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 マスメディアの報道を通し、私が初めて「慰安婦」問題を知った時の気持ちを、どう言い表せば適切なのだろうか?それは一九九〇年か一九九一年のことではないかと思うのだが、敢えて言えば、「やはり……」というものにでもなるだろうか。幼心にそういう「腑に落ちる」ような気持ちがあった。

 そうした時代に依存した感慨は、例えば今の一〇代やそれ以下の人々に、伝わるものだろうか?なにせ、崩壊の兆しが見え始めていたとはいえ、まだ長年に渡る自民党の支配に終止符が打たれていなかった頃の話なのだ。そして、今は直接的な戦争体験者の死去による戦争体験の伝達が危機を迎えている時代である。


 SFや漫画などで、こういう物語を持つものがある。主人公は周りの世界をおかしいと感じているのだが、それが何に由来するものかわからない。ただどこかがおかしいとだけ感じている。だがある日、何かのきっかけで、実は普通の人間たちだと思っていた周りの人々が、ロボットであったり異星人であったりすることに無理矢理気付かされる。快適に見えた今までの世界は嘘っぱちの世界だったのだ。

 そうした物語が孕む意味は、主人公は見かけの世界が意味しようとするものとは、異なるメッセージを、常に受け取っていたということだ。私に「腑に落ちる」ように思わせたものは、その時代には、まだかすかながらそうした感覚がまだ残っていたということだろう。


 例えば、この「慰安婦」問題に関する標準的な書物として知られる吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書)は、そうした事実があること自体は、公の形ではなくとも知られていたことを記述している。また、先の「さようなら原発」集会の記者会見だったと思うが、大江健三郎氏が村の戦争体験者から聞いたこととしてそうした話を語っていた。

 つまり、戦後日本、自民党時代の日本、呼び方は何であれ、それまでの日本は偽物の秩序であり、見せかけだったのだ。したがって、先ほどの私の古い感慨に、今あらためて後の句を付けるとすれば、「やはり……偽物だったんだ」とでもすべきなのだろう。三・一一以降を生きる私たちにとって、それらの寓話はあらためて意義のあるものになったのではないか。私たちが生きていた世界は「ずっと嘘だった」のだ。


 もし、私が「慰安婦」問題を知ったのが一九九一年のことだとしたら、金学順さんら三人の「慰安婦」被害者が、その年の一二月に東京地裁に提訴し、東京の韓国YMCAで会見した時のことだろう。今からほぽ二〇年前のことである。

 知ったのが、その前年一九九〇年――この年に金学順さんが初めて元「慰安婦」として名乗り出たのだが――だとしたら、韓国の女性団体が共同声明を発表した時のことだろう。その一〇月の共同声明は次のようなものだ。
一、日本政府は朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認めること。
二、そのことについて公式に謝罪すること。
三、蛮行のすべてをみずから明らかにすること。
四、犠牲となった人びとのために慰霊碑を建てること。
五、生存者や遺族たちに補償すること。
六、こうした過ちを再び繰り返さないために、歴史教育の中でこの事実を語り続けること。

 これらの要求事項はいくつかの語句を入れ替えるだけで、震災被害にも当てはまるだろう。「一、日本政府は放射線被害の事実を認めること。二、そのことについて公式に謝罪すること。放射線被害と原子力導入の経緯をみずから明らかにすること…」などと。

 この類似性は単に、両者が不正義であるがゆえだけではないのではないか。おそらくは、騙す、事実を認めない、責任を取らないという日本の権力の性格に由来し、人生そのものへの被害であるが故に原状回復が困難であるという被害の性質に由来するのだろう。


 もし「慰安婦」被害者の人々がそうした表現を許してくれるのならば、我々は同じ日本という権力から被害を受けたものである。なのになぜ私たちは「ウォール街を占拠せよ」のような連帯ができないのか?
 それぞれ異なる出身の多くの人々が、一%の貪欲、企業の貪欲への偽の解決法、組合潰し、公共サービスの削減と民営化といったものから、悪影響を受けてきた。九九%の人々は多様であり幅広い。だが、我々には連帯という原則があり、より良い世界――包摂と、尊厳と、愛と尊重の世界――を作るために、共に働いているのだ。「ウォール街を占拠せよ」に、レイシズム、セクシズム、トランスフォビア、移民への憎悪、ゼノフォビア、憎悪一般を受け入れる余地はない。

 挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が主導して開始したと聞くハルモニたちの水曜デモが初めて行われたのは、一九九二年一月八日である。彼女たちはこの二〇年間ずっと抗議活動を続けてきた。昨年一二月一四日に一〇〇〇回目を迎えた。阪神淡路大震災時と東日本大震災時に追悼沈黙デモになったことがあるだけだという。

 二〇年間に渡る一〇〇〇回に及ぶデモ。しかし、今なおその正義を求める声は、日本政府に受け入れられていない。なのに、彼女たちを否定するまさにそのような人物を迎え入れることで、脱原発運動のみが、その目的を果たすことができるのだという思考は、控えめに言っても、かなり自分たちの願望を優先した都合の良いものに思われる。

by BeneVerba | 2012-02-02 17:12 | 意見 | Trackback | Comments(0)

コメント:
 主に自分のためのリンク集。私は後追いですので、他に情報がありましたら、ぜひ教えてください。

by BeneVerba | 2012-02-01 18:08 | Trackback | Comments(0)
 私は、脱原発デモには多種多様な考えの持ち主が参加していいと思っている。しかし、もし脱原発運動と共に、なし崩し的に右翼との癒着が広がるのならば、危惧せざるを得ない。それはマジョリティによるナショナルな運動でしかないのではないのか。被曝は国籍を選ばないというのに。

 また、それは日本の為政者にとっても都合がいいものではないだろうか。日の丸を取り上げてみよう。一時期スポーツで日の丸を振ることは自然なことだというキャンペーンがあった。それは財界の意向の元に行われた雰囲気作りだったのではないか。本当に自然に選んだのか選ばされているのか、よく考えてみた方がいい。私自身は日の丸に直接的な好感情も悪感情もない。しかし、我々はこのような歴史を忘れさせられているのではないだろうか。

[1]日本の長い歴史のうち、政府がもっとも強い軍事力をもったのはいつだったでしょうか?
[2]日本の長い歴史のうち、国民が暴力によって殺された数がもっとも多かったのはいつだったでしょうか。

正解――同じ時期
(C・ダグラス・ラミス『普通の国になりましょう』、大月書店)

 私はいくつかのデモで日の丸を掲げている人を見た。他のデモでも同様だという。なぜ、侵略のシンボルであるだけでなく、自国民をも殺した旗を誇らしげに振るのか、私には理解ができない。今もまさに私たちは国家によって苦しめられているというのに。日の丸もまた原発同様、施政者によって騙されて来たことだったのではないか。

 どうすれば民衆の力で原発を止めることができるのか。それはわからない。ある人が言ったことだが、もし仮にレイシストと手を組んで原発が止まるならいい。だが、そのような条件はもちろんない。客観的に見れば、脱原発は進まず、レイシストを含む右翼との連携が進んでいるだけである。そしてそれは日本の民主主義を確実に蝕んでいる。

 「危機だから他に方法はない」とは、ショック・ドクトリンの時期における為政者の言葉だ。国民は「ショック・ドクトリン」を自らに実行しているのだろうか。

 本当に他に方法はないのか。

 それどころか、そうした右翼を抱擁する脱原発運動は大同団結をうたいながら、暗黙のうちにマイノリティを、右翼と手を組みたくはないという人を、日の丸や君が代は嫌だという人々排除している。

 また、右翼にあわせることが一つの基準になっているのはおかしい。右翼が参加したければ、すればいい。しかし、なぜそうではない人々がそれに合わせなければならないのだろうか。

 「脱原発運動はワン・イシューだ」とよく言われる。そうであるならば、日の丸のような問題はなおさらち込むべきではないのではないか。

 日の丸が好きだという持ち主の人も脱原発運動をする権利がある。しかし、脱原発のためにこそ折れるべきなのは、彼らだ。日の丸は掲げない、レイシスト、歴史修正主義者は呼ばない、そういう方針で脱原発運動をやればいい。


 繰り返しになるが、こうやれば確実に原発を止めることができるという方法はない。しかし、少なくとも悪影響を避ける方策はとれるはずだ。あくまでもラフな草案だが、次のようなことが私たちにはできるのではないか。


  • 事前にデモ主催者に連絡を取り、日の丸を掲揚しての参加を認めているのかどうか確認する。
  • 認めている場合、止めてもらうように要請する。
  • 主催者が応じないなら、「日の丸が掲げられる限りあなたたちのデモには行きません」と理由を告げ、そのデモに行くのは止める。
  • いずれにしろそのことをインターネットで報告する。
  • Twitter、ブログ、facebook などで、自分のポリシーを表明する。
  • 「原発はいらない」というだけでなく「君が代も日の丸いらない」「レイシズム反対」などという意思表示をする。
  • 他者を排除しないデモを自ら開催する。



*2/2、深夜改稿。「日の丸と脱原発――脱原発デモを選ぶ」から「『他に方法はありません』――脱原発運動のヴィジョンを拡げる」に改題。


2/3の追記:
 この記事についてはいろいろと反響があったが、私は「脱原発と反TPP」のセットはよくて、「脱原発と反レイシズム」等のセットがタブー視されるのはおかしなことだと思う。脱原発は誰しもの願いだ。しかし、脱原発だけにフォーカスが当たって、他のことが見過ごされるのは何かが間違っているのではないだろうか。「脱原発と反レイシズム(ないし反歴史修正主義)」を掲げることが当たり前になるように願わざるを得ない。

by BeneVerba | 2012-02-01 13:01 | 意見 | Trackback | Comments(2)
コメント:
 脱原発運動はこうであるべきだとはっきり提言するのは不可能だろう。しかし、私は最近脱原発運動が間違った方向に行ってしまいつつあるのではないかという危機感を持っている。特にマイノリティを勘定に入れない脱原発運動に対して。それは戦後の抑圧的な社会構造の反復、マジョリティを中心とした共同体の再生に過ぎないではないのか?昨夜から今朝へかけての Twitter での呟きから、誤変換などそのままに私の今の関心を記録しておきたい。

 また、以下の引用には現れていないが、もう一つ付け加えておきたい。在特会のようなどうしようもない存在に対して、「脱原発を主張する『本物の』右翼」として特にリベラルやノンポリから賛辞を与えられている存在は、所詮強面役となだめ役のような存在に過ぎないのではないか。少なくともそう機能することで、社会全体の右翼への親和化は進むのではないか。

 私は脱原発運動の最終到達地点は、戦後以来の、あるいは近代以来の日本のシステムを解体することだと考えている。

私たちは二つの「日本再生」に悩まされている。一つは自民党が言うような復興、もう一つはレイシストを抱擁するような脱原発運動。どちらにも未来はない。後者が仮に実現したところで、差別に鈍感な日本は温存されるだろう。
posted at 23:11:27

「あらゆる差別への反対」と「脱原発」は両立する。にもかかわらず、前者(被曝は日本人だけの問題ではないのいうのに)と後者が両立しないように言うのは、マジョリティーの立場。
posted at 23:18:21

歴史修正主義にしてもレイシズムにしても、普遍的な価値に反するから反対されている。それを「左翼だから反対している」という風に受け取っていることの多さは、これらの問題が十分に理解されていないことを意味する。
posted at 23:22:36

そこには1990年代以降のナショナリズムの自然化の期間に鈍感だった、というよりは鈍感に置かれていた人々の問題もあるかもしれない。
posted at 23:26:03

当たり前だが、「従軍慰安婦」被害には旧植民地国出身者への差別、女性への差別などであるとともに、日本はそれを受けてどうするのかという問題でもある。「今は危機の時なのだから」と言ってマジョリティが今取り組むべき問題に優劣をつけていいものか。
posted at 23:33:53

私が今考えつく最悪の「脱原発」のシナリオはこうだ。何らかの形で脱原発は実現するかもしれない。だが、その社会は脱原発以外では何も変わってない社会なのではないか。そこでは経済的社会的他者に無関心であるどころか、むしろ共同体の「成功体験」として日本社会の悪しき部分は強化されるのでは。
posted at 23:47:02

原発を安全なものと思わせられていた感性への政治と、日の丸の歴史を忘却させられてきた感性の政治は同種のものに分類できないか。戦後の嘘として。前者は3・11によって、その嘘が暴かれた。後者はまだその過程を踏んでいない。
posted at 23:57:45

もちろん脱原発運動が成功しない場合の最悪のシナリオは、脱原発も果たせず、右翼と左翼のなし崩し的な連携が進み、国家の側も市民の側も行き詰まるというものだ。そうなったら「右も左も関係ない」脱原発派は、運動を自ら見直さなければならない。
posted at 01:00:13

脱原発デモは、左翼が悪魔化され、異議申し立てをするのはごく一部の人という風潮を変えた。だが、そも一方で「イデオロギーを持ち込むな」という形のイデオロギーが優勢である。それは廃炉だけみて日本の民主主義には無関心な態度ではないのか。
posted at 04:55:09


by BeneVerba | 2012-01-31 05:18 | 意見 | Trackback | Comments(3)
日本大使への手紙
Letter to Ambassador of Japan
2011年11月02日 - ビアンカ・ジャガー
原文:
http://twitter.com/BiancaJagger/status/131733982911012864
http://www.twitlonger.com/show/dv7seu

以下は、福島原発震災がもたらした放射性被曝の恐怖の中で生きる日本の母親たちのため、日本大使に届けた手紙です。


ビアンカ・ジャガー人権財団
103 イヴァーナ・コート
ロンドン W8 6TX

林景一駐英国特命全権大使殿
101-104 ピカデリー
W1J 7JT
ロンドン
2011年11月2日


閣下,

2011年3月11日の津波が引き起こした壊滅的な結果による恐怖の中で生き続けている、日本中の数千の母親たちを支持するため、この手紙を差し上げます。請願書に署名した世界中の人々及び私は、日本政府の政策が、既存の津波被害とそれにより引き起こされた放射性被曝の破滅的な衝撃に対し、逆向きの結果を増すものだと信じるものです。今尚継続中である福島第一1号機及び2号機、3号機、4号機からの漏洩は、最善のシナリオでも数百万の人々の発ガン率の上昇をもたらすでしょう。

数千の母親たち及び請願書に署名した人々の懸念を貴方に伝えるととにも、次の要求を満たすことにより、放射性被曝を食い止めるために、可能な限りのあらゆる対策を講じるよう日本政府に対して訴えるものです。

  • 福島第一原子力発電所及び他地域の危険な放射性瓦礫は、被災した地域に留めておくべきであること。
  • 継続中である発電所の火災を止めるために、努力を集中するべきであること。また、3月11日以前に定められていた放射能レベルに基づき、人々は隣接地から避難するべきであること。
  • 許容しうる放射能レベルを増加させるという政策は、震災前のレベルにまで反転されるべきであること。今日、日本政府は計画的に放射性物質を拡散しており、愛国的な行為として福島産の食品を食べるよう公的な催しを開催しており、食品及び瓦礫の放射線の安全基準値を増加させている。例を挙げれば、今日の日本では、499bq/kgの値を示す食品が、消費者に対し全くそれを示すことなしに市場に出回っている。同様に、日本政府は瓦礫の放射線許容値を二倍に引き上げ、それらは焼却され海に投棄されるために、東京湾を含めた各地へと、国中に輸送されている。

私たちは、既に悲劇的である出来事が、国際的な範囲の壊滅的な環境災害へと変わることに対し、深い懸念を表明します。日本の環境省は、岩手県、宮城県、福島県の沿岸地域の災害による瓦礫の量を、2,382万トンだと見積もっています。瓦礫処理は日本の人々が直面する多くの障害の一つです。なぜならば、人々は生活を再建するために瓦礫を除去しなければならないからです。もし日本政府が、各地に集積される瓦礫を、充分に重要な問題であると受け止めないならば、拡散による放射性物質を含む瓦礫の処理は、もう一つの大きな問題を追加することになるでしょう。東京都は公式に、岩手県から1千トンの瓦礫を受け入れを表明しており、10月の終わりから、瓦礫を列車で輸送し、それらを焼却し、その灰を東京湾の埋め立てとして用いるでしょう。岩手県は、それらの瓦礫が133bq/kgの放射性物質を含むと見積もっています。これは震災前には違法な措置でしたが、日本政府は、2011年7月に瓦礫の安全レベルを100bq/kgから8000bq/kgに引き上げ、10月に10,000bq/kgに再度引き上げました。東京都は総計で50万トンの瓦礫の受け入れを表明しています。その岩手県では、2011年8月12日に、薪(の樹皮)から1130bq/kgの値が検出され、人気のある宗教行事でそれを燃やそうとしていた京都府は、汚染を理由にそうしないことに決めました。

日本政府によるこれらの行為がもたらす結果を、正確に予測することは困難ですが、今現在とんでもない環境的な大ばくちが行われていることは、誰にも否定できません。この問題は、地理的に被災地に近い東京地域に限った問題ではありません。東京都知事はこの措置が、他の地方自治体が瓦礫を受け入れるように奨励することを希望すると述べています。細野環境大臣は、2011年9月4日の記者会見において、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている」と述べ、原発事故近くの瓦礫や土壌を焼却する最終処理施設を、福島県外に設置するという彼の意図を繰り返しました。もし多くの地方自治体が東京都の指導に続くのならば、直接的な放射性物質拡散の被害を受けていない地域も、土壌や水質の汚染を招くことになるでしょう。

私は敬意を表しつつ、日本政府に対し汚染された地域の瓦礫を拡散し、焼却し、投棄することを思い留まらせるように、貴方に強く促すものです。それらは現在の場所に留めておくべきであり、人々は3月11日以前に実施されていた基準に従って避難させるべきです。日本の数千の母親たち及び私が恐れていることは、もし日本政府がこれらの政策を押し進めるのならば、現在及び過去の世代の運命が、危機に瀕するということです。悲劇的な結果を招かないように、適切な行動が取られることが私たちの望みです。


この件につきまして、閣下が思いやりのある配慮を取られるならば、ありがたく存じ上げます。

敬具,


ビアンカ・ジャガー
ビアンカ・ジャガー人権財団創設者及び会長



訳者コメント:
 1ヵ月以上前の文書だが、Twitterでリツイートされて回ってきたために、今日知ったもの。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーの元夫人、ビアンカ・ジャガーさんが、ビアンカ・ジャガー人権財団の名前で林景一駐英国特命全権大使に送った手紙の全文を、これまたTwitter(ないしTwitLonger)に投稿した原文から訳した。誤訳などあればぜひご指摘を。

 現在の津波ではなく地震が原発事故を引き起こしたという主張とは異なる部分があるが、それにしても彼女が、これほどまでに正確に日本で起こっていることを知っているのには驚くばかりだ。私は、この手紙から、9月19日の「さようなら原発」の集会での武藤類子さんのスピーチを思い起こしてしまう。既に有名であるこの講演から以下にその結語部分を引用しておこう。

 たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。

 私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

 


by BeneVerba | 2011-12-11 15:34 | 翻訳 | Trackback(1) | Comments(0)
 朝日新聞が十二月三日の朝刊記事において、レイシストであり歴史修正主義者である、統一戦線義勇軍議長針谷大輔を肯定的に取り上げた。

 記事の名は「原発国家 政党の外側で(下)」。「左も右も連携膨張」との見出しが踊る。割かれた活字の分量はほぼ二段。「愛郷精神に共鳴」の小見出しの下、高橋純子記者は「先祖代々の土地が放射能で汚され、子や孫の代にも影響が及ぶかもしれないという畏れから運動に加わる人が現れ、愛郷を唱える『右』の主張と響きあい始めている」と――マスメディアが他国によく使う表現を借りれば「論評抜きで」――書いている。

 そこに、批判的視点は一切ない。それどころか、彼が南京事件と「従軍慰安婦」を否定する歴史修正主義者であるという記述もなければ、「我々は敵権力、白人集団(WASP、ユダヤフリーメーソン)との全身全霊をもった闘いを貫徹するものであり、これに逆するスパイ、敵対者はそれを容赦なく排除する」という統一戦線義勇軍の性格についての記載もない。

 この記事はまるで情報を届けるために書かれたというよりも、忘れさせるために書かれたかのようだ。白紙で印刷した方が、それが白紙であるとわかるだけ情報量が多かったかもしれない。記事は書くが肝心なことは書かないという欺き方もある。いつものやり方ではあるが。


 Twitter は日本のインターネット上において、今おそらく最も脱原発運動が盛んな場所の一つだろう。そこでは「脱原発に右も左もない」ないし「脱原発にイデオロギーはない」などといった文句がスローガンとなっている。通常では、その字義通りの意味に反対を唱える人はいないし、それは私も同様だ。

 ところが、見過ごせない奇妙な風潮もある。つまりそれらのスローガンが実際に使われる際には、意味することはしばしばこうなのだ。「針谷大輔ら『脱原発右翼』を受け入れろ!たとえレイシストで歴史修正主義者であっても。受け入れなければお前は偽物の脱原発派だ!イデオロギーに凝り固まった左翼であり、分断工作だ!」。

 そうしたヘゲモニスティックな人々とは別に、もう少しお人好し――好意的に見るならば――な層もいる。彼らは、右翼と左翼を同列に考え、その中間あたりのどこかに自分がいると考えている。だが、常にアメリカの影響下にあるこの国で、右翼と左翼に振られた役割はただベクトルが違うというだけの対照物ではない。安保闘争の時に児玉誉士夫の介在によってヤクザが国会に導入されたことや、CIAがたびたび自民党に資金援助していた事実を思い起こせばそれで足りるだろう。

 いずれにせよ、針谷を受け入れよという時、彼らは脱原発のためならマイノリティはどうでもいいと言っているのみならず、日本という国家の性格及び責任への認識を欠いている。そのマキャベリ的な冷酷さ(あるいは鈍感さ)からは、どんな美名も大義も覆いつくせない腐臭がする。どちらの種類の人々も、日本という国家と闘っているはずなのに、日本というものに対する、右翼というものに対する認識が甘すぎ、自分に対する認識が甘すぎる。


 私がこの問題に関わることになった日付ははっきりしている。十一月二一日のことである。ライターの松沢呉一氏が、経産省前テントひろばに、自分の価値観を押し付けようとしているのを見かねて、思わず口を挟んだ時だ。また、私はそう感じるのだが、ヘゲモニスティックな人々の「糾弾」を受けることを恐れている一群の人々は沈黙を守っている。

つまり経産省前テントひろばの「無神経」は許容できないのに、針谷の「従軍慰安婦」への人権蹂躙は許容範囲なわけだ。 RT @kureichi 「新右翼と称する」ってなんだ? こういう無神経なことを書くから、「市民と称する左翼ども」と言われる。http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7b6429df17ee76c58718b4dc784d707a
posted at 01:24:54

何を言ってるのだあなたは? RT @kureichi へえ、経産省前のテントは従軍慰安婦のためのものなんだ。何を根拠にそんなことを言っているのか、明示していただけますか。
posted at 01:31:02

針谷の姿勢を問うているのに、勝手に私が「経産省前のテントは従軍慰安婦のため」と言ったように解釈したのは、あなた。議論を混乱させてうやむやにしようとしている。 RT @kureichi 意味不明のことを書いてきた人間に、その意味を問うているのですよ。自分でも意味不明なんでしょうね。
posted at 01:41:16

ツイッターの性質上、「何かもめごとらしい」と受け取られてはかなわない。再び @kureichi 氏が、「従軍慰安婦」を否定する針谷大輔を許容すべき、という自らのイデオロギーを経産省前テントひろばに対して押し付けようとしていることを確認する。
posted at 01:49:25

言い逃れ。では、関与しようとすべきだ。間違いなく「従軍慰安婦」は現在進行中の重要な問題なのだから。そして、あなたが自分のイデオロギーを経産省前テントひろばに押し付けようとしているのは事実だ。 RT @kureichi 原発以外の針谷氏の思想に私は関与してないですから…
posted at 02:00:30



 繰り返し確認されるべきなのは、この問題が脱原発運動内部における右翼傾向のある人物と左翼的傾向のある人物のもんちゃくなどでは決してない点だ。冒頭に述べたように、針谷はレイシストであり歴史修正主義者である。他者を排除することを政治的信条とする団体を主催する人物である。それを受け入れる「大同団結」が強要されていることこそが問題なのだ。

 この問題が左右の政治的もんちゃくなどではない理由は、この点にある。既に多くの人が指摘し、私自身も指摘したように、差別に基づく排除を掲げている人物を脱原発運動に招き入れることこそが、分断工作であり運動を弱めるものだ。したがって、「脱原発に右も左もない」「脱原発にイデオロギーはない」というスローガンは(先に述べたような意味において)イデオロギーとしての機能を果たしている。

 それはまさしく「左でも右でもない」を自認する人が、自分でそうと知らないままに掲げているイデオロギーである。それは「脱原発に右も左もない」という形のイデオロギー、右のみを包容し、マイノリティと「左翼」と「政治」と見なされるものを排除するイデオロギーであり、「イデオロギーを持ち込むな!」という形をとるイデオロギーだ(奇妙なことに「脱原発・反TPP」の組み合わせは良くても、「脱原発・反レイシズム」はアウトなのだ)。


 しかし、なぜこのようなことが起こるのか。それは答えるのが困難な問いだ。だが、一つ思うのは、放射線被害に関しては誰もが当事者になりうるが、「従軍慰安婦」や「反レイシズム」に関してはまるで自分が当事者ではないかのように錯覚させる回路が作られており、もはや政府の発表を信じなくなっている人々ですら、容易にそれを受け入れていることの恐ろしさということだ。

 人々は忘れてしまったのだろうか?二〇〇七年に、アメリカ、EU、カナダなどから従軍慰安婦に関する「決議」を出され、安部晋三首相(当時)が辞任に追い込まれたことを。それが意味するのは、私たち全てが加害責任において当事者であるということだ。言い換えれば、「左翼は従軍慰安婦にこだわる」などとあなたに言わせているものこそが、あなたに取り憑いたイデオロギーなのだ。

 だから、私ははっきりこう書かなければならない。「針谷を評価するようなデモには行くな!他のデモに行け!」「右からのデモなぞ評価するな!それ以外の自分が関わったデモを誇れ!」「もし、デモにレイシスト・歴史修正主義的な人物がいたら、あなたが折れるのではなく、相手こそが大同団結のために折れるべきだ!」。もちろん、イデオロギーから逃れるためにである。


 私は原発とは日本の権力構造そのものではないかと考えている。なぜ、中曽根康弘が未だに詰問されないのか考えてみればいい。なぜ政権与党が変わったのに政策が変わらないのか考えてみればいい。その構造を変えることなしに脱原発は成功するだろうか?

 脱原発運動がこの先どうなるかわからない。しかし、私は今の運動は敵を小さく見積もっているという気がしてならない。杞憂かもしれない。しかし、私たちが、民主的な社会を築くというヴィジョンなしに、脱原発運動のみを続けていて、達成されるほどそれは簡単なものなのだろうか?この問いは、共有されるに足る問いであると信じる。

 もし、政府もメディアも脱原発運動も駄目ということになれば、私たちの苦しみはより長引くだろう。そうならないためにも私たちは大きなヴィジョンを描くことが必要なのだ。









12/8の追記:
 以下ハンギョレ・サランバンの翻訳記事「慰安婦ハルモニたちも日本のために泣いた」より抜粋して引用。なお、文中にある宋神道(ソン・シンド)さんは Wikipedia によれば、講演活動を再開している。

 "私の傷は癒えていないので憎いけれど、罪は憎くても人は憎くありません。はやく頑張って克服して欲しいです。日本で音信が途切れたソン・シンド(89)ハルモニをはやく探して欲しいですが…。" キル・ウォンオク(84)ハルモニが弔旗を掲げたソウル、鍾路区、中学洞の日本大使館を眺めながら淡々と話した。キル ハルモニは 「あまりに途方もないことで今日は言うべき言葉が見つかりません」として「私たちの時のように多くの人が犠牲になるのを見ると、つらい記憶が思い起こされ、どうすべきか はやく復旧して欲しいです」と明らかにした。

 毎週水曜日に日本大使館前で‘韓国挺身隊問題対策協議会’(挺身隊対策協)が日本政府の慰安婦問題謝罪と賠償を要求して開いてきた水曜デモが、16日は30人余りが参加した中で東日本大地震犠牲者を哀悼する追慕沈黙デモに代替された。1992年1月8日に始まった水曜デモが沈黙デモに代替されたのは1995年8月の阪神大地震犠牲者を追慕する沈黙デモに続き今回が2回目だ。

 ハルモニと参加者たちは‘犠牲者のご冥福を祈ります’と書かれた黒い蝶を手に持った。挺身隊対策協はこの日、日本東北部大地震の犠牲者を追慕する声明を出し、日本、宮城県に居住している慰安婦被害者ソン・シンド ハルモニに対する積極的な救助も促した。日帝強制占領期間、独立活動家とその遺族たちの集いである光復会も「困難に処した日本人に勇気を与えるために人類愛を発揮することにした」として、地震復旧と被害者救護および支援のための寄付金1000万ウォンを出すことを決めたと明らかにした。


 日本軍「慰安婦」問題の解決を求める韓国水曜デモは、十二月十四日に千回目を迎える。韓国はもとより日本全国、世界各地でこれに合わせて連帯アクションが行われる予定だ(既に実施されたものもある)。ご存じの通り韓国と日本に時差はない。
 


by BeneVerba | 2011-12-07 17:08 | 意見 | Trackback | Comments(2)