぎる。つまるところはこの国について何も考えていない。せめて他の脱原発運動に損害を与えることだけはするな。
posted at 13:28:24

最悪なのはこうだ。「官邸前抗議は日本のタハリール広場だ。団体に頼らないデモの時代だ」という正史が書かれるか、「一部には批判もあった」と脚注の一つに貶められてしまうことだ。そのようなものではないことは多くの人が知っている。
posted at 13:41:31

「人権」は近代的市民生活の根幹にある。なのにそれを踏みにじる「デモ」をするのか、それに「参加」するのか。その点をなぜ報道しないのか。そういう国なのだろう。
posted at 13:52:47

日本は、「民主化」はおろか「近代化」していないのかもしれない。(「日の丸があっても良いじゃないか」)
posted at 13:55:55

なぜ「右も左もない」か。一つには、資本主義がいまだ私たちの生活を荒廃させていることを認識していないこと。もう一つは、「右も左もない」という立場の特権性に無自覚であること。もう一つは、日本は紛れもなく間違ったことをした国なのだが、それが諸力によって忘れられたこと。
posted at 14:50:41

【重要】今からはっきり言っておく。たとえ明日の反首都圏原発連合で「成果」があっても、惑わされないようにして頂きたい。またそうであっても首都圏反原発連合の数々の悪行が「帳消し」に、なるわけではないことを覚えて置いて頂きたい。
posted at 15:15:13

延期になったそうです。https://twitter.com/MCANjp/status/232723882019262464 RT @BeneVerba …「成果」があっても、惑わされないようにして頂きたい。またそうであっても首都圏反原発連合の数々の悪行が「帳消し」に、なるわけではないことを覚えて置いて頂きたい。
posted at 15:55:11

主催者側と参加者の責任を分けるにしろ、当然、反首都圏原発連合だけでなく、参加している人々にも責任がある。批判しない人々もだ。厳しく聞こえるかもしれないが、事実を告げないわけにはいかない。
posted at 17:15:18

相互フォロワーさんが、以前から書こうか書くまいか悩んでいたことを、私より上手い表現でツイートしていた。東京はモノに溢れているだけの田舎だ。あるいは廃墟だ。他の街には感じるその街々特有のヴァイブレーションを全く感じない。波が途絶えている。
posted at 17:20:33

アリストテレス「真理も友もともに敬愛すべきであるが、友より以上に真理を尊重するのが、敬虔な態度である」
posted at 17:47:29

投票のみが正常な民主主義で、デモを正常からの逸脱と見なすような感性は、おそらくは歴史が産んだものだ。豊かさを享受することと自由を勘違いしている。自分に権利が与えられていることも教えられてない。そういう環境の中で育ったのだから、当然そうなる。
posted at 18:30:36

昨年末にこれをまとめたところ、「こいつ自分からイデオロギーって言っているよ(笑)」みたいな反応があってよくわからなかった。その人にとっては、「イデオロギー=偏狭な考え方=否定されるべきもの」だったらしい。http://togetter.com/li/224182 今年に入ってそれに気付いた。
posted at 18:36:45

ジジェクが「アジア的価値観の資本主義」だと言ったのをもじれば、日本は「アジア的価値観の民主主義」だね。日本で民主主義が機能しているという意味ではない。
posted at 19:02:07

日本近代がもたらした結果は、個人の自由のない民主主義だ。
posted at 19:08:35


*ツイートしている時にはまとまりを感じたのでブログに掲載してみたが、こうやって読むとそうでもない。

by BeneVerba | 2012-08-07 22:16 | Twitter | Trackback | Comments(0)
民主主義は敵である
Democracy is the enemy
2011年10月28日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:http://www.lrb.co.uk/blog/2011/10/28/slavoj-zizek/democracy-is-the-enemy/


 アン・アップルバウムがワシントン・ポスト紙に書いているように、ウォール街とセントポール大聖堂の抗議運動は確かに類似している。「その焦点の欠如、その未熟な本質、そして何よりも現存の民主主義体制への関与を拒否することにおいて」。彼女はこう続ける、「タハリール広場のエジプト人とは異なるのは」、「ロンドンとニューヨークの抗議者たちは、開けっぴろげに(そして奇妙なことに)自分たちと彼らを比較しているのだが、私たちには民主主義体制があるということだ」。

 タハリール広場での抗議運動を、西洋流の民主主義を要求する声にまで――アップルバウムがしているように――貶めるならば、勿論ウォール街の抗議運動とエジプトでの出来事を比較することは、奇妙な行為となるだろう。西側世界の抗議者たちは、どうして既に所有しているものを要求できようか?このような見方において彼女が遮断しているのは、グローバルな資本主義体制への全般的な不満が、こちらとあちらでは異なる形態で現れているのではないかという可能性だ。

 「とはいえ、一つの意味において」、と彼女は渋々認めているのだが、「国際的な占拠運動が、妥当な立法的提案を生み出すことに失敗したことは、理解しうる。グローバルな経済危機の原因とその解決策の双方は、その名が示すとおり、地方や国家の政治家の能力の範囲外なのだ」。そして、彼女はこう結論づけることを強いられる。「グローバリゼーションは、明らかに西側の民主主義の正当性を損ないつつある」。これこそまさに、抗議者たちが関心を引こうとしているものだ。そう、グローバルな資本主義が、民主主義を損なっているのだ。論理的に更に推し進めた結論は、いかにして現在の形態を越えて民主主義を拡張するかを我々は考え始めるべきだ、というものになる。複数政党制と国民国家に基づく現在の民主主義の形態は、経済的な活動の破滅的な結果に対処する能力がないことを証明してしまったのだから。しかしながら、アップルバウムは、この推論を進める代わりに、それらの問題を持ち出した抗議者たちを非難する方を選ぶのだ。

 「グローバル」な活動家たちは、注意しなければ、凋落を加速させてしまうだろう。ロンドンの抗議者はこう叫ぶ。「我々に必要なのはプロセスだ!」。しかし、彼らには既にプロセスがあるのだ。それは英国の政治体制と呼ばれるものだ。もし、それをどう使えばいいのかわからないと言うのなら、彼らはそれを更に弱めてしまうだけだろう。


 つまり、アップルバウムの議論は、グローバル経済は民主政治の範囲外にあるのだから、それに対処するために民主主義を拡張しようとするどんな試みも、民主主義の凋落を加速するというものらしい。一体どうしたものであろうか?彼女の見地によれば、それは機能しない政治体制において政治的参加に関与することであるようだ。

 今この時において、反資本主義の批評に不足はない。我々は、企業が無惨にも環境を汚染しているとか、銀行家が彼らの銀行が公的資金で救済される一方で、巨額の賞与を受け取っているとか、目抜き通りのアウトレット店のために、搾取工場で子どもたちが超過労働をさせられているとか、そういった物語を多く浴びせられている。しかしながら、そこには落とし穴がある。それらの仮定となっているのは、そうした行き過ぎに対する闘いは、おなじみのリベラル民主主義の枠内で行われるべきだというものだ。明示的であれ、暗示的であれ、到達点となっているのは、資本主義を民主化することなのだ。そして、グローバルな経済に対応するべく、民主的な支配を拡張することなのだ。メディアに晒されることの圧力、議会の査問、より厳しい法律、警察の捜査といった方法によって。ここで問われないままになっているのは、ブルジョワ民主主義国家の制度的枠組みである。これこそは、最もラディカルな形態の「倫理的反資本主義」運動――ポルトアレグレのフォーラムやシアトルの運動、その他――においてすら、神聖にして犯すべからずものとなっているのだ。

 ここではマルクスの鍵となる洞察が、これまでもそうであったのと同様に、今日においても適切なものであり続ける。政治の分野においては、自由の問題は第一に置かれるべきものであってはならない――つまり、自由選挙、独立した司法、報道の自由、人権の尊重といったことである。本物の自由は、家族から市場まで、「政治に無関心な」社会的諸関係のネットワークの中にあるのだ。改良のために必要な変革が、政治的な改革を意味せず、生産の社会的諸関係の変革を意味する場所においてあるのだ。我々は、誰が何を所有するかに関して投票したりしないし、工場での労働者同士のつながりに関して投票したりしない。そうしたことは政治の分野の外において、押し進められるべく残されているのだ。そして、民主主義を「拡張」することで、そうしたことを変えられるというのは幻想である。人々の管理下に置かれた「民主的な」銀行を設立するというようなものだ。この領域におけるラディカルな変革は、法的権利その他といった民主的な装置の外でなされるべきなのだ。それらは勿論積極的な役割を果たしている。だが、民主的な仕組みというものは、資本の再生産の乱れなき機能を保証するようデザインされた、ブルジョワ国家の装置の一部だということを念頭に置くべきだ。「今日では、最終的な敵の名は資本主義、帝国、搾取などそういった類のものではなく、民主主義である」と言った時、バディウは正しかった。それは「民主的な幻想」なのだ。民主的な仕組みを唯一の妥当な変革のための手段として受け止めることは、資本の諸関係における真の転換の妨げとなる。

 ウォール街の抗議運動は始まったばかりである。だがこのようなやり方でこそ始めるべきである。形式的な拒否の身振りは、積極的な内容よりも重要なのだ。なぜなら、そのような身振りだけが新たな内容を招き入れるための空間を切り開くことができるのだから。したがって、我々は次のような質問によって気を散らされてはならない。「だが、あなたは何を望んでいるのか?」。これはかつてある男性の権威者によって、ヒステリーを患う女性に投げかけられた質問である。「あなたの泣き言や不平は――あなたが本当に何を望んでいるのか、何か考えはありませんか?」。精神分析の用語において、抗議とは、主人を怒らせるためのヒステリックな感情の噴出であり、彼の権威を損なうためのものである。そして、主人の――「だが、あなたは何を望んでいるのか?」という――質問は、言外の意味を隠している。「私の用語法で質問に答えるか、さもなくば黙ってろ!」。今までのところ抗議者たちは、ラカンが1968年に生徒たちに率直に話しかけたような批評に、自らを晒すことを避けることについて、実に上手くやっている。「革命家として、君たちは新しい主人を求めるヒステリー患者である。やがて君たちはそれを得るだろう」。



訳者コメント:
 ジジェクが、LRB blog(London Review of Books)に発表した挑発的かつ誠実な文章。「ウォール街を占拠せよ」での演説ガーディアンでの論説、アルジャジーラ英語版でのインタビューと重なりつつ、ここでは直接的な言葉で反リベラル民主主義の立場が述べられている。彼の語ることには繰り返しが多いとよく言われるが、反復しつつ内容が違ってきているのが興味深い。

 「ウォール街を占拠せよ」運動に冷淡なジャーナリスト(彼女の名前の発音は「アップルバウム」でいいと思う)を、グローバル経済に対応すべく民主主義を拡張するという姿勢がないと、切って捨てる一方で、返す刀で今度はそうした発想を自ら批判して見せる。彼のこうした言葉の有り様をなんと呼べば適切なのだろうか?それは「反語的な(ironic)」とか「逆説的な(paradoxical)」という形容では追いつかないようだ。

 彼が最近よく使う言い方に添って言えば、それは真空(vacuum)を作り出すために、領域(field)を開くために、空間(space)を切り開くために、必要な身振りなのだろう。彼はそうした新たな内容のための新たな領域を切り開こうとしていると同時に、それがありきたりなもので埋められることを警戒している。

 この翻訳は昨日の朝に投稿し、夜に訳文を見直し、今朝に改めてこのコメントを付けているのだが、昨晩訳文を見直した時に、やはりいくつかのミスが見つかった。そうしたミスは訳している時には気付かないものだ。一人で訳し、自ら再チェックするにはどうしても時間をおくことが必要なようだ。ネットの利点を生かし、訳文を向上させていくつもりなので、更新されていないかたまに覗いていただけると幸いだ。

by BeneVerba | 2011-11-08 16:31 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
 スラヴォイ・ジジェクが先日アルジャジーラに語った論説(原文記事の最終更新日は10月29日)を、勝見貴弘氏が訳されたのでぜひ紹介したい。詳しい解説は不要だと思う。彼が「ウォール街を占拠せよ」運動で語った内容と重なりつつ、異なる部分があり興味深い。

 なお、転載は末尾リンクにも記した『ある哲学者の発想から得た、資本主義との正しい「離婚」のススメ』より。そこでの勝見貴弘氏の見方もまた、私の見方と重なる部分と異なる部分があり、これも興味深い。読者の方の見方はどうだろうか。



アルジャジーラが取り上げた、スロベニア哲学者Slavoj Zizekが語る「民主主義と資本主義の結婚は破綻した」(改訳しました)という論説の全訳。 http://t.co/OoBz8aDf #OccupyTokyo #Occupy
tkatsumi06j 2011/10/30 03:54:47



人類は、真に代替となるシステムを求めている。

アングロサクソン的な価値にまみれたネオリベラリズムと、
中国・シンガポールのアジア的な価値にまみれた資本主義。
あなたなら、どちらを選ぶだろうか?

このまま何もしなければ、いずれ我々は新たな
権威主義社会に近づいてしまうと、私は断言する。

ここに私は現代の中国で起きていることに歴史的意義を見出す。

これまで資本主義の良いところは、いずれ
民主主義を希求することになることだとされてきた。

しかし、アジア的価値観の資本主義を追求すれば、
果たして西欧側よりもより効率的でダイナミックな
資本主義となるのだろうか。私はそれを懸念する。

私は、十年も経てば、(確実に)天安門事件のような
大規模なデモが再び起きるだろうという、
リベラルな人たちが抱く淡い期待を共有しない。

もはや起こりえない。

資本主義と民主主義の結婚は、破綻したのだ。

Slavoj Zizek



リンク:



Twitterより:
 YouTubeのどこかで見た誰かの傑作な言葉の紹介をかねて、少しだけTwitterでのやりとりを引用。

@tkatsumi06j 勝見貴弘
あ、なるほど。あなたも「結婚」と素直に訳されたんですね。ここ私実は最初悩みました。RT @BeneVerba 同じ人です。重なるといったのは内容の方ですね、失礼。資本主義と民主主義が一体である状態は終わったからおおいに資本主義批判をしよう、ということかと。

@BeneVerba BeneVerba
@tkatsumi06j そこは実は何も考えず訳しました。最初に @toshiogr さん経由で知った時に、そういう風に訳されていたので。でも、その後彼の演説のYouTubeでのコメントに「結婚生活は終わったよ、だって資本主義の家庭内暴力がひどいんだもん」みたいなのがありました。

@tkatsumi06j 勝見貴弘
あはは、それは素晴らしい!RT @BeneVerba 最初に @toshiogr さん経由で知った時に、そういう風に訳されていたので。でも、その後彼の演説のYouTubeでのコメントに「結婚生活は終わったよ、だって資本主義の家庭内暴力がひどいんだもん」みたいなのがありました。


by BeneVerba | 2011-10-30 08:07 | 転載 | Trackback | Comments(0)