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 二〇一一年、私がツイッターを初めてそれ程には経っていない頃だ。渡邊芳之帯広畜産大学享受が、差別語について話しているのに危うさを持ち、次のようなメンションを付けた。当時は、エスニシティを公表していなかった。

渡邊芳之(@ynabe39)
だからさあ「この言葉を言ったら差別になる」とか「この言葉なら差別にならない」なんてないのよ。あなたが差別してればどんな言葉も差別になるし差別してなければどんな言葉でも差別じゃないのよ。
2011年6月21日

渡邊芳之(@ynabe39)
当事者にはわかりますよ。当事者なんだから。 RT @BeneVerba: 誰が当事者で誰が当事者でないか、あらかじめわかるはずもないでしょう。
2011年6月21日

渡邊芳之(@ynabe39)
だからどうした? 何を言おうと「あなたが差別していない」という保証などないよ。RT @BeneVerba: でも当事者は、差別されることを恐れて、「何々が差別語だとされているのは言葉狩りだ」みたいな議論に参加しないかもしれません。
2011年6月21日

渡邊芳之(@ynabe39)
「自分は非当事者だが差別してない,自分以外の非当事者は差別している,だから差別撲滅のために活動している」みたいな人はいちど死ねばいいと思う。2011年6月21日


 渡邊が、私を日本人と誤認として見ているのは、明らかだろう。その上で、「死ねばいい」とまで言う。一方私の方は、非常におぼろめかした書き方をしている。

 自分のルーツを語ることは、プライバシーに属する。自分のルーツを語っていなかったからと言って、渡邊の差別性が消えてなくなるわけではない。

by BeneVerba | 2014-07-10 10:43 | Trackback | Comments(0)
 野間らの「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言が問題視されず、自称「カウンター」だけが起きる社会は、反差別がある程度実現した社会でなく、全く実現していない社会である。

 そもそもツイッター上においても、「カウンター」勢による差別暴言は日常茶飯事なのに、それを無視して「カウンターの現場」とやらに行って何になるというのか。「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言が、問題視されない社会こそ異常なのだ。

 「カウンター」参加者たちは言う。関西のカウンターはマイノリティ主体だとか、現場に来ればわかるとか、多様な人々が参加しているので、意見は一様ではないとか。それでは、率先して「カウンター」の中心人物たちの差別発言を批判したまえ。それでこそ、野間らの影からはなれられるのだ。

 野間は、私はヘイトスピーチに反対する会の学習会で見ているが、あれは駄々っ子だ。自分の中に倫理というものがない。差別発言を指摘されると、さらに過激な差別発言をして開き直る。このような人物を無視するのではなく、きちんと「彼は差別者である」といえる社会が、反差別が実現した社会だ。

 「カウンター」においては、特に「ヘイトスピーチ」が問題化されたが、「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言がヘイトスピーチであることは言うまでもないことである。だが、「カウンター」参加者は見て見ぬふりをするか、こうした発言を擁護するばかりだ。

 さらに、付け加えるべきことがある。それは、「カウンター」がレイシズムの二次加害に荷担しているというということだ。「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といったヘイトスピーチを投げつけることは、それそのものが第一の加害である。それに加えて、差別者がまるで反差別の旗手であるかのように、ふるまうのは、差別の被害者にとっては耐えがたき苦痛であり、差別の二次加害にあたるということだ。

 今あるような、「反差別運動」は、ファシズムに抗うどころか、その人畜無害性において、ファシズムに貢献するものであり、徹底して解体されなければならない。差別者たち(たとえば野間易通)の差別暴言は、責任を取らされたうえで、永遠に記憶されなければならない。

 現況の反差別運動(そして、その他の社会運動)はどこか奇妙だと思っている人々が、私に合流することを望む。なぜなら、「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言も、在特会のような行動保守も問題視される社会こそが、反差別が実現している社会だからだ。

 もし反差別のために行動する人ならば、「カウンター」に行った際に、のいほいや野間、木野、凡(彼は私のエスニシティを貶めたレイシストである)その他がいたら、彼らに食ってかかるべきなのだ。




by BeneVerba | 2014-06-27 14:27 | 意見 | Trackback | Comments(0)
ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会
担当者様

2014年6月27日
芦原省一
beneverba(at)gmail.com


貴会事務局の岩下結氏について

前略 
 一七日付の朝日新聞報道で、以前大月書店で担当者だった岩下結氏が、貴会において事務局を担っていることを知りました。私は、大月書店に対し加盟する労組を通じて、団体交渉を要求しているものです。
 そもそも、その団体交渉のきっかけとなったのが、岩下氏が私に送った電子メールなのです。長くなりますが一部引用します。

 繰り返しますが、誰かを批判するのをお止めする権利はありません。(友人として悲しいという気持ちはありますが。)しかし一方で、我々にとってはビジネスの問題でもあります。たとえば反原連を支持する論者を批判するのは自由ですが、それが結果的に本が売れる道をいっそう狭くしていることはご自覚ください。

 最初から申し上げているように、この本は、国内でOWSに関心を寄せる方(知識人、といってもいいでしょう)に媒介してもらえない限り、売れる見込みのない本です。…

 そうしたきわどい戦略を顧みず、売れなくても構わない、わかる人だけにわかってもらえればいいということであれば、お止めすることはしませんが、ビジネスパートナーとしての信頼関係もそれまでということになるでしょう。

 ******* は、***さんが訳す予定はないそうです。さっそく***さんに紹介してもらえました。社内で了解が取れしだい近日中にオファーする予定ですが、訳者をお願いするかどうかの判断にあたって最大のネックが上記のような懸念であることはお伝えしておきます。取引材料にするようなつもりはありませんが、個人的にこんな思いは何度もしたくありませんし、会社への責任としてもビジネス上の判断を外すわけにはいきませんから。ビジネスパートナーとしての信頼関係もそれまでということになるでしょう。

 このメールが「誰かを批判するのをお止めする権利はありません」といいつつも、首都圏反原発連合、ひいては日の丸派脱原発の批判をとめるように脅迫していることは明らかです。朝鮮半島にルーツがある私は、これを民族差別としてとらえています。そのような人物が、反レイシズムに取り組んでいるかのように、見なされるのは耐えがたい苦痛です。

 また、岩下氏が事務局長であることは、私に対する二次加害に当たると考えます。それは犯罪者が犯罪予防の活動を行うようなものです。その犯罪者に被害を受けた人はどう思うでしょうか。
それゆえに、次の要求を行います。文書(電子ファイル可)での回答をお待ちしております。

一、岩下結を事務局の任務から解任し、これ以上の二次加害を防ぐこと。
二、会として、岩下結が事務局に就いた経緯を明らかにすること。
三、会として、このような二次加害を防ぐために再発防止を行うこと

草々



by BeneVerba | 2014-06-27 08:54 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 在特会と、いゆわる「カウンター」をめぐって、二つの共犯関係がある。

 二〇一三年から始まった在特会への「カウンター」、あるいは「反差別運動」はしくまれた悪だった。私は、それを「ないよりもましといったものではなく、考えられる中でも最悪のもの」「反差別運動はこれによって殺された」と考えており、その旨表明してきた。レイシストが堂々と行う「反レイシズム運動」もどきが幅を利かせる状況を、他にどう表現しうるというのだろう?

 それらの運動を始めた人々は、「反差別運動」を始める以前から、反原発運動において帝国主義と植民支配のシンボルである日の丸を容認したり、右翼と組んだりしており、ツイッターなどにおいても、差別暴言は日常茶飯事だった。つまり、彼らはレイシストであり、差別者だった。

 彼らが「カウンター」を始めたときに、多くの人々が、自分たちへの批判をかわすために、偽物の「反差別運動」始めたのだろうと考えた。だからこそ「レイシストが反レイシズムだって?」と言われたのだった。


 そうした人々が、在特会への「カウンター」を始めことで、それ以前から、彼らから暴力を受け、告発を使用としていた人々は、告発する口を塞がれる形になった。たとえば、テレビや新聞のみで彼らの活動を知った人が、「なぜこの人が差別者なのか?」と言い出す事例はよくあることだ。そういう人は、彼らの以前からのインターネット上での活動を知らないのだ。

 そこに第一の共犯関係がある。それは「カウンター」とマスメディアの共犯関係だ。そこで言いたいのは、そもそも「カウンター」をはじめたのは彼らではなく、以前から「カウンター」は行われていたと言うことだ。マスメディアは「カウンター」が骨抜きにされ、安全なものにされてから、採り上げるようになったのだ。ジジェク流に言うのなら、それはカフェイン抜きのコーヒーだ。

 在特会はいくら極端であっても、日本社会の本流から外れているものではない。むしろ、日本社会でこれまで許されてきた差別を凝縮したものが、在特会だ。在特会を異質なものとして切り離す態度は、「在特会を非難する自分」と「日本社会では異質な在特会」を分離する点で有害だ。

 私が、自称「カウンター」を「考えられる中でも最悪のもの」とする理由の一つもそこにある。在特会という、まごうかたなきレイシズムに言い訳は無用である。彼らは、一面では、「在日特権」やら何やらを攻撃していたかもしれないが、もう一面では、日本社会の醜悪さを表現していた。「カウンター」は、まともに在特会に批判するのではなく、在特会が示していたような日本社会の醜悪さをふさぐ形で登場した。

 「在特会」を問うのであれば、在特会を成り立たしめている日本社会や、その制度を問うところまでゆくのは当たり前のことだ。そうした観点から見るのならば、単に在特会のデモに「カウンター」だけすればというものではない。そうではなく、「在特会」は「あなたがこれまで許してきた日本社会のあり方」が、極端な形態をとったものなのだ。それは「社会における自分のあり方」と「日本社会のあり方」を見つめ直すことなしにありえない。それこそが「カウンター」に欠けているものなのだ。

 マスメディアの共犯関係において、悪しきことがもう一つある。それは、「カウンター」を善きものとして採り上げることで、「カウンター」や「カウンター」主導者がこれまで行ってきた差別が、告発を無力化されるということだ。

 野間易通のような人物は、何年も前からのレイシストであり、私はその差別暴言の被害者の一人である。さらに、私は、日の丸とともに歩かされるという屈辱を味わったのだが、それは野間がコアメンバーを務める、金曜官邸前講義に始まった習慣である。

 在特会のような行動保守を批判する際に、特にヘイトスピーチが問題化されたが、野間やその他の「カウンター」メンバーの差別暴言は野放しである。言葉が暴力であるというのならば、実際その通りなのだが、これらも問題とすべきである。

 また、野間らは、「公開処刑」宣言や、学習会の無断録音とアップロード、東京大行進でのヘイトスピーチに反対する会の暴力的排除など、その逸脱した振る舞いには枚挙がない。また、男組・我道会まで含めると、在特会と一緒にデモ隊を襲撃しているのである。

 インターネット上などで、差別暴言を日常的に行っている者を、「反差別運動の旗手」のように取り扱うのは、差別の二次加害であり、これまでそのような報道をしてきたメディア、今もしているメディアは差別に荷担していると言うべきである。


 第二の共犯関係は、「カウンター」とマイノリティの共犯関係である。

 そもそも私は不思議でならない。

 統一戦線義勇軍の針谷大輔というクズは、日本軍性奴隷制度を否定し、朝鮮学校を「チョン校」よばわりまでしている。一水会ブログは、「原発技術なんか、朝鮮人にくれてやれ」「穢れた技術は、穢れた民族にこそ相応しい」と書いた(なお、この件については、鈴木邦男が謝罪したが、完全に的外れな謝罪だった)。

 日本軍性奴隷制度の否定は、第一義的には、制度被害者への差別だが、朝鮮民族に対する民族差別でもある。日の丸は、植民主義と帝国主義のシンボルである。そして、何よりも、未だに反原発運動の現場に日の丸を持ち込む人間がいる。

 そのような状況において、針谷大輔やその他を受け入れてきた人物たちが、自らも差別暴言を使ってきた人物たちが、在特会に反対して見せたからといって、先に触れたような一水会や針谷の差別とその許容を忘れて、「カウンター」を称える在日朝鮮民族がいることだ。

 あなたがたは、奴隷なのか?日本軍性奴隷制度を否定されたり、「チョン校」と呼ばれても平気でいられるほどの?さらに彼らは、たとえば「カウンター」の主導者が批判者の朝鮮民族に差別暴言を吐いても、見て見ぬふりをしたり、さらには自らが他の朝鮮民族に差別発言をなしたりする。

 一つめの共犯が「カウンター」とマスメディアの共犯だとしたら、もう一つの共犯は「カウンター」とマイノリティの共犯である。それは「マイノリティ」が協力することによって「カウンター」の正当性が保障され、「カウンター」の差別性は見て見ぬふりされるという構造を持っている。もちろん、これは第一の共犯と別個の問題ではない。


 言うまでもなく、反レイシズム、ないし反差別とは、これらも含めて批判する立場を言うのである。


*深夜に二つのエントリを続けてアップロードしました。「民族差別の二次加害を働く『ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会』」もご覧下さい。




by BeneVerba | 2014-06-27 06:31 | 意見 | Trackback | Comments(0)
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 朝日新聞の一七日付け朝刊に次のような記事が掲載された。下記はその一部である。

これでいいのか「嫌中憎韓」/ブームの出版界に疑問の声

 東京都内の出版社の一室で4月下旬、大手から中小まで様々な出版社の社員約20人が議論を交わしていた。他国や他民族への憎悪をあおる言説に出版界の中から歯止めをかけられないか。そんな考えからフェイスブックなどを通じて集まった「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」のメンバーだ。

 会社に秘密で参加している人も多く、今後どのような活動ができるのかはまだ未知数だが、事務局の岩下結さんは「今の状況をおかしいと思っている人が多いことを示したかった。のろしをあげることに意味がある。今後も会合を開き、出版界全体で考える流れを作っていきたい」という。

 この記事中に登場する岩下結とは、大月書店の編集副部長であり、私に「反原連や日の丸を批判するのなら契約はやれない、契約がほしければそれらの批判はやめろ」と脅迫した人物である。自分が民族差別を働いておいて、「荷担しない」も何もないものである。

 しばき隊や仲良くしようぜパレードが問題なのは、一つにそのあり方だが、もう一つ問題なのは、しばき隊や仲良くしようぜ関係者が差別発言をした相手にとっては、差別者がまるでそうではないかのように取り扱われることで、差別の二次加害になっている点である。

 想像してほしい。自分に差別発言ないし差別を働いた人間が、あろうことか「差別と闘う」人間として取り扱われることの苦しみを。

 「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」は、このような人物を入会させるべきではなかったし、まして事務局にすべきではなかったのだ。岩下がなすべきは、厚顔無恥にもこのような会で活動することではなく、まずは私に対する、真摯な謝罪である。


by BeneVerba | 2014-06-27 03:50 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 以前のエントリでも書いたように、私は大月書店との仕事を始めるに当たって、自分のエスニックアイデン・ティティを知らせていました。そして、大月書店はそれに一定の理解を示していたのです。また、大月書店は日本軍政奴隷制度(「従軍慰安婦」制度)関連の本も出しており、マイノリティに理解のある版元に思えました。
 なぜマイノリティとの連帯ではなく、右翼の受け入れなのでしょう。ブログやツイッターにも書きましたが、先行きに危ういものを感じます。また、自分の持つ思想から言っても、アイデンティティから言っても、自分の居場所がここにはないと感じます。
 ――芦原メール
 これから必要なのは、差異の尊重が同時に「自分たち」の利益であると素直に思えるようなアイデンティティを、広範に育てていくことのように思います。ベーネさんご自身がそうするかは別にして、やはり在日はじめさまざまな差異をもつ人々が、脱原発運動の中でも声をあげ、それに多数者の側が学んでいくほかはないのでしょう。

 実際、野間さんなども、ベーネさん自身のバックグラウンドを知っていれば、全然違った捉え方をするだろうと想像します。もちろん、そのような人の属性で対応を変えることはあるべきではないし、当事者からの開示がなくてもそのような可能性を考えておくのが、あるべき市民のふるまいなのですが。これは、PC的な最低限のモラルとしてすら多様性への配慮が共有されていない日本の限界だと感じます。
 ――岩下メール
 その後、前回のエントリで紹介したように、私は大月書店の担当編集者から、「反原連を批判するなら契約はやらない」という趣旨の脅しを受けます。私は、大いに悩みはしたものの、契約を失う可能性を承知した上で、「反原連批判をやめよ」という脅しにきっぱり反対しました。なぜなら自らのエスニシティはそれほどかけがえないものだからです。
 反原連批判を止めるつもりはありません。理由の一つとしては、アイデンティティは「中断」することができないものだからです。反原連批判を控えてくれというのは、「しばらくの間存在しないでいてくれ」というのと同じことです。勘違いなされては困るので、もう一つの理由も挙げましょう。それはこれが脱原発運動全体にとって重大な問題であるからです。
 ――芦原メール
 その後、大月書店は私個人の資質を非難するようになっていき、最終的に「翻訳契約はやらない」と言いました。

 反原発デモに日の丸が翻る間だけ、朝鮮半島にルーツがあることを忘れるのは不可能です。そして、日の丸は、反原連的な「右も左もない脱原発」運動によって持ち込まれるようになったものであり、私は実際に反原発デモで、意図せずに日の丸と歩かされるという人生でも最悪の屈辱的な体験をさせられました。自分は思想的にも民族的にも日の丸を否定しているにもかかわらずです。

 大月書店のやったことは人権侵害であり、思想差別であるとともに民族差別(私の仲間の一人の言葉を借りれば、「ぶんなぐられても仕方のないようなこと」)なのです。


関連リンク:
  • 『はじまりの物語』が出版された直後の大月書店からの電子メールの抜粋
  • 寄付のお願い及び大月書店との係争について
  • 株式会社大月書店(サイト外)

  • by BeneVerba | 2014-05-23 11:40 | 意見 | Trackback | Comments(0)
    以下抜粋。

     繰り返しますが、誰かを批判するのをお止めする権利はありません。(友人として悲しいという気持ちはありますが。)しかし一方で、我々にとってはビジネスの問題でもあります。たとえば反原連を支持する論者を批判するのは自由ですが、それが結果的に本が売れる道をいっそう狭くしていることはご自覚ください

     最初から申し上げているように、この本は、国内でOWSに関心を寄せる方(知識人、といってもいいでしょう)に媒介してもらえない限り、売れる見込みのない本です。…

     そうしたきわどい戦略を顧みず、売れなくても構わない、わかる人だけにわかってもらえればいいということであれば、お止めすることはしませんが、ビジネスパートナーとしての信頼関係もそれまでということになるでしょう。

     ******* は、***さんが訳す予定はないそうです。さっそく***さんに紹介してもらえました。社内で了解が取れしだい近日中にオファーする予定ですが、訳者をお願いするかどうかの判断にあたって最大のネックが上記のような懸念であることはお伝えしておきます。取引材料にするようなつもりはありませんが、個人的にこんな思いは何度もしたくありませんし、会社への責任としてもビジネス上の判断を外すわけにはいきませんから。ビジネスパートナーとしての信頼関係もそれまでということになるでしょう

    注:伏せ字や太字での強調は芦原による。

     上述のように、「誰かを批判するのをお止めする権利はありません」とか「取引材料にするようなつもりはありませんが」などと言いながら、実質的には、翻訳契約と引き替えに反原連批判をやめるように取引を要求していることは明らかだろう。また、このブログでは伏せ字にしてある翻訳候補の書名について、「訳者をお願いするかどうかの判断にあたって最大のネックが上記のような懸念である」と言っているという点にも注目されたい。

     換言するならば、大月書店は私が朝鮮半島にルーツを持つことを知った上で、私に、日の丸の持ち込みと右翼との共闘に代表される反原連的なあり方を批判するな、と言いはなったのだ。

     大月書店はまぎれもない民族差別出版社である。


    関連リンク:
  • 寄付のお願い及び大月書店との係争について
  • 株式会社大月書店(サイト外)

  • by BeneVerba | 2014-05-15 22:08 | 意見 | Trackback | Comments(6)