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 以前、ScribdにアップロードしていたPDFを、Google Driveからもダウンロードできるようにした。内容はジャーナリストのナオミ・クラインが過去に「The Nation」誌に発表したもので、その著作『This Changes Everything: Capitalism vs. The Climate(邦題:これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動』のイントロ版的なもの。

 翻訳から七年後の今、また著作本体も発表されたあとに、どう読まれるのかは分からないが、とにもかくにも再度ダウンロードできるようにした次第。

PDF:ナオミ・クライン - 〈資本主義〉対〈気候変動〉


by BeneVerba | 2019-12-16 06:42 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
行進する学民思潮
Scholarism On The March
2015年03月 - 黄之鋒
原文:http://newleftreview.org/II/92/joshua-wong-scholarism-on-the-march

――そうした出来事において、大学生が顕著な役割を果たしていましたね。その中でも香港専上学生連合が、主導的な役割を果たしていました。この組織をどのように思いますか。

 学生連合は、民主派を長年に渡って支持してきました。一九八〇年代には、中国での一九八九年の学生蜂起に、連帯を表明していました。事務局長の陶君行が北京に行き、警察による鎮圧があった夜に、最後まで天安門広場にいた一人となりました。

 ですが、学生連合は、議長と書記長が毎年代わるために、行動において連続性があるとは言えません。今日では、八つある大学のうち三大学のみ、七〇〇万人の人口のうちの八万人以下のみが、本当に政治的な学生だと見なされています。植民地時代からの香港大学、一九六三年に設立された沙田区の香港中文大学、一九九九年に教養学部が創設された嶺南大学です。これらはそれぞれ違った特徴を持っています。香港大学の学生新聞は、以前から香港の独立を呼びかけています。これは右派のアイディアです。香港中文大学は左派で、そのキャンパス文化はバークレーのような感じです。嶺南大学は、カルチャラル・スタディーズの牙城で、そこではほとんどの教授が進歩派なのです。三つの中で、もっともラディカルな大学です。その他の大学は政治的に無関心です。

 雨傘革命の間には、おおよそ五〇〇から六〇〇名の教員が、学生たちの闘争を支持する署名を行いました。しかし、概して公衆の問題に興味を持っているのは、政治学もしくは、社会科学の教員たちのみです。教員たちのほとんどは、全くもって進歩的ではありません。彼らは、単に研究を書き上げて、アカデミックなキャリアを追及したいだけなのです。これは、社会的により意識的な台湾と比べて、大きな対照をなしています。

――雨傘革命には、穏健派からラディカル派まで、民主派のようなもっとも穏健な勢力から、オキュパイ・セントラルのようなそうでもない勢力まで、香港専上学生連合のようなよりラディカルな勢力や、学民思潮のようなもっとも闘争的で非妥協的な勢力まで、様々な組織が参加していたと言うことは正確でしょうか?片方に熱血公民のような組織があり、もう一方には社会民主連線のような組織があったと言うことは、そのような分類に叶ったことでしょうか?

 私が思うに、民主派とオキュパイ・セントラルの指導力は、理想と行動において、等しく節度を守ったものでした。同様に、学民思潮と学生連合もまた、ラディカルな行動と理想において、似通ったものでした。私が述べたい違いとは、それぞれの状況分析の中にあります。

 学民思潮が提案して、学生連合に圓方の掌握を確信させることができたのです。さもなければ、彼らは次の行動に移ることはできなかったでしょう。北京行きは彼らのアイディアで、その線での行動には、学民思潮の半分のメンバーしか賛同しませんでした。さらに、学民思潮の中核となるリーダーたちは、学生連合のラディカルな部分よりも、ラディカルな行動を受け入れつつ予期して、警察に立ち向かって、前線に立つことを好みました。社会民主連線は、理想と行動において、いつでもこの二つの学生組織を支持してきました。

 熱血公民は、香港特別行政区基本法の書き換えのようなラディカルな行動について語りますが、それは実際的ではありません。彼らは、どのようにして成し遂げるかも言わずに、香港の独立について要求するだけなのです。彼らのスローガンも一貫したものではありません。警察の暴力に対して反撃することを支持しながら、負傷者、逮捕者なしを行動のゴールに据えるといった具合です。ですので、熱血公民を政治的にどこに分類すれば良いのか、私には本当にわかりません。

――香港独立を支持する感情は、現在どれほどの強さを持っているのですか?

 そうした意見は増加しています。ですが、真剣な見込みにおいてではありません。それに対する国際的な支持もありません。とてもラディカルなふりをした要求ですが、表面的で、そのうち消え去るでしょう。

――香港の運動は、労働組合からどのような支持を受けましたか?

 ごくわずかなものでした。脱工業化が、労働組合を非常に弱くしたのです。「ロングヘア」として知られている梁國雄が、運動に連帯の意思を表明するために、やって来ることを呼びかけたのですが、ただフリーユニオンが積極的な反応を示しただけでした!

――雨傘革命に対して賃借対照表を作成するのなら、どのようなものを作りますか?

 それは、より多くの人々が参加するにつれて、香港社会の政治的覚醒を高めるものとなりました。市はこれ以前に、大規模な市民的不服従を経験したことがありませんでした。二〇一二年の反国民教育キャンペーン――それには私も反対していたのですが――の時には、市民的不服従の要素はありませんでした。雨傘革命は、変革のための道具として、より幅広く受け入れられるものとなりました。

 私の意見では、二〇年間もの徒労に終わった決まり切ったアジテーションの後で、政治体制を変えることのできる唯一の道として受け入れられたのです。もちろん、政治的な改革としては、私たちは何かを得たわけではありません。政府は譲歩することを拒み、運動は結果として、何も目的を達成することなくして、終わりを迎えました。ですが、私たちは闘いに負けたわけではありません。なぜなら、私たちは、これよりもさらに力強い次のラウンドを始めることができるからです。

――ですが、昨年と同じ要求を再び繰り返すだけなのですか?それでは行き詰まるだけではないでしょうか?人々は、にべもなく断られた要求を繰り返すことの意味は何だ、と言うではないでしょうか?人々を幻滅させる危険を冒しているのではありませんか?

 前回のストライキでは、一万人の学生が参加しました。もし、私たちが、政治的な変革を求めて圧力をかけ続けるなら、次は五万人が参加することでしょう。直接選挙を求める闘いは、香港ではもう一〇年間続いており、それへの支持が衰える気配はありません。それは民衆の要求であり、香港の人々は粘り強いのです。この六月か七月には、非公式の住民投票を呼びかけるつもりです。普通選挙を呼びかけた二〇一四年のオキュパイ・セントラルには、八〇万人の市民が参加しましたが、それよりもさらに巨大かつ戦闘的になることでしょう。

――現在の学民思潮の強みは何ですか?

 私たちには、三〇〇人のメンバーがいます。その三〇%が大学に、七〇%が高校にいます。ジェンダー的なバランスは、六〇%が男性で、四〇%が女性です。やや少なく感じるかもしれませんが、全ての民主派を集めても七〇〇名ほどで、活動的なのはそのうちのわずかです。私たちの仕事は、自分たちの組織的な強さを高めることです。抵抗の構造を拡張し、その周りにネットワークを張り巡らせることです。ちょうど中国共産党がやっているようにね。

 私たちにとって、主なターゲットは市の高等学校であり続けています。それこそ、私たちが努力を注ぎ込んでいるところです。なぜなら、若者を味方に付けることができれば、未来において勝利することができるからです。この仕事は全くのところ簡単ではありません。なぜなら香港は試験中心社会であり、高等教育への道が限られているために、学生には集中的な圧力がかかっているからです。わずか二〇%以下の高校生のみが、大学に入学することができます。成功するには、長時間にわたる勉強が必要であり、他のことをする時間もエネルギーもごくわずかしか残されていません。だからこそ、政治的な抑圧が存在するのです。

 私たちが活動を始めた頃、学業による控除を除けば、市民運動に支払われるお金などありませんでした。しかし、雨傘革命以来、活動家には逮捕もありうることは知られているし、明らかに両親たちは、そのような危険を冒さないように圧力をかけているのです。高等学校の学生たちの中に、私たちの後継者を探し出すことは深刻な問題です。ですが、簡単に見つけることができるというわけではありません。おそらくは、時が味方になってくれるでしょう。

――ところで、ご自身の学業はどうですか?

 明らかに窮乏していますね。私は数学が大嫌いなので。ですが、二つの大規模な結集の間、ほとんど寝る暇もなく、運動のために働いていたのです。朝の九時から真夜中まで勉学に勤しむ時間なんてなかった。台湾でひまわり学生運動が勃発して、国会を占拠して中国との取引を見直すように迫った時に、私はちょうど試験にとっ捕まっていました。とてもイライラしましたよ。だから、私の成績は貧弱なものです。香港大学にも香港中文大学にも、入学することはできませんでした。だが、香港公開大学には受かりました。八つの大学のうちで、一番下ですね。あそこでは、授業のほとんどを貧弱なパワーポイントでやるのです。

――あなたが政治的な最前線から退いて以来、社会的な最前線において要求が増加していませんか?香港の途方もなく不平等な社会において、貧しく弱いものが悲惨な生活条件で生きなければならない一方で、億万長者たちはこれ見よがしに巨万の富を見せつけているのでは?政府は、労働時間、住宅問題、年金といった問題と同様に、譲歩しようとしないのではないですか?

 香港社会は根深いところで保守的です。下層階級の態度でさえ右派のそれなのです。年金について貧困層からの支持はありません。何であるにせよ「左」は、中国共産党に結びつけて考えられている。特に「左派」的であるとは言えないような、一日八時間の労働といった初歩的な要求でさえも、そうなのです。大衆の抱く信念はこうです。とにかく勤勉に働きさえすれば、成功できるし、金持ちにも成れる。もし、金持ちでないのなら、学校か職場で、良い結果を残せなかったということ。貧困がまるで、構造的な問題ではなく、個人の過ちであるかのように取り扱われているのです。

 特に高校生たちは、社会的な問題に関心を寄せていません。彼らは、単にもっと民主主義が欲しいだけなのです。彼らの思考様式はこうです。社会はもっとリベラルになるべきだ。より平等になるのではなくて。概して、もっとも人気のある科目は経済学ですが、そこでは自由市場が常にベストであり、変革は需要曲線のシフト以上のものではないと唱えられているのです。これは別の種類の洗脳だと言えるでしょう。中国共産党のものほど目立たなければ、洗脳だと感知されることもない、そういう種類の洗脳です。学民思潮を建設する唯一の方法は、政治的な要求に集中することです。

――もし、香港社会がそんなに保守的であるならば、控えめな社会的要求さえも、大衆的な支持を集めることは困難に思えます。それは学民思潮自身のダイナミックさにとって、矛盾と言えるのではないでしょうか?そこでいくつかの質問です。もし達成できたとして、香港特別行政区立法会と香港特別行政区行政長官の民主的な選挙は、いったいどのような違いをもたらすのでしょうか?結局のところ、香港は既に表現の自由や結社の自由、人身保護令状や独立した司法制度など、法の支配の意味するものを、謳歌しているのではありませんか?政治的な民主主義は、疑いもなくそれらのものが腐敗するのを防ぐでしょう。しかし、そうした消極的な効果を除いては、いったいどのような積極的な利益が望めるのでしょうか?もし、民衆が社会的経済的な現状に、完全に満足しているのならば?

 香港の社会的な雰囲気は保守的なものです。社会=経済的な問題についていえば、両親たちの関心は、彼らの子どもたちの教育と私有財産に向かっています。しかし、香港は短期間に変わるし、人々も短期間に新しいやり方に順応するのです。この保守的な雰囲気も、もし私たちが学生たちに良い影響を及ぼし、進歩的な政治家が立法会で議席を取るのを助ければ、変わることでしょう。

 もし、進歩派がより多くの議席を獲得し、より多くの資源にアクセスできるようになれば(一議席当たり、一〇万香港ドル)、少なくとも彼らは、標準労働時間や国際的な年金基準、最低賃金といった問題を擁護することができるようになるでしょう。現在の制度において、進歩派はほぼ永続的な少数派であり、人々は政治について議論することを諦めています。なぜなら、そのような議論は無益で、立法会の構造的な枠組みに沿ったものだからです。もし、民主派がポリシーの変更を支持すれば、少なくとも段階的に社会の雰囲気も変わっていくことでしょう。私たちの目標は、社会をよりリベラルなものにしたその後で、社会をより平等なものにすることです。



訳者コメント:
 「New Left Review」誌最新号に掲載された、黄之鋒のインタビュー記事(NLR誌了承済み)。黄之鋒は、昨年二〇一四年のいわゆる「雨傘革命」の中心人物の一人と見なされている。文字数制限のため二分割して掲載する。前編はこちら。誤訳その他の指摘歓迎。

by BeneVerba | 2015-05-05 23:35 | 翻訳 | Trackback(1) | Comments(0)
行進する学民思潮
Scholarism On The March
2015年03月 - 黄之鋒
原文:http://newleftreview.org/II/92/joshua-wong-scholarism-on-the-march

翻訳:黄之鋒 - 行進する学民思潮 [1/2]_e0252050_2325361.gif


――ご家族のバックグラウンドについて、語ってもらえますか?

 私の両親は香港へ、そのほとんどが公営住宅や村落に住む下層階級の出身として、やって来ました。しかし、両親は、献身的に学習に取り組み、試験でも良い成績を残して、香港大学に入学しました。学位を得て、彼らはミドルクラスの職を探すことが可能になったのです。私の父はIT企業に勤め、母はカウンセリングの仕事をしていました。そういうわけで、私は、典型的な香港の中産階級で育ちました。

 私は、香港返還の前年となる一九九六年に、生まれました。私の両親はキリスト者で、私は、クリスチャン・スクールに通いました。香港の文化はとても保守的で、個人の成功を基盤とする通念がありました。一度、教師に、「私たちはいったいどうすることで社会に貢献できるのでしょうか?」と訊ねると、彼女はクラスでこう言いました。「あなたが多国籍企業に入って、お金持ちになれば、貧しい人々に寄付することができる」。実に、典型的な見解というものです。

――ご家族のキリスト者としてのバックグラウンドや、ご家族が教会に属していることが、あなたの人生にどのような影響を与えましたか?

 私の家族は、香港の基督教香港崇真会に所属しています。教会の宗派は、重要ではありません。なぜなら、香港の人々は、神学的な理由で教会への所属を選ばないからです。私の両親がこの教会に通っているのは、家から近かったからです。その結果、私も協会の関連施設である幼稚園に通っていました。私は、三歳になって教会に通うようになりました。

 キリスト教は、もっとも力がある存在は神である、と私に教えてくれました。どんな人間も他の人間に対して超越的な力を持ちえないこと、原罪があるために、どんな人間も完璧ではないことも教えてくれました。官僚や政治家の多くも、キリスト者です。ですので、宗教は、全ての人に同じ影響を及ぼすわけではありません。私にとってキリスト教の教えは、独りで住んでいる年配の人々を気にかけることなど、社会的正義の問題に関わるための良い基盤となっています。

 それに加えて、私は、映画『中国のイエスキリスト』を観ました。小学校にいたその時から、共産主義政権下で宗教的自由を得るのは非常に難しいことに気付き、限りのある物質的なものは、私たちの人生の目標ではないことを知りました。むしろ、私たちは、価値や信条のために、自らを犠牲にする覚悟をすべきなのです。

 それにまた、教会は、私の組織運営能力にも、大きな影響を及ぼしました。毎年クリスマスとイースターには、パーティーやショウ、班単位での活動など、大規模な活動がありました。高校生だった頃、聖書のクラスで中学生を指導しなければなりませんでした。小さなグループやゲームをどのように率いるかを、演説と同じくらい学びました。私は、そうした技術を、教会の活動に関わることによって得たのです。数百人の高校生か大学生が教会にいて、千人ほどしかメンバーがいないということが、よくありました。なぜなら教会は中西区にあって、「有名校」と呼ばれるものが、密集している地域だったからです。

――いつ、どうやって政治化したのですか?

 一四歳の時、中国と結ぶ高速鉄道に対する反対運動がありました。それは二〇〇九年から二〇一〇年のことで、それに興味を抱いたのです。ニュースを読み、インターネットでの議論を追い掛けましたが、その時の私は観察者であって、参加者ではありませんでした。転機となったのは、二〇一一年の春に、「徳育及び国民教育」を、二年後に学校のカリキュラムに導入するという発表があった時です。六月に、私はこれと闘うために、すぐに「学民思潮」と呼ぶことになる組織を、数人の友だちと創設しました。私たちはアマチュアっぽいやり方で、鉄道の駅でそれに反対するビラを配ることから始めました。しかし、すぐに反応が現れ、反対の世論が形成されました。この時に、香港史上初めて中学生が、活発に政治に関わることになったのです。

 私たちは、新しいカリキュラムに反対していました。なぜなら、それは中国共産党を「進歩的で、無私の団結した組織」と見なして、私たちに教義を吹き込むものだったからです。中学生たちは、このような種類の洗脳を望んでいませんでした。しかし、彼らはまた、既に重荷となっている教科に加えて、どのような種類の追加カリキュラムも、望んでいなかったのです。そういうわけで、「徳育及び国民教育」の中身をよく知らない学生たちさえ、それには反対していました。そうして、大規模なデモが組織化されたのです。

――反応の速さと規模には、驚きましたか?

 ええ。学民思潮が始まってから三ヵ月後、私たちは、プログラムの撤回を求める請願を組織しました。二〇〇名からなるボランティアのチームが、一〇番街の駅の外に立って、一日に六時から八時間、三〇度の暑さの中で、署名を集めました。一〇日間で、一〇万人もの人が請願書に署名してくれました。当初、学民思潮に注目するメディアはありませんでしたし、教職員組合すら私たちのことを気にとめてはいませんでした。ですが、それも短期間のうちに変わりました。特に、私が多くのマイクを前にして、テレビのインタビューに応じてからは、そうでした。私たちの目的からすると、いくぶん政治的なパーティーめいたこうした出来事は、香港の一般の人々からも支持を得ました。

――学民思潮は、チュニジアとエジプトでの「アラブの春」と、その秋の「ウォール街占拠」の間、二〇一一年六月に生まれましたね。これらの運動は、あなたに影響を与えましたか?

 いいえ。それらの出来事は、私に影響を及ぼしませんでした。そうした人々のことは気付いていましたが、彼らの要求と方法は反国民教育運動とは異なるものだったので、私たちの政治的な想像力の一部とはなっていません。二〇一一年、香港の一般大衆は「市民的不服従」の意味を理解していませんでしたし、私たちは「アラブの春」や「ウォール街を占拠せよ」にも、興味を持っていませんでした。学民思潮が最初に創設された時、私たちが考えていたのは、単に街でビラを配ろうということだけです。

――二〇一二年三月には、梁振英が香港特別行政区長官に選ばれましたね。運動への影響はありましたか?

 ええ。選挙は、香港の非民主主的な体制を、大げさに演出したものと言えました。有力候補の二人はどちらも百万長者で、二人の間にはわずか一二〇〇票差しかありませんでした。梁は最後の票を北京から得たのです。それに、二人のうちでも悪い候補だ――ずる賢くて無慈悲だ――と広く見なされていました。それにまた、中国共産党それ自身の秘密のメンバーだとも考えられていました。彼の当選は、疑いもなく多くの不安と怒りを呼び起こしました。それはオフィスでの彼の実績を確認しただけだったのです。民衆の雰囲気は、おかげでラディカルなものとなりました。

 二〇一二年の七月には、種々様々な民衆団体や市民団体を統一した巨大なデモが、国民教育法の撤回を要求して、行われました。政府は耳を傾けませんでした。そこで、九月にはあらゆる路地を抗議者たちが埋め、私たちは直接行動を起こしたのです。一二〇万人もの人々が結集して、香港政府に対して抗議しました。私たちのメンバーのうち三人は、向かい側の公園でハンガーストライキを行いました。九月の中旬には、香港特別区立法会の選挙が予定されており、ハンガーストライキの二四時間後でした。政府は屈服し、予定を保留したのです。

――あなたはその時わずか一五歳で、この巨大な民衆運度を率いていましたね。政治的な教育を受けた経験が、あなたをそうさせたのですか?それとも本を読んだり、パンフレットを読んだりしたことが?

 四年前には、私は全く本というものを読みませんでした。他の香港のティーンエイジャーと同様に、ただコンピューター・ゲームをしていました。私は、政治をオンラインで学んだのです。活動家の議論を追い、異なる民主派の政党が効果的な反対派を組織化するのに、失敗するのを観ていました。フェイスブックが私の図書館だと言ってもいいでしょう。王丹の著作を読むのが好きですね。台湾に行った時に会ったことがあるのです。

――一九八九年の学生蜂起は、どの程度、今日の民衆運動の背景となっているのでしょうか?二五年後の今、六月四日の天安門事件に対する、民衆規模の追憶はありますか?

 ええ、確かに。六月四日の記憶は、今でも生きています。ですが、その政治的意味を過大評価してはいけません。ろうそくを灯した寝ずの番は、儀式のようなものになりました。それは、彼らの起こした行動への連帯と言うよりも、一九八九年の犠牲者たちへの感情的な追悼の念に、強く動かされているのです。香港政府の前の公園でハンガーストライキをしている三人に対しても、同じような反応が得られると思います。全く同じ「学生たちを守れ!」という叫びです。それは大人が若い人々を守るべきだという信念なのです。ですが実際には、私たちが彼らを守っているのです。その逆ではありません。

――学民思潮の次の一歩はなんでしょうか?政府に徳育と国民教育を諦めさせたその後は?

 カリキュラムは、引っ込められました。しかし、その隠された企図――中国共産党の香港における影響力を、ビジネス、メディア、教育に広げること――はまだそうではないことは、一目瞭然です。もし、私たちが行動を起こさなければ、再び蘇ることでしょう。それを止めるには、立法会での直接選挙が必要となるでしょうし、全ての市民に、行政長官を選ぶ権利が与えられなければなりません。そういうわけで、私たちはこの二つの要求をとりまとめたのです。

――この政治運動を立ち上げたことに対して、成功する見込みをどう見ていますか?北京に対して、伝統的な一線を越えたことを?

 ええ、もちろん前もって勝算を計算できたわけではありません。それに、民主派が、ハードルを低くすることも知っていました。基本的に、彼らの要求は、行政長官を選ぶ際には、全ての人が同じ一票であるべきだという、選挙に対して必要最低限のものでした。彼らは闘争を起こす度に、いつも負けてばかりいて、悲観的になっていたのです。彼らは、非常に限られた望みしか、持っていませんでした。

 しかし、私は自分の経験に基づいて、楽観的だったのです。大きな勝利を収めたと感じていたし、次の目標を定めるべきだと思っていたのです。行政長官に直接投票する権利だけではなく、候補者を直接選ぶ権利です。民主派は、そんなこと不可能だと見なしていました。二〇一三年の初頭に、香港大学の法学教授、戴耀廷が「愛と平和で中環を占拠しよう(Occupy Central with Love and Peace)」という運動を始めました。彼に食事に招かれて、昼食をともにしながら、彼は私にそれは理想的すぎると語ったのです。行政長官を民主主義的な選挙で選ぶというのは、香港の人々は受け入れないだろうと。

――そうした違いは、雨傘革命においてどのように現れましたか?

 戴と二人の同僚は、政府に「メッセージを送る」ために、一〇月一日に中心業務地区での平和的なデモを呼びかけました。私たちは、それを意義あるものだとも適切なものだとも思いませんでした。中心業務地区は、大量の人間が占拠するには適していないし、歩道橋から近づくことも困難ですし、週末には人気がなくなってしまいます。そこで、四日前の九月二六日に学民思潮が、政府関連施設の真ん中にあるシビック・スクエア(圓方)を取り囲む、セキュリティ・バリアを突破する役割を果たし、空間を占拠したのです。中にいた学生とともに、すぐに警官によって封鎖されたのですが、私たちによるその行動が、その後に続く運動の引き金となりました。

 バリアを突破したことで、他の何人かと一緒に、九月二七日に私は逮捕されました。私たちのうちほとんどはすぐに釈放されたのですが、私は、他の人々よりも長く、四六時間勾留されました。私が勾留されている間、警察は金鐘の学生たちを催涙ガスで攻撃していたのです。これは香港では前例のない仕打ちで、抗議者たちに民主的な態度を吹き込みました。溢れんばかりの途方もない連帯表明があり、学生たちはすぐに、運動に参加している専門家や務め人に数で優るようになりました。そして、香港の分かれた三つの場所を覆い尽くすようになり、それが八〇日間続いたのです。



訳者コメント:
 「New Left Review」誌最新号に掲載された、黄之鋒のインタビュー記事(NLR誌了承済み)。黄之鋒は、昨年二〇一四年のいわゆる「雨傘革命」の中心人物の一人と見なされている。文字数制限のため二分割して掲載する。後編はこちら。誤訳その他の指摘歓迎。

by BeneVerba | 2015-05-05 23:33 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
全てのマイノリティは新しいマジョリティである
The All Minority Are The New Majority
2011年10月30日 - アンジェラ・デイヴィス
原文:
http://pastebin.com/9sEVQv2K
https://www.youtube.com/watch?v=cmxWyhIPzgM

翻訳:アンジェラ・デイヴィス - 全てのマイノリティは新しいマジョリティである [2/2] _e0252050_1254884.png


ファシリテーター:
 マイク・チェック。マイク・チェック。

 どうもありがとうございました、アンジェラ。それでは質疑応答の時間に入りたいと思います。フレイリーが順番係を務めます。質問したい人は、彼女に目で合図を送ったり、近くまで行って肩を叩いたりして下さい。

 質問の順番が回ってくるまでは、後ろの方で座って待っていて下さい。最初の質問者は誰ですか?

質問者:
 こんにちは、アンジェラ教授。あなたの成したことの全てに感謝します。私と友人のアンジェラは、ズコッティ公園に来たばかりで、行動の日を計画するのに苦労していました。それはあなたが話されたことの中にも現れていたことでもあるとともに、そうした懸念を効果的にまとめあげることについて、どのような提案をなさいますか?

 つまり、女性やトランスジェンダーに対する抑圧、あらゆる人種、あらゆる国籍やルーツを待つ人々に対する抑圧、この世界に存在する全ての差異に対する抑圧を、一つのまとまりとして考えるということです。

 ですが、不均衡なことに、そうした人々は、この運動に関してテレビや新聞に採り上げられる人々よりも、さらに抑圧に苦しめられているのです。そうした人々を周縁化したり、かれらに沈黙を強いたりせずに、しかし、この大きく異なるものの、密接なつながりを持つ問題について、真の文化的な変化をもたらすにどうしたらよいのでしょうか?ありがとうございました。

アンジェラ・デイヴィス:
 それは複雑な問いですね。この問いは、実践することで解決していくものです。

 それは私が、「私たちは、複雑性を持った統一性の下に連帯することを学ばなければならない」と言った時に言いたかったことです。差異を消してしまわないような統一性です。歴史的に周縁化されてきた人々が、コミュニティの全体に成り代わって、声を上げることができるような統一性です。

 月日が過ぎるにつれて、あなた方のみなが、今よりもさらに深く学ぶことを、私は確信しています。この運動が、当初からマジョリティの意志を表現するものであったことを、見過ごしてはなりません。しかし、マジョリティもまた、全ての差異を包摂するという観点から、敬意を払われるべきものなのです。

ファシリテーター:
 次の質問者は、リンダ。

質問者:
 こんにちは、私がリンダです。あなたが、ここに来てくれたことに、感謝の念を表したいと思います。ここ「ウォール街を占拠せよ」で、あなたが廃絶しようとしている産獄複合体について、何か手助けできることがありますか?

アンジェラ・デイヴィス:
 産獄複合体を終わらせるために、あなた方ができることはたくさんあります。教育は、産獄複合体を終わらせるのに、役立つことでしょう。住宅事情の改善、職業の供給、保険制度の充実、特に精神保健制度の充実。これらの全てが、監獄というものを、時代遅れの代物にすることに、役に立つことでしょう。

ファシリテーター:
 次の質問者は、イーザン。

質問者:
 こんにちは。私の質問も産獄複合体についてのものです。あなたは活動家として、己の闘争を、長年に渡って闘ってこられました。私たちは、刑務所という制度に対して、直接行動に参加する際に、どのような戦略を採用するべきなのでしょうか?

 この運動に参加している人々の多くが、逮捕されうるということが大きな特権であり、奇妙な力学を生むものであると認識しています。なぜなら、多くの人々は制度のとりこになっているからです。そういうわけで、活動家は市民的不服従を戦略として用いる歳に、そうした力学を慎重に取り扱うべきだと思いますか?

アンジェラ・デイヴィス:
 これも複雑な問いですね。なによりも、私は刑務所の廃絶を、真剣に考えています。まず、刑務所の廃絶を、私たちのラディカルな政治的アジェンダに、付け加えることからはじめましょう。

 市民的服従が――、言い間違えました「市民的不服従」ですね、市民的不服従が関係する限りにおいて、それは真剣に取り扱われるべきものです。単純に、逮捕が起こりうるかもしれないからという理由ではありません。それは、より奥深い特定の目標を持って、なされるものなのです。

 「逮捕されちゃった」という新しいアプリが、あるそうですね。もっと大きなコミュニティにおける状況が重要なのです。不当逮捕が起きた時には、法律家、活動家、その他の人々が対応することが大切です。そうしたものが、組織化さねばなりませんし、それだけの理由はあるのです。そうですね、刑務所廃止運動において、私たちは「ムミア解放!」と声を上げましょう。そして、「死刑を廃止しよう!」と言いましょう。そして、「トロイ・デイヴィスに尊厳を!」と。

ファシリテーター:
 次の二人の質問者は、私たちのファシリテーターのどちらかです。ショーンはずっと精力的に活動してきました。私は、質問箱を開けて、新しい人の声を聞こうと思います。ここにいる人で、発言したい人はいますか?それでは、あなた!

質問者:
 マイク・チェック。私はジャネルです。デイヴィスさんへの私の質問は、いったいどうやって、有色人の若者たちの無関心に揺さぶりをかけて、社会運動へと参入させればいいのか、どうやって著名人たちを巻き込めばいいのかというものです。

 特に、より貧しく、手助けが必要であるにも関わらず、充分なサービスを受けていない地域の若者たちをです。カニエ・ウェストやジェイ・Zのような人々は、金持ちや富についてラップしていますが、彼らを聴いている若者たちは、貧しい状態に置かれたままなのです。この運動を、みんながみんなのために配慮し、全ての人々を含み、誰もが報われるような、包摂的な運動にするためには、どうしたら良いのでしょうか?

アンジェラ・デイヴィス:
 あなたの質問は、包摂性についてのものと、運動に参加したくないと感じている人々に対する、明白な抑圧の両方についてのものですね。私たちが運動を築き上げていくにつれ、今は運動を遠ざけている人々も、私たちに参加しなければならないように、感じることでしょう。私が考えるに、本当の質問は、包摂性にこだわり続けることなのです。形だけではなく、お互いの物語を語り合うことを実践することです。ジャッキー・アレクザンダーの言葉を引用しましょう。「私たちは、お互いの物語について、もっと能弁であるべきだ」。

ファシリテーター:
 次の質問者は、こっちね。

質問者:
 こんにちは。私の名前はエスターです。私の質問も似ています。日常生活において特権を奪われて、どこかしら、自分たちのためのものではないと感じていたり、あるいは、この場所に来るのが居心地良さそうに思えないと感じていたりするために、この場にいない有色人の人々に対して、何か仰りたい言葉はありますか?それにまた、リーダーのいない運動は、伝統的に周縁化された人々に、どのような影響を及ぼすのでしょうか?

アンジェラ・デイヴィス:
 まさに、それが問題です。私は、これといった答えを持っているわけではありません。ですが、有色人の人々を、女性たちを、周縁化されたセクシャリティの人々を、移民たちを――、特に、無届滞在者たちを、巻き込んでいくことに、こだわることが重要だと言えるでしょう。誰もがみな、そうした人々の声に、耳を傾けることに積極的であるべきです。伝統的に特権を与えられた人々は、権利は周縁化され人々にも及ぶものであることに、自覚的になるべきなのです。これこそが、私たちの誰もがしなければならない仕事なのです。どうもありがとう。

ファシリテーター:
 次の質問者は?すぐあっちに。

質問者:
 二、三ヵ月も経てば、選挙戦が人々の注目を引き付けはじめると思います。民主党支持者は、大銀行やウォール街に反対するかのような姿勢を取りたがります。どのような政治的姿勢をお持ちなのか、お聞きしたいと思います。第三の政党なのか、それとも他の何かあなたにできることなのか。


アンジェラ・デイヴィス:
 それには一つの方法しかありません。二大政党制は、これまでずっと機能したことがありません。今でもそうです。明らかに、私たちには別の選択肢が必要です。

 個人的には、私たちには、強力で、ラディカルな、第三の政党が必要だと思います。この運動においては――、これはもちろん政党ではありません――、政党ができる以上のことを成し遂げています。ですから、腐敗した二大政党制に圧力をかける最善の方法は、この運動を育て上げていくことだと、私には思われます。

 それを実践するためには、この国だけでなく、海の向こうの人々とも、連携しなければなりません。中東で闘いを担っている人々と、アフリカで闘いを担っている人々と、ヨーロッパで、オーストラリアで、ラテン・アメリカで闘いを担っている人々とつながるのです。それが、政治体制に圧力をかける最善の方法だと、今の私は考えます。

ファシリテーター:
 次の質問者は、マイケル・アダムズ。

質問者:
 デイヴィスさん、私はずっと資本主義に反対してきました。私は、資本主義とは自己中心的で、貪欲なものだと考えます。私は、私たちの祖先たちが、何百年も前にしたように、新しい貨幣を造り、物々交換をやるべきだと思うのです。それから、私があなたにお聞きしたい意見は……私は、企業の奴隷でした。大企業に勤めていたのです。今はもう、そんなことをしようとは思いません。私は、資本主義社会に対する、あなたの意見をお聞きしたい。

アンジェラ・デイヴィス:
 私は、資本主義はゴミだ、というあなたの意見に賛成です。私の人生における大半――途方もない大半――、ちょうどここのグリニッチ・ヴィレッジの高校に通っていた時から、私は、いくどもいくども、「打倒資本主義!」と言ってました。しかし、私たちに必要なのは、より複雑なオルタナティヴです。

質問者:
 物々交換については、どうですか?

アンジェラ・デイヴィス:
 私たちが必要としているのは……私たちが、いつかは貨幣なしに生きていけるようになる、というあなたの意見に賛成です。貨幣が不要になる時代を、私たちは想像してみなければなりません。一方で、このラディカルな闘争においては、あらゆる範囲の問題設定が定義可能なのです。ですが、私は打倒資本主義に賛成です。

ファシリテーター:
 次の質問者。

質問者:
 みなさん、こんにちは。私の名前はケシです。こんにちは、デイヴィス教授。私たちのために、スピーチと、質疑応答をありがとうございました。

 あなたの「ウォール街を占拠せよ」という言葉に対する意見は、どのようなものでしょうか?植民地支配の歴史を考えると、より大きな世界的な規模の運動において、「占拠」という言葉が含む意味に対して、どうお考えですか?また、この運動を構築するに当たって、運動を持続的なものに、政治的なものに、包摂的なものにするために、言葉はどのような役割を果たしているのでしょうか?

アンジェラ・デイヴィス:
 素晴らしい質問ですね。私たちは、言葉に挑んでいるのです。私たちは、また、言葉を変えようとしているのです。

 私たちは、私たちが用いる言葉の共振に気付いています。私たちは、プエルトリコの運動が、「反占拠」というスローガンを掲げたことを知っています。私たちが、「ウォール街を占拠せよ」という時には、この国が先住民の虐殺によって占拠されて、建国されたものであることに、自覚的でなければなりません。

 私たちが、「ウォール街を占拠せよ」とか、「ワシントン・スクエアを占拠せよ」と言う時には、占拠は他の国では、暴力的で残忍なものであることに、自覚的でなければなりません。パレスティナは、その土地を占拠し続けており、私たちは、軍事的な占領に「ノー」と言う方法を学ばなければならないのです。それと同時に、私たちは、「占拠」という言葉の意味を変えようとしています。私たちは、「占拠」を美しい何かに、コミュニティをまとめ上げる何かに、愛、幸福、希望を求める何かに、変えているのです。

質問者:
 他の国々での女性の投票権についてはどう考えますか?どうお感じになりますか?

 全ての女性は投票する権利を持つべきです。そのことは理解されなければなりません。とはいえ、あなたの言うとおり、多くの国々では、このアメリカでも、女性は投票から遠ざけられているのです。

質問者:
 中東については?中東のムスリム国家については、どうですか?

アンジェラ・デイヴィス:
 既に述べたように、そのことは理解されなければなりません。あらゆる場所において、女性は、投票する権利を持つべきなのです。そして、私たちはあらゆる場所での女性の投票権を、支持しなければなりません。

 しかし、同時にまた、多くの問題もあるのです。多くの場合において、民主主義とは、投票権のことだとみなされています。しかし、民主主義とは、はるかに多くの意味を持つものです。そうして、この運動は、新しく、より創造的な民主主義のための戦略を、発展させている最中だと考えます。

ファシリテーター:
 次の質問者は、白いスカーフの女性。

質問者:
 こんにちは。お会いできて光栄です。私は、無駄なことはしたくありません。現実的でいたいのです。私たちは、どのようにして、私たちが「複雑な統一」と呼んでいるものを進めたり、調和させていくことができるのでしょうか?ですが、平等や進歩、その他は「空白補充」の再分配を必要とします。ボランティアにしろ、その他にしろ、もっと多くの「空白補充問題」が必要なのです。

アンジェラ・デイヴィス:
 質問ありがとうございます。それこそが、この運動の全てに思えます。形式的な平等を、どうやって内実のある平等に変化させるのか。そのために、私たちは、住宅問題や、教育の無償化、教育の脱商品化、福祉サービスの充実を支持しているのです。それにまた、想像力の行使や、職業の要求、正義への要求もです。平等、自由、それらは、この運動が目指しているものの全てに思えます。自由への要求であり、自由の再定義でもあります。

ファシリテーター:
 次の質問者は、こちら。

質問者:
 こんにちは。数々の革命や動乱は、巡り巡って、また別の革命を呼んできました。何かとても素晴らしいものの先頭にいると、私には思えるのです。それで、私の質問というのは、この運動をただの「もう一つの革命」にせず、持続性があり、人間味のあるものにするために、何ができるのだろうかということです。

アンジェラ・デイヴィス:
 良い質問ですね。しかし、これが「もう一つの革命」だとしても、とても素晴らしいことだと思います。でも、あなたの質問はわかります。過去を思い描き、現在を生き、未来を想像することで、この運動が、私たちを前進させることでしょう。

 私たちは、未来が決して何をもたらすのか、知ることはできません。私たちは、私たちの活動が、どのような可能性を持った帰結をもたらすのか、決して知ることはできません。学者にして活動家の、スチュアート・ホールは、かつて「保証などはない」と述べたことがあります。保証はありません。ですが、私たちは、私たちの理想や、希望、想像を反映させた未来を、築き上げることができるかのように、行動することはできます。

ファシリテーター:
 次の質問者は、こっちです。

質問者:
 選挙の話に焦点が集まったおかげで、第三の政党に投票すべきだと私は考えています。しかし、選挙をボイコットするという選択には、より力があるのではないでしょうか?

アンジェラ・デイヴィス:
 私の考えを明確にしてくれて、ありがとうございます。なぜなら、私が、私たちには、ラディカルな第三の政党が必要だと言う時、それは未来を投影して言っていることなのです。また、私は、独立した政党こそが、今日では重要な役割を果たすだろうと考える一方で、私たちは共和党に議席を与えてはならないと言わねばなりません。

 ブッシュが大統領だった時のことを覚えていますか?わずか数年前のことです。そしてまた、質的には異なる状況ではありますが、同じように、オバマも私たちを失望させました。オバマ政権に圧力をかける最善の方法は、この運動を築き上げてゆくことです。

 この運動は、オバマをトップに選ぶことのできる、勢力を反映したものです。そのことを忘れないようにしましょう。そして、労働組合を巻き込み、教会の人々を巻き込み、貧しい学生たちを巻き込み、あらゆる人々を巻き込んで、この運動を築き上げてゆきましょう。私たちが「九九%」と言う時、私たちは、「九九%」の人々を組織化することを、固く決意しなければいけません。

質問者:
 ディヴィスさん、ありがとうございました。あなたが、私たちのためにしてくれたことと、してくれていることに感謝します。私は、あなたは光輝く実例であり、私たちがやらなければならない、真剣な研究と熟考の反映だと思います。

 私は、最近になって、独学で『共産党宣言』を読み始めました。あなたが、かつて共産党の党員だったことを知っています。そういうわけで、あなたは特定の概念群に対して、親しまれていると確信しています。私は「危険な階級(ルンペン・プロリアート)」というアイディアに、惹かれています。「社会の屑、この受身の腐敗した群れは、時として、プロレタリア革命によって、運動へと引き込まれるが、しかしながら、その生活状態からして、反動的な陰謀に買収されるであろう」。「ウォール街を占拠せよ」が、私たち独自の「危険な階級」になりうるという、潜在的な三つの概念を与えてくれませんか?

アンジェラ・デイヴィス:

 三つですね。一番目は、「私はトロイ・デイヴィスだ」というスローガンです。州政府によって死に直面していた時、トロイ・デイヴィスは、私たちに、死刑執行に抗して、この運動を継続してゆく可能性を、与えてくれました。それが一つの方法です。

 私は、長年にわたって刑務所廃止運動に、携わってきました。今年は、アッティカ刑務所の反乱から、四〇周年記念にあたります。この運動が、アッティカの反乱から、四〇年後に起きたのは、全くの偶然でしょう。「危険な階級」となるには、アッティカ刑務所で四〇年前に、アフリカ系の囚人、ラテン系の囚人、白人の囚人、ネイティブ・アメリカンの囚人たちが、団結して民主的なコミュニティを作り、ラディカルな変革を求めたことに学ぶことです。それが二つ目の方法ですね。

 私は、もっともっと多くの方法を、あなた方に伝えることができるのですが、あなたはたった三つだけを、教えてほしいのですね。無届滞在者たちと、自分を同一視しなさい。それがもう一つの方法です。この国では、他のどの集団よりも大きな割合で逮捕されている、トランスジェンダーの人々と、自分を同一視しなさい。それが四番目の方法です。

 もっともっと多くの方法を、伝えたいのですが、ここらでお終いにすることにしましょう。あなた方は、私の伝えたかったことを、理解してくださっていると思います。

ファシリテーター:
 最後の質問者、クリスティーナ。

質問者:
 あらためまして、ここに来られたことに感謝したいと思います。これは、とても大きな喜びです。私は、これを目撃することができるように、娘を連れてきました。私の質問は、保守派の同胞たちに対して、私たちはみな一つだと言うことを知らせるために、どのように出迎えたら良いのかというものです。

アンジェラ・デイヴィス:
 保守派の人々はいます。保守派の人々はいるのですよ。私の戦略は、いつももっとも受け入れやすい人々を、運動に連れて来るというものです。私たちが、巨大になるにつれ、より多くの保守派の人々が、取り残されたと感じるようになり、私たちに加わるようになることでしょう。実に簡単なことですね。

 ありがとうございました。



訳者コメント:
 アンジェラ・デイヴィスが、二〇一一年一〇月三〇日に、ワシントン・スクエア公園で行った講演の後半部分で、前半部分のスピーチと異なり、こちらは質疑応答である。それにしても、前半部分を私が翻訳したのは、なんと二年以上も前のことになる。本来ならば、前半部分を訳した後、数日からせめて数週間以内に、今回訳した後半の質疑応答部分を訳出したかったのだが、大まかに言って、二〇一二年は、『ウォール街を占拠せよ――はじまりの物語』の翻訳に明け暮れ、二〇一三年は、労働委員会での大月書店との闘争に明け暮れた。そして、それらは私を疲弊させた。

 「マディソン通りからマドリッド通りまで詰めかけて」(正しくは、「ウィスコンシン州のマディソンからスペインのマドリッドまで」)という、まともにリサーチをしたとは思えない珍訳本を堂々と出版したり、今どき「ブラックパンサーのアンジェラ・デイビスを祭り上げたりして」(彼女は、今でも現役の活動家であり、『監獄ビジネス――グローバリズムと産獄複合体』という本も出している)などといった駄文を書き散らしていたピエロめいた御仁がいたことなども思い出す。

 なお、私が最近電子メールで連絡を取った、OWS関係者に拠れば、「私たちの運動は、政府によって破壊されてしまった」そうである。それでも、記録として本稿を訳すことにする。また、動画の著作権者のRobert K. Chin氏の許諾を得たので、できる限り早く、日本語字幕版の動画も公開する予定である。




by BeneVerba | 2014-09-09 12:08 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
マーガレット・サッチャーの死去に寄せて
Reaction to The Death of Margaret Thatcher by Ken Loach
2012年04月09日 - ケン・ローチ
原文:http://www.guardian.co.uk/politics/blog/2013/apr/08/miliband-clegg-local-elections-cameron-madrid

 マーガレット・サッチャーは、現代において、もっとも分断と破壊を引き起こした首相でした。

 大規模な失業、工場群の閉鎖、破壊された地域社会などが、彼女の残した遺産です。彼女は闘士でしたが、その敵はイギリスの労働者階級でした。彼女は、政治的に腐敗した労働党の指導者たちや、多くの労働組合の幹部たちに助けられて、勝利を得ました。今日、私たちが置かれている悲惨な状態は、彼女が始めた政策によるものです。

 その他の首相たち――とりわけトニー・ブレア――は、彼女が歩いた道のりをたどりました。彼女こそが主犯であり、彼は模倣犯だったのです。

 彼女が、マンデラをテロリストと呼び、虐待者であり殺人者であるピノチェトを、お茶に招いていたことを思い起こしてください。

 私たちは、どのように彼女を弔うべきなのでしょうか?彼女の葬儀を民営化しましょう。競争入札にかけて、最安値を提示した業者に落札させるのです。きっと彼女も、それを望んでいたことでしょう。

翻訳:ケン・ローチ - マーガレット・サッチャーの死去に寄せて_e0252050_7292926.jpg





by BeneVerba | 2013-04-11 07:44 | 翻訳 | Trackback | Comments(2)
ウォール街を占拠せよ
#OCCUPYWALLSTREET
2011年07月13日 - アドバスターズ
原文:http://www.adbusters.org/blogs/adbusters-blog/occupywallstreet.html

翻訳:アドバスターズ - ウォール街を占拠せよ [新訳]_e0252050_636712.png


 さあ、そこの九万人の解放者、反逆者、急進派[1]の諸君!

 未来にとって良い前兆となる、革命戦術の世界規模の移行が今まさに進行中だ。タハリール広場とスペインの野営地(acampadas)の融合[2]である、この真新しい戦術はどのようなものなのか?その精神は、次の引用によくとらえられている。
 反グローバリゼーション運動は、道のりの第一歩でしかなかった。振り返ってみると、我々のモデルは、狼の一群のように体制を攻撃することにあった。そこには最高位の雄、つまり群れを率いる一匹の狼と、後ろからそれに従って行く人々とがいた。今やこのモデルは進化を遂げた。我々は、ひとまとまりの巨大な群がりとなった民衆なのだ[3]
  ――ライムンド・ヴィエホ、ポンペウ・ファブラ大学、バルセロナ、スペイン

 この新方式の美しさは、そして、この新戦術がエキサイティングなのは、その実践的な簡潔さにある。種々の物理的な集会で、ヴァーチャルな集まりで、私たちはお互いに語り合う。私たちは、自分たちのたった一つの要求[4]が、どんなものであるのかに焦点を合わせる。想像力を目覚めさせるような、そして、できることなら、未だ到来していないラディカル・デモクラシーへと、私たちを押し進めるような要求だ。私たちは外へと繰り出し、類のない象徴的な意義のある広場をぶんどって、我々のケツに賭けてその出来事を引き起こすのだ。

 私たちの民主主義をもっとも腐敗させている輩に対して、この新しき戦術を展開する時がやってきた。それはウォール街だ。金融におけるアメリカのゴモラ(罪悪の町)だ[5]

 九月一七日に、二万人の人々がロウアー・マンハッタンへと押し寄せて、テント、食堂、平和的なバリケードを設置し、数ヵ月の間ウォール街を占拠するのを見たい。いったんそうなれば、私たちは、一つの簡潔な要求を、多数の声で絶え間なく繰り返すことだろう。

 タハリール広場の抗議が成功した理由の大半は、「ムバラクは退陣せよ」という明快な最後通告を、エジプトの民衆が勝利するまで、いくどとなく繰り返したせいだった。このモデルに従うならば、私たちの簡潔な要求とは何に当たるのだろうか?

 これまでに私たちが聞いた中で、もっともエキサイティングな候補は、なぜアメリカの政治的な支配層が、現在では民主主義の名に値しないのかという、その核心を突いたものだ。私たちは、バラク・オバマに対して、ワシントンの私たちの代表者たちへマネーが与えている悪影響を根絶する任務を帯びた、大統領委員会を任命するよう要求する。今こそ「企業支配は民主主義ではない!」と声を上げる時だ。さもなくば私たちに望みはない。

 この要求は、現在の国民的な雰囲気をとらえていると思われる。なぜなら、ワシントンから腐敗を一掃することは、右翼であれ左翼であれ、全てのアメリカ人が切望するとともに、支持できるものであるからだ。私たち二万人規模の民衆が、ウォール街から私たちを追い払おうとする警察や州兵の試みに対して、数週間に渡って耐え抜けば、オバマも私たちを無視することができなくなるだろう。私たちの政府は、民衆の意志とワシントンのお金のどちらを選ぶのか、公然と強いられることになる。

 これはアメリカにおける全く新しい社会的変動のはじまりとなるかもしれない。ティー・パーティー運動を乗り越え、現在の権力構造に囚われる代わりに、世界中にある一〇〇〇のアメリカ軍基地の半分を廃棄することであれ、グラス・スティーガル法[6]を復活させることであれ、企業犯罪に対して三振法[7]を制定することであれ、我ら民衆が自らが望むものを獲得し始めるのだ。政治から金を引き離す大統領委員会という一つの単純な要求を皮切りに、私たちは、新しいアメリカのためのアジェンダを設定し始めるのだ。

 コメントを投稿し、お互いに助け合って、私たちのたった一つの要求がどんなものであるべきかについて、焦点を合わせてほしい。その次には、勇気を振り絞って、テントを携え、復讐の九月一七日にウォール街へと向かおう。



野性のために、
カルチャー・ジャマーズHQ




    訳註:
  1. 原文では「redeemers, rebels and radicals」となっている。「読者(reader)」とかけてあると思われ、また「r」で始まる単語が並べられている。こうした言葉遊びを訳すのは困難なため、無理な訳語を当て嵌ることは控えた。
  2. タハリール広場は、エジプトの首都カイロにある広場。二〇一一年初頭にムバラクを辞任に追い込んだエジプト革命において、中心的な役割を果たした。「スペインの野営地」とは、「ウォール街を占拠せよ(OWS)」に先だってスペインで起きた、15M運動のこと。
  3. 引用元は不詳だが、二〇一一年に起きた運動のあり方をよく表している。それは相互につながることによって、ひとまとまりでありながらも、それぞれの部分が自律しているような存在の様式である。また、バルセロナは、スペインの首都マドリッドと並ぶほど15M運動が高揚を見せた土地である。
  4. 文章全体に見られるように、「ウォール街を占拠」するというアイディアは、『アドバスターズ』誌が呼びかけた時点では、一つの要求に的を絞ることにこだわっていた。だが、実際に起きたのは、無数の要求があるような(それゆえに却って「要求がない」という非難を受けた)運動だった。
  5. ウォール街というアメリカの、そして世界の金融的な首都を標的に選んだこの運動は、いずれにせよ何らかの意味において、反資本主義的な性格と真の民主主義を求める志向を持っていた。
  6. 銀行業と証券業の分離を定めた法律。一九三三年に制定され、ビル・クリントン大統領期の一九九九年に無効化された。このことが金融危機を招いた要因の一つと考えられている。
  7. 重大な刑事犯罪を三回以上犯した人物に、より厳しい刑罰を与えることのできるアメリカ合衆国の州法。一九九三年にワシントン州で初めて制定された。




訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ」運動を引き起こすことになる、『アドバスターズ』誌による呼びかけを新たに訳し直した。また、当初同誌のブログに掲載されていた画像も日本語版を作成してみた(現在は外されている模様)。

 ここに初めてウォール街を占拠するというアイディアが生まれたわけだが、それ以前に「アラブの春」があり、スペインの15M運動があったことをこの文書は伝えている。反資本主義的な性格と直接民主主義的な志向が既に現れている一方で、「一つの要求」にこだわるなど、後に実際に起きた運動とは異なる部分もある。

 なお、時間がないために、この記事の訳註やコメントは後で見直し、書き換える可能性があることをお断りしておく。

by BeneVerba | 2013-03-20 12:27 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
ゼネスト
General Strike
2011年12月01日 - ガヤトリ・スピヴァク
原文:
http://occupytheory.org/
http://occupiedmedia.us/2012/02/general-strike/


翻訳:ガヤトリ・スピヴァク - ゼネスト_e0252050_865913.png ある都市の全労働者がその道具を捨て置き、特定の諸要求が応じられるまで労働を拒否する時、それはゼネストと呼ばれる。この考えを最初に思いついたのは、労働者の一員ではなかったが、反国家主義の信念を持っていた人々である、一九世紀のアナーキストたちである。ドイツの反動的軍隊に殺戮されたポーランドの革命思想家、ローザ・ルクセンブルグ(一八七一~一九一九年)は、一八九六年に始まり一九〇五年のとてつもないゼネストに終わった、ロシア帝国での大規模なゼネストを目撃した後に、ゼネストの概念を書き換えて、これを労働者(プロレタリアート)のためのものにした。政治的な左翼から右翼に転向したフランスの思想家、ジョルジュ・ソレル(一八四七~一九二二年)もまた、労働者に力を注ぎ込むための方法として、ゼネストを思い描いていた。

 アフリカ系アメリカ人の歴史家、社会学者であるW・E・B・デュボイス(一八六八~一九六三年)は、奴隷解放宣言直後の奴隷たちの大量脱走をゼネストとして記述した。なぜならば、奴隷制度が「黒人プロレタリアート」(綿産業ための農園労働者)に、通常の労働者として自らを形成することを許していなかったからだ。同じ時期に、インドの国民的解放運動家マハトマ・ガンジー(一八六九~一九四九年)が、再度ゼネストの定義を書き換えて、階級とは関係なしに、植民地支配を受けている民衆のためのものとし、そうして、ゼネストは労働者階級の運動から、市民的不服従とボイコットの政治の混成物へと転換された。彼は、それを「不服従」と呼んでいた。

 今日では、グローバリゼーションが、労働とはほとんど関係のない金融システム――不均衡な通貨による取引――を通して機能するために、グローバルな労働者たちは深く分断されている。この分断こそが、もう一度ゼネストを呼び起こすための理由である。その利益が絶えず上方へと流れ込んでいる、体制によって権利を剥奪された人々によって、ゼネストは既に呼び起こされようとしている。それらは銀行を救済するために流れ込み、医療や教育から、そしてそれらをもっとも必要としている場所から遠ざけられている。今やこのゼネストの再定義において、権利を剥奪された市民たちの集団――すなわち、九九%――として、労働者が力を合わせる機会を得たのだ。

 アントニオ・グラムシ(一八九一~一九三七年)は、国家による福祉制度から何の恩恵を受けていない人々や、国家において何の役割を果たしていない人々を、サバルタン――貧しい者たちの中でももっとも貧しい人々――として定義した。今日では、この話もまた書き換えられようとしている。我々が現在目撃しているのは、九九%のうち最大の部分である、中産階級のサバルタン化である。デュボイスとガンジーがかつて思い描いていたように、ゼネストは、古い時代のきっちりとした労働者/支配者の闘争を超える、強力な象徴となりつつある。まさにこの点において、心に留めおくべきゼネストのいくつかの特徴がある。

  1. ゼネストは、道義的に憤慨したイデオローグたちではなく、日常的な実際の不正義に苦しんでいる人々によって担われる。
  2. ゼネストは、たとえ国家の抑圧装置が、ストライキをする人々に多大なる暴力を振るったとしても、その定義から言って非暴力である。
  3. ゼネストは、一般的に言って、法律を改正するか書き直すことに力点を置いた諸要求からなる。すなわち、ロシアの労働者にとっての就業日の労働時間、解放奴隷にとっての合衆国憲法修正第一四条及び第一五条(実質的にそれらが問題となっていないならば)、ガンジーの時代における脱植民地化された法体系などである。

 もしゼネストと法制度の間のつながりを認識するならば、それが法的な改革を目指すものではなく、社会的、経済的な正義を要求するものだと気付くだろう。銀行への救済措置を禁止すること、財政への法的監査を設けること、富裕層に課税すること、教育を脱民営化すること、化石燃料と農業への助成金に手を付けること、などなど。法的な変革への強烈な参与とその実践は、正義を実現するための努力なのだ。そして、覚えておくべきことは、政党とは異なり、ゼネストの参加者たちは、実際にものごとが変化するまで、妥協する必要がないということだ。既に圧力は功を奏している。一一月には、五%の手数料を徴収しようとした、デビットカードに対して勝利を見た。

 ゼネストは常に、ある意味では「ウォール街」に対するものであり、より広い言い方では資本主義に対するものだった。しかし、革命もまた、個別の独裁者や王によって代表される、悪い体制に対抗するものであったために、「革命」という我々の概念も、武装闘争や暴力の行使、体制転覆と混同されている。ロシアではツァーだったし、中国では腐敗した封建制度とヨーロッパによる植民地支配だった。ラテンアメリカではラティフンディウム制だったし、フランスではブルボン家による君主制だった。アメリカではハノーヴァー家による君主制であり、後には奴隷所有制度だった。今日のアラブ世界では、チュニジアのベンアリであり、エジプトのムバラクである。

 対照的にも、占拠運動においては、ゼネストの精神はその中へと入り込んでおり、アメリカの市民的不服従の伝統と協働している。つまり、市民たちは規制撤廃された資本主義国家に抗しているのであって、特定の個人または体制に抗しているのではない。それゆえ、短期的には我々は、民衆ではなく、ビジネスと銀行に対して国家に責任を持たせている、法律を変えなければならない。そして、長期的には、正義への意志を生かしてゆく教育を確立し、育まねばならない。



訳者コメント:
 「ウォール街を占拠せよ(OWS)」運動においては、いくつかの自主的なメディアが現れたが、この「ゼネスト」というガヤトリ・スピヴァクの論考が掲載された雑誌『TIDAL』もその一つ(掲載されたのは二〇一一年一二月発行の第一号)で、同誌は「Occupy Theory, Occupy Strategy」をキャッチコピーにしている。

 スピヴァクは、ゼネストという概念の変遷をたどりながら、その現在的な意義を考察している。ここでは、単に労働者のみがゼネストを担う存在ではなく、彼女がグラムシから取り入れた用語に従えば、「サバルタン」たちがゼネストを担うとされる。

 OWSという特異な社会運動が発生した条件の一つとして、スピヴァクがここで述べているように、それまでマイノリティたちだけが経験していたような社会的な状態に、新自由主義の侵攻によって、中産階級に属する人々もまた置かれるようになったことがある。

 当然ながら、「九九%」としてまとめられることには、差別と抑圧の問題を隠蔽しかねないという問題がある。この点については、前半のみながら既に訳出したアンジェラ・デイヴィスのスピーチや、『ウォール街を占拠せよ――はじまりの物語』の特に「ポキュパイ」の章を参照されたい。

 なお、翻訳に当たっては、初出である『TIDAL』誌所載のものに基づいている(上記のリンクからPDFがダウンロードできる)が、同誌に掲載されたものは誤記が多いために、『The Occupied Wall Street Journal』のウェブサイトに掲載された同じ論考も適時参照した。




by BeneVerba | 2013-03-18 08:23 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
ニューヨーク州の「慰安婦」記念碑を記憶する決議
Memorializing a Memorial Monument in the State of New York that pays
tribute to those who have become known to the world as 'Comfort Women'
2013年01月29日 - ニューヨーク州議会上院
原文:http://open.nysenate.gov/legislation/bill/J304-2013


翻訳:ニューヨーク州議会上院 - ニューヨーク州の「慰安婦」記念碑を記憶する決議_e0252050_1245154.jpg 一九三〇年代から第二次世界大戦の期間を通じて、アジアと太平洋における日本の植民地支配と戦時期占領の間に、およそ二〇万人の若い女性たちが、「慰安婦」制度という軍による強制的な売春行為を強いられたことに鑑み、

 二〇一二年六月一六日に、ニューヨーク州ウェストベリーにあるアイゼンハワー公園に、「慰安婦」制度の犠牲者たちに敬意を表し、記念するために、「慰安婦」記念碑が設置されたことに鑑み、

 この種のものとしては合衆国で二番目となるこの記念碑が、「慰安婦」たちが耐え忍んだ苦痛を象徴するとともに、「慰安婦」制度によって犯された人道に対する罪を思い起こさせるものであることに鑑み、

 歴史上の深刻な出来事に対する意識を高めるために設置された、ニューヨーク州内の歴史的な記念碑を評価することが、この立法機関の慣例であることに鑑み、

 地球上では二四〇万人の人々が常に人身売買の犠牲となっており、そのうちの八〇%が性的な奴隷として搾取されていると、国際連合が報告していることに鑑み、

 下記のように決議する。

 「慰安婦」として世界に知られるようになった人々に敬意を表する「慰安婦」記念碑を記憶するために、この立法機関はその審議を中断すること。

 この決議の複写を適切に作成し、コリア系アメリカ人公共委員会(KAPAC)クッファーバーグ・ホロコースト・リソース・センター(KHRCA) コリア系アメリカ人市民エンパワーメント(KACE)に送付すること。



訳者コメント:
 数ヵ月ぶりの翻訳。日本では今年の一月末に報道されたニューヨーク州議会上院による「慰安婦」記念碑に関する決議を和訳した。現在でもインターネットで閲覧できる記事としては、赤旗電子版による報道がある。一部を引用する。
米東部ニューヨーク州議会上院は29日、旧日本軍の「慰安婦」問題を記憶にとどめるとする決議を全会一致で採択しました。米国では2007年7月に連邦下院が「慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める決議を採択。州レベルで「慰安婦」に関係する決議が採択されるのは、カリフォルニア州議会が1997年8月に採択して以来2回目です。

 他に、中央日報の日本語版では、この決議案を主導したトニー・アヴェラ議員の「ニューヨーク州の上下院議員の相当数が日本の極右団体から醜悪な電子メール攻撃を受けました。慰安婦問題をよく知らなかった議員さえそのメールを見て背を向けました」という言葉が紹介されている。

 この決議を原題に従って訳すならば、「『慰安婦』として世界的に知られる人々に敬意を表するニューヨーク州の記念碑を記憶する決議」とでもなるだろうが、ここでは意図的により短く訳したことをお断りしておく。

 審議の様子は YouTube で動画を視聴でき、ニューヨーク州議会上院の公式サイトでは、議事録も公開されている。また、この決議文は CC-By-NC-ND で公開されている。なお、写真は Holley St. Germain さんが CC-By-NC-SA で公開しているもの。




by BeneVerba | 2013-03-17 23:11 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
ウォール街を占拠せよ:今世界でもっとも重要なこと
Occupy Wall Street: The Most Important Thing in the World Now
2011年10月06日 - ナオミ・クライン
原文:http://www.naomiklein.org/articles/2011/10/occupy-wall-street-most-important-thing-world-now

翻訳:ナオミ・クライン - ウォール街を占拠せよ:今世界でもっとも重要なこと [新訳]_e0252050_1710830.jpg

Photo by David Shankbone



*私は、木曜日の夜に「ウォール街を占拠せよ」で話すように招かれるという、栄誉を授かった。恥ずべきことに拡声器が禁止されていたので、私が言ったことは全て、他の人々にも聞こえるように、何百人もの人々によって復唱されなければならなかった(別名「人間マイクロフォン」[1]。そのために、実際に私がリバティ広場で口にした言葉は、非常に短いものでなければならなかった。そのことを念頭に置いてほしい。これはより長い、ノーカット版のスピーチである[2]


 あなたたちを愛しています。

 私は今、あなたたち数百人に向かって「あなたを愛しています」[3]と大声で返しなさい、とは言いませんでした。これは明らかに人間マイクロフォンのボーナス機能ですね。他の人たちから自分に言ってほしかったことを、自分から他の人たちに言ってください[4]。ひたすら大きな声で。

 昨日、労働者のデモで講演者の一人がこう言いました。「我々はお互いを見つけたのだ」と。この感慨は、まさに今ここで創造されているものの美しさを捉えています。それは、より良い世界を望んでいる全ての人たちが、お互いを見つけることのできるように大きく開かれた空間です。そして、同じくらいに、どんな空間でさえも収容できないほどの大きなアイディアです。私たちは今とても大きな嬉しさに包まれています。

 私が知っていることが一つあるとすれば、かれら一%の富裕層たち[5]は、危機を愛しているのだということです。人々がパニックに陥り、絶望し、何をすればいいのか誰も見当がつかない、その時こそ、かれらが自分たちの「ほしい物リスト」、つまり企業優先の政策を押し通す絶好の機会なのです。教育と社会保障を民営化すること。公共サービスを大幅に削減すること。企業の力に対する最後の制約を取り除くこと。現在の経済危機の最中で、これこそが世界中で起こっていることなのです。

 そして、この戦略を防ぐものがたった一つだけ存在します。幸いにも、それはとても大きなものです。それは九九%です。この九九%がマディソンからマドリッドまで通りに繰り出して[6]、「ノー、私たちはお前たちの危機に金を払うつもりはない」と言うことです。

 そのスローガンは、二〇〇八年にイタリアで始まりました。そして、それはギリシャ、フランス、アイルランドと飛び跳ねていき、はるばると旅をして、遂に危機が始まった場所へとたどり着きました。

 「かれらはなぜ抗議しているんだ?」。テレビでは当惑した識者たちがそう訊ねています。 その一方で、世界の残りはこう訊ねているのです。「なんでそんなに時間がかかったんだい?」。「いつになったら現れるのかと思っていたよ」。そして何よりもこう言っているのです。「ようこそ」と。

 多くの人々が「ウォール街を占拠せよ」と、一九九九年にシアトルで世界の注目を集めた、いわゆる反グローバリゼーション抗議運動[7]との類似点を比較しています。あれはグローバルで、若者主導で、分散型の運動が、企業の力に対して直接的に狙いを定めた最後の時でした。そして私は、私たちが呼ぶところの「諸運動による運動(the movement of movements)」の一部だったことを、誇りに思っています。

 しかし、そこには重要な違いもまたあるのです。たとえば、私たちは目標として、世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、G8といったサミットを選びました。サミットはその性質上一時的なもので、一週間続くだけです。それはつまり、私たちもまた一時的な存在であったということです。私たちは現れ、世界中のメディアの見出しを飾り、そして消えました。それから、九・一一攻撃に続く苛烈な愛国心と軍国主義の狂乱の中で、私たちを完全に一掃するのは容易なことでした。少なくとも北アメリカではそうだったのです。

 一方で、「ウォール街を占拠せよ」は固定された標的を選びました。あなたたちは、ここでの自分たちの存在に、終了期日を設けていません。これは賢明なことです。あなたたちが居続けるその間だけ、あなたたちは根を伸ばすことができるのです。これは決定的なことです。あまりにも多くの運動が美しい花々のように咲き誇り、すぐに死に絶えていくのが情報化時代の現実です。なぜなら、それらは土地に根をはっていないからです。そして、どうやって自分たち自身を維持し続けるのかという、長期的な計画を持っていないからです。だから嵐がやって来ると、洗い流されてしまう。

 水平的かつ深く民主的であることは、とても素晴らしいことです。しかし、そうした諸原則は、これからやって来るであろう嵐に耐えることのできる、頑丈な構造や組織を築き上げる重労働とも共通するものなのです。私は、それがやがて起こるのだと確信しています。

 他にもこの運動は正しいことをしています。あなたたちは、非暴力であろうと決心しています。あなたたちは、メディアが切望している、壊れた窓や通りでの乱闘のイメージを与えまいとしています。そしてその驚くべき自制心は、警察の恥ずべき不当な暴力が、いくどとなく話題になるという結果を引き起こしているのです。それこそまさに、私たちが昨晩に多く目撃したものです[8]。一方で、より多くの知恵とともに、この運動への支持は拡大し続けています。

 しかし、一〇年という歳月がもたらした最大の違いは、一九九九年には、熱狂的な好景気の絶頂時に、私たちは資本主義と対決していたことです。失業率は低くて、株式のポートフォリオは急騰していました。メディアは金融緩和政策に酔い、当時は操業停止(shut downs)ではなく、新設企業(start-ups)に関する報道ばかりでした。

 私たちが指摘したのは、その熱狂の背後にある規制撤廃が相当の犠牲を払うものであるということでした。それは労働基準に損害を与えていました。それは環境基準にも損害を与えていました。企業は政府よりも強力になろうとしており、民主主義に損害を与えていました。しかし、正直に言って、良い時代が過ぎる中で、貪欲に基づく経済システムに対して挑戦することは、困難な説得でした。少なくとも豊かな国々ではそうだったのです。

 一〇年後の今、もはや豊かな国などないかのようです。ただ、たくさんの豊かな人たちがいるだけです。公共の富を略奪し、世界中の天然資源を使い尽くしながら、豊かになった人たちです。

 論点は、今日では誰もが見て取れるように、このシステムがとてつもなく不公正で、制御不能なまま疾走していることにあります。足かせをはずされた貪欲は、世界経済を破壊しました。そしてそれは同じく、自然界も破壊しているのです。私たちは海を乱獲し、水圧破砕(フラッキング)と深海掘削で水を汚染し、アルバータ州のタール・サンドのような、地球上でもっとも汚いエネルギーの形態へと向かっています[9]。そして、私たちが排出する炭酸ガスは、その総量を大気が吸収することはできず、危険な温暖化を引き起こしています。複合的な災害が新たな常態となりました。経済的であり生態的である災害です。

 これらは紛れもない現実です。一九九九年に比べて、こうしたことがあまりにも露骨で、あまりにも明白なため、公衆が理解するのも、素早く運動を構築するのもはるかに容易なのです。

 私たちがみな知っているように、あるいは少なくとも感じているように、この世界は逆さまなのです。私たちは、実際には有限であるものに対して、まるで尽きることがないかのように振る舞っています。化石燃料とその排出物を吸収する大気中の余地のことです。そして私たちは、実際には豊富であるものに対して、まるで厳格で不動の限界があるかのように振る舞っています。私たちが必要とする種類の社会を構築するための財源のことです。

 私たちの時代の課題は、これをひっくり返すことです。この偽の希少性に挑戦することです。私たちには、まともで包摂的な社会(decent, inclusive society)を構築するだけの余裕があるのだ、と主張し続けることです。その一方で、同時にまた、地球が引き受けることができる本当の限界にも配慮することです。

 気候変動が意味しているのは、私たちはこれを、締め切りまでに成し遂げなければならない、ということです。今度は私たちの運動は、事件によって気を逸らされても[10]、分断されても、燃え尽きても、一掃されてもなりません。今度こそ、私たちは成功しなければなりません。私が言っているのは、銀行を規制し、金持ちに増税することではありません。それらも重要なことではあるとはいえです。

 私が言っているのは、私たちの社会を統治している根本的な価値観を変える、ということです。それは、メディアが好むような一つの要求にぴったり収めるのは難しいし、どういう風に成し遂げればいいのか把握するのも難しいことです。しかし、難しくてもなお緊急を要することなのです。

 しかし、私はそれを、この広場で起こっていることに見ています。お互いに食べ物を与えあい、お互いに暖を取りあい、自由に情報を共有し、無料で医療や瞑想の授業を提供し、エンパワーメントの訓練を施すというやり方の中に[11]。ここで見つけた私のお気に入りのサインは、「あなたのことを気にかけている(I care about you)」というものです。お互いの視線を避けるように人々を訓練して、「奴らには死なせておけ」と言わせる文化において、これは深遠でラディカルな声明です。

 最後にいくつかの考えを述べましょう。この偉大な闘争の中で、重要ではないいくつかのことがあります。

  • 私たちが何を着ているのか。
  • 私たちは拳を振り回すのか、それともピース・サインを作るのか。
  • 私たちのより良い世界への理想を、メディアのサウンドバイト[12]にうまく合わせられるか。

 そしてここに、重要ないくつかのことがあります。

  • 私たちの勇気。
  • 私たちの倫理的な基準。
  • 私たちがお互いをどのようにとり扱うのか。

 私たちは、経済的にも政治的にも地球上でもっとも強力な勢力に、喧嘩をふっかけました。それは恐ろしいことです。そしてこの運動が、ますます強力に成長するにつれ、もっと恐ろしいことになるでしょう。そこには小さな目標へ移行するという誘惑があることに、常に警戒しておいてください。たとえば、この集会であなたの隣に座っている人に対して、のようにです。結局のところ、それは勝つのが容易な闘いなのです。

 そうした誘惑に屈してはなりません。私はくだらないことで言い争うな、とは言いません。しかし今度こそは、これからの長い長い年月のために、私たちが協力して働こうと計画したかのように、お互いをとり扱いましょう。なぜなら待ち受けている課題が、まさにそれを要求するからです。

 この素晴らしい運動を、それが世界でもっとも重要なことであるかのように取り扱いましょう。なぜなら、実際にそうだからです。本当にそうなのですから。



    訳註:
  1. 「人間マイク(human mic)」または「人民マイク(people's mic)」は、一人の言葉を周りにいる人々が繰り返し、より遠くにいる人々がさらにそれを繰り返すことで、拡声器を使用せずに多数が意思疎通することのできる言語伝達法。『ウォール街を占拠せよ――はじまりの物語』(大月書店)では、数千人の人間がファシリテーターを取り囲んでいたために、いわば仕方なく使うようになったという趣旨の記述もある。
  2. このスピーチ原稿は、二〇一一年一〇月一日発行の『オキュパイド・ウォール・ストリート・ジャーナル』紙(運動の情報紙)の創刊号に掲載された他、『ザ・ネイション』の電子版でも一〇月六日付で発表されている。
  3. 英語の二人称代名詞目的格「you」に、複数と単数の区別がないために、「I love you」という言葉を一人が多数に言う時とその逆で意味の違いが出てくる。
  4. 原文「Say unto others what you would have them say unto you」は、マタイの福音書(7-12)の「Do unto others as you would have others do unto you(己の欲する所を人に施せ)」を意識した言葉だと思われる。
  5. 経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは、雑誌『ヴァニティ・フェア』二〇一一年五月号の「一%の、一%による、一%のために(Of the 1%, by the 1%, for the 1%)」という記事で、「最富裕層の一%のアメリカ人が国民所得の四〇%を毎年獲得して」いると述べている。また、チョムスキーは一%と九九%の対立を、実際の数字ではなくとも「imagery」なものだと語っている(拙訳はこちら)。また、ThinkProgressの「一%の最富裕層アメリカ人について知っておくべき五つの事実(How Unequal We Are: The Top 5 Facts You Should Know About The Wealthiest One Percent Of Americans)」(拙訳はこちら)という記事も参照のこと。
  6. ウィスコンシン州の州都マディソンでは、団体交渉権剥奪法などを進める共和党のスコット・ウォーカー知事に対して、二月中旬から大規模な抗議が行われ、州議会議事堂が占拠された。マドリッドはスペインの首都で、そのプエルタ・デル・ソル広場は五月一五日運動(M15)の発祥の地。こうした抗議の地球大の連鎖、もしくは相互の影響については前掲『はじまりの物語』の他に、『市民蜂起――ウォール街占拠前夜のウィスコンシン2011』(かもがわ出版)を参照。
  7. 一九九九年一一月末からシアトルで開催されたWTO閣僚会議に、世界中から五万人から七万人とされる個人や組織が集まって抗議活動を展開し、会議の妨害に成功した。
  8. 一〇・五の抗議行動は、労働組合や学生組織が参加して、それまでで最大規模になるとともに、警察が催涙ガスや警棒などの直接的な暴力をふるった。こうした警察暴力(ポリス・ブルータリティ)についての報道は、大衆の関心をOWSに引き寄せる役割を果たした。RTの次の動画ではその様子の一部を見ることができる。http://www.youtube.com/watch?v=xUpdRt_30UU
  9. 水圧破砕法(fracking)は、頁岩層に大量の水や砂、化学物質を注入してシェールガスを採掘するが、水質や土壌に深刻な汚染をもたらす。効率的な天然ガスの採掘法とされ、石油依存の克服を目指すアメリカなどで注目されている。タール・サンドはオイル・サンド、油砂とも呼ばれる極めて粘度の高い砂岩で、精製の過程で大量の炭素を排出する。
  10. この「事件」の一つとして、九・一一攻撃とその後に続くアフガニスタン・イラク侵略戦争が想定されていることは、スピーチ中で触れられていることからも間違いないだろう。
  11. ウォール街の占拠地は、食堂、図書館などを備えるほかに、医療班(メディクス)とそのテント、「聖なる空間」「聖なる樹」と呼ばれる瞑想場などもあり、瞑想の授業が行われていた(前掲『はじまりの物語』)。なお、原文中では「ヘルスケアを証明する(proving health care)」となっているが、明らかに「提供する(providing...)」の誤記。
  12. 報道機関が、耳目の引きやすさを考慮して、スピーチやインタビューなどから抜き出すごく短い抜粋のこと。




訳者コメント:
 一つ前のエントリで宣言した通りに、これまでに訳したOWS関連の文書を見直していくことにした。いずれはPDFの形に編集し、自由に配布・印刷できるようにしたいと考えている(PDFでなくとも良いかもしれない。是非ご意見を)。また、以前の訳文を残しておくため、読者に新しい翻訳の完成を知らせるためなどの理由で、新しいエントリとして公表していくことにした。

 訳に当たっては訳註を多くし、全くウォール街占拠になじみがない人にとっても、理解の助けとなるようにした。そのいくつかでは自分の翻訳である『ウォール街を占拠せよ――はじまりの物語』を参考としている。理由は、そうするのがふさわしいからである。他にそういった本があればそれを挙げただろう。「ウォール街を占拠せよ」に関しては、未だ極端に日本語での情報が少ないことを考慮してほしい。それがPDFという形態での配布を考えた理由の一つでもある。

 このナオミ・クラインのスピーチは、OWS関連のものとしては、拙ブログでもっとも多くの読者を獲得した。Googleで「ウォール街を占拠せよ」検索すると「ウォール街を占拠せよ:今世界で最も重要なこと」が「他のキーワード」として表示されるくらいだ。このスピーチの和訳を最初に公表してから、一年以上がたつ。「We are so grateful」を、「私たちは大きな嬉しさに包まれています」(以前の稿)と訳したのは今でも誇りである。


10/28の更新:
 訳註も含めて再チェック、主に日本語表現の面で見直した。意味の変わったところはほとんどなく、「これ」を「それ」に変えるなどの微妙な言い回しの調整。おそらく投稿時の操作ミスで、訂正したはずの脱字が残っていたのであらためて訂正。他には、「他の人たちからあなたに言ってほしかったことを、あなたから他の人たちに言ってください」を「他の人たちから自分に言ってほしかったことを、自分から他の人たちに言ってください」に変え、訳註を若干追記した。




by BeneVerba | 2012-10-25 16:17 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
連帯原則
Principles of Solidarity
2011年09月23日 - ウォール街を占拠せよ
原文:http://www.nycga.net/resources/documents/principles-of-solidarity/

翻訳:ウォール街を占拠せよ - 連帯原則_e0252050_14373248.jpg


 二〇一一年九月一七日、経済的、政治的なエリートたちによって永続化されている、私たちの時代のあけすけな不平等に抗議するために、アメリカ合衆国の各地から人々が集まった。その日一七日、諸個人としての私たちは、政治的な権利の剥奪と社会的、経済的不平等に対して立ち上がったのだ。

 私たちは意見を率直に述べ、反抗し、ウォール街を占拠することに成功した。今日では、誇らしいことに、私たちはリバティ広場に残り、非暴力的な市民的不服従に参与し、お互いへの尊敬、受容、愛情に基づいた連帯を築きつつ、自らを自律した政治的存在として確立している。

 私たちが取り戻したこの土地から、全てのアメリカ人に対して、また世界中に対して私たちが告げているのは、「もうたくさんだ!」ということである。一体いくつの危機を必要とするのだろうか?私たちは九九%であり、私たちは担保に取られた自分たちの未来を取り戻すために、移住したのだ。

 諸個人としての私たちは共に団結し、直接民主主義的なプロセスを通して、次の連帯原則を作成した。団結のために重要なものがこれらには含まれているが、これらに限るものではない。

  • 直接的で透明な参加型民主主義に深く参与すること
  • 個人的および集団的な責務を実践すること
  • 個人に固有の権利と、相互作用におけるその影響を認識すること
  • あらゆる形態の抑圧に対して、お互いに力を授け合うこと
  • 労働の価値をどのように評価するのか再定義すること
  • 個人のプライバシーを不可侵のものとすること
  • 教育は人権の一つであることを信条とすること
  • 技術、知識、文化を、無償で受容、創造、改変、配布できる万人に対して開かれたものとすること(二〇一二年二月九日に修正案を承認)

 私たちは果敢にも、より大きな平等性の可能性を提供するであろう、新しい社会的、政治的、経済的なオルタナティヴを想像するものである。私たちは、提案された他の連帯原則を現在統合しており、要求がそれに続くだろう。


*原則統合作業部会は、今もなお提案された他の原則を、可能な限り早くこの生きた文書に統合すべく活動している。これは原則統合作業部会によって作成された公式文書である。ニューヨーク市ジェネラル・アセンブリーは九月二三日にこの作業中の草案を受け入れることに合意し、公に共有するためにオンライン上に投稿された。



訳者コメント:
 本日9月28日に、いよいよ『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』が発売される(来月初めにずれ込む地域もあり)。発売記念ということで、大月書店の寛大な許可を得て、実際の書籍にある「ウォール街を占拠せよ」の「連帯原則」を基に、その前後のただし書きを含め、現在の版のOWSの「連帯原則」を訳出、公開することにした。

 どのような経緯でこの「占拠運動が生み出した最初の公式文書」が生まれたのかなどは『ウォール街を占拠せよ/はじまりの物語』の「占拠の誕生」の章に書かれている。これはその名の通り、占拠運動を進める際の基本的な原則であり、他の合意された行動や文書などもこの原則の上にあるものであるはずだ。

 占拠運動に関心を持つ人ならば、この運動が直接民主主義的な志向を強く持っていることはおなじみだが、「労働の価値の再定義」や「技術、知識、文化」の共有なども新しい時代を創造しようとする意志が感じられると私は思う。





by BeneVerba | 2012-09-28 14:28 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)