|
|||
*この文章はツイッターに投稿したものを多少書き直したものです。 「昭和」という元号には、暗いイメージがつきまとう。その背景としては、その時代に戦争があり、それは日本が主体的に遂行した侵略戦争だったにもかかわらず、その加害責任が充分に果たされてないことがあったはずだ。 だが、今回の「新元号」発表を巡る空騒ぎを見るにつけ、「昭和」が「平成」を経て「令和」となることによって、その「暗いイメージ」は日本の加害責任とともに完全に払拭されてしまうのだろうと思わざるを得ない。 これが「元号」という制度の持つ効果の一つ、すなわち時代を恣意的に区切り、忘れてはならないことを忘れさせ、記憶を改編させる効果、なのだと思う。 * ところで、佐々木俊尚が「リセット感」という言葉を用いて、以下のようなツイートを投稿していた。あまりにも軽佻浮薄ながら、今回の騒動に浮かれている人びとの心情を露骨に表現したものと見るべきであろう。 私は、まさにこうした「リセット思考」を批判してきたのだが、それだけに佐々木俊尚の文章は、その存在を逆側から実証するものであるように感じた。
私は昨年に行われた「HINOMARUに抗議するライブ会場前アクション」に、「『まっすぐさ』が恐ろしい」という文章を寄せた。そこでは主に「戦前」から「戦後」へのリセット思考を批判していたのだが、「昭和」から「平成」へという「元号」によるリセット思考をも視野に入れるべきだったかもしれない。 * 「新元号」発表の号外を求めて殺到する人たちにしろ、「HINOMARU」という楽曲を発表したRADWIMPSにしろ、「令和」ツアーと新曲「元号」を予定しているというGLAYにしろ(なお、GLAYは一九九九年に「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」に参加している)、極めて「自然体」で振る舞っているのだと思う。だが、そこで自明視されている「自然」の背後には、権力による作為があるのではないだろうか。 うまく言葉にできたかどうかわからないが、私はその「『まっすぐさ』が恐ろしい」という文章で、そうした権力による作為が「自然」なものとして受け止められるメカニズムを指摘しようとしたように思う。以下に、一部を引用する。
* また、辺見庸の『1★9★3★7』には、『もの食う人びと』が「紀行文学大賞」を受賞したときの受賞パーティーで、阿川弘之が辺見庸に食ってかかり、元「慰安婦」の方々について、「きみね、死にたいものには死んでもらえばいいんですよ……」という非道この上ない発言をした経緯が書かれている。
それは、「被害当事者が死んでしまえば、加害者側の責任もなくなる」という、実に日本的な発想を、露骨に表現したものだった。そのことも想起すべきではないだろうか。 * などと書いているうちに、韓国国内の日本軍性奴隷制度被害者の一人(名前は非公表)が亡くなり、同国内の元「慰安婦」被害者のうち、存命中の方々は二一名になったというニュースが飛び込んできた。愕然とするしかない。
by BeneVerba
| 2019-04-03 08:21
| 意見
|
検索
運営者より
連絡 beneverba(at)protonmail.com 寄付のお願い他 ○寄付のお願い及び大月書店との係争について ○アマゾン・アフィリエイト経由での購入のお願い ○『はじまりの物語』が出版された直後の大月書店からの電子メールの抜粋 カンパのお願い 郵便振替 口座名義:芦原省一 口座記号:01710-5-72665 店名:一七九 預金種目:当座 口座番号:0072665 *ゆうちょ銀行以外から振り込む場合
以前の記事
2020年 04月 2019年 12月 2019年 05月 2019年 04月 2018年 09月 2018年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 03月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 05月 2015年 01月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 04月 2013年 03月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月
その他のジャンル
|
ファン申請 |
||