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プルトノミーとプレカリアート/凋落するアメリカ経済の歴史について
Plutonomy and the Precariat: On the History of the U.S. Economy in Decline 2012年05月08日 - ノーム・チョムスキー 原文: http://www.tomdispatch.com/archive/175539/ http://www.huffingtonpost.com/noam-chomsky/plutonomy-and-the-precari_b_1499246.html 占拠運動は、極めてエキサイトな発展を成し遂げた。実際のところ、これには前例がない。私に思いつく限り、これに似たものはこれまでに存在しない。この運動が確立した結束とつながりを、この先の長く暗い時代にも持ち耐えることができるのなら――なぜなら、勝利はすぐにはやって来ないのだから――ば、それはアメリカの歴史における重大な瞬間となるだろう。 占拠運動が前例のないものであるという事実は、非常にもっともなことである。結局、現在は前例のない時代であり、アメリカの歴史に大きな転換を記した一九七〇年代以来そうだからである。建国以来数世紀の間、常にうまいやり方ではなかったにしろ、社会はずっと発展してきた。それとは別の話だが、一般的な進歩は、富、工業化、発展、そして希望に向かっていた。この先もこのようであるだろうという、相当に一貫した見込みがあった。非常に暗い時代でさえもそうだった。 私は大恐慌を覚えているほどの年齢に当たる。一九三〇年代の最初の数年間――客観的に見て、当時の状況は、今日のそれよりもはるかに過酷なものだったのだが――の後でさえ、人々の精神は全く異なるものだった。「これから抜け出してやる」という感覚が、私の親類たちも含め、失業者たちの中にあった。「やがて良くなるだろう」という感覚が。 戦闘的な労働組合――特にCIO(産業別労働組合会議)傘下の団体――による、組織化が進行していた。座り込みストライキをして、実業界を恐れさせるところまで――当時の業界紙を見ればわかる――行っていた。なぜなら座り込みストは、工場を乗っ取り、自分たちで運営するのに後一歩だからだ。ついでに言えば、労働者による奪取というアイディアは、現在特に課題となっているものであり、私たちはそれを覚えておくように努めよう。また、民衆からの圧力の結果として、ニューディール立法が出現し始めていた。困難な時代にもかかわらず、どこかしら「私たちは、これから抜け出してみせる」という感覚があった。 現在では全く様子が違っている。アメリカの多くの人々にあるのは、広く浸透した希望のなさの感覚であり、時には絶望の感覚である。私が思うに、これはアメリカの歴史において極めて新奇な事態であり、そしてそれには客観的基礎がある。 労働者階級について 一九三〇年代には、失業した労働者階級の人々は、やがて仕事が戻ってくると見込むことができた。しかし今は、あなたが製造業の労働者――現在の失業率はおよそ大恐慌のそれなのだが――で、現在の傾向が続くのなら、それらの仕事は戻ってこない。 変化が起きたのは、一九七〇年代である。それには多くの理由がある。主に経済歴史学者ロバート・ブレナーが論じているのは、その基礎となる要因の一つとして、製造業における利潤率の低下があるということだ。その他にも要因はあった。そして、それは経済における大きな変化を導いた。工業化と発展へ向かう進歩の数百年からの反転であり、脱工業化と脱発展のプロセスへの転換だった。もちろん製造業の生産は海外で続き、大きな利益を上げているが、労働力にとっては良いことではない。 それとともに、生産的な事業――人々が必要とするか使用する物の生産――から、金融的な操作へと、経済の顕著な転換がなされた。経済の金融化こそ、この時代に起きたことである。 銀行について 一九七〇年代以前には、銀行は銀行だった。それらは国家資本主義経済の中で、期待された役割を果たしていた。銀行口座の未使用の資金を使って、例えば、家族が家を購入するとか、子どもを大学に入れるとかを支援して、潜在的に有益な目的に振り向けていた。それが劇的に変わったのは、一九七〇年代だ。大恐慌以来、それまでに金融危機はずっと存在しなかった。一九五〇年代と一九六〇年代は、アメリカの歴史において、そしておそらくは経済史においても最高に、巨大な成長の時代だった。 それに平等主義でもあった。最下層の二〇%と最上層の二〇%が、同様にやっていた。多くの人々が理に適った生活様式――この国で「中産階級」と呼ばれ、他国では「労働者階級」と呼ばれるもの――を送るようになったが、それは本物だった。一九六〇年代には、それが加速した。かなり憂鬱な一〇年間の後、これらの年代のアクティヴィズムは、恒久的な様々なやり方で、この国を真に文明化した。 一九七〇年代になると、突然で急激な変化が訪れた。脱工業化、生産の海外移転、そして巨大に成長した金融機関への移行。また、言わなければならないのは、一九五〇年代と一九六〇年代には、数十年後にハイテク経済となるものが発展したということだ。コンピューター、インターネット、IT革命は、実質的に国有部門で発展した。 一九七〇年代に起きた発展が、悪循環の原因となった。それは金融部門にますます富を集中させた。これは経済に益するものではない――どころか、おそらくは経済と社会を傷付けるものだ――が、途方もない富の集中を導いた。 政治と金 富の集中は、政治権力の集中をもたらす。そして、政治権力の集中は、この循環を増大させ加速させる立法をもたらす。立法――本質的には二大政党が一致する分野――は、企業統治と規制撤廃の諸規則だけでなく、新しい財政政策と税制の変化をもたらす。とともに、それは選挙費用の急激な増加をもたらし、政党は企業部門のポケットに、さらに深く手を突っ込むことになる。 多くの意味において、政党は解散した。かつては、国会にいる人物が、委員会の委員長のような地位を望むのなら、彼または彼女は、主に年功序列と功績によってそれを得た。主にトム・ファーガソンが研究したテーマによれば、数年の後には、昇進のためには、党の資金につぎ込まなければならなくなった。それは、全システムを、さらに深く企業部門(特に金融部門)のポケットに突っ込ませた。 この循環は、主に人口の一%のトップ一〇分の一に、途方もない富の集中を生みだした。一方それは、不況、もしくは人口の多数派にとっては凋落の時代を開始した。より長い労働時間、高率の負債、近年の住宅バブルのような資産インフレーションへの依存といった、不自然な手段によって、何とか人々は生活していた。アメリカにおけるそれらの労働時間は、すぐに、日本や様々なヨーロッパの地域といった、他の先進国のそれよりも高くなった。つまり、多数派にとって不況と凋落の時代がある一方で、急激な富の集中の時代があった。政治システムは、溶解し始めた。 政策と民意の間には常にずれがあったが、それは天文学的にかけ離れたものになった。実際、それは今すぐに見ることができる。ワシントンの誰もが注目している大きな問題は何だろうか。それは赤字である。大衆にとって、正しく、赤字は大きな問題とみなされていない。そして、実際にそれは大きな問題ではない。問題なのは失業である。赤字に対処する委員会はあるが、失業に対処する委員会はない。赤字に関する限り、大衆は意見を持っている。世論調査を見てみればいい。人々は、圧倒的に富裕層へのより高い課税を支持している。富裕層の税率は、不況と凋落、そして限られた社会的利益の保護の時代に急速に低下した。 赤字委員会の結果は、おそらくその正反対となるだろう。占拠運動は、この国の心臓に突き付けられた短剣に等しいものを、回避しようとするための大衆的基盤を提供できるかもしれない。 プルトノミーとプレカリアート 人口の大半――占拠運動が「九九%」とイメージする人々――にとって、状況はこれまで過酷なものだったが、更に悪化することもあり得る。反転不可能な凋落の時代となるかもしれない。一方、「一%」あるいはそれ以下の人々にとっては、何の問題もない。彼らはこれまでになく富んでおり、これまでにない力を手にしており、政治システムをコントロールし、大衆を無視している。彼らが関係している限り、それが続くことができるのならば、もちろん、そうしない手はない。 例として、シティグループを挙げてみよう。数十年の間、シティグループはもっとも腐敗した主要な投資銀行だった。レーガン時代に始まって、今に至るまで繰り返し納税者から救済措置を受けてきた。その腐敗についてはここでは繰り返さないが、極めて驚くべきものである。 二〇〇五年に、シティグループは、投資家に対して「プルトノミー:贅沢を買う、グローバルな不均衡の説明」というパンフレットを公表した。それは、投資家たちに「プルトノミー・インデックス」に、お金をつぎ込むように促すものだった。パンフレットによれば、「世界は二つのブロックに分かれつつあります。プルトノミーと残りです」。 プルトノミーとは、高級品などを購入する富裕層を指し、そこにこそ本物の活動があるのだった。彼らはプルトノミー・インデックスが、株式市場よりはるかに効率が良いと主張した。残りはといえば、実際に社会を構成するものではなかった。彼らのことなどどうでもいいし、我々には必要ではない。我々が問題に巻き込まれた時に、我々を保護し救済する、強力な国家を提供するために、彼らの存在は必要だが、それ以上のことでは、彼らは本質的に何の機能も果たさない。最近では、それらの人々は、時に「プレカリアート」と呼ばれている。社会の周縁で、不安定な実存を生きる人々のことだ。ただし、それはもはや周縁ではない。それは実際、アメリカやその他のどこでも、社会の実質的な部分となりつつある。そして、それは良いことだと考えられている。 例えば、FRBのアラン・グリーンスパン議長は、経済の専門家たちからもっとも偉大なエコノミストの一人と称えられ、未だ「聖アラン」でいられた当時(彼に実質的な責任がある金融崩壊以前のことだ)、クリントン時代の国会に対して証言し、自らが監督していた偉大な経済の不思議について説明した。彼は、その成功の大部分が、実質的に彼が「増加する労働者の不安定性」と呼ぶものに、基盤を置いていると述べた。労働者たちが不安定ならば、また彼らがプレカリアートに属し、不安定な実存を生きているのならば、彼らは要求を出さず、より良い賃金を求めようとはせず、よりましな利益を得ることはできない。必要でなくなったら、彼らは追い出すことができる。技術的に言えば、それが「健全な」経済と呼ばれるものだ。そして、彼はこの発言のために非常に賞賛され、大きな評価を受けた。 そして、世界は今プルトノミーとプレカリアートに分裂しようとしている。占拠運動がイメージするように、一%と九九%に。これは実際の数字ではないが、正しく状況を描き出している。今では、プルトノミーこそ実際の活動がある場所であり、今後もそのように続くかもしれない。 そうであるならば、一九七〇年代に始まった歴史的な転換は、反転不能なものとなる。私たちが向かっているのは、そこである。そして占拠運動は、これを回避するかもしれない、最初で、本物の、主要な、民衆による反応である。だが、長く困難な闘いになるという事実に、目を向けることが必要になるだろう。明日に、勝利を勝ち取ることはできない。維持することができ、困難な時代に耐えることができ、大きな勝利を勝ち取ることのできる構造を形成しなければならない。そして、なすことのできることは数多くある。 労働者による奪取に向けて 先に述べたように、一九三〇年代にもっとも効果的な行動の一つは、座り込みストライキだった。そして、その理由は単純である。それが産業の奪取にあと一歩だからだ。 一九七〇年代を通して、凋落がやって来るにつれ、いくつかの重要な出来事が起こった。一九七七年には、USスチールが、オハイオ州ヤングズタウンにある主な施設の一つを閉鎖することを決めた。従業員たちとコミュニティは、単に歩き去る代わりに、団結して会社からそれを買い取り、労働者に明け渡して、労働者が運営し管理する施設に変えることに決めた。彼らは、勝利することができなかった。だが、充分な支持を得れば、彼らは勝つこともできた。これはガー・アルペロヴィッツと、労働者たちとコミュニティのために弁護士として働いたストートン・リンドから詳しく聞いた話だ。 彼らが敗北したとしても、部分的には勝利し、その他の努力の引き金となった。現在ではオハイオ中とその他の場所に、数百の、時にはそれほど小さくない、労働者管理に転換可能な労働者/コミュニティ所有の産業がある。そして、それは本物の革命の基礎となるものだ。それはどうやるべきかの見本だ。 ボストン郊外のある場所で、約一年前に、よく似た何かが起こった。ある多国籍企業が、利益を生み出し、機能しているハイテク製造の施設を閉鎖することを決定した。明らかに、彼らにとっては充分に利益を生むものではなかったのだ。従業員たちと労組は、それを買い、引き取り、自分たちで運営することを申し出た。多国籍企業は、おそらく階級意識的な理由で、そうせず閉鎖することに決めた。思うに、彼らはこうしたことが起きてほしくなかったのだろう。民衆からの充分な支持があれば、関係することのできる占拠運動のような何かがあれば、彼らは成功していたかもしれない。 他にもこのようなことは起きている。実際、そのうちのいくつかは有名である。そう遠くない昔に、オバマ大統領は自動車産業を引き取り、基本的にそれは市民によって所有されるものになった。なすことができたことは数多くあったが、そのうちの一つは実際になされたものだ。オーナーシップか、よく似たオーナーシップの元に返すことができるようにしておき、伝統的なやり方で続けるというものだ。 他の可能性は、それを労働者たち――いずれにせよ彼らが所有しているのだ――の手に明け渡し、労働者の所有・管理により、経済の根幹となる主要な産業システムに変え、人々が必要とするものを生産することだった。そして、私たちが必要とするものは、多くある。 私たちがみな知っているか、知っておくべきであるのは、世界的に見て、アメリカは高速輸送において極めて遅れており、それが深刻な問題だということだ。それは人々の生活だけではなく、経済にも悪影響を与えている。それについては、個人的な話がある。数ヵ月前にフランスで話す機会に恵まれたのだが、南仏のアビニョンから、パリのシャルル・ド・ゴール空港まで列車に乗らなければならなかった。ワシントンDCからボストンまでと同じ距離である。二時間だった。ワシントンからボストンまで列車に乗ると、私と妻がそれに初めて乗った六〇年前と同じ速度で運行しているのだ。これはスキャンダルである。 ヨーロッパでなされているのと同じように、ここでもなされることが可能なはずだ。彼らにはそれをなす能力――熟練した労働力――があった。民衆からの支持が少しばかり必要かもしれないが、経済に大きな変革をもたらすことが可能だろう。 事態をより超現実的にしているのは、この選択が避けられている一方で、オバマ政権が運輸省の長官を、アメリカのために高速鉄道を開発するという契約のため、スペインに派遣しているという事実だ。それは、現在操業停止中のラスト・ベルト〔斜陽化した工業地帯〕でなされるべきだったろう。それが起きないことを示す、経済的理由は何もない。階級的な理由ならばあり、それは民衆による政治的結集の欠如を反映したものだ。こうしたことは続くだろう。 気候変動と核兵器 これまでは国内問題について話してきたが、国際分野では二つの危険な開発が行われている。それらは、これまでに議論してきたこと全てを覆う、影のようなものだ。人類の歴史において初めて、種のまともな(decent)生存に対する本物の脅威がある。 一つの影は、一九四五年から垂れ込めていたものだ。私たちがそれを逃れることができたのは、ある種の奇跡だ。それは核戦争と核兵器の脅威である。多くは議論されていないが、実際、この脅威は、この政権とその同盟諸国の政策によって、拡大している。そして、それについて何かがなされなければ、私たちは深刻な問題に巻き込まれるだろう。 もう一つは、もちろん環境的なカタストロフィだ。事実上、世界の全ての国が、それに関して何かをなそうとして、少なくともたどたどしい措置を執っている。アメリカもまた措置を執っているが、それは主に脅威を増大させる方向にである。この国は、環境を守るために建設的な何かをしていない唯一の主要国である。それは列車に乗ろうとしていないどころか、後ろ向きに動かしている。 これは、巨大なプロパガンダ・システムと関係がある。実業界が誇らしげかつあからさまに宣言しているように、それは気候変動がリベラル派の作り話に過ぎないと、人々に思わせようとしている。「なぜ科学者なんかに注意する必要があるんだ?」というわけだ。 私たちは本当に、暗黒時代へと逆行している。これは冗談ではない。それが史上もっとも強力で豊かな国で起きているのなら、このカタストロフィは避けられないだろう。一つか二つの世代のうちに、私たちが話している他のことは重要でなくなるだろう。特別かつ持続したやり方で、これについて何かがすぐになされなければならない。 前進するのは、容易ではない。そこには、障壁、問題、困難、失敗があるだろう。それは不可避だ。だが、ここやその他の地で、そして世界中で持ち上がった昨年の精神が、広がり続けて社会的経済的な世界で主要な力とならない限り、まともな未来を得る可能性はそれほど高くはない。 訳者コメント: ハフィントン・ポストとトムディスパッチの両方に投稿されたチョムスキーの論考、それらによれば新著『オキュパイ』からの抜粋とのこと。その元は昨年10月のスピーチらしいので、おそらく「未来を占拠せよ」として翻訳したボストンでの講演だろう。 [同日の変更] 千葉学氏からの指摘で、「vicious cycle」の訳語を「悪循環」に。単純ミス。その他ニ、三の語の見直し。
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| 2012-05-26 04:20
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