カテゴリ:意見( 44 )

 在特会の行う街宣のみが差別デモなのではない。日の丸掲げ、右翼と一緒に歩くようなデモもまた、思想信条や、参加者のルーツによって選別しているという点で差別デモなのだ。

 この点を抜きにする者に、三・一一からの運動を語っても上滑りするだけである。

 そして、今も、日の丸の掲げる反原発運動は行われている。それは安倍政権の上からのファシズムに対して、下からのファシズムとして、ファシズムを補完する役割を果たしている。

 希望のなき時代は、これからも続くだろう。

by BeneVerba | 2014-07-10 09:39 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 反原発運動の国民運動化において、原田裕史という人物の罪は重い。2012年の段階で、彼は反原発運動への日の丸の持ち込みを肯定的にとらえている。それは、もちろん日の丸の下に束ねられたくない、というものを排除するものであり、マジョリティに媚びを売るものである。そして、彼らは負け続けている。

原田裕史 (‏@harada_hirofumi)
原発というのは「親方日の丸」の代表選手の一つです。ですから「日の丸」は敵の象徴でもあります。 原発政策に抗議の場に日の丸が立つこと「反旗が翻った」という意味を持ちます。 もともと敵の象徴ですから気分が悪くて当然ですが、闘いに於いて「反旗」は大事にしなければならないと思います。
2012年6月10日


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 また、あろうことか、原田は私が精神医療ユーザーであることをいうことで、私の発言内容そのものがとるに当たらないものであるかのような印象操作すら行っている。

原田裕史 ‏(@harada_hirofumi)
@BeneVerba 療養中ならTwitterで議論しようなんて思わない方が良いですよ。 碌なことが無いから。
2013年9月14日


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by BeneVerba | 2014-07-10 02:56 | 意見 | Trackback | Comments(0)
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 私は、精神医療ユーザーであることを明らかにしているが、上瀧浩子はツイッター上で私に対する差別発言を行っている。

@SANNGATUUSAGINO
@k2gtr @sunafsunafsunaf @ppponsu ほんとにご病気だとしたら、ツィッターはあまりよくない気が。
2013年12月26日



私はこの人物を決して許さない。草の根を這い分けてでも必ず責任をとらすことを誓う。

by BeneVerba | 2014-07-10 02:02 | 意見 | Trackback | Comments(0)
日の丸を掲げた反原発運動という不正義は自然に終わったりはしない。
日の丸を掲げた反差別運動という不正義は自然に終わったりはしない。
差別者が行う反差別運動という不正義は、自然に終わったりはしない。

野間や木野、あるいはbcxxxや原田裕史は、自ら決して差別暴言を認めたりしない
のいえほいえや上瀧浩子は、自ら決して差別暴言を認めたりしない。

マスメディアは決して、座るひとの排除も、ヘイトスピーチに反対する会の排除も伝えたりはしない。
マスメディアは決して、野間やその他の差別暴言や学習会の妨害を伝えたりしない。

では、どうするのか。
私たちがやるのだ。
彼らをとめるのだ。
彼らに責任をとらせるのだ。

踏みにじられた尊厳は、もはや沸点に近づいている。

by BeneVerba | 2014-06-28 06:40 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 野間らの「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言が問題視されず、自称「カウンター」だけが起きる社会は、反差別がある程度実現した社会でなく、全く実現していない社会である。

 そもそもツイッター上においても、「カウンター」勢による差別暴言は日常茶飯事なのに、それを無視して「カウンターの現場」とやらに行って何になるというのか。「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言が、問題視されない社会こそ異常なのだ。

 「カウンター」参加者たちは言う。関西のカウンターはマイノリティ主体だとか、現場に来ればわかるとか、多様な人々が参加しているので、意見は一様ではないとか。それでは、率先して「カウンター」の中心人物たちの差別発言を批判したまえ。それでこそ、野間らの影からはなれられるのだ。

 野間は、私はヘイトスピーチに反対する会の学習会で見ているが、あれは駄々っ子だ。自分の中に倫理というものがない。差別発言を指摘されると、さらに過激な差別発言をして開き直る。このような人物を無視するのではなく、きちんと「彼は差別者である」といえる社会が、反差別が実現した社会だ。

 「カウンター」においては、特に「ヘイトスピーチ」が問題化されたが、「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言がヘイトスピーチであることは言うまでもないことである。だが、「カウンター」参加者は見て見ぬふりをするか、こうした発言を擁護するばかりだ。

 さらに、付け加えるべきことがある。それは、「カウンター」がレイシズムの二次加害に荷担しているというということだ。「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といったヘイトスピーチを投げつけることは、それそのものが第一の加害である。それに加えて、差別者がまるで反差別の旗手であるかのように、ふるまうのは、差別の被害者にとっては耐えがたき苦痛であり、差別の二次加害にあたるということだ。

 今あるような、「反差別運動」は、ファシズムに抗うどころか、その人畜無害性において、ファシズムに貢献するものであり、徹底して解体されなければならない。差別者たち(たとえば野間易通)の差別暴言は、責任を取らされたうえで、永遠に記憶されなければならない。

 現況の反差別運動(そして、その他の社会運動)はどこか奇妙だと思っている人々が、私に合流することを望む。なぜなら、「糞チョソン人」や「ミンジョク主義者」といった差別暴言も、在特会のような行動保守も問題視される社会こそが、反差別が実現している社会だからだ。

 もし反差別のために行動する人ならば、「カウンター」に行った際に、のいほいや野間、木野、凡(彼は私のエスニシティを貶めたレイシストである)その他がいたら、彼らに食ってかかるべきなのだ。




by BeneVerba | 2014-06-27 14:27 | 意見 | Trackback | Comments(0)
ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会
担当者様

2014年6月27日
芦原省一
beneverba(at)gmail.com


貴会事務局の岩下結氏について

前略 
 一七日付の朝日新聞報道で、以前大月書店で担当者だった岩下結氏が、貴会において事務局を担っていることを知りました。私は、大月書店に対し加盟する労組を通じて、団体交渉を要求しているものです。
 そもそも、その団体交渉のきっかけとなったのが、岩下氏が私に送った電子メールなのです。長くなりますが一部引用します。

 繰り返しますが、誰かを批判するのをお止めする権利はありません。(友人として悲しいという気持ちはありますが。)しかし一方で、我々にとってはビジネスの問題でもあります。たとえば反原連を支持する論者を批判するのは自由ですが、それが結果的に本が売れる道をいっそう狭くしていることはご自覚ください。

 最初から申し上げているように、この本は、国内でOWSに関心を寄せる方(知識人、といってもいいでしょう)に媒介してもらえない限り、売れる見込みのない本です。…

 そうしたきわどい戦略を顧みず、売れなくても構わない、わかる人だけにわかってもらえればいいということであれば、お止めすることはしませんが、ビジネスパートナーとしての信頼関係もそれまでということになるでしょう。

 ******* は、***さんが訳す予定はないそうです。さっそく***さんに紹介してもらえました。社内で了解が取れしだい近日中にオファーする予定ですが、訳者をお願いするかどうかの判断にあたって最大のネックが上記のような懸念であることはお伝えしておきます。取引材料にするようなつもりはありませんが、個人的にこんな思いは何度もしたくありませんし、会社への責任としてもビジネス上の判断を外すわけにはいきませんから。ビジネスパートナーとしての信頼関係もそれまでということになるでしょう。

 このメールが「誰かを批判するのをお止めする権利はありません」といいつつも、首都圏反原発連合、ひいては日の丸派脱原発の批判をとめるように脅迫していることは明らかです。朝鮮半島にルーツがある私は、これを民族差別としてとらえています。そのような人物が、反レイシズムに取り組んでいるかのように、見なされるのは耐えがたい苦痛です。

 また、岩下氏が事務局長であることは、私に対する二次加害に当たると考えます。それは犯罪者が犯罪予防の活動を行うようなものです。その犯罪者に被害を受けた人はどう思うでしょうか。
それゆえに、次の要求を行います。文書(電子ファイル可)での回答をお待ちしております。

一、岩下結を事務局の任務から解任し、これ以上の二次加害を防ぐこと。
二、会として、岩下結が事務局に就いた経緯を明らかにすること。
三、会として、このような二次加害を防ぐために再発防止を行うこと

草々



by BeneVerba | 2014-06-27 08:54 | 意見 | Trackback | Comments(0)
 在特会と、いゆわる「カウンター」をめぐって、二つの共犯関係がある。

 二〇一三年から始まった在特会への「カウンター」、あるいは「反差別運動」はしくまれた悪だった。私は、それを「ないよりもましといったものではなく、考えられる中でも最悪のもの」「反差別運動はこれによって殺された」と考えており、その旨表明してきた。レイシストが堂々と行う「反レイシズム運動」もどきが幅を利かせる状況を、他にどう表現しうるというのだろう?

 それらの運動を始めた人々は、「反差別運動」を始める以前から、反原発運動において帝国主義と植民支配のシンボルである日の丸を容認したり、右翼と組んだりしており、ツイッターなどにおいても、差別暴言は日常茶飯事だった。つまり、彼らはレイシストであり、差別者だった。

 彼らが「カウンター」を始めたときに、多くの人々が、自分たちへの批判をかわすために、偽物の「反差別運動」始めたのだろうと考えた。だからこそ「レイシストが反レイシズムだって?」と言われたのだった。


 そうした人々が、在特会への「カウンター」を始めことで、それ以前から、彼らから暴力を受け、告発を使用としていた人々は、告発する口を塞がれる形になった。たとえば、テレビや新聞のみで彼らの活動を知った人が、「なぜこの人が差別者なのか?」と言い出す事例はよくあることだ。そういう人は、彼らの以前からのインターネット上での活動を知らないのだ。

 そこに第一の共犯関係がある。それは「カウンター」とマスメディアの共犯関係だ。そこで言いたいのは、そもそも「カウンター」をはじめたのは彼らではなく、以前から「カウンター」は行われていたと言うことだ。マスメディアは「カウンター」が骨抜きにされ、安全なものにされてから、採り上げるようになったのだ。ジジェク流に言うのなら、それはカフェイン抜きのコーヒーだ。

 在特会はいくら極端であっても、日本社会の本流から外れているものではない。むしろ、日本社会でこれまで許されてきた差別を凝縮したものが、在特会だ。在特会を異質なものとして切り離す態度は、「在特会を非難する自分」と「日本社会では異質な在特会」を分離する点で有害だ。

 私が、自称「カウンター」を「考えられる中でも最悪のもの」とする理由の一つもそこにある。在特会という、まごうかたなきレイシズムに言い訳は無用である。彼らは、一面では、「在日特権」やら何やらを攻撃していたかもしれないが、もう一面では、日本社会の醜悪さを表現していた。「カウンター」は、まともに在特会に批判するのではなく、在特会が示していたような日本社会の醜悪さをふさぐ形で登場した。

 「在特会」を問うのであれば、在特会を成り立たしめている日本社会や、その制度を問うところまでゆくのは当たり前のことだ。そうした観点から見るのならば、単に在特会のデモに「カウンター」だけすればというものではない。そうではなく、「在特会」は「あなたがこれまで許してきた日本社会のあり方」が、極端な形態をとったものなのだ。それは「社会における自分のあり方」と「日本社会のあり方」を見つめ直すことなしにありえない。それこそが「カウンター」に欠けているものなのだ。

 マスメディアの共犯関係において、悪しきことがもう一つある。それは、「カウンター」を善きものとして採り上げることで、「カウンター」や「カウンター」主導者がこれまで行ってきた差別が、告発を無力化されるということだ。

 野間易通のような人物は、何年も前からのレイシストであり、私はその差別暴言の被害者の一人である。さらに、私は、日の丸とともに歩かされるという屈辱を味わったのだが、それは野間がコアメンバーを務める、金曜官邸前講義に始まった習慣である。

 在特会のような行動保守を批判する際に、特にヘイトスピーチが問題化されたが、野間やその他の「カウンター」メンバーの差別暴言は野放しである。言葉が暴力であるというのならば、実際その通りなのだが、これらも問題とすべきである。

 また、野間らは、「公開処刑」宣言や、学習会の無断録音とアップロード、東京大行進でのヘイトスピーチに反対する会の暴力的排除など、その逸脱した振る舞いには枚挙がない。また、男組・我道会まで含めると、在特会と一緒にデモ隊を襲撃しているのである。

 インターネット上などで、差別暴言を日常的に行っている者を、「反差別運動の旗手」のように取り扱うのは、差別の二次加害であり、これまでそのような報道をしてきたメディア、今もしているメディアは差別に荷担していると言うべきである。


 第二の共犯関係は、「カウンター」とマイノリティの共犯関係である。

 そもそも私は不思議でならない。

 統一戦線義勇軍の針谷大輔というクズは、日本軍性奴隷制度を否定し、朝鮮学校を「チョン校」よばわりまでしている。一水会ブログは、「原発技術なんか、朝鮮人にくれてやれ」「穢れた技術は、穢れた民族にこそ相応しい」と書いた(なお、この件については、鈴木邦男が謝罪したが、完全に的外れな謝罪だった)。

 日本軍性奴隷制度の否定は、第一義的には、制度被害者への差別だが、朝鮮民族に対する民族差別でもある。日の丸は、植民主義と帝国主義のシンボルである。そして、何よりも、未だに反原発運動の現場に日の丸を持ち込む人間がいる。

 そのような状況において、針谷大輔やその他を受け入れてきた人物たちが、自らも差別暴言を使ってきた人物たちが、在特会に反対して見せたからといって、先に触れたような一水会や針谷の差別とその許容を忘れて、「カウンター」を称える在日朝鮮民族がいることだ。

 あなたがたは、奴隷なのか?日本軍性奴隷制度を否定されたり、「チョン校」と呼ばれても平気でいられるほどの?さらに彼らは、たとえば「カウンター」の主導者が批判者の朝鮮民族に差別暴言を吐いても、見て見ぬふりをしたり、さらには自らが他の朝鮮民族に差別発言をなしたりする。

 一つめの共犯が「カウンター」とマスメディアの共犯だとしたら、もう一つの共犯は「カウンター」とマイノリティの共犯である。それは「マイノリティ」が協力することによって「カウンター」の正当性が保障され、「カウンター」の差別性は見て見ぬふりされるという構造を持っている。もちろん、これは第一の共犯と別個の問題ではない。


 言うまでもなく、反レイシズム、ないし反差別とは、これらも含めて批判する立場を言うのである。


*深夜に二つのエントリを続けてアップロードしました。「民族差別の二次加害を働く『ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会』」もご覧下さい。




by BeneVerba | 2014-06-27 06:31 | 意見 | Trackback | Comments(0)
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 朝日新聞の一七日付け朝刊に次のような記事が掲載された。下記はその一部である。

これでいいのか「嫌中憎韓」/ブームの出版界に疑問の声

 東京都内の出版社の一室で4月下旬、大手から中小まで様々な出版社の社員約20人が議論を交わしていた。他国や他民族への憎悪をあおる言説に出版界の中から歯止めをかけられないか。そんな考えからフェイスブックなどを通じて集まった「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」のメンバーだ。

 会社に秘密で参加している人も多く、今後どのような活動ができるのかはまだ未知数だが、事務局の岩下結さんは「今の状況をおかしいと思っている人が多いことを示したかった。のろしをあげることに意味がある。今後も会合を開き、出版界全体で考える流れを作っていきたい」という。

 この記事中に登場する岩下結とは、大月書店の編集副部長であり、私に「反原連や日の丸を批判するのなら契約はやれない、契約がほしければそれらの批判はやめろ」と脅迫した人物である。自分が民族差別を働いておいて、「荷担しない」も何もないものである。

 しばき隊や仲良くしようぜパレードが問題なのは、一つにそのあり方だが、もう一つ問題なのは、しばき隊や仲良くしようぜ関係者が差別発言をした相手にとっては、差別者がまるでそうではないかのように取り扱われることで、差別の二次加害になっている点である。

 想像してほしい。自分に差別発言ないし差別を働いた人間が、あろうことか「差別と闘う」人間として取り扱われることの苦しみを。

 「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」は、このような人物を入会させるべきではなかったし、まして事務局にすべきではなかったのだ。岩下がなすべきは、厚顔無恥にもこのような会で活動することではなく、まずは私に対する、真摯な謝罪である。


by BeneVerba | 2014-06-27 03:50 | 意見 | Trackback | Comments(0)
常野雄次郎さんへ


 私たちが、目下の社会運動に起きている深刻な事態について、往復書簡形式でブログ記事のやりとりをする、と決めてからずいぶん経ちました。こんなに遅れたのは、主に私の責任です。ここしばらくは、労働委員会での大月書店不当労働行為事件について、準備に追われる毎日でした。それからまた、私と常野さんに共通するものだと思うのですが、抑うつ状態で活動的になるのが大変だというのもありました。今現在、大月書店不当労働行為事件は、調査を終え、審問を控えています。

 この往復書簡をどのように始めたら良いのか、ずいぶん悩みました。考えた末に、私がずっと追い求めている質問を、常野さんにぶつけてみようかと思うのです。それは、「いったいなぜ、私が、日の丸とともに歩かされなければならなかったのか?」というものです。ブログなどで表明しているとおり、それは人生でも最悪の体験でした。私は、「ユダヤ人」を「朝鮮民族」に、「ハーケンクロイツ」を「日の丸」になぞらえるのが好きではありません。なぜなら、ユダヤ人と朝鮮民族の困難は、それぞれ固有のものだからです。ですが、ユダヤ人が強制的にハーケンクロイツとともに歩かされたら、深刻な人権侵害であり、一大事件だと見なされるのではないでしょうか?

 私が参加するデモでは、いまだに、日の丸を持ち込もうとする人がいます。今年の三月初頭に開かれたデモでもそうでした。私は、それに抗議してやめさせなければなりませんでした。私の他に、抗議する人はいませんでした。いまだにそんなことをしなければならないのは、私にとって非常な苦痛です。なぜなら、それは私の思想的、民族的なアイデンティティに関わる問題であり、日の丸の持ち込みはそれを脅かしているからです。

 先に記したように、これは私自身が問い続けている問題でもあります。私は、なぜ日の丸とともに、歩かされなければならなかったのでしょうか?常野さんに何かお考えがありましたら、ぜひお聞かせください。それから、ぜひお体に気をつけてください。


芦原省一
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by BeneVerba | 2014-06-16 21:10 | 意見 | Trackback | Comments(0)
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 私の現在の活動の原点として、反原発デモと銘打ったデモにおいて、日の丸と一緒に歩かされたことがある。それは人生でも最低最悪の経験だった。それは、日本の植民地支配と帝国主義のシンボルであるというだけでなく、私のような人々を殺し、犯し、支配してきた旗だった。思想的にも民族的にも、日の丸を拒否しているにもかかわらず、それを掲げた示威行動に参加し、荷担してしまった。もし、そのデモを在日朝鮮人や在日中国人が見ていたらどう思うだろうか。意図したものではなかったとはいえ、私はそれに荷担してしまったのだ。

 私は、数ヵ月間、怖くて反原発デモに行けなくなった。次に出かけた時には、なんとしてでも日の丸は揚げさせないという決意で、デモに出かけていった。そもそも、反原発デモに日の丸が持ち込まれるようになったのは、「あの」カウンターともメンバーが重なる反原連の活動がきっかけの一つである。

 反原連のコアメンバーである野間易通は、針谷大輔の登壇を批判する文書を公開した「ヘイトスピーチに反対する会」を敵視し、また、反原連や「あの」カウンターに批判的な人々にツイッターで攻撃的なメンションを飛ばしていた。私もいくどとなく差別発言を喰らった。次はそのほんのわずかな例である。

野間易通 (@kdxn)
日本国籍の匿名のクォーターが、民族名で矢面に立ってる「バリバリの在日」に向かってすごいこと言うな……。RT @BeneVerba: あなたの反原連、しばき隊、一水会への態度が甘過ぎるせいで、このような差別を受けながら脱原発運動に携わっている「朝鮮人」である私は迷惑です。
2013年6月2日
野間易通 (@kdxn)
また関係のない文脈で「日の丸」……。完全にキチガイでしょ→RT @BeneVerba: レイシストと日の丸を容認する朝鮮人を擁護し、それらに反対する朝鮮人には差別発言も辞さないという、実に見下げ果てた人々ですね。@kdxn @nyara4649 @harada_hirofumi
2013年9月14日
野間易通 (@kdxn)
おまえにはそんなものはない。RT @BeneVerba: 野間、こっちは具体的な現実があって、
2012年12月27日


 そんな私にとって理解できないのは、「あの」カウンターを支持する朝鮮人である。社会運動に参画する朝鮮人にとって、日の丸が持ち込まれるかどうか、「国民」という言葉が使われるかどうか、より一般的な言い方では、社会運動の国民運動化は、真剣な問題である。

 私が、「あの」カウンターを支持する朝鮮人に批判的なのは、第一に、それが社会運動の場で弱い立場に立たされている私のようなマイノリティを更に苦しめることになるからである。それは、一部のマイノリティを見棄てるようなものだ。

 第二に、第一の理由とも関連する問題だが、かれらが決して、カウンターを批判するマイノリティやマジョリティに対して投げ付けられる、野間易通なり誰なりの差別暴言に反対しないことである。これでは反差別を目的としているとはとても言えない。

 さて、上述した第一の理由のような趣旨でツイートしたところ、仲良くしようぜパレードの主催者である凡さんから、次のような攻撃的な言葉を投げ付けられた。

ぼん (@Bong_lee)
お前日本人だろ。RT @BeneVerba: 社会運動に参画する在日朝鮮人にとって、デモの中に日の丸があるかどうかは深刻な問題だ。ところが、金明秀(@han_org)、凡(@bong_lee)らは、ただでさえ苦しい立場のその人々を、より追い詰めるような真似をした。…
2014年5月29日


 私自身は、自己紹介する時に「朝鮮半島にルーツがある」とか、「祖父が朝鮮半島の人」とか、「日本国籍の朝鮮民族」といったりする。そして、私は、朝鮮籍や韓国籍の朝鮮人に比べて、自分が日本国籍を持っていることは、特権だと認識している。しかし、これはやはりエスニシティを貶めるものであり、差別と言っていいのではないだろうか。その意味で上に引用した野間の言葉とも共通する。

 普段は使わないような表現だが、ここは一つ、「凡さん、私はあなたよりも一〇〇万倍は朝鮮人だ」と言っておこう。

by BeneVerba | 2014-05-31 09:37 | 意見 | Trackback | Comments(2)