意見:日本の風土を変えうるものとしての「占拠」運動
Twitterより自分のつぶやきを転載:

私は、「占拠せよ」とは、本来私たちのものであったはずのものを、取り戻す行為だと捉えている。民営化(=私物化)や米軍によって奪われたものを。デモの自由も含め。「占拠せよ」とは、なんらかの権威によるそれではなく、私たちによる(再)占拠だ。 #Occupy #OccupyTokyo

「ウォール街を占拠せよ」のような定住型抗議活動が増えれば、素晴らしいと思う。余りにも社会的政治的な発言が抑制されているから。ビジネスについての話ばかりだ。そこへ行けば必ず人々と出会えるという場があれば、日本的な風土が変わると思うのは想像が過ぎるだろうか? #OccupyTokyo

笑われるのを承知で、この考えを広げてみよう。日本の各街の公園を人々が「占拠」する。あなたはそこにずっと居てもいいし、好きな時立ち寄ってもいい。そして私たちは、原発や格差や差別について、情報を交換し意見を交わす。重要なのはそこに必ず人々がいるという事実だ。 #OccupyTokyo

私たち日本の「99%」が各地を私たちの手で「占拠」し、それが点在することになれば、その点と点を結ぶネットワークは、偽りの代表性、つまり小選挙区制から主流メディアまでの「1%」の日本に対抗できないだろうか。読んでいる人が笑い死にしないようここまでとするが。 #OccupyTokyo

by BeneVerba | 2011-10-21 09:33 | 意見