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2011年:革命の年
2011: A Year in Revolt 2012年01月03日 - ウォール街を占拠せよ 原文:http://occupywallst.org/article/2011-year-revolt/ 11/17:粘り強く反撃し、これまでになく強くなってブルックリン橋に凱旋する リバティ広場の強制排除の二日後、我々はおそらくこれまでで最大の行動を開催した。その日の朝、占拠者たちはニューヨーク証券取引所の全ての入り口を封鎖し、引退したフィラデルフィアの警部が連帯し、数百名と共にニューヨーク市警に逮捕された。組織化された学生たちや労働組合を含む30,000人以上の人々が、ブルックリン橋を通って、リバティ広場、ユニオン・スクエア、フォーリー・スクエア周辺でデモ行進した。ポートランド、ミルウォーキー、シアトル、ロサンジェルス、デトロイト、マイアミ、シカゴ、フィラデルフィア、セントルイス、ワシントンDC、ハートフォード、ヒューストン、ピッツバーグ、バルティモア、グレートフォールズ、ミネアポリス、カラマズー、オーガスタ、サギノー、クリーブランド、リッチモンド、アイオワシティ、その他の占拠運動がリバティ広場の占拠者たちに連帯して、それぞれの橋を渡った。ニューヨークでは、ニュースクールの学生たちが24時間体制の占拠を確立した。連帯行動は、カナダ、日本、イギリス、スペイン、ドイツ、ギリシアその他の世界各地で開催された。 11/18-現在:警察の暴力と不均衡な力に直面し、自らを変える 機動隊が冷酷にも、平和的な座り込みを行っていたカリフォルニア大学デービス校の学生たちにペッパー・スプレーを使用した。その映像は瞬く間に広がり、非暴力的抵抗に対する国家の関心を直感的にひくようになる。警察の暴力と真夜中の襲撃のパターンは、シアトル、ポートランド、オークランド、サンフランシスコ、ロサンジェルス、フェニックス、デンヴァー、ミネアポリス、パルティモア、フィラデルフィア、ニューアーク、ボストン、アトランタ、モントリオール、アムステルダム、その他の数十の都市で繰り返されている。だが、状況の変化に伴い、我々は進化することを学び、「占拠運動は決して死に絶えない。我らを排除せよ、そうすれば我々は更に増加する」という言葉を証明している。排除された占拠運動は、総会を開き続け、日々の会合、イベント、ワークショップ、ティーチ・イン、デモ行進、直接行動、そして市庁舎、銀行支店、企業の事務所、法廷へのデモなどで忙しくしている。屋内に移った運動もあれば、銀行が所有する家屋を乗っ取った運動もある。また、いくつかの運動は教会で寝泊まりし、いくつかの運動はテントなしで占拠し、市の条例を避けるために24時間体制で見張りの番をおいている。そして数十の運動がテントと共に物理的な占拠を続けている。だが、我々の全てが組織化されている。我々の新しいスローガンは、「時が満ちたイデアを立ち退かせることはできない」となった。 11/19:使われなくなった公有財産を取り戻し、コミュニティに役立たせる ワシントンDCの占拠者たちが、使われなくなった市所有のフランクリン校を解放した。社会福祉と民衆の意志を露骨にも無視して、ホームレスのための避難所だった場所は、K街の1%のロビイストたちのための分譲マンションないしはホテルに改造されようとしていた。警察の大規模な鎮圧以前、占拠者たちは建物をどう使うか決める公開フォーラムを計画していた。ホームレスの人々よりも多くの空き家がアメリカには存在するのだ。ウォール街の銀行家たちが巨額の利益と引き替えに住宅危機を引き起こす一方で、我々は空き家となった建物を住めるようにし、有効活用し、それらを必要とする人々のために人命を救う資源とすることで、多くの打ちのめされたコミュニティを再生させている。ロンドンで、シアトルで、オークランドで、チャペルヒルで、ポートランドで、ロサンジェルスで、ミネアポリスで、アトランタで、ボストンその他で、我々は銀行が所有する建物を社会的なセンターに変えている。 11/24:自分たちと互いを養う新たな方法を実演する アメリカにおける「感謝祭」の日、植民地主義者の祝日に感謝する代わりに、我々は集団的な要求に対して提供し続けることで、同情の精神に感謝を捧げた。ニューヨーク市では、占拠者たちは夕食を分かち合うために、リバティ広場に集まった。人民食堂は数千人の食事を提供し、Occupy the Hood はブルックリン、ハーレム、ブロンクスの至る所で食事を配給した。オークランドからボストンまで、占拠運動は座って食事をとり、ファースト・ネイションとネイティブ・アメリカンに連帯して行動に参加した。フィラデルフィアやその他の場所では、空き地を小さな農園に変え、コミュニティに食を提供するための共有地とした。Occupy Boston や Occupy DC などの多くの都市では「本当に本物の自由市場」を開催し、それらを必要とする誰に対しても品物を共有して、別の世界――そして、企業の利益ではなく、人々の必要を考慮した経済――が可能であることを証明した。 11/25:人民マイクを完成させる ニューヨーク市警の拡声器制限を避けるために始まったものが、組織化のための素晴らしい道具となった。情報の伝達からデモ行進の進路変更まで、2011年はマイク・チェックの年となった。人民マイクは1%の富裕層と腐敗した政治家に対抗するために数限りなく使われた。ニューハンプシャーではオバマ大統領を遮るために使われ、アイオワではニュート・ギングリッチを呼び出すために使われ、ロサンジェルスでは市議会で民衆の異議を表明するために使われた。だがブラック・フライデーに、人民マイクは完成された。占拠者たちは、エルパソ、カンサスシティ、サンディエゴ、アトランタ、オークランド、サンフランシスコ、ポートランド、シカゴやその他の数十の都市で、ウォルマートやその他の大規模小売店を占拠するためにこの手法を使っている。 11/28:誰にでも開かれた教育のために闘う 警察の暴力に応答して、カリフォルニア大学デービス校の学生たちによる大規模な総会は、システム全体に渡るストライキを呼びかけ、キャンパスを封鎖する意向を表明した。カリフォルニア大学評議会は大幅なサービスの削減と授業料の値上げを予定していたのだった。ニューヨーク市立大学の学生たち――彼らはその一週間前に授業料の突然の値上げに対して抗議している最中に警察に襲撃されたのだが――は、バルーク校を乗っ取り、建物をバリケードで封鎖して理事会が授業料の値上げを票決するのを防いだ。その外では、数百名の Occupy CUNY の学生たちとその支持者たちが、「教育は権利だ!」とチャントしていた。一方、ニュースクールの学生たちは彼らのキャンパスを占拠し続けていた。 12/1:タハリール広場の占拠者たちを支持する直接行動 エジプトでは、抗議者たちがムバラク政権を倒した後に権力を得た軍事政権が、民主主義と自由を求めて闘う抗議者たちを攻撃し殺し続けている。それらの人々の多くはウォール街占拠に霊感と支持を与えた同じ人々である。彼らへの連帯として、バルティモア、フィラデルフィア、そして大西洋中部にかけての占拠者たちが、アメリカ在住のエジプト人たちと共に、催涙ガス弾を製造するペンシルバニアに企業に対して抗議をした。それらはアラブの各政府に売られ、カイロのタハリール広場などの場所で抗議者に対して使用されているものである。「ウォール街を占拠せよ」はまたエジプト領事館そのたの場所で抗議活動を行った。 12/6:相互扶助の実践による差し押さえに対する直接行動 行動日の最中とその後、我々は家屋を占拠し差し押さえと立ち退きを妨げた。ロサンジェルス、アトランタ、ブレマートン、リーノー、ニューオーリンズその他の地で、占拠者たちは差し押さえの競売を中断させた。フィラデルフィア、ロサンジェルス、サンフランシスコ、サンホセ、バッファロー、その他で占拠者たちは銀行事務所に対して担保権を行使した。ニューヨーク、アトランタ、デトロイト、シカゴ、フォートローダーデール、ロチェスター、クリーブランド、オークランド、フィラデルフィアで、我々はホームレス、貧困層、労働階級及び中産階級、低所得家族、非白人家族、差し押さえに遭った人々、退役軍人たちが空き家となった銀行所有の家屋に引っ越すのを助けた。 12/7:政治における金による腐敗を暴き出す 数千の占拠者たちが、政治家たちをコントロールしているロビイストの巣窟であるワシントンDCのK街を封鎖した。数百名が14番街の北西とK街の交差点で逮捕された。それ以来我々は、凍える風の中で、「ウォール街を占拠せよ、K街を占拠せよ、あらゆる場所を占拠して、二度と手放すな!」、「雨に、みぞれに、氷に雪、占拠はどこにも去りはしない!」とチャントしながら、ホワイトハウスへとデモをかけている。その後、アメリカ最高裁の階段で、シチズンズ・ユナイテッドにおける法人格の支配などの、政府の1%の富裕層との共謀を非難している最中に更に人々が逮捕された。 12/12:港を封鎖する 我々の運動を抑圧しようとする政府の組織化された努力に応答して、我々は各都市で我々自身の努力を組織化した。非暴力的な封鎖やその他の行動が、ロングビーチ、サンディエゴ、オークランド、ポートランド、シアトル、バンクーバー、アンカレッジその他の港で行われた。Occupy Houston はメキシコ湾の港を封鎖した。一方海に接していない Occupy Denver はウォルマートの大規模流通センターにデモ行進をかけた。Occupy Bellingham は非暴力的に港に品物を運ぶ線路を封鎖した。ニューヨークでは「ウォール街を占拠せよ」が、ゴールドマン・サックスの本社にピケを張り、世界金融センターでフラッシュモブを行った。またた連帯行動が、アンカレッジ、タコマ、シカゴ、東京、その他の場所で行われた。 12/17:三ヵ月記念を祝う リバティ広場の強制排除以来、多くのホームレスの占拠者が路上や地元の教会で眠るようになった。12月17日、「ウォール街を占拠せよ」は、それらの教会の一つ、ウォール街のトリニティ教会によって所有されている空き地である、デュアルテ広場を新しい家として再占拠しようともくろんだ。数千の人々が連帯して現れ、我々は宗教的リーダーたちから甚大なる支持を受けた。 12/18:移民と経済的難民に連帯してデモ行進 国際移民デーに、「ウォール街を占拠せよ」と移民コミュニティの成員たちは、賃金泥棒、拘留措置、国外退去の終焉を求めて、また経済的難民と移民の権利を求めてフォーリー広場までデモ行進した。また他の占拠者たちはアラバマ州バーミングハムのICE拘留センターまで行進した。移民の正義を求める連帯行動が世界各地の都市と占拠地で行われた。 12/31:新年を祝う アメリカの数十の都市と、ヨーロッパ、南アメリカで、刑務所と産業の複合体の廃止を求めるデモを行った後、我々は全てが始まった場所、リバティ広場へと新年を迎えるために戻った。占拠者たちは我々の公園から締め出そうと警察が設置したバリケードの上で踊り、少なくとも68名が逮捕された。また数十の都市で占拠者たちがイベントを催し2012年の始まりを祝った。 2012:準備完了 運動の自発的でリーダーのいない性質が、我々に強さを与えている。未来は不確定だが、可能性は無限である。2012年、あらゆる場所における占拠者たちが、団結した人々の強さを見せ続けるだろう。以下は、現在進行中の行動の単なる「予告編」である。
訳者コメント: 2012年最初の翻訳。「ウォール街を占拠せよ」運動が、「革命の年」である2011年を自ら振り返る内容。文字数の制限のため2分割。前半はこちら。
by BeneVerba
| 2012-01-05 00:21
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