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〈資本主義〉対〈気候変動〉
Capitalism vs. the Climate 2011年11月09日 - ナオミ・クライン 原文:http://www.thenation.com/article/164497/capitalism-vs-climate?page=full ――気候変動が導くヴィジョンと左派の役割 この場所こそが、極右イデオロギーと気候変動否定論が、真に危険なものになる交差点だ。これらの「冷たいやつら」が気候科学を否定するのは、単にそれが彼らの優位を基盤とした世界観を転覆する脅威であるからではない。彼らの優位を基盤とした世界観は、発展途上国の膨大な人類を帳消しにできる知的な道具なのだ。共感を拒絶するこうした思考様式が提示する脅威を認識することは、とてつもなく緊急の問題だ。なぜなら気候変動は、少し前のように、私たちの道徳的性格を試すだろうからだ。環境保護庁の二酸化炭素排出規制を防ごうと活動する、アメリカ商工会議所は、地球温暖化の最中にも「人々は、行動的な、生理学的な、技術的な適応などによって、暖かな気候に順応することができる」と、請願書で述べた。そうした適応こそが、私がもっとも心配するものだ。 どのように私たちは、ますます強烈かつ頻繁になる自然災害によって、ホームレスや失業者を作り出した人々に順応するのだろうか?どのように私たちは、海岸に穴の空いたボートでやって来る、気候難民を取り扱うのだろうか?私たちが、彼らが逃亡してきた危機を作り出したことを認識して、国境を開放するのだろうか?それとも、ハイテク要塞を築いて、厳しい反移民法を採用するのだろうか?どのように私たちは、希少な資源を取り扱うのか? 私たちは答えを既に知っている。希少な資源を求める企業は、より略奪的かつ暴力的になるだろう。アフリカの耕地は、豊かな国に食料と燃料を供給するために、略取され続けるだろう。干魃と飢饉は、遺伝子操作された種子を押し付けるための口実として、使われ続け、農民たちを更なる負債へと押しやるだろう。私たちは、最後の一滴を絞り出すとてつもなく危険な技術を用いて、ピークに達した石油とガスを乗り越えようと試み、地球のさらに大きな一帯を犠牲地に変えるだろう。私たちは、国境を要塞化し、海外の資源紛争に介入するか、自らそうした紛争を始めるだろう。「自由市場による気候変動の解決」と彼らが呼ぶものは、二酸化炭素排出量取引とカーボン・オフセットとしての森林の使用に関して既に見られるように、投機、詐欺、縁故資本主義を引き寄せるだろう。そして、気候変動が貧困層だけでなく、富裕層にも悪影響を及ぶようになると、気温を下げるために、大きな未知のリスクを無視して、私たちは加速度的に、その場しのぎの技術を探し求めるだろう。 世界が温暖化するにつれて、犠牲者は彼らの運命だったのだ、私たちは自然を克服することができる、全員に責任があると説く支配的イデオロギーが、実際に私たちを寒冷地に連れて行くだろう。それは寒くなり続け、否定運動の一部の表面下にかろうじて存在する人種的優越性の理論が、猛威を振るって復活するだろう。これらの理論は選択的なものではない。南半球やニューオーリンズのようなアフリカ系アメリカ人が人口の多くを占める都市で、大部分は非難するところのない犠牲者たちに対する、心情の硬化を正当化するために必要なのだ。 『ショック・ドクトリン』の中で、私は、危機を生み出した原因を解決するよりも、はるかにエリートを富ませるようにデザインされた、暴力的イデオロギー的アジェンダを押し付けるために、右派がいかに体系的に危機――本物であれでっち上げであれ――を利用してきたかを探求した。環境危機が悪化し始めると、例外はないだろう。これは全く予想可能である。私たちの現体制は、共有財を私有化し、災厄から利益を得る新しい方法を求めるべく築かれたものである。このプロセスは既に進行中である。 唯一のワイルド・カードは、何らかの相殺的な民衆運動が立ち上がり、この冷酷な未来に対する実行可能なオルタナティブを提示することだ。それは、オルタナティブな一連の政策を提案するというだけでなく、環境危機を生み出した世界観に匹敵するオルタナティブな世界観を提示するということだ。今度は、超個人主義よりも相互依存性が、優先権よりも相互利益が、階層秩序よりも協働体制が組み入れられなければならない。 文化的価値観の移行は、間違いなく、困難な注文だ。一世紀前に諸運動が闘ったような野心的なヴィジョンが要求されるだろう。あらゆるものが単一の「問題」に砕け散り、職業意識を持ったNGOの適当な部門によって、取り組まれるようになる以前の話である。気候変動は、「気候変動の経済学についてのスターン・レビュー」の言葉を借りれば、「私たちがこれまで見た中でも最大の市場の失敗」なのだ。あらゆる面から見て、この現実は進歩派にとって確信的な追い風であり、自由貿易から、金融投機、産業的農業、そして第三世界の債務までの全てに対する長年の闘いに、新たな活気と緊迫性を吹き込むものでなければならない。その一方で、これらの闘争を優雅な織物として、地球の生命をどう守るかという、首尾一貫した物語に仕立てなければならない。 だが、そうしたことは起こっていない。少なくとも今はまだ。ハートランドの人たちが、気候変動は左翼の陰謀だとせわしなく呼びかける一方で、ほとんどの左翼はまだ、気候科学が彼らにウィリアム・ブレイクの「闇のサタンの工場(dark Satanic Mills)」以来、資本主義に抗するもっとも強力な論議を手渡したことに気付いていないことは、苦しい皮肉である(もちろん、それらの工場は気候変動の始まりだったのだ)。デモの参加者たちが、アテネ、マドリッド、カイロ、マディソン、ニューヨークで政府と企業のエリートたちの腐敗を非難している時、気候変動は、資本主義に対するとどめの一撃であるべきにもかかわらず、しばしば脚注に毛が生えた程度の扱いしか受けていない。 問題の半分は、進歩派――高失業率やいくつもの戦争などの問題で手一杯だとはいえ――に、巨大な環境保護グループたちが気候変動の問題を担当してくれると、思い込む傾向があることだ。残りの半分は、それらの巨大な環境保護グループの多くが、恐怖症的な正確さで、まばゆいほどに明白な気候危機の原因――グローバリゼーション、規制撤廃、永遠の成長を求める近代資本主義(経済の残りの破壊に対して責任があるのと同じ力である)――に関するあらゆる真剣な議論を避けていることだ。小規模だが立派な気候正義運動――レイシズム、不平等、環境的脆弱性のつながりを描き出そうとしている――が、揺らぐ橋を両者の間に架けようとしているものの、結果的には、資本主義の失敗と闘う者たちと気候変動と闘う者たちは、互いに孤立したままである。 他方で右翼には、地球規模の経済的危機を利用して、環境保護運動に、経済的アーマゲドンのレシピ役を割り当てる自由がある。住宅費を上げ、石油採掘やパイプライン建設の雇用を阻止する必勝法である。経済的かつ環境的な危機から抜け出すための新しい経済的パラダイムに、競合するヴィジョンを提供する大きな意見が、実質的に存在しないため、この恐怖を利用した政策は、既に支持者を得ている。 過去の過ちから全く学ぶことなく、環境保護運動の中の強力な党派は、気候変動で勝利するための方法は、抗議を保守的な価値観にも合うようにすることだと主張して、同じ破滅的な道をさらに遠くまで強行している。これは熱心な中道派であるブレイクスルー協会(Breakthrough Institute)から聞こえてくる意見だ。同協会は、有機農業と再生可能エネルギーの代わりに、産業的農業と原子力を受け入れるように環境保護運動に呼びかけている。こうした意見はまた、気候変動否定論者の増加を研究している研究員の何人かからも聞いた。例えば、エール大学のカーンのような人々は、「階層秩序的」で「個人主義的」だと調査結果が出た人たちは、規制へのあらゆる言及に反発する一方で、人類は自然を支配できるという彼らの信念を確かなものにする、大規模で中央集権的な技術を好む傾向がある。そこで、彼やその他の人々は、環境保護主義者たちは、国家安全保障への懸念を重視するだけでなく、原子力や地球工学(地球温暖化を中和するために、意図的に気候系に介入すること)といった反応を強調することから始めるべきだというのだ。 この戦略の第一の問題は、これがうまくいかないということだ。何年間も、巨大な環境保護グループは、アメリカにおいては「自由市場による解決」だけが実質的に唯一の提案である中で、気候保護活動は「エネルギーの安全保障」を強化する方法だと主張してきた。その間に、否定論は急増した。このアプローチのさらに問題ある点は、否定論を動機付けている歪んだ価値観に挑戦するよりも、それを強化してしまうことだ。原子力は地球工学は、環境危機に対する解決法ではない。それらは、私たちをこの惨状に追いやったものと同じ種類の短期的で傲慢な思考を、さらに倍加したものである。 自分たちが宇宙の支配者だと未だに考えている、パニックを起こし、誇大妄想に陥ったエリートの一員たちを安心させるのは、変容力のある社会運動の仕事ではないし、その必要もない。「冷たいやつら」の共同研究者マクライトによれば、もっとも極端で強情な気候変動否定派(その多くは保守派の白人男性)は、アメリカの人口では少数派であり、およそ一〇%である。実際、この人口統計は、権力者の地位に過剰な代表があることを示している。しかし、問題の解決法は、民衆の多数派が思想と価値観を変えることではない。解決法は、この小規模だが不釣り合いにも影響力のある少数派――そして無謀な世界観も代表している――が行使する力を著しく削ぐことである。 * * * 訳者コメント: 彼女のTwitterによれば、ナオミ・クラインの次回作の一部もしくはその草稿のようなものであるらしい「〈資本主義〉対〈気候変動〉(Capitalism vs. the Climate)」と題された長文論説の全訳を分割して公開。文字数制限のためコメントは割愛。目次はこちら。続きはこちら。
by BeneVerba
| 2012-06-03 11:07
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